パキッ・・・ペキキ・・・
冷たい雪の降り頻るある山奥で、小さな卵に亀裂の走る音が静かに辺りへと響き渡っていく。
だが多くの場合母親の歓喜の瞬間になるであろうその音も、今の私にとっては破滅の瞬間を告げる恐ろしい死神の足音でしかなかった。
やがてパキッという音とともに割れた卵の中から、真っ白な短い体毛を纏った小さな雌の仔竜が姿を現す。
「ああ・・・」
彼女は私に似て尻尾も、翼も、角さえも、正に体の全てが美しい純白に包まれながら、その2つの瞳だけは力強い父親の影響故か美しい琥珀色に染まっていた。

「おお、見ろ・・・やはりこ奴は・・・」
「間違いないな・・・貴様、掟を破ったのだな・・・!」
目の前で産まれた可愛い我が子とともに、私は広大な雪山の頂上付近にある小高い丘の上で怒りと憎悪と蔑みの感情を宿した十数匹の同族達に取り囲まれていた。
「きゅ・・・きゅうぅ・・・」
そのただならぬ様子に産まれて間もない仔竜も危機を悟ったのか、怯えるような視線を辺りに振り撒きつつ地面に這い蹲った私の胸元へとその頼り無い身を摺り寄せてくる。
「・・・!」
そしてその間違い無く父親譲りであろう不思議な感触に、私は独り絶望の嗚咽を辛うじて飲み込んでいた。

「掟破りには死の制裁を・・・遥か昔からの取り決めだ。よもや、異存はあるまいな?」
「そ、その覚悟ならできている・・・だが、産まれた仔に罪は無いだろう?せめて、この仔だけでも・・・」
たった今し方産まれたばかりの無垢な我が仔は、凛とした死の覚悟を固めた私の唯一の心残りだった。
周囲を取り囲むのは、私と同じ純白の体毛に身を包む氷竜達。
私達には、遥か太古の昔から連綿と受け継がれてきたある不文律がある。
それはどんな形であろうと、異種族との関わりを持ってはならないということ。
そしてその鉄の掟を破った者には、容赦の無い粛清が下されるのだ。

「いいだろう・・・だが、その仔には我ら以外の種族の血が混じっている。生涯、監視は怠らぬからな」
「ああ・・・それなら、悔いは無い」
やがてそんな最期の言葉を吐き出すと、私は突然背後に伸びていた尻尾を他の仲間に掴まれて雪の降り積もった冷たい地面の上へドサッと引き倒されていた。
そして無防備になった私の体へ、太い尾が、鋭い爪が、凶悪な牙が、一片の慈悲も無く襲い掛かってくる。
バキッ!ズド!ベギィッ!
「うっ・・・ぐあっ・・・うあああああっ・・・・・・!!」
死を受け入れると言ったものの堪え切れずに漏れてしまった私の悲鳴に、仔竜が所構わず助けを求めるような甲高い声を上げて鳴いていた。
「きゅっ・・・きゅううう・・・きゅううっ・・・!」
大勢の氷竜達によってたかって引き裂かれるという、筆舌に尽くし難い程の凄まじい恐怖と苦痛。
だが死の瞬間まで私が正気を保っていられたのは、大声で鳴きながらも私が嬲り殺される様子を悲壮な表情でじっと見つめている我が仔の視線を必死に受け止め続けていたからに違いない。
私が死んでもこの仔だけは助かるのだという希望が、薄れ行く意識の中に最後まで明るく輝いていた。

やがて十数分にも亘って繰り広げられた凄惨な"処刑"がようやく終わりを迎えると、粛清の丘に打ち捨てられた氷竜の骸と小さな仔竜だけがポツンと取り残されていた。
その無残な氷竜の亡骸はすぐさま氷の結晶となって空に舞い上がり、辺りに降り積もる冷たい雪の一部となって虚空へと消えていく。
母親が存在した唯一の証である丘一杯に広がった真っ赤な血の跡も、何れは白い雪の下に埋もれて消えてしまうことだろう。
目の前で母親を失ったという言いようの無い寂寥感に打ちのめされたのか、独りその場に残された幼い仔竜の琥珀色の瞳からは何時しか"熱い"涙が溢れていた。

ザク・・・ザク・・・という深い雪を踏み締める音が、甲高い風の音に混じって俺の耳を擽っていく。
吹雪から身を守るように腕で顔を隠しながら、俺は1歩1歩雪山の頂上へ向けてゆっくりとした歩みを続けていた。
あと少し・・・恐らくはもう1時間もしない内に、あの丘が見えてくるだろう。
ここへ来るのは、今年でもう5回目になるだろうか・・・?
冬の雪山に登るのは体力的にも辛いし何よりも危険なものなのだが、それでも俺は彼女との約束を守るために今もこうして薄暗い白銀の世界を歩き続けていた。
やがて自分の中でも時間の感覚が薄れてきた頃、ようやく目的の小高い丘が目の前に現れてくる。
そこは激しく雪が吹き荒れている周囲とは状況が異なり、しんしんと静かに降り続ける細かな粉雪が周りの雪原より幾分か低い円形の広場を形作っていた。

何時見ても、不思議な光景だ。
まるで雪の上にできたミステリーサークルのようなその広場の存在を知っているのは、人間の中では恐らくこの俺だけだろう。
だが、そんなことよりももっともっと信じ難いことがあるのだ。
俺はフラリと疲れた体を引き摺るようにしてその広場の中へ足を踏み入れると、ドサッという音を立てて雪に覆われた地面の上に寝転んでいた。
その瞬間、とても雪の上に寝ているとは思えない程のじんわりとした奇妙な温もりが全身に広がっていく。
激しい疲労を癒してくれるかのようなその心地良い暖かさに、俺は何時の間にかそのまま眠りに落ちていた。

数年前、俺はこの山の東に広がるある国の王子だった。
だが両親は本来跡継ぎになるはずの俺の存在にはそれ程大きな関心を示してはくれず、俺はその幼少時代のほとんどを老齢の執事の下で育てられたのだ。
彼は俺の世話のほぼ全てを一任されていたらしく時には城の外に俺を連れ出して遊んでくれることもあったし、勉強はもちろん剣の稽古を付けてくれることもあったものだ。
食事の時以外はあまり両親との接点が無かったにもかかわらず俺が楽しい生活を満喫できたのも、王子という身分以上にあの執事の存在が大きかったことは疑いようが無い。

