総一郎と茜_1月

初出スレ:初代375〜

属性:男子高校生と女性教師



 顔も知らない他人に感謝したのは生まれて初めてだった。
 それどころか、道行く人すべてに、ありがとうやったぜ、と握手を求めたくなった。
「そんなに嬉しいか」
 うん、嬉しい。極限までに浮かれている。
 どうしようもなく小笠原茜に夢中だ。




 終業式の日。
 ちょっと早いけどクリスマスに、と毛糸の手袋とハンドクリームを手渡した。
「カンボジアで凍死しないように」
 気を利かせたつもりだったが、茜は低い声で浅尾、と顔を上げずに呼んだ。
「カンボジアは熱帯モンスーン気候だ。防寒具は必要ない」
「ああ、そう……」
 しばらく会えないというのに茜はやっぱりクールでドライだった。

「日本で使うことにする。ありがとう」
 くちびるの端を素敵にあげて、茜は少し嬉しそうに歪めた顔を、だけどすぐに曇らせた。
「君は気が利くな。私は何も用意できていない。少し待ってくれないか」
「いや、あの、期待してないですから、気にしないで」
 まぁ、そうだろうとは予感がしていた。
 あからさまにイベントに興味がなさそうな茜のことだ、学期末の雑多な仕事に追われてクリスマスのクの字も忘れていたに違いない。
 実は彼女への贈り物を用意するのもためらった。重荷になるのは本意ではない。
 だからごく些細な、だけど必要なものを選んだのだ。
 まるで母親へのプレゼントの様だけど、悪くないチョイスだと浅尾総一郎は自賛する。

 茜は自分自身を飾ったり守ったりすることに非常に無頓着だ。
 お似合いの白衣はかろうじて上着代わりらしいが、放っておくと準備室の暖房を付け忘れたまま長時間過ごした後、手が動かない、と一人首をかしげている。
 きっと夏には、自宅で熱中症になるに違いない、と総一郎は予想している。
 以前「たまたま」一緒に帰ったときに手袋もマフラーもしていなかった。
 どうして、と聞いたら、去年どこに仕舞ったか思い出せない、という。
 休日に探そうと思ってもいつも忘れる、らしい。
 もしかしてどこかに忘れたかもしれない、なんて、それすらも覚えていないってどうなんだと不思議に思う。

 また化粧も、眉は手入れされているしマスカラは塗っているそうだが、そのほかは一切塗っていない。
 気まぐれに口紅を塗ったりする程度だ。
 しかもマグカップについた赤い紅を、眉間にしわを寄せて苦々しげに親指で拭う様子を何度か見た。口紅を憎んでいるのでは、と推測している。

 以前、なぜ化粧をしないか尋ねてみたら、淡々と返事が返ってきた。
「1、眼鏡を外すと何も見えない。2、眼鏡があると化粧ができない。大いなる矛盾だ。そして朝は時間がない」

 実に論理的な返答だった。
 最低限、身奇麗にはしているがそれ以上は興味がないし必要も感じない、ということか。
 だからなのか想像も付かないが、洗い物が好きな茜の手は少々乾燥気味だ。
 まだあかぎれなどは出来ていないが、これからますます冷えが込んで乾燥が厳しくなる。
 彼女にはいつでも滑らかな手でいてもらいたい。
 
 まぁ、そんな理由だけだ。
 だから茜が気に病む必要はまったくない。
 しかし「期待していないから」の言葉は、ドSの魂に火をつけたらしい。

「いや、そう言われては立つ瀬がない。新学期を楽しみにしていたまえ」

 新学期までやっぱり会わないつもりか、とクリスマスなんかよりそこが気になったが、そりゃどうもと、どうにか曖昧に微笑んだ。




 冬休みも半分ほど終わってしまった。あっという間だ。
 茜はいまごろ何をしているだろうか、と考えている時に携帯電話が鳴った。
 表示は「通知圏外」。
 ……圏外?
 そこはどこだ、と恐る恐る通話ボタンを押す。

「はい?」
「…………浅尾?」
 少し遅れて、耳になじんだ穏やかなアルトが聞こえた。
「セン、セイ?」
「ああ、そうだ。今、いいか?」
「あ、はい、どうぞどうぞ、暇です」

