「おお、こいつはまたでかい獲物だな!それにここらじゃ滅多に採れない薬草までこんなに!」
「全部で幾らだい?」
「これなら金貨10枚は払うよ。それで譲ってもらえるならワシとしては安い買い物だ」
目の前に並べられた大きな2頭の猪と化膿止めや痛み止めに効果のある薬草の束。
それらを目にして、町の通りに露店を開いていた老齢の店主が喝采の声を上げる。
「よし、それで売ろう」
その提案に快く交渉成立の声を上げると、俺は彼から金貨の入った麻袋を受け取った。
空を見上げれば茜色に染まった山々の稜線が、町の周囲をグルリと取り囲んでいる。
もう日が落ちる・・・町の外で待たせている彼女も、そろそろ痺れを切らしてくる頃だろう。

「ありがとうよ、若いの!」
帰りがけに背後からかけられたご機嫌な店主の声に片手を上げて応えると、俺は家への帰路につく人々の群れに混じってそっと山道へと続く町の門を潜った。
薄暗い森の中を1歩1歩進む度に、騒がしい人々の生活の気配が彼方へと遠のいていく。
そしてやがて人目につかない森の中程まで辿り着くと、俺は声を潜めてそっとある名前を呼んでいた。
「エルダ、出てこいよ」
「きゅくぅ!」
その声に呼ばれて木の陰から姿を現したのは、美しい赤鱗を身に纏った小さな雌ドラゴンの子供。
嬉しそうに駆け寄ってくる彼女の姿を見て、俺は束の間の緊張をフッと緩めていた。


もう2年以上も前、俺はこれでも町や村を回りながら人間に仇成すドラゴンを殺すドラゴンスレイヤーだった。
だがドラゴンを殺す職業に就いているはずの俺が、ある時ふとしたきっかけで巨大な雌の火竜と心を通わせ合い、短い間だったが彼女とともに洞窟の中で暮らしたことがある。
俺がエルダと名づけた彼女は、崖から落ちて怪我をした俺にこの上もなく優しく接してくれた。
そんな彼女のあの柔らかな腹の感触や竜族だとはとても思えない穏やかな笑顔は、長い時間がたった今でも忘れることができないでいる。

だが残酷な運命の悪戯か、近隣の村から生贄を取っていた彼女を、俺はやむなくこの手にかけてしまったのだ。
あれ以来、俺はもう剣を握ることもなく竜殺しの仕事からは完全に足を洗っている。
俺と彼女の間にできたこの仔竜に母親と同じ名をつけて無事に育てること・・・それが彼女の遺言だったからだ。
幸い、ドラゴンスレイヤーとして身につけた狩りの技術や採集の知識は、人々の目を避けるようにして暮らすことになった今となっても十分に役に立っている。
そして様々な町や村を転々としながら、俺は今この小さなエルダとともに安住できる土地を探し続けていた。


「エルダ、今日は何が食いたいんだ?」
「きゅぅ!きゅるるぅ!」
いかにも空腹を我慢しているかのようなエルダの様子にそう尋ねてみると、彼女がさっきまで隠れていた木の陰からそそくさと何かを引っ張り出してくる。
それは、さっき俺が町まで売りにいった獲物に勝るとも劣らない程に大きな2頭の猪だった。
その全身には無数の爪や牙の跡、それに火傷の跡までがたっぷりとつけられていて、俺がいない間に彼女が必死になって狩り出した獲物なのだろうことはすぐに見て取れる。
きっと彼女は、父親の俺が戻ってくるまで早く獲物を食べたいのをずっと我慢していたのだろう。
「はは、まだ小さいとはいっても流石はドラゴンの・・・いや、エルダと俺の子だな」
「きゅっ!」
誉められたことが伝わったのか、エルダが誇らしげに小さな胸を張る。
「じゃあ、早く食べようか」
俺がそう言うと、彼女は待ってましたとばかりに仄かに香ばしい香りを漂わせる獲物の肉に食らいついていた。

「どうだ、自分で獲った獲物は美味いか?」
「きゅっ、ふぐ・・・うきゅぐむ・・・」
肉を食いながら返事をしようとしているのか、エルダが咀嚼音に混じって甲高い声を漏らす。
「ほらほら、食べるか喋るかどっちかにしろよ」
「・・・・・・」
ガツッ・・・モグ・・・
そんな俺の言葉に、彼女はどうやら食べる方を選んだらしい。
全く・・・彼女の母親の方はなんていうかこう、もっと気高い気品に満ちていたっていうのにな・・・
夢中で獲物に齧りつく仔竜を眺めながら、俺は自分の食事に手をつけることも忘れてしばし昔を思い出していた。

あの赤鱗を纏った巨大な火竜と初めて遭ったのは、ある岩山の中腹にある大きな洞窟の中だったと思う。
彼女は崖から足を踏み外して川に落ちた俺を拾って、目を覚ますまで顔を舐めて介抱してくれたのだ。
"・・・怪我はないか・・・?"
それは今でも記憶の底にこびりついて離れない、初めて聞いた彼女の声。
初めて目にする巨大なドラゴンを前に怯えていた俺が、彼女のその穏やかな第一声にどれほど救われたことか。
そんな彼女の双眸に輝いていた赤い体とは対照的な美しい蒼い瞳は、目の前で黙々と腹を満たしている小さなエルダにもしっかりと受け継がれている。

そういえばこのドラゴンの母娘と長い間生活をともにして気がついたことなのだが、ドラゴンというものは声や仕草以上に眼に感情を込める生物らしかった。
まだロクに言葉を話すこともできないエルダとこうして互いに意思の疎通ができているのも、深く訴えかけてくるような彼女の視線のお陰だといっても過言ではないだろう。
かつてのエルダが終始俺に向けてくれたあの優しげで暖かな笑顔も、今から考えれば本当に心の底から俺のことを大切に思ってくれていた証だったのかもしれない。

「きゅう・・・?」
「ん・・・」
やがて心配げなエルダの一声で、俺は唐突に現実へと引き戻された。
見れば、すっかり1頭の猪を平らげてしまったエルダがまだ足りなそうな様子で俺とその目の前にあるもう1頭の猪とを交互に見比べている。
きっと俺の分の肉も食いたくて仕方が無いのだろう。

「ああ、食いたいなら俺の分も食っていいぞ」
「ふきゅきゅぅ!」
そう言った途端に、エルダが面白いほどに予想通りの反応を示しながら嬉しげに新たな肉へと食いついた。
可愛い子だ・・・彼女の姿は紛れも無く立派なドラゴンだというのに、自分と血が繋がっているというだけでこんなにも愛しさを覚えるものなのだろうか。
「それを食い終わったら、今日はもう寝るんだぞ。明日はサファス山の麓の村まで、半日以上は歩くんだからな」
今度はコクコクと首を縦に振りながらも相変わらず食事の手は止めようとしないエルダの様子に、俺は苦笑を浮かべながら頭を掻いていた。

その翌朝、俺は幸せそうな顔で眠っているエルダをそっと揺り起すと野宿のために建てていた小さなテントを片づけ始めていた。
地域や周囲の環境によっていくらか程度の差はあるのだろうが、多くの町や村はドラゴンという生物に対してあまりいい印象を持ってはいないものだ。
それはかつてドラゴンスレイヤーとして様々な地域を渡り歩いた俺の持つ、一種の経験則と言ってもいいだろう。
まあ中には仔竜くらいなら受け入れてくれる所もあるのかも知れないが、流石に突然エルダを人目に晒したりすればいずれ大きな騒ぎになるのは目に見えている。
それ故に、ここ最近はいつも人里から離れた山や森の中で彼女と身を寄せ合って夜を過ごしていた。

「これでよし、と・・・」
やがて暗い茶色の幌でできた目立たぬテントを元の小さな荷物に畳み込むと、俺は未だに寝ぼけた頭をブンブンと振って目を醒まそうとしているエルダに目を向けた。
もう2歳になるとはいえ未だに子供らしい仕草が目立つのは、もしかしたら俺の影響なのかも知れないな・・・
「さ、エルダ・・・そろそろ出発するぞ」
「きゅっ!」
だがそんなことを考えながらエルダの頭を一撫でして出発を促すと、彼女はすぐに元気な声を上げていた。

今日の目的地はここから40キロ程西に聳える、霊峰サファスの麓に佇む小さな村。
サファス山は元々は巨大な死火山であり、大昔に大規模な火山爆発があったために山の形が円錐を深く削り取ったかの様な歪な三日月型をしていることで割と世界的に知られている。
その三日月の切れ間に広がっている平地に、目的の村が静かに存在しているのだ。
山脈でもない1つの山に3方を囲まれているという奇妙な立地の村ではあるのだが、その大きさの割に村民は100人近くもいるらしい。
収益も農業ではなく近隣の他町村と山で採れる山菜を取引して得ているということだから、生活水準も決して低くはないことだろう。
尤も村へいく目的は、サファス山の向こうにある別の町へ行くに当たって山越えの準備をするためなのだが・・・

昼を過ぎてしばらく経った頃、前方に薄っすらとかかった霧の向こうに、巨大な山とその麓に佇む小さな村の影が浮かび上がってきた。
もう村まで後数キロといったところだろう。
「ほらエルダ、見えてきたぞ」
「きゅう・・・?」
朝から7時間近く休みなく歩いているせいか、エルダが疲れ切った声でそう呟きながら顔を上げる。
まあ、無理もないだろう。
旅などとうに慣れたはずの俺でさえも、山を越え丘を越えひたすらに歩き続けるのは辛いものなのだ。
ましてやエルダの方はと言えば、狩りの時間もないままに出発してきたお陰で朝から何も食べていない。
できることなら少し休ませて何か食べさせてやりたいところなのだが、平原の続くこの辺りでは彼女の食事になるような獲物の存在はまず見込めなかった。

「大丈夫か?どこかその辺で少し休んだ方が・・・」
「うきゅ・・・きゅっきゅぅっ!」
だが辛そうなエルダの身を心配してそう声を掛けると、彼女が両手と尻尾を大袈裟に振ってそれを拒絶する。
あと少しだから我慢するとでも言いたげに気丈な眼差しで俺を見つめるその蒼い瞳には、彼女の母親からも幾度か感じられた有無を言わせぬ迫力が滲み出していた。
「そうか・・・じゃあ、早いとこ向こうに着いて休もうな」
「ふきゅっ・・・」
やがて返事とも溜息とも取れる小さな声を漏らして再び歩き出した彼女に少しばかり感心すると、俺は間近に迫った村の様子を遠くから窺うかのようにじっと目を凝らしていた。

