「…ただいま、母さん!」

 「あら、お帰り。あんた野球部引退したのに、よく励むわね〜」

 「ドラフトで指名されたからね、調整はしておかなくちゃ!」


ポケ7 真央


  ヒーローたちとの激闘の後、時は流れて12月。
  ドラフト会議にて、俺はカープからドラフト二順目に指名を受けた。
  今までヒーローたちの影に埋もれていてプロ入りは難しいと思っていたが、どうも俺たちのみで甲子園で優勝したことが評価の材料になったみたいだ。
  他にも、湯田君も同じ球団で4順目に指名を受けている。
  俺たち二人が指名された時、部室内は歓喜の声援と叩きあいでぐちゃぐちゃになった事は言うまでもないだろう。
  時間が経ち、以前よりは格段に少なくなったものの、まだまだ胸中からとめどなく溢れてくる感情をほどほどに抑えつつ今日も野球部にお邪魔させて貰い練習に励んでいるというわけだ。
  後輩たちの見本となるから、その分練習後の疲労も指名前よりもずっと大きいものだけれど。

 「あ〜あ。今日も、疲れたなぁ〜。母さん、お風呂貯まってる?」

 「あんたが帰ってくると思って温めておいたわよ。ほら、汗臭いからさっさと入んな!」

 「は〜い」

  玄関前で母親にせかされて、風呂場前の脱衣場にまでほいほいと押されてしまう。
  そのままピシャリとドアを閉められて、視界の脱衣場は真っ暗になって何も見えなくなってしまった。
  母さんも、せっかちだなあ〜…。
  ぼやきつつ、洗濯機のすぐ近くに付いている照明のスイッチを手探りで押す。
  蛍光灯が点滅しながら光りだし、脱衣場は明かりを取り戻す。
  …まあ、お風呂を用意してくれるだけとてもありがたいけれど。
  
  汗でびしょびしょになったYシャツと中に着たTシャツそれぞれを乱暴に脱ぎ、近くに置かれた洗濯籠に入れる。
  洗濯籠から瞬く間に生温くねちっこい汗の臭いが、脱衣場全体に充満してくる。
  こら、やめろ。臭いんだぞお前。
  お前のせいで被害を被るのは俺なんだからな! 臭い臭い、あっち行った!
  …考えていて、むなしい。
  自分の思考にげんなりしつつ無駄のない仕草で早急にズボンとパンツを脱ぎ、それも洗濯籠に入っている異臭を放つシャツの上へと放り投げる。
  さっさとシャワーを浴びて湯船に浸かろう。
  そう思い、風呂場へと繋がる入り口を開けた時だった。

  …俺には、思慮が不足していた。 
  俺の思考はほとほと甘いものであると、その時思い知らされるのであった。

 「…♪ …、…。…覗き?」

 「…」

  言葉も出ない。
  恐らく他人の目から見た俺の表情は、真っ青に痩せこけた、とてつもないものなのだろう。
  頬の内側が圧迫されているのが自分でもわかる。

 「…見たいなら、いいよ」

 「結構です」

  湯船から足をあげ出ようとする真央ちゃんを、言葉で静止させる。
  …真央ちゃんが、俺より一足先に風呂の湯船に浸かっていたのだ。
  ご丁重に浴槽の縁にはシャンプーハットとプラスチック桶、その中には持参だろうかシャンプーとリンスを用意している。
  …頭を洗って欲しいのだろうか?

 「…」

 「…自分で洗いなさい」

  俺に目線で求めてくる真央ちゃんを軽くあしらって、なるべく真央ちゃんを意識しないようにシャワーからお湯を出す。
  チラと真央ちゃんの様子を視界に入れると、真央ちゃんは目に見えて残念そうに体を縮こませて、しょんぼりとしていた。
  …やらないからね!
  絶対に、やらないからね!

 「…チキン」

  心をえぐるような残虐な言葉をポツリと吐いてくるけど、こんなことではへこたれないぞ!
  駄目なものは駄目! 
  けじめはつける、それが誠の愛というものです!

