あらゆる架空国家が併存するモザイク世界

国旗
国名オスマン=イスラム共和国
領土
国の標語兄弟たちに平和あれ
国歌アッラーは我らを勝利へ導く
国花オリーブ
国鳥コノハズク
国獣大型竜
首都イスタンブル・ハリノファ
首都人口891万人
最大都市ヨルベン
元首オケット・ヨルベン
(第46代カリフ)
行政評議会主席顧問官イッター・ランディン
政治体制共和制(事実上)
公用語トルコ語、アラビア語
人口1億5405.5万人
面積149万5240㎢
GDP8兆8546億リラ
一人当たりGDP57476.9リラ
(2020年12月現在、1USドル=12.7リラ程度)
通貨リラ

概要

 中東に位置するイスラム教国家。かつてのオスマン帝国の後継国家でもあり、オスマン=イスラム国、共和制オスマン、第二オスマンなどとも呼ばれる。保守的な宗教国家であり、イスラム原理主義に基づく思想が銀行の経営から男女の性差別、憲法や政治システムにまで反映されてる。国内の貧富の差も非常に激しく、大まかに首都から離れるにつれて所得の少ない人が多くなっていく。
 国土は変化に富んでおり、砂漠もあれば淡水湖もある。また標高の高い山岳地帯では降雪も見られるほか、ごく小規模ではあるが氷河もある。年間を通して降水量の小さい地域が大半をしめるが、日射量の多さから近年では発電量のうち太陽光発電の割合が増えている。
 移転後はかつてのイスラーム世界を取り戻すことを国の使命として掲げており、多数の国に対し自国領を不当に占拠していると非難を連発しているが、軍事でなく話し合いや外交によって領土問題を解決する方針であるため、軍事的な緊張関係にはあまり至らない。
 

歴史

 1988年に「移転」するまでと、それ以降に分けて記述する。

「移転」するまで

 ウィーン包囲によりヨーロッパ諸国に対してもかなりの力を持ったオスマン帝国も、次第に国力を衰えさせて周辺地域への影響力をなくしていた。一方で西は英仏、東はロシヤと潜在的に敵対するプロイセンはヨーロッパ外での味方を探していた。この両国は18世紀前半以降次第に接近し、1849年にはオスマン=プロイセン同盟が発足。これ以降オスマンは留学生を派遣したり技師を招待するなどしてドイツの優れた科学技術を学び、次第に国力を回復させていった。こうしてオスマン帝国は19世紀後半に西ヨーロッパ諸国にやや遅れる形で産業革命を成功させ、近代化の道を進んでいくこととなる。
 1866年にアジアでは初となるオスマン帝国憲法を発表、ドイツの政治システムを参考にオスマン皇帝を頂点にした中央集権政治システムを完成させた。またオスマンの影響力を維持するため軍事力も増強させ、19世紀初頭には英仏から地域大国として見られるようになっていた。
 1912年から始まる第一次世界大戦ではドイツ、オーストリア=ハンガリー二重帝国と共に同盟国側で当初参戦した。しかしながら1915年にロシヤが降伏すると一方的に停戦を宣言し、同盟国とは相互不可侵・中立を維持しつつ連合国と有利な条件で講和を成し遂げ、そのまま終戦を迎える。対露戦での働きからロシヤとの講和会談では、オスマンは南ロシヤ地域に莫大な権益を保有することとなった。具体的には鉱山や鉄道、港湾などであり、ロシヤへの影響力も非常に高くなった。こうしたことから発足した国際連盟では常任理事国に指名され、世界の大国として数えられるようになった。
 一方で影響力を持ちつつもロシヤの共産主義化を抑えることができず、1929年にソ連が成立するとアメリカ、イギリス、日本と共に介入することになる。干渉戦争と呼ばれるこの軍事介入は長引いたが、1933年にソ連は崩壊して共和制ロシヤに移行した。そしてオスマンはこの共和制ロシヤに対しても引き続き優位な地位を維持した。
 これに前後して発生した世界恐慌は当初オスマンには強い影響をもたらさなかったものの、英仏などの植民地保有国のブロック経済にうまく対抗できず、さらには金本位制への移行の調整に失敗し国内経済は大混乱になった。追い討ちをかけるように起きた1937年のアンカラ(現ヨルベン)地震は飢饉を発生させるなど国内に甚大なダメージをもたらし、芋づる式にオスマンは斜陽の帝国となっていく。国内が混乱する中、帝国の属州では離反・独立の機運が高まる地域も出てきて軍を出動させてはこれを鎮安するといった流れが常態化しさながら内戦国家のような有体となっていく。
 自国の内戦化により第二次世界大戦には不参加、さらに戦後の国際連合常任理事国も打診され一旦は受理したものの、国内問題を理由に最終的に辞退する。1940年代後半になるとロシヤでの影響力はもはやほとんど失われており、また中央アジア周辺地域も1956年までには失われた。
 1960年代以降はA・A会議などの影響もあり、民族自決・独立運動が世界的に広まっていく。オスマン帝国内においてもこれは例外ではなく、帝国は領土を維持するために軍を増強、国内のあちこちに派遣を繰り返すのだった。この結果国力の限界を超えた軍事費は国庫を逼迫し経済は衰退、国内の治安も大幅に悪化した。1983年までには現在の領土に境界線が定められ、それ以降は目立った反乱は起きていない。
 1988年、長引いた内戦の復興もままならないまま、第六世界線へ「移転」した。