それからまた1時間程歩いた頃だろうか・・・
俺とエルダはようやく目的の村のすぐそばまで辿り着くと、村の中で何やら慌ただしく歩き回る人々に見つからぬように少し離れた所から様子を窺っていた。
一見すると何だか騒ぎが起こっているようにも見えるのだが、ここからでは詳しいことは何もわからない。
「よしエルダ、俺はあの村に行ってみるから、お前はいつものように山の中で待ってるんだぞ」
「きゅう!」
その元気のいい返事を聞くと、俺はそっとエルダを町から離れた森の方へと放してやった。
あの様子なら、この半日何も食べていなくとも狩りをする元気くらいはあるのだろう。
やがて可愛い彼女の後姿が薄暗い森の中へと吸い込まれるようにして消えていったのを見届けてから、しばしの間離していた視線を再び村の方へと戻す。
夕焼けに染まり始めた空の下、広大なサファス山の懐に抱かれた村はある種の殺伐とした喧騒に満ち満ちていた。

ザワザワ・・・
村の入口にあった簡素な門を潜ると、予想以上に大きな村の全景が目の前に広がった。
農業はしていないと聞いていたものの、自分の村で消費する野菜や穀物程度は自給自足しているのか比較的大きめの田畑がそこかしこに点在している。
家々を結ぶように村内を貫いた幅広の通路は山を背にした村で1番大きな村長の家へと続いていて、その途中に村人達が数人ずつ集まっては焦燥に駆られた様子で何かを頻りに話し合っていた。
そんな騒がしい村の中を一介の旅人を装って歩き回っている内に、何やら不安げな表情を浮かべた村人達の話し声がプツプツと断片的に耳へと届いてくる。

「今度はマーサが森から帰ってこないのか?」
「ああ・・・これでもう若い娘ばかり5人目になるぞ・・・皆、どこかで遭難してるんじゃ・・・」
「馬鹿なことを言うな!彼女に限って、あの歩き慣れた森で迷うなんてことがあるわけないだろ!」
どうやら彼らの間から漏れ聞こえてくる話を繋ぎ合せてみると、サファス山の裾野に広がる森に入った娘達がもう何人帰ってきていないらしい。
まあ、ここでは山での採集が村人達の貴重な収入源になっているということだから、娘達が山へ入ること自体はさして珍しいことではないのに違いない。
だが娘達の失踪の原因が何であれ、俺には全く何の関係もない話だ。
さっさと村長に軽く挨拶の1つでもして、適当な買い物を終えたら村を出るとしよう。

やがて長い長い道を1人の村人に見咎められることもなく村長の家の前まで歩き通すと、ちょうどその大きな家の中から老齢の夫婦が姿を現していた。
あれがきっと、この村の村長とその妻なのだろう。
最近になって急激に痩せたと見えるその華奢な体と頬のこけた顔は、彼が今この村を襲っている不気味な失踪事件に対して真剣に頭を悩ませていることを如実に物語っていた。
「おや・・・そなたは・・・?」
村中で様々な憶測が飛び交う様子を悲しげな目で見回す内にそばに立っていた俺の存在に気がついたらしく、村長がやや驚きの表情を浮かべて誰何の声を上げる。
「ああ、俺はその・・・山越えの準備のためにこの村へ寄ったんだ。旅をしている最中でね・・・」
「そうですか・・・今この村は、山へ入った娘達が何人か帰ってこんお陰でご覧の有様でな・・・」
そう言いながら遠く村人達の方へと視線を移した村長に釣られて、俺もついつい背後を振り向いてしまう。

「ワシらでは旅の方には何もお構いできんですが、どうぞゆっくりしていってくだされ」
「ああ、ありがとう・・・そうするよ」
そして俺とそんな簡単な挨拶を交わすと、年老いた村長夫妻は再び家の中へと入っていってしまった。
村の行く末を心配しているというのに自らの力ではどうすることもできないという切ない虚無感・・・
彼はきっと、これまでにも何度となくそんな苦い思いを味わってきたのに違いない。
竜殺しの仕事に手を染めていた頃の俺だったなら、こういった問題を抱えている村は何とか救ってやろうと知恵を絞っていたことだろう。
何故なら、それこそが正に俺の生活の糧となっていたからだ。
だがエルダを連れて人目を忍ぶ旅をするようになった今、俺は苦悩する村長の姿にほんの少し胸を痛めるだけの傍観者になってしまった自分を酷く恥じていた。

雲1つない空が次第に鮮やかな朱色に染まり始めた頃、俺は数人の気さくな村人達から夜を過ごすための幾許かの食料や水をもらうと、彼らに手を振って村を後にした。
もちろん彼らには昨日の町で得た金貨を必要な分だけ支払ったし、これから森を抜け山を越えるつもりだと告げたことで失踪した娘達について色々と話を聞かされたりしたことは言うまでもない。
まあ、村人達も何故最近になって立て続けに行方不明者が出始めたのかについては皆目わからないということだから、今更通りすがりの俺が気にしても仕方のないことなのだろう。
やがて村の背後でサファス山の稜線に夕日が沈みかけているのを目にすると、俺は森が完全な闇に包まれぬ内にと足早にエルダの消えていった森の中へ入っていった。

地面の上に点々と刻まれたエルダの小さな足跡を追うようにして、薄暗い森の中へと足を踏み入れていく。
森の入口からはまるで過去に何人もの人間が通ってできたかのような不自然な獣道が伸びていて、エルダの足跡も自然とその小道に沿って延々闇の奥へと続いていた。
これは、採集のために村人達が使っている通路なのだろうか・・・?
いや、数年に1度程度の頻度で往来があるというのならわかるが、毎日のように山へ採集に向かう人々が使っている道にしてはここは野生の色が残り過ぎている。
それに、あの村は入口のある方角を除いて3方が全てサファスの森に囲まれているのだ。
少なくとも俺には、わざわざ一旦村を出てから再び森の中に入っていく理由が何1つとして見当たらなかった。
きっと採集のために山へ入る道は別の何処か・・・思うに村の中から直接伸びているのだろう。

やがて森へ入ってから約30分程経った頃、ようやくエルダの足跡がそこら中に見られるようになった。
恐らくは手頃な獲物を見つけることに成功して、空腹を堪えながら必死に追い掛け回した跡なのに違いない。
だとすれば、エルダが待っているのも恐らくこの近くのはずだ。
「エルダ?いるんだろ?」
「・・・きゅう・・・」
何処からともなく耳へと届いてきた、エルダのか細い声。
その声の出所を探るようにして、鬱蒼とした森の中を手探りで進んでいく。
快晴の空にはどうやら明るい満月が出ているらしく、所々木々の葉の薄い所では幻想的な淡い銀光が森の中へと降り注いでいた。

「エルダ・・・?」
ややあって心許無い月明かりの残滓に身を委ねながら何とかエルダの居場所を探り当てると、彼女が尻餅をついたまま力なくその場にへたり込んでいる。
「大丈夫か?」
どこか具合でも悪いのだろうか・・・?
だが可愛い雌竜の無事を確かめるかのようにその背を摩ってやったその時、俺は初めて彼女がブルブルとその身を小刻みに震わせていたことに気がついた。

寒がっている・・・というよりは寧ろ、頻りに何かに怯えているように見える。
しかも小さく身を縮込めているのにもかかわらず、エルダの視線はずっと前方を見上げたまま固まっていた。
そのエルダの視線を追うようにゆっくりと顔を上げ、辺りの様子をグルリと見回してみる。
そこにあったのは森の木々がある一帯をぽっかりと避けるように立ち並んだことで形作られている、自然の広場。
まあそれだけならこの広大な森の中のこと、別に珍しい光景でも何でもないだろう。
だが空から漏れてくる微かな月明かりが周囲の状況をほんのりと照らし出したその瞬間、俺はザワッと背筋が冷たく凍りついていくような感触を味わっていた。

広場の片隅に静かに聳え立つ、一際大きな1本の大木。
そのささくれた幹のあちらこちらに、無数の麻縄の跡が刻みつけられている。
更に恐ろしいことにその大木の根元に近い地面の上には、朽ち果てた麻縄の残骸に混じってほんの数ヶ月前のものと思われる真新しい縄の切れ端までもが散乱していた。
他にも広場を取り囲んでいる木々には深く巨大な爪跡が幾条も刻まれていて、この広場そのものが極めて異質で不穏な空気を辺りに漂わせている。
「こ、ここは・・・」
早鐘のように打ち始めた鼓動を沈めるべくゴクリと息を呑みながら数歩後ろに後退さると、俺は思わず背後で震えていたエルダと不安げな視線を絡ませ合ってしまっていた。

無条件に見る者の恐怖心を煽るこれに似た光景を、俺は前にも1度見たことがある。
エルダと初めて出会う直前に、ある小さな町を脅かしていた雄ドラゴンの退治を依頼された時のことだ。
町のそばに広がる深い森で見つけたドラゴンの住み処・・・
その中型の洞窟の周辺に並んでいたたくさんの木々の幹にも、こんな痛々しい爪痕がいくつも刻みつけられていたのを覚えている。
あの時は猛り狂ったドラゴンが見境なしに爪を振るった跡だろうくらいにしか考えていなかったものだが、今ならこれが一体何を意味しているのかは容易に窺い知ることができた。
かつて見た物などとは比べ物にならぬ程に大きなその無数の爪痕は、ドラゴンの住み処や安息の場所に余計な生物達を近づけぬようにするための無言の威嚇。
つまりこれは雄のドラゴンによる縄張りを示すためのマーキングであり、それと同時にこの広場で定期的にドラゴンに対して生贄が捧げられてきたことを物語っていた。

「に、逃げよう・・・エルダ・・・」
ガタガタと震えるエルダを何とか落ち着かせようと体を抱き起こして静かにそう囁いてはみたものの、不覚にも不安と恐怖に震えた声が余計に彼女の恐れを煽ってしまう。
「きゅ・・・ふきゅ・・・」
ブルブルと震えたまま1歩もその場を動こうとしないエルダの様子から、俺はいかに彼女がまだ見ぬ巨大な同胞に恐れの感情を抱いているのかがよくわかった。
だが今は、一刻も早くこの森を抜け出すことが先決だ。
爪痕の巨大さを考えれば、恐らくこの森に棲むドラゴンはこれまでに見たことがない程の巨竜に違いない。
もしこの闇の中で何の武器もなしにそんなドラゴンに出遭ってしまったとしたら、到底勝ち目などないことは火を見るよりも明らかだった。

すぐにこんな森など抜け出したいのはやまやまなのだが、ここは森の入口から30分も歩いた先にある闇のど真ん中。
1度パニックに陥ってしまったせいか、どうやってここまで辿り着いたのかがまるで思い出せない。
だが相変わらず自分からは動こうとしないエルダを半ば引き摺るようにして広場から遠ざかると、俺は少しでも樹木の生え方が疎らな方角を選んで歩き始めていた。
森から抜け出せるかどうかは別としても、とにかくあの広場からは早く離れた方がいい。
マーキングがあったということは、少なくともこの近くに巨大で凶暴なドラゴンの住み処があるはずなのだ。
生い茂った葉の間から漏れてくる薄い月明かりが暗い森の中をゆらゆらと不規則に照らし出し、視界の端で何かが動いているかのような錯覚が更に俺とエルダの不安を募らせていく。
やがて手探りのまま1本の獣道らしき細い通りを見つけると、俺はエルダを引っ張ったまま心なしか足を速めていた。

「きゃ・・・・・・あ・・・」
「・・・どうかしたのか、エルダ・・・?」
「ふきゅ・・・?」
しんと静まり返った森の中で唐突に聞こえた、今にも消え入りそうな程の小さな小さな声。
俺は一瞬エルダが漏らした声なのかと思って背後を振り向いたものの、彼女の方も声の出所を探るかのように辺りをキョロキョロと見回している。
この夜の森に・・・俺達以外の誰かがいる・・・?