だがそんな生活も、ある日余りに突然の終焉を迎えることになった。
両親の悪政に業を煮やした国民達が、革命を起こしたのだ。
城へ雪崩れ込んできた大勢の民衆を止める力は流石の兵士達にも無かったらしく、暴動が起きてから両親が捕らえられるまでものの30分も掛からなかったという。
しかも民衆達の怒りはそれまで政治のことなど特に何も知らずに暮らしていた15歳だった俺にも向けられ、執事の彼が逃がしてくれなかったら俺も今頃は両親と並んで絞首台の上に立たされていたことだろう。
彼に山脈を越えて西にある小国に落ち延びれば、そこは亡命者でも快く受け入れてくれると言われたのだ。

とは言っても、革命が起きたのは寒さの厳しい1月の中旬・・・
当然国の西側を南北に走る遠大な山脈も真っ白な雪に覆われ、登山の経験など1度も無い俺には苦しい山越えになるのは目に見えていた。
しかしこのまま国に留まっていても捕まれば命が無いだけに、他に方法が無かったのもまた事実。
そしてロクな登山用具も用意できぬまま、俺は十分な食料とテントだけを持って危険な雪山へと奔ったのだ。
俺にとって幸いだったのは、この山が地形的な危険の少ないなだらかな山だったことだろう。
特別に深い森があるわけでもなく、遭難さえしなければ何とか素人の俺にも山を越えられるに違いない。

だがそんな俺の行く手に、思わぬ敵が待ち構えていた。
ウウゥ・・・という不穏な唸り声を漏らす、数匹の狼の群れ・・・
武器になりそうな木の枝さえ無い状況で、食料を持った俺は狼達にとっては正に格好の獲物だったのだろう。
それでも、俺は持っていた荷物を懸命に振り回して狼達と戦った。
足に腕にと次々と牙を突き立てられて大怪我を負いながらも何とか狼達を撃退した時には、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
食料もバラバラになったテントとともに盛大に辺りへとぶち撒けてしまい、俺は深い絶望に襲われたものだ。
山越えの道程は、まだ半ばを少し過ぎたところだろう。
食料も身を休めるところも失い怪我の痛みに喘ぐ俺に、最早生き残る術など何も残されてはいなかった。
ふと顔を上げたその視線の先に、ぽっかりと口を開けていた深い氷洞を見つけるまでは・・・

目に見えるもの全てが何もかも雪と氷に覆われてしまった単色の世界の中で、暗い闇を包み込んだその洞穴はある種の異質な存在感を放っていた。
だがこの吹雪と寒さを少しでも凌げるのならば、今の俺にとっては救い以外の何物でもない。
そして狼に噛み付かれた傷口からポタポタと真っ赤な鮮血を滴らせながら、俺はほとんど這うようにしてその氷洞へと転がり込んでいた。
「はぁ・・・はぁ・・・助かった・・・」
外はあんなにも冷たい風雪が吹き荒れているというのに、洞窟の中は思った以上に暖かかった。
氷に覆われていたのは入口の付近だけで、闇に沈んだ洞窟の奥の方はゴツゴツとした岩肌を見せている。
取り敢えず、この中ならば少しくらい眠ったところで凍死したりはしないだろう。
雪山の登山は初めてだった俺にもそう確信出来る程の不思議な温もりに、俺は痛む体を抱えるようにしてゴロリと横になっていた。

ズシ・・・ズシ・・・
だが激しい疲れのせいかすぐに襲ってきた睡魔に身を預けるように目を閉じた数秒後、奇妙な音と震動が眠りにつこうとしていた俺の意識を揺り起こす。
「な、何の音だ・・・?」
明らかに自然が作り出した物ではないその不穏な音に、俺はじっと横たわったまま静かに聞き耳を立てていた。
何だか、少しずつその音が大きくなっていくような気がしたのだ。
もしかしてこれは・・・何かの足音なのだろうか・・・?
そしておぼろげだった俺の思考がそんなあり得ない結論に辿り着いた正にその時、俺は突如として洞窟の入口を塞いだ巨大な影の存在に気が付いてその身を凍り付かせていた。

「う・・・あ・・・」
そこにいたのは、体高だけでも2メートルはあろうかという巨大な白いドラゴン。
全身を覆うフサフサの体毛やその背に広がる大きな翼は全て神々しい程の純白に染まり、切れ長の瞳を湛える琥珀色の竜眼が地面にへたり込んだ俺をじっと睨み付けていた。
「何だお前は・・・」
「ひっ・・・」
一見したところどうやら雌らしいそのドラゴンの放った迫力のある声に、思わず小さな悲鳴を上げてしまう。
そんな・・・ここは・・・ドラゴンの住み処だったのか・・・
考えてみれば、こんな深い洞窟が自然に形作られるはずなどなかったのだ。
誰かが、それも人間ではない何者かが掘ったものと考えるのが自然だというのに、なんて迂闊だったのだろうか。
だが洞窟の入口に陣取られては逃げる場所などあるはずも無く、俺は恐ろしさの余り声を出すこともできずにそのドラゴンを見上げていることしかできなかった。

俺は・・・殺されるのだろうか・・・?
住み処に勝手に立ち入ったから・・・いや、そもそもこんな雪山に棲んでいるのだ。
食料が乏しいせいで普段から腹を空かせているとしたら、手負いの人間など正に打ってつけの獲物ではないか。
その証拠に、ドラゴンがまるで獲物を値踏みするかのように俺の体をじっとりと眺め回している。
だがやがてドラゴンの口から漏れてきた言葉は、俺の想像していたものとは余りにも懸け離れたものだった。
「フン・・・怪我をしているのか・・・まあ、私の眠りを邪魔しないのなら勝手に休んでいくがいい」
「え・・・?」
てっきり食い殺されると思っていたところに思わぬ言葉を掛けられて、キョトンと呆けたような情けない表情を浮かべてしまう。

「俺を・・・助けてくれるのか・・・?」
「助けるだと・・・?私にはお前を温めてやることも、その傷を癒してやることもできぬのだぞ?」
確かにそうかも知れないが、この暖かい住み処に少しの間だけでもいることを許してくれるのならもうそれだけで俺にとっては十分過ぎる程の助けだと言ってもいいだろう。
「まあ・・・もし生きる希望が持てなくなったのなら、そう言うがいい・・・その時は、すぐに楽にしてやろう」
「あ、ああ・・・ありがとう・・・」
やがてそんな俺の安堵に満ちた返事を聞くと、ドラゴンが俺の横を通り過ぎて真っ暗な洞窟の奥へと消えていく。
その瞬間、俺はフワリと頬を撫でた暖かい風に何故か洞内の気温が更に高くなったかのような錯覚を覚えていた。

