あらゆる架空国家が併存するモザイク世界

ダニャウダ城(ダニャウダじょう)は、インドシナ連邦のルアンパバーン共和国にある世界遺産である。16世紀から19世紀にかけて使われた城塞である。有力豪族だったツムサ家の本拠地としても有名で、近代化後もしばらくは県の行政庁があった。

概要

近世ルアンパバーンの建築を代表する城塞で、その規模は東南アジア最大といわれている。城壁の高さは約40メートルで、四方を二重の濠に囲まれ、城門には塔がそびえている。城内部には、中国から伝わった五層の天守閣と、三階建ての楼閣がある。城内部は博物館になっており、当時の生活用具や家具などが展示してある。

歴史

ツムサ家はタイ族系の豪族だったが、1580年にポルトガル人に征服され、以後ポルトガル領となる。その後、ツムサ家の一族はポルトガル宮廷に仕えたり、フランス東インド会社で働いたりした。ダニャウダ城はツムサ家の本拠地として、また貿易港としても栄えた。
1630年、阮福陽が阮朝を建てたとき、ダニャウダ城の城主であったツムサ家のドゥリゴ氏はこれを支持して阮朝に協力したため、ベトナム側の史料ではルアンパバーンはダニャウダ城を首都としていたことになっている。
ダニャウダ城が城塞として力を発揮したのは17世紀になってからだが、それ以前の時代でも、周辺の交易路を守る拠点となっていた。16世紀前半の文献によると、当時この付近はトゥアティアンと呼ばれる海賊が横行しており、ダニャウダ城は重要な防衛施設のひとつだったようだ。
1586年には、ソンツェン王によってダニャウダ城が拡張される。このときの城壁の長さは約60メートルで、城壁の上には、幅50メートルの濠と、高さ20メートルほどの胸壁が築かれた。しかし16世紀末にソンツェン王が没した後は、フランス軍に占領される。その後はフランス領となったが、その後もしばらく、ダニャウダ城はフランス軍の基地として使われた。
19世紀になると、フランスの保護下に入ったダニャウダ城は、県政庁舎が置かれるとともに、軍事要塞としての機能も強化されていく。

現在

かつての土着豪族の権威を伝える歴史的遺産として、ラオス旅行では定番の観光スポットである。年間を通じて観光客は多いものの、特に雨季になると外国人の姿が増えるという。
周囲には土産物屋が立ち並び、地元の人々も多く訪れる。ホテルやレストランもあり、夜遅くまで賑わっている。ただし治安はあまりよくないらしく、旅行者の中にもガイドをつけずに歩いてまわるという人はめったにいない。

保存の取り組み

風雨にさらされ傷んだ部分の修復を行うため、現在改修工事が行われている。工事期間は2020年から2021年にかけて行われる予定だそうだ。
一部のエリアは観光客の立ち入りを禁止しており、入場の際には警備員によるチェックを受けることになる。
16世紀に建てられた当時の外観を復元する試みもあり、現在は土台の石積み部分の改修が進んでいるところらしい。

観光

ダナンから車で1時間ほど。カオダイ寺までは2時間の道程である。
観光バスも走っているため、それを利用する手もあるだろう。タクシーの場合は運転手との交渉次第となるが、値段は200〜300ドル程度になるだろうか。カオダイ寺の向かい側には、大きな食堂がある。食事時でないときにはカフェにもなっているようで、コーヒーを注文すると、テラス席に案内してくれることが多いようだ。

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