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reijikakuriyo 2017年11月18日(土) 21:33:57履歴
このページは、式姫の元ネタを纏めてるならあやかしも纏めてみようという狂気の発想から生じたページです。
ネタバレを控えつつ充実させていきましょう。
さらに古事記では「久延毘古とは"山田のそほど"のことである」と説明されている。「山田のそほど」とはかかしの古名であり、久延毘古はかかしを神格化したもの、すなわち田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、収獲祭や小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった。
神名の「クエビコ」は「崩え彦」、体が崩れた男の意で、雨風にさらされて朽ち果てたかかしを表現したものである。また、「杖彦」が転じたものとも取れ、イザナギが黄泉から帰ってきた後の禊で杖を投げ出した時に生まれた船戸神(ふなとのかみ、岐神、道祖神)との関連も考えられる。
田の神、また、学業・知恵の神として信仰されており、久氐比古神社(石川県鹿島郡中能登町)や大神神社(奈良県桜井市)末社・久延彦神社などで祀られている。
夜道を歩いていると、目の前が突如として目に見えない壁となり、前へ進めなくなってしまうというもの。壁の横をすり抜けようとしても、左右にどこまでも壁が続いており、よけて進むこともできない。
蹴飛ばしたり、上の方を払ったりしてもどうにもならないが、棒で下の方を払えば壁は消えるという。
塗壁の姿は、漫画家・水木しげるが妖怪画や漫画『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターとして提供する塗壁の、目と手足を持つ巨大な壁のような姿が一般化しているが、これはあくまで伝承を元にした創作キャラクターであり、
近代以前の絵画にそのような姿を描いたものは確認されていない。
長らく伝承のみで絵姿が存在しないと思われていたが、平成19年に川崎市市民ミュージアムの学芸室長所有の妖怪画に描かれた3つ目の獅子か犬のような姿の妖怪が、ぬりかべを描いたものとして発表された。
元々この妖怪画は絵のみで名前が記されておらず正体不明であったが、平成19年1月、アメリカ合衆国のユタ州にあるブリガムヤング大学の図書館に寄贈されている「L・トミー・ペリー・コレクション」と呼ばれる資料の一部に掲載された内容と一致し、
後者に「ぬりかべ」と名がある事から正体が判明したものである。奥書には享和2年(1802年)に絵師・狩野由信が室町時代の絵などを参考に制作したものと記されていた。
背中に熊笹の生えた大イノシシが狩人に撃ち倒された後に亡霊となったもので、一本足の鬼の姿で峰を旅する人々を襲っていたが、丹誠上人という高僧によって封印され、凶行はおさまった。
しかし封印の条件として年に一度、12月20日だけは猪笹王を解放することを条件としたため、この日は峰の厄日とされたという。
遭遇してしまった人は投げ飛ばされたり、馬の足で蹴り飛ばされたりしてしまう。そのためかつては、人々は前述の出現日の夜の外出を控えるよう戒められていた。
運悪く遭遇してしまった場合は、草履を頭に載せて地面に伏せていると、夜行さんは通り過ぎて行くので、この難から逃れることができるという。
前述のように、一般には夜行さんは首切れ馬に乗っているものといわれるが、夜行さんと首切れ馬は必ずしも対になっているわけではなく、むしろ首切れ馬単独での伝承のほうが多い。
特に吉野川下流から香川県東部の地域においては、首切れ馬に乗ったこの鬼ではなく、首切れ馬そのもののことを夜行さんと呼び、節分の夜に現れるといわれる。
また徳島県では大晦日、節分の夜、庚申の夜、夜行日などは魑魅魍魎が活動する日とされ、夜歩きを戒める日とされた。元来、夜行日とは祭礼の際に御神体をよそへ移すことをいい、神事に関わらない人は家にこもり物忌みをした。
その戒めを破り神事を汚したものへの祟りを妖怪・夜行と呼ぶようになったとの説もある。
神秘的な姿をしていることから「竜宮の使い」という和名で呼ばれる。
全長は3mほどであることが多いが、最大では11m、体重272kgに達した個体が報告されており、現生する硬骨魚類の中では現在のところ世界最長の種である。
世界中の海に広く分布する深海魚の一種。本来の生息域は陸から離れた外洋の深海であり、人前に姿を現すことは滅多にないが、特徴的な姿は図鑑などでよく知られている。
実際に生きて泳いでいる姿を撮影した映像記録は非常に乏しく、生態については殆ど分かっていない。
和歌山では宇治という町に出たので、宇治のこたまとも呼ばれた。紀州藩編纂の地誌『紀伊続風土記』(天保年間)によれば、冬の夜明け頃にバタバタという音が東から聞こえ始め、西へ去っていくのでバタバタとも呼んだという。
広島でも同様の怪異があり、冬の夜に屋根の上や庭で、あたかも畳を杖で叩くようにバタバタと音がしたことから、バタバタ、もしくはパタパタとも呼ばれた。
この怪異の原因はそこにある触ると痕になる石の仕業とされ、その石をバタバタ石と呼んだ。
安政時代の随筆『筆のすさび』によれば、ある物好きな人が正体を見極めようと、音の方向を追いかけたところ、常に7、8間先から音がしてきりがなかったという。
またある人は、バタバタ石の中から小人が現れて石を叩いているのを見つけ、捕まえようとしたが石の中に戻ってしまったので、石を持って帰ったところ、石と同じような痣が顔にでき、慌てて石をもとの場所へ戻すと、痣も消えたという。
多くの絵巻では、五郎左衛門がこの物語の主人公・稲生平太郎に語る中に登場するのみだが、『稲生武太夫一代記』では、五郎左衛門が武太夫に「先(ま)づ、悪五郎を、眼の前に引連れて、見せ申すべし」と言い、
武太夫が背後を見ると、冠装束姿の者が半身の状態で現れたとある。ただし『稲生物怪録絵巻』など多くの絵巻では、この冠装束姿の者は武太夫を守護する氏神とされており、
『稲生武太夫一代記』であたかも五郎左衛門が悪五郎を武太夫の眼の前に連れて来たように描かれているのは、文章の不整合のためと指摘されている。
映画『妖怪大戦争』(2005年)の設定では、広島の妖怪。魔物たちを束ねる魔王のひとりであり、その支配はインド・中国・日本という広域に及ぶとされる。
山ン本五郎左衛門と魔界の覇権を争ったが、妖怪世界の長老である妖怪大翁の仲裁により、現在は山ン本とともに大翁に仕える。頭の回転が速く討論では妖怪の中に並ぶ者はいない。
妖怪の眷属たちを引き連れる頭領であり、魔王に属するものとされる。平田神社所蔵の妖怪画では、三つの目を持つ烏天狗の姿として描かれているが、『稲亭物怪録』によれば、自分は天狗の類でも狐狸の類でもないと語っている。
寛永2年(1625年)、備後国三次(現在の広島県三次市)において、稲生平太郎(三次藩の実在の藩士・稲生武太夫の幼名)を、30日間におよび様々な怪異を起こして脅し続けたが、平太郎は耐え続けた。
そして7月30日に1ヶ月間の怪異の締めくくりとして、裃を着た40歳ほどの武士の姿で平太郎の前に姿を現して名を名乗り、神野悪五郎(しんの あくごろう)と魔王の頭(かしら)の座をかけて、勇気のある少年を100人驚かせるという賭けをしており、
インド、中国、日本と渡り歩いて、その86人目として平太郎を驚ろかそうとしたが、平太郎が動じなかったことで夢が破れ、最初からやり直しであると、平太郎の気丈さを褒めたたえた。
そして、もう怪異を起こすことはないが、悪五郎が来たときにはこれを使えば自分が助力するといい、木槌を遺し、妖怪たちを引き連れて去って行った。この槌は広島市東区の国前寺に寺宝として後に伝えられている。
いずれの絵も描かれているのは上半身のみであり、下半身を描いた絵は確認されておらず、全身像は明らかになっていない。
昭和・平成以降の妖怪関連の文献や児童向けの妖怪図鑑では、正体不明の妖怪、山奥に住んでおり前足のカギ爪で土を掘り返してモグラなどの小動物を食べる大きな妖怪、山奥に住んでおり人間を襲って食べる大きな妖怪など、
大きく分けて以上の3つのいずれかの解説がされている。
おおよそ特定の場所に現れるが、海面を移動することもあり、人が近づくと消え去ってしまうという。魚または海鳥の群れ、未確認の巨大魚などの説がある。
「古事記」の中で、スサノヲに討伐された、八つの頭と八つの尾を持つ大蛇。
その尾からは三種の神器のひとつ「草薙剣」が出てきたとされている。
『スノッリのエッダ』第一部『ギュルヴィたぶらかし』第4章で語られるところでは、ムスペルヘイム(世界の南の果てに存在する灼熱の国)の入り口を守る炎の巨人で、
世界にまだムスペルヘイムとニヴルヘイム(九つの世界の下層に存在する冷たい氷の国)しかなかった時代から存在し、ムスペルヘイムの国境を守っていた。
炎の剣を持っており、最後まで生き残りすべてを焼き尽くすという。
スルトはラグナロクの時、神々と巨人との戦場に現れ、鹿の角で戦うフレイを倒したとされる。
自らが世界中に放った火によってスルトがどうなったかは不明であるが、『スノッリのエッダ』第一部『ギュルヴィたぶらかし』で挙げられた生存者の中には彼の名はない。
ドロップアイテムの炎剣の欠片から作れる武器の由来は、それぞれスルトの妻とされる巨人シンモラが保管しているとされるレーヴァテイン、主神オーディンの持つグングニル、雷神トールの持つミョルニルだと思われる。
太陽神ラーの片目から生まれたとされライオンの頭を持つ。同じ獅子頭の女神であるバステトやテフヌトと同一視されることもある。
ラーは自分を崇めない人間を殺戮するためにセクメトを地上に送ったが、オシリスの意見によりそれを取りやめ、彼女を7000樽もの赤く染めたビールで酔わせ殺戮を止めさせたという。
また、セクメトは伝染病などを司り、人間を殺してしまう病の風を吐く女神とされた。そのため、この女神を鎮められるセクメトの神官たちは、伝染病を鎮める特殊な医師や呪術師とされた。
砂漠の熱風は「セクメトの息」と呼ばれた。また、伝染病や疾病は「セクメトの使者」だった。
外見は普通の人間と変わらないが、不死である吸血鬼を殺す力を持つ。また、吸血鬼を探知する能力も備える。大抵は生まれてもすぐに死んでしまうが、成長した者は前述の能力を活かし、吸血鬼ハンターを生業とすることもある。
ダンピールによる吸血鬼退治は、儀式のような形式を取る。笛を吹いたり、走り回ったり、目に見えない敵と戦った後、勝利を宣言する。
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ネタバレを控えつつ充実させていきましょう。
案山子神
- 久延毘古
さらに古事記では「久延毘古とは"山田のそほど"のことである」と説明されている。「山田のそほど」とはかかしの古名であり、久延毘古はかかしを神格化したもの、すなわち田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、収獲祭や小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった。
神名の「クエビコ」は「崩え彦」、体が崩れた男の意で、雨風にさらされて朽ち果てたかかしを表現したものである。また、「杖彦」が転じたものとも取れ、イザナギが黄泉から帰ってきた後の禊で杖を投げ出した時に生まれた船戸神(ふなとのかみ、岐神、道祖神)との関連も考えられる。
