ガッ・・・ガッ・・・
しんと静まり返った作業場に、金鎚を振り下ろす甲高い音が幾度と無く響き渡っていく。
鋭く叩き付けられる鉄塊の下にあるのは、型に沿って細長く延べられつつある金の欠片だ。
大学を出るなり宝飾技師としての修行に入ってから早4年・・・
俺は無数にある職業の中で、何故こんな地味な仕事を選んでしまったのかを今もなお自問自答し続けていた。
職に貴賎は無いという言葉があるが、貴賎は無くとも人によって得手不得手というものは絶対的に存在するものだ。
確かに長時間に亘る集中力に類稀なる手先の器用さと芸術的なセンス、更にはそれに加えて相当な辛抱強さを要求されるこの仕事がある意味で俺の得意分野であったことは間違い無い。
だが天職と適職が必ずしも同じではないように、俺にとってこの仕事は適職ではあるものの何処か今一つすっきりと肌に合っているとは言い難い違和感を覚えていた。

まあ実のところ、俺はその理由にもある程度の見当は付いている。
宝飾技師に限らず何かを作る職人の多くは下請けとして仕事を貰っている立場であることが多く、自分の作品が何処でどうやって売られてどんな人が身に着けるのかさえ詳しくは知らない場合がほとんどなのだ。
物を作る職人というものはその作業をすることそのものに喜びを感じる人間と、出来上がった物を喜んでくれる人を見て満足感を感じる人間の2種類に大別できる。
もちろんその両方に当て嵌まるという人もいるのだろうが、俺の場合は圧倒的に後者に近い。
幼い頃に入った宝石店で見つけたエメラルドのネックレスを母が嬉しそうに試着していた光景を目にしたことで、自分でもこんな宝飾品を作ってみたいと思ったのがそもそもの発端だったのだが、現実はこんなものなのだろう。

「ふぅ・・・少し休憩するか・・・」
俺は1時間以上も休み無く続けた金の延伸作業を中断すると、強く金鎚を握っていたせいで痺れてしまった右手と幾度と無く金鎚を振り下ろしたせいで凝ってしまった右肩を休めるようにゆっくりと背後に背筋を伸ばしていた。
近頃は仕事の依頼が立て続けにあったお陰で、ほとんど満足に休みを取っていないような気がする。
だがそうは言っても町を出歩いたところで特に興味を惹かれるような出来事があるわけでもなく、結局時間の許す限り作業場に篭ってしまうのは元々俺がそう言う性分だからなのだろう。
「いや・・・そう言えば、1つだけ気になるニュースがあったな・・・」
そう思って短い休憩時間のお供にしていた今朝の新聞に目をやると、丁度その記事の見出しが視界に入ってくる。

"謎の行方不明者、今年に入って既に35人目"
ここ数ヶ月程、毎日のようにこの町の新聞を賑わせている行方不明者の報道だ。
別段それだけなら良くある記事の1つでしかないのだが、今がまだ4月の半ばだということを考えればほぼ3日に1人のペースで奇妙な神隠しが起こっているという計算になる。
この町は人口約1万人とそれなりに人はいるのだが、王都に比べれば所詮は辺境の田舎町に過ぎない。
それに町の西側に広がる大きな山がその裾野に広大な森林を形成しているお陰で、隣町との交流が極めて少ない特殊な立地の上に成り立っているのだ。
言わば、陸の孤島とでも言うべきだろうか。
そんな閉じた町の中で毎週毎週次々と人が忽然と姿を消しているというのだから、ただでさえ退屈に苛まれている俺の興味を引くには十分過ぎる内容というものだろう。
尤も、俺が外を出歩くのは1日にほんの数十分・・・それも町の中央部にある家と作業場の往復くらいのものだし、余程必要に駆られない限りは休みの日に買い物に出掛ける気にもならないという徹底した出不精なのだ。
仕事や遊びで森に入るような連中なら多少は遭難の危険も付き纏うのだろうが、判で押したように毎日毎日同じような生活を繰り返す俺が行方不明になることなどまずありえない。
そんなある意味安全な立場だからこそ、こんな物騒なニュースにも不安より先に好奇心を覚えてしまうのだろう。

「それにしても、本当に無差別に人が消えてるんだな・・・」
下は6歳の女の子から、上は30代の男まで・・・
誰もが一様に、何の前触れも無く姿を消しているらしい。
消えた人々が誰一人としてその後に姿を見せないことから考えても、きっと既に生きてはいないのだろう。
だがその原因にまでは流石に想像が及ばず、俺はしばらく寝転がったまま新聞を読み耽るとようやく作業の続きに戻ろうと静かに体を起こしたのだった。

それから数日後・・・
俺は依頼された作品の最後の仕上げに掛かる為に普段より大分遅い時間まで作業場に入り浸っていた。
何時もなら午後8時にはもう家に帰る頃なのだが、長時間働いた後に湧いて来る充実した気力と指先の勘が無ければ魂の篭った仕上げは出来ないからだ。
明日が週に1度の休日というのも、仕上げだけを残した中途半端な状態で作業を終えたくなかった理由の1つだろう。
「よし・・・出来たぞ」
やがて深夜の11時過ぎまで掛かってようやく注文の品を完成させると、俺はその細かな意匠の施された純金の腕輪を保管庫へと慎重に収めたのだった。

金という金属は、とても不思議な物質だ。寧ろ、神秘的と言っても良いだろう。
鉄や銀などと同じ金属という括りでありながら、その硬度は噛んだだけで歯型が付く程に柔らかい。
だが他の金属に比べても無類の安定性を誇るお陰で自然界に存在している限りは腐食することも性質が変わることもほとんど無く、何よりもその輝くような黄金の色が古来より多くの人々を魅了してきた。
たった1グラム・・・水滴にすればほんの3滴にも満たない程の小さな金の欠片が薄く延ばせば1メートル四方に、細く伸ばせば3キロメートルにも達する驚異的な展性を併せ持ち、富と権力の象徴として今も世界に君臨している。
だが水の約20倍という比重の大きさと軽い衝撃や圧力でもすぐに傷が付いてしまう柔らかさが災いし、実際には純金で出来た装飾品というものはそれ程多くないのだという。
あっても小さな指輪か細い腕輪、ネックレスなどといった少量の金で作れる軽い物で、尚且つ平時には身に着けない特別な装飾品に限定されるというのがこの業界での常識というものらしかった。

「さてと・・・家に帰るか・・・」
金に魅せられた人間というものは長い歴史を眺めてみても枚挙に暇が無いが、それが身に着ける為なのか加工する為なのかという目的を別にすればこの俺も正に金の魅力に取り憑かれていたと言えるかも知れない。
何時か大きな金を使って豪華な装飾品を作ってみたいという欲求は常にあるのだが、身に着けてくれる人間がいないのであれば結局はそれも空しい夢でしかないのだろう。
だがそんなことを考えながら作業場を出て誰もが寝静まった人気の無い町の通りを歩いている内に、俺はふと近くに何かの気配を感じてピタリと足を止めていた。
今のは・・・一体何だったのだろうか?
周囲を吹き抜ける涼しいそよ風が、雲間からおぼろげに顔を出す三日月の微光が、静まり返った町の中心部に何処と無く不穏な影を落としている。

バサッ・・・
「・・・!」
今度は確かに、何かの音が聞こえた。
まるで大きな翼を羽ばたいたかのような、大気を煽る低い音。
俺の傍に、何かがいる・・・
そう思って薄暗い周囲を見渡してみても、辺りに建ち並んだ建物のお陰で気配の正体は何処にも見当たらない。
だがそれが何であれ、1つだけ確かなことは人間ではないということだろう。
どうしよう・・・後ほんの200メートル程で家には辿り着くのだが、走ってこの場を離れた方が良いのだろうか?
もしこの気配の主が翼を持った生物で夜に1人で歩いていた俺を襲おうと何処かから隙を窺っているのだとしたら、こんな見通しの良い広い道を走ったくらいでは到底逃げ切ることは出来ないだろう。
「誰か・・・近くにいるのか・・・?」
後から考えれば、俺はこの時大声を出して誰か他の人の助けを呼ぶべきだったのかも知れない。
深夜で近くに起きている人間がほとんどいないという状況ではあったものの、身の危険を払うことを優先出来なかったのは俺の中に危機意識というものがしっかりと根付いていなかったからだ。

やがて控え目に上げた誰何の声にも空しい沈黙が返って来ると、俺は恐る恐る家に向かって再び歩き始めていた。
時折不意に背後を振り向いたり空を見上げたりしてみるものの、別段その視界に何かが映るわけでもないことが却って俺の不安を煽り立てていく。
そして家まで後数十メートルというところで張り詰めていた緊張感を僅かに緩めた次の瞬間、俺は突然背後から聞こえて来たバサバサッという激しい翼の音に驚いて飛び上がっていた。
ガッ!
「う、うわっ・・・むぐ・・・」
そして後ろを振り向くと同時に硬い鱗に覆われた巨大な手で体を掴み上げられると、もう一方の手で口を塞ぐように顔を鷲掴みにされてしまう。
「ううっ・・・うぐ・・・ん・・・」
視界を塞がれる直前に一瞬だけ黒っぽい蜥蜴のような巨体が見えたものの、俺は目と口を塞がれたまま自身の体が遥かな上空に舞い上がっていく感触にただただ恐怖の唸り声を上げることしか出来なかったのだった。

バサァッ・・・バサァッ・・・
轟音のような羽ばたき音とともに、闇の中で体が微かに上下に揺れているのが自分でも分かる。
相変わらず声を上げることも周囲の景色を見ることも出来ないものの、俺はようやく今自分が置かれている極めて危機的な立場を理解し始めていた。
俺を地上から攫ったこの巨大な生物は・・・恐らくドラゴンなのだろう。
向こうから人々の前に姿を見せることは滅多に無いから俺もそれ程意識したことは無かったのだが、確かに町の西に聳え立つ山には多くのドラゴン達が棲んでいるという噂を幾度か聞いたことがある。
だが深夜に町へやって来て一瞬の内に俺を連れ去ったこのドラゴンの手馴れた感じからするに、恐らくこいつはこれまでにも何度か人知れず町の人々を攫ったことがあるのだろう。
そしてそれと同時に数日前新聞に載っていた行方不明者の記事が脳裏に思い起こされると、俺は絶望的な暗雲に閉ざされた自身の未来にただただ静かに嘆くことしか出来なかったのだった。

それから十数分後・・・
それまで一定の間隔で聞こえていた翼を羽ばたく音がほんの少しゆっくりになると、俺は真っ暗な巨竜の手の中で自分の体が少しずつ降下している感覚を味わっていた。
圧倒的な怪力を秘めているのだろうその手で体や頭を鷲掴みにされながらも、ほとんど全くと言って良い程に痛みや息苦しさを感じないのは俺を生かしたまま何処かへと連れて行きたいからなのだろう。
尤も、その目的地に着いた後も俺が生きていられる保証は何処にも無い。
そんな生死を分ける恐ろしい転換点が間近に迫っているという実感に、俺は体が震えるのを堪えながらもゴクリと息を呑んでいた。

バサッ・・・バササッ・・・ドスッ・・・
どうやら、何処かに着いたらしい。
その巨体が柔らかな土の地面の上に着地したらしい衝撃を全身に感じ取り、これからどうなるのだろうかという冷たい不安が背筋を這い上がっていく。
そしてドスッ、ドスッという重々しい足音を響かせながら風の感じられない洞窟のような場所へ連れ込まれると、俺は突然ドラゴンにポイッと軽く放り投げられていた。
「う、うわあっ!」
ドサッ
想像していたよりも幾分長い滞空時間と芯に響くような重い衝撃に、高いところから投げ落とされたのだという思いだけが苦痛の跳ね回る俺の脳裏を駆け抜けていく。
だが地面の上に敷かれていたらしい草木を踏み拉いて作ったかのような分厚い温床のお陰で、俺は激しい落下の衝撃とは裏腹に奇跡的に怪我だけはせずに済んだらしかった。

「ちょっと、あなた大丈夫?」
とその時、真っ暗な闇の中から予想もしていなかった人間の声が聞こえてくる。
「う・・・い、痛た・・・」
そして全身の鈍い痛みに顔を顰めながらゆっくりと体を起こしてみると、直径5メートル、深さも3メートル以上はあろうかという深い穴の底で倒れていた俺の周りを何人かの人々が取り囲んでいた。
「こ、ここは・・・一体何処なんだ?それにあんた達は・・・?」
「あたし達も、あのドラゴンにここへ連れて来られたの。彼女なんて、7歳の一人息子と一緒に攫われたそうよ」
そう言いながら、俺に話し掛けて来た17歳くらいの女の子が背後で怯えていた若い親子へと顔を振り向ける。
他にももうすぐ中年を迎えそうな太った男や森へ山菜採りにでも入ったのだろう70歳近いお爺さんなどが、暗く沈んだ表情を浮かべながら穴倉の壁に背を預けて地面に蹲っていた。

