ピピッ・・・ピピッ・・・
「故にこの物質の正体は・・・おっと、こんな夜中にメールか・・・」
自分の他には誰もいない薄暗い研究室で、僕は唯一の光源であるパソコンの画面に浮かんだ電子メールのアイコンを素早くクリックしていた。
何でもかんでもハイテク化の進んだ21世紀半ばの今となっても相変わらずこの通信手段だけは50年以上前から特に大きな変化を見せていないのは、それ程単純で且つ洗練された技術だったことの裏付けなのだろう。
そしてその途端今まで書いていたレポートの画面を埋め尽くすかのように大きなメールソフトが立ち上がり、ハンスという送信者の名前がまるで僕の注意を引くかのように数回点滅する。
「"明日の昼に会って話せるかい?"か・・・全く、昔から相変わらずアポの取り方がなっていない奴だな」
まあいい。丁度今し方彼から分析を依頼されたある物について、研究のレポートを纏めていたところなのだ。
だが物が物だけに、これは直接会って彼に話した方がいいだろう。
幾つか確認したいこともあるし、きっと数年振りの再会で積もる話もあるに違いない。

「"いいよ。12時に僕の研究室に来てくれ。楽しみにしているよ"と・・・」
さて、これでもうレポートの方は切り上げてしまっても問題なさそうだ。
僕は返信メールの送信ボタンをタンッと軽く叩くと、凝ってしまった肩を揉み解すようにして席を立っていた。
そのまま研究室から伸びる間接照明の灯った通路をしばらく歩き、ある大きな倉庫の入口の前で立ち止まる。
そして厳重なセキュリティに守られたその扉の横に取り付けられた装置へ自らのIDカードを読み取らせると、シュッという小気味よい音とともに扉が左右へと開かれた。
しばらく振りの明るい光に目を細めた僕の前に、荘厳に翼を広げた巨大なドラゴンのシルエットが浮かび上がる。
「もうすぐだ。もうすぐ、僕の夢が叶うことになる。ずっと探し求めていたものが今、ようやく揃ったんだ」
高い天井から降り注ぐ明るい照明を振り仰ぎながら、僕は胸の内に湧き上がってくる感動に打ち震えていた。

「全く・・・相変わらず研究所の雰囲気って奴は俺の肌に合わないな」
「はは、そう言うなって。君だって学者の端くれだろ?8年振りの再会に水を差すなよ」
真っ白な白衣に眼鏡という典型的な科学者の衣装を身に纏ったこの男・・・トーマスは、かつて大学を卒業するまで俺と同じ教育コースを歩んできた、言わば幼馴染だ。
だがこの国の歴史に惹かれて考古学者となった俺とは対照的に、彼は金属や鉱物の研究に身を投じている。
ボロボロに風化した古代の遺跡とは似ても似つかない整然と奥まで続く研究所の通路を2人で並んで歩きながら、俺は過去を振り返るかのように天井近くに備え付けられた淡いソフトライトに視線を泳がせていた。
「8年振りか・・・大学を卒業して随分長い気がするけど、俺とお前は正反対の道に進んじまったんだな」
「なぁに、科学も考古学も、過去を学んで未来を変えるという点では同じ物さ。それよりも・・・」
不意に彼の口調が変わったことに気付いて、虚空に漂わせていた視線を隣に戻す。
「何だ?」
「こいつを一体何処で見つけたのか、もう1度教えてくれないか?」

そう言った彼の手には、俺が分析を依頼した小さな石のペンダントが握られていた。
600年近い長い年月が経過したせいか取り付けられていたはずの細い鎖はとうに千切れて無くなり、美しい黒曜石に似た石の表面に彫られていたであろう細かな装飾さえ今は見る影もない。
「ああ・・・そいつは、ルミナスの遺跡から発掘した物さ」
「その遺跡の、どこで見つかったんだい?」
「ルミナスの女王シーラの墓所だよ。彼女は女王でありながら、最後まで結婚しなかったことで有名なんだ」
それがかつて超大国とまで呼ばれたルミナスの歴史へ幕を下ろす一因となったのだが、今の俺達にとってはどうでもいい話というものだろう。