極寒の雪山で迎える、生まれて初めての冷たい夜。
甲高い音を鳴らして暴れ回っていた昼間の吹雪は既に鳴りを潜め、静寂に包まれた闇の中に何処か遠くから狼の遠吠えが聞こえて来る。
だが相変わらずこの洞窟の中だけは、心安らぐ程の奇妙な温もりに満ちていた。
つい数時間前に洞窟の奥へと入っていったドラゴンはそれ以来姿を見せず、不定期に漏れて来る大きな寝息らしき空気の震えが漆黒に染まった洞内にこだましている。

あのドラゴンは何故、この俺を見逃してくれたのだろうか?
元々人間を襲うようなドラゴンではなかったのかも知れないが、仮にそうだったとしても無断で住み処を侵した俺をそのままにしておくというのは些か理解に苦しむ行動だ。
それに百歩譲って俺がここで寒さを凌ぐことを許してくれたとしても、普通なら早く出て行けと脅迫めいた言葉の1つも浴びせていくものだろう。
なのに彼女は、眠りを邪魔しない限りは勝手に休んでいっていいとまで言ってくれたのだ。
「いや・・・あれこれ考えるのは明日にしよう・・・」
そして何時まで経っても整理のつかない頭を軽く振ると、俺は今度こそ本当に眠りにつこうと目を閉じていた。

翌朝、私は洞窟の入口の方から微かに届いてくる淡い朝日の光で目を覚ました。
今日も私は一面の銀世界を当ても無く歩き回り、数少ない獲物の存在を求めて孤独な一時を過ごすのだろう。
この世に生まれ落ちてからもう70年以上の月日が流れたものの、毎日毎日がそんな単調な日々の繰り返しだった。
他の仲間達の話によれば、私の母は決して他種族と関わりを持ってはならないという古の禁忌を犯したために処刑されたのだという。
だが産まれた仔に罪は無いだろうという母の必死の訴えのお陰で、私は辛うじて処刑を免れたのだそうだ。

とは言っても他種族の血が混じった異端の仔と自ら関わりを持とうとする仲間などいるはずもなく、私は正に産まれる前から既にこんな寂しい生涯を約束されていたようなものだった。
昨日住み処の入口近くで体を休めていたあの人間にもついつい慈悲を掛けてしまったのは、何時までも変わり映えのしない生活に新しい刺激を求めたが故の行動だったのだろう。
そして今日も薄い収獲の望みを頼りに狩りへ出掛けようと外に向かってみると、私は昨日と同じように自らの体を抱えるようにして眠っている人間の姿にふと目を留めていた。

パチッ・・・パチパチッ・・・チッ・・・
徐々に現実の世界へと引き戻されていった俺の意識に、そんな何かの弾けるような音が断続的に割り込んでくる。
更には顔に当たる火照るような熱の気配に、俺は地面に横たわったままそっと目を開けてみた。
その眼前で、真っ赤な炎が煌々とした明かりと暖かさを周囲に振り撒いている。
これは・・・焚き火・・・?
パチパチと聞こえていた音が焚き火にくべられた枯れ木の爆ぜる音だったことに気付いて、俺は何が何だか訳も分からないままにゆっくりと体を起こしていた。
だが周囲に見えるのはただひたすらに無骨な岩の壁ばかりで、洞窟の入口があったはずの方向にも薄暗い通路が延びている。
三方を壁に囲まれていることから察するに、どうやらここはあの洞窟の最奥に位置する部屋のようなものらしい。
寝ている間に、あのドラゴンが俺をここまで運んできたのだろうか?
それにこの焚き火・・・まさか、彼女がわざわざ俺の為に火を起こしてくれたとでも・・・?

そんな尽きぬ疑問が次から次へと脳裏に湧き上がってきたものの、ここであれこれ考えたところで納得の行く結論など出るわけも無い。
とにかく、今はこの温もりをゆっくりと味わいながら黙って彼女の帰りを待つべきだろう。
彼女には何を聞いても答えてはくれないかも知れないが、少なくとも彼女の寝床に運ばれたということは少しくらい話をする機会もあるに違いない。
そして今度は背後にあった岩壁に背を預けるようにして座り込むと、俺は彼女が帰ってくるのを待ちながらさっきまで見ていた夢の続きを見ようと目を閉じていた。

何処までも続く雪原を走り回ってようやく1頭の狼を仕留めることに成功すると、私はすっかり疲れ切ってしまった重い体を住み処に向けた。
何時も狩りを終える度に感じるこの何とも言えない気怠さは、恐らく体力的なものというよりも一向に進展の兆しが見えない絶望的な日々に対する辟易からきているのだろう。
だが、それでも今日ばかりは普段に比べれば自分でも足取りが軽い気がするのは、きっと私の住み処に迷い込んできたあの人間の存在によるところが大きいのに違いない。
やはり、深い孤独は誰であろうとその命を縮めるものであるらしい。
やがて薄暗い灰色の雲に覆われた空から逃げるように仕留めた獲物を担いだまま住み処へ辿り着くと、私は依然として焚き火の傍で丸まっている人間の姿を認めて微かな安堵の息を吐いていた。

「う・・・ん・・・」
その瞬間、私の足音で目を覚ましてしまったのか人間がゆっくりと閉じていた目を開けていく。
そして傍らに佇んでいた私の姿を認めると、彼が随分と落ち着いた様子で私に話し掛けてきた。
「お、お帰り・・・焚き火のお陰で、とても助かったよ」
「・・・何のことだ?私は氷竜なのだぞ。火など・・・起こせるわけが無いではないか」
「え・・・?でも・・・」
まあ、その返答に人間が不思議そうな顔をしたのは無理も無い。
実際彼をここまで運んだのは私だし、外へ枯れ枝を捜しに行ってまで火を起こしてやったのもこの私なのだ。
だが何故か・・・その事実を彼にはどうしても知られたくない自分がいた。

「それに、私の体は凍て付く冷気に覆われている。人間などが触れようものなら、忽ち凍り付いてしまうだろう」
「そ、そうなのか・・・?」
「まあ・・・そんなことはどうでもいい・・・それよりも、怪我の具合はどうなのだ?」
何だか無理矢理に話をはぐらかされたような気がしたものの、俺はドラゴンの言葉に改めて自分の手足を見つめていた。
焚き火の炎に照らされた腕は狼の牙の先で切り裂かれたのか長い裂傷を負っていて、今もまだ動かそうとすれば鋭い痛みが走る。
そしてそれとは対照的に両足の怪我は噛み付かれたまま肉を食い千切ろうと首を振られたらしく、深く食い込んだ牙の周りの肉が少しばかり抉れて真っ赤な血の跡が付いていた。

