創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

誤謬・詭弁

Borelの法則


創造論者たちの主張「CB010 生命が形成される確率は非常に小さい」にも登場するのが、いわゆる「ボレルの法則」と呼ばれるものである。これについて、John Stockwell (2002)が解説をしている。

以下はその全訳。ただし、ボレルの著作については、日本語の訳本からの引用である。


ボレルの法則と多くの創造論者たちの確率主張の起源


talk.origins では、「『確率についてある種のオーダーがあり、ある現象の確率がそれ以下なら、その現象は実質的には起きない』という物理学者や数学者に知られている法則(それは数学の定理だと意味していると思われる)があるのだ」という主張を目にすることがよくある。このような主張は、「生物発生が不可能だという『証拠』として、原子のランダムな集合による複雑な有機分子の形成に関する非現実的なモデルに基づく計算」に先だって提示される。この記事の末尾に、「ボレルの法則」として、この確率を参照する創造論者たちの例を示しておr区。
Conclusions of this FAQ(このFAQの結論)

問題の「法則」は数学の定理としては存在せず、物理学の世界で普遍的に算定された「最小確率」も存在しない。むしろ、ボレルの法則は、Emil Borelが非科学者向けに書いた本の中の議論に由来している。Borelは、科学者なら誰でも、特定の種類の事象が無視できるとみなされる最小確率の推定値の算出に使う論理の種類の例を提示している。これらの推定値はそれぞれ、普遍的な法則としてではなく、特定の物理的問題に対して算定されたものだということを強調しておくことが重要である。
A Discussion of Karl Crawford's Original Post (Karl Crawfordの元投稿に関する議論)

常連の創造論者Karl Crawford(別名ksjj)による投稿は、この「法則」のありそうな起源を明らかにしている。

talk.origins の常連は、もちろん、非常に小さなオッズを生成するために使用されているすべてのモデルが誤った仮定に基づいていることを認識しているだろう。ただし、問題点は数学者Emil Borelの言及である。
...Mathematicians generally agree that, statistically, any odds beyond 1 in 1050 have a zero probability of ever happening.... This is Borel's law in action which was derived by mathematician Emil Borel....

...数学者は一般に、統計的に、1/1050を超える確率はゼロだと考える。...これは、数学者のEmil Borelによって導き出された、実際に実行されているボレルの法則である...

Emil Borelへの言及に興味をそそられた。 ボレルは数学界では有名だが、それほど一般的な名前ではないため、確率と統計の分野に「ボレルの法則」のようなものが存在するかどうか知りたいと思った。このテーマに関する確率や統計の教科書、専門書、その他の学術書を数多く検索したが、そのようなことへの言及は見当たらなかった。私はまったくの偶然に (冗談ではなく) ボレル自身による2冊の本を見つけた。
A Discussion of Borel's Law(ボレルの法則についての議論)

1冊目は、1943年に「Le Probabilites et la Vie」として出版されたフランス語版の1962年ドーバー英語訳「Probability and Life」である。2冊目は、1950年に「Probability and Certitude」として出版されたフランス語版の1963年ドーバー英語訳「Probability and Certainty」である。これらの本は両方とも、確率論の学術的な扱いというよりは、「科学者ではない人びとのための科学」タイプの本である・

ボレルは「確率と生活 (Probablity and Life)」の中で、「確率が非常に小さい現象は起こらない」という原則として「偶然独自の法則」を述べている。 この本の第3章の冒頭で、彼は次のように述べている:
When we stated the single law of chance, "events whose probability is sufficiently small never occur," we did not conceal the lack of precision of the statement. There are cases where no doubt is possible; such is that of the complete works of Goethe being reproduced by a typist who does not know German and is typing at random. Between this somewhat extreme case and ones in which the probabilities are very small but nevertheless such that the occurrence of the corresponding event is not incredible, there are many intermediate cases. We shall attempt to determine as precisely as possible which values of probability must be regarded as negligible under certain circumstances.

It is evident that the requirements with respect to the degree of certainty imposed on the single law of chance will vary depending on whether we deal with scientific certainty or with the certainty which suffices in a given circumstance of everyday life.