「・・・や・・・・・・て・・・」
本当に微かにではあるものの、森の中を通り抜ける涼しげな風に乗って確かに誰かの声が聞こえてくる。
だがその声に導かれるようにして進んでいく内に、やがてその断続的な声が意味のあるものへと変化していった。
「もう・・・やめて・・・・・・お願い・・・」
「クククク・・・まだ随分と元気があるではないか・・・もう少し楽しませてもらうぞ・・・」
果たして暗い闇の奥で絡み合っていたのは、涙ながらに助けを訴える若い娘の声と、高圧的で野太い雄の声・・・
やがて茂みの陰からそっと声のする方の様子を窺った俺の目に最初に飛び込んできたのは、全身に黒鱗を纏った巨大なドラゴンに捕らわれて強引に犯されている、1人の小柄な娘の姿だった。
そしてその俄かには受け入れ難い光景を目にした瞬間、俺は麓の村で次々と娘達が消えている原因を悟っていた。

ギュッ・・・ミシ・・・ミシッ・・・
「ああっ・・・は・・・」
やがてしなやかに蠢くドラゴンの長い尾が、既に逆らう気力も失われた娘の体をゆっくりと締め付け始める。
漆黒のとぐろの中で喘ぐ全裸の彼女の秘部には到底収まり切らぬようなドラゴンの巨根が強引に捩じ込まれ、一切の身動きを封じ込められた獲物をグイグイと無慈悲に蹂躙し続けていた。
「そら、もっと鳴かぬか・・・ククククク・・・」
「うあぁっ・・・い、いやぁ・・・」
まるで血のように真っ赤に輝く2つの竜眼が、そんな悲痛な声を上げる娘の歪んだ顔を満足げに眺め回す。
規格外の肉棒に貫かれたまま徐々に体を締め上げられるという苛烈な責め苦を受けて、娘の体力がみるみる奪い取られていく様子が少し離れた茂みの陰から様子を窺っていた俺にも見て取れた。
もし彼女が村で話題になっている"行方不明になった娘達"の1人だとするならば、少なくとももうかれこれ数時間はあの悪竜の玩具として弄ばれ続けていることになる。
そして体力を消耗し切ったあの娘がもう使い物にならなくなった時、彼女を待ち受けているであろう運命はたったの1つしかない。
だが仮にいざその瞬間を目の当たりにしたとしても、今の俺にそれを食い止める方法などあるはずもなかった。

ブシュッ
「ひあっ・・・」
唐突に辺りに響き渡った鈍い水音とともに押し殺したような娘の悲鳴が上がり、今にも張り裂けんばかりの緊張を保っている結合部から熱く煮え立つドラゴンの精が勢いよく噴き出す。
もう何度目の射精になるのか尻尾のとぐろに持ち上げられた娘の足元には既に白濁の水溜りができていて、その上にまた新たな粘り気のある雫が垂れ落ちていった。
「も、もう・・・やめ・・・あうぁ・・・」
そして一方的な快楽の余韻を味わい尽くすと、ドラゴンがまるで小さな子宮を一杯に満たしたであろう自らの精を絞り出すかのように命乞いをする娘の体を再びきつく締め上げる。
「くそ・・・なんて惨いことを・・・」
いつまで経っても終わりの見えぬ地獄の苦しみに声を上げることもできなくなってしまったのか、憐れな娘は醜く顔を歪めたまま揺れる尻尾のとぐろの中でぐったりと項垂れていた。

「フン・・・もう呻き声すら上げられぬのか・・・つまらん獲物だな」
力尽きた娘を眺めながらそう呟いたドラゴンの眼から、嗜虐的な喜悦の色がスウッと消え去っていく。
それは最早狩るべき獲物に対する殺意や敵意ですらない、後は食い尽してやるだけの骸を見つめる冷たい視線。
グギュッ
「ぁ・・・っ・・・・・・」
やがて娘がかろうじて呼吸が止まらぬ程度に加減されたと見えるとどめの一撃にも蚊の鳴くような声しか上げられなくなったのを確認すると、ドラゴンが弛緩した獲物の体を天高く持ち上げる。
そしてその真下でガバァッという音とともに巨大な顎を広げると、ズルリととぐろの中から滑り落ちた娘の体が一瞬にしてドラゴンの口内へすっぽりと収まってしまっていた。

ヌチャッ・・・クチュ・・・
「ひっ・・・た、助け・・・やあぁ・・・」
口中に捕らえた獲物を逃すまいと娘の体には長い舌が幾重にも素早く巻き付けられ、反射的に脱出を試みようとした彼女の儚い抵抗はあっさりと捩じ伏せられた。
食い殺される恐怖に戦慄く獲物の悲鳴を一声も聞き逃すまいとしているのか、半開きのドラゴンの口の中で今度は舌のとぐろに巻かれた娘の体がゴロゴロと左右に舐め転がされる。
熱い唾液が露出した柔肌にたっぷりと塗りつけられる度に、耳を覆いたくなるような引き攣った叫びが暗い森の中へと響き渡った。
「ああ・・・いや・・・だ、誰かぁ・・・」
やがてずらりと生え揃った恐ろしい牙の間から、唾液に塗れた細腕がほんの少しだけ口の外へと突き出される。
だが決して差し伸べられることのない助けの手を求めて虚空を掻くその生白い娘の腕にもシュルリと這い出したドラゴンの舌先が絡みつけられたかと思うと、最後の微かな希望が再び暗い口内へと引きずり込まれていった。

「あ・・・ああ・・・」
身も心も執拗に嬲り弄ばれて力尽きた娘のか細い断末魔が、なおも薄ら笑いを浮かべるかのように微かに開けられたドラゴンの口内から漏れ聞こえてくる。
まだ息のある獲物の震えと絶望を喉の奥で感じているのか、天を仰いで娘を飲み下す憎むべき悪竜の顔には至福の笑みが宿っていた。
やがて大きな膨らみがゆっくりとドラゴンの喉を流れ落ち、幾人もの命を呑み込んできた腹の中へと消えていく。
「ああ・・・なんてことを・・・」
自分のすぐ目の前でうら若い娘がドラゴンに陵辱され食い殺されたというのに、力がないばかりに何もしてやれなかったやり切れぬ悔しさ・・・
かつて胸に抱いていた俺の竜殺しとしての気高い矜持は、エルダとの邂逅ですっかりと溶かされてしまっていた。

「ふ・・・きゅぅ・・・」
ふと隣りに目をやれば、初めて目にする巨大な同胞が犯した恐ろしい所業にエルダが目を伏せている。
産まれた時から人間の俺とともに暮らしていた彼女にしてみれば、たった今しがた眼前で繰り広げられた光景はさぞ衝撃的なものだったのに違いない。
パキッ・・・
「・・・!」
その時、信じられないものを見てしまったとばかりにヨロヨロと後退さったエルダが、背後に落ちていた細い木の枝を後足で踏み折った。
静寂に包まれていた森の中にその弾けるような音が無情なほどに大きく響き渡り、その場を立ち去ろうとしていた黒竜の足が止まる。

「・・・何の音だ・・・?」
まずい・・・今あいつに見つかったら、確実に殺されてしまうだろう。
エルダも自分のしてしまった失策に気がついたのか、今にも泣き崩れそうな顔で俺の方を見つめていた。
彼女はきっと、自分よりも俺の身を心配してくれているのに違いない。
ドス・・・ドス・・・
だがドラゴンの優れた聴覚は暗い森の中でも正確に音の出所を捉えていたらしく、恐ろしい死神は微塵も迷う様子すら見せずに真っ直ぐ俺とエルダの潜んでいる茂みの方へと近づいてくる。
もう、覚悟を決めるしかないだろう。
仮に今更逃げ出したところで、この深い森は奴の庭のようなものなのだ。
今日初めてこの森に足を踏み入れたような俺が、あのドラゴンから無事に逃げ切れる道理などあるはずもない。

くそ・・・もうだめか・・・
だがそんな諦観が頭の中を支配し始めた正にその時、さっきまでひたすらに怯え震えていたエルダがキッと顔を上げたかと思うと、あろうことかバサッという音とともに茂みの中から勢いよく飛び出していた。
「きゅうう〜〜!」
ボォウ!
そして甲高い威嚇の声を上げながら、エルダが自らの何倍も大きな敵に向かって小さな炎を吐き出す。
「な、なんだお前は・・・ウヌ・・・」
だが黒竜はエルダの突然の出現と炎の熱に一瞬たじろいだものの、すぐにその巨大な腕で仔竜の吹き上げる火炎を振り払っていた。

「ふきゅっ!きゅきゅぅ〜!」
更に敵を攪乱するかのように小さな体を生かして黒竜の周りを跳ね回りながら、エルダが黒竜を必死に挑発する。
あ、あいつ・・・一体何を・・・
「おのれ・・・突然飛びだしてきて何をするかと思えば・・・鬱陶しいぞ小娘が!」
バシッガスッ!
「ふきゅっ!」
次の瞬間、ブンという音とともに大きく振り回されたドラゴンの太い尾が跳ねたエルダを見事に捉えていた。
そして撥ね飛ばされた先で大木の幹に強か背中を打ちつけ、エルダが苦しげな呻き声を上げる。
「う・・・ふ・・・ふきゅ・・・」
エ、エルダ・・・
やがてそのままぐったりと気を失ってしまったエルダを、黒竜がつまらぬ奴だとばかりに傲然と見下ろしていた。

