あらゆる架空国家が併存するモザイク世界

国旗
国名扶桑国
国歌うまし国ぞ 扶桑国
国花
国鳥(国獣)
国技蹴鞠
首都室町京
元首
首脳京極高頼
政治体制立憲君主制
公用語扶桑語
人口約7000万人
面積約301,300 km²
領域
通貨


(扶桑国の一般的住宅)



概要

扶桑国(ふそうのくに・ふそうこく、Fusou)とは、第2地球におけるイタリア共和国に相当する地域を支配する国家である。室町京を首都とする。またかつて「朝廷」のあった島(サルディーニャ島)は「蓬莱島」という名前で知られ、中心都市である「蓬莱京」は古都として多くの観光客が訪れる。経済的、軍事的には周辺の国々と比べ未発達であるものの、伝統文化に裏打ちされた国民の清廉潔白性と生真面目さによる治安の良さ、広く普及した教育制度によって、社会の安定度は高い。扶桑国に関する記事の一覧も参照のこと。

歴史(概史)

モザイク地球に、鎌倉〜江戸時代の日本の武士と公家が、周辺地域とともに過去の記憶を持ったまま転移する。京の朝廷(公家)はサルディーニャ島に、幕府(武士たち)はイタリア半島に転移した。突然の転移により各地の武士たちはそれぞれ小競り合いを始め、扶桑擾乱という合戦に発した。長引く戦乱の世と当時の人々にとっては当然だった厳格な身分制度、血脈による支配など様々な問題に多くの人々は疲弊しており、厭戦ムードが漂っていた。終わらない合戦に嫌気が差していた当時の関白と将軍は共同で、近隣国に密かに部下を遣わして政治体制を調査。一党制によるゆるやかな独裁政権を発案、全国に停戦命令(惣無事令)を出し、朝廷と幕府の合一という歴史的偉業がなされた。また、多くの政治機構をがらりと変化させた。これを「公武合体(一体とも)」という。

転移前のイタリア半島

かつては「ローマ帝国」(扶桑国表記;羅馬帝国)という国が繁栄していたが、そこに住んでいた人々はどこかの世界線に転移してしまった。建物、書物、道具などはなぜか転移せず、イタリア半島に残された。その結果、江戸時代までの日本文化とイタリアの文化がミックスされた、独特な外観や食文化が発展した。現在の扶桑国は、羅馬帝国のことを「転移後の我々を導いてくれた先達」として尊敬の念を抱いている。

「扶桑擾乱」について

詳細は扶桑擾乱を参照のこと。

国名と国旗の由来や、元号、国歌、神話について

国名の由来

「扶桑」とは扶桑国の神話に登場する、天地開闢の時から生えている巨木「扶桑木(ふそうのき)」のことである。この「扶桑木」から太陽が登るといわれており、それは若々しさと長寿の象徴であった。別名「生命の木」とも呼ばれる。

国旗の由来

中央のマークは「桐」。扶桑国の伝説では「青桐」という木に神聖な鳥・鳳凰が住むと言われており、名の似た「桐」を文様とし、古くから使われている。
赤い菱形は国民の結束と、外敵に屈しないという力の象徴である。またその周りの白は国民の潔白さを表す。

元号

(工事中)

国歌

「扶桑(ふそう)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は 鴎(かまめ)立ち立つ うまし国ぞ 扶桑国(ふそうのくに) 」

※現実の日本における、第34代舒明天皇の詠んだ歌が元になっている。

神話

国をまとめる方法として、建国後に神話「扶桑国記」が作られた。
内容は現実の日本で鎌倉〜江戸時代頃まで積極的に読まれていた「日本書紀」が元になっている。天地開闢の折、「扶桑木」のもとにイザナギノミコト・イザナミノミコトが降り立ち国々を作った。その後は江戸時代後期までの歴史と同じで、転移のことが書かれている。
この「転移」について、扶桑国内では科学的な説明ができないため「神々の悪戯」ということにしている。

地理

扶桑半島と平島(シチリア島)、蓬莱島(サルディーニャ島)などの周辺の島々からなる。扶桑半島は北部、中部、南部に分けられるが、北部の大陸との接触部分には山脈があり、多くの湖もある自然豊かな地域である。扶桑国最大の島は南部にある「平島」で、2番目に大きな島が「蓬莱島」である。

