あらゆる架空国家が併存するモザイク世界

扶桑皇家
扶桑国
在所室町京
住居皇家官舎
創設不明
宮号小倉宮
家祖扶桑帝
当主寛也(扶桑国二代天皇)
民族扶桑国人
分家宮家 もしくは臣籍降下

概要

扶桑皇家(ふそうこうけ)とは、扶桑国の元首の家系である。扶桑国の国家元首は天皇(てんのう)であるが、基本的に「帝(みかど)」と呼ばれる。「帝」は扶桑国の象徴であり代表であるが、政治に関わることはなく、あくまでも儀礼的・象徴的な職務を行う。
扶桑国の政治体制は選挙という民主的方法によって選ばれるが、元首である天皇(帝 みかど)のみ世襲制となる。長子が世襲するのが慣例である。国民からは「お上」「主上」と呼ばれ、はっきりと名前を呼ぶのは非常に失礼な行為とされる。
帝の住居は室町京の国家の儀式を行う場所「清涼殿」(せいりょうでん)の脇にある一般住宅並の皇家官舎である。
皇家には名字が存在しないが、南朝の正当であることを示す「小倉宮」を名乗ることもある。

家紋

御家紋は菊ではなく桐を使用し、これを特に「扶桑桐」(ふそうぎり)という。現在、国旗に使用されている他、扶桑国政府の印章としても用いられる。
家祖の扶桑天皇は、現実世界では天皇家であるというだけで担ぎ上げられ、争いに巻き込まれていた。その時使用していた菊の御紋は、彼にとってはトラウマの象徴であり、モザイク地球転移後は徹底して御紋として菊を使用せず、愛好していた桐を用いた。しかし、扶桑国には豊臣家など桐の家紋を使用している家もあったことから、桐紋をモチーフに新たにデザインして「扶桑桐」と称した。悪用を避けるため、国に関わること以外での扶桑桐の使用は禁止されている。

歴史

皇家の初代は、現実世界の室町時代、後南朝の末裔であった「南帝」である。南帝は現実世界で様々な守護大名の権力闘争に翻弄された。その後、皇后と共にモザイク地球の扶桑国・蓬莱島に多くの公家とともに転移。天皇家で転移したのは彼だけであったため、血筋と家格(家の身分)を重んじていた公家たちによって蓬莱朝廷の天皇とされた。しかし本人は、現実世界で様々な政治にまつわる争いに巻き込まれたことが恐ろしく、天皇になるのは血筋の問題だから致し方ないが、政治を行うことを潔しとしなかった。
公武合体の後は室町京に移り住み、憲法である「扶桑国諸法度」のもとに、国家の祭祀と皇家の儀礼に務めている。このように天皇は、国家の「特権階級」としての皇家を嫌っていた。彼が関白に漏らした言葉として「天皇は国の斎主であり、神社の宮司のようなものだ」があり、これは、清貧を旨としていた天皇のお気持ちが込められている。
憲法である「扶桑国諸法度」制定時も、天皇家について多くの制限を設け、一般国民から妬みの的とならぬようにした。
現在、初代天皇は崩御し、扶桑帝と諡された。その長男で皇太子であった寛也が帝の位を継いでいる。扶桑国も参照のこと。

皇位継承

以下の場合は、帝の長子が直ちに皇位継承の様々な儀式を経た後に帝の位を相続する。
  • 1,帝が崩御した時
  • 2,帝が高齢、また体調不良などで御自ら退位を申し出た時

皇家

皇家の運営

当初、皇家を専門的に担当する省庁はなく、様々な省庁が事々に担当していたが、部署により混乱があったため「宮内省」が設立された。また皇家の生活費等は一公務員並の給金があてられている。

分家

皇家が断絶した場合、天皇の血を引いている宮家から帝を出すこととなっている。
扶桑帝には皇子が3人いた。次男、三男は宮家として分家を立てているが、まだ20歳に満たないので皇家官舎で一緒に暮らしている。

