朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

資料13・崔亮鎬氏の証言


「うちの面に徴用令が来ると、人間がいないから出せませんじゃすまされなかった。徴用令は軍隊の召集令状と同じ重みがありましたからね。面役所のほうでぐずぐずしていると、兵隊とか憲兵を連れて来て、畑の中で仕事をしていようと、道を通っていようと片っ端でね。面の募集係も巡査も、どこの部落に何人の働き手がおる、どこの家には誰と誰がおるとか、手にとるように分かっていますからね。

徴用令が来ても、うちの面にはやるだけの人間がもうおらんからと、嘘のことをいうて追い返すが、そういつまでも駆け引きはできん。病気の両親がおるとか、子供や女房が体が弱いとか、行かれない事情が、それぞれありましたよ。最後には、もうそんなことは理由にはならない。子供であろうと年寄りであろうと無差別でしたから。命令ですから反対はできん。

強制して恨まれるのは面長とか、面役所の募集係でね。結局、もう村の人に顔が立たんから、面役所の何人かは、引率隊長として自分から志願して行きました。北海道や樺太の炭鉱、それに九州の炭鉱よ。うちの面は一二○○戸あって、五○○人徴用で行きましたからね。炭鉱で亡くなったら名誉の戦死だ。お国のために働いて死んで嬉しいと、心にもないことをいわんといけんやった。日本が戦争勝つために朝鮮人が死ぬる理由なんか一つもありませんからね。(中略)男がごっそり徴用にとられてから、子供ができんで、うちの面では急に人口が減りましてねえ」



「朝鮮人強制連行論文集成」(明石書店、1993年)p581

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