「あ、ああ・・・血は止まったけど、まだしばらくは痛みで動けそうにないよ」
「本当か・・・?」
その途端巨大なドラゴンにズイッと顔を覗き込まれて、俺は一瞬ドキリと胸の鼓動を早めていた。
まずい・・・もしてかして俺が長居しそうなことに、腹を立ててしまったのだろうか・・・?
だが恐る恐るその純白の顔を見返してみると、そこに表れていたのは紛れも無き安堵の色だった。
そしてそんな俺の視線に気が付いたのか、ドラゴンが少しばかり怪訝そうな表情を浮かべていく。
「何だ・・・何か言いたそうだな?」
「いや、その・・・あんた、優しいんだな」
「な・・・フ、フン・・・突然何を言い出すかと思えば・・・」
明らかに表に出してしまった動揺を必死で取り繕うように、ドラゴンは背に乗せていた獲物の狼を地面に振り落とすとそれを咥えて俺と焚き火を挟んだ場所へと静かに蹲っていた。

「私の母は、私が産まれてすぐに仲間達の手によって命を奪われたのだ」
やがて獲物を顎の下に置いたまま、ドラゴンが唐突にそんな身の上話を始める。
「どうして?」
「我らには、遥か昔より守られてきた掟があるのだ。他の種族とは、決して関わってはならないという掟がな」
「それを、破ってしまったんだな」
俺がそう言うと、ドラゴンがフゥーという長い息を吐き出してから先を続ける。
「そうだ・・・まだ産まれたばかりだったとは言え、目の前で母親を引き裂かれた光景は今も記憶に残っている」
何という酷い話だろうか。
人間でさえまだ記憶も固まらない内に体験した出来事がトラウマになったり後の人格形成にも大きな影響を与えるというのに、生涯最初の記憶が母親の死だなんて悲惨にも程があるというものだ。
「つまり他の連中からすれば、私は忌むべき異端者。それ故に、これまで親しい友さえできたことがないのだ」
成る程・・・彼女は、その寂しさを紛らわすために俺を救ってくれたのか。
だが他種族と関わってはならないという掟があるのなら、俺を助けることもその掟に反するはず。
敢えて言葉には出さなかったものの、俺はそんなドラゴンの覚悟に深い感謝と一抹の不安を覚えていた。

「でもそれじゃあ、俺を助けるのもその掟を破ることになっちまうんじゃないのか?」
「知ったことか・・・異端児と蔑まれ純粋な氷竜としてさえ扱ってもらえぬ私に、掟など何の意味があるのだ?」
そんな半ば自暴自棄気味に吐き出された彼女の言葉に、俺は彼女が本当は仲間達に受け入れてもらいたいのだという密かな欲求が微かに顔を覗かせているような気がした。
「第一、私は自分の父親の顔も見たことが無い。自分が誰との間にできた子供なのか、それさえも分からぬのだ」
「父親も殺されたのか?」
「いや・・・これは、我らだけの掟なのだ。だから我らと関わりを持った他種族の者を、手に掛けることは無い」
成る程・・・ということは、俺も彼女と関わったことで氷竜達から命を狙われるというような心配は無さそうだ。
それにもう山も半分程越えたというのに大勢いるらしい彼女の仲間には1度も出くわさなかったのも、彼らの方が俺への接触を避けていた結果なのに違いない。
この山に氷竜が棲んでいるという話はあの執事にも聞かされたことは無かったのだが、本来ならばこうして自ら住み処に立ち入りでもしなければ人間には姿さえ見るのも難しい連中なのだろう。

「だったら・・・あんたの父親はまだ何処かで生きているんだろう?探さないのか?」
「何の為にだ?その父親のお陰で、私はこんな肩身の狭い生活を送っているというのに・・・」
そうか・・・彼女にとって仲間から異端のレッテルを貼られるきっかけとなった父親は最早家族という大切な存在などではなくなり、ただただ深い怨嗟と憎しみの対象でしかないのだろう。
この世に生を受けたその瞬間から孤独で不幸な生涯を背負わされてしまった彼女を辛うじて支えているのは、寧ろそんなまだ見ぬ父親に対する恨みの感情なのかも知れなかった。
「確かに理屈ではそうかも知れないけどさ・・・いや・・・俺も似たようなものか・・・」
「そう言えば、お前はどうしてたった1人でこんなところをうろついていたのだ?」
「亡命の、途中だったんだ」

実の父親を憎む彼女の複雑な心境を何とか理解しようとしている内に、俺は他でもない自分自身も両親のせいで不遇な運命を辿らされていたことにふと気が付いていた。
両親が一体どんな悪政を敷いていたのかなど今では皆目見当も付かないが、国民達があれ程大規模な革命を企てたことから察するにそれはそれは酷いものだったのだろう。
実際町の中央にある広場では毎日のように王政に楯突いた罪人の処刑が行われていたと言うし、恐怖政治に疲弊した国民達が相当の不満を溜め込んでいたのであろうことは容易に想像できる。
だが取り分けて政治に興味の無かった俺には、それさえもが自分とは関係の無い何処か遠い場所で起こっている出来事のように感じられてしまっていたのだろう。

「亡命だと・・・?」
「俺、この山の東にある国の王子だったんだ。だけど革命が起こって・・・俺だけが、城から逃げ出せたんだよ」
それを聞いて、私はこの人間もまた親の愚行によって不幸を背負わされた哀れな犠牲者であることを悟っていた。
「それで単身真冬の雪山を越えようとしたというのか?」
「まあな・・・途中で狼に襲われたりしなければ、今頃はもう西側に着いてたはずだったんだが・・・」
「そう言う割に、お前はあまり落胆しているようには見えぬがな」
私はそう呟くと、長い間放置してしまっていた足元の狼をパクリと咥え上げていた。
そして口の端からはみ出した獲物の片足を力任せに手でもぎ取ると、それを人間の前にポイッと放ってやる。
「だけどお陰で、俺はこうしてあんたに出会えた。革命で何もかも失った俺にとっては、あんたが最初の友達だ」
「フン・・・人間風情が思い上がるな・・・私は、お前の友になどなったつもりはないぞ」
「でも、別に断る理由も無いんだろ?」
まるで全てお見通しとでも言わんばかりにしたり顔で放たれた人間の言葉を肯定するのは些か癪だったものの、私は心の何処かでそれも悪くないと思い始めている自分がいることに気が付いていた。
そしてこれ以上感情を読み取られまいと、人間から視線を外したまま精一杯素っ気の無い返事を返してやる。

「ま、まあ・・・な・・・」
照れ隠しのつもりなのかわざとらしくムシャムシャと大きな音を立てて狼を咀嚼しながらも真っ白な尻尾だけは正直に軽快な揺れを見せている可愛らしい氷竜の仕草に、俺は焚き火で肉を炙りながら必死に笑いを堪えていた。
見上げる程に巨大な上にその性格も一見すると尊大な印象を受けてしまう彼女だが、本当は俺が思っている以上に孤独を嫌う寂しがり屋の乙女なのかも知れない。
だがうっかりそんなことを言おうものなら流石に何をされるか分からないだけに、俺は喉まで出掛かったその冷やかしをグッと飲み込んでこんがりと焼けた狼の肉に噛り付いていた。

