「では、私の講義はここまでにするとしよう。皆、この島での休暇を楽しんでくれ」
半月竜島で迎えた7月最後の金曜日・・・
3限目の"竜語と爪文字"の講義を終えた俺達は、これから5限目の講義があるプラムよりも一足先に約2ヶ月間という長い夏休みへと突入していた。
「アレス、お前とプラムは、夏休みに何か予定あるのか?」
「ああ・・・まあ幾つかはね。そう言うロブは?」
俺がそう訊くと、彼が背後にいたジェーヌの方へと軽く目配せする。
「前にアメリアに教えて貰った入り江が凄く良かったからさ、俺達はこの島の秘境巡りをしようと思ってるんだよ」
「秘境巡りか・・・確かにこの島に来てもうすぐ4ヶ月にもなるってのに、何処に何があるか全然知らないもんな」

4ヶ月・・・時間にすればそう長い期間ではないのかも知れないが、その間に俺はこの島で実に様々な体験をした。
たまたま寮の上階が割り当てられていたプラムとある意味で衝撃的な出逢いを経て、結婚までしたこと。
エリザという2年生の雌竜に見初められ、無理矢理に寝取られそうになったこと。
ロブもロブで隣室に住んでいた美しいラミアのジェーヌと結ばれ、2人とも毎日が幸せそうだ。
温泉宿での仕事は今も恙無く続いているし、雌竜天国で週3日働いているプラムももう随分と人間との交尾には慣れたように見える。
そして来週の週末には、娼館で出会ってから数ヶ月という交際期間を経てようやく重い腰を上げた雌グリフォンのフィンと茶色い雄竜のマローンがようやく結婚式を挙げる決心を付けたらしかった。

「それで、アレスは何をする予定なんだ?」
「実はそのことなんだけどさ・・・皆で海に行きたいと思ってるんだよ。出来れば他の連中も誘ってさ」
「おっ、海も良いな。ジェーヌの水着姿ってのも見てみたいし・・・わっ!」
本人は惚気のつもりだったのか、そう言ったロブの左足に素早くジェーヌの尻尾が巻き付けられると彼が素っ頓狂な声を上げる。
「ロブ・・・そんなことを言うってことは、私の水着・・・もちろん買ってくれるのよね?」
「あ、ああ・・・もちろん・・・今日にでも買いに行かないか?」
へぇ・・・前は強気なジェーヌにすっかり尻に敷かれてたってのに、ロブも随分と度胸が付いたものだ。
「それは良いけどさ、その前に後期の時間割、作らなきゃいけないんだろ?」
「そういやもう後期の講義を選べるんだっけ」
そのロブの言葉に、ジェーヌが小さく頷く。
「そうね。気の早い学生達は、さっきの講義が終わった後にもう事務室に走って行ってたわよ」
「それじゃあ、俺達も行こうか」

やがて3人で事務室へと向かって歩いていると、ふとジェーヌが何かを思い出したかのように高い天井へと視線を向ける。
「そう言えばこの大学って、確か半年毎に講義のコースが変えられるのよね」
「そうなのか?」
「まあ在学中に別の種族のことを知りたくなったりすることもあるだろうし、その辺は色々と融通が利くんだろうな」
とは言うものの、俺もロブも竜学コースを変えるつもりは今のところ無いのだが・・・
「ジェーヌも後期は竜学コースにするんだろ?」
「そう思ってたんだけど、ロブとも結婚したことだし本格的に人間学コースに変えようか悩んでるのよねぇ・・・」
確かに、彼女が竜学コースを選んでいたのはロブと同じ講義を取る為というのが半分、竜という種族への興味が半分というところだったのだろう。
交際中はお互いに一緒に居られるという利点の方が大きかったのかも知れないが、いざロブという人間の伴侶を得てジェーヌも彼女が自分で思っていた程には人間というものを理解出来ていなかったことを痛感したのかも知れない。
尤も、彼女の悩みはどちらかというと履修コースの変更に最も難色を示しそうなロブへの対処の方なのかも知れないのだが・・・

「俺はそれも良いと思うよ」
「えっ?」
「えっ?」
だがまさかのロブから肯定の返事が飛び出して、俺とジェーヌがほとんど同時に彼の方へと顔を振り向けてしまう。
「いや、だってほら・・・ジェーヌとは寮に帰ればずっと一緒に居るんだしさ・・・」
そう言いながら、ロブが少し気恥ずかしそうに彼女から顔を背ける。
「無理に俺に合わせて竜学コースを選ばなくても、ジェーヌが自分で取りたい講義を取るのが良いと思うんだよ」
「ロブ・・・」
本音を言えば、ロブもジェーヌと別々の講義を受けるのは寂しいのだろう。
だが結婚という人生の中でも特別な経験を通して、ロブはロブでジェーヌという存在に対するある種の理解を得たのかも知れない。
そしてそんなことを話しながらようやく事務室に辿り着くと、時間割作成を担当している事務員の許へと向かったジェーヌを横目に俺とロブは部屋の奥に用意されていたPCの前へと座ったのだった。

「どれどれ・・・後期の講義は・・・と」
やがてロブと一緒にPCを立ち上げてみると、やはりコースが同じなだけに必修科目に関しては前期でやったのと同じような名前の講義が多く並んでいるようだ。
「時間割の構成はちょっと違うけど、講義自体は前期とそんなに変わらないんだな」
「いや、でも新しい講義も増えてるぞ。これって、前に博物館でリジーって雌竜が言ってた奴じゃないか?」
ロブにそう言われて彼のPCの画面を覗き込んでみると、確かにそこに"古代の爪文字"、"竜と考古学"という新しい講義名が表示されている。
以前博物館で経営者のリジーに会った時に、夫の雄竜であるオリバーがこの講義を担当していると言っていた。
あの時はてっきり2年以上でやる講義なのかと思っていたのだが、どうやら1年の後期からでも受けられるらしい。

「それと必修科目は2限分の体育を含めても9個しかないから、後は選択科目を多く入れろってことなんだろうな」
「それなら、後期はロブも"交配の極意"の講義を取らないか?」
「ああ!そうそう、受けてみたかったんだよ、その講義」
妖艶なサキュバスによる性に関する講義だなんてこの大学の目玉と言っても良いくらいだというのに、他の講義を選択したせいで週に2回ある講義をどちらも受けていなかったロブはそのことを随分と後悔していたのだ。
「後はやっぱり"ラミアの生態"と"異種族間結婚"辺りは入れるとして・・・アレスは何を取るんだ?」
「俺は"混血種"ってのがちょっと興味あるなぁ・・・後はこの"呪法と禁術"って講義かな」
「"呪法と禁術"か・・・確かに面白そうな講義だな。じゃあ俺もそっちは取ってみるか」
そしてものの10分程で後期の時間割作成を終えると、俺達はまだ事務員の男性と真剣に話し込んでいるジェーヌの方へと顔を振り向けていた。

俺とロブがそれ程時間割の作成に時間が掛からなかったのはPCが直接使えるからということももちろんあるのだが、最大の要因は履修コースが変わらなかったことで講義内容の理解が早かったことの方が大きい。
PCを扱える知識は無くとも人語の読み書きに関しては問題無く出来る程度には知能の高いジェーヌが時間割の作成にあんなに時間を掛けているのは、やはり履修コースを竜学から人間学に変えた影響があるのだろう。
さっきはそんなジェーヌの決断を快諾したロブも今更になって彼女と別々に講義を受けることが寂しくなってきたのか、その顔に何とも煮え切らない苦い表情が浮かんでいるらしい。
だが更にそれから10分程掛けて何とか時間割の作成を終えたらしいジェーヌが大きく息を吐きながら顔を上げると、俺達は並んで事務室を後にしたのだった。

「それで・・・ジェーヌは人間学コースに変更したのか?」
「ええ・・・大半は"人語の読み書き"の講義だったけど、これでロブのことをもっと理解出来るようになると思うわ」
「俺から見たら、ロブとジェーヌはもう相性ピッタリのカップルに思えるんだけどなぁ・・・」
尤も、俺がそう思うのは俺の伴侶が普段人間とは余り接点の無さそうな食いしん坊の雌竜であるプラムだからなのかも知れないのだが・・・
「そう言うアレスは、プラムとは上手く行ってるのか?」
「ああ、まぁね・・・そう言えば2人にはまだちゃんと言ってなかったと思うんだけどさ・・・」
そう言うと、ロブとジェーヌが少しばかり身構えたのが目に入る。
「実は、プラムとある将来の目標を立ててるんだよ」
「どんな目標なの?」
「俺・・・この半月竜島みたいな幻獣達の楽園を作りたいと思ってるんだ」
そんな俺の言葉を聞いて、2人が想像していた通りの衝撃を受けたらしい。
「それって・・・凄く大変な目標じゃない?」
「もちろん大変だよ。でも前に、エリザの件で揉めた時にこれは必要なことなんだって確信したんだ」

人間もそうであるように、人間とは何もかもが違うはずの幻獣達だって幼い頃に負った心の傷や辛い思い出が何十年、或いは何百年も先の生涯にまで影響してしまうことを、俺はエリザの一件で初めて知った。
様々な種族が共に暮らすこの半月竜島では統治者である竜王様の威厳と住民達の良識によって極めて平和で安定的な秩序が保たれてはいるものの、個々の住民達がその胸の内に抱えている闇の部分を癒すまでには至っていないのだ。
「そう言うことなら、私も協力するわ。エリザ以外にも、昔のことで心を悩ませている住民は大勢いるでしょうしね」
「ああ、それは助かるよ。でもまあ、今は取り敢えず夏休みを楽しむことからだな」
「それじゃあ、俺とジェーヌはレンスの服屋に行くとするよ。アレスはプラムの講義が終わるのを待つのか?」
ロブにそう言われて時計に目をやったものの、時刻は15時少し前・・・
5限目のプラムの講義が終わるまでには、実にまだ3時間近くもの時間がある。
「いや・・・俺も一緒に服屋に行くよ。花嫁衣装にも難色示してたくらいだから、プラムは水着とか着ないだろうし」
そうしてロブとジェーヌと3人で大学を後にすると、俺達は真夏の熱い日差しが照り付ける広い通りを服屋に向かって歩いたのだった。

「いらっしゃいませ、今日はどのようなご用向きでしょうか?」
やがてエリス服飾店に辿り着くと、店長のレンスがすぐさま応対に出て来ていた。
「ああ、その・・・今日は水着を探しに来たんですけど・・・ありますか?」
「人間用の水着でしたらこちらで外注が可能です。ジェーヌ様も人間用の物を着用されますか?」
「ええ、そうするわ」
それを聞くと、レンスが俺達3人分の水着のカタログを作成する為に奥へと引っ込んでいた。
結婚用の服を買いに来た時もそうだったけど、毎回客に合わせてああやって個別にカタログを作るのは必要な作業ではあるのだろうけれど凄く大変なことのように思える。
しかもそれをこなしているのが人間ではなく雄竜だというのだから、彼の聡明さと献身の心というものはこれまでこの島で出会ったどんな種族よりも群を抜いているように感じられた。

「流石にまだ少し時間が掛かりそうだから、店の中を見て回らないか?」
「そうね」
結婚に伴う助成金もあるし現状でも経済的にはどちらがどちらに依存しているというわけではないのだろうが、ジェーヌは"ロブに水着を買って貰える"という今のシチュエーションを存分に楽しんでいるらしい。
一方のロブもこの数ヶ月で夫としての立場が板に付いてきたのか、もう何処からどう見ても彼らはこなれた良い夫婦に見える。
そんなロブ達の姿が俺とプラムの間柄とは余りにも毛色が違い過ぎて、俺は時折プラムとこのままのフラットな関係を続けていても良いのだろうかという思いを抱いていた。
将来の目標は目標として、夫婦なら夫婦らしくもっと彼女と深い付き合い方をするべきなんじゃないだろうか・・・
出逢って数週間で結婚までしておきながら、俺もプラムもまだ心の何処かでお互いの歩み寄りに一線を引いているような気がしてしまうのだ。
「ロブ、これなんてどうかしら?」
「良いね。似合ってると思うよ」
少し離れたところで店に並べられた商品を吟味しているらしいロブ達の声が聞こえ、俺もふと顔を上げる。
恐らくこの場にプラムがいたとしても、俺と彼女の間にああいう会話は生まれないことだろう。
まあ、それはプラムが衣服の類を身に着けることに余り積極的ではないからという部分も大きいのだが・・・

「お待たせ致しました、カタログをお渡し致します」
それから数分後、店の奥から出て来たレンスが3人分の水着のカタログを俺達に配り始めていた。
「これって、どのくらいで取り寄せられるんですか?」
「外注品であれば納期は最速で4日、ヒヨク氏のオーダーメイド品であれば5日でお渡し出来ます」
そう言われてカタログを開いてみると、確かに見慣れた人間用の水着に混じって少し値段や雰囲気の違う水着も幾つか載っているらしい。
「へぇ・・・ヒヨク氏って、人間が着る服とかも作ってるんだな」
「リストは人間用の物ですが、ジェーヌ様には耐久性の観点からもヒヨク氏の水着の着用をお勧め致します」
「分かったわ。ありがとう」
そうして各々水着のリストを受け取ると、店を出るなりジェーヌがそれをロブに預けていた。
「それじゃあロブ、期待してるわよ」
あ、ロブがジェーヌの水着も選ぶのか・・・大丈夫かな、あいつ・・・
前は服のセンスなんてからっきしで、皆でプラムの花嫁衣装を選んでた時もジェーヌに黙らされてたけど・・・

「それじゃあ、そろそろプラムの講義も終わる頃だし俺は大学に戻るよ。ロブ達はもう帰るんだろ?」
「ああ、じゃあなアレス」
「またね」
そして寮に向かったロブ達と別れて大学に戻ると、俺はあと3分で5限目の講義が終わることを確認してプラムの居る講義室の前で彼女を待つことにした。
「お、終わったな・・・」
やがて講義終了のチャイムが聞こえると、人間学のコースを履修している学生達がわらわらと部屋から出てくる。
その中にプラムの姿を見つけて、俺は彼女に声を掛けていた。
「プラム!」
「アレス、待っててくれたのね」
「ああ・・・ちょっと今後の予定も話したかったからさ・・・寮に帰る前に、食堂に行かないか?」
それを聞くと、もう腹が減って仕方が無かったらしいプラムが待ってましたとばかりに大きく頷く。
「確かに、たまにはここの食堂で夕食っていうのも悪くないわね」
既に何を食べようか考えを巡らせているのか大きな口の端から涎を垂らし始めたプラムの様子に苦笑しながら、俺は彼女と共に学生達の姿も疎らな大学の食堂へと移動したのだった。

バクッ・・・パクッモグ・・・
相変わらずプラムの食事は豪快だな・・・
俺の目の前で10人前分くらいはありそうな子豚の丸焼きを次々と口へ入れながら、美味しい食事に彼女が心底幸せそうに顔を綻ばせている。
そして食堂の係員がプラムの為に総動員された静かな狂騒がようやく終わりを迎えると、満腹になったらしい彼女がふぅっと大きな息を吐いていた。
「満足したのか?」
「ええ・・・もうお腹一杯よ・・・それで、今後の予定だったわよね?」
「ああ・・・実は今日講義が終わった後に、ロブ達と水着のカタログを貰いに行ったんだよ。海に行く為にね」
それを聞くと、彼女がうんうんと小さく頷く。
「明日またロブ達と注文しに行って、来週の木曜日には水着が手に入る予定なんだけど・・・」
「でも、確かマローン達の結婚式が土曜日にあるのよね?」
「だから、その前の日の金曜日に海に行かないか?出来ればマローン達とかも誘ってさ」

流石に結婚式の前日ではマローンやフィンも準備に忙しいか気持ちが落ち着いていないかも知れないが、結婚式の後は彼らだけの時間を取りたいだろうから皆で何処かへ出掛けるならその前の方が良いだろう。
「良いわよ。私は別に水着とか・・・着なくて良いのよね?」
「ああ・・・結婚式の時もそうだったけど、プラムはあんまり服とか着たくないんだろ?」
「そうね・・・あの時はアレスの選んでくれた花嫁衣装で結構気分が高揚してたけど、私はこのままの方が良いわ」
まあ、彼女ならそう言うだろう。
「じゃあ、それまでに誘えそうな連中には俺から声を掛けておくよ。エリザやブライトも呼びたいしね」
「あ・・・それじゃあ・・・エリザには私から声を掛けておくわ」
「え?そ、それは別に良いけど・・・どうかしたのか?」
だがそんなプラムの意外な提案に、俺は思わずそう訊き返してしまっていた。
「エリザとは一応仲直りしたけど、あれからちゃんと彼女とは話せてなかったし、良い機会だと思うのよ」
確かに、特に意識してお互いに避けていたわけではないにしてもプラムがあの後エリザと顔を合わせたのは結婚式の披露宴の時くらいのもので、大学にいる間は学年が違うこともあってほとんど彼女達には接点が無い。
素直なプラムの性格からすれば、一方的にエリザに対して怒りを燃やしていたことがまだ少し心の隅に凝りのように残っていたのかも知れない。