行政区分

扶桑国では各地の行政区分を「藩」、藩庁を「御所」、藩の首長を「公方」と呼ぶ。
「公方」は扶桑国では本来国会議員を意味する言葉であるが、扶桑国では国会議員が各藩の首長を兼任している者もいるため、そのまま「公方」と呼ばれている。しかしそのままでは紛らわしいため、各藩の首長となった公方には、「藩名+公方」の名で呼ばれる。
その他、町と村が存在する。

藩の一覧

番号藩名旧名御所号
01浪岡(なみおか)藩ピエモンテ州浪岡御所
02山村(やまむら)藩ヴァッレ・ダオスタ州山村御所
03入江(いりえ)藩リグーリア州入江御所
04篠川(ささがわ)藩ロンバルディーア州篠川御所
05稲村(いなむら)藩トレンティーノ=アルト・アーディジェ州稲村御所
06叢雲(むらくも)藩ヴェネト州叢雲御所
07鞍谷(くらたに)藩フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州鞍谷御所
08氷室(ひむろ)藩エミリア・ロマーニャ州氷室御所
09大津(おおつ)藩トスカーナ州大津御所
10御寺(みでら)藩ウンブリア州御寺御所
11青蓮(しょうれん)藩マルケ州青蓮御所
12室町都(むろまちのみやこ)ラツィオ州室町京
13音羽(おとわ)藩アブルッツオ州音羽御所
14御弓(おゆみ)藩モリーゼ州御弓御所
15堀越(ほりこし)藩カンパーニア州堀越御所
16古河(こが)藩プーリア州古河御所
17霧山(きりやま)藩バジリカータ州霧山御所
18千代野(ちよの)藩カラーブリア州千代野御所
19平島(ひらしま)藩シチリア州平島御所
20蓬莱(ほうらい)藩サルディーニャ州蓬莱御所

政治体制

政治は特に「政(まつりごと)」「政道」とも呼ばれる。祭政一致を標榜、祭祀も国家政策の一部である。各地域から選出された議員に相当する「公方」と呼ばれる公家・武家が「御前会議」で話し合い、両者のトップである「関白」が決定するというシステムで、いわゆる一党制をとっている。また、「公方」は世襲制ではないが、公方の家族は政治に興味を持つ傾向が強く、二世、三世も多い。公方は18歳以上の国民による選挙という民主的方法によって決められるが、大前提として「文化」への習熟度が求められる。『帝、関白、公方は「文化の担い手」であり、文化から外れる行動をした者は政に関わってはいけない』という国民の固定観念があるからである。このように、この国では政治に関わるにはなかなか狭き門であると言わざるを得ない。
国家の運営は、首都である「室町都」の中央に位置する紫宸殿(ししんでん)で行われる。

憲法

憲法である「扶桑国諸法度」(ふそうのくにしょはっと)に基づいて政治が行われる。

元首

扶桑皇家を参照のこと。
扶桑国の国家元首は天皇(てんのう)であるが、基本的に「帝(みかど)」と呼ばれる。「帝」は扶桑国の象徴であり代表であるが、政治に関わることはない。斎主としての神祇官での祭典の執行が主な仕事であり、公方・首脳の任命、法律・法令の公布、「御前会議」の開閉会宣言、各国の王族との交流など、あくまでも儀礼的・象徴的な職務を行う。なお、扶桑国の政治体制では天皇のみ世襲制を取っており、長子が世襲するのが慣例である。国民からは「お上」と呼ばれ、はっきりと名前を呼ぶのは失礼な行為とされる。
現在の帝は二代天皇の「寛也」。詳細は寛也(扶桑国二代天皇)を参照。

首脳

扶桑国では政治機構の首席である首脳は「関白」と呼ばれる。関白は「御前会議」を主催し、議論をまとめた後、最終的に「帝」に上奏する、という形を取っている。しかし「帝」は政治に関わらないので、この「上奏」は儀礼的なものである。任期は5年で、大抵の者が2期務める。関白は公方の中から投票により決められる。「関白」は「関かり(あずかり)白す(もうす)」の意味で、帝の代わりに政治を行うという意味である。また本来ならば「令外官」でありなおかつ公家の最高位であるが、「公武合体」後、公家・武家の話し合いにより国家の首脳としての立ち位置となった。また引退した関白を「太閤」と呼ぶ。