「移転」後

 1988年12月6日午後22時頃より突如周囲との連絡がとれなくなり、また国境付近では突如行方不明者が発生したり、全く知らない景観に変化するなどの異常現象が起きた。翌7日には軍による無血クーデターが発生。第44代皇帝イギトゥアは退位し「オスマン=イスラム共和国』が成立した。ここに700年近く続いたオスマン帝国は消滅した。旧オスマン皇帝はイスラム教の中心、カリフとして宗教的権威は維持したものの、政治の実権は7人から成る行政評議会に移った。新政府はこの極めて異常な現象を「再創造」と名づけ、神アッラーが新たに地球を創造され自国のみが残されたと主張している。旧国家群もなくなり、ウマイヤ朝やセルジューク朝などのかつてのイスラーム世界の再征服を目指している。このため周辺国と度々領土問題に発展することがあるが、実際には軍隊に侵攻を命じてはおらず、あくまで上記地域の正当な支配権を主張するのみである。

地理・気候

 年間を通じて温暖な地中海沿岸地域、湿潤で農業に適した黒海沿岸地域、中東部の丘陵地帯、南部の砂漠地帯と国土が変化に富む。このため気候も地域ごとによって全く違った様相を呈しており、例えば同じ12月でも北部・中部・南部それぞれの都市では全く違う服装が必要になってくる。
 ヨーロッパ側の国土と西側の地中海沿岸部は地中海性温暖気候である。年間を通じて温暖であり、やや乾燥するものの日射時間も多い。こうしたことから感想に強いブドウや柑橘類、オリーブの生産が盛ん。さらに自然エネルギーを利用した発電施設も見られる。4月から11月頃までは特別な水着着用なしで海水浴が可能である。南に行くにつれて乾燥地帯としての性格を帯びてくる。
 黒海側は非常に湿潤な地域である。西海岸側に比べると平均気温は下がるが、肥沃な土壌と安定した降雨量が農業の一大地域として同地を発展させてきた。さらにこの地域では緯度に反してそれほど冬の寒さが厳しくないことも特徴の一つである。
 中等部は山岳・丘陵地帯であり一般的に南東にら向かうにつれて標高が上がる。国内最高峰のアララト山(5137m)もここにある。農業にはあまり適しておらず、牧畜が行われている。さらに年間を通して風が強い地域でもあるため、風力発電なども行われている。標高の高い場所では降雪もあり、冬季の積雪量はかなりのものとなる。
 南部は広大な砂漠が広がる乾燥帯である。以前はオアシス都市もあったが無計画な開発と地下水の組み上げによってその数は減りつつある。砂漠では全く雨が降らないということはなく、雨季にはごく短い期間に集中的な降雨が観測されることもある。わずか数時間だけの特に激しい雨は鉄砲水とも呼ばれ、水無川を氾濫させるほどの威力があるので注意が必要。