「ところで・・・お前は山を越えたら一体何処へ向かうつもりだったのだ?」
やがてあっという間に食事を終えてしまったらしい彼女が、暇を持て余してしまったのか口一杯に肉を頬張っていた俺に向かってそんな質問を投げ掛けてくる。
「この山の西側に、小さい国があるんだよ。俺みたいな亡命者や、難民でも受け入れてくれるところなんだ」
「だがそうは言っても、新たな生活を手に入れるのは難しいのだろう?」
「それはまあ、ね・・・でも俺にはもうそれしか人生をやり直す方法が残っていないのさ」
それを聞いて、彼女が静かに俺から視線を逸らす。
「フン・・・人生をやり直すか・・・私にも、そんな選択肢があればどれ程よかったことか・・・」
「この山から離れて、掟に縛られずに何処か遠いところで暮らすことはできないのか?」
「私は産まれた時から、異端の仔として仲間達から監視されている。故に、この山を出ることも出来ぬのだ」
それじゃあ彼女は、一生ここで仲間達から村八分にされて暮らさなければならないって言うのか?

「呪われた生涯というものがもしあるのなら、きっと私の歩んできた道こそが正にそれなのだろう」
「そんな・・・おかしいだろ、そんなの・・・だってあんたは、ただ父親が他種族だからって理由だけで・・・」
「人間のお前には理解できぬかも知れぬがな・・・我らは太古の昔からそういう特殊な種族なのだ」
彼女が言うには、氷竜が他種族との関わりを徹底的に排除するのは自分達の血筋を守るためなのだそうだ。
ドラゴンは他の生物達に比べて生命力や繁殖力が飛び抜けて強く、あらゆる異種族の生物との間に子孫を残すことが出来るのだという。
遠い遠い昔、まだ人間という種族が地上に存在していなかった頃、世界は氷竜と炎竜の2種族に支配されていた。
だがある時決して交わることのないはずだったその2つの種族が子孫を残したことで異種交配が進み、実に多種多様な竜族が後の地上に姿を現したのだそうだ。
かく言う彼女達も、そんな当時の氷竜とは異なる血の混じった種族なのだという。
そしてそれ故に、彼女達は同種の氷竜以外との交流を禁じたのだ。

「でもそれにしたって、掟を破ったら死刑っていうのはやり過ぎじゃないのか?」
「別に他種族と関わっただけで命を奪われる訳ではない。それらと仔を生した時に、初めて粛清されるのだ」
「でも、何らかの罰は受けるんだろう?」
俺が心配だったのは、俺を助けたことで彼女が受けることになるであろう罰の重さだった。
竜が人間との間に子供を産むというのは俺の感覚からいくと少しばかり考えにくいのだが、他の氷竜達までもが人間の俺と関わることを避けているからには恐らく彼女も何らかの咎めを受けるはずなのだ。
「何・・・ほんの少し皆から痛め付けられる程度のものだ。退屈な日常に比べれば、幾分か刺激にも感じよう」
そう言った彼女は、今度こそはっきりと俺の方に顔を向けて笑ってくれていた。

それからの数日間は、正にあっという間に過ぎ去ってしまっていた。
まあ俺にとっては、昼前に狩りへと出掛けていく彼女の帰りをじっと焚き火の傍らで待つだけの生活なのだ。
確かにそれはそれで退屈には違いないのだが、彼女が戻ってくればお互いに数奇な身の上話を始めるお陰で彼女と過ごす時間は確実に楽しいものとなっている。
そしてそれは彼女も同じらしく、寧ろ俺以上にそんなささやかな憩いの一時を楽しみにしているようだった。
毎日遠くまで枯れ枝を探しにいっては焚き火に投げ込んでくれる彼女の本当の意図には既に気付いていたものの、今は敢えて沈黙を守ってただ感謝の視線を向けるだけにしておいた方が彼女にとっても気が楽なのに違いない。

「ところで、怪我の具合はどうなのだ?もうあれから1週間になるが・・・」
「ああ、もう大分良くなったよ。幸い化膿もせずに済んだし、痛みもすっかり消えたみたいだ」
「お前が望むのなら・・・ずっとここにいてくれてもいいのだぞ?」
俺にここへ残って欲しいのならば素直にそう言えばいいだろうに・・・
だが、俺は彼女の下手な照れ隠しの仕草が何よりも好きになっていた。
今も少しばかり俯きながら俺の返答をやきもきして待っているらしい彼女の様子に、ついついいらぬ悪戯心が頭を擡げてしまいそうになるのを必死で押さえ付ける。
「ありがとう・・・暮らしが落ち着いたら、また遊びに来ると約束するよ。それまでは、元気でいてくれよ」
「フ、フン・・・この薄情者め・・・」
そして悔しそうにそう呟きながらもそれ以上は俺を引き止めようとしない彼女の心遣いを理解すると、俺はある日の朝方に山を降りるべく彼女の住み処を1週間振りに後にしていた。

1週間前にあれ程激しく吹き荒れていた猛吹雪は何処へやら、すっかりと晴れ渡った空の下を一面の銀世界に囲まれて歩くのも、なかなかに心地の良いものだった。
惜しむらくは着替えや食料といった荷物の類を全て失ってしまったことだが、山頂までは後少しの辛抱だ。
上り坂さえ乗り越えてしまえば、俺にとっての新天地は正にもう目と鼻の先に違いない。
そしてそんな清々しい気分に浸っていたせいか遠い場所から注がれていた幾つもの視線には全く気が付かぬまま、俺は意気揚々と深い雪の中を前方の頂に向かって歩き続けていた。

「・・・フゥ・・・」
狭い洞窟の入口からしばらくして人間の後姿が完全に見えなくなってしまうと、私は突如として襲ってきた空しい静寂に大きな溜息を吐いていた。
この1週間、私はただの一時も退屈を感じた覚えが無い。
そしてそれは、私がこの世に生を受けてからの長い歳月の中でも初めてのことだった。
あの人間との間に交わした、無数の視線。
あの人間との間に交わした、無数の会話。
あの人間との間に交わした、無数の笑み。
だがその濃密で幸福な時間を構成する尊い要素の半分は・・・私の、嘘でできていた。