田の神、また、学業・知恵の神として信仰されており、久氐比古神社(石川県鹿島郡中能登町)や大神神社(奈良県桜井市)末社・久延彦神社などで祀られている。
唐傘
- 唐傘小僧
ぬりかべ
- 塗壁
夜道を歩いていると、目の前が突如として目に見えない壁となり、前へ進めなくなってしまうというもの。壁の横をすり抜けようとしても、左右にどこまでも壁が続いており、よけて進むこともできない。
蹴飛ばしたり、上の方を払ったりしてもどうにもならないが、棒で下の方を払えば壁は消えるという。
塗壁の姿は、漫画家・水木しげるが妖怪画や漫画『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターとして提供する塗壁の、目と手足を持つ巨大な壁のような姿が一般化しているが、これはあくまで伝承を元にした創作キャラクターであり、
近代以前の絵画にそのような姿を描いたものは確認されていない。
長らく伝承のみで絵姿が存在しないと思われていたが、平成19年に川崎市市民ミュージアムの学芸室長所有の妖怪画に描かれた3つ目の獅子か犬のような姿の妖怪が、ぬりかべを描いたものとして発表された。
元々この妖怪画は絵のみで名前が記されておらず正体不明であったが、平成19年1月、アメリカ合衆国のユタ州にあるブリガムヤング大学の図書館に寄贈されている「L・トミー・ペリー・コレクション」と呼ばれる資料の一部に掲載された内容と一致し、
後者に「ぬりかべ」と名がある事から正体が判明したものである。奥書には享和2年(1802年)に絵師・狩野由信が室町時代の絵などを参考に制作したものと記されていた。
河童
水辺の妖怪。体格は子供のようで、全身は緑色または赤色。頭頂部に皿があることが多い。皿は円形の平滑な無毛部で、いつも水で濡れており、皿が乾いたり割れたりすると力を失う、または死ぬとされる。口は短い嘴で、背中には亀のような甲羅が、手足には水掻きがあるとする場合が多い。
両腕は体内で繋がっており片方の腕を引っ張るともう片方の腕が縮み、そのまま抜けてしまうこともあるという。
肛門が3つある。体臭は生臭い。猿やカワウソのような姿とすることもある。
一説には、キュウリが好物とされている。
両腕は体内で繋がっており片方の腕を引っ張るともう片方の腕が縮み、そのまま抜けてしまうこともあるという。
肛門が3つある。体臭は生臭い。猿やカワウソのような姿とすることもある。
一説には、キュウリが好物とされている。
水虎
中国の古書『本草綱目』に記されている、湖北省の川にいたという妖怪。外観は3,4歳の児童のようで、体は矢も通さないほどの硬さの鱗に覆われている。普段は水中に潜っており、虎の爪に似た膝頭だけを水上に浮かべている。
普段はおとなしいが、悪戯をしかけるような子供には噛みつき返す。この水虎を生け捕りにすることができれば、鼻をつまむことで使い走りにすることができるという。
日本には本来、中国の水虎に相当する妖怪はいないが、中国の水虎が日本に伝えられた際、日本の著名な水の妖怪である河童と混同され、日本独自の水虎像が作り上げられている。
水虎は河童によく似た妖怪、もしくは河童の一種とされ、河童同様に川、湖、海などの水辺に住んでいるとされる。体は河童よりも大柄かつ獰猛で、人の命を奪う点から、河童よりずっと恐ろしい存在とされる。
長崎県では年に一度、人間を水中に引き込んで生き血を吸い、霊魂を食べて死体にして返す。
青森県では子供ばかりを襲い、水遊びをしている子供を水中に引き込み、命を奪う。津軽地方では、河童と同じ、もしくは河童の上役とされる存在で、オスイコ様、セッコー様などの名前で呼ばれ、水神信仰のひとつであり、水難避けの神様だと信じられている。
琵琶湖付近や九州の筑後川付近では、水虎が夜更けに悪戯で人家の戸を叩いたり、人に憑くこともあるという。
水虎が人間を襲う理由は、水虎が龍宮の眷属であり、自分の名誉を上げるためとされる。また水虎は48匹の河童の親分であり、河童が人間に悪事を働くのも自分の地位を水虎に上げてもらうためとされる。
撃退する方法として、水虎に血を吸われた人間の遺体を葬らずに、畑の中に草庵(草で作った簡易な小屋)を作り、その中に遺体を板に乗せて置いておくという方法がある。このようにすると、この人間の血を吸った水虎は草庵の周囲をぐるぐる回り始め、遺体が腐敗するに従い、水虎の肉体も腐敗するとされる。水虎は身を隠す術を使うため、姿を見せずに声が聞こえるのみだが、水虎の体が腐りきって死に至ると、ようやく姿を現すのだという。
また、水虎を避ける方法として、家に鎌を立てかけておく、麻殻や大角豆を家の外に撒くなどの方法もある。
地方によっては水虎は河童の別名のような感覚で用いられており、水虎を捕獲したという記録が、河童状の絵とともに残されている事例もある。
普段はおとなしいが、悪戯をしかけるような子供には噛みつき返す。この水虎を生け捕りにすることができれば、鼻をつまむことで使い走りにすることができるという。
日本には本来、中国の水虎に相当する妖怪はいないが、中国の水虎が日本に伝えられた際、日本の著名な水の妖怪である河童と混同され、日本独自の水虎像が作り上げられている。
水虎は河童によく似た妖怪、もしくは河童の一種とされ、河童同様に川、湖、海などの水辺に住んでいるとされる。体は河童よりも大柄かつ獰猛で、人の命を奪う点から、河童よりずっと恐ろしい存在とされる。
長崎県では年に一度、人間を水中に引き込んで生き血を吸い、霊魂を食べて死体にして返す。
青森県では子供ばかりを襲い、水遊びをしている子供を水中に引き込み、命を奪う。津軽地方では、河童と同じ、もしくは河童の上役とされる存在で、オスイコ様、セッコー様などの名前で呼ばれ、水神信仰のひとつであり、水難避けの神様だと信じられている。
琵琶湖付近や九州の筑後川付近では、水虎が夜更けに悪戯で人家の戸を叩いたり、人に憑くこともあるという。
水虎が人間を襲う理由は、水虎が龍宮の眷属であり、自分の名誉を上げるためとされる。また水虎は48匹の河童の親分であり、河童が人間に悪事を働くのも自分の地位を水虎に上げてもらうためとされる。
撃退する方法として、水虎に血を吸われた人間の遺体を葬らずに、畑の中に草庵(草で作った簡易な小屋)を作り、その中に遺体を板に乗せて置いておくという方法がある。このようにすると、この人間の血を吸った水虎は草庵の周囲をぐるぐる回り始め、遺体が腐敗するに従い、水虎の肉体も腐敗するとされる。水虎は身を隠す術を使うため、姿を見せずに声が聞こえるのみだが、水虎の体が腐りきって死に至ると、ようやく姿を現すのだという。
また、水虎を避ける方法として、家に鎌を立てかけておく、麻殻や大角豆を家の外に撒くなどの方法もある。
地方によっては水虎は河童の別名のような感覚で用いられており、水虎を捕獲したという記録が、河童状の絵とともに残されている事例もある。
雷獣
雷獣(らいじゅう)とは、落雷とともに現れるといわれる妖怪。東日本を中心とする日本各地に伝説が残されており、江戸時代の随筆や近代の民俗資料にも名が多く見られる。
体長2尺前後(約60センチメートル)の仔犬、またはタヌキに似て、尾が7,8寸(約21から24センチメートル)、鋭い爪を有する動物といわれるが、詳細な姿形や特徴は、文献や伝承によって様々に語られている。
関東地方では稲田に落雷があると、ただちにその区域に青竹を立て注連縄を張ったという。その竹さえあれば、雷獣は再び天に昇ることができるのだという。
体長2尺前後(約60センチメートル)の仔犬、またはタヌキに似て、尾が7,8寸(約21から24センチメートル)、鋭い爪を有する動物といわれるが、詳細な姿形や特徴は、文献や伝承によって様々に語られている。
関東地方では稲田に落雷があると、ただちにその区域に青竹を立て注連縄を張ったという。その竹さえあれば、雷獣は再び天に昇ることができるのだという。
化け蟹
「蟹坊主」ともいわれる。無人の寺に旅の僧が泊まると、何者かが現れて問答を仕掛け、僧がその者を カニの妖怪だと正体を暴いて退治する、といった伝説や昔話として知られる。
とある話によれば、その甲羅は畳2畳ほどだった、と記されている。
とある話によれば、その甲羅は畳2畳ほどだった、と記されている。
一反木綿
鹿児島の妖怪。
約一反(長さ約10m60cm、幅約30cm)ほどの布がひらひらと飛び、夜間に人を襲うという。
約一反(長さ約10m60cm、幅約30cm)ほどの布がひらひらと飛び、夜間に人を襲うという。
提灯火
舞首
舞首、舞い首(まいくび)は、神奈川県真鶴町に伝わる怨霊。江戸時代の奇談集『絵本百物語』で語られている。
鎌倉時代中期の寛元年間。小三太、又重、悪五郎という3人の武士がいた。伊豆の真鶴の祭の日、酒の勢いで3人が口論となり、やがて刀の斬り合いとなった。
怪力を誇る五郎が小三太を斬り捨て、さらに又重を斬ろうとするが、又重は山中へ逃げ去った。五郎は小三太の首を切った後に又重を追いかけた。又重は斬り合いに応じたところ、五郎がつまづいて転んだので、隙をついて五郎を斬りつけた。
五郎は斬られてなお起き上がって又重に立ち向かった。2人は組み合っている内に足場を踏み外し、海に転げ落ちた。水中で2人は互いの首に刀を当てて、2つの首が切り落とされた。
首だけになっても2人は水中で争い続け、又重の首が五郎の首に噛み付こうとしたとき、そこへ斬り落とされた小三太の首が躍り出て五郎の首に噛み付いた。
こうしてこの海では3人の首が食い争い、夜には火炎を吹き、昼には海上に巴模様の波を起こしたので、巴が淵と名づけられたという。
鎌倉時代中期の寛元年間。小三太、又重、悪五郎という3人の武士がいた。伊豆の真鶴の祭の日、酒の勢いで3人が口論となり、やがて刀の斬り合いとなった。
怪力を誇る五郎が小三太を斬り捨て、さらに又重を斬ろうとするが、又重は山中へ逃げ去った。五郎は小三太の首を切った後に又重を追いかけた。又重は斬り合いに応じたところ、五郎がつまづいて転んだので、隙をついて五郎を斬りつけた。
五郎は斬られてなお起き上がって又重に立ち向かった。2人は組み合っている内に足場を踏み外し、海に転げ落ちた。水中で2人は互いの首に刀を当てて、2つの首が切り落とされた。
首だけになっても2人は水中で争い続け、又重の首が五郎の首に噛み付こうとしたとき、そこへ斬り落とされた小三太の首が躍り出て五郎の首に噛み付いた。
こうしてこの海では3人の首が食い争い、夜には火炎を吹き、昼には海上に巴模様の波を起こしたので、巴が淵と名づけられたという。
不知火
不知火(しらぬい)は、九州に伝わる怪火の一種。旧暦7月の晦日の風の弱い新月の夜などに、八代海や有明海に現れるという。
海岸から数キロメートルの沖に、始めは一つか二つ、「親火(おやび)」と呼ばれる火が出現する。それが左右に分かれて数を増やしていき、最終的には数百から数千もの火が横並びに並ぶ。その距離は4〜8キロメートルにも及ぶという。
また引潮が最大となる午前3時から前後2時間ほどが最も不知火の見える時間帯とされる。
水面近くからは見えず、海面から10メートルほどの高さの場所から確認できるという。また不知火に決して近づくことはできず、近づくと火が遠ざかって行く。
かつては龍神の灯火といわれ、付近の漁村では不知火の見える日に漁に出ることを禁じていた。
海岸から数キロメートルの沖に、始めは一つか二つ、「親火(おやび)」と呼ばれる火が出現する。それが左右に分かれて数を増やしていき、最終的には数百から数千もの火が横並びに並ぶ。その距離は4〜8キロメートルにも及ぶという。