「分かった。じゃあエリザの方は任せるよ」
「他には誰を誘う予定なの?」
「そうだなぁ・・・竜人のメリカスとかラズ教授を誘ってみるのも良いかもな」
メリカスが竜卵料理の店をやっているのは夜だし、大学が休みだからラズ教授も昼間なら時間が取れるかも知れない。
「プラムは他に誰か誘いたい奴はいないのか?」
「私はアレスが居ればそれで十分だもの。正直水に入るのはまだちょっと怖いし、浜辺で美味しい物でも食べてるわ」
温泉でウォータースライダーを滑ったことでプラムも多少は昔川で溺れた時のトラウマを克服出来たらしいものの、確かにプールや温泉と違って自然の海はまた違った危険も孕んでいる。
もちろん俺達も浜辺や浅瀬で遊ぶだけで水深の深い沖の方まで出て行ったりするつもりはないのだが、本能的に水が怖いのだろうプラムにしてみれば本来は海に入るのすら気乗りしないものなのだろう。

「ところで・・・ちょっとアレスに頼みたいことがあるんだけど、良いかしら?」
「何だ?」
「ここ最近、お店で人間の相手をしてる時にちょっと興奮してやり過ぎちゃうことがあるのよね・・・」
そう言いながら、プラムが恥ずかしそうに顔を俯かせる。
「この前も気が付いたらお客さん失神させちゃってて・・・朝まで目が覚めなかったのよ」
まあ・・・本来巨大な雌竜と人間の男が体を重ねたらそうなるのが当たり前だろう。
俺だって一応プラムとのまぐわいには割と身の危険を覚悟して臨んでいるくらいなのだから、別にその話自体は特別驚くようなことではない。
「どうしてそうなったんだ?」
「多分人間との交尾の経験ばかり積んだから・・・それに適応して感度が上がり過ぎちゃってる気がするのよ」
成る程・・・この島で生まれてから数十年間、竜王様の娘ということでずっと孤独に過ごしていた彼女は、そもそも異性と体を重ねるという経験自体が圧倒的に不足していたのだろう。
本来であれば同族の竜との交尾を経験して次第に人間など他の種族とも交わるようになっていくはずが、最初から俺を含めた人間ばかりとまぐわっていたせいで体がそれに沿った形に順応してしまったのかも知れない。

「それで・・・俺にどうして欲しいんだ?」
「何か、交尾の時に少しでも興奮を抑えられるような薬とか・・・手に入らないかしら?」
薬か・・・それなら、娼館の売店に行けば何かしら売っていそうではあるけど・・・
「薬って・・・そんなの使わなきゃならないくらい酷いのか?」
「交尾が激しいだけなら別に良いんだけど・・・力加減が分からなくなっちゃう時もあって自分でも少し怖いのよ」
それは確かに問題だな・・・
ただでさえ巨体を誇るドラゴンと普通の人間なんて、生物として比べ物にならない程に力の差があるものだ。
雌竜天国で並み居る雌竜達を相手に客が安全に情事を愉しむことが出来るのは、他でもない雌竜側がそんな人間の身の安全に最大限の配慮をしているからに他ならない。
それなのに元々不器用なプラムが興奮の余りそんな最後の理性をも失ってしまったら、何れとんでもないことになってしまうのは火を見るより明らかだった。

その翌日、俺はロブと待ち合わせして水着を注文する為に再びエリス服飾店へと向かっていた。
「ロブ、今日はジェーヌは一緒じゃないのか?」
「ああ・・・まあ今回は注文するだけだし、ジェーヌも俺が選んだ水着に納得してくれたみたいだったからな」
そう言いながら、彼が得意気に2冊のカタログを俺に見せ付けてくる。
「そう言うアレスは、何か悩み事でもあるのか?何時もより何か顔が暗い気がするぞ」
「ああ・・・ちょっとプラムのことでね・・・」
流石に毎日のように顔を合わせているロブは、俺の表情の変化にすぐに気が付いたらしい。
「何かプラムと上手く行ってないのか?」
「いや・・・最近プラムが、雌竜天国で働いてる時に暴走し掛けることがあるらしくてさ・・・」
「それは結構やばいな・・・それで、医者とかには行ったのか?」
医者・・・医者か・・・
そう言えば、以前プラムが怠眠症になった時もバートン教授に診て貰ったんだった。
プラムに突然興奮を抑える薬が欲しいだなんて言われてちょっと面食らっていたのだが、確かにまずはバートン教授に相談した方が良いのかも知れない。
「言われてみれば・・・医者に行くのはちょっと思い付かなかったな。水着を買ったら、後でプラムと行ってみるよ」

やがて服屋に辿り着くと、俺達はそれぞれカタログから選んだ水着をレンスに伝えていた。
「かしこまりました。ではこちらで発注させて頂きます。料金のお支払い方法はどうされますか?」
「支払いって、大学の助成金とかも使えるんですか?」
「はい。大学と提携している店舗では、基本的に何処でも料金の支払いを助成金で建て替えることが可能です」
ということは、結婚式の衣装とかが助成金から支払い出来たのも、別に結婚だけの特例とかじゃなかったわけか。
「それなら、建て替えでお願いします。出来上がりは何時頃になりますか?」
「本日の発注であれば、来週金曜日の10時以降にはお渡し出来ます」
「分かりました。ではお願いします」
そしてそんなレンスとの遣り取りを終えて店を出て来ると、ロブが肩の荷が下りたとばかりに大きく息を吐く。
「ふぅ・・・後は金曜日を待つだけだな」
「来週の日曜はマローンとフィンの結婚式があるから、海に行くならその前日の土曜日とかにしないか?」
「そうだな。そこは当然呼ぶとして、他にも誰かに声を掛けるのか?」
ロブにそう言われて、俺はもう1つの懸案事項であったエリザのことを思い出していた。

「一応、エリザとブライトも呼ぶつもりなんだけどさ・・・プラムが彼らに声を掛けに行くって言ったんだよな」
「プラムが?エリザと会わせても平気なのか?」
まあ、俺とプラムの結婚式でも彼らがいたくらいなのだから今更それで何か問題が起こるというようなことは無いと思うが、何だか最近プラムの大胆さが少し危うい感じがしないでもない。
もしかしたらそれも、彼女が仕事中に理性を失いそうになるということと何か関係しているのかも知れないが・・・
「プラムとしてはエリザとちゃんと話したいって言ってただけだったけどな・・・俺は何だか不安の種が尽きないよ」
やがてそんな話をしながら寮に帰って来ると、俺達はそれぞれの自室へと戻っていた。
「プラム、帰ったぞ」
「お帰りアレス。水着は何時出来る予定なの?」
「金曜日には出来るそうだから、海に行くのは次の土曜日にしないかってロブと話してたんだ」
それを聞いて、プラムがうんうんと頷く。

「ところでさ、プラム・・・昨日の話なんだけど・・・一旦バートン教授に診て貰わないか?」
「確かに、それもそうね。私も何だか余裕が無くなっちゃってて薬が欲しいだなんて言ったけど、その方が良いわ」
「良かった。じゃあ、早速今から行かないか?」
俺がそう言うと、流石に今すぐ行くつもりではなかったのか彼女が少しばかり驚いた表情を浮かべる。
「い、今から行くの?」
「ああ・・・医者に診て貰ってそれでも薬が必要だったら、そのまま娼館に買いに行けば良いだろ?」
「それは・・・そうだけど・・・」
何か、今から医者に行くことに不満でもあるのだろうか?
だがしばらくその理由を考えると、俺はお互いにまだ朝食を摂っていなかったことに気が付いていた。
「その前に、何処かに何か食べに行こうか」
「うん!」
それを聞くと、彼女がパッと顔を輝かせながらベッドから体を起こす。
全く・・・大好きな散歩に行く前の犬だって流石にここまで分かりやすい反応しないぞ・・・
俺はそんなプラムの様子に密かに苦笑を浮かべながらも、空腹に鳴り始めた腹を抱えながら部屋を後にしたのだった。

それからしばらくして・・・
色々と行先に迷った挙句に結局大学の食堂で遅めの朝食を取った俺とプラムは、その足で大学の裏手にあるバートン教授の医院へと足を運んでいた。
以前ここに来た時は診療の開始が16時半からだったから不在のバートン教授に代わって黒竜のレグノが俺達を出迎えてくれたのだが、今は大学も休みの期間だからきっとバートン教授も常駐していることだろう。
そして医院の中へ入ってみると、予想通り待合室に着くなりすぐにバートン教授が出て来てくれる。
「やあ、プラムにアレス君。こんなに早い時間からどうかしたのかい?」
「実はその・・・最近プラムが雌竜天国で働いてる時に時々理性を失い掛けるらしくて・・・」
「ふむ・・・店に通ったことで怠眠症の方はもう治ってるみたいだし、それは別の原因がありそうだね」
彼はそう言うと、奥の方へレグノを呼びに行ってくれた。
やはり医者とはいえバートン教授は元人間・・・
幾ら医療知識には長けていたとしても、ドラゴン特有の病気や症状については黒竜のレグノの方が詳しいことも多いのだろう。
そしてまたしても何処か揶揄い顔で出て来たレグノが、プラムを一目見て急に半開きだった口を閉じていた。

「プラム・・・お前、卵を身籠っていないか?」
「え・・・えぇっ!?」
唐突にレグノに言われたその言葉に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまっていた。
プラムが・・・子供を・・・?
「私が?いえ・・・多分・・・そんなことは無いと思うけど・・・」
「ならば良いが・・・お前もそろそろ子供が産める歳だろう?バートンに聞いたが、時々理性を無くすらしいな?」
「それって・・・プラムが子供を産めるようになることと関係あるのかい?」
俺がそう言うと、レグノが静かに頷く。
「まあ大概の雌竜はプラム程おっとりはしていないから、少々交尾で荒ぶっても目立たないことが多いのだがな」
ああ、成る程・・・元々産卵可能期に入った雌竜は多少気性が荒くなるのが普通だが、プラムのような大人しい雌竜がそうなった場合は振れ幅が大きい為にまるで理性を失ったような状態になってしまうということか・・・
「それじゃあ、特に治療の必要とかは無いのか?」
「病気の類ではないから放置しても体には特に問題無いが・・・雌竜天国で働くのであれば少々注意が必要だな」
確かに・・・決して客に怪我をさせてはいけないという厳格な掟がある以上は、たとえ正常な体の発達に伴うものだとしても巨竜が理性を失って暴れ回るのは危険だろう。
それに子供が産めるようになるということは、濫りに大勢の人間と交尾するのもそれはそれで問題がある。

「もう少し体が成熟すれば、感情の昂りや受精の有無を自分で制御出来るようにはなるだろうがな・・・」
「じゃあ・・・それまではどうしたら・・・」
「そうだね・・・もしあの店で仕事を続けるつもりなのであれば、薬で懐妊や精神の高揚を抑えるのも手だと思うよ」
やっぱり、薬が必要なのか・・・
「もし薬を買いに行くなら、処方箋を出してあげよう。それを娼館に持っていけば、必要な薬を作ってくれるからね」
「じゃあ、それでお願いします」
俺がそう言うと、バートン教授が処方箋を書く為に一旦奥へと引っ込んでいった。
「そう言えばレグノ、今度の土曜日に皆で海に遊びに行くことになってるんだけど、レグノも来ないかい?」
「私がか?それは別に構わぬが、そう長くは居られぬぞ」
まあ、彼には医院の仕事もあるのだからそれは仕方が無いだろう。
「ちょっとだけでも良いからさ」
「では・・・後でバートンに相談してみるとしよう」
やがてレグノとそんなことを話していると、ややあってバートン教授が処方箋の書かれた紙を持って来る。
「出来たよ。これを娼館の売店に持って行くと良い。その場で調合が必要な物だから、少し時間に余裕がある時にね」
「ありがとうございます、バートン教授」
そうしてバートン教授からプラムの処方箋を受け取ると、
俺とプラムはお互いに複雑な思いを抱きながらもそのまま娼館へと足を向けたのだった。

「プラムは、娼館には行ったことがあるのか?」
「薬を買いに売店の方には何度か行ったことがあるけど、本館の方はまだ無いわね」
そう言えば、プラムは昔から食べ過ぎとかで何度かバートン教授のお世話になっていたんだっけ・・・
それによくよく考えれば、彼女が薬が欲しいと言ったのも以前から薬を利用することがあったからこそのことだろう。
ただ娼館の本館を利用したことが無いというのは、予想の範疇ではあったものの一方で少し意外にも感じていた。
レグノの話によればプラムは竜王様の娘という体面を気にしてか自慰などはしないそうだし、数ヶ月前に俺と出会うまで親しい異性の友達もほとんどいなかったのだ。
一般的な雌竜が子供を産めるようになるのは大体50歳前後からということだから、プラムも恐らくはそのくらいの年齢なのだろうが・・・
そうなると、彼女は生まれてこの方半世紀近くもの間ほとんど性欲の捌け口を持っていなかったということになる。
そんなプラムが俺と出会ってすぐに交尾を持ち掛けて来たことや怠眠症に掛かってしまったことを考えると、ある意味で歪な幼少時代を過ごして来た彼女にとって性の問題というのは割と根の深いものなのかも知れない。

やがて娼館の売店に辿り着くと、俺はカウンターから応対に出て来たサキュバスにバートン教授から受け取ったプラムの処方箋の紙を見せていた。
「竜用の鎮静薬と避妊剤ね。ちょっと特殊な調合が必要な薬だから、奥の調剤室にいる子が対応するわ」
そう言うと、彼女がカウンターの奥にある大きな扉を開けてくれる。
「こっちよ」
そして導かれるままに扉を潜ってみると、宛ら巨大な研究施設のような立派な製剤室がそこに広がっていた。
その広い部屋の真ん中で、エメラルドのように美しい長髪を靡かせる白衣を着た1人のサキュバスが何処かへ電話を掛けているのが目に入る。

「注文をお願いしたい。高級牛肉のハンバーグにグリーンサラダ、それと食パンとバター、分量は人間1人分で頼む」
「ああ・・・丁度電話中みたいね。終わるまでちょっと待ってて」
「は、はい・・・」
彼女は、一体何処に電話を掛けているのだろうか?内容からすると食事の注文のようなのだが・・・
やがて短い通話を終えて電話を切ると、彼女の不思議な桃色の瞳が俺とプラムの方へと向けられていた。
「やあ済まない、お待たせしたね。私が調剤師のオリヴィアだ」
「あ、ああ・・・よろしくお願いします・・・今の電話、何処に掛けてたんですか?」
「大学の食堂に、食事の配達を依頼したんだ。今うちで薬の実験に協力してくれている人間の要望でね」
何か、妙に中性的な話し方をするサキュバスだな・・・
「それで、薬の調合の依頼で来たんだろう?処方箋を見せてくれないか」
そしてサキュバスとしては珍しく性的というよりは知的な雰囲気を纏っているオリヴィアに処方箋の紙を渡すと、彼女が微かに鼻を鳴らす。

「うん・・・?君の匂いには覚えがあるな。数ヶ月前に"ジェラの誘惑"を調合した際の精の持ち主じゃないか?」
もしかして、エリザからの依頼で俺の精を使ってジェラの誘惑を作ったのがこのオリヴィアなのだろうか?
「ああ・・・まあ・・・身に覚えはあります」
彼女は、数ヶ月も前に扱った精の匂いから個人が特定出来るのか・・・
見た目の佇まいといい、オリヴィアはきっと普通のサキュバスとは何処かが違うのだろう。
「どれどれ・・・確認だが、この薬を服用するのは彼女で間違い無いかな?」
そう言いながら、オリヴィアがプラムの方へと顔を向ける。
「はい、そうです」
「では、そこにある体重計に乗ってくれ。服用量を割り出すのに必要なのでね」
そんなオリヴィアの案内に従って、プラムが部屋の隅に設置されていた大きな体重計にそっと乗っていた。

ギシィッ・・・
「わっ・・・」
プラムってこんなに体重があったのか・・・
今し方たっぷり飯を食べて来たばかりだから多少は水増しされているのだとは思うが、はっきりとした数字として見せられると巨大なドラゴンに圧し掛かられるということがどれ程危険なことなのかを思わず痛感してしまう。
「ふむ・・・薬の調合には20分程掛かると思うから、それまで何処かで時間を潰していてくれないか」
「分かりました」
そして一旦プラムと共に娼館の外へ出ると、俺達は何とはなしにお互いの顔を見合わせたのだった。

「アレス・・・何だかごめんね・・・また心配掛けて」
「良いんだよ。俺はプラムが健康で幸せなら、それ以上は望まないからさ」
プラムの変化は雌竜特有のもの・・・
健全な発育の結果としてそうなったことが彼女の感受性の違いで顕著になったというだけの話だというのに、プラムは随分と俺に心配を掛けたということを気にしているらしい。
依然怠眠症でバートン教授のお世話になった時もそうだったのだが、プラムは基本的に孤独な生涯を送ってきたことで他社に頼ったり依存したりすることにまだ根本的に慣れていないのだろう。
初めはジェーヌの尻に敷かれているだけだったロブがここ最近目に見えて自立心を醸成させているように、結婚という儀式を経て番いとなった者達には何らかの意識の変化が訪れるのが自然なことなのだ。
それが、プラムの中で俺に余計な心配を掛けたくないという意識を強化してしまっているのかも知れない。

