朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

まずは「強制連行」という言葉の始まりですが、朝鮮人戦時動員に対して「強制連行」という言葉を使い始めたのは1965年「朝鮮人強制連行の記録」を出版した朴慶植氏だと言われています。それ以前の時期は「強制連行」と言えば「中国人強制連行(花岡事件など)」のことを指すことが多かったようです。


それ以前の時期、例えば元朝鮮総督府で政策顧問などを務めた鎌田沢一郎は「朝鮮新話」(1950年)で「労務動員の強制」「誤つた強制徴用」という言い方をしていましたし、外務省官僚などを務めた森田芳夫は「在日朝鮮人処遇の推移と現状」(1955年)で「強制移住」と表現しています。また、1953年に刊行された松田解子「地底の人々」は花岡事件を題材にした小説ですが、この中では朝鮮人の戦時動員に対して「強制徴用」という言葉が使われています(資料5)。


朴慶植氏は「朝鮮人強制連行の記録」で、戦時中に朝鮮人を対象に行われた労働動員(募集・官斡旋・徴用や徴兵など)を「朝鮮人強制連行」と呼んでいます。そこでは手錠をはめられて連れて来られた例や、畑仕事中や就寝時に無理矢理連れていかれた例なども紹介しています。現在でも「強制連行」として紹介されたり、多くの人がイメージするのはこういう例でしょう。


この「強制連行」という言葉は次第に知られるようになり、また70年代以降、有志団体や地方の市民グループによる実態調査が行われるようになったこともあり、少しずつですが研究が進んでいきます。


やがて、90年代ごろから研究者の間で「強制連行」という用語の妥当性について疑問の声が上がります。金英達氏は「強制連行」という言葉の定義・範囲が曖昧であること(例えば徴兵なども含めるか、あるいは朝鮮から日本内地への動員だけでなくサハリンや南洋への動員なども含めるか、などによって「強制連行の人数」が違ってしまう)を指摘し、具体的な動員内容(どういう形態・法的根拠で行われたか、動員先はどこであったか)を分類・整理した上で「朝鮮人戦時動員」という用語を用いることを提案しました。また、その本質的な問題は「強制連行性(つまり無理矢理連れて来たこと)」よりむしろ「強制労働性(民族差別や人権無視の労働条件、具体的には拘束・監視され、逃亡者に対するリンチが横行していたこと、日本人労働者より低賃金であったことなど)」にあると論じました。


また、暴力的な連行、物理的強制力を伴った動員を「強制連行」と呼ぶなら、それ以外(つまり、おとなしく徴用された場合や進んで募集に応じた例など)は「強制連行」とは言えなくなってしまうのではないか、という主旨の問題提起が古庄正氏、海野福寿氏、山田昭次氏などからなされました。


こういった経緯があり、現在研究者の間では、「強制連行」という用語に代わり「戦時動員」とか「戦時労働(労務)動員」という用語が使われるようになってきています。



「強制連行(=無理矢理連行したこと)」というのは「朝鮮人戦時動員」の一要素、一側面ですが、それだけが問題の本質なのではありません。上記の研究者が提起したように、本質的な問題はむしろ強制労働やその背景にある民族差別によりはっきり表れています


「強制連行」という言葉は非常に強烈なインパクトがあり、その強烈さゆえに一般の関心を集めることに役立ってきました。もし朴慶植氏が強制連行という言葉を使わず「朝鮮人戦時動員」という地味な表現をしていたら、ここまで広がりを持たなかったかもしれません。その意味で「強制連行」という用語は歴史的な意義を有していると言えるでしょう。


ただ「強制連行」という用語にはマイナス面もあります。上記の研究者の問題提起にあるように、単に「戦時動員」=「強制連行」という風にしてしまうと「無理矢理連れて来た」というイメージばかりが流布し、それ以外の問題が隠蔽されてしまうおそれがあります。また「無理矢理(物理的暴力的を伴って)連れて来られたわけではない」動員(例えば、非常に良い条件を提示されたので進んで募集に応じたが、いざ行ってみたら話と全く違う劣悪な条件で、しかも逃げようにも逃げられなかった、というような例)もあるので、それをもって「強制連行なんて嘘じゃないか」と言われてしまったりします。さらに言えば、現在は「強制連行」というインパクトの強い言葉に対して、アレルギー反応を示す人も少なくないという実情もあります。


そのような点を踏まえ、このウィキではいわゆる朝鮮人強制連行に対して「朝鮮人戦時動員」という用語を用います。

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