日もほぼ沈み、客も一人を除いていなくなった喫茶店でその残された一人と店員は話し合っていた。 
 「…………ってことなんですけど、どうですか?」 
 「……………………やる」 
 「ホントですか!? 
  よかったー! 久しぶりにマスターが留守だから今日を逃すわけにはいかなかったんですよ!」 
 「うん。じゃあもう少し話合っとこ」 
 「あ、はい! ぼろが出たらまずいですもんね!」 
そう言って店員は客の座る席の向かいに座った。 



 「維織さーん。迎えに来たよー?」 
 野球の練習を終えた小波は店に到着するやいなや店内で声をあげる。 
 「……いつもありがと」 
 「………………准さん? あなたは何をしてるんでしょうか?」 
というのも、小波は野崎維織を迎えに来たわけだが、どういうわけかその席に座っていたのは夏目准だったのだ。 
 「…………?」 
 「『?』じゃなくて! 
  なんで維織さんを呼んだのに准がついてくるんだよ!!」 
お互いがお互いを理解できない状態を終わらせるためか店の奥から一人の女性が出てきた。 
 「あー小波さん、信じられないと思うけど、今はそっちが維織さんなの。 
  で、私が夏目准ね。」 
そう言いながら店の奥から出てきたのは野崎維織の顔をした自称夏目准であった。 
 「…………変わった遊びか?」 
 小波は理解しがたい説明に納得のいく理由を付けようとする。 

 「あのね、維織さんがそんなめんどくさいことするわけないでしょ?」 
 「その言い方もどうかと思うが……それもそうだな。 
  で、なんでそんなことになったんだ?」 
 「…………意外と物分かりいいね、小波さん」 
 予想外の返答にその顔には驚きの表情が浮かんでいた。 
 「まぁピエロだの武士だのが野球をしてる時代だからな、何が起きてもおかしくないだろ」 
 「さすが小波さん! 変人に囲まれてるだけはあるね!」 
 「お前は素直に褒められないのか!! 
  ったく。で、なんでそうなったんだよ」 
いつものようなやり取りを終えようやくその質問を投げかける。 
 「それがね、頭と頭がごっつんこして、そしたらこんなことに♪」 
 「『♪』じゃないだろ!」 
 小波が先程のように返すと笑顔を振り撒いていたその顔から元気が消えていった。 
 「……しょうがないじゃん、戻んないんだからさ。 
  開き直りでもしないとやってけないよ」 
 「あ……悪い」 
 「ん。別にいいよ、気にしてないし。そのうち戻るでしょ? 
じゃあそろそろ店閉めるから出てった出てった!」 

 元気のない自分を見せたくないのか、小波を追い出そうと手でシッシッとジェスチャーする。 
 「出てった、って家とかどうするんだ?」 
 「…………まぁ、近所の人に怪しまれるかもしれないし今日は家は交換かな? 先に言っとくけど変なこと考えたらただじゃおかないからね? 
  あ、維織さんもそれでいいよね……って寝てるし!」 
 野崎維織は二人で喋っていたのが退屈だったのか、元来のマイペースな性格は顕在のようでいつの間にか寝てしまっていた。 
ただそれでも社長令嬢としての立ち振る舞いは染み付いているせいか見苦しい様子は見られなかった。 
 「あぁー……こうなったら維織さんは起きないからなぁ。 
  仕方ない。准、家の場所教えてくれ。維織さんおんぶして送るから」 
 「ちょ、ちょっと待ってよ小波さん!」 
 「ん? どうした?」 
 「本気でおんぶするつもり!?」 
 「今そう言っただろ。流石にお姫様だっこで家まで帰るのは無理だからな」 
 相変わらずの小波に准の声も大きくなっていく。 
 「じゃなくて!! 今の維織さんの外見は私なんだよ!? 噂されたらどうするつもり!?」 
 「あ、そうか。 
  じゃあどうするかな……ここに泊まるわけにもいかないし……」 


 二人の頭では納得のいく結論が出ず、それにしびれを切らした准が一つの妥協案に到った。 
 「……あぁー!もう!! みんなで維織さんちに泊まるよ! それでいいでしょ!?」 
 「いや、でも……」 
 「でもじゃない! これで私に迷惑かかったら小波さんのせいなんだからね!」 
 「いや、まぁ維織さんは何も言わないだろうし准がよければそれでいいんだが……」 
 「じゃあ決まり! はい、さっさと帰りの支度する!」 
そう言ってなんとも強引に押し切り帰り支度をさせて3人は店を出ていった。 