「そ、それで・・・俺達、これからどうなるんだ?」
「私達は・・・その・・・一言で言えば売り物なの。これから、あのドラゴンに売り飛ばされるのよ」
「売り飛ばされるって・・・一体誰に・・・」
だがそこまで考えた次の瞬間、俺はようやく事態を飲み込めていた。
俺やここにいる人々をこの洞窟へ攫って来たのがさっきのドラゴンだとして、もしそれを誰かに売るのだとしたら、相手もドラゴンだと考えるのが最も自然だろう。
つまり俺達は・・・生きた餌なのだ。
売るということは恐らく何かと引き換えにして俺達を買い手のドラゴンに引き渡すのだろうが、何れにしてもその先の運命が明るいものでないことは容易に想像が付く。
彼女も一瞬にして顔を蒼褪めさせた俺の様子に、ポツリと暗い一言を漏らしていた。

「一緒にいた私の恋人も・・・昨日あいつに売られたの。相手は緑色の大きな雄のドラゴンだったけど・・・」
ということは彼女も後ろにいる親子同様、人目に付かない場所に2人でいたところを運悪くあの人攫いのドラゴンに捕まってしまったのだろう。
「そしたら外から彼の悲鳴が聞こえてきて・・・きっと、売られてすぐに食い殺されたんだわ・・・ああ・・・」
「そんな・・・そ、そんな・・・」
何と残酷な仕打ちなのだろうか・・・恋人と引き離された挙句にその断末魔を聞かされて、今もなお何時訪れるかも知れない死の恐怖に怯えることしか出来ないだなんて・・・
だがそんな彼女の姿に同情したくとも、自分だって明日をも知れぬ命なのだ。
「何とか、ここから逃げ出せないのか?」
「無理よ・・・こんなに高い壁なんて登れっこないし、仮に穴から抜け出せてもあいつが見張ってるのよ」
「でも、あいつが誰かを攫いに行ってる間なら見張りはいないんだろ?」

その俺の提案に、傍らにいた太った男が低い声で答える。
「それも無理だ・・・あいつ、出掛ける時は穴の周りに火を放っていくんだよ。僕達が逃げられないように」
「そうなのか?」
「え、ええ・・・しばらくすれば火は消えるけど、それを待ってたら逃げる時間なんてほとんど無いわ」
くそっ・・・それじゃ八方塞がりじゃないか・・・
「とにかく、今夜はもう寝た方が良いわ。少しでも長生きしたいなら、無駄な体力の消耗は避けないと」
「あ、ああ・・・それもそうだな・・・」
確かに、彼女の言うことにも一理ある。
実際にここから逃げ出せるかどうかは別にしても、いざという時に体が満足に動かなくては話にならないのだ。
俺はそう思って大きく頷くと、ほんのりと暖かい温床の上に静かに身を横たえたのだった。

翌朝、俺はうつ伏せだった体をゴロリと転がすと思いの外寝心地の良かった温床に背中を擦り付けるようにしながらもゆっくりと目を開けていた。
「わっ・・・」
だが大きな円形に切り取られたその視界の中に真っ黒な鱗を纏った巨大な雄竜の顔が突き出しているのを認めると、それまで全身を蝕んでいた眠気が一気に吹き飛んでいく。
雄々しく天を衝いた2本の白い角に、アメシストのような赤紫の瞳。
長い流線型に伸びた鼻先から頬に向かってパックリと割れた大きな顎の中には、唾液に濡れ光る鋭い牙の群れが所狭しと並んでいた。

昨夜俺は・・・こんな怪物に連れ去られたのか・・・
見えているのが頭と首の一部だけだったせいもあってそのドラゴンの全容はまだ分からないものの、少なく見積もっても体高2メートル以上は優にあるだろう。
道理で人間の体を軽々と片手で掴み上げられるわけだ。
だがドラゴンはそんな俺の怯えた視線を意に介することも無く、檻の中の"商品"達に異常が無いことを確かめると満足そうに首を引っ込めたのだった。
「畜生・・・あの野郎、俺達をこんなところに閉じ込めやがって・・・」
「静かにしておいた方が良いぞ、お若いの。何しろ、"買い手"に目を付けられたら一巻の終わりじゃからの・・・」
初めて聞いたその声に顔を振り向けてみると、昨日と全く同じ姿勢のまま動いていないお爺さんが体が震えるのを必死に堪えながらじっと息を殺しているのが目に入る。

「爺さん・・・あんた、ここに来てどのくらいになるんだ?」
「今日で5日目じゃ。幸いワシは食いでが無いからか今のところは無事じゃが・・・それも何時までもつか・・・」
成る程・・・ということは恐らく、誰が買われていくのかは"買い手"のドラゴンが吟味して決めるのだろう。
食料として手っ取り早く人間を手に入れようという連中がやってくるのだとしたら、ここにいる人間達の中で彼が選ばれる可能性はかなり低いのに違いない。
だがそんなことを考えている内に、穴の外から何やらドラゴン達の話し声が聞こえて来る。
「おお、お前さんか・・・今日は新しい人間が手に入ったぞ。甚振り甲斐のありそうな若造でな・・・」
「ほう・・・それは楽しみだな・・・どれ・・・」
そしてそんな声が終わるか終わらないかの内に、さっきの黒竜とは違う青色の鱗に身を包んだ少しばかり小柄そうな雄竜がヌッと穴の端から顔を出して中を覗き込んでいた。

「あれか・・・なかなか良い肉付きだが、今日は生憎と持ち合わせが少ないのだ・・・そこの小僧にするとしよう」
そう言いながら、青竜が長く生え伸びた指先の爪で母親に抱き抱えられていた7歳の少年を指し示す。
「え・・・?」
「い、嫌っ!止めて!この子だけは・・・お、お願いです・・・この子だけは許してください・・・!」
自分の息子が恐ろしいドラゴンの餌食にされるという無慈悲な現実に、ほとんど半狂乱になった母親が必死に許しを懇願する。
だが微かな薄ら笑いを浮かべた黒竜がその長い手を穴の中に伸ばしてくると、母親とお互いに固く抱き合っていた幼い少年を容赦無く母の手からもぎ取っていった。

「ああ・・・嫌あぁ・・・」
「うわあぁ・・・!お、お母さん・・・お母さん助けて・・・!」
一瞬の内に目の前で繰り広げられたその信じ難い光景に、俺を含めた誰もが恐怖に凍り付いてしまっていた。
「お、おい・・・何とか・・・ならないのか・・・?」
「もう無理よ・・・後は・・・運を天に任せるしか・・・」
その場に泣き崩れる母親の肩に手を掛けながら、彼女がじっと穴の上を祈るように見つめている。
「お前さんも分かっているだろうが、上質な肉の子供は値が張るぞ。これでどうだ?」
「フン・・・意地汚い年寄りめ」
一体、この穴の上で何が行われているというのだろうか・・・?
恐らくはあの少年の値段を決めているのだろうが、ドラゴン達の間に通貨が流通しているとは思えない。
それに持ち合わせが少ないからといって俺ではなくあの少年を選んだということは、俺の方が少年より高い値が付くと判断したが故の選択なのだろう。

ドン!
「わぁっ!」
だが続いて聞こえて来た重々しい物音に、俺はビクッと全身を強張らせていた。
大地が揺れるような鈍い衝撃と少年の怯えた悲鳴が同時に聞こえ、それが水を打ったような静寂へと変わっていく。
「おや・・・どうやら、少しばかり足りなかったようじゃの・・・?」
「ウヌゥ・・・仕方無い・・・また明日にでも出直してくるとしよう」
やがてそんな何処か意思消沈した青竜の声が聞こえてくると、黒竜が再びあの少年を穴の中へと戻してくれていた。
「ああ・・・よ、良かった・・・」
恐怖の余り引き攣った顔で震えていた少年を、散々に泣き腫らした母親がしっかりと抱き締める。
それを見て、俺は一先ずホッと安堵に胸を撫で下ろしたのだった。

それにしても、あの少年は一体何故助かったのだろうか?
穴の上から聞こえた2匹のドラゴン達の話し声からするに取引が成立しなかったのだろうことは想像が付くのだが、それが果たしてどんなものなのかをここから窺い知ることは無理だろう。
今にも恐ろしいドラゴンに食い殺されてしまいかねない修羅場に足を踏み入れたショックでさっきから呼吸困難になる程に激しく泣きじゃくっている少年に話を聞くわけにもいかず、俺は不安に胸を締め付けられていた。
1日の内に一体どのくらいの"買い手"がやってくるのかは分からないものの、新入りの宿命なのか客が来る度に俺を買わないかとご丁寧にお勧めされたのでは命が幾つあっても足りやしないというものだ。

そしてそんな俺の想像が現実になろうとしているのか、新たな"買い手"が洞窟へとやって来たらしい。
「お爺さん・・・いるかしら?」
先程の野太いそれとは明らかに雰囲気の違う少し若い雌竜の声に、黒竜が少しばかり声を弾ませる。
「おお・・・ここにおるぞ。以前からお主が探していた若い男が手に入ったのじゃが、見てみぬか?」
「本当?どれかしら?」
やがてその声とともに穴の上から顔を出した桃色の雌竜と思わず目が合ってしまうと、俺はしまったという思いに慌てて地面へと視線を落としていた。
「あらぁ・・・凄く美味しそう・・・肉が引き締まってるし、噛み応えがありそうねぇ・・・」
「う、うぅ・・・」
ともすれば普段の生活でも何気なく使っていそうな言葉だというのに、自分自身に対して投げ掛けられるとこれ程までに恐ろしいものだったとは・・・

「良いわ、あの人間をお願い」
「え・・・?」
その数秒後、ジュルリと舌を舐めずった雌竜の口から決して聞きたくなかった一言が零れ出していた。
「フフフフ・・・良いとも」
そして雌竜が顔を引っ込めたのに続いて、黒竜の大きな手が穴の中へと伸ばされてくる。
「まずいわ!これを持って、早く!」
だが徐々に迫って来る巨大な死神の手を呆然と見つめていた俺に、横にいた女の子が突然大きな岩の塊を押し付けてきた。
「え?な、何だい、これ・・・」
「いいから、死にたくなかったら早くそれを服の下に隠すのよ!」

小声でそう言いながら重さ5キロはある岩を服の中へ押し込むと、彼女が握り拳大の石を更に2つ俺に手渡してくる。
「これもよ。ポケットにでも突っ込んでおいて」
やがて何が何だか分からないまま言われた通りに渡された石をズボンのポケットに入れた次の瞬間、黒竜の手が俺の体をガッシリと掴み上げていた。
「う、うわああっ・・・!」
ひ弱な人間を握り潰さないように相当の手加減はしているのだろうが、全身を押し包んだ硬い鱗の感触に背筋を冷たい波が這い上がる。
そして穴の上へ高く持ち上げられると、俺は初めてこの洞窟がどうなっているのかを目の当たりにしたのだった。

そこにあったのは、広い部屋を煌々とした眩い輝きで覆い尽くしている金銀財宝の数々。
山と詰まれた金貨や銀貨、色取り取りの宝石、銀で出来た剣や盾、煌びやかな王冠や杯・・・
そんな絵に描いたような宝の山の真ん中に、黒竜の寝床らしい巨大な温床と1本の太い丸太が横たわっていた。
その両端には持ち手の部分が取り外された鉄製の大きな丸盾がまるでお椀のように裏返しに取り付けられていて、中央付近に細長い角張った岩が下敷きにされているお陰で僅かに丸太が傾いている。
もしやこれは・・・秤のつもりなのだろうか?
その俺の想像を裏付けるように、支点となる岩を僅かにずらした黒竜が俺を片方の丸盾の上へ載せていた。
体が自由になったこともあって一瞬ここから逃げ出そうかという思いが芽生え掛けたものの、2匹の巨竜に挟まれながら睨み付けられては悲鳴を堪えながら縮込まるのが俺に出来る精一杯の抵抗だったらしい。