 「ドリル」

  大切な何かが粉々に砕け散った音が脳裏に残響している気がするけれど、気のせいだろう。
  傷付いてなんか無いやい、泣いてなんか無いやい…。
  
  ともかく、サッとシャワーから出るお湯を体に浴びるだけ浴びてこれからどうしようか思案を巡らせる。
  本来ならこのまま湯船に浸かってまったりと浴槽に体を預けているところだけれど、真央ちゃんがいるからなあ…。
  考えていても仕方ないので、流し目にお湯越しの真央ちゃんの体を覗いて、むふふ、眼福眼福…。
  …違う! 確認すると、…真央ちゃんはタオルを巻かず、裸のまま浴槽に身を沈めている!
  こ、こ、これは、いいのか!?

 「…えっち」

 「え、えっちで悪いか!」

  思わず大声をあげてしまう。
  真央ちゃんは湯船に浸かったまま顔を少し下に向けて、恥ずかしいと言わんばかりに元々赤みを帯びている頬を朱色に染めて…、そぉい!
  …どたどたと、廊下から駆けてくる足音が浴場まで反響する。
  なんだろうと油断していると、ガラリと頓着も無しに、いきなり入り口が開けられた。

 「あんた! 何を寝惚けた…、…」
  
  …間違いなく、時間が止まった。
  凍りついたというか、永遠の一瞬というか、…開けてきた主は、母さんだった。
  流石の母さんも片手に使っていないフライパンを持ったまま、固まってしまったようだ。
  もちろん、俺もがっちがちに固まってしまった。
  …見られた、な。

 「…何寝惚けたことを言っているのよ! 近所迷惑になるし、声を出すのもほどほどにしなさい!」

  気を取り直したのか、母さんが言いかけた言葉を続ける。
  言いたいことをそのまま言われ、ろくに反論もできずに母さんは再び入り口を閉めて、足早に去っていった。
  訪れたのは、静寂。
  やり場のない怒りを真央ちゃんに当てつけようと浴槽に振り返ると、真央ちゃんは既に姿を眩ませていた。
  しかし、嫌がらせとしか思えない、使っていないはずのピンク色のバスタオルのみが浴槽の縁にかかっていた。
  バスタオルは濡れていてしっとりしているものの、どこかふんわりとした感触を残していた。
  …どうとも言えないけだるさのみが、俺を胸中を支配した。


☆

「…あがったよ、親父」

 「おお。お前、真央ちゃんと一緒に風呂に入っていたんだって? やるなあ〜、いつ真央ちゃんと打ち合わせしたんだい?
  …で、どこまで進んだ?」

 「…」

  無神経にズカズカと言葉を発する親父を背に、リビングのソファに座って母さんが夕飯を作り終えるのを待つ。
  既に付けられているテレビの画面には、最近流行っている司会中心のクイズ番組が流れていた。
  …俺の耳に入ってくるのは、無機質な笑い声。
  もしも俺が野球にのめり込まないとしたら必然的に時間が余ってくるので、バラエティ番組なんかも興味を持ったのだろうけど。
  どうにも今の俺には、この番組が空っぽの箱に映る無内容な映像としか思えない。
  …素直に言えば、つまらなく感じている。

 「何を考え込んでいるんだ?」

 「…考えないと、考えちゃうの!」

  やっぱり親父は無神経だ!
  仮にアクシデントだとしても、その、女の子と一緒にお風呂に入ったんだから、意識しない方がおかしいじゃないか…。
  ああ! どさくさに紛れて少しぐらい触っても…、…何を考えているんだ俺は!
  どうにもペースが乱れている、落ち着こう、落ち着くんだ!
  胸がバクバクと鼓動を打っている、耳裏が熱い…!
  
  …考えている内に、母さんが『出来たよ〜』と台所から俺たちに呼びかけてくる。
  助け舟だ、助かった。
  テーブルを眺めると、今日のメニューはお味噌汁と鯖の味噌煮だった。
  お味噌汁の香ばしい匂いが、なんとも俺の鼻をくすぐってくる。
  お腹が空いたなあ、美味しそうだなあ!
  ああ、口に入れるのが楽しみだなぁ〜!