やがて目的の研究室に辿り着くと、俺は応接用のソファへと座って彼がコーヒーを持ってくるのを待っていた。
そして両手に持った熱い紙コップの片方を俺に渡すと、彼が向かい側のソファにゆったりと腰を掛ける。
「悪いね、昨夜もほとんど寝てなくて・・・話を続けてくれ」
「お前、オーガスって人を知ってるか?」
「ああ、著名な歴史評論家だろ?このペンダントのことを調べるために、彼の著書も幾つか読んだよ」
J.オーガスは、中世の歴史評論家にして15世紀前半に滅んだルミナス王国を調査した第一人者だ。
30冊以上にも上る彼の著書の約6割は、ルミナスの歴史とそこに纏わる伝説に対する深い考察に終始している。
実を言うと俺が考古学に興味を持った1番の要因は、そのルミナス王国に伝わる数々の不思議な伝説なのだ。
城の東に建てられた塔で巨大なドラゴンを飼っていたという話もあるし、中には女王シーラが生涯結婚をしなかった理由の1つがそのドラゴンと結ばれていたからだとする説さえある。
更にはそのドラゴンに恐ろしい死の呪いを掛けた黒いペンダントの話があり、俺はシーラの墓所から発掘したこのペンダントこそがその伝説の一端を担っていると確信していた。

「それなら話が早い。今の問題は、その黒い石の正体が皆目わからないことさ。水晶なのは確かなんだが・・・」
「で、幼馴染のコネを利用して僕に分析を依頼したってわけだな」
そう言って少し呆れたような表情を浮かべながら、彼が天井へと視線を向ける。
「べ、別にそういうつもりじゃ・・・」
「はは、冗談さ。石の分析なら終わったよ。だけど、あの石は決して自然界に存在するような物じゃないんだ」
急に神妙な面持ちを浮かべた彼の様子に、俺も思わずつられて身を乗り出してしまう。
「どういう意味だ?」
「これ以上ないくらい、非常に稀な物質だってことさ。僕の知る限りじゃ、この石は恐らく世界に2つしかない」
彼はそう言うと、手にしていたコーヒーが冷めない内にカップへ口を付けていた。
いや、どちらかというと寧ろ、急激に渇いてきた喉を潤すためだろう。
俺もそれに倣って一気に熱いコーヒーを飲み干すと、空のカップをテーブルの上に置いて彼の言葉を待った。

「それで僕は、ある1つの仮説を立てたんだ。聞いても笑わないって約束するかい?」
「え?あ、ああ・・・約束するよ」
そんな俺の返事を聞くと、彼はおもむろに席を立って手にした黒い石を宙に翳していた。
そして何事かを念じているかのように目を瞑ると、それまで真っ黒だったはずの石が徐々に白く染まっていく。
「これ・・・は・・・?」
「この石は、人の強い思念を吸収できるんだ。そして思念を吸収すると、こうしてその色を白く染め上げる」
やがて雪のように真っ白になってしまったその石を見つめながら、彼は再びソファに腰を下ろした。
「そ、それで・・・?」
「後はこの石を持って強く念じると、石の中で増幅された思念が何かの対象に向けて解放されるんだ」
「つ、つまりその石で、本当に何かに呪いを掛けられるっていうのか?史実にあるように?」
それを聞くと、彼が白く染まった石を静かにテーブルの上に置きながら先を続ける。
「まあ呼び方は人それぞれだけど、そういうことだね。事実、この石は各地で呪いを掛けるのに使われている」