私はあの人間に、一体幾つの嘘を吐いたのだろうか?
彼はそんな私の嘘を、一体幾つ見抜いたのだろうか?
彼が出て行ってしまった今となってはもう確かめる術もないだろうが、最後の最後まで何も言わずに私に付き合ってくれたことは本当に幾ら感謝してもし足りない程だ。
なのにそんな彼にはもう2度と会うことが出来ないという現実が、全てを受け入れる覚悟の決まっていた私の中でただただ孤独な奮戦を続けている。
ズシ・・・ズズシ・・・ズシズシッ・・・
だがやがて何処か遠くから聞こえてきたその不吉な足音の群れに、私は無表情のまま足元で燃えていた焚き火を、彼がここにいたことを示す唯一の思い出を、まるで未練を断ち切るかのようにグシャッと踏み消していた。

それから5分後・・・私の住み処に入ってきた5匹の氷竜達は、皆が皆一様に苦い表情を浮かべてその場に立ち尽くしていた。
無造作に踏み消された、白煙を立ち上らせる小さな焚き火の跡。
洞窟の周囲に残った、真新しい雪原に続く小さな足跡。
そして辺りに立ち込める、人間独特の雑多な残り香。
そんな少なくとも数日間は私の住み処に人間がいたことを示すあらゆる情報に、彼らが一体何をどう考え、どう思い、どう判断を下すのか・・・
だが自らの運命とも言うべきその審判の結果は、既に返答を待つまでもなく分かり切っていることだった。

「貴様・・・自分が一体何をしたのか分かっているのだろうな?」
「もちろんだ・・・この期に及んで、弁明などするつもりは無い」
「では、おとなしく我らについてくるというのだな・・・?」
一体何処へ・・・そんな私の脳裏に浮かんだ小さな疑問は、それを自覚する間も無く解消されていた。
異端の仔として監視されていた以上、私が掟を破ることは即ち処刑の対象となるということだ。
ということは彼らがこれから私を連れて行こうとしているのは・・・きっと私が産まれた場所なのだろう。
たとえ異種族との間に仔を生さなくとも、純血を称する彼らの存続を危機に晒す恐れのある私のような存在はどんな理由をつけてでも早く排除してしまいたいというのが本音なのだ。
とは言え、空しい生涯の最後に充実した1週間を過ごすことが出来ただけで私はもう十分に満足だった。

「無論、そのつもりだ・・・」
私の母も、きっと孵化寸前だった私の卵を抱えたままこうして彼らに引き立てられていったのだろう。
ついていけば待っているのは確実な死だというのにもかかわらず、彼女は私を護るためにその命を擲ったのだ。
けれども、私を産んだ母と違って私には護るものなど初めから何も無い。
そこにあるのは、ただただ仄暗い絶望に満ちた空虚な生の終わりだけ。
だがそれもまた皮肉なことに生への執着を薄れされてしまうと、私は周囲を取り囲んだ仲間達に連れられたまま遠くに見える山頂目指して無気力な歩を進め続けていた。

遥かな視界の先まで延々と続く、曲がりくねった白い尾根。
俺はやっとのことで辿り着いた山頂から純白の雪に覆われた美しい絶景を見下ろすと、西側の麓付近に広がっている目的地の小さな国を微かに視界に捉えていた。
王族の優雅な生活も、豪勢な居城も、それに家族や親しい知人さえもを全て失ってしまったというのに、何だか輝かしい希望を感じられてしまうのは何故だろうか。
きっと1週間前の俺なら、ただただ暗い先行きを憂えて重い足取りのまま山を下りていたことだろう。
中腹の洞窟で出遭ったあの氷竜との思い出が、突然の悲劇に傷み荒んでしまった俺の心を癒してくれたのだ。

あの人間は、もう山を越えた頃だろうか・・・?
しばらく目の前に点々と続いていた彼の足跡から離れて山頂近くにある小高い丘に向かいながら、私はぼんやりとそんなことばかりを考えていた。
もう間も無く私は処刑されるというのに、母と同じように大勢の仲間達の手で無残に引き裂かれる運命が待っているというのに、不思議と不安や恐怖の類は微塵も感じられなかったのだ。
これまでは自分が生きることばかりを考えてきたというのに、その安否を心配できる他者の存在はこんなにも自身を勇気付けてくれるものなのか・・・
生涯孤独に過ごしてきた私にとってその感覚は新鮮だったものの、私の母も恐らくは同じ心境だったのだろう。

やがて仲間達の間で粛清の丘と呼ばれている血塗られた処刑場に辿り着くと、私は過去に大勢の異端者が、そして母が命を落としたその忌むべき地に静かに腰を下ろしていた。
「愚かな奴め・・・禁忌さえ犯さなければ、貴様の母に免じて生かしておいてやったものを・・・」
「やはり、異端の仔は存在するべきではないのだな」
「フン・・・どうとでも言え・・・絶望に閉ざされた無意味な生に縋り続けるお前達程、私は卑しくないのだ」
その言葉に腹を立てたのか、眼前の年老いた雄氷竜が鋭い爪を剥いて私の顔を力一杯殴り飛ばす。
バキィッ!
「グ・・・ゥ・・・」
「何という生意気な口を・・・ならば望み通り、八つ裂きにしてくれるわ・・・!」
そんな老竜の怒号が合図になったかのように、彼の背後にいた若い他の氷竜達が掟を破った異端者の処刑を告げる咆哮を一斉に辺りに轟かせていた。

「グオオオオオォォォーーーーン!!」
風と自分の足音しか聞こえない張り詰めた静寂の中に突如としてそんな凄まじい咆哮が響き渡り、俺はその中に含まれた確かな殺意と凶兆に思わず下山の足を止めていた。
「い、今のは・・・?」
明らかに、狼の遠吠えなどではない。
だが他に残されている可能性が脳裏に過ぎった次の瞬間、俺は嫌な予感にギュッと胸を締め付けられていた。
まさか彼女が・・・?
彼女が仲間達から異端の仔として常に監視されているというのなら、恐らくは洞窟から出て行く俺の姿も彼らの目に映ったことだろう。
最初は猛吹雪の中で彼女が留守の間に洞窟へと逃げ込んだから俺の存在は誰にも知られなかったのだろうが、晴れ渡った空の下では広大な雪原の中に人間の姿を見つけることは容易かったに違いない。
そしてそれは即ち、彼女の掟破りが他の氷竜達に露呈したことを示していた。

くそ・・・なんて馬鹿だったんだ・・・
決して他の種族と関わってはならないという掟を破った者に課せられる、厳しい粛清。
彼女とその話をした時に、俺は気付くべきだったのだ。
掟を破っても、その者との間に仔を生まなければ殺されることはない・・・
それは、恐らく本当のことなのだろう。
だが異端の仔として監視されている彼女なら、掟破りそのものが処刑の対象になっても何ら不思議は無い。
その証拠に、彼女はあの時だけはしっかりと俺の方を向いて笑ってくれたのだ。
笑みを零す時は俺の顔も正視できずに俯いていた照れ屋の彼女がたった1度だけ見せたあの精一杯の虚勢に余計な心配を掛けまいとする優しい嘘が含まれていたことに、俺は間抜けにも今初めて気が付いたのだった。