そしてお互い言葉少なに待つこと20分・・・オリヴィアに呼ばれて娼館の売店へ戻ると、彼女がアンバーメタル製の小さな球形のボトルを6つ箱詰めした物を出してきた。
「これが鎮静薬だ。1本の内容量は上限である体重の0.01%未満にしてあるから、1回で1本飲んでも問題は無い」
「これ、どのくらい効果があるんですか?」
「服用後12時間は過度な興奮作用を抑えてくれるが、性欲が減退するわけではないから安心してくれ」
それを聞いて、プラムが恐る恐る薬の入ったボトルを持ち上げる。
「服用の効果が表れるのは約30分後からだ。中身は液体だから、そのまま飲んで構わないよ」
「これって、受精も防いでくれるんですよね?」
「雌竜はある程度興奮状態にならないと子供を作ることが出来ないからね。鎮静作用自体が避妊効果になるのだよ」
成る程・・・雌竜のプラムでも扱いやすいようにアンバーメタル製のボトルに入っていたり雌竜の体構造を熟知した効能がある辺り、バートン教授とオリヴィアは普段からこういう連携を取っているのだろう。
「薬の料金は大学の助成金からの支払いで構わない。既にその旨はバートン先生と大学にも連絡済だ」
「あ、ありがとうございます」
「では、私ももう戻るとしよう。実験体が私の研究室で腹を空かせているのでね」
彼女はそう言うと、何時の間にか大学から配達されていたらしい美味しそうなハンバーグと食パンが載ったトレイを持って奥の製剤室へと消えていったのだった。

「それで、これからどうするの?」
「取り敢えず寮の部屋に薬置いたらさ、海の下見に行かないか?」
「海の下見?」
そう言いながら、プラムが俺を背中へと乗せてくれる。
「週末に海に行くって言ったって、まだ何処の海岸に行くかとか全然決めてなかっただろ」
「そう言えばそうね」
ようやく前向きな話題になったからか、空に飛び上がったプラムの声が少しばかり元の快活さを取り戻す。
「基本的には近くで良いと思うんだけど・・・賑わってるところとかないのかな」
「遊びに行くのに向いてるかどうかは分からないけど、私がちょっと行ってみたい海岸はあるのよね」
「じゃあ、まずはそこから見てみるとしようか」

やがてあっという間に寮に着いて部屋に荷物を置いてくると、俺は再びプラムに乗って晴れ渡った空へと舞い上がっていた。
そして10分程海岸線に沿って飛んでいると、薄黄色の広大な砂浜の一角に大きな建物が建っているのが見えてくる。
「あそこよ」
「あれって・・・どうみても食堂だよな?」
まあプラムが行きたい場所だなんて大体何かを食べる場所なんだろうなとは思っていたから今更驚きはしないのだが、いざ砂浜に降り立ってみると俺は思ったよりも大勢の住民が列を成してその建物に入っていくことに気が付いていた。
「ここって、何を食べられる場所なんだ?」
「ここはクラーケンの脚焼きが食べられるの。1日8本限定だから凄く人気が高いのよ」
クラーケンって確かイカのような怪物だったよな・・・
1日8本というのには、何か理由があるのだろうか?
だがそう思って食堂の奥を見やると、俺はその理由をすぐに理解したのだった。

そこに居たのは、この島に来てから目にした中で最も大きな生物。
脚の1本が30メートル以上はありそうな巨大なイカが広大な建物内の半分以上を占拠していて、それが触腕を振るって長い鉄板の上にずらりと並べられたイカの串焼きらしき物を物凄い勢いで引っ繰り返しているらしい。
更にその周りでは大勢の人間や竜人達によってそのイカの脚を巨大な鋸のような物で切断したり細かく切り分ける作業が行われていて、香ばしい香りを周囲に漂わせながら数十人体制で大量のイカ焼きが作られていたのだ。
「あれって、クラーケンが自分で自分の脚を料理してるのか?」
「クラーケンは2本の長い触腕以外の脚は切れても1日で再生するそうよ。味も美味しいらしくて、人気なんですって」
成る程・・・
調理の工程だけ見れば何だかとんでもないことが目の前で行われているようにも見えるのだが、まあ当のクラーケン自身は平気そうだから問題は無いのかも知れない。
それに、あんなに大きな脚が8本分もあればこれだけ大量に客が来ても十分に対応出来るのだろう。

肝心のイカ焼きの料金は・・・串3本で銅貨1枚らしい。
1本に分厚い切り身が3切れも刺さっているのを考えれば、割と格安な値段設定と言えるだろう。
そして長い行列が出来ていたにもかかわらずものの数分で注文の受付までやってくると、俺は取り敢えず銅貨2枚分のイカ焼きを頼んでいた。
「プラムはどうするん・・・」
「銅貨50枚分頂戴!」
だが次の瞬間、プラムがどっさりと銅貨の入った袋を出しながらそう叫ぶ。
銅貨50枚分・・・串150本分の凄まじい量だ。
もちろんプラムにとっては10本や20本程度食べたところで全然物足りないだろうことは容易に想像出来るのだが、せっせと焼き串を引っ繰り返していたクラーケンが思わずギョッと目を剥いたのが余りにも印象深い。
そして大型種族用としてちゃんと用意されているらしい直径1メートル程の大皿に山と積まれたイカ焼きが運ばれてくると、プラムが目を輝かせながらそれに手を付け始めていた。

バクッ、モグッ、シュッ、ムグッ・・・
普段はどちらかというと少し不器用なイメージのあるプラムが、細い串を器用に摘まみ上げては凄まじい勢いで串に通されたイカ焼きを牙で扱き取っていく。
それを見て俺も目の前に出された串を1本持ち上げて見ると、ホクホクに焼けたプリッとしたクラーケンのゲソが美味しそうな香りを鼻先に運んできた。
パクッ・・・
「ん・・・美味い!」
みっちりと固めの弾力があるにもかかわらずある程度の力を入れるとスパッと歯切れが良く、軽めの塩で焼いただけだというのにしっかりとした甘みがある。
周りを見渡せばビールやワインなどのお酒と一緒に串焼きを楽しんでいる住民が多いようだし、一種のおつまみ感覚で食べに来ているケースがほとんどなのだろう。
そんな中で、山盛りの串焼きを猛然と食べ続けるプラムの姿はある意味異彩を放っていた。

やがてものの10分もしない内にあれ程あった串の山がすっかり無くなってしまうと、プラムが溢れ出す食欲に爛々と輝く瞳をクラーケンの方に向ける。
それを見て、喰われるとでも思ったのか見上げるように巨大なクラーケンがビクッとたじろいでいた。
「プラム・・・もう良いだろ。イカばかり食べてたらまたお腹壊すぞ」
「ん・・・それもそうね」
だがここへ来た元々の目的を思い出したのか、そんな俺の説得に渋々応じたプラムが静かに席を立つ。
そして何処かホッとしているらしいクラーケンに見送られながら食堂を出ると、俺は目の前に広がっている広大な砂浜をぐるりと見回していた。
多くの幻獣達には夏に浜辺で遊ぶという文化が無いのか、やはり砂浜で目に付くのは人間の姿が比較的多いらしい。

「どう?アレス」
「思ったより混んでもいないし、ここでも良いんじゃないか?プラムは、またあのイカ焼きを食べに来たいんだろ?」
そう言うと、彼女がうんうんと無言で頷く。
「じゃあ誘った連中には後でこの場所を伝えるとして、後は誰を呼ぶかだなぁ・・・」
「メリカスなんかは、割と喜んで来るんじゃないかしら?」
確かに言われてみれば、あれだけ体を鍛えている竜人のメリカスなら海で泳ぐのも得意そうだ。
「そうだな。ラズ教授も昼間は大学の仕事が無いだろうからその2人にも声を掛けてみるか」
「それじゃ、一旦寮に戻りましょ」
そしてそんなプラムの声に頷くと、俺は彼女の背に乗ってまだ明るい空へと飛び立ったのだった。

「そう言えば、プラムは今日は仕事なのか?」
寮の部屋に戻って人心地着くと、俺はプラムと一緒に風呂へ入りながらそう訊ねていた。
「ええ。早速、今日貰って来た薬を使ってみるわ。アレスも店に行くの?」
「いや・・・今夜はラズ教授に声を掛ける為に、彼の働いてる休憩所に行ってみようと思うんだ」
この島では、恐らく普通の一般的な大学とは違って学生の長期休みの間は教授達も基本的に仕事が無く、大学にも行っていない為に給料が出ないのだろう。
リリガンを始めとしてロンディやバートン、ソリオにラズなど非人間族の教授達の多くが夜に別の副業を持っているのも、そうした言わば"失業期間"に給料を確保する為という意味合いが強いのに違いない。
メリカスと同じく精悍な竜人であるラズ教授が人間用の休憩所で働いているのは少し意外な気がしたものの、教授としての仕事は別として見た目から無口そうな彼にはああ言う裏方仕事の方が性に合っているのかも知れない。

そしてそれから少しすると・・・
雌竜天国の仕事へ行く為に出掛けたプラムを見送った俺は、しばらくブラブラと町の中を歩いて時間を潰してから以前にも入ったことのある休憩所へと足を向けていた。
前は確か冷たい体毛に覆われた雌龍のフリジアが同伴してくれて、心地良い夜を過ごせた思い出がある。
ラズ教授を海に誘えたら、ついでに今夜は一晩休憩所で過ごすのも良いかも知れないな・・・
そしてそんなことを考えながら数ヶ月振りに見た気がする人間専用の休憩所へ足を踏み入れると、やがて高級ホテル然としたフロントが見えてくる。
受付に待機している黒服に身を包んだ2人の男性の後ろでは、今日もラズ教授がせっせと大量の寝具類を運んだり整頓したりといった体力と根気の要る雑用をこなしているらしい。

「いらっしゃいませ。ご来館は初めてでいらっしゃいますか?」
「ああいえ・・・前に1度だけ利用しました」
「何時も当館をご利用頂きましてありがとうございます。休憩のコースは如何致しましょうか?」
受付の男性はそう言うと、前に見た時とは少し内容が変わっているらしい案内用の壁掛けパネルを指していた。
コース自体は変わらず4種類なのだが、前は銅貨10枚で利用出来た仙竜の体内というコースが無くなり、代わりに銅貨2枚で"睡魔の添い寝"というコースが追加されている。
「この"睡魔の添い寝"ってどういうコースなんですか?」
「姿の見えない睡魔という悪魔に眠らせて貰うコースになります。何時でも望んだ瞬間に眠りに就くことが出来ます」
成る程・・・睡魔は姿が見えないから基本的には素泊まりと変わらないが、普段なかなか寝付けない人やぐっすり長時間眠りたい人などを対象にしたコースなのだろう。

「なら・・・今日はこっちの九尾の揺り篭コースにしようかな」
「かしこまりました。セイレーンの子守歌オプション無しの場合は銅貨1枚分お安くなりますが、如何致しますか?」
「それじゃあ無しでお願いします」
俺はそう言って料金を支払うと、奥の方にいたラズ教授を呼び止めていた。
「あ、ラズ教授。ちょっと良いですか?」
「む・・・俺に用があるのか?君は確か、アレス君だったな」
この数ヶ月間に行われた"竜人の生態"の講義でも何度か遣り取りがあったお陰で、ラズ教授も俺の名前を憶えていてくれたらしい。
「はい。実は今度の土曜日に友達を誘って海に遊びに行く予定なんですが、ラズ教授もどうかと思いまして」
「ふむ・・・そうだな。たまには海で泳ぐのも悪くない。俺で良ければその誘いはありがたく受けさせて貰おう」
だが彼はそう言うと、何か考え事をしているかのように少しだけ首を傾げていた。

「もしや君は、俺にそれを伝える為に今夜ここへ来たのか?」
「ええ・・・まあ、そうです」
「そうか。だがもし他にも誰かを誘うつもりなら、直接出向くよりも住民への伝達機関を使った方が良いと思うぞ」
住民への伝達機関?
「それって、どういうものなんですか?」
「この島に住む住民は、その全てが入島時に名前や仕事や住まいを台帳に記録されて管理されているんだ」
そう言えば、前に結婚式の招待状を出そうとした時も大学の事務室の人が同じようなことを言ってたっけ・・・
「故に住民に何らかの言伝がある時は、そこへ依頼した方が楽だぞ」
「ここの近くにもそういう機関があるんですか?」
「幾つかあるが・・・君の場合は大学の事務室で依頼するのが良いだろう。多少の手数料は必要だがな」

ラズ教授によると、竜人は仲間に新しく子供が産まれた場合、必ずまず彼らのリーダーであるメリカスに連絡を取るのだという。
そしてメリカスが産まれた子供の姿を確認すると、彼がその伝達機関を使って島内の全ての竜人に誰々が何という子供を産んだ、という内容のメッセージを発信するのだという。
これは誰かが亡くなったりした場合の訃報も同様で、そうやって竜人達は常に島内に何人の竜人が居て誰に何という子供が居るのかまで全員がお互いに把握しているのだそうだ。
元々は竜人達が兵役に就いていたというかつての故郷の国でやっていた習慣らしいのだが、それがこの島ではメリカスが中心となって戸籍管理の一環として続けられているらしい。
「分かりました。それじゃあ、明日大学に行ってみます」
「うむ。では土曜日は楽しみにしておこう」
そうしてラズ教授と別れると、俺は今夜宿泊する部屋へと案内されたのだった。

「こちらがご指定の部屋になります。ご起床のお時間は何時になさいますか?」
やがて部屋の前までやって来ると、以前ここへ来た時にも聞いた記憶のある質問が投げ掛けられる。
「じゃあ、6時半でお願いします」
「かしこまりました。それでは明日の朝6時半にお迎えに上がります。ごゆっくりどうぞ」
そうして案内してくれた男性を見送ると、俺はゆっくり部屋の扉を引き開けていた。
この島へ来た当初にも1度別の休憩所で九尾の狐の姿を見たことはあったのだが、あの時とは違って今回は宿泊用の薄暗い部屋の中で巨大な化け狐と1対1で接するとあって、胸の内に緊張の糸が張り詰めていく。
だが部屋の中に入って扉を閉じた瞬間、24畳程はありそうな広い部屋の奥に仄かな明かりに照らされた9本の尾を持つ大きな獣の姿が浮かび上がったのだった。

前にフリジアと過ごした部屋は細長い12畳程の部屋の奥に厚手のラグが敷いてあるという内装だったのだが、この部屋は4:3程の長方形で床には全面にアンバーメタルのタイルが敷き詰められているようだ。
ベッドを始めとした家具や什器類なども全く置いていないらしく、ある意味で極めて殺風景な部屋らしい。
「よく来たな。歓迎するぞ」
だがそんな部屋の様子に向けていた意識が、突如として聞こえて来た低くくぐもった声の方へと引き寄せられる。
「くく・・・何を呆けておるのじゃ。早うこちらへ来るが良い」
「あ、ああ・・・」
相変わらず足元だけが微かに照らされた薄暗い照明のお陰で依然として目の前にいる九尾の狐の姿は判然としないのだが、声を聴くだけでも余り怒らせない方が良さそうに感じる程度には不穏な険を孕んでいた。

やがて恐る恐る九尾の狐の方へ足を踏み出した数秒後、不意に鎌首を擡げた長い尻尾が数本こちらの方へ伸ばされてくる。
シュルルッ!
「わっ!」
そして一瞬にして太い毛尾に手足を絡め取られてしまうと、中空に持ち上げられた俺は鬼灯のように真っ赤な獣眼の前に引き寄せられていた。
ギュウッ・・・
「うっ・・・」
柔らかな体毛を纏っていながらも高密度の屈強な筋肉が張り詰めているかのような長大な尻尾が、俺の体を恐ろしい力でじんわりと締め上げてくる。

「妾は乱狐じゃ。そなた、名は何と申す?」
「あ・・・お、俺はアレスだ」
「ふむ・・・では今宵一晩、愉しませて貰うぞ」
彼女はそう言うと、尻尾で俺の体を巻き上げたまま器用に着ていた服を剥ぎ取っていった。
そして1分と経たぬ内に素っ裸にされてしまうと、温かい毛尾が全身を優しく包み込んでくる。
そうか・・・彼女の尻尾で包まれて眠るわけだから、ベッドもラグも必要ないし床は丈夫なアンバーメタルで覆っていた方が余計な傷も付かず都合が良いのだろう。
だが手足に絡み付いている彼女の尻尾の感触は確かに極上の肌触りで心地良いものの、締め付けられた場所の骨が軽く軋む程の怪力に俺は正直気が気ではなかった。
きっと乱狐がその気になれば、この尻尾で人間を捻り潰すことなど朝飯前なのだろう。

