創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

Who's Who>渡辺久義

渡辺久義先生と「悪の問題」



統一協会の下部組織のひとつ勝共連合の雑誌『世界思想』連載の「人間原理の探求」の2004年12月号の記事「インテリジェント・デザインと悪の問題」で渡辺久義先生は、「悪の問題」に言及している。
デザイン論に対する反対論者が、しばしばその論拠とするものに、自然に内在する悪あるいは不合理の問題がある。悪といっても、明らかに人間が不徳によって自ら招く、あるいは作り出す、戦争とか虐待とかエイズなどは別である。それではなくて、自然そのものに内在すると考えられる多くの悪あるいは不合理があり、そういうものが存在する以上、この世界が知的なものによってデザインされたものとはとうてい考えられない、もしデザインされたとしたら、デザイナーたる神はよほど無能か残酷な神であって、そんなものは神として認めることはできない、という議論であって、これはしばしば無神論へと人々を導いてきたものである。

この位置づけは間違ってはいない。

そして、回答として「総合的にみて最適」を挙げている。
作られたものの最善値というものが、すべての要件を百パーセント満たすことでなく、各要件の歩み寄りによるものであることは、考えてみれば当然である。個別に見て要件が十分に満たされていないからといって欠陥を言い立てるのは愚というものである。これはいわば子供が駄々をこねるのに当たる。
先般、八・九月号に紹介した『特権的宇宙』の著者が、我々の地球は居住可能性だけでなく観測可能性においても、宇宙で最適の場所だと言っていたことは記憶されているだろう。「最適」というのは著者が強調しているように、個別的でなく総合的に見て、ということなのである。著者はパソコンの例をあげて説明している。
....
すべての点で百パーセント満足できるコンピューターが存在しないように、すべての点で百パーセント申し分のない被造物も存在しない。どちらも物質世界を相手にして作る以上、避けられないのである。我々の体を取ってみても、生物界全体を取ってみても、地球そのものを取ってみても、同じことが言えるであろう。地震や台風やハリケーンは、それだけを見つめれば不合理な悪にみえるが、全体として見れば、それらは人間を生かすために活動している生きた地球に伴う、やむをえぬ生理現象とみるべきであろう。

この回答はインテリジェントデザイン理論家Dr. William Dembskiが挙げる以下の3点のうちの3つめに相当する:
  1. デザイナーは知的(intelligent)であっても、賢いかどうかは別
  2. 生物はすべてがデザインというわけではない
  3. 制約条件のもとでの最適デザイン

インテリジェントデザインにおける「悪の問題」を語るなら、1.と2.にも触れておくべきだが、渡辺久義先生は普通に「悪の問題」を語って終わりにしている。

そして、「総合的にみて最適」を推し進めて、フロントローディングなのか介入なのか区別のつけがたい記述をしている。
そして、簡単に紡ぎ出された渡辺久義神学は、不明確なものだ。
神は、創造はするが魔術師ではないのである。創造は神秘ではあるが魔術や奇術ではない。神も自分の定めた自然法則には従わねばならず、その意味で全能ではなく制約があると言うべきであろう。もし神が文字通り全能の魔術師なら、人間と地球を創るのに百三十七億年もかける必要はなく、ビッグバンと同時にそれらを創ることができたはずである。神もまず基本的な素粒子や水素から始め、次第に重い元素を作っていき、長時間をかけて人間と、人間の住める宇宙のこの特殊な環境を作らなければならなかった(としか解釈できない)。
これだと、元素ができる過程に神の介入したのか、そのように自然法則を創ったのか、どちらともとれる。

どうやも、渡辺久義先生には、あまりフロントローディングと介入の差異にこだわりがないように見える。





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