タマちゃんが姿を消してからお正月までに。 
 五波のメジャー移籍はとんとん拍子で決まり、日系企業が最近買収した東海岸球団に移籍することが決定。 
 流石に日本の6冠王、移籍金含めた契約総額はアジアの小国の国家予算に3倍する額になり、これもまた五波の人気を増す結果となった。 

だがしかし、五波の顔はうかない。 
 背中がすすけ、匂いもどこか負け犬。 
タマちゃんがいるときにだけ生える(気がする)尻尾もしおれている。 
 「はぁ〜・・・うつだ・・・」 
タマちゃんが姿を消して以降、これが口癖と化していた。 

 流石にプロなのでファンの前、球団関係者の前、メディアの前では、SHINJOYさん並の明るさでいるのだが、一人で広い広い寒々しい部屋に帰った後、部屋の隅っこで膝を抱えながら、ため息をついて・・・ 

暗い・・・ 
一人になるとこのテンション、ろくすっぽ練習しないままの年明けとなり、コンディションは最悪。 
バッドステータスが全部ついたような五波はもちろん練習も出来ず、 
 自主トレもしないまま、メジャーキャンプへ突入というとんでもない事態になってしまった。 


 千葉成田空港。 
2月中旬のある晴れた日。 
どこかの国のなんとかとか言う人が恋人たちの間を取り持った咎で、えらい目にあった日の翌日。 

 五波を見送ろうと集まったファンの数は開港以来最大となった。 
けれど、その中に五波が一番会いたかった人はおらず。 
 去年の同じ日に心に決めた指輪を空しくカバンに入れたまま、五波は朝一の便で機上の人となった。 
 押し合いへし合いのなかで、3つのNOを唱えながら突撃していた女がいたという目撃談があったが、 
 今回の話にはまったく関わってこない。 

あまりに長い成田からNYへの旅の中、隣と大きく隔てられたファーストクラス。 
 両隣の席は空席で、後ろとも大きく隔てられて、五波の姿は占有スペースにすっぽり隠れて見えない。 
 豪奢で柔らかな椅子に体を預けながら。 
 五波は寂しそうに、悲しそうに指輪を眺めていた。言葉と祈りを奪われた聖人のような眼差しで。 

 機内サービスのためスチュワーデスが通り過ぎ、声をかける。 
それにも気づかずに、黙然と指輪を眺める。 



 心ここにあらずという言葉を体現したかのような姿。 
 心と体を分離することが、剣の極意という流派があるというがまさにそういった境地。 
まあこの場合だと、意識せず死ねてラッキーというところが関の山か。 

 心が霧散した様子の小波を現実に引き戻した、スチュワーデスの一言。 

 「お客様。ただいま、当機は日付変更線を通過いたしました」 

 五波はひとりごちる。 
 「ああ、そうか。アメリカだと今は14日なんだな・・・」 

 軽く目を上げて。 

 声の主の顔を見た。 

 五波は 

叫ぼうとして。 

 口を大きく開けたところに。 

タマちゃんの。 

 迅雷コーチの手ぬぐいが押し込まれた。 


 押さえた静かな声で、タマちゃんは 

「静かにしろバカモノ!」 

こくこく 

 じー 

「む・・・その目はどうしてここにいるのという目だな!?」 

こくこく 

「私もメジャーのコーチになったのだ!」 

フルフル 

「これは夢だなだと?」 

こくこく 

「バカモノ」 

つねつね 

 ひりひり 

「わかったな夢でも嘘でもないぞ!しかもお前と同じ球団だぞ!」 

ニパニパ 

「・・・その顔はよせ・・しかしお前は話せないのか?」 

ムキー!(タマちゃんが口をふさいだままなんだよ!) 

 「・・おおすまんすまん・・」 
 顔を赤らめた理由はボケが恥ずかしかったのか、それとも再会の喜びでボケてしまったことが原因なのか。 

 「むータマちゃんひどいよ・・・そういう考えなら教えてくれればよかったのに・・・」 
いつもの怒り顔のグラの五波。声を潜めているから迫力はないけれど。 

ちょっと眉を顰めたグラのタマちゃん。 
 「うむ・・いや・・うまくいくかもわからなかったからな・・ダメだったときにお前の夢の重荷になりたくなかったのだ・・・ 
流石にホッパーズのようなことはないと思っていたのだが・・・オーナーに気に入られて即採用されたのだ」 

 「・・・忍者スタイルで?」 

 「うむ・・・」 

 「ハリウッドのスカウトだったんじゃないの?いまだに日本語が不自由な人のお父さんみたいに。 
タマちゃん英語わかるの?」 

 「バカモノ!」 

ぽかぽかり 


 とはいかず。 

 五波の腕の中に抱え込まれ。 

 「ダメだよ・・鈴霞・・・大声出しちゃ・・・」 
 右手を上げてライトを消して、カーテンを閉めて。 
 更に周りからの視線を消し去って。 
 椅子を倒してベッド代わりに。 

 鈴霞と呼ばれると、自然とスイッチが入る体に調教されてしまったタマちゃん。 
 釣り目気味の目に淫蕩な色が混じり、柔らかですべらかな頬を薄く血の色に染めていく。 
 「五波・・・」 
 他の誰にも利かせたことのない声で小波の耳に優しく言葉を届ける。 
 五波は鈴霞の体を強く抱きしめ、久しぶりの感触を胸いっぱいに堪能した。 
 二人だけの時間はカップヌードルが延びきる時間より長く、麺が蕩けるくらいの長さ。 
 淫猥な時間が終わり。 
 五波の上に倒れこむ鈴霞を優しく起して。 

 「鈴霞・・・これ・・バレンタインのプレゼント。アメリカに着いたら結婚しよう」 
 鈴霞の目から涙が毀れる。 

 「去年のバレンタインに決めてたんだ。来年のバレンタインに結婚を申し込むって。」 
 乱れたスチュワーデス姿のまま五波に抱きつき。 

 「俺、本当にメジャーに挑戦してよかったよ」 
 最高の笑顔で五波は笑う。 
 「だって告白のチャンスを二回持てたんだからね!」 


God's in his heaven. All's right with the world 
神は天におわしまし、世の中なべて事もなし。 .
 
 

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