 「ふう。それじゃ、いただきます」

 「ええ、いただきます。真央ちゃんも、じっくり食べていってね? 遠慮しなくていいのよ」

 「…いただきます」

 「…」

  ソファの手前で立ち尽くす俺の顔は、どんな表情をしているのだろう。
  ただ一つ言える事は、間違いなく幸せといった分類の表情には程遠いのであろう、そう思った。
  …真央ちゃんは、テーブルに4つ沿って置いてある椅子の一つに座り、団欒とした食卓の場に馴染んでいた。

 「な〜にソファ前で突っ立ってるのよ。ご飯食べないの? ほら、座る座る!」

 「そうだぞ。真央ちゃんを待たせて、失礼じゃないか!」

 「…」

  神様、この世は四面楚歌です。
  私めに、頼りになる味方はいないのでしょうか…。

 「呉越同舟と言って欲しいな」

 「親父は心を読まないでくれ! ああ、もう! 後で食べるよ! 自分の分のご飯は部屋に持っていくからね!」

 「…ウブだな」

 「ええ。ウブねぇ〜」

 「…初々しい」

  口々に言いたい事をのたまいやがって!
  さらには真央ちゃん! 
  あなたは、そんなことが言える立場なのか!?
  …畜生、俺のやっていることはあくまで正しいことなんじゃ無いのか。
  年頃の高校生が異性を見て恥ずかしく感じることは、当然のことでは無いのだろうか…?
  どこにも放出できない憤りと、ちょっとした負い目を感じながら、俺は家の階段を登り自分の部屋へと足を入れる。
  部屋に入ると乾燥してパサパサした、不快な肌触りの空気が俺の体を包み込んだ。

 「…窓でも、開けるか」

  お盆を片手に持ったまま部屋の窓へと近づき窓を開けると、そこからひんやりと涼しい夜の風が漂ってきて、火照った俺の頬を冷やしてくれる。
  冷気はそのまま部屋の中へと入っていき、いつしか不快に感じた空気は窓越しに押し出されて、部屋内は丁度いい具合の冷を持った過ごしやすい部屋へと変化する。
  手に持っているお盆を机の上に置き、いざ食べようとしたその時。
  …ベットの布団が、もぞもぞと動いた様に思えた。

 「…真央ちゃん。間違いなく、そこに居るよね」

 「…」

  椅子に座りながらベッドを凝視するけれど、特に動く様子は無い。
  気のせいか、気のせいじゃなくても面倒臭いしそのままでいいか。
  再び、箸を持って今度こそご飯を口内いっぱいに掻き込もうとする!

 「…こふー、こふー」

  …明らかに危険な状態の呼吸音が布団の中から聞こえてくる。 
  助けようとは思ったけれど、それだとまた軽くあしらわれる事になって、結果的に手のひらで踊らされるだけだ!
  ええい、今は我慢だ我慢!
  ご飯を食べることに集中だ!

 「…こ、ごふっ、えふっ」

 「うわああああああ真央ちゃん大丈夫!? 無視してごめん、本ッ当にごめん! 謝るから、気を確かに〜!」

  男の立場って弱いなあ…、悲しく思いながらも、宿命なのだと改めてそう感じた。
  ベッドまで駆けつけて勢い良く布団を持ち上げ地面に落とすと、そこには瞼を閉じて仰向けに眠っている真央ちゃんの姿に加えて、一枚の紙が置いてあった。

 「…。…無視して、いいかな」

  真央ちゃんは何も応えない。

 「…何々、『夢を渡りゆく眠り姫は、王子様のキスにより起こされます。どうぞ、あなたの口付けによって姫を起こしてあげてください』。
  …あーあ、味噌汁が冷めちゃうし、さっさとご飯食べないとなあ! あ〜お腹減ったな〜」

  腕を頭の裏に掲げながら机に戻ろうとすると、ギュッと着ているユニフォームが引っ張られる感触がした。
  見ると、真央ちゃんの左手ががっちり俺のユニフォームを掴んでいる。
  軽く振り払おうとするも、しっかりと握られていて離れない。

 「…真央ちゃん。ひょっとして、わかっててやってるでしょ?」

 (…ピクン)

  仕方無いので揺さぶりを掛けてみると、案の定真央ちゃんは体を強ばらせ目に見えた動揺を表した。
  少し時間がした後に、真央ちゃんはベッドからむくりと起き上がり、目線を逸らせ申し訳なさそうに俯く。

 「…ごめんなさい」

  つぶらな、それでいて瞼が半開きに閉じたまなざしをして、謝ってくる真央ちゃん。
  視線はあくまで下を向いていて、俺に合わせようとしない。
  …反省しているらしい。

