あらゆる架空国家が併存するモザイク世界


 ある日、京の足利将軍家邸宅、通称「花の御所」では桜を愛でる宴が開かれていた。今風に言えば「花見」である…といっても夜桜であるが。
 京に屋敷を構える守護大名たちが花の御所で将軍・足利義驛に賀詞をそれぞれ奉った後、将軍の好意により一同車座になり、庭の桜を見ながら、酒と酒肴を楽しんでいた。このようなことは前代未聞であったが、冷戦状態にある朝廷との差をつけるため、自身の「温和な人柄」を示すことで、改めて守護大名たちを幕府からつなぎとめようとしたのであろう。
「無理を言ったのう、平六。吉野からは遠かったであろう」
 宴の直後、義驛は、正面で平伏している口髭を生やした精悍な男に言った。北畠正顕、50歳。その服から筋肉がわかるぐらい、筋骨隆々とした荒武者げなこの男は幼名を平六といい、幼い頃より小姓として義驛に仕えていた。今では息子に当主の座を譲り、国元の大和国で茶の湯に励んでいるという。しかし今回、義驛は無理を承知で彼を宴席に招いた。
「面をあげよ。今夜はそういうのは無しじゃ」
 義驛が言うと、平六はゆっくりと顔を上げた。
「公方様がお呼びとあらばこの平六、どこにおりましても駆けつけまする」
 正顕が徳利を差し出し、義驛はそれに応じた。一瞬、場の空気が変わった気がした。
「息子はいくつになった?そろそろ嫁を世話しないといかんな」
「は…」
 正顕は何事か言いかけたが、辞めて微笑むにとどめた。
「皆の者、今夜は大いに飲め、騒げ、上下の区別はいらんぞ、わしが許す」
 義驛のその言葉を待っていたかのように、一斉に皆が酒を酌み交わす。多くの酒肴が並び、守護大名たちは所領の多少に限らず、皆が家の由緒や武勇自慢をし、騒いだ。小一時間ほど経っただろうか。義驛も多くの酒を酌み交わし、自身も少し足元がふらつくか、と思った時だった。正顕はすっくと立ち上がると、将軍の側近である相川正興に、
「公方様はかなり酔っておられるようじゃ。寝所へお連れせい」
 そう耳打ちした。義驛の側に控えていた相川は、驚いたように顔を平六の方へ向けたが、すぐに意を得たのか、義驛の側で「公方様、そろそろ」と囁いた。
「わしは酔うた。寝るぞ。お主らはそのままで良いぞ」
 義驛は相川に肩を借り、寝所へと引き上げていった。
「さすが、公方様と長年の仲であらせられる」
 脇でそれを見ていた正興の父、相川正実が言う。北畠は笑うと、
「世辞を言うな。さて、わしもそろそろ、屋敷に戻らねば」
「お見送りいたします」
 花の御所入り口で、家臣たちとともに屋敷へ戻る正顕。見送りに出た相川正実は、
(北畠め…相変わらず尻尾を見せんな)
 そう、苦虫を噛み潰すように心のなかでつぶやいた。

 一方将軍の寝所では。
「お前、平六をどう思う」
 酔い醒ましの水を飲んだ義驛は、急に真面目な顔で正興に言った。
「は…?」
「わしの友と思うか」
「公方様、よくおっしゃるではありませぬか。わしと平六は刎頸の友だ、と」
 一瞬、場が静かになった。義驛は首をゆっくりと振ると、鼻で笑ってみせた。
「まだ若いな。正実から何も聞かなんだか?わしの頭痛の種は…」

 その日の午前中。
「吉野宰相殿」
 蹴鞠をしていた色白の青年に、ある公卿が声をあげた。その声に皆が驚き、鞠がころころ、と転がった。
「これは、二条様」
 公家衆らは平伏する。一番先頭にいたその色白の青年…北畠顕経に、公家衆の実力者・二条前鷹は一言、「参られよ」とだけ言った。顕経は周辺の公家衆に「本日はありがとうございました」と一礼し、二条の後ろについていく。
「さすがだな、宰相殿は。二条様ともお近づきか」
 腕組をする公家に、もうひとりはため息をついた。
「トントン拍子に位を上げ、今や従四位下か。しかし、位に限らず、下々の我々に蹴鞠の稽古をつけてほしいなどと…。しかし、相変わらず心を開こうとせぬ」
「鵺、か…」
「何?」
「北畠殿のもう一つのあだ名よ。『吉野の鵺』…腹の底が読めないという意味であろう」
「ふむ…」

