冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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Bomb Shelter Honeymoon


Maria and Melvin Mininson

LIFE 1959年8月10日号は、マイアミのシェルター業者による「シェルターハネムーン」を記事にした。
シェルターでハネムーン

そのスタントは「シェルターも楽しいかも」と呼ばれることになるかもしれない。マイアミのシェルター建設業者の依頼で、新婚のMelvin Mininson夫妻は結婚生活を、22トンの鋼鉄とコンクリートの2.4メートル×4.2メートルの地下3.6メートルのシェルターの中で、何者にも妨げられない、14日間(放射性降下物が危険を避ける期間)の試練で始める。先週登場したとき、Mininson夫妻は意気揚々として、このスタントは地下での生存に関する有用な証拠を作ることができた。

シェルターの中では、Mininson夫妻は暑くて埃っぽい状態だったが、期間終了間際まで閉所恐怖を感じることはなかった。夫妻は、6時間換気なしでも病気になることなく過ごせることを発見した。これは実際の緊急事態の際に、重要なマージンとなる。夫妻は、もう少し食料のバラエティが多く、壊れた小物を修理する道具あればよかったと語った。これまでの不便な監禁状態を終えて、夫妻は、シェルター建設業者負担で、2週間のメキシコの地上旅行に出かける。


地下へ 結婚式のあと、シェルター滞在の準備として、Mininson夫妻はキスをした。

ハネムーンギフト 大半が、建設者から寄贈されたシェルターで使う食料備蓄や特別備品。シェルターの入り口は写真右上の、小さな家の芝生の上。

日記をつける Maria Mininsonはシェルター生活の進行の記録を付ける。彼女は27℃という高めの温度に対応すべく薄着である。

時間の経過 フロアファンをカードテーブルに使って、ラミーをプレイするMininson夫妻。夫妻は電話とラジオも使えたが、テレビは置かれていない。


帰還 地下から地上への帰還。Mininson夫妻は「天国みたいなものでした」と述べた。その夜マイアミビーチのホテルで世界的パーティで祝福された。

[ LIFE 1959/08/10 "The Sheltered Honeymoon" ]

当時の新聞(1959年7月)も、Maria Rodriguez(27)とMelvin Mininson(28)のシェルターハネムーンの開始と終了を報じている。

The Free Lance-Star (1959/07/11)


Sarasota Herald-Tribune (1959/07/13)


Deseret News (1959/07/27)

なお、それなりに不便もあったことが、当時のインタービューに残っている。

また、このシェルターハネムーンから41年後に、Atomic AgeをフィーチャーするサイトCONELRADの編集者Bill GeerhartがMininson夫妻を訪問している。
Nancy Bellmyre and Kalley Geiger

Mininson夫妻以外にも、同様の企画があった。こちらも滞在期間は2週間で、参加者Nancy Bellmyre (23)とkalley Geiger (25)だった。


[ Honeymoon Set In Bomb Shelter (1959/06/29) on Gadsden Times ]

Brent Parker(19) and Renae Parker (17)
Gerald and Joan Klein

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