「それじゃあ、良いかしら?」
やがてその言葉に黒竜が頷いたのを確認すると、雌竜がずっと手の内に握っていたらしい金属の塊を俺とは反対側の丸太の先端に取り付けられた盾の上へと放り投げていた。
ドン!
「ひっ・・・」
その瞬間重々しい衝撃が真下から突き上げて来て、跳ね上げられた体が一瞬宙に浮いてしまう。
だが再び盾の中に着地すると、ほんの少しだけ均衡を保っていた丸太の秤がゆっくりと俺の方へと沈み込んでいた。
「ふむ・・・残念じゃが、それでは足らんかったようじゃの」
「ああもう!これでも2年掛けて集めた私の全財産だったのに・・・」
その雌竜の言葉にそっと丸太の反対側にある盾へ視線を向けてみると、この部屋の周囲に転がっているのと同じような宝石類や財宝の山に混じって恐らくは人間が着ていたのだろう数着の鎧などが無造作に載せられている。
「フフフ・・・これも我らの取り決めじゃ、悪く思わんでくれ。お主も、また宝が集まってから来れば良かろうて」
「ええ・・・そうするわ」
そして桃色の鱗を纏った雌竜がガックリと肩を落としながら洞窟から出て行ったのを黒竜とともに見送ると、俺は何とか無事に元の穴の中へと舞い戻ることが出来たのだった。

ドサッ・・・
昨日ここへ連れて来られた時に比べると幾分優しげに温床の上に降ろされたところから察するに、この黒竜はきっと俺が商品価値のある人間だと判断したのだろう。
そしてようやく命が助かった実感にホッと胸を撫で下ろすと、俺に重石を渡してくれたあの女の子が心配そうな表情を浮かべながら駆け寄って来ていた。
「良かった・・・助かったのね」
「ああ・・・この石が無かったら俺・・・あいつに買われちまってたかも知れないな」
そう言って服の中に入れていた重い岩の塊とポケットの中の石を取り出して脇に転がすと、随分と軽くなった体を岩壁にゆっくりと寄り掛からせる。

「でも、何でこんなことを思い付いたんだ?」
「実は私・・・昨日の昼間に1度売られそうになったのよ」
成る程、それで彼女はここにいる人間がどうやって他のドラゴンに売られるのかを知ったのか。
「昨日はたまたま"買い手"の持ち合わせが少なくて助かったんだけど・・・その時にふと閃いたの」
「確かに岩を隠し持って体を重くすれば買われにくくはなるだろうけど・・・バレたらまずいんじゃないのか?」
「"買い手"の方にバレなきゃ大丈夫。その証拠に、さっきの大きな岩はあの黒竜が落として寄越した物なんだから」
そうか・・・こんな人工的に掘られた穴の中に大きな岩が転がっているのは何処か不自然なような気がしたのだが、あの黒竜自身が体重の水増しを容認しているのなら話は別だろう。
それにさっきのドラゴン達のやり取りを見ていた限りでは、支払いに使った貴金属の類はたとえ秤に掛けた結果がどうであっても黒竜の取り分になるという取り決めがあるらしい。
つまりこれは一般的な売買というよりは、どちらかというとこの黒竜に対しての寄付に近いと言えるかも知れない。
その寄付に使用した貴金属の重量が一定以上であれば、めでたく"賞品"の人間をお持ち帰り出来るというわけだ。
それなら当然黒竜にとってはただで宝が手に入るように、"賞品"は見た目よりも重いに越したことはないのだろう。
「とにかく、本当に助かったよ。あの雌竜、完全に俺のことを生きたまま食い千切るつもりでいたからな・・・」

それからというもの、洞窟の中にはしばらく息の詰まるような沈黙が続いていた。
今のところやって来た2匹の"買い手"と黒竜の打ち解けたやり取りの様子からすると、彼らは比較的頻繁にここで人間を買い求めている常連客なのだろう。
一昨日女の子の彼氏を買っていったという緑色の雄竜もまだ姿を現してはいないし、他にも足繁くこの洞窟を訪れている連中がいるのかも知れない。
だがそんな想像を働かせながらぼんやりと穴の上を見上げていると、突然ボウッという音とともに穴の縁が真っ赤に燃え上がっていた。
「な、何だ!?」
「あいつが出掛けるのよ。多分だけど、森へ私達の食料を獲りに行くのね」
「食料って・・・一体何を・・・?」
70歳近いお爺さんがここで5日も過ごせているという事実からも毎日何らかの食事が出されているのだろうことは薄々想像が付いていたのだが、いざ実際に黒竜が出掛けて行ってしまうと何とも不思議な感じがしてしまう。

「昨日は鹿の丸焼きだったわ。一昨日は猪だったし・・・今日も何かの丸焼きなんじゃないかしら」
「ははっ・・・まあ、この際食べられれば何でも良いよ。どうせもう、長生きは出来そうにないしね・・・」
「それでも味は意外と悪くなかったわよ。あいつもきっと、私達が痩せ細っちゃうと困るんでしょうね」
確かに秤の支点の移動で多少の増減はあるにしても、俺達の命の値段を決めているのは自分の体重だ。
肉を食わなければ筋肉が落ちて体重も減ってしまうし、売り物の価値や品質を維持するという意味でも俺達に食事を与えるのはあの黒竜にとって重要なことなのだろう。
「今の内に逃げられれば良いんだけどな・・・」
「私もそう思ったけど、あの火は少なくとも1時間は消えないの。おとなしく、体を休めた方が良いと思うわ」
「くそっ・・・これじゃ生殺しじゃないか・・・」

こんなことなら、いっそ誰かに買われて一思いに食い殺されてしまった方が遥かに楽なんじゃないかという思いがふと脳裏を過ぎってしまう。
重い石を隠し持って1日や2日延命することが出来たところで、この地獄から抜け出せないのであれば意味が無い。
さっきだって服とポケットに重石を仕込んでいなければ恐ろしい人食いドラゴンに売り飛ばされていたのだから、こんなささやかな抵抗を続けたところで一体何になるというのか・・・
俺はそんな暗澹とした思いに自身の膝を抱えるようにして温床の上に座り込むと、洞窟の外から黒竜の足音が聞こえてくるのをじっと息を潜めて待ち続けたのだった。

頭上でメラメラと燃え上がる真っ赤な炎の明かりを見つめ続けること数十分・・・
普段に比べると比較的早く獲物が手に入ったのか、まだ炎が消えぬ内に重々しい足音が遠くから聞こえて来た。
夜に何処かの町へ人間を仕入れに行く時はもう少し長い時間留守にしているのかも知れないが、やはり火が消えるのをのんびり待っていたのではあいつに気付かれずにここから逃げ出すのはかなり難しいのに違いない。
そして一向に明るい希望が見える気配の無い自身の未来を案じていると、やがてフッと穴の周りの火を吹き消した黒竜がゆっくりとその顔を覗かせていた。
ドサドサッ・・・
それに続いて、こんがりと焼き上がった2頭の仔鹿が穴の真ん中へと投げ落とされる。
極めて無造作に与えられた食事ではあったものの、かなり空腹だったこともあってドラゴンの吐く高温の炎で調理された鹿の肉が意外な程に俺の食欲を掻き立てていく。

「これ・・・食べても良いのか?」
「ええ、好きなだけね。もし食べ残してもあいつが残りを処理してくれるから、今は食事に集中した方が良いわ」
そんな彼女の声を合図にしたかのように、周りにいた他の人々もこんがり焼けた仔鹿から思い思いの部位を引き千切っては美味しそうにその肉を頬張っていた。
とにかく、腹が減っているのは確かなのだからこの差し入れはありがたく頂くことにしよう。
パクッ・・・モグ・・・モグモグ・・・
「ん・・・結構美味いな・・・」
昨日ここへ連れて来られてからというもの何だか恐ろしい目にばかり遭っているような気がするのだが、こうして数人の人々とともに食べる質素な食事はこんな悲惨な状況下であっても美味いものらしかった。
まあ俺を含めてここにいる何人かはこれがこの世で最後の食事になるのかも知れないのだから、そんな危機感も良い意味で隠し味になっているのかも知れない。

だが心休まる食事を皆で堪能していたその時、新たな客の訪れを告げる地響きの如き足音が洞内に響き渡っていた。
「お、おい・・・まだ誰か来たみたいだぞ」
そして先の2匹の"買い手"とは明らかに違う大きな足音に思わずそう呟いたその時、隣にいた女の子が明らかに顔を引き攣らせているのが目に入る。
「どうかしたのか・・・?」
「あいつよ・・・この足音・・・あいつに間違い無いわ・・・!」
あいつ・・・足音を聞いただけでそれと判別できる程印象に残っているということは、次の"買い手"は恐らく彼女の彼氏を食い殺したという例の緑色の巨竜なのだろう。

「おいジジイ・・・美味そうな人間はいるか?」
恐らくはこの近辺に棲んでいる竜達の中でもかなり高齢なはずのあの黒竜に対してこんなにも高圧的な態度を取れるということは、こいつもきっと相当な大物なのに違いない。
「何じゃ、相変わらず礼儀を知らん奴じゃな・・・昨日からは若造が1人増えたが、品定めはお主の好きにせい」
だが黒竜の方はそんな無礼な雄竜とのやり取りにももう慣れているのか、さっきまでとは違い応対する声にも何処と無くやる気が感じられないような気がした。
そして予想した通り残忍そうな切れ長の黒い瞳を輝かせる緑竜が姿を現すと、その視線がギロリと俺に突き刺さる。
「成る程、この小僧か・・・確かに食い応えはありそうだな・・・」
そう言いながら、緑竜が口の端から溢れ出した唾液をペロリと舌で掬い取る。
や、やっぱり・・・こいつも俺を選ぶつもりなのだろうか・・・
しかし声も上げられない程に怯え切っていた俺の様子をしばらく眺め回すと、おもむろにその興味の矛先が俺の傍らで緑竜を憎々しげに睨み付けていた女の子へと移動していた。

「クク・・・まだ生きていたのか小娘。貴様の片割れはなかなかに美味かったぞ?特に情けない悲鳴がなぁ・・・」
「何てことを・・・ゆ、許さないわよ!」
「お、おい、止せって・・・」
大切な存在を奪われたのだから彼女の怒りは俺にも十分に理解出来るのだが、そうかといってこんな化け物の挑発に乗って啖呵を切るなどとても正気の沙汰とは思えない。
だが緑竜はそんな彼女の刺々しい憎悪をも軽く受け流すと、その指先に生えた鋭利に尖った爪先を突然予想外の方向へと向けたのだった。

「フン・・・生意気な小娘が何時まで強がっていられるか見物だな・・・ジジイ、あいつだ。さっさと寄越さぬか」
「えっ・・・?」
話の流れからするとどう考えても自分に楯突いた彼女を指名しそうなものなのだが、何故か緑竜が指し示したのは目を付けられまいと穴の隅で気配を殺しながら息子を抱き締めていたあの母親。
そんな絶望的な光景に逸早く気付いた少年が、精一杯の勇気を振り絞って巨大な雄竜を睨み付ける。
「や、止めろ!お母さんに手を出したら・・・しょ、承知しないぞ!」
だが声の大きさとは裏腹に彼の両足は母親を失ってしまうかも知れないという凄まじい恐怖にガクガクと震えていて、俺にはその少年が今にも地面にへたり込んでしまいそうに見えた。
「ククク・・・良い度胸だな小僧。どう承知せぬというのか、我に教えてくれぬか?」
そしてそんな少年の覚悟を嘲笑うかのように長い首を穴の中に突っ込んでくると、緑竜が大きな口を開けて目の前の小さな勇者を容赦無く威嚇する。

「う、うわあぁっ・・・!」
ゾロリと並んだ無数の凶悪な牙を眼前に突き付けられて、怖気付いた少年は踏鞴を踏むように後退さると背後の母親へと力無く凭れ掛かってしまっていた。
「クク・・・他愛も無い・・・だが、良いことを考えたぞ」
あっと言う間に恐怖に屈してしまった少年をニヤニヤと見下ろしながら、首を引いた緑竜が敢えて俺達にも良く聞こえるように大きな声を上げる。
「ジジイ、この小僧も追加だ!」
「ええっ・・・!?」
まさか・・・2人一緒に・・・?
ガシッ・・・
「わあっ!」
「きゃああっ!」
だが緑竜と入れ替わりに姿を見せた黒竜が固く抱き合っていた親子を事も無げに片手で掴み上げたのを目にすると、俺は思わず傍らの女の子と顔を見合わせていた。

黒竜があの親子に一体どんな値を付けるのかは分からないが、如何に片方が小さな子供だとは言っても親子2人を合わせた体重は優に80キロを超えるはず。
どちらかと言うと極端に利に聡い黒竜の性格を考えればそれより安い値を付けるとは思えないから、彼らを"買う"為には恐らく100キロ近い貴金属が対価として必要になるだろう。
だが2人が穴の上に消えてから数秒後、ズシッという軋みにも似た音と震動が周囲に霧散する。
俺はそれだけで、彼らの命運が尽きてしまったことを瞬時に悟らざるを得なかった。
「ああっ・・・」
「そ、そんなぁ・・・」
無慈悲なまでに大きく持ち上がったのだろう丸太の上で嘆く親子の擦れた嗚咽が、それを聞いた者にこれから彼らを待ち受けているのだろう死という名の暗い未来を想起させる。

