朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

(崔在浩<チェ・ジェホ>さんは1939年、26才の時京城で警官に連行され、北海道の大夕張炭鉱のタコ部屋に入れられた。任期は二年だったが、一方的に「再契約」させられ、逃亡を決意する)


…それで、地崎組の奴らの見ている目の前で、山へ入ってしまったの。雪が深くてねえ、小さな松なんか雪を被ってしまって見えない。わたしの胸まであるんだから。

その大夕張の山の中で二日半。飯は食えない、眠れない。着ているものはペラペラの作業着で、それがズタズタに裂けてしまった。行けども行けども、山また山で、ともかくてっぺんまで行こうと思って登ってみたら、夜だから遠いところに星みたいに灯りが見える。それで今度はその灯りを目指して下った。山を下りて林を抜けたら、朝になっていた。目の前にぽつんと一軒、農家があるのサ。農家を見たら、急に腹がへってきた。

それまでは命がけで逃げてきたから忘れてたんだね。まあ、農家には何かあるだろう。お願いしてみようと縁側から声をかけたら、五十くらいのおかあちゃんが一人出てきた。さぞびっくりするだろうと、わたしは思った、顔はスミで真っ黒だし、着ているものは田んぼの案山子のようにボロボロだし。
ところが、このおかあちゃん、平気なんだよ。そのときは分からなかったけれど、あとでわたしのような朝鮮人を何人も見ているので、驚かなかったってことが分かったの。それで目が合ったもんだから、

「すみません、何かあったら少しご馳走して下さい」

と、お願いしたら、ご飯一丼とタクアン刻んだの一丼と、お茶をいれて出してくれた。お礼を言って帰ろうとしたら、

「ちょっと待ってなさい」

と言って、次の間から旦那さんの古い上着とズボンにシャツを渡して、

「納屋で着替えなさい」

と言ってくれた。

その農家の近くを夕張鉄道が通っているんだけど、

「線路づたいに歩いたら絶対捕まるから、、この馬橇<ばそり>の道を行きなさい」

と教えてくれた。

(『百萬人の身世打鈴』p407~408)

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