今日もあの人は来ない。来なくなったのは一軍に昇格した事が決定し、ちょっとした 
 パーティーを行ってからだ。冬が来て食堂を閉め、彼が来る事ばかり考えていたが、 
 食堂を開けても彼は来ず、だんだん不安になる毎日が続く。 
そういえば色々な噂があった。例えば小料理屋の女将と仲良く話していたと畑山さんが、 
マニアショップでサングラスをかけた美女といた事を凡田さんが、またある日には 
遊園地でスーツ姿の女性と出会ってたとも噂されていた。私はどうだろう。 
 学校を出てから少しでも父の役に立ちたいと選手食堂でがんばっているが、それだけだ。 
このまま働く事ばかりだとしたら、気がつけばもうおばちゃんのようになって 
 そのまま一人だけで、週間雑誌の数だけ老けていくだけだ。それだけただ怖くて 
何度も誰かと付き合おうかと考えていたが、男との付き合い方を知らない私には 
媚び方も男心もするべきこともよく分からない。それに病気になりがちの父の事を 
考えると、自分は何をやっているのだと考え、そのまま想いを塞ぎこんでいた。 

 実は・・・・誰にもいえないが、好きな人はいる。軽い気持ちで電話番号を 
教えてあげた彼の事だ。彼のどこが良いのかともし訊ねられたら、私は多分 
どこも良くないと答えるだろう。水着姿には鼻の下を伸ばす、ご飯にはぐちを 
言う、どこでも平気で寝る、汗臭い、泥臭い、後・・・・・いか臭い。 
と・ともかく良い所なんてほとんどない。野球はどうかといえば、他の選手 
より極めてよい成績をとっているわけでもないし、打たれたら凹む。 
その度お父さんやコーチに怒鳴られているというのは食堂によく流れる 
話題のベスト3には入る。しかも父は私と彼が軽く付き合っているのを知っているので、 
 「うちの娘と付き合う暇が会ったらもっと練習しろ!誰がお前にやるものか!」 
とよく言われているそうだ。そういうこともあって彼と本気で付き合うというのは 
結構気がひけていたのだ。よって、 
 「私牛丼なんて嫌い!」とか「修二君のスケベ!」とか「嫌なら食べなくていい!」 
とついつい緊張のあまり口調が強くなることもあった。・・そんなだから 
彼は離れていったんだろうか? 



 「・・・・多分飽きちゃったんだよ・・・。」 
 水木さんはそういう。そういう人ではないとは分かっていても、日が経つほどに 
本当にそうなのか・・・・、と感じずにはいられない。私は、噂の三人ほど 
 とりわけ綺麗、というわけでもないのだから・・・・。 
ガララララッ! 
 「あっ・・いらっしゃいませ。」 
いつの間にかお客さんが来ていた。となりにファミレスができてからというもの、 
にぎわっていた時間帯もまばらになってしまい、今では机拭きや食料の点検以外 
する事はなかった。 

 「あー、まったく修二君の付き合いのせいで朝からくたくたでやんす!」 
 「いやー、ごめんごめん・・・・」 
  ・・・・!彼だ! 
 「あ、注文は何がいい?」 
 「んー?やけに今日は優しいでやんす。ほほうこれはもしやおいらにほれ・・」 
バギッ! 
 「えーとじゃあいつものお任せ定食で。」 
 「ひ・・ひどいでやんす。」 
 凡田さんのジョークを軽いドツキで跳ね飛ばし、急いで料理を作った。 
とはいってもお粗末なものばかりではあるけれど。 
 「はいっ、これが今日のメニューです。」 
 「げ、またマヨネーズご飯とひじきでやんす。」 
 「しょーがないわねー。じゃあ今日は特別にハンバーグをどうぞ」 
 「おおおおお!!」 
 「凄いでやんす。肉の塊を見るのは二ヶ月ぶりでやんす!」 
  ・・・・一軍なのに?二人はいつものようにものすごい勢いで食べる。と、 
 「ああ!なんだか修二君の方が大きいでやんす!」 
 「もー、意地汚いわよ凡田さん・・。ほら、修二さん早く食べないと 
凡田さんに食べられちゃうわよ。」 
 「ん?・・・ああ、食べたかったらいいよ。今朝から特訓に付き合ってくれたし。」 
  ・・・そん・・・な・・・。 
 「何と今日は修二君も優しいでやんす!それでは遠慮なくいただくでやんす!」 
  ・・・・せっかく、修二さんの方は、冷凍物でなく、手作りだったのに・・・。 
 凡田さんに食べられてしまった。 
 「それじゃあ、また・・・」 
 「今日はとってもおいしかったでやんす。また来るでやんす。」 
そのまま今日は選手は皆遠征試合に行ったので、今日のお客はこの二人だけだった。 