「全く、相変わらず駆け引きの甲斐が無い奴じゃな。もう少し手加減するということを知らんのか、お主は・・・」
「愚かにも我を退治しようなどという人間が後を絶たぬお陰か、生憎とジジイが好きそうな宝は腐る程あってな」
「確かにお主のお陰で宝集めも随分捗ったがの・・・以前集めた物は、全て妻の許へと置いてきてしまったのでな」
最早後は巨竜に食い殺されるだけという救いようの無い運命を決定付けられた親子を前に、2匹のドラゴン達による何処か緊張感を欠いた世間話が残酷過ぎる悔恨の間を積み上げていった。
「お、お母・・・さん・・・」
やがて諦観に沈み切った少年の声が薄暗い洞内に淡く反響すると、緑竜が巨掌で彼らを掴み上げたのだろう気配が穴の下にまで伝わって来る。
「さてと・・・無駄話はそれくらいにして、こ奴らは我が貰っていくぞ」
「一応言っておくが、そ奴らを食うのなら外に出てからだぞ。ワシの住み処を人間の血で汚されては敵わんからの」
「分かっておるわ・・・その内また、小娘の顔を見に来るとしよう。それに美味そうな若造もいることだしな」
そしてそんな空恐ろしい会話を最後に何処と無く機嫌の良さそうな緑竜の足音が洞窟から遠ざかっていくと、俺は再び辺りを支配し始めた静寂の中に何処からか微かな2つの悲鳴が聞こえて来たような気がしたのだった。

あっと言う間に目の前から奪われ、消えてしまった2つの命。
それが現実に起こった出来事だとはとても信じられず、俺は柔らかな温床の上にドサリとくず折れていた。
自分と同じ境遇に置かれた人々が周りにいたことで幾らか気が緩んでいたのかも知れないが、ここは何時この命を摘み取られてもおかしくない地獄の真っ只中なのだ。
今回犠牲となったあの少年だって、下手に緑竜に楯突かなければ母親を失うことにはなってもまだ命はあったはず。
「気を落とさないで・・・あいつは、私のように大切な存在を奪われて嘆き悲しむ人間を見るのが好きなのよ」
そう言いながら、彼女が地面にへたり込んだ俺の肩に手を掛けてくれる。
「分かってる・・・・それは分かってるよ・・・でも・・・こんなのはあんまりだ・・・」

洞内の岩壁に反響してはっきりと識別出来たわけではないのだが、さっき外から最初に聞こえて来た悲鳴はあの母親のものだったように思う。
恐らくあの少年は恐ろしい巨竜の手の中で、無惨に食い殺される母親の姿をまざまざと見せ付けられたのだろう。
人間など一呑みに出来る程の巨大な口があるというのに黒竜が住み処を血で汚すなと釘を刺したということは、奴も少しずつ骨を噛み砕き肉を食い千切るという残酷な食事風景が展開されることを知っていたのかも知れない。
そうしてまだ幼い少年の心をズタズタに引き裂いた上で、あの緑竜は絶望の淵に沈んだ子供を食い殺したのだ。
許せない・・・
余りにも惨い緑竜の所業に、胸の内へ義憤にも似た激しい怒りが湧き上がってくる。
だが睨み付けられただけで金縛りになってしまうようなあの恐ろしい巨竜を相手に、俺に何が出来るというのか。
そればかりか去り際に残した奴の口振りから考えると、今度は俺が標的にされるのは間違い無い。

結局・・・俺には成す術も無く奴の餌食にされる未来が待っているのだ。
「とにかく、もうすぐ日が暮れるわ。夕食の時間も近いし、今日はもう"買い手"がやってくることはないはずよ」
「ああ・・・」
だがようやく長い1日が終わったという微かな安堵感に身を任せそうになったその時、俺は背を預けた岩壁越しに感じる震動でまたしても重々しい足音が洞窟へと近付いて来るのを感じ取っていた。
「お、おい、また誰か来たようだぞ・・・?」
そんな俺の言葉に、他の人々も怯えた表情を浮かべてお互いに顔を見合わせている。
やがてその新たな"買い手"が洞窟の中へ姿を現すと、しわがれた老婆のような雌竜の声が周囲に響き渡った。

「邪魔するよ・・・」
「おお、お前か・・・随分と久し振りじゃな」
「何言ってるんだい、この欲深いだけの老い耄れが。ほんの5日前にも来たってのに、もう呆けちまったのかい?」
言葉の辛辣さの割には特に強い敵意を感じないその2匹のやり取りに、穴の中の全員がじっと聞き耳を立てていた。
「そ、そうじゃったか・・・?とにかく、新しい人間が手に入っての・・・お前が気に入ると良いのじゃが・・・」
そんな黒竜の声に続いて、全身に燃えるような真紅の鱗を纏った雌の老竜が穴の上からゆっくりと顔を出す。
「ふぅん・・・確かに、あたし好みの良い人間がいるじゃないか・・・それじゃあ、こいつを貰うよ」
そしてほんの10秒にも満たない短い吟味の末に、奇妙な艶かしさのある雌竜の指がまっすぐに俺を指差していた。
「え・・・あ・・・」
唐突に投げ掛けられたその指名の声に、服の中へ岩を仕込む間も無く黒竜の腕が俺の体をしっかりと掴み上げる。
「う、うわっ・・・ま、待て・・・待ってくれぇ!」
だがやがて穴の上で待ち受けていた光景を目にした瞬間、俺はたとえどんな小細工を弄したとしてもそれが全く意味を成さないだろうことを瞬時に理解してしまっていた。

体高2メートル以上はあるだろう黒竜よりも、更に一回り大きな真紅の巨竜。
その右手に、煌くような黄金の塊が握られている。
恐らくは金貨や金の装飾品ばかりを一旦高温の炎で溶かして再び固めたのだろう、歪だが余りにも大きな金塊。
体積は目算するより他にないが、もしあれが全て純金で出来ているとすれば重量は150キロを下らないはず。
「そんな・・・い、嫌だ・・・」
あんな物を載せられたりしたら、服に重石を仕込むどころかたとえ俺が2人いたとしてもどうしようもないだろう。
そして秤代わりの丸太の端に括り付けられた大きな丸盾の上へ載せられると、俺は何かとんでもない奇跡が起こって命が助かることを願いながらきつく目を閉じていた。
逃れることの出来ない圧倒的な死の恐怖に呼吸は荒れ、心臓が暴れ回り、体中が小刻みに震えている。
だが雌竜がその手の金塊をそっと反対側の上皿へと載せた瞬間、俺はズンッという音とともに勢い良く体が跳ね上がる絶望の感触を全身で味わったのだった。

「うあ・・・ぁ・・・」
ドッシリと地面に根を張ったかのように動かない金塊の載った上皿を見つめながら、もう駄目だという諦観とこれから俺を待ち受けているのだろう悲惨な末路の予感が大粒の涙となって双眸から溢れ出して来る。
「クフフフ・・・それじゃあ、こいつは貰っていくよ」
グシッ・・・
そしてそう言うなり思わず握り潰されるのではないかと思う程の凄まじい握力で俺の体を鷲掴みにすると、雌竜がその冷たく輝く碧い竜眼の前に手に入れた玩具をじっくりと翳す。

「た、助け・・・て・・・」
恐ろしさの余り痺れてしまった喉を辛うじて通った命乞いの声が、ギロリという音が聞こえて来そうな老竜の一睨みで枯れ果ててしまっていた。
やがてすっかりと怯え切った俺の様子に満足したのか、雌竜がゆっくりと踵を返す。
このまま何処かへ向かうということはすぐに殺されることはないのかも知れないが、何れにしてもこいつの目的地へと辿り着いてしまえばそこが俺の墓場になるのは間違い無い。
だが巨竜の手の内から逃れようとどんなに激しく身を捩ってみても、ほんの少し強く握り締められるだけで俺は苦痛による沈黙を余儀無くされたのだった。

ズシッ・・・ズシッ・・・
ゆっくりと地面を踏み締める巨竜の足音が、徐々に近付いて来る死神の肉薄の音に聞こえてしまう。
抵抗の度に幾度と無く繰り返されたお仕置きのような締め上げのお陰で反抗心はとうの昔に底を突き、俺は森の中を歩く雌竜の手の中でただただ後悔の涙を流していた。
一体・・・俺が何をしたというのだろうか・・・?
ただほんの少し仕事の帰りが遅くなっただけのはずが、まさかこんな結末を迎えることになろうとは・・・
だがそんな理不尽な人生の最期を幾ら嘆いてみても、俺をこの雌竜の手から解放してくれる救いは訪れなかった。
やがて雌竜の向かう先にぽっかりと暗い口を開けた大きな洞窟がその姿を現すと、いよいよ最期の時が近付いて来たという恐怖が再びぶり返してしまう。
「嫌だ・・・嫌・・・だぁ・・・」
どんなに暴れたところですぐに捻じ伏せられてしまうのは既に体が理解していたものの、そうかといって黙って無惨な死を受け入れられる程に俺は達観した精神を持ち合わせてはいなかったのだ。

「五月蝿いねぇ・・・あと少しくらい、静かに出来ないのかい・・・?」
やがてそう呟いた雌竜が、まるで殺気と見紛うような怒気を孕んだ鋭い視線を俺に突き刺してくる。
「うぅ・・・」
そしてそんな静かな脅迫に恐怖を覚えながらも俺が口を噤んだのを見届けると、雌竜が恐らくは自身の住み処なのであろう深い洞窟へと足を踏み入れたのだった。
一条の月明かりさえ差し込まぬ漆黒の闇に沈んだ洞窟の通路が、地獄へと続く黄泉の回廊のように感じられる。
だがものの数十秒で最奥らしき広場のような部屋に出ると、俺はその光景に奇妙な既視感を覚えていた。

部屋の隅に堆く積み上げられている、目も眩むような金銀財宝の数々。
中央付近にはこの雌竜の寝床と並ぶように深さ3メートルの大きな穴が掘られ、その底には草や木の枝などで作ったと見える厚い温床が設えられている。
何から何まで、あの黒竜の住み処とそっくりだ。
唯一違いがあるとすれば、人間と財宝の重さを量るあの秤が無いことくらいだろうか・・・
そんな不思議な住み処の様子に呆けた顔を浮かべていた俺に気付いたのか、俺を穴の中の温床へと降ろした雌竜が微かな笑みを浮かべているのが目に入る。
「クフフ・・・さっきまであんなに酷く怯えていたってのに、どうかしたのかい・・・?」
「えっ?・・・あ、いや・・・その・・・何だかさっきまでいた洞窟に随分似てるなと思って・・・」
「そりゃそうさ・・・ここはほんの半年程前まで、あの耄碌ジジイの住み処でもあったんだからね」

ここが、あの黒竜の住み処だった・・・?
じゃあこの雌竜は、かつてあいつの妻だったということか。
確かにそう言われると、彼らの一見刺々しくも何処か穏やかなやり取りにも何となく説明が付くような気がする。
とは言え5日前にもあの黒竜から人間を買っているはずの彼女の住み処に他に誰の姿も見当たらないということは、結局のところ俺にも数日の内にこいつに食われて命を落とす運命が待っているのだろう。
「そうなのか・・・それで、あんたは俺をどうするつもりなんだ?やっぱりその・・・く、食うつもりなのか?」
だが今一つ雌竜の意図が読めなかったこともあって思い切って自分の未来を彼女に訊ねてみると、その彫りの深い老竜の顔に何とも意地悪そうな妖しい笑みが浮かんだのだった。

「そうさねぇ・・・そうして欲しいのかい・・・?」
そう言いながら、雌竜がその大きな顎にギッシリと並んだ鋭い牙を見せ付けてくる。
「い、いや・・・その・・・う、うわあぁっ・・・」
返答を間違えればすぐにでも食い殺されそうなその気配に、俺は温床の上を後退さりながら左右に首を振っていた。
そんな極限にまで膨れ上がってしまった俺の恐怖心を更に煽るべく、雌竜がゆっくりと広い穴の中へと降りてくる。
そして逃げ場の無い空間の中で俺を岩壁の隅に追い詰めると、巨大な老竜がベロリと俺の頬を舐め上げていた。
「ひっ・・・ひぃっ・・・」
「ふぅん・・・なかなか良い味がするじゃないか。余りに美味そうで、何だか腹が減ってきちまうねぇ・・・」
「そんな・・・あぁ・・・あ・・・」
だがこのままでは食われてしまうという予感に全身の細胞が震え上がった次の瞬間、獲物の最後の抵抗を捻じ伏せるように雌竜がその巨大な手で俺を岩壁に押さえ付ける。