いよいよ現実味を帯びてきたルミナスの伝説に、俺は内心飛び上りたい程の衝動を辛うじて抑えていた。
誰もが忘れ去ってしまったような古い歴史の一端を実体験すること程、考古学者として心躍ることはない。
だがそこまで考えたところで、俺はふと彼の言葉に疑問を持っていた。
「ちょっと待ってくれ。各地でだって?その石は約600年間、ルミナスの遺跡に眠っていたんだぞ?」
「さっきも言っただろう?これと同じ石が、もう1つだけ存在するんだ。その石は、樫の杖に埋め込まれている」
「そんなもの、一体何処に・・・?」
俺がそう聞くと、彼は申し訳なさそうに頭を振った。
「残念だけど、それはわからない。何処かに失われてしまったのさ。でも、多くの文献に記述が残っているんだ」
そして残っていたコーヒーを全て飲み下すと、彼がゆっくりとソファから立ち上がる。
「場所を変えよう。見せたいものがあるんだ。君もきっと気に入ると思うよ」
「ああ・・・」
なかなかその仮説とやらの核心には触れようとしない彼の様子にやきもきしながらも、俺は黙って促されるまま彼の後についていった。

やがて彼とともに研究室から直接伸びていた長い通路を歩いていくと、しばらくして大きな倉庫のような建物が見えてきていた。
そしてセキュリティ装置にIDカードを通したピッという電子音が鳴り止むと、倉庫の扉が素早く左右に開かれる。
「何だい・・・これ・・・?」
次の瞬間目に飛び込んできた驚きの光景に、俺はあんぐりと口を開けたまましばらく固まっていた。
そこにあったのは、大きく左右に翼を広げた1体のドラゴンの石像だ。
まるで生きているかのような躍動感溢れるそのドラゴンの威容に、思わず溜息が漏れてしまう。
肌理細やかな鱗が彫られたその両腕はまるで何かを抱き抱えていたかのように腹の前で奇妙な空間を形作り、天を仰いで咆哮を上げているかのようなドラゴンの顔は丹精を込めて実に美しく磨き抜かれていた。

「"主を抱く竜"・・・ルイスという有名な彫刻家の最後の作品さ。ただし、発表したのは別の人間だけどね」
「別の人間って?」
「ルイスの友人だったグレッグという男さ。彼の話によればこの石像は当初、ルイスの亡骸を抱いていたらしい」
この石像を作った人間を抱いていただって・・・?
俺は彼にそう言われて、まるで母親が赤子を抱き抱えるかのように優しく組まれたドラゴンの太い両腕を間近でゆっくりと観察してみた。
だがそのルイスという男がどれ程華奢な体の持ち主だったとしても、ここには後から体を差し込めるような隙間は全く空いていない。
「嘘だろ?」
「信じられないことは他にもある。このドラゴン、大きな翼だろ?測ってみたら、翼長は8メートルもあった」
確かに、細く尖った翼の先まで併せればそれくらいの長さはありそうだ。
「なのにこの石像は、完全な1枚岩で彫られているんだよ。何処にも繋ぎ目がないんだ」
「そんな馬鹿な・・・」
「不思議だろう?だから多額の研究費用を割いて、わざわざサルナークの美術館からこいつを取り寄せたのさ」

いくらルミナスの歴史に惹かれてこの職に就いたとは言っても、俺だって考古学者を名乗るだけに世界各地の遺跡建造物はそれなりに目にしているつもりだ。
その中には古代の測量と加工技術でよくぞこれ程までに精巧な建造物を造れたものだと感心させられるものも当然のようにあったものだが、少なくともこれだけの大きな像を彫刻のみで造り上げた例は他に見たことがない。
「しかもこの石像は、深い森の中の小さな広場にあったそうだ。当然、周りには他に岩なんてない場所にね」
「・・・それも、あの石と関係があるのか?」
「まあ最後まで聞いてくれよ。実は、この姿の石像をもっと簡単に作る方法があるんだ」
この石像を、もっと簡単に作る方法だって・・・?
彫刻っていうのは、大きな素材を削り出して小さな作品を生み出す芸術技法だ。
だとすれば、そのルイスという男はこの石像よりももっと大きな岩からこれを削り出したことになる。
それ以外に彫刻で石像を作る方法などあるはずがない。