エルダはきっと、あのドラゴンの注意を俺から逸らすために敢えて自分から飛び出していったのだろう。
いかにあの黒竜が凶暴極まりないとはいえ、同胞ならば少なくとも殺されることはないと踏んだのに違いない。
だがそれは、何1つ確証のない危険な賭け。
俺は苦しげな表情を浮かべたまま木の根元に力なく転がっているエルダの姿に、彼女の母親の最期を重ねていた。
大切な者の身を守ろうと自らを犠牲にするエルダに、俺はまたしても救われたのだ。
そんなエルダの体に、黒竜がゆっくりと長い尾を巻きつけていく。
エ、エルダ・・・!
今にも彼女の名を叫びながら茂みから飛び出していきそうになる衝動を、俺は必死に押し殺していた。
もし今あいつに見つかったら、エルダの命懸けの行動が全くの無駄になってしまう。
大丈夫だ・・・尻尾で絡め取ったということは、奴はきっとどこかへ・・・
恐らくは自分の住み処へとエルダを連れ帰るつもりなのだ。
後を尾けなくてはならないだろう・・・絶対に気づかれぬように・・・エルダを助け出すために・・・

やがて小柄なエルダの体を余す所なく尻尾でグルグルに包み込むと、ドラゴンがクルリと踵を返す。
やはり、このまま住み処へ帰るつもりに違いない。
俺は枯葉や枯れ枝の散らかる地面をできるだけ音を立てないように慎重に歩きながら、今にも闇の中に溶け込んで見えなくなってしまいそうなドラゴンの後姿を視界の中に捉え続けていた。
そして極度の緊張に胸が痛くなるようなドラゴンの追跡を開始してから約20分後、ようやくあのドラゴンが棲んでいると見える山肌に掘られた大きな洞窟が見えてくる。
その入口の周囲に立ち並んでいる木々の幹にはあの生贄の広場と同じく無数の禍々しい爪痕が残されていて、俺には淡い月明かりに照らされたその洞窟の光景がまるで地獄への入口にように感じられた。
そんな近づくことさえも躊躇われるような深い闇の中に、エルダを捕らえたドラゴンが静かに消えていく。
「待ってろよ、エルダ・・・少し時間はかかるかも知れないが、絶対にお前を助け出してやるからな・・・」
エルダにというよりは寧ろ自分に言い聞かせるかのようにそう呟いて強く拳を握り締めると、俺は無力な自分に腹を立てながらも来た道を引き返し始めていた。

「きゅ・・・ふ・・・う・・・」
おぼろげながらもようやく意識を取り戻した私は、光らしい光が何1つ見当たらない完全な闇の中にいた。
地面に触れているらしい私の頬にあるのは湿った土のそれとは違う、硬くて冷たい岩の感触。
何とか体に力を入れようとしてみても、ただただ背中に鈍い痛みが広がるばかりで何故か一向に動く気配がない。
まるで、私の意思など最初から存在すらしていないかのようだった。
やがて自分が生きているのかそうでないのかも判然としないまま、ぼんやりとした脳裏にいくつかの疑問が浮かんでは消えていく。
ここは一体何処なのだろう?
あの人は、無事にドラゴンから逃げ出すことができたのだろうか・・・?
「グルルゥ〜〜・・・」
な、何・・・?今の声は・・・?
突如として闇の中に響き渡った不気味な唸り声に、私は思わずビクッと身を縮めていた。
「グルゥ〜〜・・・グルッ・・・ルルゥ・・・」
なおも断続的に聞こえてくる野太い空気の震え・・・これはもしかして・・・あの黒いドラゴンの寝息・・・?
じゃあ私は、気を失っている間にあの恐ろしい巨竜の住み処へと連れ込まれてしまったのだろうか?

逃げなくては・・・そんな焦燥にも似た思いが、覚醒した私の頭の中を一瞬にして埋め尽くす。
だがどうやっても動かない体に妙な違和感を覚え、私は恐る恐る自由の利く顎の先で体の周囲を探ってみた。
ズ・・・ズズ・・・
やがて下顎の先端が硬く滑らかな何かに触れ、皮膚と鱗の擦れる何とも言えない摩擦音が静寂の中にこだまする。
ああ・・・そんな・・・
それは私の全身に隙間なくみっちりと巻き付けられた、あのおぞましい黒竜の尾の感触だった。
道理で全く体が動かせないはずだ。
このまま朝を迎えて彼が目を覚ましたら・・・私は一体・・・?
つい先程目の前で凌辱されていた人間の娘の姿が脳裏を過ぎり、私は次々と湧き上がる恐怖と不安に押し潰されそうになるのを必死に牙を食い縛って耐え忍んでいた。

ギ・・・ギュゥ・・・
「きゅ・・・・・・」
目覚めているのか、それともしばらくは止みそうにない私の小刻みな震えに反応しているのか、時折体に巻き付いた黒竜の尾が微かに締め付けてくる。
だが恐ろしさと息苦しさで小さな声を上げる度に黒竜の目覚めを早めてしまうような気がしてしまい、私は何も出来ぬままに複雑な心境で朝の訪れを待つことになった。
折しも洞窟の中には白み始めた外の光がそろそろと足を踏み入れ始め、隣りで悠然と寝息を立てている主の輪郭を視界の端に浮かび上がらせ始めている。
山のように大きな黒鱗の怪物・・・それが、初めてこのドラゴンを目にしたときに私が感じた第一印象だ。
自らの存在以外は皆悉く敵か餌だとでもいうような不遜な立ち居振る舞いには、最早嫌悪などというような生易しい感情を通り越してただひたすらに恐怖を覚えるしかない。
あの時の私は・・・きっとあの人の命を守りたくて必死だったのだろう。
もしもう少し明るい場所でもう少し冷静にこの黒竜の姿を目にしていたとしたら、果たしてあんな行動に出られたかどうかは甚だ疑わしいものだった。

ズッ・・・
とその時、私の耳に重々しい何かが蠢く不穏な音が聞こえてくる。
それと同時に、まるで私の存在を確かめるかのように漆黒のとぐろが左右に軽く揺すられた。
そして巨大な顎を地面から持ち上げた黒竜が、ゆっくりとあたしの顔を覗き込むように首を巡らせる。
「ふ・・・う・・・・」
身動き1つ取ることができぬまま深紅に血塗られた巨大な竜眼に睨みつけられる恐怖・・・
もし私がここから無事に逃げ延びてこの先の長い生涯を歩むことになるとしても、今この瞬間に味わった身の竦む思いは一生忘れられないだろう。

やがて一頻り獲物の怯える様を愉しんだのか、黒竜が太い指先に生えた鋭利な鉤爪の先端で私の顎を掬い上げた。
ツツ・・・
「は・・・ふ・・・きゅ・・・」
背中とは違って柔らかな白い皮膜に覆われている喉元が鋭く研ぎ澄まされた切っ先に晒されて、チクチクと断続的な痛みを送り込んでくる。
た、助けて・・・助けてぇ・・・
今にも泣き崩れてしまいそうになるのを必死に堪えながら心の中で誰にともなくそう叫んでみたものの、こんな邪悪な巨竜の巣食う薄暗い洞窟には助けなど来るはずもない。

「ククク・・・恐ろしいか・・・?」
「ひきゅぅ・・・」
いつしかそんな黒竜の望み通りの悲鳴を上げさせられていたことに気がついて、私は悔しさを滲ませた目で愉悦に浸った雄竜の顔を見上げていた。
「何故貴様のような小娘が我に挑みかかってきたのかは知らぬが、愚かなことをしたものだな・・・クク・・・」
私は・・・やはりあの人間の娘のように無残な嬲り殺しの憂き目に遭わされるのだろうか・・・
怯えきった同胞の子を見つめる彼の眼には温情や憐憫などとは無縁の嗜虐的な笑みが浮かび、新たな玩具を手に入れた子供のような期待感がその巨顔を綻ばせている。
やがて彼はおもむろに地面の上へ仰向けになると、尻尾で巻き取った私の顔を大きく広げた両足の間にじりじりと近づけていった。

フワ・・・
「う・・・うふ・・・」
突如として鼻を突く、咽返るような濃い雄の臭い。
恐る恐る顔を上げた私の眼前には醜悪な姿を露わにした歪で巨大な肉棒が突き出され、その向こうから黒竜がニヤニヤと不気味に笑いながらこちらを眺め下している。
「そら・・・いくら幼い貴様とて、何をすればよいのかくらいはわかるだろう・・・?」
そんな・・・まさか・・・い、嫌よ・・・こんなの・・・こんなの・・・
だが慈悲を求める私の弱弱しい視線を軽く受け流しながら、黒竜が更に先を続ける。
「ほう・・・何だ、嫌だというのか・・・?クククク・・・仕方ない・・・」
ギリ・・・メキ・・・メキキ・・・
「う、うきゅ・・・きゅ・・・きゅうぅ〜〜!」
突然何の予告も無く全身が締め上げられた苦しみに、私は悲鳴を堪えるのも忘れて大声で泣き叫んでいた。

「どうだ・・・少しは従順になったか?」
やがて全身を締め潰されるかのような容赦のない締め付けに意識が朦朧となりかけた頃、ようやく黒竜の尾がほんの少しだけ緩められた。
「か・・・かふ・・・ぅ・・・」
そんな荒い息をつきながら憔悴した表情を浮かべていた私の顎を片手で持ち上げるようにして、黒竜がこの上もない優越感に浸った邪悪な笑みの前へと無理矢理に怯えた視線を向けさせる。
同胞の命を奪うことにすら微塵の逡巡も見せぬ黒竜の前に、私は涙ながらに小さく頷くことしかできなかった。
「フン・・・最初からおとなしく我に従っておれば、何も痛い目に遭わずに済んだのだぞ」
そう言いながら、黒竜が私の全身を絡め取っていた尻尾を半分だけ解いて両腕をとぐろの外へと解放する。
そしてすっかり抵抗する気力を殺ぎ落とされた私の前へ、再び巨大な怒張が突き付けられていた。