グッ・・・ミシッ・・・
「ぐぅ・・・は・・・ぁ・・・苦し・・・い・・・」
やがて全身の骨が軋む程に容赦の無い圧迫感が鈍い痛みへ変わると、俺はゆっくりと眼前で開けられていく赤黒い巨竜の口内を絶望的な表情で眺めていることしか出来なかった。
「い、嫌だぁ・・・た、たす・・・けて・・・」
生暖かい雌竜の吐息が顔に吹き付けられ、牙の間を垂れ落ちるねっとりとした唾液が細い銀線となって消えていく。
「ほぉら・・・早く逃げないと、生きたまま腹の中に収めちまうよぉ・・・クフフフフ・・・」
どんなに必死に足掻いたところで巨竜の手の内から逃れることなど出来るはずがないというのに、獲物の狼狽を愉しむかのような彼女の弾んだ声が弱り切った俺の心に更なる追い打ちを掛けていった。

じっくりと焦らすように、大きく開いた口の中へ俺の頭が咥え込まれていく。
ほんの少し顎を閉じるだけで凶悪な牙に頭を噛み砕かれるという絶体絶命の窮地に、俺は最早悲鳴を上げる気力も失ってただただその身を恐怖に震わせ続けていた。
まるで心臓を締め付けられるかのようなじんわりとした痛みが胸に湧き上がり、それが奇妙な快感となって全身へと広がっていく実感がある。
純粋な死の恐怖という甘い媚薬に体が痺れ、頭の中でこれまで生きてきた20年余りの人生が凄まじい速さで回想のように流れていくのを見ながら、俺はついに観念してグッタリと全身を弛緩させたのだった。

「おやおや、情け無いねぇ・・・試しにちょいと戯れてやっただけなのに、もうその気になっちまったのかい?」
「え・・・?」
不意に聞こえて来た面白がっているのか呆れているのか判別の付かないその雌竜の声に、俺はきつく閉じていた目をゆっくりと開けていた。
その眼前で、雌竜が碧色の瞳を輝かせながら微かな笑みを浮かべている。
「お前には、あたしの夜食とはまた別の役目があると言っているのさ」
そう言って岩に押し付けていた俺を片手で掴み上げると、そのまま穴から這い上がった彼女が俺を自身の寝床である巨大な温床の上へと横たえていた。
「や、役目って・・・一体何のことだ?」
「お前を人間の町から攫って来たあの老い耄れが、かつてのあたしの夫だったことはもう想像が付いてるだろう?」
「あ、ああ・・・」

地面に寝かせた俺の両腕をその巨腕で柔らかな寝床の上へと押し付けながら、雌竜が穏やかな口調で先を続ける。
「あいつは見ての通り、人間どもの財宝を集めるのが何よりの趣味でねぇ・・・」
「ここにあんたと棲んでた時も・・・あんな風に人間を集めて他のドラゴン達に売ってたのか?」
「今と同じようにね・・・お陰でそっちに夢中になる余り、あたしには余り関心を向けてはくれなかったんだよ」
成る程・・・つまり夫が趣味に没頭する余り妻を蔑ろにしてしまい、夫婦仲が上手くいかなくなったということか。
人間社会では割と良く聞く話だが、老竜の夫婦でも同じような問題が起こるというのは少しばかり意外な気もする。
「まああたしも財宝は嫌いじゃないから、それだけなら別に目くじらは立てないんだけれどさ」
「じゃあ、一体何が不満だったんだ?」
「あの馬鹿ったら、数ヶ月に1度しか交尾をしたがらないんだよ。それも、あたしが熱心に誘った時にしかね」

だがそこまで聞いたその時、俺は何故か本能的に彼女の下腹部へと視線を走らせていた。
そこへ目を向けた理由は話の内容で何となく彼女が俺に求めている役目を理解したからなのかも知れないが、幸か不幸かそこでパックリと花開いた真紅の淫唇が微かに桃色掛かった愛液に潤っている様子を目撃してしまう。
「つ、つまりその・・・俺はあんたの夫の役目・・・てことか?」
「別に、嫌なら嫌でも構わないんだよ。その時はこの空腹を満たして、代わりを探しに行くだけだしねぇ・・・?」
婉曲な言い回しでありながら、それでいて有無を言わせぬ静かな脅迫の言葉。
先程味わった死の恐怖がまだ拭い切れていなかったこともあって、俺は黙って目を閉じると巨大な"妻"に我が身を任せることにしたのだった。

ギ・・・ギシ・・・
丹念に草木を踏み拉いて作ったのだろう厚い温床の上で、腹下に俺を組み敷いた雌竜が微かに身を捩る。
軋むような音とともにズッシリとした重量が下半身に預けられ、俺は今更ながらに自分の置かれている状況の危うさを再認識していた。
今は彼女も俺を夫の代わりとして扱ってくれているだけにいきなり殺されるようなことは無いのかも知れないが、少なくとも5日前に彼女に買われた人間はもう用済みになったのだろうことは容易に想像が付くというものだ。
「さてと・・・本当に覚悟は出来てるんだろうねぇ・・・?」
「あ、ああ・・・」
そしてそんな二つ返事に気を良くしたのか、いよいよ雌竜が俺の服をゆっくりと脱がせていった。
長い爪を起用に使ってズボンを下ろしていく慣れた手付きから察するに、彼女は恐らく過去に何人もの人間をこうして手篭めにしてきたのだろう。
尤も・・・その"夫"達の末路は皆悲惨なものだったのに違い無いのだが・・・

やがて恐怖に萎え切った小さな肉棒がズボンの下から顔を出すと、雌竜の顔に明らかな笑みが浮かぶ。
と同時に俺の股間へ大きな手が近付けられると、その親指程の太さも無い雄の象徴がゆっくりと摘み上げられた。
サワッ・・・
「うっ・・・」
「クフフフ・・・どうだい・・・あたしの指使いも、案外悪くはないだろう?」
硬質な鱗を纏っているはずの雌竜の指先が艶かしく踊り、えもいわれぬ快楽が湧き上がってくる。
だが彼女にとってはこれがほんの前戯・・・いや、単なる事前準備でしかないことを知っているだけに、この程度の責めでいちいち善がっているようでは先が思いやられてしまうというものだ。
スリスリ・・・キュッ・・・シュルッ・・・
「くっ・・・ふ・・・」
片手で俺の両腕ごと鷲掴みにして抵抗を封じながら、執拗な愛撫がなおも繰り返される。
「ほらほら・・・別に出しちまっても構わないんだよ。尤も、我慢出来るとは思ってないけれどねぇ・・・」
そしてそう言いながら敏感な裏筋をグリグリと摩り下ろされると、俺は動かぬ体を激しく捩って悶え狂っていた。
「うああっ!も・・・駄目・・・」
長い指で睾丸を弄びながらペニスを扱き上げる雌竜の指使いに、徐々に息が荒くなっていく。

自分で自分のモノを慰めるのとは違う、容赦無く精を搾り出そうとする雌竜の淫靡な愛撫。
抵抗の術も逃げ場も無い状況で一方的に嬲られるという屈辱的な状況も相俟って、その必要も無いというのに必死に精を放つのを我慢してしまうのは男としての矜持の表れだったのかも知れない。
しかし雌竜もそんな俺の心情は知り尽くしているのか、激しくペニスを責め立てつつも時折その手を緩めては俺の我慢が限界に達しないように微妙な力加減で肉棒に指先を這わせていた。
あくまでも、強制的に果てさせるのではなく俺の心が折れるのを辛抱強く待つつもりなのだろう。
ツツッ・・・ショリ・・・ギュッ・・・
「はぁっ・・・ぐ・・・ふあぁっ・・・」
「ほぉら、これでもまだ我慢するのかい?耐えても苦しいだけなんだから、早く楽になっちまえば良いじゃないか」
それは、自分でも分かっている。
どんなに必死に射精を我慢したところで既に頭の中は限界を超えた快楽責めで真っ白に染まっているし、彼女がもう少し指先を素早く動かしただけで成す術も無く絶頂を迎えてしまうのは誰よりも俺が良く理解していた。

「うぐぐ・・・ぐぅ・・・」
「随分強情だねぇ・・・でも雄としては、あの老い耄れよりもずっと骨があるってもんだよ」
褒めているのか呆れているのか分からない淡々とした口調でそう言いながら、彼女が俺の目にも見えるようにゆっくりと背後で尻尾を持ち上げていた。
腹側を僅かに覆った白い皮膜と真紅の鱗という紅白に塗り分けられた、鋭利な先端を持つ極太の槍。
「あ・・・な、何を・・・す・・・るんだ・・・?」
まるで蠍が振り上げた必殺の毒針の如き不穏な雰囲気を放つその凶器から、彼女の黒い思惑が滲み出している。
「さぁねぇ・・・どうすると思うんだい・・・?」
ただでさえ快楽に蕩けていた俺の顔が更に不安で歪んでいくのを愉しげに見つめながら、彼女が高々と持ち上げた太い尾の先をゆらゆらと揺らめかせる。
そして一頻りその存在感を俺に見せ付けると、ゆっくりと揺れていた尾が不意に彼女の巨体の陰に引っ込んでいた。

その数秒後、硬質な感触が内腿の間を這い上がってくる気配に背筋がザワザワと震え上がってしまう。
ツプッ・・・
と同時に尖った尻尾の先端が無防備な尻穴に軽く触れると、俺はビクッとその身を仰け反らせていた。
「クフフ・・・どうしたんだい・・・?」
そんな俺の反応に、雌竜が凄艶な表情を浮かべた顔を近付けて来る。
「ふぁっ・・・そ、そこは・・・はあぁっ・・・」
ちょっとでも気を抜けば果ててしまいそうな絶妙な加減の愛撫に加えてあんな太い尻尾で貫かれたら、耐えられるかどうかは別にしても体より先に精神が参ってしまいそうだ。
「良いのかい?あたしの尾は性悪だよ・・・何しろ獲物の中を滅茶苦茶に掻き回して、狂わせちまうんだからね」
その山のような巨体に組み敷かれている俺に逃げ場など無いことを知っていながら、動けずにいる獲物を焦らすように鋭い尾の先端が尻穴を少しずつゆっくりと出入りする。

「や、止め・・・て・・・くれ・・・うわああっ・・・!」
だがおぞましい槍の穂先から逃れようとどんなに精一杯力を込めて身を捩ってみても、ギュッと軽く握り締められただけでそんな儚い抵抗はあっさりと捻じ伏せられてしまっていた。
「お前は、じっくり時間を掛けて捻じ込んでやろうかねぇ・・・それとも、一息に貫かれる方が好みかえ?」
射精を堪えようと力を入れている下半身にも限界が近いのか、或いはもう間も無く一突きにされてしまう恐怖故か、彼女に掴まれたままの全身がガクガクと小刻みに震えてしまっている。
夫の代わりだなんて生温い・・・俺は、彼女にとってはただの玩具なのだ。
もしかつて彼女の夫だったというあの黒竜にも同じ仕打ちをしていたのだとしたら、彼がこの雌竜との交尾を極端に忌避した理由も何となく察しが付く。
相手がひ弱な人間なだけにこれでも相当に手加減しているのかも知れないが、あの雄竜に注ぎ込まれたのだろう彼女の苛烈な責め苦は想像するだけで鳥肌が立つ程に恐ろしかった。

「返事が無いようだけど・・・声が出ないのかい・・・?」
ズブ・・・
「ひぃ・・・」
やがて無言の俺を詰るかのように、尻尾の先がほんの数センチだけ尻穴の中へと突き入れられる。
たったそれだけでもう拡張感を感じる程の太さに、これ以上入れられたらという危機感が俄かに膨れ上がっていた。
だがそうかと言って尾の侵入を食い止める術などあるはずも無く、必死に締め付けたはずの肛門がズズッという不穏な音とともにまた少し押し広げられる。
そして進退窮まった俺の心が弱り掛けているのを見計らったかのようにペニスを擦り上げられると、俺は溜まりに溜まった屈服の白濁を噴き上げてしまったのだった。