ミシ・・・ミリッ・・・
「うぐ・・・あ、あの・・・乱狐・・・さん」
「何じゃ?」
「ちょっと締め付けが・・・その・・・」
そう言うと、彼女がハッとした様子でほんの少し尻尾のとぐろを緩めてくれていた。
「おお、済まぬな。人の子を優しく扱うのにはまだ不慣れなものでの・・・」
乱狐はまだこの島に来て日が浅いらしく、以前は人間に化けて世界各地を渡り歩いては権力者を堕落させたり国を亡ぼしたりといった悪行を繰り返していたのだという。
だが文明が発達し人間の社会がより複雑で高度なシステムになって行くにつれて彼女の居場所はどんどん少なくなっていき、遂には行き場所を失ってこの島に辿り着いたのだそうだ。

「それじゃあ・・・昔は人を殺したりとかもしてたのか?」
「まあ、それなりにはの・・・富も権力もある壮健な男が狂い悶え果てて行く様は格別な見物だったものよ」
しかしそこまで言うと、彼女はほんの少しだけその視線を床に落としていた。
「じゃが・・・その中でたった1度だけ、うら若い女子を手に掛けてしまったことがあっての・・・」
その言動から察するに男の命を弄び摘み取ることには何の躊躇も抱いていなさそうだというのに、どうやら彼女は1人の若い女性の命を奪ってしまったことを今でも悔やんでいるらしい。
「あれは確か、明喬と申したか・・・事の成り行きだったとはいえ、今にして思えばあの娘には気の毒な事をした」
「それって、どのくらい前の話なんだ?」
「そうじゃな・・・妾が大陸で暮らしていたのは、もう今から2000年も前のことになるかのぅ・・・」
2000年・・・それだけでも気が遠くなるような大昔だというのに、彼女はその頃からもう九尾の狐として人々の生活に溶け込んでいたのだろう。

「む・・・何じゃそなた・・・もしや興奮しておるのではあるまいな?」
とその時、乱狐は俺が何時の間にか密かな期待にペニスを大きく膨らませてしまっていたことに気付いたらしかった。
「妾の尾はかつて数多の命を握り潰した妖魔の懐・・・そなたは先の妾の話を聞いても、恐ろしくは思わぬのか?」
「まあ、俺もこの島で色々な経験をしたからね・・・正直、この尻尾の感触に虜になりそうだよ」
「くく・・・肝が据わっておるの、アレスとやら・・・無様に泣き喚く国の王より、そなたの方が遥かに豪胆じゃて」
彼女はそう言うと、更に数本の毛尾で俺の体を余す所無く包み込んで来た。
そしてサワサワとその毛先を揺すると、裸の体が心地良く愛撫されていく。
「は・・・ぁ・・・」
その余りの気持ち良さに、俺はうっとりと全身を弛緩させたのだった。

極上の触り心地を誇る太い毛尾が全身を余すところ無く包み込み、素肌にこそばゆくい感触を注ぎ込んでくる。
そして手足に絡み付いた尾で優しく四肢を広げられると、硬い床の上に横たえられた俺の股間を1本の尾がジョリッと摩り上げていた。
「ふあっ!?」
その瞬間、体中がビリリと痺れるような快感が背筋を駆け上がっていく。
「事に及べば気が逸ってやり過ぎてしまうやも知れぬ故、今宵は愛撫だけじゃが・・・存分に堪能するが良いぞ」
そう言いながら、更に数本の尻尾が俺の体をザワザワと這い回っていく。
裸の体を無数の毛尾で抱かれ愛でられる度に、俺は甘美な快感をたっぷりと味わわされていた。
以前この島に来て間も無い頃にも九尾の狐に癒される休憩所へ立ち寄ったことはあるのだが、乱狐の懐は正しく人を狂わせる魔性の快楽に満ちた桃源郷そのもの。
愛撫だけという乱狐の言葉通り射精にまでは至らぬ程度にギンギンに漲ったペニスを時折尻尾で弄ばれ、切ない快感に震えながらなおも激しく彼女の尻尾を貪ってしまう。
そして1時間程生殺しの快感にこれでもかとばかりに悶えさせられると、俺は何時しか金色の毛尾のとぐろの中で深い深い眠りへと落ちていったのだった。

「お客様・・・お客様・・・お目覚めくださいませ。ご起床の時間ですよ」
翌朝、俺は以前もそうだったように乱狐の毛尾にすっぽりと体を包まれたままフロントの男性に揺り起こされていた。
昨日ここへ入ったのはまだ寝るには少し早い時間だったはずなのだが、乱狐の懐が余りにも気持ち良過ぎて随分と長時間ぐっすりと眠ってしまっていたらしい。
「くく・・・アレスとやら・・・妾の懐は気に入って貰えたかの?」
「あ、ああ・・・凄く良かったよ・・・でも出来たら、次は本番もして貰えると嬉しいかな」
昨夜は1時間以上も絶頂を迎えさせられることなくじわじわと快楽漬けにされたお陰で、何だか物凄く体が疼いてしまっているような気がする。
「それは機会があれば、娼館の方での・・・休憩所という場所柄、ここでは精気を吸い取るわけにはいかぬのじゃ」
ああ、確かに・・・前にここで会った長毛龍のフリジアが手でとは言え射精までさせてくれたのは、搾精が獲物の生命力を吸い取る行為である九尾の狐とは違って、彼女にとってはただのサービスの一環だったからだろう。
疲れた体を癒すという休憩所の本来の目的を考えるならば、乱狐がここでの本番を禁じられている理由は納得の行くものだった。
「それじゃ・・・またその内来るよ。娼館の方でも、見掛けたら指名させて貰おうかな」
「ふむ・・・楽しみにしておるぞ」

そして休憩所を後にすると、プラムが帰って来る前に寮の部屋へと舞い戻る。
今日は大学の事務室に行って、週末の海に誘う連中へメッセージを出して貰うのだ。
まあそれでも、プラムはエリザと直接何かを話したいようだからそっちは彼女に任せておいても良さそうではあるのだが・・・
「ただ今・・・アレス、いる?」
「ああ、もう帰ってるよ。仕事はどうだったんだ?」
やがてプラムが部屋に戻って来ると、俺は何処と無く眠そうに欠伸を噛み殺していた彼女にそう訊いていた。
「貰った薬の効果は覿面だったわよ。ただちょっと・・・服用すると眠くなるみたいね・・・ふあっ・・・」
まあ性欲を抑えるとは言っても根本的には鎮静剤の類いなのだろうから、本来であれば彼女のように薬をキメて交尾するというような特殊な用途には向かない物なのかも知れない。
「それなら、プラムは部屋で寝てなよ。俺はちょっと大学に行ってくるからさ」
「大学に?何しに行くの?」
「昨日ラズ教授に聞いたんだけど、事務室で島の住民に伝言を送れるみたいなんだよ。結婚式の招待状みたいにさ」
それを聞くと、プラムが成る程とばかりに頷く。
「確かに、言われてみれば誰にでも招待状が送れるんだからそういう仕組みがあってもおかしくないわね」
「それで誰を呼ぶかロブ達とも相談したいし、図書館に誘おうかと思ってるんだ」
「分かった。私も起きたら行くわ。多分その頃にはお腹も空いてるだろうし」
そうしてプラムと入れ違いに部屋を出ると、俺はまずロブ達に声を掛けようと彼らの部屋へと向かったのだった。

それから少しして・・・
「ロブ、起きてるか?」
ロブ達の部屋の前でそう声を掛けてみると、2人共朝は早く起きたのかロブとジェーヌが揃って扉を開けてくれる。
「どうしたんだアレス?こんな朝っぱらから」
「ああ・・・昨日ラズ教授からさ、大学の事務室で島の住民にメッセージを送れるって話を聞いたんだよ」
「メッセージ?それって結婚式の招待状みたいな物を、他の用途でも利用出来るってことかしら?」
察しの良いジェーヌが、それだけの遣り取りですぐに俺の言いたいことを読み取ったらしい。
「そうそう。それで海に遊びに行くのにも割と大勢誘えそうだから、誰を誘うか図書館で打ち合わせしたくてさ」
「成る程な。俺達まだ朝飯も食ってなかったから、大学の食堂で何か食べてから図書館に行くか」
「そうね。でもアレス、プラムは一緒じゃないの?」
そんなジェーヌの質問に、果たしてプラムの現状を正直に答えても良いものか少し迷ってしまう。
「ああ・・・プラムは昨夜仕事だったから、さっき帰って来たばかりでまだ寝てるんだよ。後で来るってさ」
「そっか。それじゃあ、先に食堂へ行っててくれよ。俺も着替えたりシャワー浴びたりしなきゃならないしな」
「分かった。それじゃあまた後で」
そうしてロブ達の部屋を後にすると、俺は一足先に閑散とした大学へと足を運んでいた。

「予想はしてたけど、やっぱり長期休み中は誰も学生が居ないな・・・」
大学の食堂は学生を対象に24時間無償で開かれているから食堂の周りにはそこそこ学生の姿は見えるのだが、講義室のある通路の方は普段の喧騒がまるで嘘のように静まり返っている。
やがてそんな通路をしばらく歩きながら控え目な賑わいを見せている食堂へ入ると、俺は何を注文しようかとメニューに目を走らせていた。
「ん・・・流石に休み中は少しメニューの選択肢が減ってるんだな」
まあ小人やフェアリーから巨人やドラゴンまで大小様々なサイズの学生達に相応の食事を提供しているというだけでも相当な労力なのだろうし、学生が少ない期間は調理の容易な物や保存の効く食事が中心になるのは仕方無いだろう。
そしてしばらく時間を潰している内にロブ達もやって来ると、俺達は何時ものようにテーブルを囲んで簡単な食事を摂ったのだった。

それから30分後、ただでさえ誰もいない静かな図書館の個室に入ると、早速ロブが口を開く。
「それで、アレスは誰を呼ぶことにしたんだ?」
「取り敢えず竜人のメリカスとラズ教授、それにバートン教授のとこのレグノは呼ぶつもりだよ」
「私はバザロを呼ぼうかしら。彼女、ロブにまた会いたがってたし」
バザロというのは、前に雌竜天国でロブが指名したラミアとドラゴンの混血種のことだろう。
「え・・・彼女が?マジかよ・・・」
「まあ良いんじゃないか?ジェーヌの公認なら、別にお前だって何も後ろめたいことは無いんだろ?」
「いや、まあ・・・それはそうだけどさ・・・」
雌竜天国で彼女に一体どんな目に遭わされたのか、ロブはバザロの名前を聞いて少したじろいでいるらしい。
「他にもエリザとブライトは誘うけど、そっちはプラムが話をしに行くって言ってたから任せようと思ってるんだ」
「ロブはどうするの?」
「俺か・・・俺、ジェーヌやアレス以外に仲の良い奴あんまりいないからなぁ。強いて言えばブライトくらいだけど」
確かに、この島に来てからほとんどジェーヌとばかり過ごしていたロブには手広い交友関係を持つ余裕が余り無かったことは確かだろう。
それなら、むしろ俺の伝手でロブの好きな竜族を紹介してあげた方が彼も喜ぶかも知れない。

「だったら、ロブが好きそうなドラゴンを何匹か呼んでみようか?温泉宿とか雌竜天国で、そこそこ面識あるからさ」
「そいつは助かるよ。島に来てもう4ヶ月くらい経つってのに、俺はジェーヌ一筋だったからさ」
だがロブが何処か得意気にそう言うと、ジェーヌがすかさず彼の足に尻尾の先を巻き付ける。
「そうね。そのセリフ、バザロにも聞かせてあげると良いと思うわよ」
「あ、いや・・・そんなことしたら彼女に締め殺されちまうよ・・・」
「あら、その時は私も加勢するわよ。バザロの方にね」
どうやら、ジェーヌは未だにロブが雌竜天国で他の女性に鼻の下を伸ばしていたことを多少根に持っているらしい。
まあ彼が2人のラミアに巻き付かれて締め上げられている修羅場を見てみたいという思いも、無くはないのだが・・・

「じゃあ取り敢えず、招待するのはそのくらいで良いか」
やがてその場の雰囲気をリセットするようにそう言うと、ロブをいびっていたジェーヌがこちらに顔を向ける。
「もう今から手続きしに行くの?」
「ああ・・・手数料とかも掛かるみたいだから、早めに色々調整が必要だろうしね」
「なら、私も行くわ。手続きの仕方を覚えておいても損は無さそうだし」
そして3人で図書館を後にすると、俺達は事務室へと向かって誰もいない通路を歩いて行ったのだった。

「取り敢えず事務室まで来たは良いけどさ・・・何て言えば良いんだろうな?」
「別に、島の住民にメッセージとか出せますかって訊けば良いんじゃないか?」
まあ、それもそうか・・・
相変わらず、こういう時のロブの突破力というのか、勢いと押しの強さのようなものは頼りになる。
そうして少し呼吸を落ち着けてから事務室に入ってみると、受付の女性が夏休み中に突然押し掛けて来た3人の学生の姿にたじろいだ様子も無く応対に出てくれていた。

「はい、どうされましたか?」
「ああ、えっと・・・ラズ教授に、ここで島の住民にメッセージが送れるって聞いて来たんですけど・・・」
「伝言サービスですね。承っております。住民3名につき銅貨1枚の手数料が掛かりますが、よろしいですか?」
住民3名で銅貨1枚か・・・それなら、大勢呼んだとしてもそれ程高額にはならないだろう。
「大丈夫です」
「メッセージは通常の伝言ですか?それとも他者には知られたくない秘密の伝言でしょうか?」
「秘密の伝言っていうのもあるのか?」
不意にロブが漏らしたその質問に、彼女が小さく頷く。
「秘密の伝言の場合は文書形式で対象に直接お渡しするので、伝達者にも内容が漏れることはありません」
「ああ、そっか・・・伝言ゲームなんだから、普通なら伝達役にもメッセージの内容分かっちまうもんな」
「遊びに誘うだけなので、普通のメッセージで大丈夫です」
俺がそう言うと、彼女がカタカタとPCに情報を打ち込んでいった。

「では、メッセージを送る相手の名前と内容を教えてください。端末に直接打ち込んで頂いても大丈夫ですよ」
ふと見ると、すぐ傍にメッセージ作成用と思われるPCが2台程用意されているらしい。
竜人に子供が産まれると全ての仲間達にそれを伝えているというメリカスも、こんな感じで都度手続きをしているのだろうか。
そして3人でPCの前に移動すると、俺はロブとジェーヌが傍らから覗き込む中で電源を立ち上げていた。
「文章はどうするんだ?」
「日付と行く予定の海岸の場所と、後は一緒に行く予定のメンバーとかも書き込めば良いんじゃないか?」
「送り先の住民はこっちから選べるみたいよ。ちゃんと全員の顔写真とか住んでるところとかが記録されてるのね」
確かに、人間と違って島の住民の大多数を占める幻獣達は苗字なんてものを持っていないことがほとんどだ。
それ故に同じ名前の住人も当然のように大勢いて、顔写真や種族なんかで絞り込まなければ目的の相手に正しくメッセージが届かないのだろう。

「これ、結構大変だな。マローンて名前の雄竜だけで6件もヒットするぞ。しかも全員体色が茶色だし」
「フィンなんて種族を別にしたら25件もあるわね」
「それなのにプラムが全種族で1件しか出て来ないの、やっぱりみんな竜王様に遠慮して同じ名前付けないのかもな」
やがて3人でそんなことを話しながら1時間程も掛けてメッセージの送り先を選び終えると、俺は受付の女性に助成金から手数料を支払うことを伝えていた。
「アレス、お前が招待送ったこの"エステリア"っていうの、雌竜なんだよな?」
「ああ、彼女とは前に温泉宿で出会ったんだよ。尾孔竜っていう珍しい種族なんだ」
「尾孔竜って、ティルパラリンとかブロデトキニーネって薬の素になるんでしょ?私、実物を見たことが無いのよね」
大学の講義で習ったことがあるのか、ジェーヌが途端に興味深そうに話へ割って入ってくる。
「ああ、そういや"薬毒学"の講義でソリオ教授がそんなこと言ってたな」
「そういや娼館の売店で前にそんな薬を見掛けたことがあるけど、特別な薬なのか?」
「ティルパラリンは麻酔薬なんだけど、どんなに大量に服用しても一切副作用や後遺症が残らないらしいわ」

それは凄いな・・・
別に俺は医療知識があるわけでも薬に特に詳しいわけでもないのだが、普通麻酔薬なんてのは専門の資格を持った人が細心の注意を払って扱う劇薬そのものなのだということくらいは分かる。
薬の服用量がほんの少し多かったり少なかったりするだけで効果が十分現れなかったり生命活動に支障を来したりしてしまう為、素人にはまず扱えない類のものなのだ。
そういう心配を一切せずに扱える強力な麻酔薬があるのだとしたら、ある意味で万能薬とすら呼べるのかも知れない。
それを聞いてロブも俄然興味が湧いてきたのか、彼はメッセージを送った証明としてプリントアウトされた受注書を俺から奪うとその小さな紙をじっと凝視していたのだった。