 暇とは我ながら情けないが、それよりも思い返せば茜から電話がかかってきたのは初めてだ。
 旅行へ行く前に、空港から辛うじてメールを貰ったが、それ以来のコンタクトに総一郎の胸は高鳴った。
 携帯電話を握る手の平に、じっとりと汗が滲む。

「あー、元気か?」
「うん、元気ですよ」
「課題は?」
「…………まぁ、ぼちぼち?」
「そうか。早めに終わらせるように」
 なんだ、せっかくの国際電話でもセンセイなのか?
 らしい、といえばとてもらしい会話に、小さく笑った。

「センセイは? 元気? おなか壊してない?」
「む、おなかは壊してない。が、ちょっとダウンだ。今日の半日観光はキャンセル。琴子一人で行ってもらった」
「え、そうなの?」
「やっぱり体力不足だ。だめだな、浅尾の言うとおりだ」
「大丈夫?」
「ああ、さっきまでぐっすり寝ていた。明日はもう大丈夫だろう」
「そっか。今どこ?」
「ベトナム」
「そうなんだ。旅行、楽しい?」
「うん、楽しい…………が、そろそろ日本が恋しいな」

 恋しい、という言葉にドキリとした。
 茜が恋しいのは日本であって、別に会いたいと言われたわけじゃない。
 いやしかし、2日後に帰国したらそのまま実家に帰ってしまうドライな茜が、恋しいなんて感情を持っていたとは仰天だ。

「……浅尾?」
「ん?」
「あの、正月は、どうしてる?」
「ああ、元旦と2日は親戚のうちに行きます」
「そうか、えーと、…………初詣にでも、行かないか?」
「……え?」
「いや、もし君が暇だったら、と思っただけだ。忙しいなら、別に」
「行きます!」
 とっさに叫んでいた。
 初めて、誘われた。
 きっとこれは奇跡だ。
「……そうか」
 いつもと同じそうか、という言葉に、どこか安堵が含まれているように思えた。

 海を越えて、茜の吐息が耳に響く。

 不思議だ。
 心地いい穏やかなアルトが近くに響くだけで、そこにいないのにいる錯覚に、簡単に陥られる。
 生まれて初めて、グラハム・ベル博士を心の底から尊敬した。
 電話はきっと、恋人同士のために存在しているに違いない。

 何か言おうとした矢先に、受話器越しにインターホンの音が聞こえた。
「すまない、琴子が戻ってきた。また、日本に帰ったら電話する」
「……あ、はい。じゃあ、気をつけて」
「ああ。…………ありがとう。おやすみ」

 ぷつ、と通話が途切れた。
 もの寂しさを感じたが、それよりも充足で一杯だった。
 今の会話を何度も頭のなかでリピートして、ついでに茜の体温と、匂いを思い出す。

 早く帰ってこないかな、と思った。
 海外にいるのと日本にいるのでは、まるで違う。
 会えないと会わない、ぐらい違う。


 急に正体不明なエネルギーが沸いて来て、総一郎は課題へと粉骨砕身取り組んだ。
 もちろん、茜に会ったら「課題? 終わりましたよ!」と誇らしげに告げるためだ。
 
 総一郎は、自分にうそをつく才能がない、と知っていた。
 多分、うそつきでポーカフェイスの女性に恋をしているせいだ。



 驚くべきことに、元旦にまた電話があった。
「浅尾? 明けましておめでとう」
「おめでとうございます。いまどこ? 実家?」
「いや、空港だ」
「帰ってきたばっかり?」
「そう。帰国ほやほやだ。無事に帰ってこられた、ただいま」

 茜は挨拶を欠かさない。教師だからか、もともとの性格なのか、もしくはその両方なのか。
 おはよう、も、やあ、も、お疲れ気をつけて、も、ごく自然にさらりと口にする。
 今も、総一郎がおかえりなさい、という前に、さっさと口に出してしまう。

「……おかえり。体調は?」
「ああ、何ともない」
「よかった。……おかえりなさい」
「ん? 二度目だ」
「うん、帰って来てくれて、嬉しいから」
「………………う、ん」
「センセイ?」
「いや、ちょっと驚いた。君は、すごいな」
「なにが?」
「……今度言う。また、夜に掛けてもいいか?」
「あ、はい、もちろん」
「じゃあ。あ、」
 切れる、と思ったが、通話は続いていた。
 たっぷり5秒間。
 何か言うのかな、と気配を察して待っていた総一郎に、極微な声が届く。