 店を出てしばらくして、三人は川沿いの道を歩いていた。 
 「ねぇ、重くない?」 
 「ついこの間までテントを担いで山を登ったりもしてたからな。それに比べれば全然だよ」 
 「…………前から聞きたかったんだけど、なんでそんな生活してるの? 
  今も今でなんで堂々とヒモしてるのか気になるけど」 
 「お前はいちいち毒を含めないと喋れないのか!」 
そんなやりとりをする二人だったが、時間も経って落ち着いてきたのかしょぼくれた様子は伺えなかった。 
 「で、なんで?」 
 「忘れた。既に風来坊の頃の記憶しか残ってないな。 
  ちなみに維織さんの世話になってるのは維織さんにテントを燃やされたからだ」 
 調度自分が以前住んでいた場所の近くだったためか小波の目には涙が浮かんでいた。 
 「似た者同士の過激な二人組だこと。 
  妬けるね〜」 
 涙を拭ってから准の言葉を否定する。 
 「おいおい、俺達は別にそんな関係じゃないぞ?」 

 「あれ? そうなの? 
  てっきりそうなのかと思ってた」 
 「その実は維織さんにテントを燃やされただけだからな」 
その声には親友を失った悲しみが込められていた。 
 「……維織さんって時々すごいことするよね。 
  でもじゃあ、テントもないし小波さんはずっとここにいるの?」 
 「…………どうだろうな。まぁテントが無くても旅はできなくはないからな」 
 実際は冬になると凍死するホームレスもいるわけだが、小波はいざとなれば住み込みで働き口を探せる歳なのであまり関係はない。(当然そうなればしばらくは旅を続けられなくなるので本人は乗り気ではないが。) 
 「計画性のないダメ人間だね」 
 「だからお前は!! 
  だいたい、先の事を考えて旅をしてもつまらないだろうが」 
 「…………でもなんか面白そう」 
 「面白くなかったらこんなことしてないさ。いろんな人に出会えるのは楽しいぞ?」 
 「ふ〜ん。じゃあ、今までどんな人に会ってきたの?」 
 准にそう聞かれ、小波は昔を思い起こす。 
 「……そうだな。ラーメン屋で何時間も並んで倒れるバカとか、自称マッドサイエンティストだとか、暴走族を一人で壊滅させる情報屋とか……まぁいろいろだな」 

 「へー……世の中広いねー 
 ……ねぇ、小波さん。そのうち小波さんの旅に私も連れてってくれない?」 
 「おいおい、何言ってんだよ。 
  お前には将来の夢がちゃんとあるんだろ? こんな大人に着いてくるもんじゃない」 
 「あぁー……うん、まぁ……」 
 「馬鹿な事言ってないで将来をちゃんと見据えなさい。 
  っと、着いたぞ。准、ジャケットに鍵が入ってるはずだからそれで開けてくれ」 
 「あ、うん」 
そう言われて少し残念そうにしながら左右のポケットをまさぐる。 
 少しして准は左の指先にキーホルダーを引っ掛けながらその手を掲げる。 
 「……この鍵?」 
 「あぁ、それだそれ。」 
 「……っと。はいどーぞ。」 
 「ん、ありがとな。じゃあとりあえず維織さんの部屋に行って維織さんに布団かけなきゃな。」 
 「私はどうしたらいい?」 
 「そしたら維織さんの部屋で待っててくれよ。俺はご飯作らなきゃいけないからな。」 

 「………………カシミール行く準備しなきゃ」 
 「料理くらいできるわ!!」 
 自分の腕を信用されなかったために声をあらげたが、そのせいで小波の背で寝ていた維織を起こしてしまう。 
 「……んっ」 
 「っと、ごめん維織さん」 
 「…………大丈夫」 
 維織は眠そうな眼を擦りながらそう答える。 
 「じゃあご飯作ってくるよ」 
 「…………ありがと 
 …………おやすみ」 
 「あぁ、おやすみ」 
 小波は維織と挨拶を交わし、あとはよろしく、と准に目配せをして台所に向かっていった。 


 二人は小波が遠くに行ったのを足音から確認すると向かい合って口を開く。 
 「………………流石に寝たふりしておんぶされるのはどうかと思う」 
 「維織さんだって前にやったって言ってたじゃないですか! だいたい、維織さんが家を交換するだなんて言わなければやりませんでしたよ!」 
そこにいたのは容姿、性格、口調の何一つ変わらない、いつも通りの二人だった。 
そして小波が来る前に二人が計画していたのはこの『入れ代わり』のことだったのだ。 
またその動機も、お互いが相手と小波の距離を羨ましいと思っていたからというなんとも不純なものであった。 
 「………………それを利用するのはずるい」 
 「維織さんには言われたくありませんー!!」 
 「私は全力を尽くしてるだけ」 
 「…………旅に連れてってって言って断られたくせに!」 
 「あれは准ちゃんが断られたようなもの。 
  断られた原因が将来の夢なんだからむしろ准ちゃんだからこそ断られただけ」 
 小波がいないとわかると、それをいいことに不平不満を言い合っていた。 