ドスッ・・・バキッ・・・ザクッグサッ・・・
「アッ・・・ガァ・・・ガフッ・・・」
数匹の氷竜達による死の制裁・・・それは、私が想像していたよりも遥かに酷い苦痛に満ちたものだった。
冷たく凍った太い尾を振り下ろされても、手足を力一杯踏み付けられても、辺り一面を覆った柔らかな新雪のお陰で大した怪我を負わないことが逆に苦痛を長引かせる原因となっている。
人間やそこらの小さな獣ならいざ知らず、同じような体格に深い長毛と屈強な筋肉を纏った竜同士では致命傷を与えるのも難しい為に、その処刑の光景は正に嬲り殺しの様相を呈していた。

私の母も・・・こんな苦しみを味わいながら最期まで私の身を案じてくれていたのだ。
異端の仔と呼ばれる原因となった異種族の父には最早憎悪の念しか抱いてはいないが、私の為に全てを犠牲にしてくれた母には今でも深く感謝している。
ベギッ・・・ズドッ・・・!
「ガッ・・・ハ・・・」
やがて脇腹に深々と食い込んだ鋭い氷竜の爪先から凄まじい傷みが流し込まれてくると、私は大きく仰け反って苦悶の喘ぎを真っ赤な鮮血とともに口の端から迸らせていた。
今も・・・死など恐ろしくはない。
ただ1つ心残りがあるとするなら、あの人間が無事に山を下りられるのか・・・
そして新たな生活を手に入れて粉々に打ち砕かれてしまった人生をやり直せるのか・・・
その結末をこの目で見ることが出来ないということくらいのものだろう。
やがてそんな思考も薄れ行く意識とともに白い光の中へと押し流されてしまうと、私はドサッと地面の上に崩れ落ちて苦痛に顔を歪めながら荒い息を吐いていた。

「・・・?」
だがその数秒後、私は何時の間にか氷竜達の攻撃の手が止まっていることに気が付いてそれまできつく閉じていた琥珀色の目をゆっくりと見開いていた。
そして視界の中に映ったものの正体に、思わずゴクリと息を呑んでしまう。
私を痛め付けていた氷竜達は1匹残らず何処かに姿を隠し、その代わりに彼が、あの人間が、悲愴な表情で血に染まった紅白の私の姿をじっと見つめていたのだ。
「お、おま・・・えは・・・どうして・・・」
「あんたが心配で、戻ってきたんだ。やっぱり・・・あれは嘘だったんだな・・・?」
彼に幾つもの嘘を吐いた私自身にも、彼が一体何を指してそう言ったのかはすぐに想像が付いた。
この私に限っては他種族との関わりが即命取りになることを、私は精一杯の笑みで覆い隠したつもりだったのだ。

「フ・・・ン・・・だから・・・どうしたと言うのだ・・・」
あれ程最期に会いたかった彼が目の前にいるというのに、どうして私はこうも素直になれないのだろう。
何時ものように俯きながら漏らしたその虚勢に、しかし今回ばかりは別の反応が返ってきていた。
ファサッ・・・
深い体毛に差し込まれては私の体を優しく摩る、細い人間の手の感触。
それに驚いて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「なっ、何をしているのだ・・・!?」
「やっぱり・・・あんたの体はこんなにも温かい・・・」
「な、何故・・・」
私の体は凍て付く冷気に覆われているから、決して触れてはならぬとあれ程言ったというのに・・・

「初めて遭った時から、おかしいと思っていたんだ。あんたの傍は、何時だって暖かかったから・・・」
ということは、焚き火の熱でそれを誤魔化そうとした私の目論見も見事に当てが外れてしまっていたのだろう。
「あんたの父親・・・火竜だったんじゃないのか?あの焚き火も、あんたが炎を吐いて起こしたんだろう?」
「だ、黙れ・・・父親のことなど・・・私の知ったことか・・・!」
だがそう叫んだ私の首筋を、彼がそっと優しく撫で上げてくる。
「いいんだよ・・・その父親譲りの温もりに、俺は救われたんだ。ありがとう・・・」
あんなにも憎んだはずの父親のお陰で、彼が救われただと・・・?
それは私にとってはあまりにも受け入れ難い、だが不思議と心地の良い考え方だった。
「フ、フフ・・・まさか人間などの言葉で、こんなにも胸が軽くなるものだとはな・・・」
あれ程黒々と燻っていた父親に対する憎悪が、まるで霧が晴れるように薄れていくのを感じる。
ならば、最早この世には一片の悔いも未練も在りはしない。
いや、もしあるとするならばそれは・・・
私はそんな思考の流れに静かに身を任せると、傍らに佇む人間にそっと穏やかな視線を向けていた。

「最期に・・・1つだけお前に頼みがあるのだ・・・聞いて・・・くれるか・・・?」
「もちろんだよ・・・あんたは、この俺の命を救ってくれたんだ・・・何でも言ってくれ」
私はそんな彼の返事を聞くと、こんな突拍子も無い願いを一体どう切り出したらよいものかと迷いながらも細々と擦れた声を紡いでいった。
「私は産まれてから今まで・・・全く雄というものを知らずに生きてきたのだ・・・だから・・・」
「ああ、わかったよ・・・」
たったそれだけの短い言葉で私の願いを汲んでくれたのか、彼がもうほとんど自力で動かすことの出来なくなった私の巨体を力一杯押し上げてくる。
そしてその助けを借りて何とかゴロリと地に伏していた体を仰向けに裏返すと、彼が柔らかな私の腹の上にゆっくりと攀じ登ってきていた。

暖かい・・・
その全身に揺れているサワサワと肌触りの良い彼女の長い体毛は、まるでそれ自体が高温の熱を発しているかのような不思議な温もりに満ちていた。
傍へ近寄るだけでもほんのりとした熱風を感じられる火竜譲りの高い体温が、彼女が凍て付く氷雪地帯に生きる氷竜であることをすっかりと忘れさせる。
そして恥らいながらも初めて雄の前にその姿を見せるのであろう真っ赤な秘所が深い体毛の奥に顔を出すと、俺は氷点下の気温に身を晒しながらもそっと身に着けていた服を脱ぎ始めていた。
周囲には凛と透き通った冷たい風が吹いているというのに、彼女と体を重ねているだけで寒さらしい寒さは微塵も感じられない。
そしてすっかり全裸となった無防備な姿を彼女の上に横たえると、俺は切なげな視線を向けてくる彼女と思わず見詰め合ってしまっていた。