「えーと、他には・・・この"ジェロム"って言うのも雌竜だよな?」
「ああ、彼女は前にマローンが娼館で交尾の練習をしてた相手で、俺もその時に知り合ったんだよ」
俺がそう言うと、ロブが少々首を傾げる。
「マローンが交尾の練習してた相手?そんなのフィンとマローン達に会わせても大丈夫なのか?」
「俺の結婚式にも来てたんだから平気だと思うよ。マローンにとっても竜語で会話出来る数少ない相手みたいだしな」
「それなら、マローンが人語を話せるようになったことを知ったら彼女も驚くでしょうね」
確かに、ジェロムとマローンが出会った時は彼もまだほとんど人語を話すことが出来なかったはずだから、ほんの数ヶ月で竜語に比べて遥かに複雑な人語を操れるようになった彼の成長振りには正直俺も驚いているくらいだ。
「そっか・・・たくさん雌竜と出会えるなんて楽しみだな」
だがそんなロブの言葉に、すかさずジェーヌの尻尾が彼の腰へシュルリと巻き付いていく。
「そうね。ロブが変な気を起こさないようにちゃんと見張っておかなくちゃ」
ギュッ・・・
「うっ・・・だ、大丈夫だってジェーヌ・・・く、苦しっ・・・」
ふざけているのか、それとも本当に嫉妬しているのか、ジェーヌの屈強な蛇体で何時に無く力一杯締め上げられたロブが苦しそうに身悶えていた。

まあ・・・別にジェーヌに限らなくても、本来夫婦というものはこれが普通なのに違いない。
お互いに結婚して将来の夢まで誓い合った深い仲だというのに、俺が娼館や雌竜天国へ足を運ぶことに特に何の異議も挟まないプラムの方が極めて特殊な例なのだ。
俺だってプラムが仕事とはいえ雌竜天国で自分以外の人間と体を重ねているという状況には少しばかり抵抗があるというのに、プラムは本当に俺のことを心から信じてくれているのだろう。
「まあまあジェーヌ・・・ロブが浮気なんてしないってことは分かってるだろ?雌竜の友達くらい作らせてやりなよ」
「・・・確かに、それもそうね」
「うぅ・・・」
そう言ってようやくラミアのきつい抱擁から解放されると、ロブが苦し気に小さな呻き声を漏らしていた。

それから数日後・・・
ようやく注文していた水着が出来上がる木曜日を迎えると、俺は昨夜の仕事から帰って来て眠そうにベッドへと潜り込んだプラムを部屋に残してロブ達とレンスの服屋へと向かっていた。
「ロブの選んだ水着、着るのが楽しみだわ」
「俺も楽しみだよ。プラムは、やっぱり水着とかは着ないのか?」
「プラムはあんまりそっちには興味が無いんだよ。それに、実のところ彼女の本命は海より食い物だろうし」
それを聞いて、ジェーヌがこちらに身を乗り出してくる。
「そう言えば明日行く海岸って、確かクラーケンの脚が食べられるのよね?」
「え、何だそれ?美味しそうだな」
「確かに美味しかったよ。プラムの食べる勢いが凄くて、食われてるクラーケンがビビリ散らしてたくらいだしな」
プラムの旺盛過ぎる食欲を知っている2人のこと、曲がりなりにも自分の体の一部を食事として提供しているクラーケンがプラムの凄まじい食いっぷりの前に怯んだ様子はありありと想像出来たらしい。
「はは・・・そいつは災難だったな。プラム、食べ過ぎでその店出禁になってたりしないよな?」
「そこはどうか知らないけど、正直もう出禁になってる店は幾つかありそうな雰囲気だよ」

やがてそんな話をしながらようやく目的地であるエリス服飾店に辿り着くと、中に入るなりレンスが待ってましたとばかりにすぐさま応対に出て来ていた。
「お待ちしておりました、アレス様、ロブ様、それにジェーヌ様。ご注文の品はご用意出来ております」
そう言って奥の方からそれぞれの水着を取り出してくると、レンスがそれらを俺達の前に広げてくれる。
「こちらで試着していかれますか?」
「ああ、既成のサイズで注文してるし、俺は大丈夫です」
「それなら、私はちょっと奥で着替えてみるわ。ちょっと待っててね、ロブ」
やがてジェーヌが試着の為に店の奥へと消えてしまうと、俺はその場に取り残されたロブに声を掛けていた。

「ロブ・・・本当はジェーヌの水着姿、覗きに行きたいんじゃないのか?」
「んなっ!?そ、そんなことないって・・・どうせ明日には見れるんだしさ・・・」
そうは言うものの、傍目から見ても明らかに挙動不審に見える程にロブがソワソワしているのが面白い。
「そ、それに・・・彼女が着替えてるところなんて覗いたりしたら本気で締め殺されちまうよ」
寮の部屋では普段ジェーヌと裸同士で思う存分イチャ付いているのだろうに、ロブってばこういうところだけは律儀というか、初心なんだなぁ・・・
だが結局鋼の自制心でその場に足を留め続けたロブは、試着を終えて店の奥から出て来たジェーヌの姿を見て安堵と後悔の入り混じった大きな息を吐いたのだった。

「それじゃあ俺は一旦帰るけど、ロブ達は今日はこれからどうするんだ?」
「そうだなぁ・・・ちょっと飯を食うついでに、ジェーヌと明日行く浜辺を下見にでも行こうかと思ってるんだよ」
「ああ、良いんじゃないか?クラーケンのイカ焼きも結構美味しかったしな」
それを聞いて、ジェーヌが何処と無く期待に満ちた表情を浮かべているのが目に入る。
普段は寮の部屋に籠っていることの多い彼らのこと、ジェーヌも久々にロブとデート然としたお出掛けするのが楽しみなのかも知れない。
「それじゃあロブ、また明日」
「ああ、じゃあなアレス」
「またね」

やがてロブ達と別れると、俺は相変わらず多種多様な種族達で賑わう通りを歩きながら大学の寮へと向かっていた。
ズシン、ズシンと大きな足音を響かせながら歩く巨人と小さな羽をひらひらと羽搏かせながら飛び回るフェアリーがまるで仲の良いカップルのように寄り添っているかと思えば、少し気弱そうな狼男が小柄な雌竜と並んで歩いている。
この島では種族の違いを超えて様々な雌雄が番いを形成していて、自分とは異なる種族と付き合うことに誰もが何の抵抗も感じてはいないのだ。
俺がプラムと仲良くなって結婚したのも、或いはロブがジェーヌと番いになったのも、この半月竜島が持つそんな独特の雰囲気のような物がその後押しとなっていたのは間違い無いだろう。
ここは人間達によって迫害され、或いは住み処を追われて行き場を失った大勢の幻獣達が最後に行き着く理想の楽園。
竜王様や竜人達、そして彼らに協力した人間達が、一体どのようにしてこんな島を作り上げたのか・・・
考えれば考える程に、自らが掲げた将来の夢がどれ程に大きく困難なものなのかを痛感してしまう。
まだ大学に入ってほんの数ヶ月だというのに、俺の人生は半年前とは比べ物にならない程の激変を遂げたのだ。

やがて時折目の前の光景から突き付けられるそんな現実を噛み締めながら大学の寮へと辿り着くと、俺はそっと扉を開けて自分の部屋へと入っていた。
「あ・・・お帰りアレス」
「ああ、ただ今プラム。もう起きてたのか」
「もう何だかお腹が空いちゃって・・・帰って来たばかりで悪いんだけど、何処かに何か食べに行かない?」
まあ、もう時刻は昼過ぎだし、今朝早く部屋に帰って来てからというものまだ何も食べていないプラムが空腹を訴えているだろうことは俺にも予想が付いていた。
「良いよ。何処に行くかはもう決めてあるのか?」
「まだ決めてないんだけど・・・何ならまた大学の食堂でも良いわよ」
どうやら、プラムはもう何でも良いからとにかく早く何か腹に入れたいらしい。
「じゃあそうしようか」
俺はそう言って服屋で受け取って来た水着を部屋に置くと、プラムと一緒に大学の食堂へと向かっていた。

「そう言えばプラム、エリザとはもう話したのか?」
「ええ、昨日彼女の部屋に行って来たわよ。ブライトも連れてくるって言ってたわ」
「そうか・・・他には何か言ってたか?」
一応お互いに和解したとは言え、一時は俺を巡ってかなり険悪な雰囲気になった彼女達のこと・・・
プラムが直接エリザと話しに行くと聞いた時には、何か一悶着あるのではと内心心配していたのだ。
「別に何も・・・普通に喜んでたわよ」
「本当に?」
「ほら、エリザってああ見えて寂しがり屋でしょ?遊びに誘われたこととか、今まで無かったんじゃないかしら?」
確かに言われてみれば、俺との一件まで言い寄ってくる雄には脇目も振らずにただひたすら若い人間の男ばかりを追い掛けていたエリザには俺が思っている以上に親しい友達が少ないのかも知れない。
以前彼女に捕まった時に俺を眠らせたマドラムという混血種の竜人を除けば、他に彼女の交友関係が耳に聞こえてこないのも恐らく偶然ではないのだろう。

「でもさ・・・そうだとしても、別にプラムが直接行く必要は無かったんじゃないのか?」
「私ね・・・取り敢えず、まずはエリザとちゃんと仲良くしてみようと思ってるのよ」
プラムはそう言うと、いよいよ本格的に空腹を訴え始めてきたのだろう自身の腹をほんの少し摩っていた。
「私にはエリザの心の傷は癒せないかも知れないけど、彼女はこの島が抱えている問題の象徴みたいなものでしょ?」
「・・・確かに、そうかもな」
初めて出会った頃のプラムは、まだ人間との付き合い方すら覚束無いような危なっかしい性格をしていたものだった。
小さい頃から竜王様の娘だと認知されていたせいで親しい友達もなかなか作れず、多感な幼少期を孤独に過ごしていたという意味では、プラムもまた過去に癒えぬ傷を持った雌竜だったと言えるのかも知れない。
そんな彼女が今や、一時的には敵対していたと言っても過言ではないエリザの為に何か自分に出来ることは無いかと模索しているのだ。
そしてもしかしたらプラムにそんな前向きな心情の変化を齎したのは、他でもないこの俺なのかも知れなかった。

やがて大学の食堂に辿り着くと、俺は一目散に注文のカウンターへ駆けて行ったプラムを苦笑しながら見送っていた。
本当に、彼女の底無しの食欲には何時も何時も驚かされるばかりだ。
あれだけ四六時中大食いを重ねていながらそれ程太っているというわけでもないのだから、確かにジェーヌのような見た目の美しさを気にする女性から見れば食費の面はともかく好きな物を食べ捲れるプラムは羨望の対象なのだろう。
それに・・・以前はとにかく自分の食欲優先と言った風情だったプラムも、最近は一緒に居る俺のこともある程度気遣ってくれているように感じられる。
今回大学の食堂に来ることを選んだのだって、早く何か食べたかったということ以上に今し方外出から帰って来たばかりの俺をまた遠くへ連れ回すのは悪いと思ったからなのだろう。

バグッ・・・モグ・・・ゴク・・・
「プラム・・・そんなに慌てて食べるなよ・・・ゆっくりで良いからさ」
大して学生の居ない長期休み中だというのに突然大口の注文が入って騒然としているらしい厨房の方を見ながら、俺は早食い競争かと思う程の勢いで豚の丸焼きを口に放り込んでいるプラムをそう窘めていた。
きっとプラムはこの後もまだ何か注文するつもりなのだろうし、少し彼らの料理を作るペースを落としてやらないと他の学生の注文が止まってしまうかも知れない。
「ん・・・そう・・・?」
それでプラムも状況を理解したのか、ふぅと一息吐いてから今度はゆっくりと食事を再開する。
「そう言えば・・・明日は結局どれくらい呼んだの?」
「ええと・・・俺やプラムも入れて全部で16名かな」
「16名も?良くそんなに大勢集められたわね」
流石にプラムも海へ遊びに行くのがそんなに大所帯になるとは思っていなかったのか、予想以上に驚いたらしい彼女が素っ頓狂な声を上げていた。

「まあまだ大学から招待を送っただけで、その全員が来るとは限らないけどね・・・」
「誰を呼んだの?」
竜人のメリカスにラズ教授、エステリアやジェロムと言った娼館や雌竜天国絡みで知り合った雌竜、ジェーヌの呼んだバザロにレグノ、コロット教授やリリガン教授・・・そしてもちろん、フィンやエリザ達。
リストに並んだそれらの名前を読み上げる度に、プラムがうんうんと頷いていく。
「随分と賑やかになりそうね」
「そうだな・・・正直、俺もこの島に来た当初はこんな風に大勢知り合いや友達が出来るとは思ってもみなかったよ」
あの広い結婚式場を埋め尽くした、名も知らぬ島の住民達。
プラムの両親である竜王様夫妻からの招待だったとは言え、彼らは俺とプラムの結婚を祝福する為だけに式場へと駆け付けてくれたのだ。
親密な関係を築くに当たって本来であれば乗り越え難い大きな壁であるはずの種族の違いが、驚くべきことにこの島ではほとんど全くと言って良い程に感じられない。
積極的に自分とは異なる種族と交流を持つというのは一見してハードルが高いように感じられるというのに・・・
ドラゴンもラミアもサキュバスも竜人もグリフォンも獣人も、そして歴史上そんな幻獣達とは敵対することも多かったはずの人間までもが、等しくこの島の中にある意味自然で完成された社会を形成していたのだった。

その日の夜。
「ねぇアレス・・・」
何時ものように夕食を食べて風呂に入り、部屋の気温に比べてまだ少し冷たいベッドの上にプラムと並んで体を横たえると、プラムが不意にそんな声を上げる。
「どうしたんだ?」
「今夜は・・・しちゃ駄目・・・?」
「え・・・?いや・・・構わないけど・・・」
普段は俺の体を気遣ってなのか余りプラムの方から交尾を持ち掛けてくることは無いというのに、今夜の彼女は珍しくその体を疼かせているようだ。
「昨晩お店でアレスが買って来てくれた薬を飲んで、私・・・人間との交尾に少しだけど自信が付いたの」
「ああ・・・そう言えば効果有ったって言ってたっけ」
「私って、自分ではもう十分成長したような気になってたけど・・・やっぱりまだまだ未熟だったのね」

娼館でオリヴィアから貰った薬はいわゆる鎮静薬・・・
過度な興奮を抑えるというだけで、それ自体に他に何か特別な効能があるというわけではない。
だが交尾の興奮に流されず冷静になって人間と体を重ねたことで、彼女は自分の心や体を自らの意思できちんと制御出来ていなかったことを自覚したのに違いない。
だからこそ、プラムは今一度俺との交尾で自らを律することが出来るのかを試したいのだろう。
「するのは構わないけど、明日は皆で出掛けるんだからな。押し潰されないように、俺が上でも良いだろ?」
「ええ・・・もちろん」
そしてお互いにそんな同意を交わすと、プラムがベッドの上に仰向けに寝そべって大きく体を開く。
それはこれまでにも幾度と無く目にしてきた見慣れた光景のはずだったというのに・・・
今夜のプラムは何故か何時にも増して魅力的で・・・同時に危険な気配をもその身に纏わせていたのだった。

ほんの数ヶ月前までまだ右も左も分からないような箱入り娘だったプラムが俺と知り合い、人間との付き合い方について少しずつその理解を深めて行った結果・・・
今の彼女は、かつてのあどけない雰囲気が抜けて一層魅惑的な雌竜へと変貌を遂げたのだろう。
俺が以前エリザに対して感じたのと同じような雄を誘惑し籠絡する強烈な雌としてのフェロモンのような物が、今は目の前のプラムから色濃く発せられているのがはっきりと分かってしまう。
そんな抗い難い誘引効果を持つプラムの姿に俺はすぐさま着ていた服をその場に脱ぎ捨てると、四肢を大きく広げたプラムの腹の上にゆっくりと攀じ登っていた。

クチュ・・・
それと同時に既に熟れに熟れた竜膣が微かな水音を弾けさせ、これからそこに呑まれることになる雄を容赦無くしゃぶり尽くそうと淫靡な躍動に戦慄いているのが目に入る。
「う・・・」
これまでにもプラムとまぐわったことは幾度もあるはずだというのに・・・
興奮の最中でも我を忘れずに真っ直ぐ俺の顔を見つめてくるプラムの青い竜眼が、俺には獲物を射竦める捕食者の鋭い眼光を宿しているように見て取れていた。
「ほら、アレス・・・早く来て・・・」
そしてそんな囁くような声と共に彼女の秘裂がゆっくりと左右にその牙口を押し開くと、俺はその中で蠢いている無数の襞に埋め尽くされた熱い肉洞の気配にゴクリと息を呑んでいた。

雌竜との交尾が、こんなにも恐ろしく感じられるだなんて・・・
雌竜天国へ行った時も・・・エリザに強引な関係を迫られた時も・・・
俺は少なくとも命の危険だけは無いという事実に本当の意味で恐怖を感じたことは無かったように思う。
だがプラムは・・・本来俺にとっては最も信頼の置ける、最も安心して身を寄せられる場所であるはずの彼女の懐は、今の俺には余りにも危険な魔力に満ちた場所に感じられていたのだ。
そしてそんな本能の打ち鳴らす警鐘に躊躇っていた俺に業を煮やしたのか、彼女の大きな手が俺の体をゆっくりと、しかし力強く捉え抱き締めていく。
「あ・・・ま、待って・・・プラム・・・」
だがじっ俺と視線を交わし合っているはずのプラムはそんな制止の声を涼しく聞き流すと、そのままギュゥッと俺の体を抱き締めていた。
ジュプッ・・・
「うああっ・・・!」
その瞬間ギンギンにそそり立っていた雄槍が熱く蕩けた肉穴を貫き、そのまま慈しむように柔肉と襞の群れで握り締められてしまう。