また引潮が最大となる午前3時から前後2時間ほどが最も不知火の見える時間帯とされる。
水面近くからは見えず、海面から10メートルほどの高さの場所から確認できるという。また不知火に決して近づくことはできず、近づくと火が遠ざかって行く。
かつては龍神の灯火といわれ、付近の漁村では不知火の見える日に漁に出ることを禁じていた。
大主鯰
岩魚坊主
岩魚坊主(いわなぼうず)は、大きな岩魚が化けた日本の妖怪。
釣り人が川で釣りをしている最中に、一人の坊主が現れて長話に興じる。この近くは寺の土地なので釣りはあまりしないようにと釣り人に注意をするが、釣り人は持っていたご飯を振るまったので、気をよくして坊主は帰って行った。
その後、とても大きな岩魚がかかり、持って帰って捌いてみると、腹から坊主に振る舞ったご飯がでてきた。
釣り人が川で釣りをしている最中に、一人の坊主が現れて長話に興じる。この近くは寺の土地なので釣りはあまりしないようにと釣り人に注意をするが、釣り人は持っていたご飯を振るまったので、気をよくして坊主は帰って行った。
その後、とても大きな岩魚がかかり、持って帰って捌いてみると、腹から坊主に振る舞ったご飯がでてきた。
餓鬼
仏教でいう六道のひとつ、餓鬼道に堕ちた亡者のこと。
常に飢えており、典型的な栄養失調の体格をしている。
餓鬼に憑かれると、突然に猛烈な空腹感を覚え、一歩も進むことができなくなる。口に、何か食べ物を入れると開放される。
常に飢えており、典型的な栄養失調の体格をしている。
餓鬼に憑かれると、突然に猛烈な空腹感を覚え、一歩も進むことができなくなる。口に、何か食べ物を入れると開放される。
赤鬼
青鬼
百々目鬼
腕にたくさんの目がある、女の妖怪。
人の銭を盗み続けた女の腕に、数多の銭の精が憑いて生まれた妖怪。
人の銭を盗み続けた女の腕に、数多の銭の精が憑いて生まれた妖怪。
猩猩
土蜘蛛
絡新婦
野衾
野衾(のぶすま)は、江戸(現 東京都)に伝わる妖怪。ムササビのような姿をしていると言われ、実在のムササビやモモンガの異称として野衾の名が用いられることもある。
木の実を食べるほか、火を食べる、人や動物の生き血を吸うともいう。江戸時代の奇談集『梅翁随筆』には、江戸でネコを襲ったり血を吸ったりする獣がおり、その獣を殺したところ、イタチのような姿で左右に羽のようで羽でないものを備えており、
ある人が「深山に住む野ぶすまとはこれだ」と教えたとある。空を飛んで来て、人の目や口を覆うともいい、江戸時代の古書『狂歌百物語』には「飛倉」の名で、人の顔を覆う姿が描かれている。
享保時代の随筆『本朝世事談綺』には、野衾が夜に人の持つ松明を剪(き)って消し、その火を吹くので妖怪として恐れられたとの記述がある。
木の実を食べるほか、火を食べる、人や動物の生き血を吸うともいう。江戸時代の奇談集『梅翁随筆』には、江戸でネコを襲ったり血を吸ったりする獣がおり、その獣を殺したところ、イタチのような姿で左右に羽のようで羽でないものを備えており、
ある人が「深山に住む野ぶすまとはこれだ」と教えたとある。空を飛んで来て、人の目や口を覆うともいい、江戸時代の古書『狂歌百物語』には「飛倉」の名で、人の顔を覆う姿が描かれている。
享保時代の随筆『本朝世事談綺』には、野衾が夜に人の持つ松明を剪(き)って消し、その火を吹くので妖怪として恐れられたとの記述がある。
油返し
摂津国昆陽(現・兵庫県伊丹市)に伝わる中山寺から油を盗んだ者の魂とされる怪火。初夏の夜や冬の夜、昆陽池のそばにある墓から現れ、池や堤を通り、天神川から中山へ登って行くという。
狐の嫁入りという説や、墓にいるオオカミが灯す火との説もある。
狐の嫁入りという説や、墓にいるオオカミが灯す火との説もある。
しょうけら
赤入道
火車
山おろし
大蟹
すねこすり
すねこすりは、岡山県に伝わる妖怪の一種。人間の歩きを邪魔するとされる。
犬の姿をしており、雨の降る夜に現れ、夜中道を歩いている人の股間(足の間)をこするとされる。こすられた人間は歩きにくくなってしまうが、それ以外に特に危害を受けることはない。
犬の姿をしており、雨の降る夜に現れ、夜中道を歩いている人の股間(足の間)をこするとされる。こすられた人間は歩きにくくなってしまうが、それ以外に特に危害を受けることはない。
鵺
煙々羅
オンボノヤス
オンボノヤスまたはオボノヤスは、福島県田村地方の山の中に出没するといわれる正体不明の妖怪。
山の中に入った人間に出会うと、霧を吐き出して吹きかけると言われている。霧をかけられた者は道がわからなくなってしまい、遭難する危険性が高くなるともいわれる。
福島県田村地方にはオンボノヤスと同じく霧を使う妖怪がほかにもおり、鬼穴に住んでいたという「大多鬼丸」は、妖術によって霧や雲を自由に操ったという。
山の中に入った人間に出会うと、霧を吐き出して吹きかけると言われている。霧をかけられた者は道がわからなくなってしまい、遭難する危険性が高くなるともいわれる。
福島県田村地方にはオンボノヤスと同じく霧を使う妖怪がほかにもおり、鬼穴に住んでいたという「大多鬼丸」は、妖術によって霧や雲を自由に操ったという。
管狐
小鬼
めくらべ
目競(めくらべ)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。『平家物語』の『物怪之沙汰』において、武将・平清盛が遭遇したという妖怪を描いたもの。
福原(現・神戸市兵庫区)の都でのある朝のこと。清盛が帳台から出て中庭を見ると、そこには死人の髑髏が無数に転がっていた。しかもそれらの髑髏は右に左に、上に下にとしきりに動き回っていた。
あまりの光景に、清盛は大声で人を呼んだが、誰も来ることはなかった。その内に無数の髑髏が一つに合体し、14〜15丈(約42〜45メートル)もの巨大な髑髏となり、生きているかのように無数の目で清盛を睨みつけた。
清盛は意を決し、髑髏の目を思い切り睨み返した。するとやがて、大髑髏は日の光に溶けるかのように、跡形もなく消え去ってしまったという。
「目競」の名は原典『平家物語』にはなく、鳥山石燕が自著において命名したものである。
福原(現・神戸市兵庫区)の都でのある朝のこと。清盛が帳台から出て中庭を見ると、そこには死人の髑髏が無数に転がっていた。しかもそれらの髑髏は右に左に、上に下にとしきりに動き回っていた。
あまりの光景に、清盛は大声で人を呼んだが、誰も来ることはなかった。その内に無数の髑髏が一つに合体し、14〜15丈(約42〜45メートル)もの巨大な髑髏となり、生きているかのように無数の目で清盛を睨みつけた。
清盛は意を決し、髑髏の目を思い切り睨み返した。するとやがて、大髑髏は日の光に溶けるかのように、跡形もなく消え去ってしまったという。
「目競」の名は原典『平家物語』にはなく、鳥山石燕が自著において命名したものである。
沓頬
骨女
骨女(ほねおんな)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』にある日本の妖怪。その名の通り、骸骨の姿をした女性の妖怪として描かれている。
秋田県の伝承では、ある男が深夜に猛吹雪に遭い、灯りもなくて闇夜の中で遭難しかけたところへ、1人の女が現れて家まで案内してくれたが、家に着いてから礼を述べようと戸口に立つ女を見ると、その顔は骸骨だったという。
秋田県の伝承では、ある男が深夜に猛吹雪に遭い、灯りもなくて闇夜の中で遭難しかけたところへ、1人の女が現れて家まで案内してくれたが、家に着いてから礼を述べようと戸口に立つ女を見ると、その顔は骸骨だったという。
がしゃどくろ
古籠火
矛担
悪路王
三足烏
不落不落
長冠
灰坊主
灰坊主(あくぼうず)は、秋田県や岩手県に伝わる正体不明の妖怪。
秋田県仙北郡や雄勝郡では囲炉裏の灰の中に住んでいるとされ、灰をいじると現れるという。そのことから、古来より囲炉裏の灰をいじっていると「灰坊主が出る」と言って戒められた。
名称の「坊主」は僧を意味する坊主ではなく、怪物を意味している。
秋田県仙北郡や雄勝郡では囲炉裏の灰の中に住んでいるとされ、灰をいじると現れるという。そのことから、古来より囲炉裏の灰をいじっていると「灰坊主が出る」と言って戒められた。
名称の「坊主」は僧を意味する坊主ではなく、怪物を意味している。
山爺
山爺(やまじい)は主に高知県をはじめとする四国に伝わる一つ目一本足の爺の姿をした妖怪。
身長が3〜4尺(約90〜120センチメートル)、全身に鼠色の短毛が生えており、目は二つ目だが、片方が大きく片方が非常に小さいため、一つ目に見えるとある。一つ目の伝承は、この一つ目に見える二つ目が誤解されて伝わったものともいう。
イノシシやサルなどの骨を、まるでダイコンのようにたやすく噛み砕くほどの頑丈な歯を持っているので、猟師たちはこの山爺を餌で手なずけ、オオカミを追い払うのに使っていたという。
人間の往来する道に現れることもあるものの、人に見られることはなく、6,7尺おきに一足ずつ、杵で押したように丸い4寸ほどの大きさの足跡を残すという。
特筆すべきはとてつもなく声が大きいことで、その叫び声は山中に響き渡り、天地を震えさせ、木の葉を落とし、付近の木や岩を動かすほどという。この大声で鼓膜を破られて死んだ者もいるといわれる。
山爺はしばしば人間に大声比べを挑み、猟師が自分の声とみせかけて銃声を鳴らして負かすといった昔話が四国各地に見られる。しかし銃声で騙されたことに気づいた山爺は、クモに化けて相手の家に忍び込み、寝込みを襲って怨みを晴らすともいう。
また猟師は大声比べに備え、大晦日の晩に伊勢八幡大菩薩と祈りながら作った銃弾に「伊勢八幡大菩薩」の名を刻み込み、常に携帯していた。この銃弾は、かつての猟師は必ず一つは携帯していたといわれるもので、狙わなくても命中するが、
携帯していると一度は必ず妖怪に出遭ってしまうという不思議なもので、山爺に対してこの銃弾を撃つと言ってと脅すと、山爺は恐れおののいて逃げ去ったという。
また、人の心を読むという話もある。徳島の古書『阿州奇事雑話』などによれば、夜の山小屋に木こりがいたところに山父が現れ、木こりが恐れたり、いっそ殺してしまおうかと考えると、山父がその考えを読んで次々に言い当てたが、
焚き火の木が山父に弾け飛んだところ、山父は自分が読み取れなかった出来事が起きたことに驚いて逃げ出したという。
性格は、同じ山の妖怪で人を襲うとされる山姥などに比べると比較的おとなしく、人に騙されることもあるというが、子供や家畜をさらうという伝承もある。
身長が3〜4尺(約90〜120センチメートル)、全身に鼠色の短毛が生えており、目は二つ目だが、片方が大きく片方が非常に小さいため、一つ目に見えるとある。一つ目の伝承は、この一つ目に見える二つ目が誤解されて伝わったものともいう。
イノシシやサルなどの骨を、まるでダイコンのようにたやすく噛み砕くほどの頑丈な歯を持っているので、猟師たちはこの山爺を餌で手なずけ、オオカミを追い払うのに使っていたという。
人間の往来する道に現れることもあるものの、人に見られることはなく、6,7尺おきに一足ずつ、杵で押したように丸い4寸ほどの大きさの足跡を残すという。
特筆すべきはとてつもなく声が大きいことで、その叫び声は山中に響き渡り、天地を震えさせ、木の葉を落とし、付近の木や岩を動かすほどという。この大声で鼓膜を破られて死んだ者もいるといわれる。
