総一郎と茜_11月
初出スレ:初代スレ308〜
属性:男子高校生と女性教師
自分ばかり好きなんだと思っていた。
やっぱりガキだから相手にされないんだと。
「私の秘密を教えよう」
飛び上がりそうに嬉しい提案だった。
だけど、珍しく笑ったその表情は、何か企んでいそうな笑顔だった。
*
夕焼けに染まりかけた実験室。
中庭のイチョウが見事なからし色に染まり、秋も更けたと柄にもなく思いをはせる。
しかし物悲しい秋よりも重要なのは、目の前の机に腰掛けた愛しの先生だ。
今日はテーマが見つからないから実験はなしだ、と茜がいうので、膝を交えて会話を楽しもうとうきうきしたのだが、会話のテーマも見つからない。
あの衝撃的な愛の告白から一ヶ月。
毎日のように放課後を実験室で過ごす日課は幸福に続行中だ。
たまにこうして実験を休んで語りあうものの、その内容はもちろん愛について、などではない。
友人同士でも話さないような、たわいもないことばかり。
だけど信じられないほど総一郎は浮かれた日々を過ごしている。
ただ、幸福も、慣らされてしまえば日常だ。
浅尾と呼ばれるだけで心躍ったあの日にはもう戻れない。
あの日以来触れていないその手を握って、細い身体を抱きしめたい。
あわよくばその先も。
割と隙だらけの彼女にそれを実行できないのは、総一郎がチキンだから、という理由だけではない。
茜は揺るがない。
彼女の顔を見るだけで自然と笑みがこぼれる総一郎とは、違うのだ。
「大マジだとも」
そう言った数分後、身体を離した頃にはもう教師と生徒の距離で、その後日々少なからず縮まるのだと期待していた関係は相変わらずそのままだった。
顔を見れば、やあ、としか言わない。
他の生徒と同じ待遇だ。
大マジで好きなら、ちょっとぐらい特別扱いしてくれてもいいはずだ。
別にテストの山を教えて欲しいと言っている訳ではない。
やあ、の後に、待っていた、と付け足してくれればいいのだ。
ハードルの高すぎる望みだろうか。
それとも、茜の「好き」という感情は、自分のそれとは違うのだろうか。
ため息を落として、茜の入れてくれたインスタントコーヒーをずず、とすすりながら、総一郎は端正な横顔を見つめた。
行儀悪く机に腰を下ろした小笠原茜は、両手に湯気のたつマグを抱えて、ぼんやりと外を眺めている。
色気のない眼鏡の奥の瞳は動かない。
まるで人形のようで、きちんと呼吸をしているのか心配になるほど動かない。
時折思い出したように瞬きを繰り返して、総一郎を安堵させる。
だけどもしや目を開けて寝ているのかもしれない。
この人だったらやりかねない。
「……センセイ?」
「……………………」
ためしに呼びかけてみても、茜のガラス玉のような瞳は虚空を見据えたままだ。
「小笠原、先生?」
「…………」
「センセイ!」
びく、と茜の肩が震えた。
その拍子に眼鏡がずれる。
奇跡的に手の中のマグからコーヒーはこぼれなかった。
「ああ、浅尾」
冷静にずれた銀色の眼鏡のふちを持ち上げながら、ゆっくりと茜は総一郎と視線を合わせた。
「どうした?」
「考えことですか?」
「いや、イチョウの葉が何枚落ちるか数えていた。今日の隠れテーマだ」
「……あ、そう」
はぁ、とため息を落とす。
で、何枚だったんですか、と尋ねた総一郎に、茜は声のトーンを少々上げて答えた。
「ちょうど108枚だった。マーベラス」
「……へー」
興味なさそうな総一郎の相槌に、重々しく頷き一言、深い、と呟いた。
「人間の煩悩は本当に108個だと思うか?」
「そんだけあれは十分でしょ」
「いや、煩悩を欲求と言い換えたなら、とても足りないと私は思う」
「センセイにも、欲求ってあるんですか」
「あるとも」
「どんな?」
総一郎からちょっと視線を上へ外し、考えるようなしぐさを見せる。
だがすぐに、ふ、と軽く息を落として、ゆるゆると首を左右に振った。
「教えられないな」
「……ちぇ」
「聞きたいか?」
「聞きたいです」
ふむ、と低く口にして、総一郎を見つめた。
「じゃあ浅尾。君の秘密を教えてくれ。代わりに私の秘密を教えよう」
ワンダフルなサプライズだ。
少なくとも総一郎に興味がある、という証に違いない。
