タグ
アツイ会議
気になる情報
教育再生会議HP?
議事録?
イベント?
学習?
サービス?
挑戦?
ニュース?
Wiki内検索
最近更新したページ
最新コメント

19年5月15日 第1分科会 議事録3

議事録1  >       10 11 12 13 14 15


○渡邉委員 名前はともかく、今、徳育を教科化するということに対してさまざまな意見があって、そして再生会議に対してさまざまな意見があるということですが、やはりこの分科会においては徳育を教科化するんだというコンセンサスはとるべきだと思います。

 問題は、多くの方が言うように、熱心に取り組まない教員がいるから問題なんだと。熱心に取り組ませればいいんだとか、教材が不十分だとか、不十分だったらそろえればいいんだとかという議論になるんですが、そういう議論ではなくてやはり今の小学生、中学生の言動、行動を見ていますと、やはり道徳の強化というのは必要であるということの中で教科化することによって当然注目されますし、先生方も否が応でも強化せざるを得ないというふうにもっていくべきだと思います。

 というのは、小学校、中学校における学習指導要領の道徳の内容というのはもう100点満点だと思うんですよ。よくできていますし、これ以上、何を議論するのか。ただ、これを伝えられていないし、これを教えられていないし、子供たちがこれを実行できていないから教科化して、そしてこれを強くしていくんだということを教育再生会議としては、しっかりアピールすることが僕は大事だと思います。先ずそのことのコンセンサスをとるべきだと思います。その後で、中身はどうかという、先ほどの義家委員の議論になっていくんだというふうに思っています。

○白石主査 再生会議として、今の小・中学生の言動を見ると、もう取り組まざるを得ないところまで来ているんじゃないかと。既に、学習指導要領ではいいことを言われているので、それについてきちんと取り組まれるように再生会議として教科化するということを明確に打ち出すというご意見をいただきましたが、それについていかがでございましょうか。

○品川委員 私も今の渡邉委員のおっしゃったことに全く同感で、やはり合意をとってから次に進んでいきませんと、議論がなし崩し的になる印象を世間に与えてしまうのではないかなと危惧します。ほとんどの方は教科化した方が良いのではないかと思っておられるのであろうというのでしたら合意をとればいいのではないでしょうか。それはやはりステップとして必要であろうかと存じます。それがまず1点です。

 それから次に申し上げたいことは、今ある道徳教育がなぜ効果がないのか、その分析が必要ではないか、と言う点です。私も今この資料を拝見しても特に問題は感じません。基本的によくできていますし時間も35時間あります。私がよく取材するような学校も道徳教育を一生懸命やっていらっしゃるところもあります。それなのに、なぜこういった現状になるのか。それは授業時間が足りないのか、指導内容の問題なのか、指導方法の問題なのか、それとも別なところに課題があるのか。そういうところを、毎回申し上げて恐縮なんですが、やっぱりもうちょっと科学的に分析し戦略をたてていくことが大事なのではないかと思っています。そこを分析しないで「徳育」を提唱しても、指導のターゲットが不明瞭ですし説得力は弱いのではないでしょうか。すべての子どもの規範意識を高めるというゴールに向けて、徳育をどう提示していくか、そこが大事ではないかと考えておりますのが2点目です。

 いろいろと取材をしてきた中で、私が今考えますことは道徳教育はもちろん大事なのですが、4月26日の第二分科会でもお話ししましたけれども、やはり自己理解・他者理解でありセルフ・エスティームを向上させることです。それらがあって規範意識が身につくというのはエビデンスがあることです。私が取材した非行少年は「自分がやられたときに誰も助けてくれなかったのに、なぜ自分が相手を殴ったらいけないのか」と言います。

 「殴られたとき痛かったでしょう」と聴くと「しょうがない」。一般の学校でいじめや不登校になっている子も似たようなことを言います。他人を思いやれない以前に自分も思いやれない。この意識を変えていくのは、単なる道徳教育だけでは難しいと痛感します。

 そもそも日本の学校教育はみんな同じというところからスタートするんですね。幼稚園の教育を見ていただければわかりますが、みんな同じ、みんな仲良し、みんな一緒というところからスタートしますので自分と人は違うという「違い」を認め合うことを学ぶ場が最初の段階にないんです。アメリカやイギリスの幼稚園が絶対だとは言いませんが、第一歩はまず自分を知る、ALL ABOUT MEという授業から始まり、それが私たちはみんな違うんだよというところにつながる。体や髪の毛の色が違う、目の色が違う、身長も体重も違う。みんな違うけれども、でもお友達だよというところから始まるんですね。

 日本の幼稚園に行くと「みんな仲良し」「みんな一緒」が前提になります。自分ってどういう子という検証がなければお友だちとの違いはわかりません。つまり自己理解が進まないから他者理解も進まない。当然、自己理解、他者理解がないところでは自尊心は上がりません。自尊心が上がらないところに幾ら規範意識を入れても規範意識は入りません。それをエビデンスベースで実践したのが広島少年院の向井首席専門官で、だから再入院率もほとんどゼロまで落とすことが可能になったわけです。

 この学習指導要領はすごく良くできていると思うんですが、この視点は欠けていると思っています。私としましてはぜひこの点について共通認識に持っていただけるといいと考えておりますので一度皆さんのご意見をお伺いしたいと存じます。

 それから3点目は今のことにつながりますが、道徳の定義をし直す必要があるであろうということです。私としては、今申し上げたように自己理解、セルフ・エスティームがあった上で規範意識を学び、規範意識を育てるためにコミュニケーションスキルとか対人関係能力とか問題解決能力などを幼稚園から高等学校まで協同学習のなかで学んでいく。フィンランドがやっているフィンランドメソッドはどこに入ってくるかといったら、実は道徳教育のところに入ってくるのではないかと思っております。たとえばそういう風にもう一度教科内容を定義しなおす必要があるのではないでしょうか。それから私はそこに食育も入ってくると思っています。これは命の教育だからです。義家委員は0歳から10歳までとおっしゃっておられますが、私は道徳というか徳育ですか、は発達段階に応じて、0歳から社会に出るまで、学校でいえば保育園・幼稚園から高校まで一貫した教育、になると考えます。今、会議でも親の学びが必要だというような話が出ていますけれども、こういった教育が幼児期から青年期まで通して徹底されれば20年後には親の学びなんて必要なくなるのではないかと考えます。ですので徳育のゴール設定をどこに置くかということを含めて今一度検討していただけるといいと考えるわけです。こういったスキルは就労の安定にもつながります。徳育は規範意識を教える教科と狭くとらえずに、総合的な学習と違って自己理解や他者理解、セルフ・エスティーム、命の教育等ターゲットを明確にした広い教育に落とし込められるようにするといいのではなないでしょうか。人として必要な力をつけるのが徳育である、でも評価はしないなどと定義をはっきりする必要があるんではないかなと思います。以上です。

○白石主査 ありがとうございました。門川委員、お願いします。


議事録1  >       10 11 12 13 14 15

2007年06月20日(水) 08:34:58 Modified by ID:gLyvKbjeuA




スマートフォン版で見る