春の始まりを予感させる、微かに土臭い新芽の香り。
そのもう幾度堪能したかわからぬ程の懐かしい匂いに誘われて、私は長らく腰を落ち着けていた深い山中の洞窟からそっと抜け出していた。
そして朝露に薄っすらと湿った黒土の小道を歩きながら、深い木々の向こうに辛うじて姿を見せている1軒の山小屋へと足を向ける。
この生活を、もうどれくらい続けただろうか?
1年・・・いや、恐らくは10ヶ月にも満たない程の短い期間に違いない。
だがこれまで生きてきた50余年の中で、この1年が私にとって最も長く感じたことは確かだろう。

そしてそんなことを考えている内に私は何時の間にか森を抜け出していたらしく、ふと気が付いた時には私の目の前に手造りの質素な山小屋が静かに佇んでいた。
その一面丸太に覆われた壁の中にはめ込まれている大きな窓が、今日も私の胸をほんの少しだけ締め付けていく。
やがて不安に高なる胸を押さえながらそっと窓の向こうを覗き込んでみると、昨日と変わらぬ見慣れた光景がその向こうに広がっていた。
ガラガラッ
「やあ、エルダ・・・お早う・・・ゴホッ・・・ゴホゴホッ・・・」
私の姿に気付いて窓を開けた彼が、擦れた声でそう言うなり大きく咳き込んでしまう。
かつてドラゴンスレイヤーとして各地を転々とした逞しい勇者の姿は見る影もなくなり、そこには齢70歳を越えて重い病を患った1人の痩せこけた老人が静かにベッドへと身を横たえているだけだった。

「体は大丈夫なの?」
「あ、ああ・・・今日は何だか、朝から随分と気分が良いんだ・・・相変わらず、咳は止まりそうにないがな」
「そう・・・よかった・・・」
人間など片手で掴み上げられる程の巨竜となった私の大きな蒼眼を真っ直ぐに見つめながら、そう言った彼がその顔に微かに悲しげな笑みを浮かべる。
彼とともにドラゴンスレイヤーとしてサファス山の麓を旅立ってから、もうかれこれ50年程にもなるだろうか。
ほんの5年程前にこの静かな山で隠居生活を始めるまで、私は彼と実に様々な場所を訪れてきた。
そしてその度に、私はこの目と記憶にしっかりと焼き付けてきたのだ。
人跡未踏の地で目の当たりにした、魂を洗われるような美しい絶景を。
異文化を育む大小様々な人間達の町や村で行われた、心躍るような熱い歓迎ともてなしを。
月明かりも届かぬ闇の奥に息衝いていた、身の竦むような凶暴で恐ろしい同族達の姿を。
そして例外なく彼らが迎えることとなった、儚い命の終焉の瞬間を。
だが私と共にこの名も無き山で暮らしていた彼が急に病に罹ってからというもの、私は毎日こうして彼の見舞いに来てはその無事を願う生活を続けている。

「エルダ・・・俺が竜殺しなんていう危険な仕事をしながらもこの歳まで生き残ってこれたのは、お前のお陰だ」
「どうしたの?急にそんなこと・・・」
「礼を言っておきたいんだ。俺の命は多分、もう長くはないだろう。どんな人間も、歳にだけは勝てないからな」
ベッドの上で凝り固まった体を解すように背筋を伸ばしながら、彼が更に先を続ける。
「だけどエルダ、お前は違う。俺がいなくなったら、ようやくお前が自分の生き方を決める時がやってくるんだ」
「もちろん、わかってるわ・・・でも今は、そんなこと言わないで・・・」
悲しい別れを予感させる彼の言葉に、思わずそんな制止の声が漏れ出してしまう。
だが彼はそっと私の顔に細い腕を伸ばすと、赤鱗に覆われた硬い頬を優しく撫で上げてくれた。

「はは・・・それにしても、本当にお母さんにそっくりだな・・・もう、何処に出しても恥ずかしくない娘だよ」
冗談混じりでそう言う彼の目に、声だけが記憶にある母の姿が薄っすらと浮かんでいる。
それは曇りの無い彼の漆黒の瞳に映った、私自身の鏡像だったのかも知れない。
しかしそれでも、私は彼と母がどれ程お互いに深く愛し合っていたのかを今更ながらに肌で感じ取っていた。
「今日はずっとここにいてくれないか・・・久し振りに、ゆっくり思い出話でもして時間を過ごしたいんだ」
「ええ、そうね・・・私も付き合うわ」
普段は苦しそうに床へ伏せっているだけだった彼からのそんな珍しい誘いに、暗い不安がなおも募っていく。
だがもう自分ではどうすることもできない問題なのだと早々に諦めを付けると、私は窓の外へと静かに蹲ってそっと彼の顔を舐め上げてやっていた。

産まれてからこれまでの約50年間、ほとんど一時もこの人間と離れることなく暮らしてきた私にとって、彼の言う思い出話というもののほとんどが私の生涯についての追想であったことは言うまでもない。
だが何よりも驚くべきは、私が卵から孵った時の産声や最初に口にした食事、或いは初めて小さな炎を噴き上げることに成功した時の私の喜びようを彼が実に正確に覚えていたことだろう。
卵の中にいる時から既に記憶の形成が始まるドラゴンの私ですら今はもう遠い半世紀以上前の出来事を思い出すのには些か苦労するというのに、彼はそれ程までに私のことを気に掛けてくれていたのに違いない。
「・・・だけどあの時は俺、本当にお前のことが心配で心配で仕方がなかったんだ」
サファス山で黒竜に捕らわれたあの日、私も激しい恐怖と不安に押し潰されそうになったものだった。
後に多くの凶暴なドラゴン達を目の当たりにしながらも何とか彼とともに戦い続けることができたのは、あの時に味わった恐怖を克服できたことが大きな要因の1つとなっている。