ビュビュビュッ・・・ビュク・・・ビュルル・・・
「うあ・・・あぁ・・・」
これまでに無い程の盛大な射精に、ペニスを握っていた雌竜の手がドロリとした精で見る見る内に汚れていく。
「おやおや・・・随分とたくさん出したもんだねぇ・・・」
やがてそう呟いた彼女は手に付いた精の雫を美味そうに舌で舐め取ると、いよいよ本番とばかりに自らの膣を俺の眼前で左右に広げていった。
クチャ・・・ジュブ・・・
「うぅ・・・」
桃色の愛液をたっぷりと纏った真っ赤な秘肉が、淫靡な水音を立てながらゆっくりと波打っている。
膣の内部に備わった幾重にも連なる肉襞と柔突起が妖しく蠕動し、これからそこへ捧げられる生け贄の到来を今か今かを待ち侘びながらその凶悪な牙を打ち鳴らしていた。

「それじゃあお前にもそろそろ・・・あたしの中を味わって貰うとしようか・・・」
その奈落のように深い雌穴の凶悪さに、たった今射精したばかりで萎えていたはずの肉棒が俺の意思とは無関係に再び天高くそそり立ってしまう。
恐らくはこれまで人間の女性とさえ体を重ねたことの無い俺にも、その竜膣が持っている凄まじい威力が肌で感じ取れてしまったのだろう。
あそこに呑まれたら、一体どんな快楽を味わうことが出来るのだろうか・・・
胸の内に芽生えてしまったそんな破滅的な期待感を否定するように幾ら頭を振ってみても、真っ直ぐに屹立してしまったペニスは正直な俺の心情をこれでもかとばかりに主張してしまっていたのだった。

やがてすっかり準備万端とばかりに聳え立つ雄槍に狙いを付けた雌竜が、大きく花開いた真っ赤な秘裂をゆっくりと近付けて来る。
目を背けたくなるような、それでいて強烈に引き込まれる奇妙な魅力を伴った、雌雄の捕食の光景。
ズ・・・グプ・・・
「ぐ・・・ぅ・・・」
熱く煮え立つ愛液の海に浸された亀頭から焼け付くような興奮が競り上がり、俺は必死に両拳を握り締めながらその挿入の刺激に耐え続けていた。
ズズ・・・ジュブ・・・
「くあっ・・・は・・・ぁ・・・」
じわじわと深い竜膣の中へ沈められた肉棒が、やがて波打つ襞の蠕動に誘われて更に奥へと吸い込まれていく。

「クフフフ・・・やっぱり人間のモノは良いねぇ・・・こいつは搾り甲斐がありそうだよぉ・・・」
火傷しそうな程に熱い愛液と力強くペニスに吸い付く屈強な襞のざわめきに、俺はそんな彼女の言葉が想像以上に危険な意味合いを含んでいるのに気が付いていた。
まだ根元までは入れていないというのにねっとりとした濃い愛液に浸されたペニスは既に彼女の中ではち切れんばかりに大きく膨れ上がっていて、刺激にも敏感になっているのか微かな蠕動が余りにも心地良い。
彼女がその気になれば、俺がどんなに必死に我慢したところで幾らでも雄を搾り尽くせるのだろう。
さっきの手淫と尻尾責めで俺が彼女にとってはただの玩具でしかないことを嫌と言う程思い知らされているだけに、俺はこれから始まるのが単純な雌雄の営みでないことを既に悟ってしまっていたのだった。

グブ・・・ズブブ・・・ズン・・・!
「がっ・・・!」
やがて重い腰を落とされた重圧とペニスを根元まで呑み込まれた感触が同時に叩き込まれると、俺は肺から押し出された空気を乾いた悲鳴に変えて静寂の中へと吐き出していた。
ミシ・・・ミシミシ・・・
巨大な雌竜の尻に押し潰された体が軋むような音を立て、絶望的な息苦しさが俺の不安を更に増幅する。
「うぐ・・・く、苦し・・・い・・・」
「おっと・・・ちょいとばかり加減を間違っちまったようだね・・・全く、人間はひ弱過ぎるのが困りものだよ」
巨竜にとっては余りにも脆い人間の俺に対してさえこんなにぞんざいな扱いなのだから、きっとあの雄竜に至っては彼女の巨体に容赦無く押し潰されながら存分に精を搾り取られたのに違いない。
あいつに捕まって他のドラゴン達に売られそうになってた時はその理不尽さに多少なりとも怒りを覚えたものだが、数ヶ月に1度とは言え彼女の夫としてこんな恐ろしい目に遭っていたことには素直に同情せざるを得なかった。

キュゥ・・・
「うは・・・ぁ・・・」
だが彼女がほんの少しだけ体を浮かせてくれたことで呼吸が楽になった次の瞬間、肉棒を押し包んだ無数の襞が大量の愛液を溢れ出させながらゆっくりと雄を締め上げていく。
根元から先端へ向けて渦巻状に扱き上げられるかのようなその未知の責め苦に、歯を食い縛っていたはずの口元からは微かな喘ぎ声が漏れてしまっていた。
どんなサイズの雄でも受け入れられるようになっているのか、根元まで押し込んでも最奥までは到底届かないような人間の肉棒でも襞の収縮と膣壁の圧搾で絶妙な快感が絶えず注ぎ込まれてくる。
それと同時に先程から俺の尻穴に収まっていた尻尾の先端がドスッと前立腺を突き上げると、俺は一気に押し寄せて来た射精感に抗う間も無く2度目の精を放ってしまっていた。

ピュピュッ・・・ビュル・・・
「ぐああぁっ・・・は・・・ぅ・・・」
完全に遊ばれているだけだということは自分でも分かっているのだが、こうまであっさりと精を搾り出されてしまっては男としてのプライドまでもが音を立てて崩れていく。
「フン・・・この程度で出しちまうのかい?そんなことじゃ、とても朝までもちやしないだろうねぇ・・・」
そう言いながら、彼女がその太い指先で俺の顎をツイッと掬い上げる。
「うぅ・・・」
「まぁ・・・それならそれでも構わないさね・・・お前の価値は、所詮その程度だったってことさ」
余りにもあっさりと投げ付けられた、無慈悲なまでの死刑宣告。
数日前に彼女に買われて命を落としたという人間ももしかしたら用済みになって彼女に食い殺されたのではなく、激し過ぎる夜伽に耐えられず無惨に搾り殺されてしまったのかも知れない。
だが惨めに扱われる悔しさと先行きの見えぬ不安に胸を締め付けられている俺の心情を知ってか知らずか、彼女は再び俺を温床の上に押し付けると今度はゆっくりとその大きな腰を前後に振り始めたのだった。

グジュッ・・・ギュブ・・・ズチュッ・・・
「うぐ・・・は・・・う・・・」
山のように大きな雌竜の体が揺れる度に、竜膣へ囚われた肉棒が凄まじい勢いで振り回される。
それと同時に熱湯のように熱く滾った愛液が雫を飛ばしながら無数の襞に一気に雄槍を舐め上げられ、俺はペニスを火炙りにされているのではないかと思えるような灼熱地獄に悶絶していた。
だが体を鷲掴みにした彼女の巨掌から逃れる術などあるはずも無く、滅茶苦茶に責め嬲られた肉棒がまたしても切ない疼きを訴え始める。
こ、こんなペースで一晩中彼女の交尾に付き合わされたりしたら朝にはすっかり干乾びたミイラになっているか、悪くすれば激し過ぎる行為の途中で狂い死んでしまうに違いない。

ギュッ・・・グジッ・・・グッチュ・・・
全く予測の付かない不規則なグラインドに加えて断続的な締め付けがペニスへと襲い掛かり、何とか射精を堪えようという俺の意思を嘲笑うかのようにその責めが際限無く苛烈さを増していく。
「こ・・・んなの・・・も、もう・・・駄目だぁ・・・」
その圧倒的な体格差を微塵も感じさせない極めて統制の取れた搾動の前に、まだ交尾を始めて10分程しか経っていないにもかかわらず早くも3度目の熱い奔流が競り上がってくる。
「た、助・・・けて・・・」
か弱い人間に対しても全力で叩き込まれる巨竜の饗宴に、俺はいよいよ命の危険を感じ始めていた。
そして限界まで張り詰めた俺の肉棒を熟れた竜膣で力一杯締め上げながら、またもや尻穴に突き入れられた尻尾が俺の体ごとビクンと勢い良く跳ね上がる。
ドプッ・・・!ビュク・・・ビュルルル・・・
「うがああぁ・・・は・・・ぁ・・・」
そんな人間には到底受け止め切れない魔性の快楽に、俺は血を吐くような叫びを上げながら気を失ったのだった。

「ぐ・・・ぅ・・・」
次の日の朝、俺は全身を蝕んでいた酷い倦怠感に呻きながらもゆっくりと目を開けていた。
やがてその眼前に、薄っすらと朝日の差し込む洞窟の光景が浮かび上がってくる。
大量の金銀銅貨、高貴な人間が身に着けていたのだろう豪華な装飾品に鎧や盾、剣、槍、兜などはもちろんのこと、大きなハンマーや使い古された小型のナイフ、中には見たことも無い物騒な形をした鈍器などが山と積まれている。
眠っている間に穴の中へ戻さなかったのか俺は依然として雌竜の温床の上に寝かされていたものの、肝心の彼女自身は俺のすぐ隣で硬い岩の地面の上にとぐろを巻いて眠っているらしかった。
だがその長くて太い尾の先が寝ていた俺の右足の上に重く圧し掛かっているところを見ると、この隙に逃げようとすればまず間違い無く彼女の逆鱗に触れることになるだろう。
俺はやはり、このままこの洞窟で死ぬまで彼女の玩具として弄ばれる運命なのだ。
尤も、昨夜のことを考えれば人生の終焉の日はそう遠くはないのかも知れない。
状況から察するに昨日は彼女も気を失った俺をそのまま黙って寝かせてくれたらしいのだが、今夜も同じように命が助かる保証など何処にも無いのだから。

「起きたのかい・・・?」
やがて自身の暗い行く末を静かに嘆いていた俺の耳に、目を覚ましたらしい彼女の声が聞こえて来る。
「あ、ああ・・・」
「それじゃあ、あたしは狩りに出掛けて来るとするよ。お前は、何か食いたい物はあるのかい?」
「え・・・?」
どうやら彼女は、俺の食事のリクエストくらいは聞いてくれるらしい。
まあ俺としてはそれが何時最後の食事になってもおかしくないのだから、これでも彼女としては多少なりとも気を遣ってくれているのだろう。
だが正直なところ、俺はもうこの際食事など何でも良いと思うようになっていた。
その代わりに、とある別の欲求が胸の内に湧き上がって来てしまう。

「別に・・・あんたの好きな獲物を獲って来てくれれば十分だよ。それよりも、1つだけ頼みがあるんだ」
「何だい・・・?」
「どうせあんたは出掛ける時に、俺をそこの穴に戻すんだろう?」
それを聞いて、彼女がほんの少しだけ首を傾げる。
「そうさ・・・それがどうかしたのかい?」
「その時に、その辺にある宝物を幾つか借りても構わないかな?」
「・・・?そいつは別に構わないけど、まさか変な気を起こそうなんてつもりじゃないだろうね・・・?」
もちろん、彼女にしてみれば俺がここから逃げ出すんじゃないかという心配は当然のことだろう。
「そんなつもりなんて無いよ。ただちょっとその・・・暇を潰す物が欲しいだけなんだ」
「そうかい・・・?まあ・・・お前の好きすれば良いさ。一応今のお前は、あたしの夫なんだからね」
「助かるよ」
俺はそんな彼女の返事に僅かばかりの驚きを覚えながらも体を起こすと、周囲にあった煌びやかな宝物を幾つか拾い集めては深い穴の底へと投げ込んでいったのだった。

「これとこれと・・・後これも・・・こいつも使えそうだな・・・」
小さいながらも純金の重みがある数枚の金貨、丈夫な鋼で作られた盾、それに切れ味の鋭そうな銀の短刀。
他にも細かい宝石の連なるネックレスやブレスレットなどといった素材を十数点程選んで穴の中の温床へ纏めると、俺は高さ3メートルはある崖のようなその段差をヒョイッと飛び降りていた。
もちろんそれは地面が柔らかいからこそ出来たことなのだが、まさか俺が自ら穴に降りるとは思っていなかったのか先程から俺の行動を怪訝そうに窺っていた雌竜が一瞬驚きの表情を浮かべたのが視界の端に映り込む。
「だ、大丈夫かい?」
そして何処か心配そうな表情を浮かべて穴を覗き込んできた雌竜に目配せして無事なことを伝えると、彼女はフーッと大きな安堵の息を吐いてからそのまま狩りに出掛けていったのだった。