「さあ、我を満足させるのだ・・・もし爪や牙を立てたりしたら、どうなるかわかっておるだろうな・・・?」
私はその言葉に震える両手で雄竜のモノをそっと掴むと、ゴクリと大きく息を呑んだ。
決して爪を立てないように柔らかな皮膜に覆われた指の腹でゆっくりと極太の肉棒を扱き上げながら、その先端を静かに口に含んでいく。
「ふ・・・ふぐ・・・」
やがて屈辱的な奉仕をさせられているというのに逆らうこともできない悔しさと情けなさに、きつく瞑った目からポロポロと大粒の涙が溢れてきた。
ともすれば抑え切れなくなった激情にまかせて思い切りこの肉棒を噛み千切ってしまいたくなるが、そんなことをすればまず間違いなく恐ろしい目に遭わされた挙句に殺されてしまうだろう。
何とか命を繋ぐためにも、今はひたすらに耐えるしか他に道はないらしい。
レロ・・・ヌチュ・・・シュル・・・
やがて心の中では強硬に反発しながらも、私は黒竜の肉棒に舌を巻き付けながらその先端を吸い上げた。
口に含み切れていない肉棒の根元は両手で包み込むようにして上下に摩りながら、無表情にこちらをを見つめている黒竜を悦ばせるべく不自由な体を必死に動かし続ける。
チュパ・・・ズ・・・ズリュ・・・
そんな頭の中で弾けるかのような淫らな水音だけが、胸の内で激しく燃え立つ憎しみの炎が延焼するのを辛うじて食い止めていた。

目の前に突き出された肉棒に泣きながらむしゃぶりついている幼い雌仔竜の痴態を眺めながら、我は次第に高まってくる快楽の波に身を委ねていた。
時折疲れからか雄の根元を摩る手の動きが鈍ることがあるものの、ほんの少し尾で締め付けてやるだけで仔竜が慌てて奉仕を再開する様は見ていて実に気分がいい。
恐らくは我に対して筆舌に尽くし難い程の憎しみを燃やしているのだろうが、我に命を握られている以上この小娘にそれを行動に移す度胸はないのだろう。
クチュッ・・・チュブッ・・・
か弱い雌を支配しているという優越感とともに、切ない快感が絶え間なく肉棒へと送り込まれてくる。
やがて心地よい全身の疼きが雄槍へと集中していく感覚に、我は巨大な手で小さな仔竜の頭を鷲掴みにすると自らの肉棒をその喉の奥まで強引に咥え込ませていた。
「クク・・・初めてにしてはなかなかに上手いではないか・・・その礼に、我の精もたっぷりと味わせてやろう」
「ん、んぐ・・・んぐぅ〜!」
そして苦しげに呻く仔竜にも委細構わず、肉棒を咥え込ませたその小さな口の中へと遠慮なく熱い精を放出する。

ドブ・・・ドクッドクッ・・・
「うきゅぶ・・・ふぐ、むぅ〜!」
その瞬間、喉が焼けつくかのような凄まじい熱さが一瞬にして私の口内を満たしていた。
頭を押さえ込まれているせいで引き抜くこともできない肉棒の先から黒竜の精が勢いよく噴き上げ、飲み込み切れなかった白濁が私の顔や腕を熱く焼きながら汚していく。
「うぶ・・・ふきゅ・・・ぅ・・・」
「ククククク・・・クハハハハハ・・・」
そんな無慈悲な暴虐の前に成す術もなく悶える私の姿に、黒竜が勝ち誇った笑い声を洞窟中に轟かせていた。

「はぁ・・・はぁ・・・」
夜明け前の澄んだ冷たい空気が、森の中を静かに満たしていた。
ここは一体何処なのだろうか・・・?
微かに青みがかってきた空を背景に黒々とした木々のシルエットが浮かび上がり、夜の闇に包まれた姿とは打って変わって不気味な静寂と寂寥感が周囲を押し包んでいる。
あのドラゴンの洞窟を離れてから、俺はもうかれこれ3時間以上もの間孤独な森の中を彷徨っていた。
エルダを助けなければ・・・そんな思いが頭の中を埋め尽くし、かつて養ったはずの鋭い方向感覚はすっかりと鈍り切ってしまっているらしい。
だがやがてサファス山の稜線が日の出の予感に明るく輝き始める頃、俺はようやく麓の村へと通じる1本の道を見つけ出していた。
踏み拉かれた草や折れた木の枝などを見ても、採集のために森へ入る村人達が頻繁に往来していることが窺える。
その小道から見える村の中では、朝の早い数人の男達が早くも田畑の手入れを始めているようだった。

「おおーい・・・」
「おい見ろ・・・あれ・・・昨日この村に寄った旅の人じゃないか?」
「あ、ああ、そうだ、間違いない。それにどうやら、俺達のことを呼んでいるようだぞ」
やがて大きく手を振りながら森から出て行くと、すぐに数人の村人達が俺のそばに駆け寄ってきた。
「おお、あんたか・・・一体どうしたんだ?そんなに疲れ切って・・・」
「そ、村長に会わせてくれ・・・朝早くから申し訳ないが、大事な話があるんだ」
「それは、村の娘達が森から帰ってこないこととも関係があるのか?」
やはり、彼らにとって1番気になるのは消えた娘達の安否なのだろう。
だが俺はその返事に大きく1度頷いただけで、敢えて彼らに真相を打ち明けることはしなかった。
この村には何の関係もない俺の口から語って聞かせるには、余りに衝撃が大き過ぎることだからだ。
「村長があんたに会うそうだ。すぐに行くといい」
やがて俺の話を聞いた村人の1人が先に村長の所へ事情を説明しに行ってくれていたらしく、御目通りの許しが出たという連絡が俺の元へと届けられた。
俺の話はもしかしたらあの村長を更に苦しめることになるのかも知れないが、そうかといって話さない訳にもいかないだろう。
何しろ俺は、若い娘が目の前で命を落とすのを何もできずに傍観していたのだから。

その約10分後、俺は数人の村人達と一緒に村長の家へと集まっていた。
そして一段落したところで、村長が静かにお茶を濁す。
「それで・・・このワシに一体どういった御用ですかな?」
「まず最初に、1つだけ確認したいことがある。この村から、ドラゴンに生贄を出したことがあるかどうかだ」
だが俺がそう言った瞬間、辺りの空気がシンと静まり返っていた。
「ど、どうしてそれを・・・?」
俄かに震え出した声で村長にそう尋ねられ、まずは昨夜見たことを順を追って話していくことにする。
「昨晩、俺は森の中である広場を見つけた。麻縄で生贄を木に縛り付けた跡もね・・・知ってるだろう?」
「ええ、確かに・・・この村は、100年以上も前から山に棲む黒い竜へ5年置きに娘を生贄として出しております」
「最後に生贄を出したのは何時・・・?」
その問いに、村長が何かを思い出すかのようにほんの少しだけ頭を捻った。

「最後はそう・・・5ヶ月程前のことです。すぐそこに住んでいた18歳の美しい娘が犠牲になりましてな・・・」
「その時に、他に変わったことは?」
「そう言えば・・・その娘と一緒に住んでいたレオルという名の9歳になる弟も、同じ日に姿を消しました」
姉が生贄に出された日に、その弟までもが姿を消した・・・
9歳という年齢を考えれば、多分姉が生贄に出されることはきちんと伝えられていなかったことだろう。
恐らくその真相は闇の中なのに違いないだろうが、俺には何となくその日村で起こった出来事が1つの流れとなって頭の中に鮮明に浮かび上がってくるのを感じていた。

森の中で見たあのドラゴンの性格は、少なくとも俺の目には極めて残忍なものに映っていた。
秘所が張り裂けんばかりの巨大な肉棒に貫かれながら泣き叫ぶ娘を尾で締め上げて更に責め嬲り、あまつさえその逃れ得ぬ口内で生きたまま弄ぶなど、様々なドラゴン達を目にしてきた俺でさえ見たことがない。
そしてこれはあくまで仮定の話だが、もし生贄に出されて木に縛り付けられた娘とそれを追って森に入った弟が同時にあのドラゴンに見つかったとしたら、恐らく真っ先に命を狙われるのは幼い弟の方だろう。
身動きの取れぬ姉に見せつけるように嬲り尽された挙げ句、成す術もなく暗い腹の底へと呑まれていく少年・・・
そんな例えようもない地獄絵図を目の当たりにして泣き叫ぶ娘の姿が目に浮かび、俺は推測の域を出ないその想像に黒竜への怒りを燃やさずにはいられなかった。
それと同時に、黒竜に囚われの身となっているエルダの身が案じられる。

「それで・・・この村から竜に生贄を出していたことが娘達の失踪にどう関わっているんだ?」
しばしの空想に耽っていた俺の様子に痺れを切らしたのか、同席していた村人の1人が話の先を促した。
「結論から言えば、消えた娘達は多分全員生きてはいないと思う。皆、その黒い竜に食い殺されたんだろう」
「なんですと!?」
当然というべきか、或いは意外にもというべきか、俺の言葉に最も激しく反応したのは他でもない村長だった。
「そんなはずは・・・あの黒竜には、いつも言われるままに若い命を差し出してきたのですぞ!」
「何が引き金になったかはわからないが、5年に1度の生贄だけじゃあ満足できなくなったということだろうな」

信じ難いドラゴンの裏切りに、その場にいた全員が押し黙ってしまう。
だが、俺から見ればそれは別に不思議でも何でもないことだった。
ドラゴンが人間の町や村に対して生贄を要求するのは、労せずして上等な獲物を手に入れることができるからだ。
極論を言えば、仮にドラゴンの側には人間の町や村を脅かすつもりなど毛頭なかったとしても、のそりとその巨体と威圧感を盾に姿を見せて獲物を要求するだけで若い娘が手に入ってしまう場合すらある。
だとすれば、老獪で狡猾なドラゴンがそれを利用しない手はないだろう。
つまりこの村も含めてドラゴンの住み処に近い人間の居住区が彼らに襲われずに済んでいるのは、決して望むがままに生贄を差し出しているからなどではなく・・・単にドラゴンの気紛れに過ぎないのだ。

「ワシらは、一体どうすればよいのだ?見ての通り、この村にはあの竜に太刀打ちできる者などおらぬのだぞ」
ドラゴンが森に入った娘達を無差別に喰らっている・・・
もしそれが事実だとすれば、いずれはこの村を滅ぼしにやってくる可能性も絶対に無いとは言い切れない。
村長もそれに気がついたのか、不安げな表情で俺の顔を覗き込んでくる。
「それでも、村を守るためにはいずれあのドラゴンを倒すしかない。これ以上被害が大きくならない内に・・・」
「何か方法でもあるのか?」
「いや、そんなものはない・・・でも、俺は数年前まで竜殺しの仕事をしていたんだ」
俺がそう言うと、竜殺しなどという言葉は初めて聞いたのかその場にいた村人全員が俄かに色めき立つ。

「竜殺しだって!?あんた・・・あいつを・・・あの黒竜を殺せるっていうのか!?」
「それはわからない。俺だって、あんなにでかくて残忍なドラゴンを見たのは今回が初めてだからね」
だがそうかと言って、彼らの期待を無碍に裏切るわけにもいかないだろう。
俺とともに村長の家に集まった数人の村人は、失踪したり生贄に出されたりして大切な娘を失った家族達だった。
つまり森に棲む黒竜は、いわばここにいる村人達にとって共通の仇敵。
それに連れて行かれたエルダのこともあって、黒竜打倒は俺にとって最早避けては通れない運命となっていた。