歴代関白一覧

  • 九条道高…公家。蓬莱島に朝廷があった頃の関白。扶桑国建国に尽力し、建国後は辞任し政界を離れた。|
  • 二条業平…公家。扶桑国初代関白。臆病であるがゆえに協調型・調整型の人間で、独断専行をせずどんなことも御前会議で相談してから行っていた。公方から反発を受けることはなかったものの、「扶桑国は手続きが遅い」と欧州では噂になっていたという。ロイヘン帝国などの戦争による欧州動乱に際し心身不安となり、時期選挙で立候補することなく、2021年3月31日付で辞任した。現在は太閤として御前会議の日のみ出席し、諮問に時たま応じている。|
  • 京極高頼…武家。二条業平の辞任を受け、選挙にて就任した2代目の関白。35歳。武家の出身で将軍府に出仕し、征夷大将軍にまで出世した軍人であるが趣味への好奇心が旺盛で、武道のみならず茶道・香道をも修めている。仕事をそつなくこなすが、派手な着物を着、豪放磊落な性格で知られる。征夷大将軍時には、「ロイヘン帝国の毒ガスで死んだ人々を弔う」と称して突然出家し、現在も頭は丸坊主のまま。その奇行から将軍府在籍時は「婆娑羅将軍」「僧形将軍」とも呼ばれた。|

立法・行政・司法

  • 立法は、国会に相当する「御前会議」により定められる。全公方が出席し、国の有り様について各々の公方が意見を述べる。最終的判断は多数決である。決定した物事はただちに上奏文が作成され、「上奏箱」(漆塗りの箱)に収められる。これを関白が清涼殿に持参し、天皇に上奏するという「上奏の儀」という儀式の後、御璽(天皇が公式に用いる印章)が捺印され、施行される。
  • 行政は、御前会議によってなされた決定のもとに、関白により各省庁の長官へ下達される。
  • 司法は、省庁より独立している「大審院」に帰属し、法令によって刑罰を定める。各藩に下部組織となる「○○審院」(○○には藩の名前が入る)がある。

御前会議

御前会議は、扶桑国の立法府である。国権の最高機関であり、扶桑国唯一の立法機関。一院制であり、全ての公方に発言権・投票権がある。多数決によって意思決定される。「紫宸殿」にて執り行われる。
発足当初は、ひとつの物事を決定するのにかなり時間がかかっていた。皆が自由な発言をするので議論が終わらなかったのである。関白を補佐し、御前会議の庶務を所管する「管領府」ができると、公方たちの意見の集約・取捨選択(似た意見はひとつにまとめる、怪しいものは調査し、間違いと分かれば取りやめる等)、事前資料の配布などによってある程度スムーズな進行が行われるようになった。
「御前会議」の進行は関白、その補佐を管領府の長官である管領が行う。公方たちは事前に配布されている資料に従って、国元での庶民の意見や不平不満を述べ、それらについて公方の自由な意見が交わされる。意見が出尽くした後に、意見を集約し多数決によって決する。

省庁

扶桑国の行政を担当する省庁は以下の通り。
なお長官は公方が就任するが、将軍は軍隊経験を持つ公方でないと就任できない。また、各省庁では官僚が長官の補佐を行う。
また各省庁の長官は「卿」(きょう)と称される。発足当時は「大臣」(おとど)であったが、わかりにくいとして改められた。また、管領府、神祇官、将軍府、弾正台、大審院の5つは長官の呼び名が異なる。
省庁名長官備考
管領府管領(かんれい)関白の補佐、御前会議の庶務、重要政策の総合調整、情報の収集調査などを所管する
神祇官神祇伯(じんぎはく)国家の祭祀、国内宗教の管理
式部省式部卿伝統文化を司る。省庁の中で最も人員が多い
宮内省宮内卿宮中の儀礼文化、文書管理などを所管する
遠国(おんごく)省遠国卿外務省に相当
大蔵省大蔵卿扶桑国の健全な財政の確保、課税、国庫の管理等を所管する
将軍府征夷大将軍軍事全般を所管する。扶桑国軍参照
 陸軍総裁陸軍を所管する
 海軍総裁海軍を所管する
文部省文部卿学術・教育・学校等を所管する
厚生省厚生卿医療を始めとする、国民の体力向上等を所管する
農水省農水卿食料の安定供給、農林水産業の発展、森林保全、水産資源の管理等を所管する
商工省商工卿商工業の奨励・安定等を所管する
普請省普請卿国土交通省に相当、国土の開発・保全、交通等を所管する
科学省科学卿科学技術の振興等を所管する
弾正台弾正尹(だんじょうのかみ)法秩序の維持を所管する
大審院院長司法を所管する