 夜・・・一人だけの家は何か寂しい。母がいなくなってからは留守番だけがこの上なく 
苦痛だった。一人ではもし泥棒か何か来ても、一人でどうにかするしか手立てがないのだ。 
 「・・・・・・・もしもし、お父さん?」 
だから夜に父に電話するのはいつもの習慣だった。 
 「ああ、愛か。今日も何とか勝てたよ。今年でモグラーズがなくなるからな。 
 何とか優勝させてやらねば・・・。」 
 「うん、体には気をつけてね・・・。あ、お父さん?聞きたい事があるんだけど?」 
 「どうした?」 
 今日登板したのは彼である。彼の事を聞くのは怖い。彼のように私も怒鳴りつけ 
 られるんだろうか?そう思うだけで気がすくんでしまう。 
 「・・・・・あ、やっぱりいい・・・。がんばってね。」 
 「そうか・・じゃあ、おやすみ」 
プツッ・・・ツーツーツー・・・ 
切れた電話を持ちながら私はその場に立ち尽くした。 
 「私・・・あの人とずっと付き合いたい・・・・・。」 
その・・・一言が・・いえない・・・・・・・。その言葉が頭に浮かんだ瞬間、 
いつの間にか床に水滴が・・落ちて・・、その数は増えていく・・・。 



 「おお、愛君じゃないか?どうした?」 
 「あっ・・磯田・・さん。」 
 磯田さんは彼がこのモグラーズにいる頃からずっとコーチをしていた人だ。もちろん 
父とは先輩後輩関係で、私がまだ小さい頃、磯田さんが遊びに来た時は 
「わたしこのひちょとけっこんするー」 
そういって父や母、みんなを笑わせていた頃が懐かしい。 
 「磯田さん、前々から思った事があるんです・・・。修二君のことなんですけど・・。」 
 「んん彼か。前の試合もよくあの場で踏ん張ってくれたよ。調子に乗りやすいのは 
相変わらずだがな、全く何度叱られたら気が済むんだか・・・がはははっ・・・」 

 「磯田さん・・どうしてお父さんも磯田さんもそんなに叱るんですか?」 
 「ん?そうか?」 
 「だって・・彼、見えないところでいっぱいがんばってるんですよ・・。叱られる 
度に毎晩ピッチング練習だってしてるのに・・・あんまりです・・・・。」 
 暫くぽかんとした顔で磯田さんは私を見つめる。彼に対する見方をこれで 
少しは変えてくれるものだと私は思っていたが・・・・、 
 「・・・愛君、どうして叱ると思う?」 
 「えっ・・・」 
 「確かに俺も野々村監督もよく怒鳴る。だが、それは本当にダメだから叱ってるわけじゃない。 
ちゃんとしたプロにするために俺たちはあえてあんな態度をとるんだ。」 
 「どういう・・・ことですか・・?」 
 「人の能力は生まれ持った才能だけじゃない。どんな困難が押し寄せようともそれを 
 やり遂げようとする不屈の精神が、人の能力を無限に高める時がある。 
 例えば普通の石を百枚重ねるのに、何百回も崩れるのを目の当たりにしても 
再び作り上げようとする奴がこの世にどのくらいいると思う?9割は諦めるだろう。 
だが奴は諦めない。何故か?不屈の精神があるからだ。それを維持して強めるために 
絶対に譲れないという気持ちを自身の中に育てなければいけない。それを育てるためには 
甘さや優しさだけではダメなんだ。厳しく、叱り飛ばさなければいけない。 
そう言うものを乗り越えることによって、そういう精神は身についていく。」 
 「・・・でも、乗り越えられずにもうダメだ、彼が思ってたら・・どうするんですか?」 
 「ははは・・・叱られずにプロになる奴はいない。それに・・・本当にダメなら 
 ダメな事は本人が一番分かっているんだから、わざわざ俺達も叱ったりはしないさ・・・」 
 「私には・・・・よく・・わかりません・・・・。」 
 「はは・・・まあ、男にしか通じない世界だからな。だが、男女問わず、やりたい事が 
 あるのなら、例え誰に反対されても自分を貫き通す事が大事だ。あいつもいってたぞ? 
 自分が欲しい物は必ず自分で取る。待ってるだけでは絶対にそれが来る事はない 
 ってな。あいつもなかなかな事をいう様になったもんだなぁ。」 
それを聴いた瞬間私ははっとして暫くわれを忘れて立ちすくんでいた。 
 私は今まで・・・・ただ自分に都合のよい事を・・・待っていたんだ! 
 「磯田コーチ、・・すいません、ちょっと用事を思いだしたので・・・・、 
 今日は、どうも・・・ありがとうございました。」 
そういって急いで家に向かって駆け出していた。 

