あらゆる架空国家が併存するモザイク世界

第一次秩序戦争
期間整暦214年7月28〜整暦18年11月11日
場所ダルタニア大洲南部、アルトゥーク大洲北部
結果国際平和維持軍の撤退
ボルギおよびマウサナの万国会議脱退
交戦勢力
万国会議〈グランド・コングレス〉
万国会議加盟国50カ国
ボルギ王国
神聖マウサナ帝国
リンブルク反乱軍
指揮官
(万国会議)
副議長:キャキュキョキュ・キャキェキョ
国際平和維持軍総司令官:エマヌエーレ・タベッディ
ボルギ派遣軍総司令官:菅原 敬
(ボルギ王国)
皇帝:
〇〇
〇〇
(神聖マウサナ帝国)
皇帝:アラサンシュラトーIII世
〇〇
〇〇
(リンブルク反乱軍)
指導者:
戦力(整暦214年12月時点)
(国際平和維持軍)
ボルギ派遣陸軍 約103万5000人
ボルギ派遣海軍 約16万人
ボルギ派遣空軍 約20万人
堕神兵器「オブリタレイト」15柱
(ボルギ王国)
ボルギ王国軍
(神聖マウサナ帝国)
マウサナ帝国陸軍
マウサナ帝国海軍
マウサナ帝国空軍
(ボルギ救援義勇軍)
国際旅団 約6万人
義勇海軍 約1900人
損害
(国際平和維持軍)
死者 40万人以上
重軽傷者 60万人以上
(ボルギ王国軍)死者 人
重軽傷者 人
(神聖マウサナ帝国軍)死者 人
重軽傷者 人
主な戦い
北部戦線
西部戦線


開戦の経緯

ヒッラ事件

 ヒッラ事件は、整暦214年(現在は323年)にボルギ王国で起こった、万国会議議長の襲撃事件である。ボルギ王国は整暦202年に万国会議へ加盟したばかりであり、国内にはまだ攘夷派が根強く残っていた。そのような中、当時の万国会議議長であるコロボ・ドローレスがダルタニア鉄道起工式に臨む途中、ボルギ王国を通過することになった。
 ドローレスがボルギ王国に入って2日目の6月28日、彼は同国の町ヒッラで滞在した城の守衛サリ・ゲルサリウに切りつけられ負傷した。ゲルサリウは当時広く蔓延していた攘夷思想の影響を受け、このような強行に及んだとされている。サーベルで複数回切りつけられたドローレスは瀕死の重傷を負ったが、幸いにも一命は取り留めた。ゲルサリウは他の守衛によって取り抑えられ、裁判にかけられることとなった。
 ドローレスに代わって万国会議の議長となったキャキュキョキュ・キャキェキョは「万国会議議長を襲撃するという行為は、世界秩序への挑戦である。これは万国法第二〇条『平和と秩序に対する罪』に当たる」として同法に則り死刑を主張した。一方でボルギ王国国王〇〇は「司法や裁判は万人に対して公平に適用されるべきである」と主張。あくまで傷害罪であるとし、ボルギ王国の刑法に従い懲役刑が妥当であるとした。万国会議はゲルサリウの身柄を引き渡すようボルギ王国へ要請し、アルカディア島の裁判所で裁こうとしたが、ボルギ王国は拒否して国内の裁判所で裁判を行った。ゲルサリウには20年の懲役と銀貨40枚の罰金が言い渡された。
 ゲルサリウの身柄に関して、7月5日に当時の全加盟国52カ国の代表議員による緊急会議が行われた。会議では改めて「ボルギ国内の裁判は無効とされるべきである。同国はゲルサリウの身柄を万国会議に引き渡し、万国会議の設置した裁判所で正式な裁判が行われるべきである」ことが確認され、賛成33、反対2、棄権17で採択された。過半数が賛成したとはいえ、反対と棄権を合わせると全体の4割近くになるという難しい結果となった。反対票を投じたのはボルギ王国と神聖マウサナ帝国であった。
 当事国であるボルギ王国以外で唯一の反対国となったマウサナは、会議中も一貫してボルギ王国よりの立場を示した。これは公正さを重んじるマウサナ人の国民性、亜人国家としての人間中心の国際秩序への不信感、近隣国家であるボルギ王国への同情などが理由とされている。ボルギ、マウサナの両国は7月10日に軍事的な協力を確認し合い、同日両国は列車のダイヤ調整や各種メディアの統制など戦時体制への以降を始めた。一方、万国会議は両国に先んじて7月3日には国際平和維持軍の動員、最後通牒の作成を議決した。これはボルギ、マウサナ両国を含む5カ国の反対、15カ国の棄権があり、先の議決より更に少ない32カ国の賛成で決定された。

最後通牒

 7月23日。万国会議からボルギ王国へ、最後通牒が発せられた。内容は以下の通りであった。
  • 6月28日にコロボ・ドローレスを襲撃したサリ・ゲルサリウの身柄を万国会議に引き渡し、しかるべき処罰を下すこと。
  • 万国会議が独自に行った捜査によって浮かび上がった、2人の共犯者(ゲルサリウの逃亡を手引きする予定だったと言われる)を直ちに逮捕すること。
  • 万国会議および諸外国への敵意を助長する排外的内容の出版を禁止すること。
  • ボルギ相国主義者同盟(当時ボルギ王国内で活発に活動していた攘夷団体)を解散させ宣伝その他の手段を没収し、万国会議および諸外国への敵意を助長する他の組織も同様にすること。
  • 万国会議および諸外国への敵意を扇動する、もしくは扇動する恐れのある偏向的内容をボルギ王国の公教育から遅滞なく削除すること。
  • 万国会議および諸外国への敵意を助長する活動をした、万国が一覧にした全ての軍関係者と政府職員を解雇すること。
  • 国際平和とダルタニア地域の平和を破壊する運動を取り締まるため、万国会議の各機関との協力を受け入れること。
  • 武器と爆発物の違法売買の流通を効果的な方法によって防ぐこと。
  • 国内国外を問わず、万国会議および諸外国へ敵意を示したボルギ政府高官を解任すること。
  • 全てについて実行する手段を、遅滞なく万国会議に知らせること。
 万国会議はこの最後通牒の回答について、少なくとも7月25日午後6時までは待つとした。当時のボルギ王国代表議員ネジミエ・ハシはアルカディア島の議員公邸に軟禁され、本国政府と号通信などを行わないよう24時間体制で監視された。彼が本国と行うことを許された通信は、最後通帳の可否のみであった。ただし当時のマウサナ代表議員ルコニ・アムートイは、こうした軟禁、監視体制に置かれなかった。この時点ではマウサナは、単に「一貫して反対票を投じている」だけで不当な行為は行っていなかったからである。そのためルコニを通じて、万国会議の動向はボルギ、マウサナへ逐一報告されていた。
 7月25日午後6時を回っても、ハシの元に最後通牒の回答は届かなかった。同日7時から開かれた会議において、ハシはボルギ王国代表として最後通牒に従う意思がないことを発表した。これを受け、国際平和維持軍によるボルギ王国の制圧が決定された。賛成30、反対6、棄権16であった。
 そして7月28日、国際平和維持軍による同国への攻撃が開始される旨が、ハシを通じてボルギ王国へ正式に伝えられた。またこれに対してルコニが、マウサナ軍はボルギ王国を支援すると発表した。万国会議はその取りやめを要求したが、ルコニは拒否した。8月1日、国際平和維持軍による同国への攻撃が開始される旨が、ルージュを通じて神聖マウサナ帝国へ正式に伝えられた。

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