ギュ・・・グゥッ・・・
「あっ・・・あああっ・・・!」
燃えるように熱いプラムの中で蠢く襞が敏感な裏筋をねっとりと舐め上げ、小刻みに震えながらまるで搾り上げるように竿全体を締め上げてくるのだ。
だがその余りの気持ち良さに身悶えた瞬間、まるで暴れるなとばかりに背中へ回された屈強なプラムの両腕がミシリと軋みを上げながら俺の体を更にきつく抱き締めてくる。
「プ、プラム・・・はぁっ・・・」
相変わらずしっかりと俺の顔を真正面から見下ろしながら、プラムが捕らえた雄を逃すまいとばかりに俺の足へと尻尾を絡み付けてくる。
その段になって、俺は遅まきながらようやくプラムの内面に起こった変化の本質を理解していた。

これまでは興奮の余り我を忘れて力加減や人間の扱い方が分からず困惑していたのだろう彼女は、いざ冷静になったことで本来竜と人間との間にある圧倒的な力と立場の違いに気が付いたのだろう。
そしてそれはつまり、今のプラムにとって俺は最愛の伴侶でも将来の夢を分かち合ったパートナーでもなく・・・
自分の思うがまま如何様にも操り嬲り弄ぶことの出来る玩具であり、自らの欲情を慰める為のただの道具に過ぎないということを意味していた。
だが何よりも俺がある意味で衝撃的だったのは・・・
そんな本来温厚なはずのプラムのこれまでとは一線を画す余りに激しい変貌振りに、俺の胸の内に被虐的な期待感が際限無く膨れ上がっていったことだった。

グジュッ・・・ギュブッ・・・
「ひああっ・・・!」
情熱的なプラムの抱擁と圧搾に散々に翻弄され、獰猛に蠢く竜膣に咥え込まれた雄がねっとりと可愛がられていく。
無数の襞と柔突起がうねるように肉棒を舐め上げては摩り下ろし、余りの快感に暴れ悶える体が普段のプラムからは想像も付かない程の恐ろしい膂力で捻じ伏せられてしまう。
これまでにもプラムと体を重ねたことは幾度もあったはずだというのに、これ程までに一方的かつ執拗に雄としての尊厳を蹂躙されたことは無かっただろう。
当のプラムはというと目の前であられもなく善がり狂う俺の様子に全く慌てる気配も無く、美しい青色の竜眼で真っ直ぐにこちらを見つめながら微塵の容赦も無い搾動を続けていた。

雌竜としての本能か、或いはこれがプラムの本性なのか・・・
普段どちらかと言えば気弱で過剰なまでに俺に対して気を遣うプラムの印象からは余りに懸け離れた、嗜虐的で凶暴な、ある意味で凄艶とも言える妖しい魅力が彼女の全身から溢れ出しているように感じられる。
ジュブッ!
「かはっ・・・!」
更には荒々しい搾動に混じって強烈な吸引をも味わわされて、俺は根元まで呑み込まれたペニスをなおも滅茶苦茶にしゃぶり尽くされていた。
気持ち・・・良過ぎ・・・る・・・
人と竜の番いが互いに愛し合いまぐわうという、この半月竜島においてはごくありふれた日常の光景。
しかしその実態は、撫でられただけで物言わぬ肉塊と化してしまうような脆弱な人間が伝説に謳われるような強大な怪物と命懸けで付き合うということに他ならない。
そんな単純な事実さえ知らぬまま、俺は竜として自らが持つ圧倒的な力に気付いたプラムの誘いを易々と受けてしまったのだ。

もちろん・・・彼女が正常な意識と理性を保っている限り、本当の意味で俺の命が脅かされることは無いに違いない。
こうして俺の体を抱き竦めている今も接客の為に丸められている彼女の指先の爪は肌にさえ触れておらず、身動き出来ない程の熱烈な抱擁にもかかわらず苦痛の類はほとんど全くと言って良い程に感じられないのだ。
しかしそれでいて俺を決して逃がすまいという確固たる意志もまたそこに同居していて、ペニスが扱き上げられる度にのた打つ体がきつく抱き締められていく。
グギュ・・・スギュルッ・・・
「あひぃ・・・」
決して止めを急がない、じっくりと雄を舐る熱い襞の群れ。
だがどれ程の快感を味わわされ精神が鑢を掛けるようにじわじわと削り取られようとも、今の俺にプラムの胸元から逃れる術は何も無い。
俺はただ彼女の成すがまま、思うがままに限界寸前の雄槍を弄ばれて、その戯れに飽きれば一息に止めを刺されるのを待つだけの無力な餌なのだ。

「プ・・・プラム・・・早くぅ・・・」
たっぷりと時間を掛けながら焦らしに焦らし抜かれたペニスを甚振られ、何時しか早く止めを刺して欲しいという懇願の声が漏れ出して来てしまう。
ジュプッ、ゴジュッ、ゴシュッ・・・
「はっ・・・ああっ!」
やがてその願いが聞き届けられたのか、断続的に味わわされていた搾動が僅かにそのテンポを速めたのが体の中で最も感覚が鋭敏になっている器官へと直に伝わってくる。
そしていよいよ収縮した膣口がペニスの根元をギュッと強く握り締めると、俺は膣の内部を埋め尽くした分厚い襞が一斉に肉棒へと群がって来た感触にビクッと背筋を震わせていた。
そして声を上げる間も無く、破裂寸前まで膨れ上がったペニスがまるで握り潰されるように収縮した襞の群れでペシャンコにされてしまう。
メシャッ!
「あひゃあああっ!」
次の瞬間、事も無げに止めを刺された俺はプラムの中へたっぷりと溜め込んだ雄汁を文字通り1滴残らず搾り尽くされたのだった。

翌朝・・・全身を包み込む心地良い温もりを感じながら目を覚ました俺は、昨晩プラムに抱かれたまま意識を失ってしまったことを思い出していた。
今の時刻はまだ午前6時過ぎ・・・
招待を送った皆と海岸で現地集合するのは10時の予定だから、まだしばらくは時間に余裕がある。
出掛ける前に一旦シャワーを浴びに行きたい気持ちもあるのだが、このまま動けばプラムを起こしてしまいそうでそれも憚られてしまう。
それに・・・もう数ヶ月もプラムと一つ屋根の下で過ごしているというのに、俺は彼女の懐で眠るのがこんなにも心地良いものだということに今の今まで気が付かなかった。

白い皮膜に覆われたフカフカの大きなお腹が長い呼吸と共にゆっくりと上下し、背中に回された彼女の太い腕が優しく俺の体を抱き止めてくれている。
もし彼女が嫌でないのなら、毎晩でもこうして眠りたいくらいだった。
だがやがて俺が目を覚ました気配を感じ取ったのか、数分程遅れてプラムがゆっくりとその青い眼を開く。
「あ・・・アレス・・・おはよう」
「ああ・・・おはようプラム」
まるで抱き枕のように俺の体を抱き抱えたまま眠る愛しい雌竜の姿に、俺は何とも言えない興奮と甘酸っぱい感情を抱いてしまっていた。
「今・・・何時なの?」
「まだ7時前だよ。取り敢えず風呂に入って・・・それから大学にでも朝飯を食べに行かないか?」
俺がそう言うと、彼女が返事をする代わりにその腹をゴロゴロと盛大に鳴り響かせる。
そして腹を空かせた大喰らいの雌竜の懐に抱かれているという事実にドキッと心臓の鼓動を高鳴らせると、それを察したらしいプラムが俺をベッドの横へと下ろしてくれていた。

シャアアアアアアアア・・・
熱いシャワーを浴びながらプラムに背中を流して貰い、広い浴槽へ共に身を沈める至福の時。
だが普段はお互い言葉少なにゆっくりと湯船に浸かるというのに、不意にプラムがおずおずとその口を開いていた。
「ね、ねえアレス・・・昨日はその・・・どうだった・・・?」
珍しく自分の方から交尾に誘ったからだろうか、どうやらプラムは俺から昨夜の"感想"を聞きたくてそわそわしていたらしい。
「どうって・・・その・・・凄く良かったよ。プラムには珍しく押しも強かったしさ・・・」
だが俺がそう言うと、多少強引だった自覚はあるのか彼女の体が浴槽の中でピクリと震えたのが伝わってくる。
「正直に言うとさ・・・俺、初めて雌竜のことがちょっと怖いと思ったんだよ」
「え・・・?」
「この島に来て色んな種族と出会って、プラム以外のドラゴンともたくさん知り合ったけどさ・・・」
俺はそう言うと、少なからず動揺しているらしい彼女を安心させるように彼女に自分の体をピタリと密着させていた。

「やっぱり、種族の違いっていうのは俺達が思ってる以上に大きな壁なんだよな」
その言葉が意味するところを決して聞き漏らすまいと、彼女が必死に耳を欹てているのがひしひしと伝わってくる。
「俺はプラムには力じゃ絶対に敵わないし、今だってプラムがその気になれば取って喰われちまうかも知れない」
「そんなこと・・・」
「もちろん、プラムはそんなことしないよ。でも異種族同士の交流には、必ずそういう上下関係が生まれちまうんだ」
それを聞いて、プラムはこれまでにも幾度か俺の身を危険に晒してしまった記憶を掘り起こしているらしい。
初めてこの部屋で彼女とまぐわった時、島の北にあるスパリゾートで一緒にウォータースライダーを滑った時、照れ隠しに俺を引っ叩こうとして腕を振り上げた時、そして昨夜のことも・・・

「俺は良いよ。プラムにだったら、どんなことをされても受け止めてやれる自信はあるつもりだしね。だけど・・・」
「誰もが自分とは力の強さも体の大きさも違う種族と対等に付き合うのって、難しいことなのね」
「今日海に行ったら、招待した連中の間にだってそういう軋轢や確執が生まれないとは限らないだろ?」
それでようやく俺が言わんとしていることを理解したのか、プラムはほっと目に見えて分かる安堵の息を吐き出していた。
「確かに皆私達とは仲が良いかも知れないけど、お互いに初対面の住民もいるのよね」
「だからさ・・・そこで問題が起きないようにするのって、正に俺達の役目だと思うんだよな」
「そうね・・・将来絶対必要になることなんだし、練習するのには丁度良い機会かも知れないわ」
彼女はそう言うと、ザバッという音ともに浴槽から這い出していた。
「それじゃ、早く朝食食べて海に行きましょ。私達が遅刻したらそれこそ問題が起きちゃうでしょうし」
「そうだな」
そして風呂から上がって素早く出掛ける準備を整えると、俺達はまず腹拵えとばかりに大学の食堂へと向かったのだった。

それから数時間後・・・
今日の昼食はクラーケンを食べに行くと決めてあったはずだというのに相変わらずの食欲を発揮して大学の食堂を早朝から大混乱に陥れたプラムは、大きく膨れたお腹を満足気に摩りながら俺を背に乗せていた。
「それじゃ、行くわよアレス」
今の時間は午前9時過ぎ・・・これから海岸に向かえば、集合時間の30分前には辿り着けることだろう。
だがそんなことを考えながらしばしの遊覧飛行を楽しむと、俺はやがて見えて来た白い砂を湛える広い海岸の真ん中で赤と青の竜人が取っ組み合っているらしいことに気が付いていた。
あれって・・・メリカスとラズ教授か・・・?
砂浜の上でお互いに相手を投げ飛ばしたり殴り合ったりしているらしく、早速何かトラブルでも起きたのかと胸が締め付けられるような痛みを感じてしまう。
だがいよいよ彼らの近くにプラムが着地すると、俺達の姿に気付いた2人がすっくとその場に立ち上がっていた。

「おお、久し振りだな、プラム殿にアレス殿。今日は招待に感謝する」
「ああ、おはようメリカス。さっきは・・・ラズ教授と喧嘩でもしてたのか?」
「いや何、普段は仕事で忙しくてラズとは久し振りに顔を合わせたのでな。訓練がてら、彼と手合わせしていたのだ」
確かに2人共派手に地面の上を転がったりしたお陰で体中砂だらけではあったものの、別に何処かに怪我をしているという訳でもないらしい。
だが余裕な感じのあるメリカスとは対照的に彼の後ろの方でハァハァと粗い息を吐いている辺り、屈強な印象のあるラズ教授も面と向かって戦えばメリカスには敵わないのだろう。

「それにしても、2人共早いんだな。まだ集合時間まで30分近くもあるのに」
「今は違うが、我々は元軍人だからな。集合時間に遅れてはならぬと、少々気が逸ってしまったのだ」
メリカスがそう言うと、ようやく息を整えたらしいラズ教授がその眼にメラメラと闘志を燃やしながら彼に声を掛ける。
「隊長・・・まだ集合まで時間があるなら、次は水泳で競いませんか?ようやく体が温まってきましたので」
「む?何だラズ。教え子の前だからか今日は何時に無くやる気のようだな。構わんぞ」
メリカスはそう言うと、その全身に纏った逞しい筋肉をヒク付かせながらこちらに向き直っていた。
「では、我々は少し泳いでくるので一旦失礼する」
「ええ、2人共頑張ってね」
そんなプラムの声に押されて、赤と青の竜人が弾かれたように海へ向かって走り出していく。
「行くぞラズ。3キロ先で折り返しで良いな?」
「望むところです、隊長。今度は負けませんよ」
そしてザバァッという音ともに同時に海へ飛び込むと、彼らは凄まじい水飛沫を上げながらあっという間に遠い沖の方へと泳ぎ去ってしまっていた。

「2人共凄いな・・・俺が走るのより速いんじゃないか、あれ」
「私も彼らに泳ぎ方を教えて貰った方が良いかしら?プールや温泉ならともかく、海や川に入るのは流石に怖いし」
まあ、その気持ちは分からないではない。
仮に泳ぐのが得意だとしても、流れが急だったり底に足の着かない深い水に入るのにはやはり抵抗があるものだろう。
ましてや子供の頃に川で溺れたトラウマのあるプラムにしてみれば、竜人達があんな風に海で自在に泳ぐ姿は極めて異質に映るのかも知れない。
やがて跳ね上がる水飛沫が水平線の向こうに消えて行ったのを見送ると、俺はロブとジェーヌが連れ立ってこちらに近付いて来たのに気付いてそちらを振り返っていた。

「おはようアレス」
「わっ・・・凄いなジェーヌ・・・その水着・・・」
その上半身はただでさえ美しい女性だというのに、大きな乳房を覆う細くて黒い水着が普段の落ち着いた彼女の印象とは対照的な妖しい雰囲気を存分に醸し出している。
「ロブってば前はあんなにファッションセンス皆無だったのに、よくこんな似合う水着を選んだな」
「俺はジェーヌのことだったらこの島で1番知ってるつもりだからな」
だがそう言うと、彼が俺にそっと耳打ちしてくる。
「まあ正直に言うと、俺がジェーヌに着て欲しい奴を選んだだけなんだけどな・・・」
「ちょっと、聞こえたわよ、ロブ」
そう言いながらジェーヌにシュルンと長い尾を巻き付けられると、ロブはひっと小さな悲鳴を上げながら一瞬にして黙りこくっていた。

「まあまあジェーヌ・・・ロブの下心はともかくとしても、水着はちゃんと似合ってるんだから良いと思うよ」
「そ、そう・・・?」
今にも締め殺されそうな恐怖に蒼褪めていたロブが、そんな俺の言葉に必死でうんうんと頷いているのが何とはなしに笑えてしまう。
だがそんな遣り取りをしている内に、招待状を出した他の住民達が次々と広い砂浜に集まり始めていた。
その中でも真っ先に目を引いた全身赤黒い皮膜に身を包んだ雌竜が、俺の方へと近寄って来る。
「あらぁん、アレス君・・・随分と久し振りねぇ・・・」
「ああ、久し振りだねエステリア」
丁度雌竜天国が出来た頃に職場の温泉宿で出会った、珍しい尾孔竜のエステリア。
あの時は温泉の中で麻痺毒に漬け込まれてたっぷりと精を搾り取られるという洗礼を味わわされたものの、温泉宿で真っ先に声を掛けたからなのか彼女も俺のことは覚えていてくれたのだろう。

「あ、ジェーヌおひさー!結婚式以来だね!」
更にはその後ろから、ロブとジェーヌの結婚式にも来ていたバザロが顔を出す。
見た目はジェーヌと同じラミアそっくりなのだが、母親がドラゴンだったことで産まれたいわゆる混血種の雌龍だ。
ロブが雌竜天国で指名した相手であり、ジェーヌの親友でもある。
「おはようバザロ。ちょっとお願いがあるんだけど・・・彼、私の代わりにシメといてもらっても良いかしら?」
ジェーヌはそう言うと、自身の尾で巻き取っていたロブをバザロの方へと押し付けていた。
「え〜!ほんとに良いのぉ?あたし、最近指名入らないからちょっと溜まってたんだよねぇ・・・」
「ちょ、ちょっと・・・ジェーヌ・・・?」
さっきは一応機嫌を直したように見えたものの、やはりジェーヌも心の何処かで下心丸出しだったロブに対しての怒りが燻っていたのだろう。
まあそれでもジェーヌが直接手を下すよりは、バザロの方がやり過ぎる心配がない分安心なのかも知れないが・・・

