最終更新: aczech_kasshi 2024年08月19日(月) 18:26:24履歴
満洲国 満洲國 만주국 ᠮᠠᠨᠵᡠᡤᡠᡵᡠᠨ Manchukuo | |
(国旗) | (国章) |
皇帝:鳳鳴帝 Her majesty the emperor Fengmei | |
国歌:満洲国国歌 National anthem of Manchukuo | |
公用語:日本語・朝鮮語・中国語・満洲語・蒙古語 | |
首都:新京市 | |
政府 | |
国務総理大臣 | |
地図 | |
満洲国(英名:Manchukuo)は、東アジアにある立憲君主制国家である。柳条湖事件を契機として大日本帝国の関東軍が占領した満洲に1932年に建国され成立した。この成立の経緯から、大日本帝国と不可分的関係を持った独立国家と位置付けられている。首都は吉林省・新京特別市。日本人・朝鮮人・満洲人・漢人・蒙古人の「五族協和」による「王道楽土」を理念として持ち、この理念を体現すべくアジアにおける多民族国家を標榜した諸政策が採られている。
支那大陸のうち、東北部に位置する一般的に満洲と呼ばれる地域を領域としている。そのほか、紫禁城外城を領土として保有している。なお遼東半島(関東州)については大日本帝国の租借地となっている。
「満洲」の定義は歴史上で何度か修正が加えられて現代に至っており、その原義は華北から見て東北方面にある、ツングース系民族である満洲族の住む地域というものである。ただ、南の国境は古来より山海関より東側(このことから満洲は関東とも呼ばれる)と定められていたが、その他の国境は当時探検がされていなかったこともあって非常に曖昧であった。実際現代に於いても、そもそも満洲族や靺鞨などの満洲の諸民族に関する資料が少ないこともあって、どこまでが満洲であったのかははっきりと分かっていない。
明瞭に満洲が定義されるのは17世紀で、満洲族が漢民族を征服して清朝を立てた後、彼らの故地である満洲に奉天・吉林・黒龍江の三省(東三省)が置かれ、その後のロシア帝国とのネルチンスク条約によって清露間の国境が定められる時を待つこととなる。ネルチンスク条約締結時の満洲の領域は以下の通りである。
「満洲」の定義は歴史上で何度か修正が加えられて現代に至っており、その原義は華北から見て東北方面にある、ツングース系民族である満洲族の住む地域というものである。ただ、南の国境は古来より山海関より東側(このことから満洲は関東とも呼ばれる)と定められていたが、その他の国境は当時探検がされていなかったこともあって非常に曖昧であった。実際現代に於いても、そもそも満洲族や靺鞨などの満洲の諸民族に関する資料が少ないこともあって、どこまでが満洲であったのかははっきりと分かっていない。
明瞭に満洲が定義されるのは17世紀で、満洲族が漢民族を征服して清朝を立てた後、彼らの故地である満洲に奉天・吉林・黒龍江の三省(東三省)が置かれ、その後のロシア帝国とのネルチンスク条約によって清露間の国境が定められる時を待つこととなる。ネルチンスク条約締結時の満洲の領域は以下の通りである。
ネルチンスク条約時の満洲19世紀まで下ると、勢いを増し南下政策を強化したロシア帝国が満洲へと進出。アイグン条約によって黒龍江の左岸が割譲され、また追って北京条約で黒龍江とその支流の烏蘇里江に囲まれた沿海州と呼ばれる地域が割譲された。この割譲された2地域は総称して外満洲と呼ばれている。下図の赤色が縮小された満洲、橙色がいわゆる外満洲と呼ばれる地域である。
北京条約時の満洲その後は清朝が崩壊すると満洲は中華民国に継承され、内乱による分裂を経て奉天軍閥の支配下に入ったがその領域は変わらず、1932年の満洲国が建国されると熱河省が領土に組み込まれ現在に至っている。現在では「満洲」と言うと満洲国の領域全体を指す。
満洲国では現在、行政機構として省旗制・市制/県制・街村制を採用している。
省は国務院総務庁の下に置かれ、奉天・吉林・濱江・安東・間島・三江・龍江・錦州・熱河・黒河・興安北・興安東・興安南・興安北の各省が設置されている。この制度は日本に於ける道州制導入の先駆けとされており、各省は非常に強力な自治権限を与えられて省法と呼ばれる独自の法律の施行などを行うことができる。
この下には日本の内地における都庁府県に相当する市と県が設置されている。主に大都市圏には市、それ以外には県という具合である。市と県はそれぞれ一定の自治権を有し、自治委員会に於いて県予算などを定めることが可能である。そのほか、県に相当するものとして旗が設置されているが、これは蒙古人の自治を目的として設置されたものであり、省でなく国務院の興安局に直接属している。
市と県の更に下には街と村が設置されている。日本における市町村に相当するものであり、概ね市街地には街、農村部には村が設置されている。
省は国務院総務庁の下に置かれ、奉天・吉林・濱江・安東・間島・三江・龍江・錦州・熱河・黒河・興安北・興安東・興安南・興安北の各省が設置されている。この制度は日本に於ける道州制導入の先駆けとされており、各省は非常に強力な自治権限を与えられて省法と呼ばれる独自の法律の施行などを行うことができる。
この下には日本の内地における都庁府県に相当する市と県が設置されている。主に大都市圏には市、それ以外には県という具合である。市と県はそれぞれ一定の自治権を有し、自治委員会に於いて県予算などを定めることが可能である。そのほか、県に相当するものとして旗が設置されているが、これは蒙古人の自治を目的として設置されたものであり、省でなく国務院の興安局に直接属している。
市と県の更に下には街と村が設置されている。日本における市町村に相当するものであり、概ね市街地には街、農村部には村が設置されている。
満洲国の行政地図
要塞都市の旅順と港湾都市の大連などが位置する要害の地、遼東半島は大日本帝国の租借地となっている。租借期限は1997年に更に99年延長されたことから2097年までである。詳細は関東庁のページも参照。
明朝の三代皇帝・永楽帝が建設した紫禁城のうち、宮城を囲む内城の南側に位置する外城と呼ばれる部分を満洲国の飛地として領有している。中華民国(汪兆銘政権)との満洲国承認に関する条約に於いて、満洲国初代皇帝・康徳帝の故地であり華北方面への拠点となるとして満洲国が獲得したものである。同地は国の直轄地となっているが、大半が軍用地になっているため実際はほぼ軍政下に置かれている。
上述の通り、ロシア帝国と満洲国との境界は概ね19世紀に締結されたアイグン条約と北京条約、モンゴルとの境界は17世紀に締結されたネルチンスク条約で定められた境界線となっている。しかし、時代背景もあって自然地形を元にした国境線となっており、詳細な測量が行われていないことから、ロシア帝国とモンゴル両国で多少の領土解釈の食い違いが見られる。そのため、満洲国国境付近ではしばしば国境紛争が発生しており、過去には乾岔子島事件やノモンハン事件などの軍事衝突に発展している。
また、満洲族固有の領土として外満洲を回収すべきという意見(大満洲主義)が存在することから、関東軍を中心として外満洲の返還要求と軍事制圧が度々議論に上がっている。乾岔子島事件など度々起こる国境紛争事件も大満州主義思想と大きく関係している。
また、満洲族固有の領土として外満洲を回収すべきという意見(大満洲主義)が存在することから、関東軍を中心として外満洲の返還要求と軍事制圧が度々議論に上がっている。乾岔子島事件など度々起こる国境紛争事件も大満州主義思想と大きく関係している。
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