創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

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インテリジェントデザイン運動が見ている「地球平板説」


インテリジェントデザイン運動にとっての「地球平板説」は、おおよそ以下に出現するものである。
  • 主としてキリスト教を背景とする「若い地球の創造論・古い地球の創造論・有神論的進化論」という「連続分布」と、地球と宇宙の形に関する「地球平板説・地球中心説・太陽中心説・・・」に至る連続分布上に、それになりに広がっているものとして、インテリジェントデザインが位置づけられていること。
  • インテリジェントデザインが生物学における地球平板説となぞらえられること

これに対応して、インテリジェントデザイン運動の本山たるDiscovery Instituteは以下のような対抗記事を出している。


若い地球の創造論ミニストリがインターネット時代の地球平板説ウォッチしているのに対して、インテリジェントデザイン運動ではほぼ視界にも入っていないようである。


地球平板説は3世紀までで終わったという解説記事の例

基本的にはキリスト教擁護である。中世キリスト教がアリストテレスやプトレマイオスなどギリシャ時代の自然哲学を基礎としていて、ヨーロッパ中世が「暗黒時代」ではなかったと解説している。
中世初期の光:400–1100

偉大な教父聖アウグスティヌス(354–430)は、科学の基礎のいくらかを築いた。彼は「創世記注解」で、アリストテレス物理学に寄与した。もっと広く言えば、アウグスティヌスは、「創造主の作品」であるが故に、「自然の本」を読む我々の能力に自信を示した。彼は、神が「The Nature of Things(物事の性質)」を確立した最も可能性の高い方法を識別するために、「最も確実な推論または経験によって」進むべきだと主張した。これは、アウグスティヌスの探求アプローチを見習う成果を記した中世の本の人気の表題となったフレーズである。

イギリスの僧侶Bede(673–735)は、アウグスティヌスとプトレマイオスの伝統の中で天文学について学び、執筆した。歴史家のBruce Eastwoodは、Bedeの本「The Nature of Things(物事の性質)」(701年頃)を「寓意的な解釈を排除し、キリスト教徒と異教徒の両方の過去の蓄積された教えを使用して、神の創造の結果を純粋に物理的に説明するためのモデル」と呼んだ。

Bedeのキリスト教の世界観が、自然の原因と結果の一貫した体系としての自然界の分析とどのように親和性があるかに注目してほしい。

中世盛期の光:1100–1450

1100年頃、ヨーロッパの知識人は、アリストテレスに関する限られた翻訳と解説から卒業し、アリストテレスの論理のより広範な回復とさらなる発展へと進んだ。キリスト教の世界観の中で洗練されたように、この進歩には自然科学によく適した推論方法が含まれていた。

学者たちは、この形式の議論を「ratio」(推論)と呼び、これを数学的証明と対比させた。数学は、確実であると考えられる第一原理から始まり、同じ確実性をもたらす結論を演繹する。対照的に、ratioは、感覚の経験から真実である可能性が高いと推測された前提を使用し、そこから考えられる結論までの推論を使用する。

観測科学にふさわしい論理であるratioは、自然界の運動と変化の研究を豊かにした。歴史家Walter Lairdは次のように書いている。「中世の運動の研究は、アリストテレスの記述についての独自性のない不毛な解説ではなかった。... 彼らの成功の手段 ... これらの洞察と結果のいくつかは、科学革命の過程でガリレオや他の人々によって後に再発見されることとなった。

大学—キリスト教の発明

ほとんどの学者が自然界の運動を研究した機関、つまり大学も注目に値する。このキリスト教の発明は、1088年にボローニャ大学で始まり、1200年以前にパリとオックスフォード、1450年までに50以上が続いた。ローマ教皇は、この前例のない知的興奮を支えた。

大学は、すでに進行中の中世の翻訳運動にさらなる刺激を与えた。そこでは、ギリシャ語とアラビア語のテキストがラテン語というヨーロッパ共通の知的言語で提供された。この動きは、ローマ帝国の翻訳のささやかな流れを、大きく上回るものとなった。暗黒時代の神話が主張するように、ヨーロッパのキリスト教徒が異教徒の初期の仕事に心を閉ざしていたとしたら、翻訳に対するこの猛烈な欲求を説明するものは何か?

フランシスコ会の聖職者で大学の学者であるRoger Bacon (1220-1229頃)は、ユークリッド、プトレマイオス、イブン・アルハイサム、アルハーゼン(965-1040頃)など、初期のギリシャおよびイスラムの研究者の新しく翻訳された作品の多くを読んだ。それらを評価し、いくつかのコントロールされた観測(現在は実験と呼ぶ)を導入することにより、Baconは光学を大幅に進歩させた。

Bacon以後の執筆者たちは、Baconの著作を要約して再評価し、大学の指導で使用された本を通してそれを伝達した。歴史家A. Mark Smithの言葉を借りれば、このようにして、ヨハネス・ケプラー (1571–1630)の注意を惹いた。

ある推定によると、中世の大学の教養カリキュラムの30%は、おおよそ我々が科学と呼んでいるもの(数学を含む)に取り組んでいる。1200年から1450年の間に、何十万人もの大学生がギリシャ語-アラビア語-ラテン語の科学、医学、数学を学んだ。これらは、ヨーロッパの大学の何世代にもわたる教員によって徐々に消化され、改善されていった。

暗黒時代神話

暗黒時代神話に反して、中世のヨーロッパのキリスト教徒は、「自然の法則」、科学に優しい論理、運動の科学、人間の解剖、視覚理論、自然の数学的分析、そして自然を説明する仕事における権威に対する推論と観察経験(時には実験)の優位性のアイデアを培った。

中世の先駆者たちはまた、自治大学、眼鏡、ステンドグラスを備えたそびえ立つ大聖堂などを発明した。ひとつの名称で時代をラベル付けすることには問題があるが、いわゆる暗黒時代よりは、「光の時代」あるいは「理性の時代」の方がはるかに適切である。

[ Michael Newton Keas: "Atheism’s Myth of a Christian Dark Ages Is Unbelievable" (2019/01/22) on Discovery Institute ]








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