「でも、あなたは助けに来てくれたわ」
「ああ・・・それから俺達、色んな町や村を回ったよな」
「そうね・・・それに、色んな土地や場所も訪れたわ」
50年という長い年月が育んだ膨大な量の思い出が、まるで泉のように次々と脳裏へ溢れ出しては消えていく。
「楽しかったか?」
「楽しかったわ・・・あっと言う間に過ぎ去ってしまったけど、あなたとの思い出は私の宝物よ」
「宝物か・・・エルダ・・・お前も、俺にとってはかけがえの無い宝物だ。だけど・・・う・・・ゴホッ・・・」
何かを言おうとして咽てしまったのか、彼は不意に口元を手で押さえながら激しく咳き込んでいた。
そしてその手にべったりと付いていた真っ赤な血を目にした瞬間、彼の命がもう残り少ないことを否応無しに理解させられてしまう。

「もう、別れの時が近そうだ・・・もっと、お前の成長を見ていたかったんだけどな・・・」
「大丈夫よ・・・私だって、もう十分に独りで生きていけるから・・・」
だがそんな私の言葉にも、彼は心配そうな表情を崩すことなく先を続けた。
「俺は、お前の夫の心配をしてるんだ。人間達と敵対せずに、平和に暮らせる雄竜を見つけられるかどうかをね」
「それも心配しなくていいわ・・・だから・・・お願いだから・・・もう少し私のそばに居て欲しいの」
私はそう言うと、なおもゴホゴホと血の混じった咳に苦しむ彼にそっと頬を寄せていた。
人と竜を隔てる寿命という名の大きな壁が、無情にも私と彼との間を引き裂こうとしている。
楽しい思い出の語らいに夢中になっている内に太陽は何時の間にか西の彼方に身を潜め、空には漆黒のキャンバスに煌く眩い星々と大きな月が顔を出していた。
「なあ、見ろよエルダ・・・銀色の月だぞ・・・彼女が・・・お前のお母さんが、俺を迎えに来てくれたんだ」
「そんな・・・駄目よ・・・話し足りないこと、まだまだたくさんあるでしょう?」
「そうだな・・・だけど、それはまた今度にしよう・・・おやすみ・・・エル・・・ダ・・・」

やがて私の名を呼ぶ彼の声が微かに途切れた瞬間、私はついにその時が来てしまったことを理解していた。
「ねえ・・・起きて・・・ねえ・・・目を開けてよ・・・」
幾ら必死に呼び掛けてみても、幾らその痩せ細った体を揺すってみても、グッタリと全身を弛緩させた彼から返事が返ってくる気配はもうない。
「う・・・うぅ・・・お・・・父さん・・・」
失われてしまった尊い存在を悼むように、私は産まれて初めて彼のことをそう呼んでいた。
彼はもう遠い所へ、お母さんのもとへと旅立っていったのだ。
ふと空を見上げると、明るい銀光を撒き散らす満月が私の頭上で輝いている。
そう言えば彼が最後にお母さんに別れを告げた時も、こんな不思議な月が空に浮かんでいたらしい。

私はそれを見てふとあることを思いつくと、山小屋の裏手に積まれていた暖房用の薪を慣れない手付きで月のよく見える庭先へと組み上げ始めていた。
やがて数分の時間を掛けてようやく薪が組み上がると、彼の亡骸をそっとその無骨な薪床の上に横たえてやる。
そして程よく乾いたその薪床に向かって、私は静かに小さな炎を吐き掛けてやった。
初めは小さかった火種が次々と新たな薪に燃え移り、あっと言う間に眼前で大きな炎が燃え上がっていく。
ボッ・・・パチ・・・パチパチ・・・ゴオオオ・・・
「さようなら、お父さん・・・」
そしてそんな愛情のこもった送り火に包まれた人間の父親の姿を間近で見つめながら、私はそれまでずっと堪えていた大粒の涙をついにぽとりと燃え上がる炎の渦の中へと落としてしまっていた。

チ・・・チチッ・・・チュンチュン・・・
深い深い暗闇の中に響き渡る、遠慮がちな小鳥達の囀り。
その耳を擽る優しげな声に、私はゆっくりと目を開けていた。
次の瞬間眩いばかりの陽光が切り裂かれた瞼の間から勢いよく差し込んできたものの、全身に感じる確かな朝の気配にそのまま真っ白に眩んでしまった目を周囲に振り向ける。
やがてまず最初に私の視界に入ってきたのは、彼が自分で建てた小さな山小屋だった。
そしてその山小屋とは反対方向に、すっかりと燃え尽きて黒煙を上げながら燻っている崩れた薪床が佇んでいる。
どうやら、私は何時の間にか燃え上がる送り火の傍で眠ってしまっていたらしい。

けれども彼は・・・生まれてからずっと私とともに暮らしてきた人間の父親は、もうこの世にはいないのだ。
きっと眠りに就く前にも胸を満たしていたであろう寂しさと悲しさが、儚い希望を求めて私の視線を開いたままの山小屋の窓へと向けていく。
だがその向こうにあったのはあの優しげな彼の笑顔ではなく・・・
微かに血の飛び散った空のベッドが1つ残されているばかりだった。
まるで炭の山の如く堆く積み重なった背後の薪床を振り返ってみても、荼毘に付してしまった父の亡骸はもう何処にも見当たらない。
これが・・・傍にいるのが当たり前だった存在がある日突然消えてしまうというこの身を引き裂かれるような凄まじいまでの悲哀こそが、多くの人間が何時か経験することになる肉親との死別の寂寥感なのだろう。
その父親からの最後の教えが、深く傷付いた私の胸にゆっくりと沁み渡っていった。
と同時に、お互いに支え合う伴侶の大切さを十分過ぎる程に思い知らされてしまう。
早く番いとなる雄竜を見つけて、末永く幸せに暮らして欲しい・・・
今はもう見えなくなった空に浮かぶ銀色の月から人竜の両親がそう囁いているような気がして、私は思わず再び零しそうになった涙を振り払ってその場から立ち上がっていた。