とは言え一応はその言葉に興味をそそられると、俺は先を続けてくれるよう彼を静かに目で促していた。
「つまり、こういうことさ。翼を畳んだ状態で石像を彫って、後からそれを広げるんだよ」
「おいおい、相手はただの石なんだぞ?生き物じゃあるまいし、そんな芸当できるわけが・・・」
だがその瞬間、俺の中で有り得ない2つの事象が見事に1本の線で繋がっていた。
「ところが、あの石を使えばそれができるのさ。つまりルイスは、この石像に命を吹き込んだというわけだ」
「そして、このドラゴンに殺されたと・・・?」
「かも知れない。でも呪いを解いたのがルイス自身なら、この石像に命を吹き込んだ杖は近くにあったはずだよ」
ただの石の像に命を吹き込む・・・
もし本当にそんなことができるのだとしたら、例の石は当時の人々にこれ以上ない程珍重されたことだろう。
あのペンダントを除けばこの世に1つしかない石だというのに、多くの文献に記述が残っている理由も頷ける。

「成る程・・・その石の力の凄さはわかったよ。それで結局、石の正体は一体何なんだ?」
「石そのものはただの水晶さ。いや、水晶体と言った方がいいかな。そして生き物の思念を吸収・解放できる」
そう続ける彼の言葉に、少しずつ力がこもっていくのが感じられる。
「つまりこの石は、脳と密接な関係があるんだ。脳に1番関わりの深い水晶体・・・何だかわかるかい?」
「・・・目・・・眼球か?」
「その通り。もし何かの生き物の眼球だとしたら、世界にたったの2つしかない説明もつく」
もしその話が本当だったとしたら、一体何の眼球だというのだろうか?
「そして僕が思うに、これは恐らくドラゴンの眼球なんだ。それも特殊な力を持ったドラゴンの、ね」
「どうしてそう思うんだ?」
「それはこの石が、ドラゴンに呪いを掛けることができた唯一の道具だからだよ」
その彼の放った言葉に、俺は深い衝撃を受けていた。

「ドラゴンっていうのは、多分僕よりも君の方が詳しいと思うけど、非常に長寿な生き物だろう?」
確かに俺がこれまでに見てきた古い遺跡の中には、ドラゴンの存在を匂わせる物も数多くあった気がする。
それが数百年から数千年とも言われる凄まじい長寿故のものなのかは定かではないが、少なくともドラゴンが各地で多くの人間達に何かしらの影響を与えていた存在だったことは疑いようもない事実だろう。
「それ故ドラゴンは長い孤独や飢餓、或いは敵との戦いに耐えられるように、強い精神力を持っていたのさ」
「つまり、呪いの類に対して強い耐性があったんだな?」
「そう・・・だけどこの石を通して掛けられた呪いにだけは、ドラゴンの精神力を以てしても耐えられなかった」
だから、その力の持ち主は同じドラゴンだというわけか。
「更に言えば、この石が最初に文献に姿を現すのは、1274年にサルナークからルミナスに贈与された時なんだ」
「ああ、もちろん知ってるよ」
「だけど普通、国同士が友好の証に贈与するための宝石なんてわざわざ1からは作らないだろ?」
まあ、普通はその国で大事にされている宝飾品から選ぶのが通例というものだろう。
「だからこのペンダントは、最低でもサルナークの国に50年以上は保管されていたと見ていいはずだ」
成る程、大体彼の言いたいことが読めてきた気がする。
「1200年頃にサルナークで起こっていたことと言えば・・・」
「竜騎士達による領土拡大の時期だな」
「それだけじゃない。竜騎士に加担しなかった野生のドラゴン達もまた、周辺の森に大勢棲んでいた時代なんだ」