やがて俺の言葉に周りの誰もが何も口を挟まなかったのを確認すると、彼らを勇気付けるようにほんの少しだけ語調を強めて先を続ける。
「でもあんたたちが皆で協力してくれるというなら、俺もやれるだけのことはやってみようと思う」
「ああ、もちろんだ。ワシらにできることがあるのなら、何でも協力しよう」
「おおっ!」
元々結束力の強い彼らのこと、年老いた村長のその力強い一言に、村人全員がドラゴンの退治に向けてあっという間に意識を統一させていた。

その日の昼頃、数人の男達が村からやや南に下った所にある小さな町へ向けて出発していた。
彼らの一番の目的は、まずできるだけ多くの武器を手に入れることだ。
この村には武器になりそうなものは精々が農耕のための鋤や鍬、或いは木を伐採するための斧や鉈といった程度のものしかなく、あの黒竜を相手にするには余りにも心許無いと言わざるを得ない。
かつてあの黒竜が生贄の要求を始めて間もなかった頃はもっと強力な剣や槍のようなものもあったらしいが、血気に逸った男達がドラゴンの退治に乗り出して返り討ちに遭ってからは、それらも捨ててしまったのだそうだ。
確かに力の無い者達にとっては無抵抗が唯一の生き抜く術であることが少なくないものの、流石にあの無慈悲で残忍極まる巨竜を相手にそれは危険過ぎるというものだろう。
現に黒竜が生贄だけでは飽き足らずに森に入った娘達を次々と餌食にし始めた今となっても、武器の無い村人達はその許し難い裏切りに抗議の声を上げることすらままならないのが現実なのだ。

「彼らはどのくらいで村に戻ってこれる?」
「南の町までは2時間足らずで辿り着ける。武器の調達の時間を考えても、夕方頃には戻ってくるはずだ」
長い間村を苦しめていたドラゴンを退治する話が持ち上がったとなって、何時しか村中の男達が村長の家に集まって作戦を話し合っていた。
彼らもようやく、もうこれ以上ドラゴンの暴挙にひたすら怯えているのは無意味だということを悟ったのだろう。
「よし・・・それじゃあ、決行は今日の夜だ」
「ちょっと待ってくれ。夜にあいつと戦うのは、俺達の方が不利なんじゃないのか?」
「そうとは限らない。要は、夜の闇に乗じて奇襲を仕掛ければいいんだ」
人間以外に天敵と成り得る生物がいないドラゴンにとって、人間が寝静まる夜は唯一油断の生まれる時間帯だ。
流石に洞窟の中に足を踏み入れれば臭いや音で気付かれてしまうだろうが、警戒させないように外に誘き出して風下から襲うことができれば状況はかなり有利になる。
寧ろ今の俺にとって1番の気がかりは、黒竜に連れ去られたままのエルダの安否の方なのだが・・・

ブシュッ・・・ビュビュッ・・・
「ふ・・・ふきゅ・・・」
もう・・・これで何度目になるのだろうか・・・?
何時まで経っても衰えることを知らない黒竜の雄槍に弄ばれ、私はもうほとんど赤い鱗が見えなくなる程の多量の精に塗れて荒い息をついていた。
さっきまで明るかったはずの外はすでに2度目の夜を迎え、濃厚な黒竜の精の匂いが真っ暗な闇に包まれた洞窟の中を満たしている。
「フン・・・何だ、もう限界なのか?」
黒竜はそう言いながら相変わらず下半身を屈強な尾に巻き取られたまま白濁の海に横たわる私の頭をグイッと引き起こすと、虚ろになった小さな蒼い瞳をじっと覗き込んできた。
すっかり使い古してぼろぼろになった玩具をどう処分しようかと考えているのか、そんな黒竜の真っ赤に輝く不気味な眼がゆらゆらと左右に揺れている。

ああ・・・お願い・・・もう止めてぇ・・・
再び溢れ出した涙に潤む視界が、黒竜の顔をグニャリと歪めていった。
今の私の脳裏に浮かぶのは、産まれた時からずっと一緒に暮らしてきたあの人間の顔ばかり。
この黒竜は、私をここから生きて帰すつもりはないのだろう。
死に対する恐怖などよりも、あの人間ともう会えなくなってしまうという深い悲しみが私の胸を黒竜の尾などより何倍もきつく締め上げていく。
彼のためなら多少の危険など厭わないつもりでいたというのに、こんな所で最期を迎えることになるなんて・・・

深い悲嘆と絶望に暮れた私の表情を見届けると、黒竜は先程まで短かった指先の鉤爪をニュッと伸ばしていた。
そして俄かに目の前に出現したその4本の鋭利な凶器が、ヒタリと私の無防備な首筋に当てられる。
「ふ・・・ひきゅ・・・」
喉元を含めて体の前面を覆った母親譲りのモチモチとした皮膜が、尖った黒刃の前に頼りなく張り詰めていた。
今にも喉を切り裂かれてしまいそうだというのに、長時間に及ぶ黒竜の蹂躙の前に抗う力は欠片も残っていない。
「ククク・・・なすがままか・・・それもよかろう・・・」
やがてそれを聞いて思わずゴクリと唾を飲み込んでしまったのを私の覚悟の証とでも受け取ったのか、黒竜が喉元に押し付けていた鉤爪をゆっくりと振り上げていた。
だがきつく目を閉じてとどめの一撃が振り下ろされるのを待つこと数秒、不意に黒竜の視線が何処か別の場所へと振り向けられた気配が伝わってくる。
恐る恐る閉じていた目を薄っすらと開けてみると、何者かの存在を感じ取ったと見える黒竜がその赤眼で闇に沈んだ森の様子をじっと窺っているところだった。

暮れ泥む夕日の朱にサファス山が染まり始める頃、南の町に向かった男達が村へと帰ってきていた。
幾本もの剣や槍といった武器を調達する彼らの姿は向こうの町ではさぞ物騒に映ったことだろうが、これでようやくあのドラゴンと戦う準備が整ったことになる。
そろそろ中年に手が届くかというような決して若いとは言えない大勢の村人達も、ドラゴンとの戦いに対する緊張と闘争に赴く男としての本能の鬩ぎ合いに凛とした表情を浮かべていた。
失敗すれば村が滅ぶかも知れないというのに、そんな心配をしている者は1人としていないように見える。
およそ争いなどとは無縁な彼らでは余りに込み入った作戦を実行するのは難しいものの、何が何でもあのドラゴンを倒そうという彼らの意気込みこそが最大の武器になり得るのだ。

「いいか?俺達であの黒竜を倒そうと思ったら、これはもう目を狙うしかない」
「他に弱点はないのか?」
「心臓を狙おうにも胸は堅い胸郭で覆われているし、仮に心臓を一突きにしても死ぬのには時間がかかるんだ」
もしそうなれば、瀕死のドラゴンが暴れて村人達に予期せぬ被害を招く可能性がある。
自らの手で命を奪ってしまったかつてのエルダも、心臓を貫かれた苦しみの中で俺にあの仔竜を託したのだ。
だが、これが心臓ではなく脳となれば話は変わってくる。
あの紅に輝く恐ろしい双眸の裏に隠れた黒竜の脳を貫くことができれば、即死とまではいかないにしても速やかに意識を奪うことができるはずだ。
「よし・・・行くぞ」
必要以上に彼らを煽り立てぬように抑えた、それでいて力強い声で出発を告げると、今回の討伐に参加することとなった十数人の男達が一斉に頷く。
やがて完全にサファス山の陰へと沈んだ夕日が月明かりに照らされた幻想的な夜の気配を運んできた頃、俺達は皆そろそろと足音を殺しながら深い闇に沈んだ不気味な森の中へと入っていった。

森に足を踏み入れてから約1時間・・・流石に村人達は森の地理に明るいとあって、俺は1度も迷うことなく黒竜の住み処と思われる洞窟のそばに辿り着いていた。
エルダは・・・まだ無事なのだろうか・・・?
木々の間を通り抜ける低い風の音だけが、辺りを押し包んだ静寂の帳を切り裂いていく。
周囲の木に刻まれた無数の不吉な爪痕を初めて目にした者も多いのか、繁みの陰で洞窟の様子を窺っている村人達の間には微かに動揺の色が見え隠れしていた。
だが自らドラゴンを外に誘き出す役目を買って出た1人の村人が、そんな仲間達を落ち着かせようと肩を叩く。
そして巨竜の住み処へ向けてそっと不安げな視線を振り向けると、彼は大きく息を吸って俺に声をかけてきた。

「じゃあ・・・行ってきますよ・・・」
「絶対に慌てるんじゃないぞ。あんたは、飽くまで迷った挙句に偶然ここを通りかかっただけなんだからな」
「あ、ああ・・・わかってる」
恐らく自分では平静を装っているつもりなのだろうが、彼の膝は内心の恐怖で微かにフルフルと震えている。
だがそうかと言って今更どうすることもできず、彼はギュッと拳を握って意を決するとフラフラと黒竜の住み処に向かって近づいていった。
サク・・・サク・・・
意図的に出しているとは言え、静まり返った辺りに草を踏む音が予想以上に大きく反響する。
今にもあの洞窟から殺意を滾らせたドラゴンが飛び出してくるのでは・・・
十分現実に起こり得るそんな不吉な予感に、囮となった男を見つめる他の村人達の間にも緊張が漲っていった。

我に楯突いた小さな赤き仔竜にとどめの爪を振り下ろそうとした刹那、不意に何者かの足音が住み処の洞窟の中へと届いてきた。
サク・・・サク・・・
特に何処かへ向かって歩いているわけではない迷いのある足音とともに、人間だけが放つ独特の雑多な臭いが微かに辺りに漂っている。
何故人間がこんな所に・・・?
まさか、この我に何か用があって来たというわけではないだろう。
恐らくは森で迷った人間が、偶然に我の住み処の周りをうろついているだけに違いない。

我は外に感じる人間の気配の理由をそう結論付けると、眼下で最期の瞬間を待ち続けている仔竜に視線を戻した。
こやつは最早ここから逃げるどころか、腕1本動かす力も残ってはおらぬだろう。殺すのはいつでもできる。
それよりも今正に我の縄張りを侵している愚かな人間を、少し脅かしに行ってやるとしよう。
「クククク・・・」
新たな獲物が手に入るかも知れぬ喜びに、我は尾で巻き取った仔竜をポイッと岩の地面の上に放り投げると含み笑いを漏らしながらゆったりと起き上がっていた。