そんな二人のことはつゆ知らず、台所では小波がカレーを作っていた。 
 「野菜は前に維織さんが使った残りがあるんだけど……まいったな、肉がなかったか。 
  ………………確か裏庭を掘り返せばカブトムシの幼虫がでてきたよな。 
  よし、准は幼虫大丈夫か聞いてみるか」 
そうして小波は二人のいる寝室へと向かっていった。 


 「………………疲れた」 
 「…………もうお互い文句は言わない方向でいきません?」 
 小波がバカなことを思い付いたとき、寝室では二人が肩で息をついていた。 
 思っていたことをぶつけ合って疲弊しきった二人は布団に寝転びながら会話を続ける。 
 「…………賛成」 
 「じゃあ、それで。 
  ……にしても、この布団ふかふかですね。」 
 准は自宅の物とは大違いの、高価な布団に包まれながら足をパタパタさせていた。 


 「…………欲しければ買ってあげようか?」 
 「さすがにそこまでしてもらうわけにはいきませんよ! 
  でも、ホント寝心地いいですねー。このまま眠りた「なぁ、准。お前カブトムシはだいじょ……ってなんだ。二人して寝てるのか」 
 用意周到な二人であったが、疲れのせいか、気の緩みのせいか、ぎりぎりまで小波の接近に気付かなかった。 
そして咄嗟の出来事に、この悪戯をしている罪悪感からか、反射的に寝たふりをしてごまかそうとしてしまった。 
 布団の大きさに関しても、もともと維織が二人でも寝れるようにと新しく買った布団なので細身の女二人なら裕に入れたというわけだ。 
 (………………准ちゃんまで寝る必要はなかったんじゃない?) 
 (ごめんなさいー! 
  自分は寝てることになってるって思ったら頭の中こんがらがっちゃって!) 
 (…………まぁ、そこまで気にすることでもないから) 
 「…………二人とも回りに心配かけないように頑張ってたから気疲れしたんだろうな。気持ち良さそうな寝顔だよ」 
そう言いながらいつも維織にするように准の頭を撫でる。 
 (ちょっ、ちょっと維織さん! いつもこんなことしてもらってるんですか!?) 
 (………………………ノーコメント) 
 (私には全然してくれないのにー!!) 
 (…………ヘッドドレス付いてたら撫でられないでしょ。 
  それにそれにあの二人もいるし……) 
 (それはそうですけどー!) 

 (………………准ちゃんばっかりずるい。えいっ) 
 普段は自分の撫でる手が他人を撫で続けていることに珍しく怒りの感情を見せた維織がもう片方の手を引っ張り小波を布団の上に俯せに倒れ込ませる。 
 小波は准の上に倒れないよう引っ張られる方向に自分からも力を加え、その結果二人の間に寝転んだ。 
 「おっ、おい! 
  ったく、こいつ寝相悪いな……ってこら、腕に絡み付くな!」 
 維織は甘えられなかった反動のせいか胸まで掛けられた布団から手を出し小波の腕にほお擦りをしている。 
そして当然小波は二人の間にいるから准も小波に届く距離に位置しているので 
(…………じゃあ私もっ!) 
と、小波に密着する。 
 「維織さんまで…… 
 …………ったく、起こすのも可哀相だし、二人が起きるまでは脱出できそうにないな。 
  ………………………俺だけ布団なし、か」 



 川の字になってからどれほど経ったか、別室の鳩時計が日を跨いだのを知らせる。 
 「…………維織さん?」 
 「なに?」 
 「起きてるかな、って思って」 
 「准ちゃんは寝ないの?」 
 「いや、まぁ……寝たいんですけどね」 
 「ドキドキして寝れない?」 
 「…………お恥ずかしながら」 
 「………………私も」 
 「え? いつもはどうしてるんですか?」 
 「小波君はリビングのソファで寝てる。 
  身体に良くないって言っても頑なに断られる」 
 「それだけ大切にされてるんですよ。 
  そういえば明日の朝までって話でしたけど、どうでした『夏目准』は?」 
 「小波君と、近かった。 
  なんというか小波君と同じ目線で接せるのが羨ましかった」 
 「まぁそのせいで友達より先には進めないんですけどね……」 