「じゅうぶん小さい確率をもつ事象は、けっして生起しない」という偶然独自の法則を、われわれがまえに述べたときに、この陳述のもつあいまいさ(不明確さ)を隠しはしなかった。事象の不生起に疑いをさしはさむ余地が、ぜんぜんないような場合がある。ドイツ語を知らないタイピスト嬢が偶然にタイプライターをたたいて、ゲーテの全著作を再構成するというっような、タイプライターの奇蹟の場合は、このようなものである。しかし、その生起の確率値はひじょうに小さいけれど、そういう確率をもつ事象の生起が真実らしくないとはいい切れないような場合もあって、このような場合と、前述のある種の極端な場合とのあいだにも、ひじょうに多くの中間的な場合がある。われわれは、これから、確率のどのおうな値が、どのような事情のもとで無視できるものと見なされるべきであるか、をできるだけ明確にしたい。

じっさい、人が偶然独自の法則に期待すべき確実性の程度について定めようとしている要請は、明らかに、それが科学的な確実性に関するものであるか、または、実生活上のこれこれに事情のもとではそれで満足できるような確実性に関するものであるか、にしたがって、けっして同一ではないであろう。

[訳は、弥平野次郎 訳による文庫クセジュ版(1967)からの引用, pp.51-52]

重要なのは、ボレルの法則は、問題の現象に応じてスライドスケールで存在する「経験則」だということである。 これは数学の定理ではなく、あらゆる種類の事象に対して、特定の確率以下のすべての事象は不可能であると統計上の砂に線を引く明確な数字もない。

ボレルは続けて、そのようなカットオフ確率を選択する方法の例を挙げている。たとえば、パリの交通死亡率100万人に1人 (第二次世界大戦前の統計) から、確率 10-6 (100 万人に 1 人) の出来事は「人間スケール」では無視できると推論する。これに 10-9 (1940 年代の世界人口) を掛けると、「地球規模」での無視できる確率の推定値として 10-15が得られる。

ニュートン力学や光の伝播に関連する法則などの物理法則が間違っている可能性を評価するために、ボレルは「宇宙規模」で無視できる確率について議論し、10-50は宇宙規模で無視できる出来事を表すと主張している。これは、観測可能な星の数 (109) とそれらの星について人間が行うことができる観測の数 (1020) の積が、 1よりはるかに小さいためである。

酸素と窒素の混合物が入った容器が上半分の純窒素と下半分の純酸素に自発的に分離する確率を計算するために、ボレルは酸素と窒素の量が等しい場合の確率は 2-nになると述べている。nは原子の数であり、ボレルはこの原子が 10-1010の無視できる確率よりも小さいと述べており、彼はこれを「超宇宙」スケールでの無視できる確率として割り当てていrる。ボレルは、我々の宇宙 U1 を連続する超宇宙の中に入れ子にすることによってこの超宇宙を作成する。各超宇宙には、その宇宙が独自の要素を持っているのと同じ数の、前の宇宙と同一の要素が含まれている。そのため、U2は、U1の原子と同じ数の U1 で構成される。そして、U3はU2がU1を持つのと同じ数の U2 で構成され、以下同様に N=100万のUNまで続く。次に、宇宙の基準時間を10億年 (T2 には 10 億年が含まれる) として、最大 TN (N=100 万) までの同様のネストされた時間スケールを作成する。このような原子の数と時間の条件下では、ランダムなプロセスによって窒素と酸素が分離される確率は依然として無視できるほど小さい。

最終的に重要なのは、ユーザーが所定の一連の想定条件に基づいて「無視できる確率」の推定値を設計する必要があるということである。

奇妙なことに、『確率と生活 (Probablity and Life)』という本の思わせぶりなタイトルにもかかわらず、ボレルは進化や生物発生関連の問題についてまったく議論していない。 ただし、『確率と確実性 (Probability and Certainty)』では、本文の最後のセクションがこの問題にあてられている。
[From "Probability and Certainty", p. 124-126:]

The Problem of Life.(生命の問題)

In conclusion, I feel it is necessary to say a few words regarding a question that does not really come within the scope of this book, but that certain readers might nevertheless reproach me for having entirely neglected. I mean the problem of the appearance of life on our planet (and eventually on other planets in the universe) and the probability that this appearance may have been due to chance. If this problem seems to me to lie outside our subject, this is because the probability in question is too complex for us to be able to calculate its order of magnitude. It is on this point that I wish to make several explanatory comments.

When we calculated the probability of reproducing by mere chance a work of literature, in one or more volumes, we certainly observed that, if this work was printed, it must have emanated from a human brain. Now the complexity of that brain must therefore have been even richer than the particular work to which it gave birth. Is it not possible to infer that the probability that this brain may have been produced by the blind forces of chance is even slighter than the probability of the typewriting miracle?