この世に生を受けてから長い長い歳月の末にようやく独り立ちを果たした今、やがて遥か昔に交わしたある1つの約束が脳裏に思い起こされていく。
あれから50年・・・結局最後まで父にも打ち明けることのなかったその秘密の契りを胸に秘めて、私は静かに薄暗い森の中へ足を踏み入れるとそのままなだらかな山道を下り始めていた。
ドラゴンスレイヤーとして父に付き添いながらあちこち飛び回っていた私だが、幸いなことに今度の目的地は地平線の向こうに遥か霞んで見える程度にしか離れていない。
当然向こうに着くまでには何日か時間も掛かることだろうが、私はようやく森を抜けるとかつての甘い記憶が決して間違いではなかったことを信じて遠い遠い道のりの第一歩を踏み出し始めていた。

あの人間を母の許へと送り届けた日から、今日でもう2週間になるだろうか・・・
彼とともに旅をしていた頃とは違って人目を避けるように移動しなければならない分だけ苦労も多かったものの、私は何とか花婿探しの目的地、その目印となるある山までもう一息のところへと辿り着いていた。
ようやく私の眼前に全貌を現そうとしているその山の名は、サファス山。
1度は剣を捨てた父が竜殺しとして再起を果たした場所であり、私との新たな旅の始まりとなった場所でもある。
そんな50年振りに見る壮大なサファス山を感慨深い面持ちで眺め回すと、私は山の西側に佇んでいる森に囲まれた町へと目を向けていた。
奇しくも今の時間はあの時と同じ夕暮れ・・・半世紀前にも見たその懐かしい景色が、あるとても大切な思い出の1つを急速に私の脳裏へと呼び起こしていく。
そう、50年前のあの日・・・夕食の獲物を獲るために入っていったこの森の中で、私はある忘れられない幸せな時間を過ごすことになったのだ。

〜50年前〜
「じゃああの町で買い物をしたら、今夜は町の近くに泊まるとしよう」
彼のその言葉を聞いて、私は疲れ切った体にほんの少しだけ新たな気力が湧き上がってきたのを感じていた。
そして彼ととともに町へと近付くと、そのまま何も言われぬ内から暗い森の中へと勢いよく駆け込んで行く。
サファスの森を歩き通して既にかなり空腹なのは確かだが、獲物さえ捕まえることができれば問題はないだろう。
だが初めて入る森の中をあちらこちらへと忙しなく駆け回っている内に、私は偶然にもその森の奥深くである1つの大きな洞窟を見つけ出してしまっていた。

かつて竜殺しとして生活していただけあって様々な動植物の知識にも明るい彼から聞いた話では、こういう暗くて深い洞窟で暮らす大型の動物はドラゴン以外には存在しないのだという。
雨や風を凌げる上に気温も安定していて比較的棲みやすいはずの洞窟にどうして他の獣の類が棲み付かないのかを彼に問うと、実に簡潔でわかりやすく、そして納得できる答えが返ってきたものだった。
「それは、何時か野生のドラゴンが自分の住み処にするためにその洞窟へとやってくる可能性があるからさ」
確かに自分の寝床としている洞窟へ何時恐ろしい捕食者となるドラゴンが棲み付くかわからないのでは、他の獣達が決して洞窟へと近寄ろうとしないのも頷ける。
まかり間違って洞窟で眠っている間にドラゴンに見つかろうものなら、新たな住み処の他に美味しい食事までおまけで付けてしまうことにもなりかねないのだ。
そしてそれはつまり・・・今私の眼前に口を開けている深い洞窟の中にももしかしたら別のドラゴンが棲んでいるかも知れないということだった。

闇に閉ざされた洞窟へと捕らわれて巨大な黒竜から執拗に陵辱された忌まわしき記憶が、またしてもこの私の胸を重い重い恐怖の鎖で幾重にも縛り付けていく。
つい先日山菜採りの途中であの黒竜の洞窟を見掛けた時は彼のお陰で何とか動悸を鎮めることができたものの、たった独りでまたあの震えに襲われたら今度こそここから動けなくなってしまうことだろう。
「君・・・誰・・・?」
「ひっ・・・!」
だがゴクリと息を呑んだまま必死で暴れそうになる心臓をギュッと押さえ付けている内に、私は突然背後から誰かに声を掛けられて思わず飛び上がってしまっていた。
それでも耳の奥に微かに残ったその声がまだ若い子供のような甲高い響きを伴っていたことに気付いて、恐る恐るゆっくりと声のした方向へと怯えた視線を滑らせていく。
果たしてそこでは、全身に薄く黄みがかった鱗を纏っている1匹の雄の仔竜がようやく仕留めたのであろう大きな野鼠を足元に置いたままじっと澄んだ眼差しで私を見つめていた。

私よりも一回り小さいその容姿から察するに、年齢は4歳か5歳といったところだろうか。
頭の後ろにはまだ短いながらも雄らしい乳白色の2本の鋭い角がスラリと突き出していて、まるで黒真珠のように美しく輝く真っ黒な2つの瞳がその淡い体色に丁度良いアクセントを加えている。
「悪いけど・・・その洞窟は僕の住み処だよ。もう、2年以上も前から棲んでるんだからね」
「あ・・・う、うん・・・何でもないわ。ちょっと狩りの途中で、たまたま迷い込んじゃっただけなの」
恐ろしいどころか何処かあどけない、まるで弟か何かのように感じられるその無邪気な仔竜の様子に、私はようやく緊張を解いてフゥーッと大きな息を吐き出していた。
それにしても・・・2年以上前から棲んでいるということは、この仔竜はこの洞窟で産まれたのではなく、何処か別のところで卵から孵った後にここへやってきて独りで暮らしているのだろう。
産まれた時からずっとあの人間と一緒に何不自由なく暮らしていた私は、こんなに幼い内から独り立ちしている彼に何時の間にか些かの尊敬の念を抱いていた。