彼はそう言うと、研究室に戻ろうと俺を倉庫の外へ連れ出していた。
そして再び間接照明に照らされた通路を歩き、元のように研究室のソファへと俺を座らせる。
「どうだった?僕の仮説は?」
「ああ・・・そうだな・・・かなり真に迫っていると思うよ。でも、幾つか聞いてもいいかい?」
「何だい?」
その軽い返事を聞くと、俺は彼の持っていた白い石を指さしてずっと気になっていた質問をぶつけていた。
「1度その石に思念を吹き込んだら、もう誰かにその呪いを掛けない限り消えることはないのか?」
「そんなことはないよ。誰かが肌身離さず持っていなければ、ものの一両日で自然に消えてしまうんだ」
それが、人間の思念ていうものだろう?とでも言いたげに、彼が右手の掌を上に向ける。
「成る程・・・じゃあ、もう1つ。さっきはその石に・・・一体何を願ったんだ?」
「これは、僕の夢さ。君が歴史に惹かれて考古学者になったように、僕にも当然、この職に就いた理由がある」

夢だって?鉱物の組成を研究することが、一体どんな目的に繋がっているというのだろうか?
いや、もしかしたら・・・彼の目的は、最初からあの石を探し出すことだったのでは・・・?
「どういうことなんだ?」
「ハンス・・・僕達の間では意味が通じているけれど、ドラゴンなんて、この時代にはもういないだろ?」
何処か物悲しい雰囲気を纏ったまま、彼がなおも声を紡ぎ続ける。
「だから僕は、ドラゴンを蘇らせたかったんだ。いや、この僕自身が、ドラゴンになってみたかったんだよ」
その言葉の、意味はわからなかった。
だが彼がこの石を使って何かを、何か途轍もないことをしようとしていることだけは何となくわかる。
「これはとても貴重な石だ。なのに歴史上、この石の所有者は幾度となく変わっている。何故かわかるかい?」
「それは・・・」
以前に聞いたことがある。
強大な力を持った宝飾品は、多くの場合その持ち主の命を縮めるのだと。
そして持ち主を失った宝飾品は、大勢の人々の手を転々とすることになるのだ。
あの石も、恐らくはそういう類の物なのだろう。

「この石だって、決して万能なわけじゃない。奇跡の原則は等価交換。何かを生み出せば、代わりに何かを失う」
そう言いながら、彼がグッと石を手の中に握り締める。
「そのプラスとマイナスの力を両方とも対象の苦しみに向ける方法を、昔の人々は呪法と呼んだんだ」
ということはかつてドラゴンに掛けられたとされる惨たらしい呪いの数々も、苦しみを与え死を奪うという呪法の1種だったということか。
「でも、僕にそんなものは必要ない。得るべき物の代償は、既にこの石の中に吹き込まれているからね」
「トム・・・まさかお前・・・」
「もう止めても無駄だよ、ハンス。人としての最後に、君と話ができて楽しかった・・・さようなら」
彼はそう言うと、スッとソファから立ち上がってドラゴンの石像が置かれた倉庫へ続く通路に消えていった。
「ま、待て、トム・・・うぐ・・・」
だが彼の後を追おうとした途端に、突然バランスを失って地面の上へドサリと倒れ込んでしまう。
何だこれは・・・?何だか、体が内側からジンジンと痺れるような感じがする。
まさかさっきのコーヒーに・・・薬を盛ったのか・・・?
「トム・・・馬鹿なことはやめろ・・・くそ・・・俺があの石を見つけたばっかりに・・・」

もう幾度通ったかもわからない間接照明に照らされた通路を歩きながら、僕は深い感慨と、不思議な懐かしさを覚えていた。
きっと、久し振りにハンスと会ったからだろう。
お互いにもう30歳を迎えるというのに、何だか2人とも子供の頃に戻ったかのような気分だった。
だが、それももうすぐ終わりを迎えることだろう。
しばらくして大きな倉庫の前に辿り着くと、僕は逸る気持ちを抑えてIDカードを装置に読み込ませていた。
そしてシュッという音とともに扉が開くと、もう用済みとなったそのカードをポイッと通路に投げ捨てる。
はは・・・馬鹿な・・・僕は、ハンスに自分を止めてもらいたいのだろうか?
いや、彼に盛ったのは効果こそ遅いものの強力な痺れ薬だ。
今更僕を止めようとしても既に手遅れなことは、彼自身が1番よく分かっていることだろう。
やがて巨大なドラゴンの石像の前に立つと、僕は手にした白い石を翳して強く念じ始めていた。
シュウウゥ・・・という蒸気の吹き出るような不思議な音が周囲に響き渡り、僕の体からキラキラと輝く光の粒を吸い出していく。
それが命の輝きなのだということを本能的に理解すると、僕は徐々に薄れ行く意識の波に静かに身を任せていた。

