朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

「強制連行」というと、「無理矢理連れていったこと」だけが問題であったかのように思われがちです。また「無理矢理連れていった」ということで言うと、学校教科書などでは「手錠をはめられ、トラックに載せられて拉致同然に連行された」という例がよく取り上げられています。


上記のような、あからさまな暴力による連行はもちろんありましたが、全ての朝鮮人の動員がそうだったわけではありません。また、戦時動員における問題点は「無理矢理連れていったこと」だけでもありません。ここでは、朝鮮人戦時動員における「強制連行」「強制労働」「民族差別」の3つの側面の代表的な例について触れていきます。



■強制連行、連行時の問題点


・行政的圧力
動員に際しては、しばしば警察官や面長、面の職員など官憲による恫喝や脅迫が行われました。

・心理的強制
上記の行政的圧力にも関わる問題ですが、徹底した皇民化教育によって「国のために働け」と言われた時に拒否しがたいと感じる心理的拘束力が働きました。

・法的強制力

徴兵や徴用令による徴用は拒否すれば法的に罰せられました。

・物理的暴力

動員が困難な場合には、就寝時や農作業中を襲って連行したり、外を歩いている者を拉致した例も見られました。

・甘言等による誘出

これは「強制連行」とは若干異なりますが、実際とは異なる好条件(高い賃金が貰えて家族にも送金できる、腹一杯食べられる、など)を提示して動員に応じさせたり、逆に行き先や仕事内容を知らせることなく連行した例、あるいは「途中で逃げてもいいから募集に応じてくれ」と懇願されたものの、監視が厳しくて逃れられずに連行された例もありました。

■強制労働

・暴力的就労強制

労働現場では過酷なノルマが課され(戦況の悪化に伴い、過酷さは増しました)、それを達成するために限界以上の労働が強制されました。

・統制・監視

多くの労働現場では外出が制限され、寮には逃走防止のための塀が設置されていました。
また当時朝鮮人の身分証として使われていた協和会手帳は逃亡防止のために雇用側によって管理されていました。

■民族差別

・賃金差別
朝鮮人の賃金は同業種の日本人労働者に比べ低く抑えられていました。また日本人より重い強制貯金や各種天引きにより、労働者が自由にできる賃金はごくわずかでした。

・重労働・危険な作業への割当て

多くの現場で朝鮮人労働者は重労働や危険な作業に従事させられました。それは朝鮮人労働者の死傷率が日本人に比べて高いことにも表れています。

・食事の差別

多くの労働現場では、量・質ともに低い食事しか出されませんでした。また労務管理側による配給品の横流しが横行したことも食事の悪化に拍車をかけました。

・虐待・リンチ

労働者の不満や反抗を抑えるため、日常的な暴力が横行していました。特に逃亡者や反抗的態度を取る者、労働条件の改善を訴えた者などに対しては見せしめのためのリンチが行われ、多くの死亡者も出ました。こうしたリンチは黙認・正当化されており、死亡者が出てもその事実は揉み消され、罰せられることもほとんどありませんでした。

・医療面での差別

朝鮮人の健康維持は軽視されていました。病人や負傷者にも充分な治療がなされず(それどころかペナルティーとして食事が与えられなかったりリンチが行われることもありました)、そのため死亡者や障害・後遺症を負う者が増大しました資料14

・死亡者に対する処置

死亡者が出た場合、きちんと埋葬したり遺族に知らせることなく、秘密裡に処理されることがありました。そのため現在でも身元の分からない無縁仏が各地の寺に存在します。

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