「どうしたの?ちょっと顔色が悪いみたいだけど・・・よかったら、中で休んでいかない?」
「え・・・?そ、それは・・・」
まさか彼は、今初めて出会ったこの私を住み処に誘ってくれるというのだろうか?
「いいから、遠慮しないで。僕も、久し振りに仲間の姿を見れて嬉しいんだ」
そう言われてしまっては、無闇に断るのも悪いようで何だか気が引けてしまう。
それに町へ買い物に行ったあの人間も、今日くらいはゆっくりと賑やかな町の雰囲気を楽しんでくることだろう。
サファス山を越えてきた上に広い森の中をあちこち走り回ってかなり疲れていることも事実だし、少しばかりここで休ませてもらってから狩りを再開しても遅くはないに違いない。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ・・・」
「やった!」
そんな私の返事を聞いて、仔竜が心底嬉しそうに喝采の声を上げていた。
凶暴な者達ばかりだと勝手に思い込んでいた雄竜にも自分と変わらぬこんな幼少時代があるということを知って、私の方も何だか少しばかりワクワクとした子供っぽい高揚感が胸の内に湧き上がってくる。
そして獲物の野鼠を拾い上げるなり勢いよく住み処へと飛び込んでいった彼に続いて、私もその暗い洞窟の中へゆっくりと足を踏み入れていった。

洞窟の中はほとんど何も見えない程の暗闇だったものの、ほんの数秒の時間が経つとすぐに目が慣れてきた。
元来暗い洞窟の中で暮らすことが多いドラゴンであるが故の能力なのだろうが、初めて自らの意思で洞窟の中へと入った私にとってはそんなことでも新鮮に感じられてしまう。
「ほら、そこで休んでいいよ」
やがてその闇の中に地面へと蹲る幼い仔竜の姿が浮き上がってくると、私は続いて聞こえてきた彼の声で洞窟の更に奥の方へと目を向けていた。
その視線の先に、細い枝や草木を時間を掛けて丁寧に踏み拉いては彼独りで頑張って拵えたと見える小さな寝床が敷かれている。

「い、いいの?」
ゴツゴツとした自然の岩肌以外には何も見えない殺風景な洞窟の中で、唯一の創造物である寝床は何だか尊い聖域にも似た特別な場所に見えてしまう。
本当に住み処の主を差し置いてそんな所へこの身を預けてもよいものなのか一瞬迷ってしまったものの、私はなおも満面の笑みを浮かべている彼の優しさに負けてそっとその暖かそうな寝床の上へと蹲っていた。
その瞬間ふんわりとした懐かしい草木の匂いが微かに鼻を突き、あの人間とともに放浪の旅を続けていた幼い頃の記憶が脳裏へと蘇ってくる。
「寝心地はどう?その寝床、3日も掛けて作ったんだよ」
「そうね・・・暖かくてとっても気持ちがいいわ。こんな感触初めてよ」

だが私がそう言うと、彼が不意に不思議そうな表情を浮かべて私の顔を覗き込んでいた。
「初めて、なの?そんな・・・僕よりも君の方がずっと年上に見えるのに・・・」
「私ね・・・産まれた時から人間と一緒に暮らしてるの。私の・・・そう、大切な人なのよ」
「に、人間と・・・?」
まあ当然と言えば当然なのだが、私のその告白に彼は相当な衝撃を受けたらしかった。
そしていかにも興味津々といった様子で、彼がトコトコと私の傍へやってくる。
「それじゃあ君は、人間のことをよく知ってるの?」
「まあ、それなりにね・・・どうしてそんなことを訊くの?」
「僕、今まで人間に出会ったことが1度も無いんだ。だから、人間がどんな生物なのか知りたくてさ・・・」

1度も人間に出会ったことがない・・・?
その割には、つい今朝まで人間の村で暮らしていた私以上に自在に人語を操っているように見えるのだが・・・
「あらあなた・・・そんなに人間の言葉を話せるのに、本当に人間に会ったことがないの?」
「ドラゴンの間でしか通じない言葉より人語を覚える方がいいからって、お母さんから教わったんだ」
成る程・・・確かに個体数が少なくほとんど互いに出会う機会も少ないであろうドラゴンの言葉を覚えるよりも、長い生涯の中で幾度か関わりを持つ可能性の高い人間の言葉を覚えていた方が何かと役に立つのだろう。
「そうなの・・・でもあまりに複雑過ぎて、私には人間がどういう生物なのか説明することはできないわ」
「そうか・・・残念だな・・・」
それを聞いて余程落胆してしまったらしく、彼がガックリと肩を落としてしまう。
だが彼はすぐに気を取り直して顔を上げると、少しばかり不安げな面持ちを浮かべながら次の言葉を紡いでいた。
「じゃあ代わりに・・・僕と友達になってくれる?」
「ふふ・・・大事な寝床で休ませてくれたことだし、あなたさえよければ彼女になってあげてもいいのよ」
私はそう言うと、驚きに目を丸くしていた彼の様子にクスッと小さな含み笑いを漏らしていた。
まだ幼いながらも随分と逞しく生きている彼に、私は何時の間にか惹かれていたのかも知れない。

「ほ、本当に・・・?じゃ、じゃあ君とその・・・こ、交尾とかも・・・していいの?」
「ええ、もちろんよ・・・ほら、遠慮せずにいらっしゃい・・・」
うっとりと艶の掛かった声でそう呟きながら、私は年下の初心な雄を誘惑しているという状況に私自身も何時の間にか熱く昂っていたことに気が付いていた。
ほんのりと火照った体を包んでいる赤い鱗や白い皮膜は既に微かな紅色を帯びていて、下腹部に隠されている淫らな秘裂が雄とのまぐわいに向けて炎のように熱く燃え上がっている。
そしてそんな凄艶な本性を露わにした雌竜にすっかりと魅了されてしまったらしい彼が、その雄の本能を剥き出しにして仰向けに転がった私の上へと勢いよく飛び掛かってきていた。