そして秘密を共有してもいい間柄、と茜は思っている、はずだ。確信はないが。
ともかく、こんないい話に乗らない手はない。
「いいよ、センセイ。何が聞きたい?」
「駄目だ、君が自主的に恥ずかしい秘密を暴露してこそ意味がある」
まて。妙な形容詞が追加されたぞ。
秘密は秘密でも、恥ずかしくなければいけないのか。
くそう、ヘンタイめ。
胸のうちで暴言を吐き捨て、じっとこちらを見据える茜の瞳を見つめ返した。
「………………センセイは、何を教えてくれるの?」
「私の本当の年齢」
「は? 27じゃないんですか」
「これ以上は駄目だな。君が先だ、浅尾」
「ちっ」
軽く舌打ちをして、恥ずかしい秘密を探す。
とっさに思いついたのは、何日周期で自主トレに励むか、そして一日の最高回数というデータだった。
駄目だ、こんな暴露をしては、卒業までからかわれるに違いない。
「…………妹と、弟がいます。妹が中一で、弟が小四」
「ほう、君は長子なのか、どうりで。ちなみに私には姉が一人と兄が二人いる」
「末っ子ですか。ぽいですね」
「よく言われる。で?」
「えーと、一昨年まで三人で風呂に入っていました。今でも弟と入ります」
「奇遇だな。私も去年まで下の兄と入っていた」
「………………………………………………マジで?」
「イッツジョーク、浅尾。君は素直だな」
なんでそんな意味不明な嘘をつくんですか。
本当に訳がわからない。
「その話のどの辺りが恥ずかしい? ただのよい兄としか思えないが」
「俺には恥ずかしいんです。もういいでしょ」
「そうだな、君が恥ずかしいというなら納得してやろう」
そりゃどーも、と今更湧いてきた気恥ずかしさを打ち消すように、そっぽを向いてぼりぼりと耳の上を掻いた。
ちらりと盗み見た茜は、再び窓の外を見つめて満足げな笑みをうかべている。
その口元を隠すように、マグを傾けた。
こくんとコーヒーを飲み下した白い喉を、食い入るように見つめてしまった。
顔の前からカップがどいた頃には、もういつもの無表情で、かたん、と空になったカップを腰の隣に置いた。
「じゃあ次はセンセイの番。本当の年齢ってどういうこと?」
「実はな、浅尾。私は32歳なんだ」
「………………………………」
マジで、と聞き返すことも出来なかった。
年は関係ない、と言ったのは総一郎のほうだった。
だけどさすがに、15の年の差は大きすぎやしないか。
血液が逆流して、どんどんと背中が冷えていく。
からからに渇き始めた喉から、やっと声を絞り出す。
「うそ、だろ……?」
「もちろん嘘だ」
身体中から力が抜けて、額を木製の机にしたたかに打ち付けた。
がん、と大げさな音が上がった。
痛い、と呻くより先に、痛そうだなと冷静なアルトが降ってきた。
「32に見えるのか。少なからずショックだぞ、浅尾」
「だからどうしてそういう意味のない嘘をつくんですか!」
がば、と上体を起こした勢いで立ち上がって、茜に詰め寄った。
つばが飛び散らんばかりの距離で怒鳴っても、彼女は鉄面皮を崩さない。
あくまでクールにマイペースに、淡々と会話を続ける。
「時に浅尾。君の誕生日はいつだ」
「……10月8日ですけど」
「おうし座か」
「てんびん座です」
「そうか、すまない」
「興味ないなら無理に言わなきゃいいのに」
「以後そうする。私は1月31日生まれだ」
「二ヵ月後?」
「そうだ、それまで私はまだ26歳だ。……その、君が誤解しているようだから訂正しておく。当面、年の差は9だ」
別に一つぐらい変わらないのに、と喉元まで出掛かって飲み込んだ言葉を読んだかのように、茜が否定する。
「10と9ではまるで違う。判るな?」
二桁と一桁だからだろうか。
ただのイメージの問題と捉えれば、総一郎にも合点が行く。
素直にはい、と頷いた総一郎に、少なからず茜は安堵したようだ。
「くだらない固執だと自覚している。聞き流してくれて構わない」
「や、覚えました」
「そうか」
「そうです」
「そうか。あー………………ありがとう」
消え入りそうな小さな音でアルトが響き、声の主は顔を背けてうつむいた。
胸が高鳴った。
いつでも断定的で、理論的な茜が、感情を露にするのは非常に珍しい。
稀にしか見ることの出来ない照れたようなこの表情。