治安維持

検非違使

  • 詳細は検非違使を参照。
  • 国内の治安維持は「検非違使」(けびいし)が一任する。軍警察及び国家憲兵としての役割を持ち、非常事態には陸軍・海軍に次ぐ「第三軍」としての役割を発揮する。最高階級である「別当」は陸海軍を統率する総裁と同等に扱われる。

地方行政

公方

国会議員あるいは県知事に相当する、扶桑国の20の藩から選出された人たちのことである。現在50名前後。任期は5年で、大抵の者が2期務める。藩の代表となった場合、上に藩名がつき「○○公方」と称することが許される。行政官庁の長官となった場合も同様である。公方は18歳以上の国民による選挙という民主的方法によって決められるが、公方の家族は政治に興味を持つ傾向が強く、二世、三世も多い。

行政区分。扶桑国では20の藩に分かれる。藩の行政を行う建物を「御所」と呼ぶ。

外交

文化の流入による伝統文化の衰退を恐れ、当初は鎖国政策を取っていたが、科学技術が貧弱なことから開国すべきという意見が大勢を占め、諸国との対等な国交を結ぶことを決断した。また、急速な発展は伝統文化を衰退に導くとの意見もあり、伝統文化を保護する政策も打ち出している。外交は開国とともに新設された遠国省が担当し、現在の遠国卿は細川義国(ほそかわ よしくに)。
国交は、建国以前より付き合いのある神聖フランス帝国を最恵国としている。

国交樹立国

国名大使大使館
インドシナ連邦武者小路実教(むしゃのこうじ さねのり)フエ
ニスカリマ海上帝国松平直正(まつだいら なおまさ)パース
ショコラータ王国西園寺公広(さいおんじ きんひろ)ポワテェ
ユーゴスラビア民主主義連邦共和国斯波義俊(しば よしとし)サラエボ
神聖フランス帝国日野忠光(ひの ただみつ)パリ
新生ブラジル帝国赤松定村(あかまつ さだむら)リオデジャネイロ

在外公館

軍隊

詳細は扶桑国軍を参照。
軍事は「将軍府」(幕府、柳営とも呼ばれる)によって差配され、陸軍と海軍からなる。
国際協調と外交を重視する政府方針により、専守防衛が扶桑国の防衛戦略の基本方針である。
将軍府は長官である「将軍」(正式には『征夷大将軍』)、その下でそれぞれを統率するのが「陸軍奉行」「海軍奉行」である。なお海軍は伝統的に「水軍」と呼ぶ人も多い。
兵士は18歳以上の志願者からなるが、建国以後武家からの志願者が多く、6〜7割を示す。一節には、子供の頃に父や祖父から祖先の武勇譚を聞かされるうち、興味を持つ者が多いのだという。また、非常事態には「第三軍」である検非違使も将軍の指揮下に入る。
国がまだ発展途上であり、また政治不安もないことから、軍隊の装備は老朽化している。この状況を憂いた政府は、建国以来友好関係を結んでいた神聖フランス帝国と交渉し、軍事顧問団が派遣され軍政改革を行っている。
近年「不戦条約機構」に加盟した。

産業

一次産業が盛んである。主食として米や麦を栽培する(面積は水田と麦畑が半々くらい)他、ぶどうや酪農が多い。また茶や香木、洋橄欖(ようかんらん、オリーブ)栽培が特徴的である。ぶどうはほぼ葡萄酒の製作に用いられ、また酪農は「蘇」(そ、チーズ)の製作に用いられる。
茶も有力な輸出品の一つである。かつては気候の関係で平島藩でしか作れなかったが、品種改良を重ねて扶桑国全土で栽培できるようになり、多くの製茶メーカー、茶器の製造など二次産業・三次産業にも発展している。
また特記すべき作物としては「赤茄子」(あかなす)があり、種類も多くまたたくさんの調理法がある。他の国ではトマトとして知られる野菜である。
また文化に関わる第三次産業が発展し、特に陶磁器や筆、菓子などは技術が高い。その反面、工業力は低水準である。