ドサッ・・・
目の前で妖しい笑みとともに自らの秘所を曝け出した若い雌竜に挑発され、僕は思わず全身に湧き上がってきたある種の激しい疼きに耐えられなくなって彼女を押し倒してしまっていた。
やがて何の抵抗も無く僕の突進を受け止めては寝床の上に転がった彼女の様子をじっと眺める内に、心の何処かで微かに感じていた後ろめたさのようなものが跡形も無く吹き飛ばされていく。
そして後に残ったのは、雌と体を重ねることに対する言いようの無い期待と興奮だけだった。
本当に僕を受け入れてくれるのかという念押しの言葉すらもがどうしようもない程にもどかしく、図らずもギンギンに膨れ上がらせてしまった己の肉棒で早くその豊満な雌竜の体を貫きたいという欲求に駆られてしまう。

ズ・・・グプ・・・
「は・・・あぅ・・・」
だが硬くしこった雄槍の先端がほんの少しだけ彼女の中へと埋もれた次の瞬間、僕は想像以上の凄まじい快感に思わず情けない声を上げながら仰け反ってしまっていた。
自分と同じくまだ産まれてから数年しか経っていないらしい彼女の小さな膣が、侵入を始めた僕の肉棒を小刻みな蠕動とともに力一杯締め上げていく。
しかも雄を逃がすまいという強烈な吸引をも同時に味わわされて、僕は一瞬にして腰が砕けてしまっていた。
まるで餅のように柔らかな彼女の腹の上にベチャッと力無く崩れ落ちながら、自重によってなおも膣の中へと沈んでいく肉棒から送られてくる甘美過ぎる刺激に成す術も無く身悶えてしまう。
ジュブッ・・・ズブブッ・・・
「あっ・・・あぁ〜〜〜・・・!」
きつく締め付けられながらも肉棒が少しずつ彼女の膣へと呑み込まれていく様は、僕にはさながら大蛇に捕らわれて餌食となった憐れな小動物の末路のように見えた。

雌竜と交尾するのは初めてなのか、彼が挿入の快感に激しく身を震わせながら歓喜とも苦悶ともつかない嬌声とともに私の中へとその熱い雄の象徴を突き入れてくる。
つい昨日初めてあの人間のモノを受け入れたばかりの真っ赤に熟れて蕩けた膣が、そんな彼の無防備な肉棒を獰猛に奥へ奥へと引き込んでは容赦無く咀嚼し始めていた。
ギュゥッ・・・グジュッ・・・ギュグ・・・
「はわっ・・・あはぁ・・・」
「あん・・・いいわ・・・もっと突いて・・・」
当の彼には既に腰を動かす気力など微塵も残ってはいないらしく、その淡い黄鱗に覆われた小さな体を私の柔らかな腹の上にグッタリと沈めたまま根元まで引きずり込まれていく快感に終始打ち震えている。
そして仔竜の肉棒がようやく余すところなく私の中へと埋められた次の瞬間、彼は早くも耐え切れなくなってしまった様子で1度目の限界を迎えてしまっていた。

ドブッ!ドクドクッ・・・
「ひゃ・・・あぁん・・・」
本能のままに快感を享受するかのような恍惚感と陶酔感に歪んだ表情を浮かべながら、彼が完全に力尽きた体を私の上で痙攣させるようにして熱い精をたっぷりと注ぎ込んでくる。
やはり幼いだけに雌を満足させられる程の忍耐力と技術はまだ備わっていないらしく、今の彼は果敢に雌に挑みながらも敢え無く返り討ちにされてしまった未熟で情けない雄の姿を存分に私の前へと曝け出していた。
だが・・・本来なら雌に幻滅されるはずのそんな彼の弱々しい姿までもが何故か愛しく感じてしまうのは、私が彼に対して幾許かの恋心を抱いていたことときっと無関係ではないだろう。
やがて無謀にも強大な雌の中へ押し込んでしまった肉棒とともに何処か不安げな顔で震えている彼をそっと容赦を知らない凶暴な蜜壷から解放してやると、私は半ば涙目になっていた彼の頬に軽く口付けしていた。

「ふふ・・・あなたには、まだ早かったのかもね・・・続きは、お互いにもっと大きくなってからにしましょう」
「う、うん・・・そうだね・・・」
そしてしばらく無言で彼と抱き合っている内に、遥か遠くから微かに自分を呼ぶあの人間の声が聞こえてくる。
「エルダ、戻ったぞ!何処にいるんだ?」
「い、今の・・・誰の声?」
どうやら彼にもその声が聞こえたらしく、眼前の仔竜がまるで母親に縋り付くような視線を私へと向けていた。
「ごめんね・・・私、もう行かないと・・・」
「また、僕に逢いに来てくれる?」
「ええ・・・必ず来ると約束するわ。だから、あなたにも1つだけ約束して欲しいの」

私がそう言うと、彼が一体何をといった様子で少しだけ首を傾げる。
「もし人間に出会っても、絶対に彼らを脅かしたり傷付けたりしないって約束して」
「わかった・・・約束するよ。だからお姉ちゃんも・・・ね?」
私はそんな心配そうな眼差しを向けてくる可愛い仔竜に満面の笑みだけを返すと、これ以上あの人間を待たせないようにと急いで彼の洞窟を後にしていた。
やがて幾つもの茂みを掻き分けている内に不穏な存在の接近を感じ取ったのか真新しい剣を構えていた人間の姿を見つけて、努めて穏やかな声を彼に掛けてやる。
「大丈夫、私よ・・・」
「エ、エルダ?」
これが・・・結局最後まで彼に打ち明けることなく終わってしまう、秘められた空白の3時間の出来事だった。