それから数分後、僕は奇妙な感覚とともに目を覚ましていた。
全身に凄まじい力が漲っているかのような熱い感覚と、これまでに感じたことのなかった太い尾と翼の存在がおぼろげだった僕の意識を覚醒させる。
やがてゆっくりと目を開けてみると、その眼前に無機質な石へと変化した人間だった時の僕がいた。
自らの体と引き換えに、僕は石像だったドラゴンの体を手に入れたのだ。
かつてルイスが心を込めて彫り上げた細かな鱗の1枚1枚が、瑞々しい艶に覆われて美しく黒光りしている。
「や・・・やった・・・」
ついに僕は、長年の夢を叶えられたのだ。
そして人間への未練を断ち切るかのように足元に立ち尽くしていた僕自身の石像を力一杯叩き壊すと、僕は大きな翼を広げて無限の宙へと舞っていた。
ガシャーーン!
明かり取りの役目を果たしていた倉庫の天窓を突き破って外に出た僕を、大勢の研究員達が驚愕の表情で見上げている。
何て気持ちがいいのだろう・・・
こうして自由に空を舞っているだけで、僕は何だかあらゆるものから解放されたような気がした。

「ト・・・トム・・・」
上手く力の入らない体を引き摺るようにして何とか倉庫の前まで辿り着くと、俺は床に落ちていた彼のIDカードを装置に読み込ませて倉庫の中へと入っていた。
そして地面の上に散乱している小さな石像の残骸を見て取って、力無くその場に崩れ落ちる。
満足げな笑みの浮かんだ彼の顔が、石と化した今となっても変わらずに残っていた。
粉々に砕け散った天窓から空を見上げてみると、ドラゴンとなった彼が優雅に空を舞っている。
だがしばらくその様子をハラハラしながら見守っていると、やがてその巨体がまるで糸の切れた凧のように風に揺られながら地面の上へと落ちていった。
それに少し遅れて、倉庫の外からドオォンという巨竜の墜落音が響いてくる。

やはり、悪い予感は当たったのだ。
生物の体は、隅から隅までが既に奇跡の産物・・・その精巧な仕組みが何処か1つ欠けただけでも病気になったり、機能を失ったり、命を落としたりするのが生物なのだ。
外側だけをドラゴンに似せたただの石像に自らの命を宿したところで、それが決して長続きしないことは彼にだって想像がついたはず・・・
「馬鹿野郎・・・こんなに短い夢を叶えるために、お前は自分の命も投げ出しちまったっていうのか・・・?」
そして砕けた彼の石像の傍に転がっていた黒い石を睨み付けると、俺は静かにそれを拾い上げていた。
もう、こんなものは必要ない。
1000年もの長きに亘って悲劇を生み出し続けてきたこんな呪われた石など、永久に消えてなくなればいいのだ。
やがてそんな俺の思念を読み取ったのか、黒い石は一瞬だけその身を純白の色に染め上げるとあっという間に砕けて白い灰へとその姿を変えていた。
トム・・・俺はきっと、もう1つの石も探し出してみせる。
その石も葬ったら・・・俺、お前の夢を引き継ぐよ。
こんな世界の何処かにだって、きっとドラゴンは生きているはずだ。
それを見つけ出して、またお前に報告するよ。

そして天窓から覗く雲1つない青空にそう語り掛けると、俺は静かに彼の研究所を後にしていた。

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