宮家

現在、2家確認されている。
吉野宮(よしののみや)家
扶桑帝の第二皇子、尊良親王(たかながしんのう)を当主とする家で、直宮家、筆頭宮家である。
一条院宮(いちじょういんのみや)家
扶桑帝の第三皇子、憲義親王(のりよししんのう)を当主とする家で、直宮家である。

臣籍降下

皇家の親族は、15歳以上になると願いにより帝より苗字を与えられ、皇籍を離脱することができる。これを臣籍降下という。臣籍降下した家は一般民衆と変わらない。なお扶桑国建国後、臣籍降下となった家は確認されていない。

帝の職務

帝の職務は以下である。

帝の儀式

帝の儀式は扶桑国諸法度に示されている「国事行為」である。第1に、神祇官の斎主として「国家の祭祀」を行う儀式。第2に、国家元首としての儀式である。
「国家の祭祀」
主なものを順不同に記す。
  • 歳旦祭…新年を神々とともに祝う。
  • 祈念祭…稲を始めとした農作物の秋の実りを願う。
  • 建国祭…扶桑国建国の日に斎行され、国家の繁栄と安寧を願う。
  • 前天皇祭…先の天皇の遺徳を称え、国家の繁栄と安寧を願う。扶桑帝の生誕日と崩御日に行われる。
  • 新嘗祭…秋の収穫への感謝を捧げる。
  • 大祓式…国々の災いを祓う儀式で、6月と12月の晦日に斎行される。
「国家元首としての儀式」
主なものを順不同に記す。
  • 「上奏の儀」…「御前会議」(国会)で決定された事項を天皇に上奏する儀式。法律は書面で作成された後、「上奏箱」(漆塗りの箱)に収められる。これを関白が清涼殿に持参し、天皇の前で全て読み上げた後、天皇が御璽(天皇が公式に用いる印章)を捺印し、法律は施行される。
  • 「大命降下の儀」…公方(議員)の中から御前会議を主催する関白を正式に任命する儀式。各公方の中から投票で関白は選ばれるが、この段階では仮に選ばれた状態である。選ばれた関白は清涼殿に趣き、帝に拝謁する。帝は静かに「朕、卿・(名前)を関白となし、御前会議主催を命ず。扶桑国諸法度の条規を遵守し、諸外国と協調するよう、官民一体となり努力せよ」と口上を述べる。関白は「その儀、謹んで承ります」と言った後で自分なりの決意表明を言葉で示し、一礼した後退室する。
  • 「長官任命の儀」…各省庁の長官が合議によって決定した後、清涼殿で帝が正式に任命する。帝の口上は「大命降下の儀」とほぼ同じで、任命された長官は一礼する。帝の負担を考え複数名で行われることが多い。
  • 「公方任命書伝達の儀」…選挙によって公方が選ばれた後、帝と関白の連名で公方の元に書状が伝達される儀式。
  • 「各国交流の儀」…全権大使が清涼殿で帝に拝謁する儀式。その後、遠国省主催の晩餐会で親しく話し合うのが恒例となっている。
  • 「天下煤払いの儀」…師走に行われる、紫宸殿と清涼殿他、各省庁での大掃除のこと。帝、関白、公方はこの日は作業着となり、各班に分かれて建物の大掃除をしなくてはならない。
  • 「園遊会」…毎年春と秋に行われる。前年に各部門で目覚ましい活躍をした人が招待され、帝に拝謁の後清涼殿で饗応を行う。
この他、新年は「初釜の儀」「歌会始の儀」「講書始の儀」「弓始の儀」「蹴鞠始の儀」など、芸道・武道関係の儀式が集中する。
国民の象徴
  • 「年頭挨拶」…1月1日午前10時頃。帝は清涼殿の中で、全ての公方が参列する中で新年の挨拶を述べる。
  • 各国元首との交流
  • 各地行幸
など
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