だがそうこうしている内に濃紺に染まった14メートル以上もある長大な蛇体がシュルンと驚くべき速さでロブの体に巻き付くと、彼が明らかにさっきまでよりも怯えた表情を浮かべているのが目に入る。
「ま、待って・・・バザロ・・・頼むから・・・ひっ・・・」
「あ〜、駄目駄目。なんでジェーヌに怒られちゃったのか知らないけどぉ・・・覚悟した方が良いわよぉ・・・」
「う、うわあああっ・・・!」
その悲痛なロブの悲鳴を聞きながら、俺はジェーヌにそっと囁いていた。
「なあジェーヌ・・・あれ、本当に大丈夫なのか・・・?」
「短い間なら多分大丈夫よ。彼女、獲物をじわじわ甚振るのが好きな性格だし」
どう考えても全然大丈夫そうには思えないのだが、まあジェーヌがそう言うのならこれ以上は深入りしないでおこう。

「これはまた随分と賑やかになりそうだな」
「あ、レグノ。来てくれたのね」
「大学が休みに入ってから急にバートンの仕事が忙しくなったからな。先にも言った通り、余り長居は出来ないぞ」
彼はそう言うと、相変わらずバザロに締め上げられて叫んでいるらしいロブの方へと視線を向けていた。
「あっちでは既に何やら揉めているようだが・・・頼むから怪我人を出すんじゃないぞ」
そしてその心配そうな顔がプラムの方に戻って来ると、レグノがほんの少し声を低めて先を続ける。
「ところで、先日言っていた薬はもう試したのか?」
「ええ、それはもう効果覿面だったわ」
「それなら良いが・・・仕事の為とは言え、余り薬には頼り過ぎるんじゃないぞ」
レグノはそう言うと、やはりロブのことが心配なのか彼らの方へと静かに歩いていった。

「他に来ていないのは・・・そう言えばエリザ達とフィン達もまだいないな」
「エリザなら来たみたいよ。ほらあそこ」
プラムにそう言われて彼女の指した方に視線を向けると、真っ赤な体毛を靡かせるエリザとその隣りで誇らしげに胸を張って歩いている狼獣人のブライトがこちらに歩いてくるのが目に入る。
俺とプラムの結婚式でくっ付いたカップルだというのに、今もまだその関係は継続中のようだ。
「おはよう、プラムにアレス君。こんな楽しそうな集まりに誘ってくれてありがとう」
「やあエリザ・・・相変わらず、ブライトとも上手くいってるみたいだな」
「ええ、お陰様でね。そう言えばまだあなた達には言ってなかったんだけど・・・」
だがエリザが何か言い掛けると、ブライトが慌てて彼女を制止する。
「エ、エリザ!お、俺が言うよ!」
そして口を噤んだエリザの前にブライトが躍り出ると、彼が得意気に声を張り上げていた。
「俺達、結婚することに決めたんだ!」
「本当に?そりゃ目出度いな。結婚式は何時挙げるんだ?」
「えっ・・・そ、それは・・・まだ決めてないんだけどさ・・・」

この様子だと、恐らくブライトは最近エリザへのプロポーズが成功して有頂天になっていたのだろう。
「正直言っちまうと、結婚式とか・・・どうすりゃ良いか何にも分からなくてよ・・・」
「それなら、明日フィンとマローンの結婚式に来てみたら良いんじゃないか?手順とか式次第も分かるだろうし」
以前俺とプラムの結婚式に招待した時にはエリザもブライトもまだお互いに結婚なんて全く意識していなかったのだろうが、今なら彼らもまた少し違った心境で式の様子を見ることが出来るのに違いない。
「そうね。費用とか準備とかは学生なら大学で大体やってくれるし、私もエリザの花嫁衣装を早く見てみたいわ」
「そ、それは良いけど、そのフィンとかマローンって誰なんだ?今日ここに来てるのか?」
「ああ・・・もうすぐ来るとは思うんだけど・・・」
そして集合時間10分前を指している時計からふと空に視線を向けてみると、俺はすっきりと晴れ渡った空の中にフィンとマローンが仲良く並んで飛んでいるのを見つけたのだった。

まだ結婚前だというのに既にすっかり馴染みの夫婦といった印象のフィンとマローンが、やがて優雅に空を舞いながら砂浜へと降りてくる。
初めて彼らを見た時は強気なフィンの尻に敷かれる内気なマローンという印象が強かったものの、彼女の為に人語を覚え熱心に求愛を重ねる内にマローンにも立派な雄竜の風格が宿って来たような気がする。
「待たせたかの?まだ集合の時間には余裕があると思っておったのじゃが・・・」
「ああ、いや、俺達がただ早く来ただけだよ。招待は送ったけどまだ来てない連中もいるしね」
「ならば良いが・・・昨夜はこ奴が柄にもなく緊張で寝付けなかったようでの・・・少々早く出て来たのじゃ」
そう言いながら、フィンが背後にいたマローンの方に顔を向ける。
「へぇ・・・マローンも緊張することってあるんだな」
「明日・・・フィンとの・・・結婚式だから・・・」
以前に比べれば随分と人語を話すのが上手くなった印象だが、まだ何処か片言な印象が拭えないのは彼が緊張しているからだけではないのだろう。

「そう言えば、他の招待客に式への招待状はもう送ったのか?」
「一応はの。妾は正直、余り大勢に祝われるのは慣れぬでの・・・小さな祭事場を会場に選んだのもその為なのじゃ」
そう言えば、フィン達が式を挙げると言っていたクティーノ祭事場はロブ達が式を挙げたドノゲス催事場の更に半分程の広さというかなり小規模な会場だった。
収容者数は約50名と、確かに大勢でワイワイ騒ぐというよりは少数の招待客だけでこじんまりと式を執り行う為の場所なのだろう。
「それじゃあさ・・・そこにいるエリザとブライトも、招待客の中に入れて貰っても良いかい?」
そう言って傍にいたエリザ達をフィンに紹介すると、彼女は少し驚いたらしいものの特に異論は無いらしかった。
「ふむ・・・それくらいなら別に構わぬぞ」

やがてそんなことを話していると、突然俺の背後からフィンにそっくりな別の声が聞こえてくる。
「おやおや、久し振りじゃなマローン。そ奴がお主の選んだ伴侶かえ?」
それに驚いて後ろを振り返ると、ニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべたジェロムがそこに佇んでいた。
そう言えば彼女は、前にフィンとの交尾の練習台として娼館でマローンと体を重ねていたのだ。
当て馬に使われたことでジェロムも当時から随分とフィンのことは気にしていたようなのだが、この様子だと彼女は今日初めて実際にフィンの姿を目にしたのだろう。
だがこの状況に誰よりも肝を冷やしたのは、まあ当然と言えば当然なのだがマローンだった。
人知れずフィンとの交際の為に裏で努力していたマローンのことだから、当然ジェロムを相手に交尾の練習をしていたなどということはフィンにも伝えていなかったに違いない。
「何じゃマローン、この雌竜・・・お主の知り合いかえ?」
「あ・・・そ、そうだ・・・」
そんな明らかに狼狽した様子のマローンの姿を見て、俺はそっとジェロムの前に身を乗り出していた。
「まあまあジェロム。彼らはもう明日には結婚するんだから、あんまり揶揄わないでやってくれよ」
「なぁに小僧、別に他意は無いぞ。今日はお主らに呼ばれて、少々水を浴びに来ただけじゃからな」
ジェロムはそう言うと、相変わらず薄ら笑いをその顔に貼り付けたまま海の方へと歩いていった。

「ふぅ・・・」
そして少しばかり安堵の息を吐き出しながらマローンの方を振り返ると、彼もまた俺と同じようにホッと胸を撫で下ろしている様子が目に入る。
まあフィンのことだからそんなマローンの過去の行動を知ったところで別段彼を咎めたりすることは無いかも知れないが、マローンはマローンで彼女にそれ知られたくない雄としての意地のようなものがあるのだろう。
やがて集合時間も迫って来ると、沖の方からメリカスとラズ教授が猛然とした勢いでこちらに戻って来ているのが見えた。
既に往復で5キロ以上もの長距離を泳いでいるのだろうにその速度は些かも衰えた様子は無く、凄まじい水飛沫を上げる2人の竜人がピッタリと横並びになっている。
いや・・・ほんの僅かだがラズ教授の方がリードしているだろうか。
周囲に居た他の住民達もそんな2人の対決に気が付いたのか、誰もがこちらに向かって近付いてくる彼らに視線を吸い寄せられていた。
だが後ほんの少しでゴールというところで、全身を大きく躍動させたメリカスが一気にラズ教授の前に躍り出る。
そしてそのまま頭1つ分ラズ教授より先に浜辺へ到達すると、大きく息を弾ませているらしい彼らがゆっくりと水から上がって来ていた。

「ふぅ・・・なかなか良い勝負だったな、ラズ」
「流石は隊長ですね・・・今度は勝てたと思ったんですが・・・」
実際、砂浜でのレスリングではラズ教授を子供のようにあしらっていたメリカスが今は大きく肩で息をしているところを見るに、かなりの接戦だったことは間違い無い。
だが取り敢えず、集まったのはこれで全部らしかった。
招待を送った中ではコロット教授だけがまだ来ていないようだが、まあ急な招待だったにもかかわらず欠席が1名というのは随分と集まりが良い方なのだろう。
そしてふとロブ達の方に視線を向けてみると、バザロに散々締め上げられたらしいロブが熱い砂浜の上にぐったりとのびていたのだった。

「大丈夫か?ロブ」
「体中痛いよ・・・これ・・・骨とか折れてないよな・・・?」
あのジェーヌが自分に代わってお仕置きを任せるくらいだしバザロも雌竜天国で働いている以上人間に怪我をさせないギリギリのラインは心得ているだろうからそれは無いと思うが、ジェーヌには割と大きな怒りを買っていたのだろう。
まあジェーヌにしてみれば純粋に楽しみにしていた気持ちを下心で汚されたのだから、彼女の怒りは尤もだと思うのだが・・・
「ほらロブ・・・海で泳ぎましょ?」
だが当のジェーヌはというと、ほとんど瀕死のように見えるロブに容赦無く尻尾の先を巻き付けて彼をズルズルと海の方へ引き摺って行った。
「ア、アレスぅ・・・助けてくれぇ・・・」
「ロブってば・・・放っといても大丈夫かしら?」
「まあ、ジェーヌも気が済んだら元に戻るだろ。今回の件はどう考えてもあいつが悪いし」

やがてジェーヌに締め上げられて水責めに遭っているらしいロブを遠巻きに見守っていると、マローンの許から離れたフィンが俺達の方へと近付いて来た。
「フィン、明日の式の準備はもう万端なのか?」
「恐らくはの」
「恐らくって・・・フィンは準備には関わってないのか?」
俺がそう言うと、彼女が少し困惑気味に首を捻る。
「結婚にはマローンの奴が異常な程に乗り気でのぅ・・・段取りのほとんどはあ奴が済ませたようなものなのじゃ」
以前よりは随分人語の扱いが上手くなってきているとは言え、大学のサポートも無い中であのマローンが自力で結婚式の段取りをするだなんて、彼は余程フィンとの結婚を心待ちにしていたのだろう。
「それじゃあ、フィンの花嫁衣装もマローンが選んだのか?」
「うむ・・・妾が口を出したのは会場選びくらいのものじゃよ」
その口振りからするに、恐らくは大勢に祝って欲しくて広い会場を選ぼうとしたマローンをフィンが必死で説得して狭い会場に変更して貰ったのだろう。
何となくその辺の遣り取りが目に見えるようで、俺は彼女に気付かれないように思わず微笑を浮かべてしまっていた。

「でも、フィンも結婚は楽しみなんだろ?」
「それはそうじゃが・・・楽しみと言えば、明日は祝宴にヒヨク殿が来てくれるそうじゃ」
「え?ヒヨク氏って、この島で二大巨匠って言われてる服飾デザイナーだよな・・・呼べば来てくれるものなのか?」
そんな俺の疑問に、フィンが小さく首を振る。
「普段は余り姿を見せたがらぬのじゃが・・・妾はヒヨク殿の古い知り合い故、今回は特別にの」
そうだったのか・・・フィンが普段からヒヨク氏の作った服飾品を身に着けているのは、そういう関係性もあってのことだったのだろう。
「ところで、何時の間にかプラム殿の姿が見えぬが・・・何処かへ行ったのかの?」
フィンにそう言われて周囲を見回すと、俺はクラーケンのゲソ焼き屋へ走っていくプラムの背中を見つけていた。
「あ、いた」
先程から終始美味しそうな香ばしい香りが辺りに漂っていたせいか、プラムはもう食欲が我慢出来なくなって一足先に早めの昼食を摂りに行ってしまったらしい。
「クフフフ・・・お主も、プラム殿には随分と振り回されておるようじゃな」
「まあね・・・でも、彼女と結婚したからっていうわけじゃないけど毎日幸せだよ」
「妾もマローンが幸せならそれで良いが・・・妾としたことが、何時の間にかすっかりあ奴に情が移ったようじゃな」
初めてフィンとマローンに会った時は彼らが今のような関係になるとは想像だにしていなかったのだが、雌雄の間で芽生える恋愛感情というのはお互いの心に劇的な変化を及ぼすものなのだろう。

やがてフィンがマローンの許へ戻って行くと、ようやく溜飲が下がったらしいジェーヌが憐れな程疲れ切っているらしいロブを連れて砂浜の方へと戻って来た。
「ジェーヌ、もう気は済んだのか?」
「ええ・・・そろそろお腹も空いて来たから、例のクラーケンを食べてみたいわ」
「丁度良かった。プラムがもう一足先に食べに行っちゃたみたいだから、俺達も行こうか」
そうしてその場に居た何名かを誘ってプラムの後を追うと、俺達は相変わらず大盛況らしい店の中に入って席に着いたのだった。

「ふむ・・・クラーケンを食べるのは初めてだな・・・味によっては私の店の料理にも加えてみようか」
「隊長も昔に比べると随分と丸くなりましたね。相変わらず力比べでは敵いませんが・・・」
「これでも毎日鍛えてはいるからな。お前も怠けているとすぐに体が鈍るぞ、ラズ」
そんな2人の竜人達の話を聞きながら、俺とロブとジェーヌが先に席に着いていたプラムの隣りに腰を掛ける。
大勢の客で混んでいることもあってフィンとマローンは俺達からは少し離れたところにいたものの、まあ彼らは彼らで食事する方が良いのだろう。
「あら、美味しそうな匂いね。ブライト、私の分も頼んで来てくれない?」
「ああ、もちろん!」
エリザもあの性格だから体良くブライトを使い走りの如く扱き使っているらしいのだが、彼もそれで満足なのか嫌な顔1つせずに注文の列へと並んでいるらしい。

「そう言えば、大学でも俺達以外の連中と集まって飯を食うことって今まで無かったよな」
「確かにな。特にエリザとかブライトなんかは同じ学生なんだから、昼飯だけでも一緒に食べれたら良いんだけど」
「あら、嬉しいわね。それじゃあ今度、皆でお昼を食べましょ?紹介したい友達もいることだし」
エリザの紹介したい友達というのは、以前エリザが俺を捕まえる時に手を貸したマドラムという混血種の竜人だろう。
確かブライトの話ではマドラムには双子の姉もいるということらしいから、ブライトと付き合い始めて以降のエリザ達は普段そう言う連中と飯を食べているのかも知れない。
「お、来たようだぞ」
やがてプラムの分も含めた大口の注文が席に運ばれてくると、俺達は美味しそうなクラーケンのゲソ焼きに我先にと手を伸ばしていた。

「うむ、旨い。これなら十分に店で出せる味だな。後で仕入先を確認しておくとしよう」
「ほんと、これなら幾らでも食べられそうだわ」
「ロブ、がっつき過ぎて喉に詰まらせないでよね」
それは大勢の仲間達と共に食事を囲むという、楽しい夏休みの思い出。
竜が、竜人が、ラミアが、グリフォンが、獣人が、そして人間が、一所に集まって和気藹々と談笑に興じている。
「ねぇちょっとプラム、あなた流石に食べ過ぎじゃない?」
「まだまだよ。今日はお腹一杯食べたいわ」
「隊長、食べ終わったら水泳でもう一勝負どうですか?」
ラズ教授は、相変わらずメリカスに対抗心を燃やしているらしい。
プラムはプラムでまだ席を立つつもりは無いみたいだし、ロブや俺はもうお腹一杯だ。
そうしてお腹の膨れた者達からぽつりぽつりと海岸へ戻ると、暑い日差しの下で静かに体を休める。
向こうの方では木陰で静かに座っていたレグノをジェロムが口説こうとしているらしいし、バザロは海に入って思い思いに泳いでいるようだ。
皆性格も種族もバラバラだというのに、この島では誰もがすぐに仲良くなれる。
それだけ、ここが多くの種族にとって最後の楽園だということなのかも知れない。