山爺はしばしば人間に大声比べを挑み、猟師が自分の声とみせかけて銃声を鳴らして負かすといった昔話が四国各地に見られる。しかし銃声で騙されたことに気づいた山爺は、クモに化けて相手の家に忍び込み、寝込みを襲って怨みを晴らすともいう。
また猟師は大声比べに備え、大晦日の晩に伊勢八幡大菩薩と祈りながら作った銃弾に「伊勢八幡大菩薩」の名を刻み込み、常に携帯していた。この銃弾は、かつての猟師は必ず一つは携帯していたといわれるもので、狙わなくても命中するが、
携帯していると一度は必ず妖怪に出遭ってしまうという不思議なもので、山爺に対してこの銃弾を撃つと言ってと脅すと、山爺は恐れおののいて逃げ去ったという。
また、人の心を読むという話もある。徳島の古書『阿州奇事雑話』などによれば、夜の山小屋に木こりがいたところに山父が現れ、木こりが恐れたり、いっそ殺してしまおうかと考えると、山父がその考えを読んで次々に言い当てたが、
焚き火の木が山父に弾け飛んだところ、山父は自分が読み取れなかった出来事が起きたことに驚いて逃げ出したという。
性格は、同じ山の妖怪で人を襲うとされる山姥などに比べると比較的おとなしく、人に騙されることもあるというが、子供や家畜をさらうという伝承もある。
阿弖流為
※ネタバレにつき反転
手の目
大首
大首(おおくび)は、日本の妖怪の一つで、空中などに巨大な生首が現れるというもの。
江戸中期の妖怪物語『稲生物怪録』を描いた絵巻『稲亭物怪録』)では、物置の戸を開くと巨大な老婆の顔が出現したという怪異が、「大首の怪」の題で述べられている。
同物語の主人公・稲生平太郎が顔を火箸で突いたところ、少しも動じることはなく、ねばねばとした感触だったとある
江戸中期の妖怪物語『稲生物怪録』を描いた絵巻『稲亭物怪録』)では、物置の戸を開くと巨大な老婆の顔が出現したという怪異が、「大首の怪」の題で述べられている。
同物語の主人公・稲生平太郎が顔を火箸で突いたところ、少しも動じることはなく、ねばねばとした感触だったとある
朱の盆
狸囃子
赤舌
雨降小僧
山彦
山彦(やまびこ)は、日本の山の神・精霊・妖怪である。
また、山や谷の斜面に向かって音を発したとき、それが反響して遅れて返って来る現象を、山彦が応えた声、あるいは山彦が引き起こした現象と考え「山彦」と呼ぶ。
また、樹木の霊「木霊(木魂)」が応えた声と考え「木霊(こだま)」とも呼ぶ。
また、山や谷の斜面に向かって音を発したとき、それが反響して遅れて返って来る現象を、山彦が応えた声、あるいは山彦が引き起こした現象と考え「山彦」と呼ぶ。
また、樹木の霊「木霊(木魂)」が応えた声と考え「木霊(こだま)」とも呼ぶ。
雪入道
暮露暮露団
布団の妖怪。
古くなってボロボロになりながらも、様々な理由で残された布団が暮露暮露団となるという。
古くなってボロボロになりながらも、様々な理由で残された布団が暮露暮露団となるという。
枕返し
夜中に枕元にやってきて、枕をひっくり返す、または、頭と足の向きを変えるとされている。具体的な話は江戸時代・近代以後に多く見られ、その姿は子供、坊主であるともいわれるが、明確な外見は伝わっていない。
妖怪と見なされるほか、その部屋で死んだ人間の霊が枕返しになるとも考えられていた。宿泊した大金を持った旅人(座頭、六部、薬売りなど、話される土地によって職業などは異なるがいずれも各地を移動する旅行者)をその家の者がだまして殺害し、
金を奪ったところ、その旅人の霊が夜な夜な泊まった人の枕を動かしたという話などがある。
妖怪と見なされるほか、その部屋で死んだ人間の霊が枕返しになるとも考えられていた。宿泊した大金を持った旅人(座頭、六部、薬売りなど、話される土地によって職業などは異なるがいずれも各地を移動する旅行者)をその家の者がだまして殺害し、
金を奪ったところ、その旅人の霊が夜な夜な泊まった人の枕を動かしたという話などがある。
木魚達磨
毛娼妓
影女
払子守
払子守(ほっすもり)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪。
仏具のひとつである払子(ほっす)の妖怪が天蓋の下で坐禅を組んだ姿で描かれている。
仏具のひとつである払子(ほっす)の妖怪が天蓋の下で坐禅を組んだ姿で描かれている。
両面宿儺
後眼
道塞ぎ
虎隠良
槍毛長
禅釜尚
つるべ落とし
釣瓶落とし(つるべおとし)または釣瓶下ろし(つるべおろし)とは、京都府、滋賀県、岐阜県、愛知県、和歌山県などに
伝わる妖怪。木の上から落ちて来て、人間を襲う、人間を 食べるなどといわれる。
(注:珈琲たいむの「つるべ落とし」さんは、人を襲ったりしない優しいあやかしです。)
伝わる妖怪。木の上から落ちて来て、人間を襲う、人間を 食べるなどといわれる。
(注:珈琲たいむの「つるべ落とし」さんは、人を襲ったりしない優しいあやかしです。)
お歯黒べったり
夕闇せまる町外れの、人気の無い神社や寺に現れる。 美しい着物を着て、顔を隠し、 通る人が声をかけるとのっぺらぼうの顔でお歯黒をベッタリ塗った顔でニタニタ笑う。
覚
おとら狐
おとら狐(おとらぎつね)とは、愛知県に伝わる狐の妖怪。
おとら狐は人間に取り憑き、様々な悪戯する妖怪で、取り憑かれた人間は常時では考えられない言動を行う。「おとら狐」の語源はおとらという娘に狐が取り憑いたことから。
取り憑かれた者は左眼から眼脂を流し、左足が病むという。これは、かつて長篠の戦いにおいて鉄砲の流れ弾を受けた為と言い伝えられている。
憑かれる者の多くは病人であり、憑かれると長篠の合戦のことや身の上話をよく語るようになるともいう。
おとら狐は人間に取り憑き、様々な悪戯する妖怪で、取り憑かれた人間は常時では考えられない言動を行う。「おとら狐」の語源はおとらという娘に狐が取り憑いたことから。
取り憑かれた者は左眼から眼脂を流し、左足が病むという。これは、かつて長篠の戦いにおいて鉄砲の流れ弾を受けた為と言い伝えられている。
憑かれる者の多くは病人であり、憑かれると長篠の合戦のことや身の上話をよく語るようになるともいう。
一つ目小僧
ヤロカ水
ヤロカ水(やろかみず)とは、江戸時代、尾張国、美濃国に出現した妖怪。
愛知県、岐阜県の木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域一帯、特に木曽川流域で伝承される。
激しい雨の夜、川が増水するとやがて、「ヤロカヤロカ」(欲しいか欲しいか)という声が川の上流から聞こえてくる。この声に答えて「ヨコサバヨコセ」(貰えるのなら頂戴)と叫ぶと、瞬く間に川の水が増し、
その答えた村人のいる村は一瞬のうちに水に飲み込まれるという。また、川面に赤い目や口が見えることもあるという。
このヤロカ水に該当する洪水は、実際に発生している。江戸時代の1650年(慶安3年)9月に、尾張国、美濃国で発生した大洪水である。この時、堤防は殆どが決壊し、木曽三川流域は海のようになったという。
記録によれば、大垣藩及びその周辺での死者は、3,000人以上だと伝えられている。この洪水で、木曽川沿いの尾張国丹羽郡上般若村が完全に流出し、村民は全滅に近い被害を出したと伝えられている。
ヤロカ水で「ヨコサバヨコセ」と叫んだ村民は、この村の村民と伝えられている。
愛知県、岐阜県の木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域一帯、特に木曽川流域で伝承される。
激しい雨の夜、川が増水するとやがて、「ヤロカヤロカ」(欲しいか欲しいか)という声が川の上流から聞こえてくる。この声に答えて「ヨコサバヨコセ」(貰えるのなら頂戴)と叫ぶと、瞬く間に川の水が増し、
その答えた村人のいる村は一瞬のうちに水に飲み込まれるという。また、川面に赤い目や口が見えることもあるという。
このヤロカ水に該当する洪水は、実際に発生している。江戸時代の1650年(慶安3年)9月に、尾張国、美濃国で発生した大洪水である。この時、堤防は殆どが決壊し、木曽三川流域は海のようになったという。
記録によれば、大垣藩及びその周辺での死者は、3,000人以上だと伝えられている。この洪水で、木曽川沿いの尾張国丹羽郡上般若村が完全に流出し、村民は全滅に近い被害を出したと伝えられている。
ヤロカ水で「ヨコサバヨコセ」と叫んだ村民は、この村の村民と伝えられている。
磯撫で
龍燈
龍燈(りゅうとう)は、日本各地に伝わる怪火。主に海中より出現するもので、海上に浮かんだ後に、いくつもの火が連なったり、海岸の木などに留まるとされる。
主に龍神の住処といわれる海や河川の淵から現れる怪火であり、龍神の灯す火の意味で龍燈と呼ばれ、神聖視されている。
主に龍神の住処といわれる海や河川の淵から現れる怪火であり、龍神の灯す火の意味で龍燈と呼ばれ、神聖視されている。
海座頭
天狗火
青行灯
青行燈(あおあんどん)は、百物語の会に現れるとされる妖怪。
百話目になろうとするとき、または百話目が終わったときに現れるとされる。百物語をするときには、雰囲気を出すために行燈に青い紙を貼っていたとも言われている。
鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』には、黒い長い髪と角を持ち、歯を黒く塗った白い着物を着た鬼女の姿で描かれている。
百物語を語った人々は怪異を恐れて怪談を99個目でやめたと伝えられていることから、青行燈が現れたという具体的な記録はほとんど残されていない。
百話目になろうとするとき、または百話目が終わったときに現れるとされる。百物語をするときには、雰囲気を出すために行燈に青い紙を貼っていたとも言われている。
鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』には、黒い長い髪と角を持ち、歯を黒く塗った白い着物を着た鬼女の姿で描かれている。
百物語を語った人々は怪異を恐れて怪談を99個目でやめたと伝えられていることから、青行燈が現れたという具体的な記録はほとんど残されていない。
青女房
馬憑き
頽馬
栄螺鬼
髪切り
旧鼠
一目連
一目連(いちもくれん、ひとつめのむらじ)は多度大社(三重県桑名市多度町多度)別宮の一目連神社の祭神の天目一箇神と同一視されるが、本来は片目が潰れてしまった龍神であり、習合し同一視されるようになったという。
一目連は天候(風)を司る神とされ、江戸時代には伊勢湾での海難防止の祈願と雨乞いが盛んに行なわれた。
『和漢三才図会』の「颶(うみのおほかせ)」に「按勢州尾州濃州驒州有不時暴風至俗稱之一目連以爲神風其吹也抜樹仆巖壞屋爲不破裂者惟一路而不傷也處焉勢州桑名郡多度山有一目連」との記述があるが、
伊勢・尾張・美濃・飛騨では一目連が神社を出て暴れると暴風が起きるとの伝承によるものと考えられている。一目連神社の社殿には扉がないが、一目連が神威を発揮するために自由に出入りできるようにとの配慮であるという。
鍛冶の神であり、『古事記』の岩戸隠れの段で鍛冶をしていると見られる天津麻羅と同神とも考えられる。
神名の「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)の意味であり、鍛冶が鉄の色でその温度をみるのに片目をつぶっていたことから、または片目を失明する鍛冶の職業病があったことからとされている。
これは、天津麻羅の「マラ」が、片目を意味する「目占(めうら)」に由来することと共通している。
多度大社(一目連神社)などに祀られている。
