創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

否定論・陰謀論を信じる理由

ウルトラクレピダリアン


「 傲慢で、自分の知識の範囲を超えた助言や意見を提供する人」を「ultracrepidarian」と呼ぶ。典型的には以下の2つが見られる:
  • その分野について基礎知識すらない者が、自身を以て発言し、自らは論理的に述べていると思いこむ。
  • 何らかの分野の専門家が、自分の専門外の分野について、自分の分野の手法を適用し、発言する

統計分析などを手段として特定分野の仕事をしている場合(学術専門家としてでも、データ分析者としてでも)、ゴールデンハンマーとして統計分析を他の分野に適用し、何かがわかった気になることはありがち。


ultracrepidarianの定義集

ultracrepidarian
名詞: ある主題について特別な知識はないが、それについて意見を表明する人
形容詞: 特別な知識がないことについて意見を表明する

[ Cambridge Dictionary ]

If you don’t understand the basics of a subject, it’s easy to form conclusions that seem logical, but these same conclusions seem silly to those who have a deeper understanding of a subject.

ある主題について、その基礎を理解していないなら、論理的だと思える結論を出すのは簡単だ。しかし、その結論は、その主題についてより深く理解している者たちにとっては、愚かに見えるものだ。

[ Peter Lipson: "Put your fears in perspective" (2008/12/22) ]
ウルトラクレピダリアニズム(Ultracrepidarianis)とは、人々が自分の知識レベルを超える、または知識レベルを超えた事柄について、自信を持って権威ある発言をする傾向である。多くの場合、こうした発言はウルトラクレピダリアンの正当な専門知識の範囲を完全に逸脱している。

ウルトラクレピダリアニズムのもう一つの現れは、実際に何かの専門知識を持つ人々によって例証されているように、他のすべての分野を何らかの形で自分の分野のサブカテゴリーとして扱い始める傾向である。認識論者は「結局のところすべて認識論だ」と言い、数学者は「最終的にはすべて数学だ」、物理学者は「最終的にはすべて物理学だ」、心理学者は「最終的にはすべて心理学だ」などと言って、自分たちの手法をまったく別の分野に適用しようとしているが、彼らは自分がそれを理解していないことに気づいていない。

教訓は、専門家であるということは、何かの専門家であることを意味し、「何か」とは特殊なものであり、普遍的なものではないということ。 言い換えれば、さまざまな形の専門知識は互換性はない。

[ RationalWiki:Ultracrepidarianism ]
ウルトラクレピダリアン(Ultracrepidarian)

定義: 傲慢で、自分の知識の範囲を超えた助言や意見を提供する人

この言葉の意味は、古代の物語に由来する。その中で、有名なギリシャの画家アペレスは、ある日、靴屋が自分の絵画の足の描き方を批判しているのを聞いた。それからアペレスは靴屋に、自分の立場を超えて判断することを思い上がってはいけないことについて、非常に鋭くて機知に富んだことを言った。残念ながら正確な発言は時が経ち失われてしまったが、ultra crepidam(ウルトラ・クレピダム)というラテン語のフレーズは「足の裏を超えて」を意味するので、アペレスが叱責の中でこれ、あるいはそれに似たものを使ったのではないかと想像できるだろう。したがって、ウルトラクレピダリアンとは、靴屋のように「靴底の先まで」進んで、おそらく放っておいてもよい問題について助言を提供する人のことである。

[ merriam-webster: 10 Polite Words for Impolite People ]





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