このページにおいては、大日本帝国陸軍の軍政面、特に部隊編制について述べる。

部隊略歴

師団

第1師団
  • 通称号:玉
  • 衛戍地:東京 - 斉斉哈爾 - 孫呉
  • 年譜
    • 1888年:東京鎮台を改編して成立。麾下に歩兵第1聯隊(麻布)、歩兵第2聯隊(水戸)、歩兵第3連隊(本郷)、歩兵第15聯隊(高崎)を持つ。補充担任は第1師管となり、麾下に第1旅管、第2旅管の2個旅管を持つ。第1旅管は麻布、横浜、高崎、長野の4個大隊区を、第2旅管は佐倉、水戸、本郷、宇都宮の4個大隊区を管轄。
    • 1894年:日清戦争に出征し、旅順要塞攻略を担う。
    • 1896年:6個師団増設に伴い陸軍管区表改定。それに伴い従来の大隊区は聯隊区と呼称変更。第1師管は近衛師管に管区の半分を渡し、麻布、横浜、高崎、長野の4個聯隊区を管轄する。所属部隊は変わらず。
    • 1899年:近衛師管が廃止され、管区は第1師団に移管となる。従来の第1師管は第1旅管、旧近衛師管は第2旅管と改称され、1888年の大隊区割りと同じ構成となる。
    • 1904年:日露戦争に出征。第3軍(乃木希典司令官)麾下において旅順要塞攻略戦に投入され、大損害を出す。
    • 1907年:6個師団増設に伴い陸軍管区表改定。歩兵第2聯隊(水戸)と歩兵第15聯隊(高崎)を新設の第14師団に譲り、歩兵第49聯隊(甲府)と歩兵第57聯隊(佐倉)を麾下に加える。第1師管は麻布、本郷、甲府、佐倉の4個聯隊区を管轄。
    • 1936年:満洲永久駐箚命令。師団の青年将校らのうち過激派が二・二六事件を起こす。満洲国龍江省斉斉哈爾に移駐し、衛戍地を移す。
    • 1937年:6月、北満において乾岔子島事件に対応し、赤軍と交戦。8月、第二次上海事変勃発を受け、留守第1師団の担任で特設師団の第101師団が編成される。上海戦線に投入され大損害を蒙る。
    • 1940年:2月、第101師団は復員、戦闘序列を解除。8月、第1師管は東京師管に名称変更(管区変更なし)。麾下歩兵第3聯隊を第29師団に転出させ、三単位制師団となる。
    • 1941年:7月、関東軍特種演習(関特演)実施により自動車編制となるが、対ソ開戦断念により中支方面へ転用。万州作戦に従事し、国府軍を多数殲滅。11月、一府県一聯隊区制の施行により東京師管は東京、浦和、千葉、横浜、甲府の5個聯隊区で構成されることとなる。
    • 1942年:重慶攻略作戦の五号作戦に従事。重慶政府降伏後は重慶に駐屯して四川省東部の治安維持任務を行う。
    • 1944年:ソ連のバグラチオン作戦発動により師団は満洲転進、ソ連の攻撃に備える。
    • 1946年:陸軍管区表改定により東京師管は解体され、新たに東京師管区が東京府を範囲として設定され、東京師管区は麻布、本郷、立川の3個聯隊区より成ることとなる。同時に第1師団は歩兵第49聯隊を第21師団、歩兵第57聯隊を第29師団へ転出させ、かわりに歩兵第3聯隊が第29師団より戻り、新たに歩兵第83聯隊が立川を編成地として編制に加えられる。
    • 1948年:歩兵第3聯隊、及び歩兵第83聯隊の自動車化編制が完了。新たに戦車第1師団より戦車第1聯隊を麾下に加える。
第2師団
  • 通称号:勇
  • 衛戍地:仙台 - 哈爾濱 - 仙台
  • 年譜
    • 1888年:仙台鎮台を改編して成立。麾下に歩兵第4聯隊(仙台)、歩兵第5聯隊(青森)、歩兵第16聯隊(新発田)、歩兵第17聯隊(秋田)を持つ。補充担任は第2師管となり、麾下に第3旅管、第4旅管の2個旅管を持つ。第3旅管は仙台、福島、新発田、柏崎の4個大隊区を、第4旅管は青森、盛岡、秋田、山形の4個大隊区を管轄。
    • 1894年:

現在の制度

軍管区・師管区・聯隊区

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