ときめくなという方が無理だ。
はたと気がつく。
立ち上がった総一郎の顔と、机に座る茜の頭の高さが一緒だ。
一歩近づいた。
顔に影が落ちて、総一郎の気配に気付いた茜が視線を戻す。
そっと、机の上にふわりと乗った茜の両の手の甲に、自分の両の手のひらを重ねる。
やはり冷たい。特に指先が。
「浅尾?」
「年なんて、気にしないって、言ったじゃないですか」
「そろそろ気が変わったかと……思った」
「ホントにすっげーマイナス思考」
「自覚は、ある。治す努力をしよう」
「不安なのは、センセイだけじゃないのに」
「浅尾、」
身体をゆっくりと寄せていく。
緊張で、手が震えそうだ。
控えめな甘い香りが、余計に緊張を誘う。
重ねた手がもぞもぞと動く。
両手に体重を乗せて、逃げられないようにしてしまう。
「……っ、浅尾、近い……!」
茜の声が珍しく上ずった。
総一郎から距離をとるべく白衣の背中が丸まって、接近と同じスピードで茜の身体が離れていく。
動悸が激しすぎて胸が痛い。
こんな極限状態は、高校入試の面接以来だ。
それでも、逃げようと引いた背に、腕を回した。
マーベラス、俺。
今の動きはナチュラルだった。
この行動はおそらく、本能だ。
無機質な銀の眼鏡の向こうにある茶色い瞳が、慌てたように瞬きを繰り返している。
「……センセイ」
息のかかる距離まで顔を近づけて、そっとささやく。
「キス、していいですか……?」
「駄目だ」
きっぱりとした拒絶とともに、下半身に衝撃が走る。
ぐお、と呻いて自分の身体を見下ろせば、黒いパンツスーツのすねが見事に下半身にめり込んでいる。
痛い。
もんどり打つほどではない辺り、手加減はしていただけたようだがそれでも痛い。
茜はゆっくりと足を下ろし、空いた手のひらで、とん、と総一郎の肩を押しのけると、ひらりと机から飛び降りた。
股間を抱えてうずくまる総一郎を見下ろす気配がする。
「………………ひでぇ」
「酷いのは浅尾だ」
「くそ、ちゃんと聞いたのに」
「そこは褒めてやる。だが遅い」
「もっと早かったら、オーケーしてもらえたんですか」
「するか馬鹿」
「……口、ワルっ」
む、とうなって、咳払いを一つ。
ああ、鉄の仮面を被ったこの人も、動揺したりするんだなと総一郎は思った。
「横着はするもんじゃないな。逃げ場がない。二度と机には座らない」
「好きって言ったくせに」
「その通りだとも」
「好きな男に取る態度じゃねぇ」
「それとコレとは話が別だ、浅尾」
別? と膝を床について顔を上げる。
「ここは学校だ。誰が見ているとも知れない。言い訳が効かない行動は慎むべきだ」
ああ、そういうことか。
でもだからって外で会ってくれるわけじゃない。
「君がこんなつまらないことで退学にでもなっては、親御さんに申し訳が立たない」
つまらないことなんかじゃない、と言いかけて、この場合、責任を問われるのは茜のほうだと気がついた。
よくは判らないが、多分、退職は確実なんだろう。
女子生徒にわいせつ行為を働いた男性教諭の辞職のニュースは幾度か耳にしたことがある。
そして、茜はそれを口にしない。
クビはまっぴらだ、とはっきりと言えばいいのに。
「……判った、スミマセン」
「いや、こっちこそ手を上げてすまなかった。先に言っておくべきだったな。なぜか君は安全だと、思い込んでいた」
「安全です、安全ですとも!」
「そうか。信じよう」
すっと茜の白い手が伸びて、ひやりとした指先が額に触れた。
総一郎の前髪を撫で上げて、軽く眉根を寄せる。
「赤いな」
「そういえばそっちも痛いです」
「うん、悪かった」
すっと上体をかがめた茜のくちびるが、額に軽く触れた。
それはたった一瞬の出来事。
「………………せ、んせい」
「もう一つ言わせてもらえば、襲われるのは趣味じゃない。迫るほうが好みだ」
くちびるの端を悪人よろしくにやりと歪めて、高らかに宣言をする。
――センセイ、あなたはつまり、ドSってことですか!?
きっとこの人に勝てる日はやってこない。
そんな予感を胸に、青少年はハイ、と力なく頷いた。
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