あれから50年・・・彼が今でもこの森に棲んでいるのかどうかはわからなかったものの、遠目からでも明らかに以前より栄えているのがわかる町の様子を見れば彼が私との約束を守ってくれていたことは容易に想像できる。
そしてしばしの回想を終えて薄暗い夕暮れの森へとすっかり膨れ上がった巨体を滑り込ませると、私はかつてこの辺りを走り回った微かな記憶を頼りに彼の棲む洞窟を探し始めていた。
多くのドラゴンは総じて五感が他の動物のそれよりも鋭く、夜目が利くのはもちろん特に聴覚と嗅覚が優れていることが多い。
もちろん、これは小回りの利かない巨体でも獲物となる獣を効率良く捕らえるためだろう。
そして私もどうやらその御多分には漏れていないらしく、幼少の頃には気付かなかった微かな風の巻く音や獣の血の匂いといったドラゴンの住み処の周囲で感じ取りやすい情報が幾つも私のもとへと届いてくる。
そのお陰もあってか、私は木々の枝葉を避けながらのゆっくりとした行進でありながらもほとんど迷うことも無く真っ直ぐに彼の洞窟を探し当てることができていた。

その漆黒の闇に沈んだ洞窟の懐かしい景観に、半世紀前に感じた忌まわしい恐怖は最早微塵もない。
そこにあるのは、ただただあの雄の仔竜と過ごした甘い一時の記憶だけだった。
だがそれと同時に、洞窟の中には誰もいないこともまた鋭い五感故に感じ取ってしまう。
彼は一体何処に・・・?
ガサッ
そしてそんな疑問が胸に浮かんだ次の瞬間、私は背後に感じた誰かの気配と視線にそっと後ろを振り返っていた。
「き、君は・・・」
そこにいたのは、50年の歳月を経て立派な雄へと成長したあの時の仔竜。
以前に見た時には薄く黄みがかっていたはずの体色が、今やまるで檸檬を彷彿とさせるような鮮やかな明るい黄色となって彼の全身を輝かせているように見える。
以前に会った時は数歳の年の差で体の大きさも一回り違っていたものだが、50年という長い月日がその差を薄めてくれたのか今の彼はほとんど私と同じくらいの逞しくて筋肉質な雄らしい体躯を獲得していた。
その上後頭部に生えていた乳白色の2本の角は更に太く長く雄々しく天を衝き、彼の特徴の1つだった黒真珠のように美しい瞳がますますその気高い黒さに磨きをかけている。

そしてそんな彼が、あの時の野鼠などとは比べ物にならない程に大きい1頭の鹿をその背に乗せていた。
「あら・・・ふふ・・・お久し振りね・・・」
「そんな・・・本当に逢いに来てくれるなんて・・・」
ドサッ・・・
感動か、それとも驚きなのか、彼が背に乗せた獲物の鹿がずり落ちるのも意に介さぬと言った様子でその場に立ち尽くしたまま以前と変わらぬ若々しい声を漏らしていく。
「必ずまた逢いに来るって、約束したでしょう?」
「う、うん・・・だけど、あれから50年も経つんだよ?僕なんて、もうほとんど諦めてたっていうのに・・・」
余程私のことを待ち侘びていてくれたのか、私はその段になってそう言った彼の顔に長年の憂いと苦悩の気配が色濃く表れていたことに初めて気が付いていた。
恐らく彼はこの50年の間、私との約束を守ってこの森のすぐ傍にある人間達の町にも手を出すことなく、私の訪れをただただひたすらに辛抱強く待ち続けてくれたのだろう。
「随分と待たせてしまってごめんなさい・・・でも、私はもう何処へも行かないわ」
「じゃあ・・・僕と一緒に暮らしてくれるの?」
そう言いながら黒い瞳をキラキラと輝かせる彼の様子に、私は笑みを浮かべるように薄く目を閉じながらゆっくりと大きく頷いていた。

やがて彼の案内で洞窟の奥に通されると、私はその暗闇の中で1つだけある物が以前とは少しばかり様子が違っていることに気が付いた。
彼の成長に合わせて少しずつ大きく広げられていった暖かそうな寝床・・・
だがその形はかつて見た円形ではなく、左右に2倍程の幅を持った長方形に近くなっている。
「これは・・・?」
「君と別れてすぐに、隣に君の寝床を作ったんだ。でも僕のと一緒に大きくしてる内にくっついちゃって・・・」
「ふふふふ・・・相変わらずお茶目さんなのね・・・でも、これでいいのよ」
私はそう言うと、大きなベッドにも似たその寝床の上にそっと仰向けに転がっていた。
「あの時の続き・・・待ち侘びていたんでしょう?」
「あ・・・う、うん・・・今度は負けないからね」
そんな私の誘いに、獲物の鹿を地面に置いた彼がゆっくりと覆い被さってくる。
そしてその彼の股間に突き出していた人間のモノとは比べ物にならない程の太くて厳つい肉棒を目にすると、私はかつてない期待と興奮に思わずゴクリと息を呑んでいた。

眼前に隆々と聳え立つ、巨大とも言える歪な肉の塔・・・
その彼の雄が、ゆっくりと焦らすように口を開けた私の秘所へと近付けられていく。
やがてしっかりと互いに視線を交わして心の準備を整えると、いよいよ彼が私を貫こうと腰を落としていた。
ズッ・・・ズズズッ・・・
「はっ・・・あっ・・・」
「うくっ・・・ああっ・・・」
たっぷりと愛液に濡れそぼった柔肉を押し分けようとするその太い肉棒を、無数の肉襞が容赦無く締め上げては更に膣の奥深くまで引きずり込んでやろうと妖しく波打っている。
そんな激しい挿入の快感に、私は彼とともに大きく背筋を仰け反らせながら喜びの声を上げていた。
あの人間のそれとも、50年前の幼かった彼のそれとも違うある種の凶暴ささえ見られるような雄槍が、グリグリと膣壁を抉りながら未だかつて何者の侵入も許したことの無い膣の最奥へと突き入れられていく。
だが責められてばかりはいられぬと分厚い肉襞の群れがゾロリとその艶めかしい頭を擡げると、それらが一斉にもう根元近くまで突き入れられている彼のモノを思い切り扱き上げた。