 「全く。今日こそは心臓が止まると思ったよ、まさか母さんが浴場に入ってくるなんて!」

 「…欲情?」

 「違います」

  想定していたボケを流水のように受け流し、ボフンとベッドに腰を落ち着けて真央ちゃんの隣に座り込む。
  真央ちゃんのサラサラした髪の毛から、甘くとろけた桃のいい匂いを鼻に感じる。
  …俺の肩に身を委ねてきた真央ちゃんの体はやわらかくて、暖かい。

 「…汗臭い。シャワー、まともに浴びた?」

 「いいんだよ。どうせ、明日も大量に汗かくし」

 「不潔」

 「高校生に清潔さを求めるのは難しいことなんです」

  真央ちゃんからボソリと呟かれるくぐもり声に動揺するも、すぐに言い返してはやりとりをする。
  なんだかんだで真央ちゃんは小さい不満をのたまいつつも、どんどんと体を俺に預けてくる。
  …真央ちゃんが俺のひざを枕にお腹に抱きついてきた所で、一度真央ちゃんを静止する。

 「…なんで?」

  真央ちゃんはわからないといった、疑問の目付きで俺の顔を覗いてくる。
  俺はその質問に答えてあげる事が出来ず、…そのまま部屋の中はしんしんと静まり返ってしまった。

  …まだ、真央ちゃんはこの世に生まれて5歳児なんだよな。
  信じられないけれど、…もっともっと、真央ちゃんに楽しい事を覚えさせたい。
  それでいて、俺も学んでゆきたい。

 「独りよがりになるから」

  やっとの事で、胸内に引っかかっていた感情を言葉に変換する。
  この言葉は真央ちゃんの説明に対し、満足できるものでは無いけれど、…今の俺の、限界だ。
  恋愛は、背徳的なものだと聞く。
  けれど、真央ちゃんと一緒に居たいという自分の気持ちには、…どうしようにも偽りようが無い。
  だから、これからもずっと共に過ごしていくために、…気持ちを共存させるために、今は堪える。

 「ほら、起きて。もう深夜だよ、あともう少しで一日を迎えちゃうよ? 帰らないと」

 「…やだ」

  真央ちゃんはベッドの上でぐずり、シーツを手のひらで握り意地でも帰らないといった素振りをしている。
  それでもと促す俺に、無言で涙を浮かべながら俺を見上げてくる真央ちゃん。
  次第に、言葉は無くなっていった。

 「…わかったよ。根折れです、ただ一緒のベッドには寝ないからね」 

 「…ケチ」

  真央ちゃんは無表情に、しかし体をどこか嬉しそうにぴょこぴょこと跳ねさせている。
  ああ、俺も甘いなあ。
  こんな事だから立場が低くなって、情けないと言われてしまうのに。
  …嫌悪ばかりしていても仕方無いので、一度部屋を出て親父の部屋の押入れから予備の敷き布団と掛け布団を拝借する。
  それを自分の部屋に持ってゆき、床にガバアと敷いて寝転がる。

 「…別の部屋で、寝なくていいの?」

 「それじゃあ寂しいよ」

  真央ちゃんは意外そうに目を丸めて、俺の顔を見入っている。
  …大方、どうやって一緒の部屋に寝る事を頼むかを考えていたのだろう。
  確かに危ないかも知れないけれど、…仮にも、彼女なんだ。
  それくらいは、俺だって一緒に過ごしたい。

 「…パー三四」

  上のベッドから真央ちゃんに話しかけられる。

 「ありがとう」

  真央ちゃんから、背中越しに感謝の言葉を告げられる。
  背を向けているので、真央ちゃんがどんな表情をしているかはわからない。
  けれど、恐らく。
  勝手な考えながら、…笑顔を浮かべているんじゃあないかな。

 「…あー、ご飯食べてないや。いいや、面倒臭い! 寝よう、寝よう!」

  どうも照れくさく感じている事を悟られないように、急いで部屋の明かりを消して布団の中へ潜り込む。
  引っ張り出してすぐの布団は冷たく、体全体、特に頬に凍てついた感触を感じる。
  されども、その感触が気持ちよい。
  …火照りきった体の俺には、丁度いい冷たさだからだ。

