冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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Operation Alert(1954-1961)の報道


1954年6月14日、初の国民参加の民間防衛演習オペレーションアラートが実施された。米国の41都市、カナダの8都市、アラスカの2都市及び、ハワイ・プエルトリコ・ヴァージン諸島の1都市が参加、想定は、ソ連の425機の核爆撃機が北極を越えて侵攻、うち30%ほどの迎撃に成功するも、300機が目標に到達して攻撃を実施。市民は地下や建物に退避、交通機関は停止、航空機は離陸中止するなど、それなりに気合の入ったもの。また、大統領と数十万の公務員は、想定攻撃時にシェルターに移動したが、議会は演習に参加しなかった。

当時、有意味な行動とされた、都市部からの退避演習は、4月26日にワシントン州Spokaneで、6月11日にルイジアナ州Shreveportで、6月14日にアラバマ州Mobile(これはオペレーションアラート連動)で、6月20日にワシントン州Bremertonで実施された

1955年のオペレーションアラートでは、29000人が建物から退避する演習を実施。大統領も非公開の場所のテントへ移動して、執務を継続した。


なお、この演習の想定では、死者820万、負傷650万だった。

1957年のオペレーションアラートでは、7月12日に、Dwight D. Eisenhower大統領はホワイトハウスからCamp DavidまでBell H-13Jヘリで移動した。ヘリコプターは1944年から米軍で利用されていたが、安全性を理由にそれまで、米国大統領がヘリコプターを利用することはなかった。そのため、これが史上初の米国大統領のヘリコプター搭乗となった。

一方、このオペレーションアラートを実効あるものにすべく、1955年、ニューヨーク州は演習の指示に従わなかった者に、500ドルの罰金と収監1年を定めた。6月27日の演習では、Dorothy Dayなど27名の平和主義者が公園のベンチに座って抗議、逮捕され、執行猶予判決を受けた。この毎年抗議運動が続けられ、1960年5月3日の演習では、大規模な抗議行動が行われた。1961年には2500名が参加。他州の大学にも抗議運動は広まった。そして、1962年の演習は中止され、それ以後、行われることはなかった

これに関するニュース動画は多くあるが、ここでは2本を紹介する:







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