一目連は天候(風)を司る神とされ、江戸時代には伊勢湾での海難防止の祈願と雨乞いが盛んに行なわれた。
『和漢三才図会』の「颶(うみのおほかせ)」に「按勢州尾州濃州驒州有不時暴風至俗稱之一目連以爲神風其吹也抜樹仆巖壞屋爲不破裂者惟一路而不傷也處焉勢州桑名郡多度山有一目連」との記述があるが、
伊勢・尾張・美濃・飛騨では一目連が神社を出て暴れると暴風が起きるとの伝承によるものと考えられている。一目連神社の社殿には扉がないが、一目連が神威を発揮するために自由に出入りできるようにとの配慮であるという。
- 天目一箇神
鍛冶の神であり、『古事記』の岩戸隠れの段で鍛冶をしていると見られる天津麻羅と同神とも考えられる。
神名の「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)の意味であり、鍛冶が鉄の色でその温度をみるのに片目をつぶっていたことから、または片目を失明する鍛冶の職業病があったことからとされている。
これは、天津麻羅の「マラ」が、片目を意味する「目占(めうら)」に由来することと共通している。
多度大社(一目連神社)などに祀られている。
送り雀
狐者異
狐者異(こわい)は、江戸時代の奇談集「絵本百物語」にあらわれる妖怪である。生前に他人の食べ物まで食べてしまうような者が、死後にその執着心を引きずっているためにこの妖怪になるという。
死んだ身でもなお、店を襲って食べ物を奪い、ゴミ箱の生ゴミをあさり、死肉すら口にするという。
死んだ身でもなお、店を襲って食べ物を奪い、ゴミ箱の生ゴミをあさり、死肉すら口にするという。
じゃんじゃん火
じゃんじゃん火(じゃんじゃんび)は、奈良県各地に伝わる怪火。鬼火の一種とされる。
「じゃんじゃん」と音を立てることが名の由来。心中者や武将などの死者の霊が火の玉に姿を変えたものとする伝承が多い。
天理市藤井町に伝わる伝承では城の跡から出現し、西へと飛んで行く火の玉を指す。これに遭遇した者は、橋の下などに隠れてやり過ごさなければならない。残念火(ざんねんび)とも呼ばれる。
「じゃんじゃん」と音を立てることが名の由来。心中者や武将などの死者の霊が火の玉に姿を変えたものとする伝承が多い。
天理市藤井町に伝わる伝承では城の跡から出現し、西へと飛んで行く火の玉を指す。これに遭遇した者は、橋の下などに隠れてやり過ごさなければならない。残念火(ざんねんび)とも呼ばれる。
野槌
蚣蝮
蚣蝮(こうふく、はか、ばしゃ)は竜星九子の一つ。覇下とも書かれる。
水を好み、柱や雨樋、橋や、水路の出口の意匠として彫られる。中国の故宮などの建物の欄干からたくさん頭を突き出した龍に似た動物がこれである。
水を好み、柱や雨樋、橋や、水路の出口の意匠として彫られる。中国の故宮などの建物の欄干からたくさん頭を突き出した龍に似た動物がこれである。
八握脛
入内雀
小袖の手
七歩蛇
算盤坊主
前鬼
後鬼
橋姫
野鉄砲
柳女
柳女(やなぎおんな)は、江戸時代の奇談集『絵本百物語』にあるヤナギの怪異。
解説文によれば風の激しい日に、子供を抱いた女がヤナギの木の下を通ったところ、女の首にヤナギの枝が巻きついて死んでしまい、その女の一念がヤナギの木に留まり、夜な夜な現れ「口おしや、恨めしの柳や」と泣くという。
解説文によれば風の激しい日に、子供を抱いた女がヤナギの木の下を通ったところ、女の首にヤナギの枝が巻きついて死んでしまい、その女の一念がヤナギの木に留まり、夜な夜な現れ「口おしや、恨めしの柳や」と泣くという。
龍馬
熊笹王
- 猪笹王
背中に熊笹の生えた大イノシシが狩人に撃ち倒された後に亡霊となったもので、一本足の鬼の姿で峰を旅する人々を襲っていたが、丹誠上人という高僧によって封印され、凶行はおさまった。
しかし封印の条件として年に一度、12月20日だけは猪笹王を解放することを条件としたため、この日は峰の厄日とされたという。
野守虫
黒坊主
一本だたら
一本だたらは熊野(和歌山県)の山中などに棲む、一つ目で一本足の姿の妖怪とされるが、地方によって伝承内容には違いが見られる。
和歌山と奈良県の境の果無山脈では、皿のような目を持つ一本足の妖怪で、12月20日のみ現れるといい、この日は「果ての二十日」と呼ばれて厄日とされた。果無の名の由来は「果ての二十日」に人通りが無くなるからだともいう。
名称の「一本だたら」の「だたら」はタタラ師(鍛冶師)に通じるが、これは鍛冶師が重労働で片目と片脚が萎えること、一本だたらの出没場所が鉱山跡に近いことに関連するとの説がある。
一つ目の鍛冶神、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の零落した姿であるとも考えられている。
和歌山と奈良県の境の果無山脈では、皿のような目を持つ一本足の妖怪で、12月20日のみ現れるといい、この日は「果ての二十日」と呼ばれて厄日とされた。果無の名の由来は「果ての二十日」に人通りが無くなるからだともいう。
名称の「一本だたら」の「だたら」はタタラ師(鍛冶師)に通じるが、これは鍛冶師が重労働で片目と片脚が萎えること、一本だたらの出没場所が鉱山跡に近いことに関連するとの説がある。
一つ目の鍛冶神、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の零落した姿であるとも考えられている。
網切
陰摩羅鬼
化け古下駄
子猿神
垢嘗
垢嘗(あかなめ)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『画図百鬼夜行』などにある日本の妖怪。風呂桶や風呂にたまった垢を嘗め喰うとされる。
海女
山姥
赤殿中
赤殿中(あかでんちゅう)は化け狸の一種。
夜中、タヌキが赤いでんちゅう(袖のない半纏)を着た子どもに化けて背負うことをしつこくねだる。仕方なく背負うといかにも嬉しそうな様子で、その人の肩を叩くという。
夜中、タヌキが赤いでんちゅう(袖のない半纏)を着た子どもに化けて背負うことをしつこくねだる。仕方なく背負うといかにも嬉しそうな様子で、その人の肩を叩くという。
さがり
さがりは、岡山県邑久郡に伝わる妖怪。
馬の首だけの姿をしており、路傍の古いエノキの木からぶら下がった状態で現れる。鳴き声をあげたりして、暗い夜道を歩いている人などを脅かすともいう。
正体は、道中で病死した馬の霊が木に宿ったものとの説がある。
馬の首だけの姿をしており、路傍の古いエノキの木からぶら下がった状態で現れる。鳴き声をあげたりして、暗い夜道を歩いている人などを脅かすともいう。
正体は、道中で病死した馬の霊が木に宿ったものとの説がある。
首切れ馬
首切れ馬(くびきれうま)は、日本各地に伝わる馬の妖怪。首無し馬(くびなしうま)ともいう。
その名の通り首(頭部)のない馬。路上に出没し、馬の上には神が乗っているともいう。徳島では人に襲いかかって噛みついたともいわれている。徳島の祖谷山の首切れ馬は大晦日や節分に、四辻に姿を現したという。
首無しというのは幽霊によく見られる怪異であり、この首切れ馬についても、かつて死んだ馬や殺された馬が首のない幽霊となって現れるといった伝承がよく見られる。
その名の通り首(頭部)のない馬。路上に出没し、馬の上には神が乗っているともいう。徳島では人に襲いかかって噛みついたともいわれている。徳島の祖谷山の首切れ馬は大晦日や節分に、四辻に姿を現したという。
首無しというのは幽霊によく見られる怪異であり、この首切れ馬についても、かつて死んだ馬や殺された馬が首のない幽霊となって現れるといった伝承がよく見られる。
夜行
- 夜行さん
遭遇してしまった人は投げ飛ばされたり、馬の足で蹴り飛ばされたりしてしまう。そのためかつては、人々は前述の出現日の夜の外出を控えるよう戒められていた。
運悪く遭遇してしまった場合は、草履を頭に載せて地面に伏せていると、夜行さんは通り過ぎて行くので、この難から逃れることができるという。
前述のように、一般には夜行さんは首切れ馬に乗っているものといわれるが、夜行さんと首切れ馬は必ずしも対になっているわけではなく、むしろ首切れ馬単独での伝承のほうが多い。
特に吉野川下流から香川県東部の地域においては、首切れ馬に乗ったこの鬼ではなく、首切れ馬そのもののことを夜行さんと呼び、節分の夜に現れるといわれる。
また徳島県では大晦日、節分の夜、庚申の夜、夜行日などは魑魅魍魎が活動する日とされ、夜歩きを戒める日とされた。元来、夜行日とは祭礼の際に御神体をよそへ移すことをいい、神事に関わらない人は家にこもり物忌みをした。
その戒めを破り神事を汚したものへの祟りを妖怪・夜行と呼ぶようになったとの説もある。
魑魅
魑魅(ちみ)とは、山林の異気(瘴気)から生ずるという怪物のことと言われている。顔は人間、体は獣の姿をしていて、人を迷わせる。
平安時代中期の辞書「和名類聚抄」ではスダマという和名の鬼の一種とされ、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』では山の神とされる。
平安時代中期の辞書「和名類聚抄」ではスダマという和名の鬼の一種とされ、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』では山の神とされる。
赤しゃぐま
赤シャグマ(あかシャグマ)は、四国に伝わる妖怪。人家に住み着く赤い髪の子供のような妖怪で、座敷童子の仲間とする説もあり、座敷童子と同様、これが住み着いた家は栄え、いなくなると家が没落するともいう。
讃岐国(香川県)に伝わる伝承では、赤シャグマは夜中に人の足をくすぐるといわれる。また香川の赤シャグマ独自の特徴としては、家の中のみならず野外でも赤シャグマが現れるとする説があり、山中で大声を張り上げながら空を飛ぶともいう。
讃岐国(香川県)に伝わる伝承では、赤シャグマは夜中に人の足をくすぐるといわれる。また香川の赤シャグマ独自の特徴としては、家の中のみならず野外でも赤シャグマが現れるとする説があり、山中で大声を張り上げながら空を飛ぶともいう。
茶袋
茶袋(ちゃぶくろ)は、高知県幡多郡奥内村(現・大月町)に伝わる妖怪。
その名の通り茶袋(茶を煎じるための布袋)のような姿をしており、薄気味悪い道などに、空中からぶら下がった状態で出現する。これに遭遇すると様々な病気を患ってしまうともいわれた。
その名の通り茶袋(茶を煎じるための布袋)のような姿をしており、薄気味悪い道などに、空中からぶら下がった状態で出現する。これに遭遇すると様々な病気を患ってしまうともいわれた。
七人同行
七人同行(しちにんどうぎょう)は、香川県に伝わる集団亡霊。
人間と同様の姿の7人組の亡霊で、常に一列に並んで歩いている。非業の死を遂げた者たちの霊ともいい、人間がこの七人同行に行き遭うと死んでしまう、投げつけられるなどといわれる。
通常は姿が見えることがないが、牛の股間から覗くと見えるという。ある人が牛を連れて歩いていたところ、四辻で急に牛が立ち止まったので、股間から覗いたところ七人同行がおり、難を逃れることができたという伝承もある。
また、耳を動かすことができる人にも見えるともいう。
人間と同様の姿の7人組の亡霊で、常に一列に並んで歩いている。非業の死を遂げた者たちの霊ともいい、人間がこの七人同行に行き遭うと死んでしまう、投げつけられるなどといわれる。
通常は姿が見えることがないが、牛の股間から覗くと見えるという。ある人が牛を連れて歩いていたところ、四辻で急に牛が立ち止まったので、股間から覗いたところ七人同行がおり、難を逃れることができたという伝承もある。