「……ありがとう、ただいま」

 空にも上る心地だ。
 ありがとう、だなんて、ありふれた言葉だ。
 だけど茜がそれを口にするだけで、まるで魔法のような言葉になる。
 何を感謝されたのか、イマイチよく判らないまま、総一郎は天まで昇った。




 3日に会うことになった。
 ちなみに初詣の名目は「大学受験必勝祈願」らしい。
 まだ来年ですけど、と尋ねると、早い方がいい、とのこと。
 茜が言うならそうに違いない。

 そんなことより初デートだ。
 しかも、茜から誘ってくれた。

 うきうきと、20分も早く待ち合わせ場所に到着した自分を、我ながら可愛らしく思う。
 ぼんやりと行き交う人の頭を眺めながらヒマを持て余して、柄にもなく自己分析などを始めてしまう。

 今日がこんなにも待ち遠しいのは、彼女の方から会いたい、と考え、その口実を作り出してくれたせいだ。
 求めて、応えてもらえるのは嬉しい。
 だけど求められるのは、もっと心地いい。茜は大人であのようにドライで、一人で何でも出来てしまうだけに、余計。
 普段、クールな彼女は総一郎に何も求めない。
 触れたい、と言われても、触れられたい、とは言われない。そして茜から総一郎へ触れるなんて滅多にない。
 つまり、そういうことだ。
 自分は、茜の最初の宣言どおり、観察対象で、ただの愛玩物なのも知れない。

 ほう、と煙草のような白い息を吐いて、携帯電話を開いて時間を確認した。
 あと10分。

 早く顔を見たい、と思った。
 寂しい、会いたいとこの数日何度も繰り返し切望した。
 女々しい自分に嫌気が差して、彼女はこんな自分をいつまで好きでいてくれるか不安になる。
 早く顔を見て、この不安の塊を払拭したい。10分を永遠に感じたのは、初めてだ。

 往来にはたくさんの女性が歩いているのに、自分が会いたいのは彼女だけだ。
 綺麗な人も可愛い人も、たくさんいるのに、スキだと思うのは鉄の仮面を被ったクールなセンセイだけだ。
 ああ、例えば、そう。あの茶色いコートの人なんて、かなり美人だ。
 ちょっとセンセイに似ている、と思った。でも似ていても、本人じゃなかったら意味がない。

 あまり他人を見つめては不躾だ、と携帯電話に視線を落とした。
 あと9分。
 待ち遠しい。

 ぽん、と肩を叩かれた。
 振り返ると先ほどの美女が、驚くほど至近距離に立っている。

「おはよう」
 耳慣れたアルト。
 控えめな甘い香り。
 茶色い瞳と、白い頬。
 見覚えのある、手袋。

「……セン、セイ?」

 トレードマークの眼鏡がない。
 いつも後ろに束ねられている黒くつややかな髪は、ゆるくウェーブを描いて肩に落ちている。
 そして、いつもは病的なほど白い頬がこの寒さにも関わらず桃色に色づき、まぶたは鮮やかなグリーンが乗り、くちびるは濡れたような朱色が差されている。

 一番驚いたのは、足元のブーツにかかる、ふわりとしたベージュの布地だ。それは、総一郎の見間違いではなければ、多分、スカート。
 白衣のようなラインのコートとパンツルック、なんてスタイルを想像していた彼は、度肝を抜かれた。

「やあ、浅尾。明けましておめでとう」
「……おおお、おめでとうございます。センセイ」
「ん?」
「眼鏡は?」
「コンタクトレンズが入っている」
「その、髪は? 化粧も」
「…………………………非常に不本意だ。歩きながら話そうか」

 すっと身を翻して、すたすたと歩き始める。
 慌ててその隣に並んだ。
 10歩歩いて、ようやく茜が重々しく口を開く。

「以前、姉がいる、という話をしたかと思うが」
「あ、うん。あとお兄さん二人ですよね」
「そうだ。昨日、実家を出ようとしたら姉に捕まってな。両親が寂しがるからもう一泊していけと言うんだ。初詣にいく約束があるからと説明をしたら、誰と、とそれはそれはしつこく聞かれた」
「何て応えたの?」
「生徒だ、と。『じゃあ変装ね』と言い出し、今に至る。あの人は思い込みが激しい」
 今朝インターホンが鳴って、開けたらお姉さんが立っていた、らしい。
 朝から大張りきりで、茜に化粧をしたり髪を巻いたり服を決めたり、出掛ける前から消耗したと淡々と語った。