いつドラゴンが出てきてもいいように慎重に洞窟の周りを取り囲みながら囮となった男の様子を窺っていると、やがて重々しい足音とともに洞窟の暗がりの中から巨大な影が姿を現した。
森に迷った振りをしていた男がその禍々しい気配に気が付き、ゆっくりと背を向けていた洞窟の方を振り返る。
そしておぼろげな月明かりに照らし出された巨竜の燃えるような真っ赤な眼と視線を絡ませたその刹那、とても演技には見えない逼迫した悲鳴が森中に響き渡っていた。
「う、うわあああああああああっ!!」
ドサッ・・・
心の中では予めその光景は予想していたはずなのだが、いざ暗い森の中で気休めの武器も持たぬままに恐ろしいドラゴンと対峙した彼は完全に冷静さを欠いてしまっていた。
彼の人間としての理性を捻じ伏せた野生の本能が強大すぎる敵に対して降参を告げたのか、まるで何者かに力を吸い取られてしまったかのように腰が砕けてしまう。

「ひ、ひぃ・・・た、助けてくれ・・・」
「クク・・・クククク・・・」
再び立ち上がる力も余裕も失ってズルズルと這うように後退さる男に、ドラゴンが実に楽しそうな笑みを浮かべながら少しずつ近づいていく。
やはり、あのドラゴンは縄張りを侵した人間に対してもいきなりその命を奪ったりするような奴ではないらしい。
まるで遊んでいるかのように少しずつ少しずつ獲物を追い詰めては、その狼狽を甘露として啜り上げているのだ。
だが・・・奴がそんな残虐な愉悦に浸っていられるのも、今夜が最後になる。
周囲に潜んだ俺と武器を持った村人達は気配を悟られぬようにじっと息を殺しながら、ドラゴンの意識が完全に囮の男に集中する瞬間を辛抱強く待ち続けていた。

ドッ・・・
その数秒後、緩慢な逃避行を続けていた囮の男の背が背後に聳え立っていた大木の幹へと突き当たる。
「あ・・・ああ・・・」
恐怖にカチカチと歯を鳴らす男の顔は、今にも泣き出しそうな程に醜く歪んでいた。
そんな逃げ場を失った小動物を手中に収めようと、ドラゴンが凶悪な鉤爪の生えた手をゆっくりと伸ばしていく。
だがもうだめだとばかりに男が顔を伏せたその直後、俺は手にしたナイフを黒竜の眼に向けて素早く投げつけた。
ヒュッ・・・ドスッ
「グヌアァッ!?」
月明かりに煌く白刃の切っ先が真っ赤に光る大きな左眼に見事に突き刺さり、今度は突然の痛みと驚きに満ちたドラゴンの悲鳴が辺りに響き渡る。
右眼で左方を見ることができない細長いドラゴンの顔では、片眼を潰しただけでも視界を半分以上奪うことができるのだ。
村人達に無用な犠牲者を出さずにドラゴンと戦うためには、今はこれだけでも十分に効果があることだろう。

やがて苦痛に悶えるドラゴンの声が消えぬ内に、それまで茂みや木の陰に隠れていた大勢の村人達が一斉にドラゴンを取り囲んでいた。
大木の根元で震えていた囮の男にも何時の間にか1本の長い槍が手渡され、彼もまた多少及び腰ながらドラゴンに向けてその鋭い穂先を突き付けている。
「お、おのれ貴様等・・・我にこのような真似をして・・・生きて帰れると思っているのではなかろうな!!」
怒りに燃えるドラゴンの巨口から咆哮にも似た激しい怒声が吐き出され、周囲の木々をザワザワと揺らしていく。
眼に突き刺さった小振りのナイフと滴り落ちる鮮血がその迫力に拍車を掛けたのか、数人の村人達が僅かに怯んだ気配が俺の所にまで伝わってきた。

だが、ここまで来たら最早後戻りすることはできない。
俺は辛うじて怯まずにドラゴンを睨め上げていた1人の男と咄嗟に視線を交わすと、長剣を腰に構えたままドラゴンに向かって走り出していた。
そして死角から何者かが迫ってくる気配にドラゴンがグルンとこちらに首を振り向けたその瞬間、先程俺と視線を交わした男が隠し持っていた別のナイフをドラゴンの顔に向かって投げつける。
「ウヌゥ!」
カキン!
再び飛来したその凶器に、ドラゴンは反射的に眼を伏せると顔を覆った堅い鱗でナイフを弾き返していた。
だが実に幸運なことに、ドラゴンが俺の方に潰れた眼を晒したまま完全に無防備になっている。
その機を見逃さず、俺は大きく息を吸い込むと手にした剣先をナイフの突き刺さったドラゴンの眼を目掛けて一気に突き出していた。

ドッ・・・ズガッ!
だがとどめの一撃が傷ついた黒竜の眼に届こうかとしたその瞬間、突如俺の腹部に凄まじい衝撃が走っていた。
そして視界が一瞬にして流れ去り、数瞬遅れて2度目の衝撃が今度は背中へと叩き付けられる。
「がっ・・・はっ・・・」
激しく背を打ち付けたせいで呼吸が止まり、呻く以外に上手く声が出てこない。
黒竜が無造作に振るった尾に薙ぎ払われて木へ叩き付けられたのだと理解するのに、呼吸の断たれた脳がやけに長い時間を必要とする。
突然の出来事に周囲の村人達がざわつく中、ズルリと木の根元に崩れ落ちたまま視線を上げた俺の前ではまず1人目の獲物を踏み潰そうとドラゴンが巨大な足を振り上げている所だった。
「う・・・うあ・・・」
反射的に上げた助けを求める声も、周りにいる村人達までは届かない。
そして身を守ることもできずにいた俺を目掛けて、大きな鉤爪の生えたドラゴンの足が振り下ろされた。

ボゥ!
「ウヌゥッ!」
ドオォン!
だがこれで最期かと思われたその時、突然地響きとともに周囲が一瞬明るく照らし出される。
標的を外した黒竜の足が激しく地面を踏み鳴らし、地面の上に大きな足跡を刻み込んだ。
「エ、エルダ・・・?」
やがて死の予感にきつく閉じていた目を開けてみると、洞窟から必死で這い出してきたのであろうエルダが黒竜に向かって盛大な炎を吹き上げている。
昨夜のような加減された小さな炎とは違って天を焦がすかのような激しい火炎が黒竜の視界を奪い、予期せぬ不意打ちに思わず仰け反った黒竜の腹が俺の眼前へと曝け出されていた。
「ん・・・?」
その堅牢な甲殻に覆われた雄竜の下腹部に、一瞬だけ隆々たる肉の巨塔が姿を覗かせる。
「ウゥヌ!またしても小娘めが!」
そして怒りとともに視界を紅蓮に染める炎を払った黒竜が足下にいたエルダをギラリと睨みつけたその瞬間、俺は手元に落ちていた剣を握るとその雄だけにある最大の弱点目掛けて鋭い切っ先を横薙ぎに振り払っていた。

スパッ
「グガァッ!?」
距離が遠かったお陰で剣先が掠った程度ではあったものの、敏感な肉棒を僅かに斬り付けられた痛みに黒竜が悲鳴を上げる。
そして苦し紛れなのか怒りにまかせた一撃なのか、再びブゥンという音とともに黒竜の尾が振り回された。
「うわっ!」
バキッベギキッ
咄嗟に身を伏せた俺の頭上を猛烈な勢いで丸太のような尾が通過したかと思った次の瞬間、背後にあった細い木が激しくひしゃげて圧し折れる。
危なかった・・・あんなものを食らったら、一溜まりもなかったことだろう。
周囲を取り囲んでいた村人達は暴れ狂うドラゴンの猛威に恐れをなしたのか、或いは新たに姿を現したエルダに驚いてしまったのか、少し離れた所に退いて様子を窺っている。
今や完全に俺とエルダだけがドラゴンの前へと取り残される形になってしまったものの、俺は尾撃を外した黒竜に再び大きな隙が生じていることに気がつくと体を起こして走り出していた。

トットット・・・
尾を振った勢いでこちらに向けられていた山のように大きな巨竜の背を素早く駆け上り、黒竜の背後、その頭上から手にした剣を大きく振り被る。
そして黒竜が背中に感じた違和感に後ろを振り返ろうとした瞬間に、俺は潰れた赤眼の死角からその痛々しい傷口に深々と剣を突き刺していた。
ドスゥッ・・・!
「ガアアアァッ!!」
眼孔の奥に隠れた脳を正確に貫いた、確かな手応え。
だが咆哮とも悲鳴ともつかない耳を劈くような凄まじい轟音が辺りに響き渡り、暴れた黒竜の背に乗っていた俺は宙高く跳ね上げられて地面の上へと落下してしまっていた。
ドサッ
「うぐ・・・」
土に覆われているとはいえロクに受け身も取れずに落ちてしまったお陰で、体にほとんど力が入らない。
そんな俺の姿を片目で睨み付けながら、黒竜が恐ろしい凶器である長い鉤爪を振り上げる。
「おのれ・・・貴様だけは・・・貴様だけは許さぬぞ!」
く、くそ・・・あと少しでこいつを倒せるっていうのに・・・!
だが心の中でついた悪態も空しく、身動きの取れない俺の上へと崩れ落ちるようにして力尽きたドラゴンが怒りの凶爪を振り下ろしていた。

ドン!ザグッ!
「ぐあぁっ!」
次の瞬間全身に走った激しい衝撃に跳ね飛ばされて、俺は闇に染まった視界の中をゴロゴロと転がっていた。
だが明らかに深手を負ったであろう一撃を受けたというのに、ほとんど痛みらしい痛みを感じない。
まずい兆候だ。
ああ・・・俺・・・死ぬのかな・・・
まるで感覚が麻痺してしまったかのようなその不思議な現象に、俺はしばらく地面の上に横たわったまま周囲の状況に聞き耳を立てていた。
やがて力尽きた黒竜の倒れ込むズウゥンという重々しい音が聞こえ、辺りに空しい静寂が戻ってくる。
「う・・・うぐ・・・」
そして傷の具合を確かめようと衝撃を感じた左の肩口に手を当ててみたその時、俺は初めて自分の体の異変に気が付いていた。
いや正確には、異変が無いことに気がついたというべきだろう。

どこにも・・・怪我をしていない・・・?
体のどこを触ってみても、血が流れている感触もなければ服が破けている様子すらない。
でも・・・あのドラゴンは最後の力を振り絞って確かに爪を振り下ろしたはずだ。
それに、俺がここまで跳ね飛ばされる程の衝撃を受けたことは紛れもない事実。
じゃああれは一体・・・?
頭の中の疑問が解決しないまま、地面からそっと体を起こして恐る恐る黒竜のいた方向へと目を向けてみる。
「エ、エルダ・・・!」
果たして、流れ出る血で全身を体色よりも深紅に染めたエルダが俺と黒竜の間にぐったりと横たわっていた。
エルダの背中には彼女の鱗でも防ぎ切ることができなかったのか3条の爪痕が深々と刻み付けられていて、その傷口からドクドクと真っ赤な血が大量に溢れ出している。
じゃあ俺があの瞬間に感じたのは・・・エルダが黒竜の爪撃から守ろうと俺を突き飛ばした衝撃だったのか?
くそ・・・本当なら俺が・・・俺がエルダを守ってやらなきゃいけないっていうのに・・・!