てっきりあの黒竜のように俺が逃げられないよう穴の周りへ火でも放っていくのかと思っていたのだが、俺に逃げる気が無いことを感じ取ったのか彼女は特に俺の逃亡を心配してはいないらしかった。
尤もあの黒竜の住み処にあった穴に比べるとここは使われていた年月が長い為か壁は比較的滑らかで、何の道具も無しに攀じ登るのが相当な難業であろうことは想像に難くない。
俺の他にも誰か人がいるのなら踏み台にでもなってもらって穴の上へ押し上げてもらうことは出来るのだろうが、1人の人間を飼っておくのにはこれでも必要十分ということなのだろう。

まあ、そんなことは今はどうでも良い。
俺は柔らかな温床の上にまずはずっしりと重い盾を寝かせると、その上に金貨を1枚載せていた。
そして本来は武器として使うのだろう柄の長い大きなハンマーを振り上げると、盾の上に置いた金貨に向けてそれを思い切り振り下ろしてやる。
ガッ!ガッ!
洞窟中に響き渡る、鋼同士がぶつかり合う硬質な打撃音。
ハンマーを叩き付ける度に金属としては極めて柔らかい純金の塊が徐々に薄く引き延ばされていき、作業を始めて10分程も経つ頃には金貨が薄手の円盤状にその姿を変えていた。
さらに槍の先端を折り取って手に入れた鋭い鉄製の穂先を円盤の中心に当て、ノミを打ち込むようにしてハンマーをそれに叩き付けてやる。
やがて槍の切っ先が円盤を貫通して中心に小さな穴が開くと、俺は小さく息を吐きながら額に掻いた汗を腕で拭っていた。

これで、大まかな原形は出来上がりだ。
後はこの穴をもっと大きく広げ、内径と外径を整えながら表面を磨き、短刀で彫り細工をするだけだ。
そのくらいの作業なら、半日もあれば仕上げられるだろう。
唯一問題があるとすれば彼女が狩りから戻って来るまでの間に終わるかどうかというところだが、まあ結果的に間に合わなかったならそれはそれで仕方が無いだろう。
そしてほんの数分という短い休憩で集中力を取り戻すと、俺は再び秘密の作業へと取り掛かったのだった。

人間を住み処に残したまま狩りに出掛けてから、もう何時間が経っただろうか・・・
あたしはようやく人間の食料となる2頭目の猪を仕留めることに成功すると、尻尾で包んだその戦利品を背中の上へドサリと載せていた。
昼過ぎ頃に住み処を出て来たせいもあってか、もう空には薄っすらと夕焼けが掛かり始めているらしい。
たまたま今日は良い獲物に巡り合えなかっただけなのだろうが、これまで狩りにこんなに時間を掛けたことは無かっただけにあの人間が逃げ出してやしないかという一抹の不安があたしの胸の内にこびり付いていた。
だがわざわざあたしに断ってまで何やら宝物を穴の中に投げ込んでいたくらいなのだから、本当にただ時間を潰す為の手段を手に入れたがっていただけなのかも知れない。
まあ、何れにしてもその結果はもうすぐはっきりすることだろう。

あたしはしんと静まり返った住み処の様子に不安の色を強めながらも、奥の部屋へ辿り着くと背中に載せていた獲物を地面に振るい落としてから恐る恐る穴の中を覗き込んでいた。
その視界に、何やら疲れ切った様子で仰向けに転がったまま眠りに就いている人間の様子が飛び込んで来る。
彼の周りには所々凹みを拵えた大きな盾や先端がボロボロになった槍の端などが散らかっていて、その他にも随分と酷使されたのか少し傷んだ短刀やハンマーなどといった武器の類も無造作に転がされていた。
一体、この人間は穴の中で何をしていたのだろうか・・・
あたしは一瞬彼を起こしてそれを問い質してみたい衝動に駆られたものの、丸一日何も口にしていないはずの空腹の人間があれ程深く眠っているということは相当な疲労が溜まっている証拠。
どうせ夜にはまたあたしとの夜伽に付き合わされて気を失う程苦しい目に遭わせられるのだから、昼の間くらいはそっとしておいてやるのがせめてもの情けというものだろう。
そう思って余り物音を立てないように自らの寝床に身を沈めると、あたしは息を潜めながら人間が自然に目を覚ますのを辛抱強く待つことにしたのだった。

グルルルルル・・・ギュルル・・・
「う・・・ん・・・」
その日の夕方頃・・・俺は凄まじい空腹感と腹の鳴る音で、しばしの眠りから目を覚ましていた。
辺りは既に大分暗くなっているはずなのだが、住み処に帰って来た雌竜が穴の上で焚き火でも燃やしているのか洞窟の天井は煌々とした炎の明かりに照らされていて、そこに静かに尻尾を揺らす彼女の影が映り込んでいる。
そして俺が目覚めた気配に気付いたのか、ややあって彼女がのそりと穴の上から顔を突き出していた。
「お目覚めかい・・・?」
「ああ・・・余りに腹が減って目が覚めちまったみたいだ」
やがてそんな俺の返事を聞くと、彼女が香ばしい香りを放つ猪の丸焼きをそっと穴の中へと下ろしてくれる。
焦げ目はほとんど付いていないにもかかわらず中までしっかり火が通っているところから察するに、きっと時間を掛けながら焚き火でじっくりと焼いてくれたのだろう。

「これ、今焼いたのか?」
「お前がまだしばらくは起きそうになかったからね・・・暇潰しも兼ねて焼いてあっただけさ」
そうは言うものの、猪の手や足の付け根に引き千切りやすいよう爪で深い切れ込みが入れてあるところをみると、きっと俺が食べやすいようにと色々工夫してくれたのだろう。
まあ彼女は余りそのことについては触れて欲しくなさそうなだけに、ここは余計なことを言わず素直に食事へ口を付けた方が良いのに違いない。
バリッ・・・ムグ・・・モグモグ・・・
「お・・・結構美味いな・・・塩味が足りないのがちょっと惜しいけど・・・」
料理というには余りに荒削り過ぎるものの、じっくりと火を通した猪の肉は空腹の腹には格別に美味く感じられた。

やがて30分程掛けてすっかり腹が膨れると、俺の食べ残した猪を拾い上げた彼女が一口で獲物を丸呑みしてしまう。
俺も何時か、あんな風に彼女に呑まれてしまうのだろうか・・・
豪快な巨竜の食事の光景にふとそんな想像が一瞬脳裏を過ぎったものの、俺はそれと同時にそんな自身の最期の光景をどういうわけかそれ程恐ろしいとは感じなかったのだ。
獰猛な怪物だとばかり思っていたこの巨大な雌竜からも何処か俺に対する慈悲というのか、ある種の気遣いのようなものが感じ取れることがあるお陰で、彼女に対する警戒心が緩んでいるのかも知れない。
しかしあっと言う間に食事を済ませてしまった彼女の大きな手に掴まれて穴の上に引き上げられると、俺はまたあの甘美な地獄を味わわされるのかという思いに僅かに表情を曇らせたのだった。

「さてと・・・お前の腹も膨れたことだし、今夜も覚悟は出来てるんだろうね・・・?」
「あ・・・ああ・・・」
そう言った俺の目の前で、嗜虐的な笑みを浮かべた彼女の口元が微かに歪む。
だがいよいよ大きな温床の上に組み敷かれそうになったその時、不意に彼女が何かを思い出したようにその動きを止めていた。
「そう言えば・・・あたしが狩りに出掛けてる間、お前は一体何をしていたんだい?」
「え?ああそれは・・・こいつを作ってたんだ」
そして半ば予想していた彼女の問いに答えるようにポケットから大きな金のリングを取り出すと、彼女にも良く見えるよう眼前にそれをゆっくりと翳してやる。
「何だいそれは・・・?」
「指輪さ。あり合わせの素材で作ったから精巧とは言えないけど・・・一応あんたの指に合わせてみたつもりだよ」
「あたしの・・・?お前が・・・このあたしの為にそれを作ったって言うのかい?」

驚いているのか、それとも嬉しさを押し隠しているのか、或いはそのどちらでもないのか・・・
俺はどんな表情を浮かべて良いのか自分でも良く分かっていないらしい彼女の手を取ると、人間にとっては腕輪にしか見えない大きな金の指輪を左手の第3指へと嵌めてやっていた。
指が4本しかないから少し判断に迷うところだが、多分それが人間で言えば薬指に当たる指なのだろう。
おぼろげな記憶で作った割に意外と大きさは丁度良かったらしく、銀のナイフで流線の細工を施した上に彼女の眼色と同じ小さなエメラルドを埋め込んだゴールドリングが、焚き火の明かりを反射してキラリと輝いていた。
生まれて初めて身に着けたのだろう指輪の感触に、彼女が眼前に自らの手を翳しながらうっとりと顔を綻ばせる。
「こいつは嬉しいねぇ・・・」
そしてその贈り物を愉しげに細めた眼で一頻り眺め回すと、やがてさっきまでよりも明らかに毒気の抜けた彼女の視線が俺に注がれたのだった。

「それで、お前は一体どうしてあたしにこんな贈り物をくれるんだい?」
「それは・・・何て言ったらいいんだろうな・・・とにかく、あんたに喜んで貰いたかったんだよ」
それを聞いて、彼女が俺の隣にその巨体を静かに沈み込ませながら話の先を促すような視線を振り向けてくる。
「俺は今まで、幾つも仕事でそういう装飾品を作って来たんだけどさ・・・」
その言葉とともに、ほんの数日前まで熱心に仕事に打ち込んでいた作業場の光景がまるで遠い記憶か何かのようにおぼろげに脳裏へと浮かんできた。
「出来上がった品物はただ店先に並べられるだけで、俺は自分の作品で誰かが喜んだ姿を見たことが無かったんだ」
「それで、わざわざこのあたしの為だけにこいつを作ってくれたって言うのかい?」
「ああ・・・あんたが喜んでくれて良かったよ。何だか、今まで感じてた胸の凝りが取れたような気分なんだ」

どうせ、俺の命は長くても後数日・・・
だが人生の目的を1度とは言え達成出来たことで、もう何時死んでも悔いは無い。
まさか相手が人間ではなくこんな巨大なドラゴンだとは思わなかったものの、あり合わせの材料と道具で作ったあんな無骨な指輪でも嬉しそうに目を細めて眺めてくれた彼女の反応は俺の心に確かな達成感を齎してくれたのだ。
「そうかい・・・でもこんな才能があるのなら、このままここで朽ちさせるだけってのはもったいないねぇ・・・」
そしてそう言った数分後、彼女はふと何かを思い付いたかのようにパッと顔を上げると地面に横たわったままじっとしていた俺の耳元にまるで睦言のような甘い囁き声を吹き込んだのだった。


それから10日後・・・
彼女と今後のことについて色々と話をした上で、俺は無事に元住んでいた町へと帰ってくることが出来た。
しばらく行方を晦ましていた俺の突然の帰還に職場の人間や知人達は奇跡だ何だと大いに騒ぎ立てたものだが、本当に彼らが驚くのは寧ろこれからだと思うと時折子供っぽい笑みが零れてしまうのは自分でもどうしようもない。
俺は町に帰ってくるなりそれまで働いていた職場を辞めると、彼女の洞窟から持ち帰った幾つかの財宝を売って密かに大金を手にしていた。
もちろんこのことは周囲の人々には秘密にしてあるのだが、まあそれがバレるのも時間の問題だろう。
そしてこれまで住んでいた家の傍に広めの土地を買い、そこに自分専用の大きな作業場を建て始めたのだ。
洞窟に山のように貯め込まれていた財宝の価値は俺が3回くらい生まれ変わっても一生遊んで暮らせる程のそれはそれは莫大なものだったのだが、生き甲斐の無い人生など送ったところで楽しくも何ともない。
下請けとして陰働きを続けて来たこれまでの経験でそのことを十分に知っていたからこそ、俺は手にした到底使い切れない程の大金を何の惜しげも無く人生の土台作りに投資することが出来たのだろう。
やがて数ヶ月の時間を掛けて自宅に隣接した大きな作業場が完成すると、俺は真昼間にその煙突から狼煙の代わりとなる真っ赤な煙を上げたのだった。

その日の夜・・・
すっかり人々の寝静まった町の中、俺は西に広がる森へと続く広い道の真ん中で妻がやって来るのを待っていた。
そして薄っすらと月明かりに照らされた道の向こうから赤黒い影がゆっくりと近付いて来るのを目にすると、人目に付かないように作業場の扉を開けて巨大な雌竜を中へと招き入れてやる。
「やぁ・・・久し振りだね」
「クフフ・・・お前もまた、よくもまぁあんなあたしの提案をすんなり受け入れてくれたもんだよ」
彼女はそう言いながらまだ出来上がって間も無い広い作業場をグルリと見回すと、自身の居場所となる大きなカウンターの奥にゆったりと腰を落ち着けていた。
「おや・・・こいつはなかなか居心地が良いじゃないか・・・気に入ったよ」
本来なら彼女の住み処にあったような草木で作った温床を再現したかったのだが、生憎それだけは真似出来なかったので代わりにたっぷりと厚く藁を敷いてみたのだ。
素材が違うから感触は多少違うだろうが、取り敢えず座り心地は気に入ったらしいので一安心といったところか。