 お姉さん、ありがとう。

 会ったこともない他人に感謝したのは初めてだ。
 キレイな横顔を見つめながら、そんなことを思った。
 この展開は、いつの時代の漫画だと、ついでに思い至って可笑しくなった。
 ちがう。漫画の中では「眼鏡を取ると意外に美人」だが、茜は眼鏡をしていても美人だ。
 眼鏡も似合うが、なくてもいい。普段は知的で隙がない印象だが、今日は柔らかくて優しげで、まるで別人に見える。
 確かに、変装は完璧だ。今の彼女を化学教師の小笠原茜だと気がつく人間が何人いるか。
 女性の髪形と化粧は偉大だ。
 
「センセイ、今日もキレイっすね」
「らしくないと自覚している。無理しなくていい」
「本気なのに。マイナス思考」
「む」
「ホント。今日はすっごい可愛い」
 口に出したものの、気恥ずかしくなってぴょん、と両足で跳ねた。
 どうしようもなく子供っぽい行動だ。

 正月も3日を過ぎたというのに、同じことを考える人間は無数にいるようで、神社への道行きは適度に混雑をしていた。
 混んでいる方が人に紛れて誰かに見つからずにすむのか、それとも人が多いと単純に出会う確率が増えるのか、ふと疑問を持った。
 でも、学校から二駅もとなりまでわざわざ足を運んだのだ。
 茜も「変装」をしていることだし、油断をしても大丈夫だ。
 根拠もなく確信して、茜の右手を攫って握った。
 手袋がじゃまだな、とちょっと思った。

 茜は驚いたように手を軽く引いたけれど、総一郎が目をあわせてにっと笑うと、小さく白い息を吐いてくちびるをいつものように軽く上げた。

「ご機嫌だな」
「まぁね」
 そりゃご機嫌だ。やっと会えたのだし、彼女は自分と会うためにおしゃれをしてきてくれた。例えそれが、お姉さんの策略とはいえ、広義で解釈すれば総一郎のために違いない。
「そんなに嬉しいか」
「うん。いつものカッコいいセンセイもいいけど、今日のセンセイも好きだな。髪、下ろすのも似合うし、眼鏡ないのもいい」
「………………………………あ、ああ、そうか。それはよかった」
「うん」

 大きな鳥居を同時にくぐって、玉砂利をざくっと踏む。
 まるで新雪を踏むようなこの音を、こんなに意識して聞いたのは初めてだ。
 茜といると、何もかもが新鮮で、周り中の出来事に敏感に反応できる。アンテナが四方八方に広がっているようだ。
 丸い石の一つが、茜のブーツの先に当たって飛んだ。

 手水舎で手を洗った。実はいつも省略するのは内緒だ。
 古臭いイラストどおり、左手、右手、左手、と水をかける。
 その水は予想通りきりりとよく冷えていて、茜が顔をしかめた。

 やっと脱いでくれた手袋をはめてしまう前にその手をぎゅっと握って、拝殿へと続く列に向かう。
 茜は無言で、さっきまで右手にはめていた手袋を差し出した。
 総一郎は普段から、ポケットに手を突っ込むだけで充分だから手袋を持ってきていなかった。
 ありがたく受け取って、右手にはめる。
 また茜のつめたい左手を握って、列に並んだ。
 長蛇、とは行かないが、そこそこ長い。
 頭一つ小さい隣の茜を見やる。気配を察して、彼女も顔を上げる。
 まるで、恋人同士みたいだ、と思った。
 いや、たぶん、恋人同士で間違いないとは思うのだけど、イマイチ自信がもてない。

 話題を探して口を開く。
「旅行どうだった?」
「ああ、楽しかった。浅尾もいつか行くといい。自分がちっぽけに思える」
 行くならセンセイとがいい、と思ったが、口には出さずうん、とだけ呟いた。
「正月は? なんか面白いことあった?」
「面白いこと…………ああ、プロポーズをされた」
「…………は?」

 あまりのことに上手く声が出せなかった。
 記憶違いでなければ、プロポーズとは求婚のことだ。
「だ、誰に?」
「ハヤト」
 誰だそれは。
 でもなんとなく、聞けなかった。
「…………で、何て返事したんですか?」
「ありがとう、と。そのうち己の間違いに気付くだろう。わざわざ恥をかかせることもない」
 その人が間違いに気がつかなかったらどうするつもりだ。
 まさか、責任を取って結婚しちゃうとか?
 
