最終更新: shirononegi 2013年05月25日(土) 12:17:05履歴
城名 | 大道城【おおどうじょう】 |
所在地 | 富山県富山市八尾町大道 および 山田村谷 |
別名 | 若狭城、大林城 |
形態 | 山城 |
遺構 | 郭、土塁、横堀、竪堀、内桝形虎口、土橋、櫓台、井戸(落とし穴) |
旧山田村と旧八尾町の境にある。
富山の中でも高所に築かれた城。
南北に連なる4つの郭で構成されている。
遺構の状態もよく、見応え十分の城だが、
山奥にあるため、アプローチが難しく、熊も出没する。
富山の名城ベスト10にも含まれる名城。
上杉の領地となっていた越中へ、
織田信長に仕えていた神保長住が侵攻。この時改修されたらしい。
神保長職の旧臣寺嶋牛之助と小島(寺嶋)甚助が、宮崎城を拠点に
織田氏に対抗するも、城に火を放ち逃れてきた。その後、佐々成政に下る。
富崎城等がある山田谷の最奥にあり、富崎城の詰城とされる。
自然地形が多く残り、短期間の使用後、廃城となったとみられる。
以下の理由から、織田軍の城改修の可能性は低い。
・横堀、土塁の使用が部分的で、防衛ラインの統一がない。 ・郭の機能分化がされていない。寺嶋、小島両将が上杉方に属していたため、
上杉軍技術指導による城改修の可能性はある。(佐伯哲也氏)
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