また、耳を動かすことができる人にも見えるともいう。
はんざき
濡女
傘差し狸
徳島県三好郡池田町(現・三好市)に伝わる化け狸の一種。雨の降る夕方など、傘をさした人に化けて通行人を招く。傘を持ち合わせない人がうっかり傘に入れてもらうと、とんでもない所に連れていかれるという。
祇園鮫
鎌鼬
牛鬼
鍛冶が嬶
岸涯小僧
岸涯小僧(がんぎこぞう)は、鳥山石燕の江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある妖怪。
画図には全身が毛に覆われた河童のような妖怪が描かれており、石燕による同書の解説文によれば、やすりのような歯を持ち、川辺で魚を獲るものとされている。
画図には全身が毛に覆われた河童のような妖怪が描かれており、石燕による同書の解説文によれば、やすりのような歯を持ち、川辺で魚を獲るものとされている。
白うねり
海坊主
人狐
人狐(ひとぎつね、にんこ)は、中国地方に伝わる憑き物。
テンに似た動物の霊といわれ、これに憑かれた者は腹痛を患ったり、精神に異常を来たすといわれる。
島根県では、人狐は普通のキツネよりも小さいキツネとされる。人狐は人の体に入って病気にさせ、その者が死ぬと腹や背を食い破って外に出るので、死者の体にはどこかに黒い穴があいているという。
テンに似た動物の霊といわれ、これに憑かれた者は腹痛を患ったり、精神に異常を来たすといわれる。
島根県では、人狐は普通のキツネよりも小さいキツネとされる。人狐は人の体に入って病気にさせ、その者が死ぬと腹や背を食い破って外に出るので、死者の体にはどこかに黒い穴があいているという。
馬の足
馬の足(うまのあし)とは、夜道を歩いているときに遭遇するといわれる妖怪。
馬の足が木の枝になぜかぶら下がっているような姿で出現し、不用意に近づくと蹴り飛ばされるといわれる。
馬の足が木の枝になぜかぶら下がっているような姿で出現し、不用意に近づくと蹴り飛ばされるといわれる。
海月火の玉
海月の火の玉(くらげのひのたま)またはくらげ火(くらげび)は、日本の妖怪の一つ。鬼火の一種であり、海の近くを飛び回るという。
手長
足長
ツツガムシ
石見国(島根県西部)に夜な夜な民家に入り込んでは寝ている住人の生き血を吸う「ツツガ」という虫がいた。のちに陰陽博士により退治された。
実際にもツツガムシ(恙虫)という虫が存在する。ダニの仲間であり、ツツガムシ病という感染症の媒介となる。
実際にもツツガムシ(恙虫)という虫が存在する。ダニの仲間であり、ツツガムシ病という感染症の媒介となる。
田野久
田能久、田之久(たのきゅう)とも。
出処は高知、新潟、秋田等諸説あるが、芝居が上手い若者という民話が多い。
田能久は旅の芝居役者だったが、母親の急病を聞きつけ急いで故郷へ帰る事になる。
途中、ウワバミが出ると噂される峠を構わず歩き続けた所、ウワバミが化けた男と遭遇してしまう。
あわや食われそうになった田能久だが、咄嗟の機転で自分は人間に化けた狸だと嘘を付いた。
ならば化けてみろ。と言われた田能久は、風呂敷の中のかつらで様々な人間に変装してみせる。
気を良くしたウワバミと話が弾み、互いの怖いものの話となる。
聞けばウワバミはタバコのヤニが苦手だと言い、田能久はまたもや機転を効かせ「お金」が怖いと答える。
夜が明け、無事に峠を降りた田能久は麓の村人達にウワバミはタバコのヤニが苦手だと伝える。
麓の村人達は早速ウワバミにヤニをかけると、ウワバミは悲鳴を上げて退散した。
田能久は故郷へ帰り着くと、母親の病気はすっかり良くなっていた。
その夜、怒ったウワバミが田能久の家へやってくる。
「たぬき、お前の苦手なものをくれてやる!」
と大量の小判を投げ込みウワバミは去っていった。
概ねこのような内容である。
出処は高知、新潟、秋田等諸説あるが、芝居が上手い若者という民話が多い。
田能久は旅の芝居役者だったが、母親の急病を聞きつけ急いで故郷へ帰る事になる。
途中、ウワバミが出ると噂される峠を構わず歩き続けた所、ウワバミが化けた男と遭遇してしまう。
あわや食われそうになった田能久だが、咄嗟の機転で自分は人間に化けた狸だと嘘を付いた。
ならば化けてみろ。と言われた田能久は、風呂敷の中のかつらで様々な人間に変装してみせる。
気を良くしたウワバミと話が弾み、互いの怖いものの話となる。
聞けばウワバミはタバコのヤニが苦手だと言い、田能久はまたもや機転を効かせ「お金」が怖いと答える。
夜が明け、無事に峠を降りた田能久は麓の村人達にウワバミはタバコのヤニが苦手だと伝える。
麓の村人達は早速ウワバミにヤニをかけると、ウワバミは悲鳴を上げて退散した。
田能久は故郷へ帰り着くと、母親の病気はすっかり良くなっていた。
その夜、怒ったウワバミが田能久の家へやってくる。
「たぬき、お前の苦手なものをくれてやる!」
と大量の小判を投げ込みウワバミは去っていった。
概ねこのような内容である。
鬼火
鬼火(おにび)とは、日本各地に伝わる怪火(空中を浮遊する正体不明の火の玉)のことである。
伝承上では一般に、人間や動物の死体から生じた霊、もしくは人間の怨念が火となって現れた姿と言われている。
鬼火にはいくつか種類があり、不知火やじゃんじゃん火などは鬼火の一種とされている。
伝承上では一般に、人間や動物の死体から生じた霊、もしくは人間の怨念が火となって現れた姿と言われている。
鬼火にはいくつか種類があり、不知火やじゃんじゃん火などは鬼火の一種とされている。
火魂
沖縄県の鬼火。普段は台所の裏の火消壷に住んでいるが、鳥のような姿となって空を飛び回り、物に火をつけるとされる。
片耳豚
片耳豚(かたきらうわ)は、鹿児島県奄美大島に伝わるブタの妖怪。
名前通り片耳の無いブタの姿をしており、人間がこれに股の下をくぐられると魂を抜かれて死んでしまい、かろうじて命が助かったとしても、性器を損傷して一生腑抜けになってしまうという。
また、光を当ててもなぜか影ができないため、これで普通の豚と区別ができるという。
名前通り片耳の無いブタの姿をしており、人間がこれに股の下をくぐられると魂を抜かれて死んでしまい、かろうじて命が助かったとしても、性器を損傷して一生腑抜けになってしまうという。
また、光を当ててもなぜか影ができないため、これで普通の豚と区別ができるという。
ナマトヌカナシ
鹿児島県で、2月の壬の日に催される「迎え祭り」と4月の壬の日に催される「お送り祭り」のときに現われる農耕の神。足、尾、角がそれぞれ8本ずつある大きな牛の姿をしているという。
ハニマノカブル
鹿児島県沖永良部島に伝わる妖怪。沖永良部島では子供が泣いている時に「ハニマノカブルが来るぞ」と言って脅かしたという。
竜宮の使い
- リュウグウノツカイ
神秘的な姿をしていることから「竜宮の使い」という和名で呼ばれる。
全長は3mほどであることが多いが、最大では11m、体重272kgに達した個体が報告されており、現生する硬骨魚類の中では現在のところ世界最長の種である。
世界中の海に広く分布する深海魚の一種。本来の生息域は陸から離れた外洋の深海であり、人前に姿を現すことは滅多にないが、特徴的な姿は図鑑などでよく知られている。
実際に生きて泳いでいる姿を撮影した映像記録は非常に乏しく、生態については殆ど分かっていない。
悪樓
悪樓(あくる)は、日本神話に伝わる悪神。
吉備国(岡山県)の穴海に住んでいた巨大魚。その大きさは、近づく船をひと飲みにするほど。
日本書紀においてヤマトタケルが熊襲(くまそ)討伐の帰りに悪樓に遭ったが、暴れ狂う悪樓の背にまたがるや自慢の剣で退治した。
吉備国(岡山県)の穴海に住んでいた巨大魚。その大きさは、近づく船をひと飲みにするほど。
日本書紀においてヤマトタケルが熊襲(くまそ)討伐の帰りに悪樓に遭ったが、暴れ狂う悪樓の背にまたがるや自慢の剣で退治した。
芭蕉精
芭蕉精(ばしょうのせい)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある怪異。芭蕉の霊が人の姿をとるなどして人を化かすというもの。
琉球では蕉園といって、芭蕉から繊維をとるために芭蕉が数里も渡って植えられている場所があるが、夜更けにそこ通ると必ず異形の者に遭うという。
人がこれに遭っても驚くだけで直接的な害は受けないが、刀を手にしていればこの怪異を避けられるという。
また琉球では、女性は午後6時過ぎに芭蕉の茂る中を歩くことを戒められており、もしこの戒めを破って芭蕉のもとを歩くと、美しい男性または様々な怪物に遭い、それらを目にすると必ず妊娠させられてしまうという。
身ごもった子供は10ヶ月後に産まれるが、それは牙を生やした鬼のような恐ろしい子供で、しかもその後にも毎年、同じような子供を産み続けてしまうという。
この子供が生まれた際には熊笹を粉末にしたものを飲ませて殺さなくてはならず、そのために家々では常に熊笹を取り置いていたという。
琉球では蕉園といって、芭蕉から繊維をとるために芭蕉が数里も渡って植えられている場所があるが、夜更けにそこ通ると必ず異形の者に遭うという。
人がこれに遭っても驚くだけで直接的な害は受けないが、刀を手にしていればこの怪異を避けられるという。
また琉球では、女性は午後6時過ぎに芭蕉の茂る中を歩くことを戒められており、もしこの戒めを破って芭蕉のもとを歩くと、美しい男性または様々な怪物に遭い、それらを目にすると必ず妊娠させられてしまうという。
身ごもった子供は10ヶ月後に産まれるが、それは牙を生やした鬼のような恐ろしい子供で、しかもその後にも毎年、同じような子供を産み続けてしまうという。
この子供が生まれた際には熊笹を粉末にしたものを飲ませて殺さなくてはならず、そのために家々では常に熊笹を取り置いていたという。
風狸
風狸(ふうり)は、中国および日本の妖怪。
その大きさはタヌキかカワウソ程度。状態はサルに似ており、目が赤く、尾は短い。色は黒っぽく、豹のような模様がある。毛は鼻から尾に青い毛がある。
風狸は打ち叩くとあっけなく死んでしまうが、口に風を受けただけで生き返る。刀で斬っても刃が通らず、火で焼こうとしても焼けないという説もある。
但し骨や頭を砕かれると生き返ることはできず、石菖蒲(サトイモ科の多年草のセキショウのこと)で鼻を塞いでも殺すことができるとされる。
その大きさはタヌキかカワウソ程度。状態はサルに似ており、目が赤く、尾は短い。色は黒っぽく、豹のような模様がある。毛は鼻から尾に青い毛がある。
風狸は打ち叩くとあっけなく死んでしまうが、口に風を受けただけで生き返る。刀で斬っても刃が通らず、火で焼こうとしても焼けないという説もある。
但し骨や頭を砕かれると生き返ることはできず、石菖蒲(サトイモ科の多年草のセキショウのこと)で鼻を塞いでも殺すことができるとされる。
渠師者
渠師者(いさお)は日本の記紀神話に登場する、九州南部に本拠地を構えヤマト王権に抵抗したとされる熊襲(くまそ)の頭の名称。
景行朝の記述として、熊襲は頭を渠師者(イサオ)と呼び、2人おり、その下に多くの小集団の頭たる梟師(タケル)がいたと記している。
大和王権は武力では押さえられないので、イサオの娘に多くの贈り物をして手なずけ、その娘に、父に酒を飲ませて酔わせ、弓の弦を切り、殺害した。
景行朝の記述として、熊襲は頭を渠師者(イサオ)と呼び、2人おり、その下に多くの小集団の頭たる梟師(タケル)がいたと記している。