グギュゥ・・・グリッギギュッ・・・
「ぐっ・・・くうぅ・・・はっ・・・」
以前は入れるだけで果てさせられてしまった程の獰猛な彼女の竜膣が、今度は深々と突き入れた僕の肉棒を締め潰さんばかりに力一杯責め立てていく。
もしほんの少しでも地面に踏ん張っている手足の力を抜こうものなら、またしても根元まで彼女の中へと吸い込まれて成す術も無く屈服の証を搾り取られてしまうことだろう。
だがもう2度と彼女にあんな情けない姿は見せたくないという雄としての意地のようなものが、不思議な力となって僕の全身に広がっていくような気がする。
そしてグイグイと容赦無く肉棒に吸い付いては奥へ奥へと引き込もうとする彼女の責めに抵抗して、僕は今にも砕けてしまいそうな腰をゆっくりと引き始めていた。
ギュブッ・・・ギュブブッ・・・
その途端逃げようとする獲物を捕らえるかのように更に多くの肉襞が食らい付いてきたものの、凄まじい快楽にグッと牙を食い縛って耐えながら今度は勢いよく腰を前に突き出してやる。

ズン!
「ひゃあん!」
次の瞬間、私は突如として膣の最奥を突き上げた硬い肉棒の一撃に上ずった嬌声を上げていた。
太い彼の雄に雌の全てが一瞬にして摩り下ろされ、耐え難い絶頂の予感がすぐそこまで迫ってきている。
とは言え、射精を堪えて苦しそうに顔を歪めている様子から察するに彼もまた限界が近いのだろう。
そして今度こそ逃げられないようにと彼の体を両腕でガッチリと抱き締めると、私はとどめとばかりに根元まで呑み込んだ無防備な雄をしゃぶり尽くしていた。
ジョリジョリジョリジョリッ・・・!
「うあぁっ・・・だ・・・めだ・・・ふあ・・・ぁ・・・」
ドブッ・・・ドクッ・・・ドク・・・
「あぁん・・・こ、こんなの・・・も、もう・・・はあぁ・・・」
だが大量の熱い精を敏感な膣の底へと流し込まれ、私もまたその強烈な刺激を耐えられずに達してしまう。
初めて味わう成長したドラゴン同士の熱い交尾とそのあまりの快楽に、私と彼はしばらくお互いに抱き合ったままブルブルと幸福の余韻に身を震わせていた。

「ど、どうだった・・・?」
やがてこれだけの熱い交わりを果たしてもなお何処か気の弱そうな表情を浮かべてそう訊ねてきた彼に、心の底からの感謝とともに静かに答えを返してやる。
「天にも昇る気持ちって、きっとこういう気分のことを言うのね・・・本当に、最高だったわ」
「よかった・・・でも、もう体に力が入らないや・・・このまま、眠ってもいいかい?」
「私も同じよ・・・夜が明けるまで、ずっとこうしていましょう・・・」
そしてそう言うと、私は彼ともう1度しっかりと抱き合ったまま深い眠りへとついていた。

愛しい彼との再会から20日程が経った頃、私は住み処の洞窟で狩りに出掛けた夫の帰りを待つ内にふと腹の中に何かゴロリとした大きな異物の存在を感じ取っていた。
「あら・・・?これは・・・」
だがその微かに膨れた柔らかな腹をそっと摩っていくと、どうやらそれが卵であるらしいことに思い当たる。
そう言えばあの人間が年老いてからは夫と会うまで久しく雄とのまぐわいなどしたことがなかった気がするが、50歳を超えて何時の間にかようやく私にも子供を作ることができるようになっていたのだろう。
そんな新たに宿った命を慈しむように撫でながら、私は言葉では言い表せぬ程の喜びの海に身を埋めていた。

「帰ったよ・・・ど、どうかしたの?」
やがて洞窟の中から見える外の景色が夕焼けの朱に染まり始めた頃、2頭の鹿を狩って住み処に戻ってきた彼が私の満面の笑みを見て思わず驚きの声を上げる。
「ねえ聞いて・・・私ね・・・どうやら子供ができたみたいなの・・・私と、あなたの仔よ」
「ほ、本当かい?」
「ええ・・・ほら、触ってみて。もうすぐこの卵が産まれて、きっと1週間程で孵ると思うわ」
私はそう言うと、寝床の上に仰向けに寝そべって大きな腹を彼の前に曝け出していた。
そして卵の存在を探る彼のくすぐったい愛撫にも似た手の感触を味わいながら、幸せな一時を彼と共有する。
「本当だ・・・それじゃあ早く、この仔の分の寝床も作ってあげないとな」
「もう、気が早いのね。それよりも先に、決めなきゃならないことがあるでしょう?」
「な、何だい?」
寧ろ本当に気が早いのは自分の方かも知れないなどと思いつつ、私は敢えて彼の耳元に口を近付けて先を続けた。

「名前に決まってるじゃないの。この仔は私達が大切に育てるんだから、名前が無いと困るでしょう?」
「そ、それはそうだけど・・・まだ雄か雌かもわからないんじゃ名前なんて決められないよ」
「ふふ・・・それもそうね・・・でも、私には何となくわかるの。きっと私とあなたに似た、かわいい雌だわ」
私のその言葉に、彼が驚いたように目を丸くする。
「ど、どうしてわかるの?」
「私のお母さんも、私が卵から孵る前に雌が産まれてくることを知っていたんですもの」
「で、でも・・・子供の名前なんてそう簡単には思い付かないよ」
普段はしっかりしているはずの彼が時折覗かせる何処か頼り無げなあの顔が、ずっと胸に秘めていた私のある決断をそっと後押ししてくれていた。