「お、おい!誰か・・・誰か来てくれぇ!」
急いでエルダのもとへと駆け寄りながらそう大声で叫ぶと、ようやく黒竜という脅威が去ったことを確信したのか辺りにいた村人達が次々と集まってくる。
だがエルダの方はというと、まだ微かにハァハァと小さな息をしてはいるものの薄っすらと開けられたその蒼い眼からは徐々に命の輝きが失われつつあった。
「きゅ・・・きゅふ・・・」
そして短く詰まった声とともに血を吐き出したエルダが、俺の顔をゆっくりと見上げる。
「その竜の子供は一体何なんだ?この黒竜の子供なのか?」
「そうじゃない!頼むよ・・・訳は後でちゃんと話すから・・・今はこの仔を助けてくれ!」
長年村を苦しめてきたドラゴンの仲間を助けて欲しいというその願いに、俺は初め彼らが相当な難色を示すであろうことを予想していた。

「よし・・・何だかよくわからないが、とりあえず応急処置だけして村へ連れて行こう」
だがエルダが2度にわたって俺の命を救った所を見ていた村人の1人が、すぐにそれに応えてくれる。
「ありがとう・・・助かるよ・・・」
そして破った服の切れ端でエルダの怪我を何とか止血すると、仔竜とはいえずっしりと重量感のあるその体を村人達が数人がかりで持ち上げた。
エルダの母親との約束を守るためにも、何としても彼女を死の淵から救わなければならないだろう。
やがて千里の道にも感じる村への長い長い帰路を辿る間中、俺は今にもエルダがその弱々しげな命の灯火を消してしまうのではないかと気を揉み続けていた。

未だ夜明けの気配の感じられぬ暗い村に辿り着くと、エルダはすぐに村長の家へと運び込まれた。
そして一先ずエルダを村の娘達に任せ、隣の部屋で待っていた村長のところへと顔を出す。
怪我をしたエルダの身はもちろん心配だが、今はまず村長に事情を説明しに行くのが先だろう。
「あの仔竜は今、村の者が様子を看ておる。それよりもまず・・・一体森で何があったのかを教えてくれんか」
「エルダは・・・あの仔竜は俺の・・・俺の娘なんだ・・・」
村長から投げかけられた質問に俺がそう答えると、周囲の村人達が信じられないといった様子でどよめく。
「あの竜の子供が・・・あんたの娘だって・・・?そいつは、一体どういう訳だね?」
「2年程前まで、俺はドラゴンスレイヤーだった。その過程で俺は・・・ある1匹の巨大な火竜に出逢ったんだ」
そうして俺がかつてのエルダとの邂逅と悲しい結末を語り始めると、村長を初めとした村人達はほとんど一言も発さずにじっと俺の話を聞き入っていた。

「・・・それ以来、俺はエルダとともに旅をしながら幸せに暮らせる場所を探しているんだ」
やがて長い長い独白がようやく終わりを迎えた頃、エルダの看病をしていた村の娘の1人がそっと顔を出す。
「あの竜の子供、無事に目を覚ましたみたいよ」
「ほ、本当かい・・・?」
まるでその声に誘われるようにして、俺はその場に集まった村人達の中をヨロヨロとエルダの寝かされている部屋へと進んでいった。
東の稜線から顔を覗かせた朝日の光に照らされて、外は既に平和な明るさに満ち満ちている。

「エ・・・エルダ・・・?」
厚く敷かれた藁の上に横たえられたエルダの姿・・・
その無残だったはずの傷口には幾つもの薬草を練り合わせて作った独自の血止め薬が塗り込められていて、グルグルと幾重にも巻かれた白い包帯が真っ赤なエルダの体色に鮮やかなアクセントを加えていた。
流石に採集を生業にしているだけあってか、民間療法のレベルの高さにもなかなかに目を瞠るものがある。
やがて部屋に入っていった俺の姿を認めたのか、彼女がうつ伏せの姿勢のままこちらを見上げて小さな鳴き声を上げていた。
「ふきゅっ・・・きゅぅっ!」
「大丈夫か?エル・・・」
ペロッ
「わっ!?」
そして彼女の様子を窺おうと顔を近づけた次の瞬間、突然エルダが俺の頬を愛おしげに舐め上げる。
「きゅきゅっ!きゅふふっ!」
悪戯っぽくも嬉しげな声を上げる彼女は、きっと俺の無事を心の底から喜んでくれているのだろう。

全く・・・彼女にも彼女の母親にも、俺はエルダに守られっぱなしだな・・・
「よかった・・・よかったな、エルダ」
これだけ元気にはしゃげるのならば、もう彼女は大丈夫に違いない。
「ありがとう・・・エルダを救ってくれて・・・俺、皆になんてを礼を言ったらいいか・・・」
「礼なんていらないさ。あんたは俺達の村を救ってくれた恩人なんだからな」
「そうだよ。もう誰も、生贄で娘を失うなんていう悲しい思いをしなくて済むんだ!」
背後で上がる村人達の喝采の声・・・やがてその合間を縫って、長年の呪縛から解き放たれた村長の明るい声が俺の耳へと届いてきた。
「そうじゃ・・・そなたさえよければ、この村に腰を落ち着けてみてはいかがですかな?」
「え・・・?」
「その仔竜と暮らせる土地を探しておられたのでしょう?村を救った人竜の親子なら、皆も歓迎することですて」
村長のその言葉に、大勢の村人達が即座に同調する。

「ああ、そいつはいい考えだ!あんた達なら大歓迎だよ!」
「い、いいのかい?」
「丁度すぐそこに空家がありますでな・・・例の、最後に生贄に出された娘とその弟が住んでおった家です」
そうか・・・それも・・・いいかも知れないな・・・
俺はチラリとエルダの顔を見やってそこに母親譲りの満足げな笑みが浮かんでいるのを確認すると、彼女とともにこの村で暮らす決心を固めていた。
「それじゃあ・・・お言葉に甘えさせてもらうとするよ・・・」

やがて幸福な空気に満ち溢れた村を挙げての集会がようやく終わりを迎えると、村人達全員が村長の家の前へと集められていた。
昼を間近に迎えた明るい太陽が燦々と照り付ける中、賑やかな人の群れが静かに何かを待ち続けている。
そしてそこへ家の中から古びた小さな陶器の壷を持ち出してきた村長がゆっくり姿を見せたかと思うと、固唾を呑んで見守る大勢の前で村に平和が訪れたことを声高らかに宣言した。
「皆、よく聞くのじゃ!長い間この村を苦しめてきたあの黒き竜は、もうこの世にはおらぬ!」
「おお・・・!」
その村長の言葉に、今初めて黒竜討伐の事実を知った数人の村人達が驚きと歓喜の声を上げる。
「これからは村を救ってくれたそこの若者と小さき竜に感謝を捧げながら、皆で村の発展を願うとしようぞ!」
村長はそこまで言うと、手にしていた壷を空高く放り投げていた。
その数秒後、ガシャンという音とともに地面の上へと落下した壷が粉々に砕け散る。
「おおーー!!」
やがて壷の中に入っていた十数本もの白い籤の束が派手に辺りへと飛散すると、深い業ともいうべき村の悲しみが盛大な歓声とともに風に乗って忘却の彼方へと運び去られていった。


「う、うぅ〜ん・・・」
それから数週間後のある晴れた日の朝、俺はかつて不幸な姉弟が住んでいた家のベッドでエルダとともに心地よい安眠を貪っていた。
いや正確には、エルダの柔らかな腹の下敷きにされながらと言った方がいいだろう。
彼女はあの黒竜との1件以来、何をする時にも決して俺のそばを離れようとはしなくなっていた。
それ故かここ数日、夜寝る時には確かにベッドの下で寝ていたはずのエルダが朝になるといつの間にかベッドの中に体を潜り込ませているということが続いている。
だが流石に1人用のベッドでは俺と彼女が並んで寝ることなどできるはずもなく、俺は必然的にエルダに押し潰されるような体勢で朝を迎えることになるのだった。

仔竜とは言えほとんど人間と同じくらいの体長に背中を覆った厚い鱗や長い尻尾の重量も相俟って、彼女の体重は軽く100キロを超えているに違いない。
「お、重いぞ・・・エルダ・・・」
だがそう言いながらエルダの体をどかそうとしても何だか上手く力が入らないのは、きっと彼女の可愛い寝顔を間近で見ているせいだろう。
「ふふ・・・ふきゅ・・・」
何か幸せな夢でも見ているのか、やがてエルダの口から小さな笑い声が漏れてくる。
「エルダ・・・お前・・・本当は起きてるんじゃないのか?」
試しにそう言ってみると、エルダが顔に浮かんだ笑みを消し切れないまま綺麗な蒼い目をパチリと開いていた。

不意に漏らしてしまった笑い声のせいで寝た振りをしていたのがバレてしまい、私は仕方なく悪戯っぽい表情を浮かべたまま目を開けると彼の顔をじっと覗き込んだ。
お返しに腹下に組み敷いた雄の獲物を値踏みするような妖しい艶のある視線を投げかけてみると、不思議な興奮にゴクリと唾を飲み込んだ彼の喉が小さな嚥下の蠢きを見せる。
何としても、彼だけは護ってあげなくては・・・
1度も姿を見たことのない母親から受け継いだそんな母性本能とも言うべき衝動が、私の中を駆け巡っていた。
だが今は、もう少しこの心地よい時間に身を埋めていたい。
「エ、エル・・・うぶ・・・」
ペロッペロペロッ・・・
やがて何かを言おうとした彼を舐め付けて強引に黙らせると、私はその暖かい胸板にスリスリと顎を擦り付けた。
そして再びゆっくりと目を閉じながら、彼の顔にフッと鼻息を吹きかけてやる。
「ああ、わかったよエルダ・・・もう邪魔はしないよ・・・」
そう言いながら優しく鼻先を撫でてくれた彼の手は、私を今度こそ本当に幸せな夢の世界へと誘っていった。

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