 「『野崎維織』は?」 
 「そうですね。なんか、大切に扱ってくれるのがすごい嬉しかったですね。 
  普段の私なら悪口言うくらいしか自己アピール出来なかったけど、その、一歩前進できた気がします」 
 「…………そんなに頭撫でてもらって嬉しかった?」 
 「そりゃそうですよ! 店で会う時はそんなことなかったですもん!」 
 「そっか」 
 「なんか……今日で終わりってのも名残惜しいですね」 
 「うん。でも明日は世納が実家から帰ってきちゃうから」 
 「そうですよね…… 
 ……あの維織さん」 
 「なに?」 
 「今回はありがとうございました、私のわがままに付き合ってもらっちゃって」 
 「ううん……私も楽しかったから……」 
 「それならいいんですけど……」 
 「だから、気にしないで 
 ……ホントのこと言うとね、准ちゃんに感謝してるくらいなんだ」 
 「……なんでですか?」 


 「……准ちゃんがいなかったら小波君に甘えてるだけで、自分からは……何もしなかったと……思うか……ら」 
 「……変われたのは維織さん自身の力ですよ…………って、寝ちゃったのか。私と代わってたわけだしやっぱり無理してたのかな。 
  ……………………ホントに小波さんのこと好きなんだな。 
  …………………………私も頑張らなきゃ。おやすみ、維織さん、小波さん」 
 准はそう独り言を呟くと瞼を閉じて明日に備えた。 


 「…………っともう朝か」 
 夜中まで起きてた二人とは違い熟睡していた小波が一番に眼を覚ます。 
 「…………にしても、准はああ言ってたけど戻らなかったらどうするんだろうな。一応黒野博士に会えばどうにかなりそうだけど……」 
 「…………おはよう」 
もともと眠りも浅かったので小波の声に反応してこちらも眼を覚ます。 
 「お、維織さん今日は起きるの早いね。 
  昨日はお疲れ様」 
 「……………………小波君、昨日は疲れたから頭撫でて」 
 「あ、あぁ、わかったよ維織さん」 
 小波はよくわからない理由にたじろぎつつも髪に指を通した。 
その気配を察知してかもう一人も起き出す。 
 「………………小波君、私も疲れた」 
 「えっ!? 維織さんが二人!?」 
 小波はいつも見ていた維織のローテンションを持つ二人に錯覚を起こす。 
その滑稽さに 
「……まったく、そんなわけないでしょ」 
と、頭を撫でられながら呆れつつ言った。 


 「って、あれ?准? 
  ……ってことは元に戻ったのか!!」 
 元に戻ったと思っているだけに小波の口角がぐっと上がる。 
そしてそれとは反対に終わってしまった悪戯に准は寂し気な表情を浮かべる。 
 「……うん、そうみたいだね」 
 「なんだよ、戻ったのにやけに落ち着いてるな」 
 「えっ!? そんなことないよ!」 
 「そうかぁ?」 
 二人のやり取りを見ていた維織がこのまま不信感を抱かれては都合が悪いので袖を引っ張って自分に興味を向かせる。 
 「……小波君、お腹減った」 
 「あ、結局昨日は夕ご飯食べなかったもんね、すぐ作るよ。 
  あ、そうだ准は幼虫食べられるか?」 
 「幼虫は食べないけど小波さんの指くらいならかじりつくよ?」 
 「……その元気があればもう心配ないな。パンでも焼いておくぞ」 
 「あ、うん、ありがと」 
そう言い残して小波は台所に向かって行った。 


 「准ちゃん、昨日の今日で頭撫でて貰おうなんてずるい」 
 「文句なしって言ったじゃないですか!」 
 「…………それなら私にも手はある」 
そう言うと箪笥の引き出しを開け、奥の方に手を伸ばす。 
 「……なんですか?その紙」 
 「…………魔法の紙。 
  これとあとサインと印鑑で婚姻関係が結べる。」 
 「それはさすがにダメです!」 
 「文句は言わない約束」 
 「それでもさすがにやり過ぎです!」 
そう言って維織の手にある紙を奪い取った。 
そして少しの間を置いて維織が口を開く。 
 「…………ねぇ、准ちゃん」 
 「なんですか?」 
 「どんな結果になっても文句は言いっこなしだよ?」 
 「……はい、わかってますよ?」 
 先程自分が言ったことをわざわざ言う意図が掴めず頭に疑問符が浮かぶ。 


そしてまた少しの間を置いて口を開く。 
 「………………どんな結果になっても仲良くしてくれる?」 
どんなことを言うのかと思っていただけに呆気に取られるも、相手も小波と同じくらいに自分が大切なんだと理解し笑顔で返答する。 
 「もちろんですよ!」 
そんな張り詰めた空気を壊すかのように場違いな一声が寝室に届く。 
 「おーい二人ともー!焼けたよー」 
そんなやり取りをしていることも知らずに小波が二人を呼ぶ。 
 真剣な話をしていた二人にはそれが何故だか可笑しく感じられ、ふふっ、と笑みを零して小波の元に向かって行った。 .

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