 結婚。
 その言葉は、17歳の総一郎に途方もなく重くのしかかった。
 自分はまだ、結婚も出来ない年齢だし。なんとなく将来結婚するのだろうなとは考えていても、そんな先のこと、想像もできない。相手は茜がいい、としか。

「…………結婚、するの?」
「浅尾?」
「プロポーズされて、ありがとう、なんて、結婚するってことじゃないんですか」
「何を怒っている?」
「怒ってない。ただ、あと10年早く生まれたかったって、思ってるだけ」
「ほう、盛大に誤解をしているな。隼斗は小学5年生の甥っ子だ」
 はぁ? と間抜けな音が漏れた。
 彼女の人を喰う性格は熟知していたつもりだが、最近は発言が微妙にリアルになり見抜けない。
 またやられた。

「5歳の頃からの恒例行事なんだ。会うたびに『茜ちゃん、僕が18になったらケッコンしてね』と言う。そろそろ幻想を捨てるか現実を知る年頃だと思うのだが」
 総一郎にも覚えがある。妹が小さい頃、「大きくなったらパパとお兄ちゃんとケッコンするの」とのたまっていたアレと同質なんだろう。
 まぁ「茜ちゃん」にちょっと引っかかったが、相手は小学生で親族なのだ。つべこべ言っても仕方ない。

「…………ヤキモチか?」
「ぐ」
「そうかそうか。浅尾は可愛いな」
 眼鏡のない横顔が、くすぐったそうに肩をすくめて笑った。
 ひとしきりにやにやと笑った後、急にこちらを仰ぎ見る。

「禁断の愛は、君とだけで充分だ」

 ノックダウンだ。
 なんだ、アンタは俺をどうしたいんですか。
 萌え殺したいんですか、そうなんですか、このドSのヘンタイめ。

 人目をはばからず、肩を抱こうと思った矢先に参拝の順番が回ってきた。
 先にがららと大きな鈴を鳴らしカラフルな紐を手渡すと、同じように茜ががらんと鳴らした。

 5円玉を投げ入れて、珍しく神妙に祈る。
 ――今年も、来年も、その先も。センセイとずっと一緒にいられますように。
 その願いは我ながら乙女チックで気恥ずかしく、慌てて、無病息災と合格祈願を重ね合わせた。

 あまりにも真剣に祈りすぎて、存外長く時間がかかった。
 隣の茜が、目線だけで驚いたように総一郎を見つめていた。

「熱心だな」
「まぁね。センセイは何をお願いしたんですか?」
「ヒミツだ。願いごとは他人に明かしていけない」
「そうなんですか?」
「そうだ。でも、まぁ、たぶん、君と同じだ」

 また萌え殺された。
 もしかして「合格祈願」のほうかも知れないが、そこはプラス思考で乗り切ろう。


 この後どこへ行きたい、と聞かれて、センセイと一緒ならどこでも、なんてまた乙女チックな回答が浮かんで口ごもった。
 何とか、映画は? と尋ねると、今度は茜が口ごもった。
「暗闇で二人っきりは、よくない」
 映画館だし、きりってことはないだろうに。
「……の、」
 俺の?
 浅尾の、と言っただろうか。ちょっと聞き取りにくかった。
 言いにくそうに、茜は続ける。
「理性が、」
 俺の理性を心配されている。
 そんなに困らなくても人前で襲ったりしないのに。
「じゃあ、水族館は?」
「ああ、いいな」
 茜が柔らかに笑う。
 絶好のデートスポットだ。
 聞けば、10年ぶりだそうだ。それもすごい。

 ナチュラルに入館料を二人分払われてしまい、しかも「学生料金はいいな」と言われて少し落ち込んだ。そして休日まで生徒手帳を持っている自分を恨んだ。
 でも、色とりどりの魚たちと、それを食い入るように見つめる茜の横顔に癒された。
 茜が一番長く居座った水槽が、ペンギンでもアシカでもシャチでも熱帯魚でもなく、クリオネとクラゲである事実に、らしい、と笑いながら、幸福な初デートは幕を閉じた。



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2007年11月07日(水) 00:11:16 Modified by toshinosa_moe




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