大和王権は武力では押さえられないので、イサオの娘に多くの贈り物をして手なずけ、その娘に、父に酒を飲ませて酔わせ、弓の弦を切り、殺害した。
しばかき
シバカキは、熊本県玉名郡南関町に伝わる妖怪。
夜、外を歩いているときに路傍から石を投げてくるといわれている。
夜、外を歩いているときに路傍から石を投げてくるといわれている。
ろくろ首
ろくろ首は日本の妖怪の一種。
主に首が伸びるものと首が抜け頭部が自由に飛行するものの2つに分かれる。
首が抜けるろくろ首は、夜間に人間などを襲い、血を吸うなどの悪さをするとされる。首が抜ける系統のろくろ首は、首に凡字が一文字書かれていて、
寝ている(首だけが飛び回っている)ときに、本体を移動すると元に戻らなくなることが弱点との説もある。古典における典型的なろくろ首の話は、夜中に首が抜け出た場面を他の誰かに目撃されるものである。
抜け首は魂が肉体から抜けたもの(離魂病)とする説もあり、『曾呂利物語』では「女の妄念迷ひ歩く事」と題し、女の魂が睡眠中に身体から抜け出たものと解釈している。
同書によれば、ある男が、鶏や女の首に姿を変えている抜け首に出遭い、刀を抜いて追いかけたところ、その抜け首は家へ逃げ込み、家の中からは「恐い夢を見た。刀を持った男に追われて、家まで逃げ切って目が覚めた」と声がしたという。
「寝ている間に人間の首が伸びる」と言う話は、江戸時代以降『武野俗談』『閑田耕筆』『夜窓鬼談』などの文献にたびたび登場する。
これはもともと、ろくろ首(抜け首)の胴と頭は霊的な糸のようなもので繋がっているという伝承があり、石燕などがその糸を描いたのが、細長く伸びた首に見間違えられたからだとも言われる。
『甲子夜話』に以下の話がある。ある女中がろくろ首と疑われ、女中の主が彼女の寝ている様子を確かめたところ、胸のあたりから次第に水蒸気のようなものが立ち昇り、それが濃くなるとともに頭部が消え、見る間に首が伸び上がった姿となった。
驚いた主の気配に気づいたか、女中が寝返りを打つと、首は元通りになっていた。この女中は普段は顔が青白い以外は、普通の人間と何ら変わりなかったが、主は女中に暇を取らせた。
彼女はどこもすぐに暇を出されるので、奉公先に縁がないとのことだった。
ろくろ首の名称の語源は、
・ろくろを回して陶器を作る際の感触
・長く伸びた首が井戸のろくろ(重量物を引き上げる滑車)に似ている
・傘のろくろ(傘の開閉に用いる仕掛け)を上げるに従って傘の柄が長く見える
などの説がある。
主に首が伸びるものと首が抜け頭部が自由に飛行するものの2つに分かれる。
首が抜けるろくろ首は、夜間に人間などを襲い、血を吸うなどの悪さをするとされる。首が抜ける系統のろくろ首は、首に凡字が一文字書かれていて、
寝ている(首だけが飛び回っている)ときに、本体を移動すると元に戻らなくなることが弱点との説もある。古典における典型的なろくろ首の話は、夜中に首が抜け出た場面を他の誰かに目撃されるものである。
抜け首は魂が肉体から抜けたもの(離魂病)とする説もあり、『曾呂利物語』では「女の妄念迷ひ歩く事」と題し、女の魂が睡眠中に身体から抜け出たものと解釈している。
同書によれば、ある男が、鶏や女の首に姿を変えている抜け首に出遭い、刀を抜いて追いかけたところ、その抜け首は家へ逃げ込み、家の中からは「恐い夢を見た。刀を持った男に追われて、家まで逃げ切って目が覚めた」と声がしたという。
「寝ている間に人間の首が伸びる」と言う話は、江戸時代以降『武野俗談』『閑田耕筆』『夜窓鬼談』などの文献にたびたび登場する。
これはもともと、ろくろ首(抜け首)の胴と頭は霊的な糸のようなもので繋がっているという伝承があり、石燕などがその糸を描いたのが、細長く伸びた首に見間違えられたからだとも言われる。
『甲子夜話』に以下の話がある。ある女中がろくろ首と疑われ、女中の主が彼女の寝ている様子を確かめたところ、胸のあたりから次第に水蒸気のようなものが立ち昇り、それが濃くなるとともに頭部が消え、見る間に首が伸び上がった姿となった。
驚いた主の気配に気づいたか、女中が寝返りを打つと、首は元通りになっていた。この女中は普段は顔が青白い以外は、普通の人間と何ら変わりなかったが、主は女中に暇を取らせた。
彼女はどこもすぐに暇を出されるので、奉公先に縁がないとのことだった。
ろくろ首の名称の語源は、
・ろくろを回して陶器を作る際の感触
・長く伸びた首が井戸のろくろ(重量物を引き上げる滑車)に似ている
・傘のろくろ(傘の開閉に用いる仕掛け)を上げるに従って傘の柄が長く見える
などの説がある。
バタバタ
- 畳叩き
和歌山では宇治という町に出たので、宇治のこたまとも呼ばれた。紀州藩編纂の地誌『紀伊続風土記』(天保年間)によれば、冬の夜明け頃にバタバタという音が東から聞こえ始め、西へ去っていくのでバタバタとも呼んだという。
広島でも同様の怪異があり、冬の夜に屋根の上や庭で、あたかも畳を杖で叩くようにバタバタと音がしたことから、バタバタ、もしくはパタパタとも呼ばれた。
この怪異の原因はそこにある触ると痕になる石の仕業とされ、その石をバタバタ石と呼んだ。
安政時代の随筆『筆のすさび』によれば、ある物好きな人が正体を見極めようと、音の方向を追いかけたところ、常に7、8間先から音がしてきりがなかったという。
またある人は、バタバタ石の中から小人が現れて石を叩いているのを見つけ、捕まえようとしたが石の中に戻ってしまったので、石を持って帰ったところ、石と同じような痣が顔にでき、慌てて石をもとの場所へ戻すと、痣も消えたという。
シンノ
- 神野悪五郎
多くの絵巻では、五郎左衛門がこの物語の主人公・稲生平太郎に語る中に登場するのみだが、『稲生武太夫一代記』では、五郎左衛門が武太夫に「先(ま)づ、悪五郎を、眼の前に引連れて、見せ申すべし」と言い、
武太夫が背後を見ると、冠装束姿の者が半身の状態で現れたとある。ただし『稲生物怪録絵巻』など多くの絵巻では、この冠装束姿の者は武太夫を守護する氏神とされており、
『稲生武太夫一代記』であたかも五郎左衛門が悪五郎を武太夫の眼の前に連れて来たように描かれているのは、文章の不整合のためと指摘されている。
映画『妖怪大戦争』(2005年)の設定では、広島の妖怪。魔物たちを束ねる魔王のひとりであり、その支配はインド・中国・日本という広域に及ぶとされる。
山ン本五郎左衛門と魔界の覇権を争ったが、妖怪世界の長老である妖怪大翁の仲裁により、現在は山ン本とともに大翁に仕える。頭の回転が速く討論では妖怪の中に並ぶ者はいない。
渡り柄杓
京都府北桑田郡知井村(のちの美山町、現・南丹市)の鬼火。山村に出没し、ふわふわと宙を漂う青白い火の玉。
柄杓のような形と伝えられているが、実際に道具の柄杓に似ているわけではなく、火の玉が細長い尾を引く様子が柄杓に例えられているとされる。
柄杓のような形と伝えられているが、実際に道具の柄杓に似ているわけではなく、火の玉が細長い尾を引く様子が柄杓に例えられているとされる。
サンモト
- 山本五郎左衛門
妖怪の眷属たちを引き連れる頭領であり、魔王に属するものとされる。平田神社所蔵の妖怪画では、三つの目を持つ烏天狗の姿として描かれているが、『稲亭物怪録』によれば、自分は天狗の類でも狐狸の類でもないと語っている。
寛永2年(1625年)、備後国三次(現在の広島県三次市)において、稲生平太郎(三次藩の実在の藩士・稲生武太夫の幼名)を、30日間におよび様々な怪異を起こして脅し続けたが、平太郎は耐え続けた。
そして7月30日に1ヶ月間の怪異の締めくくりとして、裃を着た40歳ほどの武士の姿で平太郎の前に姿を現して名を名乗り、神野悪五郎(しんの あくごろう)と魔王の頭(かしら)の座をかけて、勇気のある少年を100人驚かせるという賭けをしており、
インド、中国、日本と渡り歩いて、その86人目として平太郎を驚ろかそうとしたが、平太郎が動じなかったことで夢が破れ、最初からやり直しであると、平太郎の気丈さを褒めたたえた。
そして、もう怪異を起こすことはないが、悪五郎が来たときにはこれを使えば自分が助力するといい、木槌を遺し、妖怪たちを引き連れて去って行った。この槌は広島市東区の国前寺に寺宝として後に伝えられている。
骨喰乃鬼
- 骨喰藤四郎
おいてけぼり
(置いてけ堀)江戸本所の堀の名。本所七不思議の一。釣りをして帰ろうとすると、水中から「置いてけ、置いてけ」と呼ぶ声がして、魚を返すまで言いつづけたという。
影鰐
鯰尾乃鬼
- 鯰尾藤四郎
人虎
禍
赤えい
赤えい(あかえい)は、江戸時代後期の奇談集『絵本百物語』(天保12年(1841年)刊)に見える巨大魚。
安房国(現在の千葉県南端)の野島崎から出航した舟が、大風で遭難して海を漂っていたところ、島が近くに見えてきた。これで助かったと安堵した船乗りたちは舟を寄せ、上陸した。
ところが、どこを探しても人がおらず、それどころか見渡せば、岩の上には見慣れない草木が茂り、その梢には藻がかかっている。あちこちの岩の隙間には魚が棲んでいる。
2、3里(およそ10キロメートル前後)歩いたが人も家も一向に見つけることができず、せめて水たまりで渇きを癒そうとしたものの、どの水たまりも海水で飲めはしなかった。
結局、助けを求めるのは諦めて船へ戻り、島を離れたところ、今までそこにあった島は海へ沈んでしまったという。実はこれが、海面へ浮上した赤えいであったとのことである
安房国(現在の千葉県南端)の野島崎から出航した舟が、大風で遭難して海を漂っていたところ、島が近くに見えてきた。これで助かったと安堵した船乗りたちは舟を寄せ、上陸した。
ところが、どこを探しても人がおらず、それどころか見渡せば、岩の上には見慣れない草木が茂り、その梢には藻がかかっている。あちこちの岩の隙間には魚が棲んでいる。
2、3里(およそ10キロメートル前後)歩いたが人も家も一向に見つけることができず、せめて水たまりで渇きを癒そうとしたものの、どの水たまりも海水で飲めはしなかった。
結局、助けを求めるのは諦めて船へ戻り、島を離れたところ、今までそこにあった島は海へ沈んでしまったという。実はこれが、海面へ浮上した赤えいであったとのことである
鉄鼠
人面樹
木霊
火前坊
おとろし
精華高入道
怯えたわいら
- わいら
いずれの絵も描かれているのは上半身のみであり、下半身を描いた絵は確認されておらず、全身像は明らかになっていない。
昭和・平成以降の妖怪関連の文献や児童向けの妖怪図鑑では、正体不明の妖怪、山奥に住んでおり前足のカギ爪で土を掘り返してモグラなどの小動物を食べる大きな妖怪、山奥に住んでおり人間を襲って食べる大きな妖怪など、
大きく分けて以上の3つのいずれかの解説がされている。
衣蛸
蓑火
蓑火(みのび)は、近江国彦根に伝わる怪火。
旧暦五月の梅雨の夜などに、琵琶湖を人の乗った舟が渡ると、その者が雨具として身に着けている蓑に点々と、まるでホタルの光のように火の玉が現れる。
蓑をすみやかに脱ぎ捨てれば蓑火も消えてしまうが、うかつに手で払いのけようとすれば、どんどん数を増し、星のまたたきのようにキラキラと光る。
旧暦五月の梅雨の夜などに、琵琶湖を人の乗った舟が渡ると、その者が雨具として身に着けている蓑に点々と、まるでホタルの光のように火の玉が現れる。
蓑をすみやかに脱ぎ捨てれば蓑火も消えてしまうが、うかつに手で払いのけようとすれば、どんどん数を増し、星のまたたきのようにキラキラと光る。
化け狸
小豆洗い
出世法螺
暗黒波旬
- 天魔
九九鱗
マンドラゴラ
ゴーレム
ネビロス
鉄のあやかし?