行政区分

 内政顧問官が任命する県知事が地方行政を行う。現在以下の73の県と1特別市(首都のみ)がある。
  • シヴァス
  • アズィズ
  • コンマ
  • カスタンヌ
  • ムエルシァリフ
  • イズミド
  • イズミール
  • ヒュダンベーン
  • ヒジャーズ
  • ヒジャス
  • アジャラ
  • アナトリキザ
  • ムズィー
  • デリソル
  • イー
  • パン
  • ベイルート
  • ビャスラ
  • アナトンム
  • バクダート
  • バン
  • エルムズ
  • イスファハーン
  • ファリア
  • ベルモント
  • キャベシ
  • ディヤルベクル
  • ピトリス
  • ジガー
  • アイフーン
  • アンカラ…県都ヨルベン。同国の最大都市でもある。
  • キム・アムラ
  • ファ
  • シャムリ
  • キルビス
  • リュブナン
  • ジェ・リュブナン
  • モスル
  • メッケ
  • イェデン
  • ツッグン
  • チャダルカ
  • シドン
  • トゥルツ
  • イェルメン
  • シャー・ジャハーン
  • ガリポリス
  • トンネ・デファ
  • ヴァークスナ
  • ナルヘド
  • クノッゾ
  • ゲル
  • ムガンシナ
  • シャラフ
  • ジャリファ
  • トラブム
  • ガニラ
  • トリェムゾン
  • グァム
  • スィヴァス
  • バフゥ
  • ヘフリゾン
  • ザマリア
  • ヒスポネヒスモス
  • ラッカ
  • モルスン
  • ネルガンネー
  • マラシュ
  • カリス
  • カラマン
  • カニ
  • ペー・ハー
  • オヂャッド
  • イスタンブル・ハリノファ特別市…首都

政治

 神権政治型の共和制である。国家元首であるカリフはもともとオスマン皇帝のスルタンであるが、現在では政治への権限はほとんどなくその力はもっぱらイスラム教義の中に限定されている。しかし今でもイスラム教に関する重要な会議の開催や布告、宣言、儀式の実施はカリフにしか許されていない。
 政治は七人の顧問官からなる行政評議会によって行われる。それぞれが国防、内政、外交、経済・財務、教育、産業・技術開発を担当しこれら全体の調整役として一人の主席顧問官が置かれている。この主席顧問官が対外的には事実上の国家元首また代表として紹介されることが多い。
 主席顧問官は現役の顧問官から選出され、その他の顧問官は大抵の場合、顧問官が交代される際に引退する顧問官が新たに指名する場合が多い。形式的な議会に相当する諸国民議会が存在するものの、これの選挙も定期的に行われているわけではなく、さらに議会は行政評議会の決定をほとんど事務的に承認ないし賛成しているにすぎないことから、民主的な政治システムであるとは非常に言い難い。しかしながら40代の顧問官が選出されているなど必ずしも保守的・世襲的な政治形態でもない。
 政治システムや憲法、民法など国のあらゆる部分にイスラム教の考え方が反映されている。例えばオスマンでは一夫多妻が認められているほか、婚前交渉や同性愛には極刑が定められている。さらに、女性が公務員に就くことが原則として許可されていない。
 本項の最後に、行政評議会の閣僚を記載する。

行政評議会(2020年現在)

 主席顧問官:イッター・ランディン(70)
 国防顧問官:アド・ハーデタ(57)
 内政顧問官:ウサーマ・ビン・ラッディーン(66)
 外務顧問官:ベン・ハン(64)
 商務顧問官:ギズィル・ダカマ(64)
 教育顧問官:エマール・エンドン(49)
 技術開発顧問官:シン・ディン・アージリー(56)

外交

 外交を担当する閣僚が外務顧問官であり、外交官の指名や外国大使との会談、交渉、国際会議の出席などを行う。
 オスマンは下に記すオレンジ色の地域を全て自国領土であると主張しており、その理由は正当なるイスラーム国家およびイスラーム世界の守護者として、歴史上存在したイスラム国家の領土全てを治める責任がある、というものである。それゆえにヨーロッパからアフリカ北部までの広い地域を含む、旧オスマン帝国やセルジューク朝、ウマイヤ朝、アッバース朝などの歴代版図が反映されている。
 しかしながら実際に軍事的に他国への侵攻を準備したりすることはなく、評議会はあくまで外交によって領土問題を解決することを目指しているため、直接的な緊張関係には発展しにくい。

【参考資料:オスマン=イスラム共和国が領土として主張する地域】

 

経済

 国内産業経済の大部分は軍事とそれに関連するビジネスに依存している。
 

軍事

 

交通

 

文化

 

食文化

 

被服文化

 

建築文化

 

スポーツ

 

社会

 

観光

 

教育

 

国民

 

言語

参考資料

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