It is obviously the same as if we asked ourselves whether we could know if it was possible actually to create a human being by combining at random a certain number of simple bodies. But this is not the way that the problem of the origin of life presents itself: it is generally held that living beings are the result of a slow process of evolution, beginning with elementary organisms, and that this process of evolution involves certain properties of living matter that prevent us from asserting that the process was accomplished in accordance with the laws of chance.

Moreover, certain of these properties of living matter also belong to inanimate matter, when it takes certain forms, such as that of crystals. It does not seem possible to apply the laws of probability calculus to the phenomenon of the formation of a crystal in a more or less supersaturated solution. At least, it would not be possible to treat this as a problem of probability without taking account of certain properties of matter, properties that facilitate the formation of crystals and that we are certainly obliged to verify. We ought, it seems to me, to consider it likely that the formation of elementary living organisms, and the evolution of those organisms, are also governed by elementary properties of matter that we do not understand perfectly but whose existence we ought nevertheless admit.

Similar observations could be made regarding possible attempts to apply the probability calculus to cosmogonical problems. In this field, too, it does not seem that the conclusions we have could really be of great assistance.

最後に、この書物の範囲に入らぬことであるが、次の問題にふれておかなければなるまい。この問題を全く無視するならば読者の中の或る方々は著者を批難されることと思われるからである。それはこの地球上(および、ことによれば宇宙の他の惑星の上)における生命の発生と、この発生が偶然によるものであることの確からしさの問題である。この問題がわれわれの主題の外にあるというのは、問題となる確率が非常に複雑で到底その大きさの程度を評価できないからである。私はこの点に関して、いくらか説明をしようと思う。

われわれは上に、純然たる偶然によって、一巻または数巻の書物が印刷された文学作品が再現される確率を計算した。そのとき読者はこおn作品が印刷されているというのはそれがとにかく何時か人間の頭脳から生み出されたからであるということに気づかれたに相違ない。この頭脳は、それによって作り出された特定の作品より遥かに高井複雑性をもっているはずである。このことから、偶然の盲目的な力によってこの頭脳が作り出される確率は、タイプライターの奇蹟の確率よりも、更に小さいと結論できあいであろうか?

いくつかの元素をでたらめに組合わせることによって実際に人間を創り上げることができるかどうかという問題については、答えは明らかに上のようになるであろう。しかし、生命の起源の問題はこのような形で提出されるのではない。生物は簡単な有機体から緩やかな進化によってできたものであり、この進化は生命のある物質の或る性質が介入し、偶然の法則によって成されたものとは考えがたいということは、一般に認められた事実である。

このような生命のある物質の性質の或るものは、たとえば結晶のような、或る形態の下では無機物質を持っていることがある。多少とも過飽和状態にある溶液から一つの結晶が形成される現象に対して確率論の法則を適用することができるとは思われない。少なくとも、結晶の形成を容易ならしめる、物質の或る性質を考慮に入れずに、これを確率論の問題として取り扱うことは不可能であろう。物質が実際このような性質をもっていることを認めないわけにはいかない。私には最も簡単な有機体の形成とそれらの進化もまた物質の或る未知の基本的な性質によって支配されていると考えなければならないように思われる。これらの物質の性質は、われわれに完全に知られてはいないが、われわれはその存在を認めざるを得ないものである。

同様の考察が、宇宙開闢論に確率論を適用しようという試みに対しても適用されるであろう。われわれの述べた毛kkはここでも実際対した助けになるとは思われない。

[訳は、弥永昌吉, 高橋礼司 共訳による文庫クセジュ版(1952)からの引用, pp.123-124]

つまり、ボレルは、talk.originsの多くの投稿者がそのような創造論的な議論に直面したときに何度も繰り返し述べてきたこと、つまり、「物理学や化学によって事前に決定された非ランダムな要素を無視する確率推定は無意味である」と言っている。
References

創造論者がBorelの法則に触れた例

  1. Origins Answer Book, Paul S. Taylor. p.22.
  2. In The Beginning, Walter T. Brown. p.8.
  3. ibid., p.44.
  4. Origins: Creation or Evolution, Richard B. Bliss. p.21.
  5. Creation and Evolution, Alan Hayward. p.35.
  6. It Couldn't Just Happen. Lawrence Richards. p.70-71.






コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

サブメニュー

kumicit Transact


管理人/副管理人のみ編集できます