 一方、北畠顕経は、二条前鷹の屋敷で談話していた。
「親父殿がわざわざ吉野から来るそうじゃの」
「は。公方様直々の御召しにて」
「公方様…か。いや昨日、帝がご機嫌斜めでな」
「なぜです?」
「わざわざあの将軍のために…とな。なあに、帝は嫉妬しておられるのだろう。だが、自分から直接お主には言いづらい。だからそう麿に言ったのさ」
 やれやれ…とでも言いたげに、前鷹は首を振った。顕経は茶をすする。今、幕府と朝廷はあまり良い関係とは言えない。将軍家につくか天皇家につくか、表面上は穏やかにしているが、裏では何を考えているのか分からない。前鷹は義驛派だと周囲から言われているが、裏ではうまく立ち回っていた。
「一体、公方様は朝鮮と手を結んでまで、何を考えているのか…」
 前鷹は顎髭をつまみながら思案している風である。しかし、これは思案ではなく、顕経の出方を伺っていた。この青年がその気になれば、室町幕府の軍事力を背景に朝廷をもひっくり返すことも出来るかもしれぬ。しかし。
「私は幕府の臣でありますので」
 顕経はほほえみながら言う。
「しかし、お前は公家でもある」
「それは我が北畠家の出自が公家である故。これは、当家の家風であります」
 うっ、と前鷹はつぶやいて口をつぐんだ。

 その日の、宴のあと。北畠家の屋敷。正顕は顕経、一部の重臣とともに飲み直していた。
「帝は公方様に嫉妬しておるか。しかたあるまい、若さゆえよ」
 正顕はにやりと笑う。重臣、鳥野尾満朝が徳利を傾けた。
「しかし、二条様も二条様じゃ…難しいお人よ」
「今は…正直、皆が何を考えているか」
「そうじゃ。公方様でさえも、わしを疑っておられる。都は、魑魅魍魎が蠢いている…」
 そこまで言い、正顕は盃をぐいっと傾けると、満朝に返杯をした。満朝はそれをありがたげに両手で受け取り、
「大殿、この先どうなりますかな」
「この先、何かが起きるぞ。何かがな」
 正顕は徳利を傾け、満朝もそれをあおった。それを満足そうに笑うと、正顕は顕経に顔を戻し、かすかにほほえみながら言う。
「ま、こっちは高みの見物でよいのだ」
「は…」
「柿も青いうちは鴉も突つき申さず…という。機が熟すのを待つのだ、ゆっくりとな」
 顕経は身震いをした。
 なぜだろうか、自分の父であるのに、言葉が薄ら寒い。
 豪放磊落な荒武者に見えて冷徹な策謀家、北畠正顕は不敵に笑うのだった。

「へいろ…いや、北畠は…親子共々、有能な家臣だ…しかし」
 真夜中、義驛は側室も呼ばず、すぐさま寝床に入った。脇に控えている相川正興は、その言葉を噛み締めて考える。しかし、彼にとって平六、すなわち北畠正顕は足利義驛の幼少期の部下であり遊び相手、元服してからはともに戦場を駆け抜けた『刎頚の友』…。そうとしか知らなかったし、なぜか父からも何も言われていなかった。
「奴らは何を考えているのか…腹の底が読めん。奴らの機嫌を伺うしかないのだ」
 あ、と正興は言った。北畠正顕にも、そして顕経にも今まで何度も会ってきたが、彼らの身辺のことをまったく聞いたことがない。
「では…何か理由をつけて、国を取り上げて」
「その理由がないのだ。理由もないのにそんなことはできまい。足利義教公の二の舞じゃ」
 六代将軍足利義教は、守護大名たちに苛烈な政策を強いた結果、播磨国守護の赤松満祐に恨まれ、「嘉吉の乱」にて首を刎ねられていた。
「しかし、北畠正顕殿は、かつて実の弟を幕府のために討ったと」
 その正興の言葉に、ふう、と義驛はため息を付いた。
「もうよい。疲れた…下がって良いぞ」
 正興が不服そうに下がってから、義驛は腕組をしたまま床にいた。
 昔。平六とともに、障子に穴を開ける悪い遊びをしたことを思い返していた。
 本当は自分がやったのだが、平六がそれをかばい、自分の代わりに叱られたのだ。
 そして、時が過ぎ、元服してからはともに戦い、同じ釜の飯を食い、そして酒を酌み交わした。自分が将軍となってからも、その関係は変わることがなかった。そのはずだった。しかし…。いや、そこまで疑う自分は、おかしいのだろうか?
 幼い頃からの友を、討つのか?
 幕府のためなら、天下静謐のためなら「刎頚の友」をも殺すのか?
 その時、義驛は泣いていたことに気づいた。
(この涙は…なんのために泣いているのだ、俺は)
 それぞれの黒い感情が蠢く中、夜は更けていく。

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