「もう・・・もうお腹一杯よ・・・」
やがて最後にプラムがクラーケンの店から出て来ると、彼女は大きく膨れた腹を仰向けにして灼けた砂の上にゴロリと寝転んでいた。
泳げないプラムは海には入らないだろうし、今日は彼女もこのまま心地良く昼寝するつもりなのだろう。
するとそこにジェロムに引っ付かれたままのレグノがやって来た。
「仕事があるから、私はそろそろ帰るぞ」
「ああ、来てくれてありがとう、レグノ」
「これ、待てと言うておろうに・・・お主も頑固な雄じゃのぅ・・・」
凄いなレグノ・・・あの押しの強いジェロムが振り回されてるだなんて・・・

「ジェロムはレグノが好みなのか?」
「最近は雄竜との出会いが無くての・・・密かに狙っておったマローンには最早手を出せぬし、飢えておるのじゃよ」
言われてみれば、俺にも雄竜の知り合いと呼べるのはマローンの親子とレグノ、バートン教授、後は温泉宿に送ってくれる雄竜達くらいしかいないような気がする。
この島では決して竜の数が少ないわけではないのだろうが、ジェロムが雄竜に飢えていると言うのは分からない話ではない。
それに彼女の年齢を考えれば、若い雄よりもある程度歳を取った相手の方が相性が良いのだろう。
「レグノはジェロムのことをどう思ってるんだ?」
「別に付き合うのは吝かではないが、今日はバートンも多忙でな・・・ゆっくり相手をしていられそうにないのだ」
「それなら、後でちゃんと時間作って会ったら良いんじゃないか?」

俺がそう言うと、それまでは余り余裕の無さそうだったレグノがジェロムの方に向き直る。
「確かに、少々冷たくしてしまったな。来週であれば会う時間は作れそうだが、それでどうだ?」
「構わぬ、構わぬぞ」
「では、後で連絡しよう」
よし・・・取り敢えずこれで彼らの間は上手く行きそうだ。
「それじゃあレグノ、また後でプラムの経過観察も兼ねて寄るよ」
「ああ・・・ではな」
そうしてレグノが一足先に帰って行くと、その後姿にジェロムが何処と無く期待に満ちた視線を投げ掛けていたのだった。

娼館で初めて会った時のジェロムは結構尊大な印象のあったのだが、彼女も根っこのところではやはり雌なのだろう。
やがてレグノの姿が見えなくなると彼女がハッと思い出したように俺の方へと顔を向ける。
「済まぬの小僧・・・妾としたことが、年甲斐も無く興奮してしまったようじゃ」
「流石のジェロムも、惚れた雄竜の前ではあんな風になるんだな」
「なっ・・・何を言うのじゃ!別にそう言うわけではっ・・・」
だが面と向かってそれを否定するのも憚られたのか、唐突に口を噤んだジェロムが俺の顔をキッと睨み付けてくる。
まあレグノも多忙とは言っていながら雌竜に誘われて満更でもなさそうだったし、案外彼らは彼らでお似合いのカップルになるのかも知れない。
そしてジェロムに揶揄った仕返しをされない内にその場を離れると、俺は気持ち良さそうに浜辺で転寝に興じているらしいプラムの許へと戻っていた。

ようやく機嫌が戻ったらしいジェーヌはロブやバザロと共に浅瀬でキャッキャと戯れているし、ラズ教授は相変わらずメリカスに対抗心を燃やしてはあと一歩及ばずという悔しさを噛み締めているらしい。
ブライトは熱い砂の上に寝そべっているエリザの体をせっせとマッサージさせられているようだが、彼も彼で満足そうにしているから多分問題は無いのだろう。
フィンとマローンも明日の結婚式の段取りを詰めているのか木陰で何やら真剣に話し込んでいるし、エステリアもゆったりと砂浜に座って暖かい陽気に眼を細めている。
まだまだお互いの絡みはそれほど多くはないものの、たまにはこうして皆で顔を合わせるのもお互いの親交を深めるのに効果的なのは間違い無い。
そして各々自由に浜辺での生活を満喫すると、俺達は夕焼けの架かり始めた浜辺で現地解散したのだった。

「ふぅ・・・今日は流石に疲れたな・・・」
「マローン達の結婚式は、確か明日の13時からよね?」
「そうだな。取り敢えず朝はゆっくり出来そうだし、大学の食堂で飯を食ってから行かないか?」
俺がそう言うと、寮の部屋の扉を開けながらプラムが頷く。
「確かに、余り大きな会場でもなさそうだし料理も少ないかも知れないものね」
どうやら、プラムの興味はマローン達の結婚よりも式場で出て来る披露宴の料理の方だったらしい。
まあ、それもプラムらしいと言えばらしいのだが・・・
そしてプラムと共にゆったりと風呂に入ってからベッドへ潜り込むと、俺は昼間の疲れのせいもあってあっという間に眠りの世界へと落ちていったのだった。

翌日、俺は相変わらず大学が休みだというのに朝からフル稼働を強いられた食堂の従業員達を不憫に思いながら、目の前で豪快に豚の丸焼きを平らげるプラムの姿をじっと眺めていた。
「プラム、そろそろ時間だぞ。式場のクティーノ祭事場はちょっと遠いんだろ?早く行かないと遅れちまうよ」
「ん・・・分かった・・・もう一皿だけ・・・」
人間分に換算したら優に7、8人前はありそうな豚の丸焼きを一皿と表現する辺り、プラムの食欲は本当に留まるところを知らないな・・・
だが最後に注文した料理もあっという間に食べ上げてしまうと、プラムは大きく膨れた腹を満足気に摩りながら食堂を後にしていた。
「ええと・・・確か南西の方にあるんだったわよね」
「ああ・・・周囲に他の建物は少ないみたいだから、すぐに見つかると思うよ」
そう言いながらプラムの背に乗ると、彼女が随分と重くなった体を懸命に宙へと浮かび上がらせる。
そしてすっきりと晴れ渡った真昼の空の下、俺達は目的地のクティーノ祭事場へと急いだのだった。

「あった、あれよね」
やがて心地良い風を受けながら空を飛ぶこと十数分・・・
町の中心部からは随分と離れた郊外にあったクティーノ祭事場は、一見するとそうは見えない程のこじんまりとした建物のように見えた。
一応それなりに大型の生物でも50名近く収容出来るだけのスペースは確保されているらしいものの、敢えてここを選んだということはフィンは本当にひっそりと式を挙げたかったのだろう。
マローンにしてみれば数ヶ月に及ぶ恋が実ってようやく結婚式を挙げられるという喜びもあっただろうから、出来れば盛大な披露宴を開きたかったというのが正直なところだったのに違いない。
だがそれでもフィンの希望を優先したのは、ひとえに彼がそれだけフィンのことを大切にしているからだ。
そしていざ式場の中に入ってみると、俺はそこに誰よりも早く式場に来ていたらしい燃えるような赤い翼を翻す1匹の美しい雌竜が佇んでいることに気が付いたのだった。

もしかして・・・あれが例のヒヨク様、なのだろうか?
2足で立つその姿は竜というよりはどちらかというと竜人に近いようなのだが、一見して無骨な印象のあるメリカスやラズ教授とは違って彼女は様々な装飾品を生み出すその手も実に繊細で器用そうな指先をしているらしい。
その上全身に纏うほんのりとした淡い赤みの掛かった鱗はまるで鏡のようにキラキラと周囲の光を照り返していて、所々に身に着けている数々の装飾品もそっちの方面にはほとんど詳しくない俺から見ても実にお洒落だ。
それに・・・若々しい見た目をしているにもかかわらず、その雰囲気は何処と無くフィンに似ているような気もする。
とは言え初対面だからというだけではないある種のオーラのような物を纏った彼女には声を掛けることが出来ず、俺達はヒヨク様からは少し離れたところで他の招待客達の到着を待つことにしたのだった。

それからしばらくして・・・
ロブとジェーヌ、それに竜王様夫妻、エリザとブライト達に続いて、フィンやマローンと個人的な付き合いがあるのだろう少数の友達や温泉宿を経営しているマローンの父親などが続々と式場へ集まってきた。
招待客の総勢は大小合わせて30名余り・・・確かに結婚披露宴としては小規模な方なのだろうが、彼らはある意味恥ずかしがり屋のフィンがそれでも招待したいと思った選りすぐりの者達なのだろう。
そしていよいよ開演の時間が近付いて来ると、地域が違うからなのかこれまで結婚式の司会を務めていたマルキスとは違う、40代くらいの紳士がゆっくりと壇上へ上がっていた。

「それではお時間となりましたので、これよりマローン様とフィン様の婚姻の儀を開始させて頂きます」
マルキスに比べると幾分低く野太い、しかし落ち着いた声が、会場内に染み入るように響き渡っていく。
「私、今回の司会を務めさせて頂きますボルクスと申します。短い間ではございますが、お見知りおきくださいませ」
そしてそんな手短な挨拶が済むと、いよいよ会場内の照明がゆっくりと落とされていく。
「新郎新婦の入場です!」
小さな会場とは言え設備はしっかりしているのか、俺やロブの結婚式の時もそうだったように白いスモークの焚かれた大きな扉が厳かに開き、その奥から花嫁衣装で美しく着飾ったフィンとマローンが姿を現していた。

「おお・・・」
普段フィンに頭が上がらない印象のある気弱そうな姿から一転して、ある種の覚悟を決めたかのような凛々しい表情を浮かべたマローンが、若干恥じらいながら歩を進めるフィンとともに花道を静かに行進していく。
結婚式という行事には難色を示していたフィンも、いざ大勢の招待客に祝福の眼差しを向けられているという状況に激しく高揚しているらしいことが、ここからでもはっきりと見て取れていた。
そして数十秒に亘って続いた静寂の末に彼らが壇上へと辿り着くと、ボルクスが最早聞き慣れた口上を述べる。
「新郎マローン、あなたはフィンを妻とし、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も・・・」
それを聞いている間にも、マローンの視線は向かい側でどうにも目のやり場に困っているらしいフィンの顔へと真っ直ぐ注がれていた。

「・・・共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「・・・誓います」
「新婦フィン、あなたはマローンを夫とし、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も・・・」
フィンにとっては想像以上に永く永く感じるのだろう誓いの言葉が紡がれる間、彼女は今にも緊張で震え出しそうな体を必死にその手足で支えているらしかった。
「・・・その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい・・・誓います・・・」
「では、抱擁と口付けを」
そんなボルクスの声が聞こえた瞬間、マローンがガバッとフィンの体を抱き締めていた。


作:紅天翔ジンオウガ様

「マ、マローン・・・」
そして驚きの余り彼の名を漏らしたフィンの口に、マローンが熱烈に口付けする。
屈辱的な出会いから一転して、一途に惚れたフィンの心を射止めようとこの数ヶ月間マローンが重ねてきた弛まぬ努力が、正しく今この瞬間に実を結んだのだ。
フィンもそんなマローンの想いに応えるように、彼らを包み込んだ翼の中で熱く長い口付けが繰り返される。
「では、こちらの結婚証明書に押印をどうぞ」
そして差し出された証明書にお互いの押印を済ませると、ボルクスが高らかに新たな夫婦の誕生を宣言していた。

「それでは、これより披露宴となります。皆様、美味しいお食事とご歓談をお楽しみくださいませ」
やがて最後の仕事としてボルクスはそう言うと、運ばれてきた大量の料理と入れ違うようにして式場から出て行ったらしかった。
「結婚おめでとう、フィン。とても素晴らしかったわ。招待してくれてありがとう」
「ヒヨク殿・・・」
他の招待客達からは離れてフィン達の様子を見守っていたヒヨク氏は、披露宴が始まるや否や真っ先にフィンに祝いの言葉を投げ掛けたらしかった。
普段は余り人前に姿をは見せないというヒヨク氏がわざわざこうして足を運ぶくらいなのだから、フィンとヒヨク氏の付き合いは俺が想像している以上に長く深いものなのかも知れない。
「何か・・・結婚式って凄いな、エリザ・・・」
「そうね・・・ブライトもこんな結婚式を挙げてみたいんでしょ?」
「あ、ああ!」
どうやら、エリザとブライトにもこの結婚式は随分と良い刺激になったようだ。
だがふとプラムの気配が消えていることに気付いて辺りを見回してみると、ついさっきあれ程大学の食堂でたらふく飯を食って来たばかりだというのに彼女はもう運ばれてきた料理に飛び付いていたらしかった。

全く・・・想像通りといえば想像通りだが、本当にプラムは一にも二にも食欲優先なんだな・・・
「クフフ・・・プラム殿は相変わらずのようじゃな」
だがそんなプラムを見つめていると、不意に背後からフィンが声を掛けてきた。
元々余りこういう場には慣れていないらしいこともあって、大勢への挨拶回りにフィンも随分と疲れているらしい様子が窺える。
「ああ、フィン。結婚おめでとう。実際に式を挙げてみてどうだったんだ?」
「妾は正直なところ嬉しさよりも気疲れの方が大きいのじゃがな・・・マローンの奴は年甲斐も無く燥いでおるわ」
そう言われてフィンの視線を追ってみると、彼女と結婚出来たことか、或いはそれを大勢に祝って貰えることが余程嬉しいのか、マローンが積極的に招待客の面々を回っているのが目に入る。
「マローンとはそれなりに付き合いも長いつもりじゃったが、あ奴のあんな姿を目にしたのは妾も初めてじゃ」
「もっと大きな会場だったらとかは考えないのか?」
「そうじゃな・・・あ奴のことを考えれば、多少は後悔が無いとは言い切れぬかのぅ・・・」

やがてフィンがそう言うと、竜王様夫妻が彼女の祝福の為にこちらへと近付いてきた。
「結婚おめでとう。娘が小さかった頃からの付き合いだけど、お前さんの綺麗な晴れ姿が見れてあたしも嬉しいよ」
「プラムももう少しそなたのように慎ましやかなら良かったのじゃがのぅ・・・全くあの娘は誰に似たのやら・・・」
だが竜王様がそう言いながら遠くで料理にがっついているプラムの方を見やると、妻が見えにくい後ろの方で彼の脚をドスッと踏み付けていた。
「あの子はあんたに似てたんじゃなかったのかい!」
「うぐっ!」
そんな相変わらずの微笑ましい夫婦漫才に、フィンも苦笑を浮かべているらしい。
だがそんなこんなでフィンとマローンにとっては最も長かった1日が終わると、プラムとともに帰路に就いた俺はまだまだ明るい空を見上げていた。

「なあ、プラム・・・」
「何?アレス」
「エリザとブライトは、一体どんな結婚式を挙げるんだろうな?」
この数ヶ月の間に俺はロブとジェーヌの結婚式にも出席したし、もちろんプラムとの式も挙げた。
興味深かったのは、皆が皆それぞれの思惑があって式場や招待客を選び、どれも様相の異なる式が催されたということだ。
どちらかというと明るく華やかなことが好きそうなエリザと彼女にぞっこんで一途なブライトの結婚式は、ロブ達や俺とプラムの式と比べても見劣りしないくらい派手で賑やかなものになるだろうことは容易に想像出来る。
それにエリザとブライトが無事にカップルとして成立することが出来たのも俺との一件があってのことだから、殊更に彼らの行く末が気になってしまうのだ。
「彼女なら、きっとたくさん友達を呼ぶでしょうね。それに美味しい料理も一杯出てきそうだし・・・」
「プラムは結局料理が目当てなんだな・・・」
「そんなこと言って、アレスだってお腹空いてるんじゃないの?今日ほとんど何も食べてなかったでしょ?」
確かにフィンやマローン、それにちょっと勇気を出してヒヨク氏なんかにも声を掛けたりして色々と話し込んでいたこともあって、披露宴に出された料理をほとんど口にする暇が無かったような気がする。

「確かに腹が減ったな・・・寮に帰る前に、何処かに何か食べに行かないか?」
「もうすぐ着くわよ。ほら、リドとロンディの魚のお店・・・覚えてるでしょ?」
そう言われて眼下に目を向けてみると、最初から寮には向かっていなかったのか確かに見覚えのある海岸線が視界に広がっていた。
さてはこの為にわざわざ飯の話題を振ったな・・・まあ、俺も腹が減っていたのは事実だし問題は無いか。
それに、プラムが美味しい物をお腹一杯食べているのを見るのは俺も好きだった。
西の空に架かっている鮮やかな夕焼けを眺めながら、心地良い風が頬を撫でていく。
そんなプラムと過ごす日々にも、俺はこの上も無い幸福を感じるのだ。
そしていよいよ魚を焼く香ばしい匂いが潮風に乗って流れてくると、ついに空腹を我慢し切れなくなった俺の腹が大きな唸りを上げたのだった。

このページへのコメント

フィンとマローンが見事にゴールイン出来て良かったです笑

0
Posted by ナチュ 2022年07月05日(火) 20:32:20 返信

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Wiki内検索

コンテンツ

カウンタとコメントフォーム

コメントフォーム

ezカウンター
介護求人弁理士求人仲介手数料 無料フレームワーク旅行貯金高収入復縁中国語教室 大阪介護ニュース

どなたでも編集できます