 「お父さん・・・・言いたい事があるの・・。」 
 「ん・・どうした?」 
 練習が終わり、新聞の野球の記事を見ながら父がこちらを見る。 
 唇をきゅっと締め、震える手をとじて力いっぱい握り、本音を言う。 
 「私・・今まで、言えなかったけど・・、修二さんとずっと付き合いたい・・」 
 「ダメだ、あれだけ練習についていけない奴とくっつくんじゃない!」 
ものすごい剣幕で父が怒鳴る。・・・・逃げては・・・だめだ。。 
 「それでもいい!私はあの人と一緒にいたいの!あの人が好きなの!」 
 知らぬ間に自分でも驚くほどの大声を上げていた。眼鏡越しに父は 
 こっちを見続ける。一分、二分、三分・・・・・ 
「・・・どうしたそこまであの男に惹かれる?」 
 「えっ・あ・・・」 
 不意を突かれて変な返事をしてしまう。 
 「私にも・・・よく分からない。でも、あの人の近くにいると、 
 今まで不安だった色々な事が相談できて、知らない間に 
気持ちが楽になって元気で入れる事・・かな。 
そうとしか・・・いえないよ。」 
もっともっと彼の事をわかってほしいけど、父を前にして 
 この答えが精一杯だった。 
 「・・・・・そう思わせておいて後々他の女とくっつくかも 
 しれないぞ?あいつには色々と噂があるからな。」 
そういわれると辛い。でも・・・・・・ 
「それでもいい。どうせ振られるのならちゃんと自分の 
事を告白して、それから振られたい。待ってるだけなのはもう・・嫌なの・・!」 
そういった後、父は暫く考え込み、・・・・机からあるものを出した。 
 「・・・・・。これをもっていけ・・」 
そういって父は私に古びたボールを渡した。 
 「これは・・・・?」 
 「お守りだ。まあ、野球馬鹿のあいつなら・・これで少しは 
気が向くかもしれんからな・・・。今なら球場にいる・・・行け。」 
 「!・・・・・・・はい!」 
そのお守りといわれたそのボールを胸にきゅっと抱きしめて、 
 私は彼の元へ駆け出した。振られるかもしれない。でも、 
 頭でいくら考えても、私の足は、手は勝手に駆け出していた。 


 「修二君!」 
 彼は一人でブルペンに立っていた。キャッチャーは何故かそこにはいない。 
 「ああ、愛ちゃん、どうしたの?」 
 胸は爆発するようになり続け、手も足も震えている。 
 「わ、私は・・。今まで・・気の強い事やわがまま言ってたけど・・ 
 ホントは・・うれしかった・・。修二さんの・・その・・色々・・噂の人より・・・ 
綺麗じゃないかもしれないけど、その・・・い、一緒に・・・・つ・・つ・・・」 
 「付き合って欲しいんだ、俺も・・・ずっとそう思っていた。」 
 「えっ・!?」 
いきなりの発言に驚いてしまい、手に持っていたボールを落してしまう。 
 「実はね、ずっと前から愛ちゃんと正式に付き合いますって何度も監督の所へ 
 いったんだ。最初はもちろん怒鳴りつけられたばっかりだったけど。それで、 
 愛ちゃんの方から告白するまで待つ事ができたら、許してくれるといったんだ。 
そのボールは監督から付き合いを許してもらえるための約束の品だったんだ。 
 監督の現役時代の使ってた練習ボールで、変化球の握り方とかたくさん書いてる 
 とっても大切なものだよ・・・。それをお父さんは君にくれたんだ。 
  ・・・やっと、二人でいられるね。」 
 「・・・・・・・・・修二くんっ!」 
いつの間にか泣きながら彼に抱きついていた。でも彼はそれを暖かく受け止めてくれた。 
 待っていたのは私だけじゃなかった。彼もまた、私のために待っていてくれたのだ。 


そのうれし泣きの声を球場の入り口で聞いている二人の男のうち、一人が話しかける。 
 「良かったんですか?監督・・あれで。」 
 「ああ・・・ありがとうな磯田君。やっと愛も分かってくれたみたいだ。」 
 「はは、何とか彼女の方から来てくれたおかげで、監督からの伝言も愛君に 
伝えることができましたよ。」 
 「ああ・・・今日は久しぶりに二人で飲みに行くか・・。」 
もう一人の男は満足したように上を見上げながら歩いていく。 
 「ところで監督、どうして彼をわざわざ愛君の方から来るまで待たせて 
 おいたんですか?彼も辛かったでしょうに・・・」 
 「・・・・父親としてこんな事は言いたくないが、未熟なのは・・娘の方だった。 
それに・・・・娘を女にするのは・・・父親の役目だからな・・・。」 .
 


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