正確にはあやかしでは無くレンという、ゴエティア−千の魔神と無限の塔−に登場するキャラクター。
「レン」という名前は略称で、本来は【魔導書「レメゲトン」】と言う。
以下の5部からなるが、もともとそれぞれ別個に成立し後に合本されたもので、相互の関連は薄い。
Goetia とは、古代ギリシア=ローマにおける「呪術」「妖術」を指すギリシア語 γοητεία(ゴエーテイア)のラテン語形で、ルネサンス期には悪霊の力を借りる儀式魔術とほぼ同義であった。
これは今日の魔術でいう喚起魔術、すなわち悪魔などの人間より下位の霊的存在を使役する魔術作業に相当する。
降神術、神働術、動神術、神通術とも訳される。これは今日の魔術でいう召喚魔術、すなわち神など人間より上位の霊的存在による魔術作業に相当する。
「学問のむなしさと不確かさについて」において儀式魔術を含むあらゆる学術を批判したアグリッパは、儀式魔術にはゴエティアとテウルギアの2部門があるとし、
前者を「不浄の霊との交渉による業」、後者を「善天使に導かれた業」(と多くの人がみなしている魔術)として論じている。
ゴエティアが悪しき精霊を、テウルギア・ゴエティアが善悪双方の精霊を取り扱っているのに対し、こちらは善なる精霊のみを取り扱っている。
そのため「ソロモン王のテウルギアの書 第一章」とも呼ばれる。なお Ars Paulina とは「聖パウロの術」の意味で、一説にはこれがパウロによって発見されたともいう。
このアルマデル(Al-madel)というアラビア語がどういう意味かははっきりしていないが、本書では魔術に用いる蝋板を「ソロモンのアルマデル」と称している。
また、ソロモン王はこれと同時に多くの神からの手記を受け取っており、これによって名高い智恵を得たという。
Ars Nova とは「新しき術」の意。また「名高き術」(Ars Notoria)、「書記術」(Ars Notaria)とも言う。
「レン」という名前は略称で、本来は【魔導書「レメゲトン」】と言う。
- レメゲトン
以下の5部からなるが、もともとそれぞれ別個に成立し後に合本されたもので、相互の関連は薄い。
- ゴエティア
Goetia とは、古代ギリシア=ローマにおける「呪術」「妖術」を指すギリシア語 γοητεία(ゴエーテイア)のラテン語形で、ルネサンス期には悪霊の力を借りる儀式魔術とほぼ同義であった。
これは今日の魔術でいう喚起魔術、すなわち悪魔などの人間より下位の霊的存在を使役する魔術作業に相当する。
- テウルギア・ゴエティア
降神術、神働術、動神術、神通術とも訳される。これは今日の魔術でいう召喚魔術、すなわち神など人間より上位の霊的存在による魔術作業に相当する。
「学問のむなしさと不確かさについて」において儀式魔術を含むあらゆる学術を批判したアグリッパは、儀式魔術にはゴエティアとテウルギアの2部門があるとし、
前者を「不浄の霊との交渉による業」、後者を「善天使に導かれた業」(と多くの人がみなしている魔術)として論じている。
- アルス・パウリナ
ゴエティアが悪しき精霊を、テウルギア・ゴエティアが善悪双方の精霊を取り扱っているのに対し、こちらは善なる精霊のみを取り扱っている。
そのため「ソロモン王のテウルギアの書 第一章」とも呼ばれる。なお Ars Paulina とは「聖パウロの術」の意味で、一説にはこれがパウロによって発見されたともいう。
- アルス・アルマデル・サロモニス
このアルマデル(Al-madel)というアラビア語がどういう意味かははっきりしていないが、本書では魔術に用いる蝋板を「ソロモンのアルマデル」と称している。
- アルス・ノヴァ
また、ソロモン王はこれと同時に多くの神からの手記を受け取っており、これによって名高い智恵を得たという。
Ars Nova とは「新しき術」の意。また「名高き術」(Ars Notoria)、「書記術」(Ars Notaria)とも言う。
魍魎
魍魎(もうりょう、みずは)は山川や木石の精霊とされる。山・水・木・石などあらゆる自然物の精気から生じ、人を化かす。また、死者を食べるとも言われ、姿かたちは幼児に似ていて、2本足で立ち、赤黒色の皮膚をして、目は赤く、耳は長く、美しい髪と人に似た声をしている。
これらの外見は鬼を思わせる。「和漢三才図会」では水神、古代中国の書「春秋左氏伝」では水沢の神とされる。
これらの外見は鬼を思わせる。「和漢三才図会」では水神、古代中国の書「春秋左氏伝」では水沢の神とされる。
磯女
磯女(いそおんな)は、九州各地に広く伝わる女の妖怪。
外見は、上半身は人間の美女に近いが、下半身は幽霊のようにぼやけている、龍やヘビのようになっている、常人と変わりないなどの説があり、背後から見るとただの岩にしか見えないともいわれる。全身が濡れており、髪は地面に触れるほど長く垂れているともいう。
長崎県南高来郡西郷(現・南島原市)の伝承では、長い黒髪の磯女が砂浜に現れて沖合いをじっと見つめており、それを見た者が声をかけようとすると、鼓膜を突き刺すような鋭い声で叫び、長い髪がその者にまとわりつき、毛を伝って生き血を吸うという。
主に盆時期や大晦日の夜、海岸の石の上に座り、近くを通る者を奇妙な声で呼び止め、呼ばれた者が近づくと襲い掛かるともいう。そのため磯女の現れる土地では、海岸を歩くときにはどんなに美人がいても近づいてはならないと戒められていた。
外見は、上半身は人間の美女に近いが、下半身は幽霊のようにぼやけている、龍やヘビのようになっている、常人と変わりないなどの説があり、背後から見るとただの岩にしか見えないともいわれる。全身が濡れており、髪は地面に触れるほど長く垂れているともいう。
長崎県南高来郡西郷(現・南島原市)の伝承では、長い黒髪の磯女が砂浜に現れて沖合いをじっと見つめており、それを見た者が声をかけようとすると、鼓膜を突き刺すような鋭い声で叫び、長い髪がその者にまとわりつき、毛を伝って生き血を吸うという。
主に盆時期や大晦日の夜、海岸の石の上に座り、近くを通る者を奇妙な声で呼び止め、呼ばれた者が近づくと襲い掛かるともいう。そのため磯女の現れる土地では、海岸を歩くときにはどんなに美人がいても近づいてはならないと戒められていた。
化鯨
白い骨格のみの姿をした鯨の妖怪。
まだ日本海でも多くのクジラが獲れた時代、出雲国(現・島根県北東部)は島根半島での話。
ある雨の夜、沖合いから大きくて白い何者かが海岸へと近づいてきた。漁師たちが眼を凝らして見ると、どうやらそれはクジラらしいと分かったので、
いそいそとこぞって舟を漕ぎ出していつもの漁にかかったが、いくら銛(もり)を投げ込んでもその獲物はビクともしない。
不思議に思ってよく見れば、獲物と映っていた大きな体はただ白い骨ばかりのヒゲクジラで、皮や肉はどこにも見当たらなかったという。
そのうち、あたり一面は奇妙な姿の魚どもで満ち溢れ、さらには妖しげな鳥までが目の前に現れたが、潮が引くに連れて、それらは何事も無くはるか沖の彼方へと去って行った。
漁師たちはこの怪を、死んだクジラが怨霊となって現れたものだろうと噂し合った。なお、これよりのち化鯨が現れたことは一度も無い。
まだ日本海でも多くのクジラが獲れた時代、出雲国(現・島根県北東部)は島根半島での話。
ある雨の夜、沖合いから大きくて白い何者かが海岸へと近づいてきた。漁師たちが眼を凝らして見ると、どうやらそれはクジラらしいと分かったので、
いそいそとこぞって舟を漕ぎ出していつもの漁にかかったが、いくら銛(もり)を投げ込んでもその獲物はビクともしない。
不思議に思ってよく見れば、獲物と映っていた大きな体はただ白い骨ばかりのヒゲクジラで、皮や肉はどこにも見当たらなかったという。
そのうち、あたり一面は奇妙な姿の魚どもで満ち溢れ、さらには妖しげな鳥までが目の前に現れたが、潮が引くに連れて、それらは何事も無くはるか沖の彼方へと去って行った。
漁師たちはこの怪を、死んだクジラが怨霊となって現れたものだろうと噂し合った。なお、これよりのち化鯨が現れたことは一度も無い。
青碧浮き物
- 浮き物
おおよそ特定の場所に現れるが、海面を移動することもあり、人が近づくと消え去ってしまうという。魚または海鳥の群れ、未確認の巨大魚などの説がある。
玄武
北方を司る中国の神、四神、四獣の一つ。
脚の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多い(尾が蛇となっている場合もある)。
玄は黒であり、五行説では黒は北方の色とされ、水を表す。
俳句において冬の季語である「冬帝」・「玄帝」と同義であり、冬(北・玄)の象徴である。
脚の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多い(尾が蛇となっている場合もある)。
玄は黒であり、五行説では黒は北方の色とされ、水を表す。
俳句において冬の季語である「冬帝」・「玄帝」と同義であり、冬(北・玄)の象徴である。
白虎
西方を司る中国の神、四神、四獣の一つ。
細長い体をした白い虎の形をしている。また、四神の中では最も高齢の存在であるとも言われている。(逆に、最も若いという説もある)
白は五行説では西方の色とされ、金を表す。
俳句において秋の季語である「白帝」と同義であり、秋(西・白)の象徴である。
細長い体をした白い虎の形をしている。また、四神の中では最も高齢の存在であるとも言われている。(逆に、最も若いという説もある)
白は五行説では西方の色とされ、金を表す。
俳句において秋の季語である「白帝」と同義であり、秋(西・白)の象徴である。
青龍
東方を司る中国の神、四神、四獣の一つ。
長い舌を出した竜の形とされる。
青は五行説では東方の色とされ、木を表す。
俳句において春の季語である「青帝」・「蒼帝」・「東帝」と同義であり、春(東・青)の象徴である。
長い舌を出した竜の形とされる。
青は五行説では東方の色とされ、木を表す。
俳句において春の季語である「青帝」・「蒼帝」・「東帝」と同義であり、春(東・青)の象徴である。
朱雀
南方を司る中国の神、四神、四獣の一つ。
翼を広げた鳳凰様の鳥形で表される。
朱は赤であり、五行説では南方の色とされ、火を表す。
俳句において夏の季語である「炎帝」・「赤帝」と同義であり、夏(南・朱)の象徴である。
翼を広げた鳳凰様の鳥形で表される。
朱は赤であり、五行説では南方の色とされ、火を表す。
俳句において夏の季語である「炎帝」・「赤帝」と同義であり、夏(南・朱)の象徴である。
アラハバキ
玉藻前
酒呑童子
八岐大蛇
「古事記」の中で、スサノヲに討伐された、八つの頭と八つの尾を持つ大蛇。
その尾からは三種の神器のひとつ「草薙剣」が出てきたとされている。
大滝丸
炎の魔神
- スルト
『スノッリのエッダ』第一部『ギュルヴィたぶらかし』第4章で語られるところでは、ムスペルヘイム(世界の南の果てに存在する灼熱の国)の入り口を守る炎の巨人で、
世界にまだムスペルヘイムとニヴルヘイム(九つの世界の下層に存在する冷たい氷の国)しかなかった時代から存在し、ムスペルヘイムの国境を守っていた。
炎の剣を持っており、最後まで生き残りすべてを焼き尽くすという。
スルトはラグナロクの時、神々と巨人との戦場に現れ、鹿の角で戦うフレイを倒したとされる。
自らが世界中に放った火によってスルトがどうなったかは不明であるが、『スノッリのエッダ』第一部『ギュルヴィたぶらかし』で挙げられた生存者の中には彼の名はない。
ドロップアイテムの炎剣の欠片から作れる武器の由来は、それぞれスルトの妻とされる巨人シンモラが保管しているとされるレーヴァテイン、主神オーディンの持つグングニル、雷神トールの持つミョルニルだと思われる。
血砂の女神
- セクメト
太陽神ラーの片目から生まれたとされライオンの頭を持つ。同じ獅子頭の女神であるバステトやテフヌトと同一視されることもある。
ラーは自分を崇めない人間を殺戮するためにセクメトを地上に送ったが、オシリスの意見によりそれを取りやめ、彼女を7000樽もの赤く染めたビールで酔わせ殺戮を止めさせたという。
また、セクメトは伝染病などを司り、人間を殺してしまう病の風を吐く女神とされた。そのため、この女神を鎮められるセクメトの神官たちは、伝染病を鎮める特殊な医師や呪術師とされた。
砂漠の熱風は「セクメトの息」と呼ばれた。また、伝染病や疾病は「セクメトの使者」だった。
皓月の狩人
- ダンピール
外見は普通の人間と変わらないが、不死である吸血鬼を殺す力を持つ。また、吸血鬼を探知する能力も備える。大抵は生まれてもすぐに死んでしまうが、成長した者は前述の能力を活かし、吸血鬼ハンターを生業とすることもある。
ダンピールによる吸血鬼退治は、儀式のような形式を取る。笛を吹いたり、走り回ったり、目に見えない敵と戦った後、勝利を宣言する。
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