「気に入ってくれて良かったよ。それで、もう明後日には店を開くわけだけどさ・・・本当に大丈夫なのか?」
「なぁに、心配は要らないさね。お前はただ、自分の仕事に集中してくれれば良いだけさ」
まあ、彼女がそう言うのなら多分間違いは無いのだろう。
尤も俺が心配しているのは客そのものというよりは町の人々の反応の方なのだが・・・
どうやら彼女は、そっちの方もどうにかなると楽観的に考えているらしい。
だが今更考えても仕方の無いことだけに、俺は倉庫に貯蔵してあった金貨の詰まった袋を1つだけ作業場へ持ってくるといよいよ仕事に取り掛かろうと服の袖を捲ったのだった。

様々な大きさの指輪やブレスレット、ネックレス、その他一体何に使うのか良く分からない形をした物まで、妻の助言を受けながらほぼ丸1日掛けて明日の開店に向けた商品作りに汗を流す。
それらの装飾品に使われている貴金属や宝石の類は全て彼女の洞窟にあった財宝から取り出されていて、これでもまだ奥の倉庫には数え切れない程の宝物が積み上げられているのだ。
まあ普通ならそんなに財産を抱えていたら何よりも先に泥棒の心配をするべきかも知れないが、屈強過ぎる番人・・・いや、番竜がここにいてくれる以上変な気を起こす命知らずはまずいないだろう。
そして彼女の前にある広いカウンターの上に大小様々な装飾品が並ぶと、俺はすっかり疲れ切って温床の上に蹲った彼女の温かい胸元で眠りに就いたのだった。

その翌日・・・
すっきりと晴れ渡った空の下、俺は緊張と期待を胸に作業場の外で西の山の方をじっと見つめ続けていた。
そしてもうすぐ昼を迎えるという段になって、遠くに広がる森から透き通るような水色の鱗を纏った1匹の大きな雌竜が町の方へと近付いて来るのが目に入る。
俺の他にもそれに気付いた町の人々が何やら大騒ぎしているようだが、当の雌竜はそんな人々の喧騒も意に介さず静かにこちらへ向かってゆっくりと歩き続けているようだ。
まあ、ここから見てもあの雌竜に人間に対する害意があるようには見えないし、その内騒ぎも沈静化するだろう。
とにかく、最初のお客さんが来てくれたのだからこちらはこちらで準備をしなくては・・・

俺はカウンターで静かに座っていた妻に目配せして客がやって来たことを伝えると、自分は作業場の奥に引っ込んで巨竜同士のやり取りを黙って見守ることにした。
やがてしんとした静寂の中に外を歩く雌竜のゆったりとした足音とガヤガヤとした人々の騒ぎが近付いて来ると、いよいよ広い入口を潜った水色の雌竜が俺達の前へその美しい姿を現す。
作業場の外では相変わらず大勢の人々が遠巻きに様子を窺っているようだが、まあ今は気にする必要もないだろう。
「おやいらっしゃい・・・お前さんが最初に来てくれて嬉しいよ」
「ウフ・・・まさかそんなお世辞を聞けるなんて思わなかったわ。あなたって、もっと頑固者だと思ってたし」
「頑固者はあたしの夫だったあの老い耄れの方さ。それで、お前さんはこいつが欲しかったんだろう?」
意外にも普通に接客している妻の様子に何だかドキドキしながらも、俺は彼女がカウンターの上から持ち上げた大きいイヤリングのような装飾品に目を奪われていた。
あれは、俺が作った品物の中でも何に使うのか良く分からなかった物の1つだ。

「ああ、それよそれ。良く出来てるじゃないの」
水色の雌竜はそう言うと、妻から受け取ったそれを付属の金具を使って自身の尻尾の先端に器用に取り付けていた。
成る程・・・あれは尻尾用のアクセサリーだったのか・・・
あんな所に付けたらちょっとした衝撃や何かで外れてしまいそうな気がするのだが、まあ見た目にも御淑やかそうなあの雌竜の様子を見る限り狩りは夫にでも任せて自分は住み処でじっとしていることが多いのかも知れない。
やがて小さなアクセントの付いた自分の尻尾を満足気に揺らしていた雌竜が、ずっと手の中に隠し持っていたらしい数枚の金貨をカウンターの上に置いていた。
「お代はこれで良いのかしら?」
「ああ、構わないよ。もしまた欲しい物が出来たら、あたしに言っとくれ」
「ええ、そうするわ。ありがとう」

そう言って再び大勢の人々の中を悠々と帰って行く雌竜の後姿を見送ると、俺はフーッと大きな安堵の息を吐いて妻と顔を見合わせていた。
「まさか本当に、俺の作った装飾品を買っていく竜がいるだなんて思わなかったよ」
妻の話によれば、あの山に棲んでいる竜達は住み処に財宝を貯め込んでいることが多いらしく、それを狙った人間に襲われることも少なくないのだそうだ。
彼女の洞窟にも宝石や貴金属に混じって人間が身に着けていたような武具の類が数多く転がっていたが、それらも自分の命を狙って来た人間達を返り討ちにして手に入れた物がほとんどなのだろう。
だがそんな経緯もあってなのか、財宝好きな金持ちの竜達の中には自分もそれらの宝物で着飾ってみたいという密かな欲求を抱えている者が少なくないのだという。
「なぁに、忙しくなるのはまだまだこれからさ。お前がいない間、あたしがたっぷりと宣伝しておいたからね」
そしてそんな彼女の言葉を聞いて反射的に作業場の外へ出てみると、山へ帰って行く水色の雌竜の向こうから今度は橙色の鱗に身を包んだ3匹の姉妹らしい小さな竜達が並んでこちらにやって来るのが目に入ったのだった。

俺のいない間に宣伝か・・・
確かに財宝と引き換えに捕まえて来た人間を売って大勢の顧客を持っていた例の黒竜の妻だったのだから、彼女もあの山に棲んでいる竜達には相応に顔の利く存在なのだろう。
人間の作った装飾品を少量の金と引き換えに売って貰えるという話が竜達の間でどの程度受け入れられたのかは俺には分からないものの、妻の自信を見る限りはかなり大勢の竜達がそれを歓迎したらしいことが窺える。
もちろん巨大な竜が人間達の住む町に姿を現すことになるのだから余計な騒ぎは起こさないよう妻も彼らにきつく釘は刺したのだろうが、それでも俺としては何かトラブルが起きないかが心底心配だったのだ。
まあ次の客は人間の子供と同じくらいの小さな3姉妹のようだから、周りにいる人々もさっきの水色の雌竜がやって来た時程大騒ぎしているようには見えないのが少しばかり救いではあったのだが・・・

「あ!ほら見てここだよ!あのおばちゃんがいるもん!あたちが一番乗りー!」
「ちょっとメーサ、静かにしなさいってば!他の人間達が驚いちゃうから絶対に騒ぐなって言われたでしょ?」
チャリチャリーン・・・
「そう言うアレーはちょっと落ち着いたら?ほら、興奮して持ってた金貨も落としてるわよ」
はは・・・何だか、騒がしい姉妹だな・・・
俺は何やら甲高い声で言い争いながら店へ入って来た小さな竜達の様子に、思わず苦笑を浮かべてしまっていた。
まあ外で見ている大勢の野次馬達の間にも笑顔が見えるということは、これも良い傾向なのかも知れない。

「いらっしゃい、お嬢ちゃん達・・・今日はお使いに来たのかい?」
やがて俺が思わずギョッとするような猫撫で声で妻がそう言うと、彼女達が快活な返事を跳ね返してきた。
「うん!あのね、ママがキラキラした指輪をほちぃんだって!」
「あたしはずっと、綺麗な首飾りなんかが欲しかったのよね」
「私は翼爪に付けられる飾りなんかがあれば良いんだけど・・・」
それから数分後・・・
俺はメーサと呼ばれていた恐らくは末っ子だろう雌竜に妻が指輪を選んであげているという何処か不思議な光景を眺めながら、作業場の奥で何だか奇妙な嬉しさにふと涙を流してしまっていた。
この腕を振るって作った宝飾品で、誰かの喜んだ顔が見たい・・・
そんな子供の頃からの夢と言っても良い切なる思いが、今正に俺の目の前で実現している。
何しろ彼女達は晩御飯の買い物ついでに宝飾店に立ち寄っただけというような冷やかし目的の客ではなく、俺が作った作品を買いたい一心でわざわざ山を下りて人間の町へとやって来てくれた大切な顧客達なのだから。

「それじゃああたち、ママの指輪はこれにする!」
「この首飾り、あたしに丁度良い大きさね。付いてる宝石も綺麗だし、気に入ったわ」
「まさか本当に翼爪にも着けられる角飾りがあるなんて・・・驚いたわ」
どうやら、彼女達も無事に目的の品物が見つかったらしい。
やがて最初の客と同じくそれぞれ数枚の金貨を支払った姉妹達が嬉しそうに山へ帰って行ったのを皮切りに、数十分に1匹の割合ではあったもののその日は閉店となる夕方まで客足が途絶えることは遂に無かったのだった。
客の中には片思いの雌竜にプレゼントするつもりなのか妻と相談しながら四苦八苦して指輪を選んでいた雄竜や、欲しい物が多過ぎて手持ちの金貨では全部買うには足りずにがっくりして帰るお洒落な雌竜もいたらしい。
余程の恐妻持ちなのだろうか指輪と称して自分の腕よりも太い径のリングを後生大事に抱えて大急ぎで帰って行く小柄な雄竜の姿を見た時には流石に気の毒に思ったものだが、まあ妻の機嫌が取れれば彼には御の字なのだろう。
閉店を比較的早い時間に設定したのは夜に巨大な竜達が町中をうろつくと人々が怯えるからという理由なのだが、まあ彼らもその内町を行き来する"客"の姿に慣れてくれるに違い無い。

「ふぅ・・・流石のあたしも、少し疲れちまったよ」
「あんた、結構客の扱いが上手いんだな・・・余りに手慣れててドラゴンだとはとても思えなかったよ」
「そりゃあ、前の夫に財宝をぼったくられて暴れる連中を宥めるのが、このあたしの役目だったからねぇ・・・」
成る程・・・人間を取って食っちまうような血気盛んで凶暴な雄竜達相手に毎日のようにクレーム処理をやっていたというのなら、彼女が妙に交渉や話術を得意としているのも頷ける。
それにこんな人間のような仕事を自ら率先してやっているところを見ると、きっと彼女は元来そう言うことが好きな性格なのだろう。
それを考えれば、何故彼女があの黒竜と夫婦関係を結んでいたのかも理解出来るような気がした。
「それはともかく、今度はお前が働く番だよ。昼間はゆっくり休めたんだろう?」
「そうだな・・・それで、次はどんな物を作れば良いんだ?」
「何を言ってるのさ・・・商品を作るなんてのは3日に1度で十分さね。それよりも、重要な役目があるじゃないか」
そう言いながら、彼女が寝床代わりにもなっている藁敷きの上にゆっくりとその身を横たえる。
「あ、ああ・・・そっちか・・・分かったよ」
「クフフフフ・・・お前と体を重ねるのも数ヶ月振りだねぇ・・・今夜は愉しませて貰うから、覚悟おしよ・・・」

俺はそんな空恐ろしい囁き声に誘われて床へ服を脱ぎ捨てると、寝床で待つ妻の懐へと静かに攀じ登っていた。
そして彼女の下腹部で灼熱の愛液を滾らせている魅惑の火口へ、そっといきり立った自身の肉棒を近付けていく。
ズブ・・・ズブブブ・・・
「うあ・・・は・・・ぁ・・・」
「おおぅ、懐かしいねぇ・・・お前は本当に最高の夫だよ・・・これからも、あたしと一緒に居ておくれ・・・」
だが優しく耳を擽るそんな妻の甘い睦言にそっと頷いた次の瞬間、俺はペニスに叩き込まれた容赦の無い愛の抱擁に町中に響き渡る程の甲高い歓喜の悲鳴を迸らせたのだった。

このページへのコメント

ありがとうございます
続編は今のところ考えてませんでしたが何かしらスピンオフはあるかもしれないです

0
Posted by SS便乗者 2016年01月16日(土) 19:54:59 返信

GJ!続編ないん?名作なんだが

1
Posted by 名無し 2016年01月16日(土) 01:07:33 返信

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