 「…」

  ぼそぼそと聞き取れない声で、真央ちゃんが何かを呟いている。
  その声を聞き取ろうと耳に意識を集中させるが、既に俺の中のまどろみは船を漕ぎ出す直前の所まで昇っていて、瞼が閉じて開かない。
  胸の中で必死に睡魔に抵抗するも、その成果も虚しく。
  いつしか意識すら薄れてゆき、眠りの世界に漂いこんでしまった。


☆

「…う、ううん。首が痛い、けれど、柔らかい…」

 「…朝になったら、おはよう」

 「…、…? う、うわあ! あれ、おはよう、あいたた…」

  目が覚めると、見上げた所に真央ちゃんが俺の顔を覗きこんでいた。
  思わず体を跳ね上げて辺りを確認してみるも、きちんと床に敷いた布団に寝ている。
  真央ちゃんが近くに居る以外に、特に異変はないみたいだ。
  …そらそうか。

 「うーん、朝は早いなあ。今日も学校か、練習だけになればいいのに…、いてて…」

  どうやら寝違えてしまったようで、首が嫌に前のめりになる。
  枕をしていなかったのが原因かな? 
  それにしては後頭部にしっかり柔らかい感触を受けていたし、どういうことだろう…?

 「…ごめん。…大丈夫?」

 「ん? うん、仕方ないさ。これくらい何ともないよ」

  真央ちゃんがあやふやに申し訳なさそうな表情を顔に表して、俺に謝ってくる。
  なんで謝られたのかイマイチ理由はわからなかったけど、一応後者の大丈夫という質問だけには答えた。
  それでも、真央ちゃんの頼りない表情は変わらない。

 「…理由は、わからないけれど。気に病むことは無いよ、…真央ちゃんが好きだから」

 「…///」

  自分で言っておいて、どうしようもなく歯が浮きそうになる気持ちに悶えながら、朝の時間を確認する。
  8時、40分。
  遅刻だな、いっそ諦めて遅く登校しよう。
  真央ちゃんの様子を伺うと、顔を完全に下に俯かせて俺に背けているものの、その赤みは隠せていなく耳の裏まで真っ赤に染め上げている。
  動きはぎこちなく、『あ、あ』とか細い呟きを繰り返して、…気持ちを抑えられなかったのだろう。
  背中越しに、俺に抱き付いてきた。

 「…私、」

  真央ちゃんが、言葉を続ける。

 「…わからない。パー三四と一緒に居ると、きゅっとして。…わからなくなる。でも、…心地良い」

  背中に顔を埋める真央ちゃん。
  真央ちゃんの消え入りそうな吐息を、汗ばんでいる背中越しから感じる。
  …振り返り、真央ちゃんの顔を俺の胸に埋めるように、抱き締める。

 「…、あ…」

 「魔法は、解けなかったでしょ?」

 「…、…。…うん」

  真央ちゃんは、恥ずかしそうに。
  されども、幸せを顔に浮かべて。
  ―…笑顔を俺に向けてくれて、返事を返してくれた。

 「…真央ちゃんも、笑うようになったね。個人的には、ずっと笑っていて欲しいかな」

 「…気のせい」

  口では冷たい言葉を言いながらも、その言葉が照れ隠しであることを俺は知っている。
  柔らかく、小さくて下手したら失ってしまいそうな、か細い真央ちゃんの右手を俺の左手で握り包み、家の階段を降りてゆく。
  机に置いたはずの昨日の夕食のお盆は、いつの間にか消えていた。

 「…制服に、着替えなくていいの?」

 「どうせ遅刻さ。だったら、朝ご飯を食べて遊びに行こう」

 「…プロ入りの為の出席日数、大丈夫?」

 「…う゛っ」

  痛い所を真央ちゃんに忠告されてしまったが、それはそれ。
  リビングで母さんが用意してくれた朝食を頂いて、ゆっくりと朝の怠惰の時間を過ごした後、俺たちは町へと繰り出した。
  真央ちゃんは、黒色のコートと青色の手袋、マフラーを身に纏っている。
  小柄な姿が一層引き立たれて、なんというか、…可愛らしい。
  乾燥した空気に雲と太陽が重なり陰りを見せている道並みに、今日イベントだとかで学校をサボっていた湯田くんに目撃されてしまい学校で囃し立てられてしまうのだが、それはまた別のお話。

 (…パー三四は、なんでいつもユニフォームを着ているのだろう…)

おわり .

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