「本当に・・・よいのだな・・・?」
「それは俺の台詞だよ・・・本当に、俺なんかでいいのか・・・?あんた、初めてなんだろう?」
「お前以外に、一体誰がいるというのだ・・・さあ、空虚な生の締め括りに・・・お前を受け入れさせてくれ」
やがてそう言いながら両脚の間に花開いた大きな雌の花弁に、俺は期待と緊張に強張った自らの雄をゆっくりと突き入れていった。
ズ・・・ズブブ・・・ジュブ・・・
「は・・・あぁ・・・」
「オオォ・・・ウ・・・グゥ・・・」
決して交わる運命にはなかったはずの雄と雌が、人と竜が、深々と噛み合わされた互いの器官を通じて1つになっていく。
流し込まれてくる快感は熱い喘ぎとなって冷え切った大気を熱し、蕩ける肉洞を突き上げる怒張が絶望の底に沈んだ哀れな竜の魂を引き上げる。
次第次第に高められていく興奮と快楽を貪るように、俺は彼女の上に跨ったまま何度も何度も彼女を貫いていた。

ズッ・・・ジュブッ・・・グブッ・・・
「ウク・・・ハアァ・・・」
「はぁ・・・はぁ・・・ふぅ・・・うはぁ・・・」
彼女とお互いに絡み合いながら遥かな高みへと螺旋階段を上り詰めていく至福の感触に、まるで何者かに操られているかのように俺の腰の動きが更に早くなっていく。
そして彼女の方も既に力尽きた体を精一杯揺らして俺の抽送を受け止めてくれると、俺は体内に込み上げてきた白濁を一片の躊躇も無くその膣の最奥へと注ぎ込んでいた。
ドプッ・・・ドクッドクッ・・・
「う・・・ああぁっ・・・!」
「グゥ・・・オ、オオオオォッ・・・!」
俺も彼女もほとんど同時に迎えた生まれて初めてであろう絶頂に、獣染みた2種類の雄雄しい雄叫びが迸る。
そして1滴も余すことなく彼女の中へと捧げられた精の雫がやがて蕩けた肉襞にペロリと舐め上げられると、俺はその耐え難い快楽の奔流に抗うこともできぬまま彼女の腹の上に突っ伏してぐったりと力尽きていた。

「ど、どうだった・・・?」
「あ、ああ・・・これ以上は無いと言い切れる程の・・・幸福な気分だ・・・」
そしてそう言った後で、些か自嘲気味な二の句が後に続けられていく。
「いや・・・幸福という言葉の意味さえ・・・私は今初めて知ったのかも知れぬ・・・」
「俺も、最高だったよ・・・だけど・・・もうお別れなんだな・・・」
その全身に負った傷から流れ出す真っ赤な血が、彼女の体を、白銀の丘を、俺の視界を鮮やかな紅に染めていた。
既に気力も体力も枯れ果てた体から漏れ出すその命を、彼女が満足そうな表情で見つめている。
「どうやら、そのようだな・・・だが、もう思い残すことなど無い。お前のお陰で、私の生涯は意味を持った」

そう言った彼女の顔は、実に穏やかだった。
俺のせいで命を落とすことになるというのに、そこに俺に対する負の感情は欠片も見当たらない。
ただもう俺とは逢えなくなってしまうという永遠の別れに対する切ない憂いが、彼女の美しい琥珀色の瞳を微かに潤ませている。
そしてついに自分の体を支えている事も出来なくなったのか、彼女が持ち上げていた首をドサリと地面に落としていた。
「また・・・逢いにきてくれぬか・・・?」
「あんたが待っていてくれるなら、毎年でも来ると約束するよ」
「フフフ・・・そうか・・・それは・・・・・・楽しみだ・・・」
そして独り言を呟くように絞り出したその言葉を最期に、彼女がゆっくりともう開くことの無い眼を閉じていく。
その顔には今度こそ俺に対して何の嘘偽りも無い、満面の笑みが浮かべられていた。

「さよなら・・・」
やがて青天に昇っていく彼女の魂を見届けるようにそう小声で呟くと、突然彼女の亡骸が静かに崩れ始めていた。
まるで氷の結晶が弾けるかのようにキラキラとした白い粒が周囲に舞い上がり、幻想的な輝く粉雪となって俺の頭上から優しく降り注いでくる。
「何だこれ・・・暖かい・・・」
実に奇妙なことに、その雪はとても暖かかった。
まるで彼女の体をそのまま結晶化したかのような肌に触れても融けることの無い不思議な暖かい雪が、依然として生まれたままの姿を晒していた俺の体をそっと温めてくれる。
これが・・・この雪が、不幸な境遇に生まれながらも必死に生き抜いてきた彼女の墓標なのだ。
そして何時の間にか込み上げてきていた涙をそっと拭うと、俺は傍にあった服を身に着けて山を下り始めていた。

やがてそんな遠い遠い回想の世界から現実へと引き戻されると、俺は相変わらず不思議な温もりに包まれた彼女の丘で夜空に浮かぶ満天の星々を眺めていた。
「1度くらいは、あんたとこうして綺麗な夜空を見上げたかったな・・・」
革命で国を追われた後に初めて出来た、唯一の親しい友・・・
恥ずかしがり屋で強がりで気難しい友だったが、短かった彼女との思い出は文字通り俺の心の支えとなって新しい世界での厳しい人生の再出発を力強く後押ししてくれたのだ。
彼女との出会いが無かったなら、果たして今の俺はあったのだろうか・・・
そんな思いにさえ囚われてしまう程、名も知らぬ氷竜の生き様は俺の心の奥底に深く深く刻み付けられている。
「朝になったら、ここを発つとするよ。また逢いに来るのはしばらく先になるだろうけど、許してくれるかい?」
当然その問いに、誰からも返事は無い。
だが俺の体の上に降り積もっていた彼女が寂しげに揺れたのを見て取ると、俺はほんの少しだけ胸を痛めていた。

古の時代から不干渉の掟を護り貫いてきた、極寒の雪山に暮らすとある氷竜の一族。
その中に火竜の父親を持ったが為に仲間達から異端の仔と疎み蔑まれ、しかし1人の人間の命を救った気高い1匹の雌竜がいた。
彼女の空虚な生涯に意義と彩りを与えた人間の男はそれから人生の幕を引くまでの数十年間、毎年欠かさずに自らの命を救ってくれた愛しい氷竜の許へと足を運んだという。
だがやがて男がその波乱万丈な生涯を静かに終えると、粛清の丘に降り頻っていた不思議な粉雪は何時の間にか消えてしまったということだ。
まるで長年待ち焦がれた想い人と再会し、平和な常世で愛の契りを交わしたかのように・・・

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