宗教

国民の約95%が神道と仏教を、それ以外はキリスト教を信仰している。家には神棚と仏壇があるのが普通であり、一つの宗教に帰依するよりは同時に信仰するという形式である。

観光

観光に力を入れている。

主な観光地

文化・芸術・芸能

建築

建国以来木造建築を尊んでいる。またローマ帝国時の建物もあり、そのまま住んでいる者もいる。

交通

舗装道路は都市圏にしかなく、国土の多くは悪路である。牛や馬、水運が運輸の一般的な手段となっている。

教育制度

すべての扶桑国国民は学問の義務を有し、幼少の頃から学問を行い、総合的なことを学んでいく。義務教育は6・3・3の12年制である。また各藩には藩の名を関した「○○館」という4年制の「藩校」があり、大学に相当する。

テクノロジー

発展途上国であり、科学力は低水準である(明治時代の現実の日本に近い)。現在、国交を結んだ国々と技術交流を行っている。

国民性

  • 保守的な人が多い。何をするにも前例を求めるため、新しいものが育たない傾向にある。また依頼や辞退を表すときには直接的な言い方は避け、必ず一人では決めず集団で議論しないと決められない。「上の者に聞いてみないとわからない」など、婉曲的で曖昧、非断定的な言い回しを好む。その様子は俗に「いけず」と称される。
  • 自身の生まれが「公家」か「武家」のいずれかによって生活スタイルが変わるため、初対面の人の先祖や本姓を気にし、自身の自己紹介をするときは必ず生まれがどこで、公家or武家で、先祖は何をして…などと雄弁に語る。
  • 結婚は約8割が見合いである。また家を残すことが重要であるという固定観念があり、養子縁組も多い。
  • 「仕事は退屈なものであり、自分の趣味(道)を見つけてそれに没頭することが、より良き人生の過ごし方である」という通念を持っており、定時で帰宅する人が9割を超えている。政治でも同じで、自らの地位にこだわる人間はほとんどおらず、興味を失えばあっさり辞めてしまう。だが一方で、趣味に没頭しすぎて家を傾ける人間を「数寄者」(すきもの)と呼び軽蔑する傾向もある。
  • 生まれが名家であると称する人がほとんどであるため、プライドが高い国民性で知られる。自分自身や自分の家族・友人、ひいては扶桑国を馬鹿にされたり軽んじられたり、また不名誉となったりすることを大いに嫌う。かつては「舐められたら終わり」(相手を殺すしかない)という気質が残っているほどであった。

公家と武家

「公家」および「武家」は、扶桑国の国民性であり気質である。また扶桑国を理解する上で、なくてはならない要素である。
扶桑国はもともと、日本の公家と武家がモザイク地球に転移して設立した国家であり、扶桑国建国以前は、この2つは当然絶対的な身分であった。また両者の中でも家格の差があった。しかし建国後は身分制度などが撤廃され、また職業選択の自由も認められた。しかし、伝統・各式、そして国民の気質としては今なお存在している。
公家
儀式と文治で天皇に仕えた人々のことである。日本の京の各通りや地名などを名字にしたため、ややこしかったり長かったりする苗字が多い。性格は穏やかだが反面気弱な人も多く、蹴鞠が娯楽の一つである。
武家
軍事をもって将軍に仕えていた人々のことである。源氏や平氏などの姓を賜った貴族たちが、各地方に分布してその土地土地の名を名乗ったもの。豪放磊落で無骨な人が多い。

言語

公用語は「扶桑語」である。「扶桑言葉」ともいう。日本語とほぼ同じであるが、主に以下の2つに分けられる。

武家言葉

主に武家が使用していた言葉で、「侍言葉」ともいう。現実の日本で「山の手言葉」とも呼ばれたもので、いわゆるテレビの時代劇で使われるような言葉遣いである。

公家言葉

主に公家が使用していた言葉。京都の方言のような言葉遣いである。
タグ

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

メンバーのみ編集できます

メンバー募集!