「実を言うとね・・・私、もうこの仔の名前は考えてあるの」
「本当に?何ていう名前?」
「エルダ・・・っていうのは、どうかしら?」
それは母の時代から半世紀以上の長きに亘って受け継がれた、大切な大切な1つの言霊。
けれども、私をエルダと呼んでくれるあの人間はもういない。
決して呼ばれることのない名を背負ってこれからの長い生涯を生きていくよりも、私はその尊いエルダの名を新たなる次の世代へと受け継ぎたかったのだ。
「エルダ、か・・・何処かで聞いたことがあるような気もするけど・・・でも、君が望むのならそうしよう」
「ありがとう。それじゃあ、食事にしましょう。元気な子供が産まれてくるように、たくさん食べないとね」

その2日後、私はいよいよ産卵の準備の為に彼が設えてくれた小さな寝床の上で体を丸めていた。
硬い殻に覆われた大きな大きな卵が、腹の中をゆっくりと移動し始めている確かな実感がある。
「う・・・うん・・・くぅ・・・」
「が、頑張って・・・もう少しだよ」
やがて彼の励ましに押されて激しい喜びに満ちた苦痛を感じながら下腹部へ渾身の力を込めてやると、透明な粘液に覆われた美しい乳白色の珠がコロンという音とともに柔らかな寝床の上に転がり出していた。
「はぁ・・・はぁ・・・ど、どう・・・?」
「大丈夫、卵は無事みたいだ。僕達、やったんだよ!」
「そ、そう・・・よかったわ・・・それじゃああなた・・・たっぷりと栄養の付くものを頼むわね・・・」
私がそう言うと、彼がまかせてくれとばかりに顔を上げて洞窟の外へと飛び出していく。
そんな逞しい夫の・・・いや父親の姿に、私は産んだばかりの卵を抱き抱えながら幸福の余韻に息を荒げていた。

ほんの短い間・・・そう思っていたはずの孵化までの数日間が、まるで私がこれまで生きてきた50年以上の月日よりも長く感じられてしまう。
だが広い寝床の上に転がりながら暖かい腹の下で卵を温める内に、いよいよ待ちに待った新たな命の芽吹く瞬間が訪れようとしていた。
そして突如としてビクンと身を震わせた卵の様子に驚いて思わず寝床から離れると、パキッという小さな、それでいて耳に残る懐かしい音とともに乳白色の殻へ細い亀裂が走っていく。
「う、産まれるわよ・・・」
「ああ・・・でも、今は黙って見守ろう」
自らの力で硬い殻を破ってこそ、強くて逞しい竜が育つ・・・
それは、夫である彼が自分の母親から受け継いだ教えの1つだった。

ピキ・・・ピシッ・・・
だが亀裂の数は次第に少しずつ増えていくものの、肝心の仔竜が出てくる気配はまだない。
なかなか両親の前に姿を現そうとしない愛しい我が子の様子に、私はつい不安げな面持ちで彼と顔を見合わせてしまっていた。
「なかなか出てこないわ」
「心配無いよ・・・ほら、もうすぐ顔を見せてくれるよ・・・僕達のエルダが」
やがて彼がそう言った次の瞬間、無数のヒビに覆われていた卵の殻がついに勢いよく弾け飛ぶ。
パンッ
そして半分程砕け散ったお陰でまるでお椀のようになった殻の中から、バランスを崩した小さな仔竜がコテンと外へ転げ出してきた。
小さな全身を覆った鱗は淡い黄色に染まっていて、雌竜ながらも後頭部には短い2本の白い角を生やしている。
その姿は一見すると正に50年前に私が出会った彼の幼少時にそっくりなのだが、確かにこの私から受け継いだと見えるサファイアのように美しく透き通った蒼い瞳が彼女の双眸に輝いていた。
きっとこの仔が大きくなる頃には、目に映えるような明るい黄色の鱗にその補色となる清廉な蒼眼を湛えた絶世の美竜へと変貌を遂げていることだろう。

「ふきゅっ・・・ふきゃっ・・・きゃははっ・・・」
そんな仔竜特有の甲高い鳴き声を上げながらゴロゴロと寝床の上を転がる娘の様子に、私は何時しかポロポロと理由の分からぬ大粒の涙を流していた。
無事に産まれた娘に己の名を継ぎ、彼との幸せな生活を続けていくという明るい未来の予感。
だがそれは同時に、長年連れ添った人間の父親・・・その大切な思い出との永遠の離別をも意味していた。
遥か遠くの天に浮かぶ銀色の月から、父は、母は、この私を見守ってくれているのだろうか?
優しい夫に恵まれ、美しい娘に恵まれ、1匹の雌竜として生きていく私の門出を、祝ってくれているのだろうか?
私がこうして幸福の絶頂にいられるのも今は亡き人竜の両親のお陰なのだという深い感謝の思いが、止め処ない熱い滴となって次から次へと零れ落ちていく。
「泣いてるのかい?」
「ええ・・・でも、涙を流すのはこれで最後よ・・・これからは私、笑って生きていくわ」


「どうやら・・・お前の心配も杞憂に終わったようだな」
背後から掛けられたその高圧的だが懐かしい声に、俺は涙が零れそうになるのを堪えたままそっと頷いていた。
「ああ・・・俺も、これでようやく肩の荷が下りたよ」
そして俺のすぐ後ろにゆったりと蹲っていた巨大な雌の火竜の方にクルリと向き直ると、彼女の豊満な柔肉に覆われた広い腹の上へ若かりし頃の逞しい体を預けてやる。
「それじゃあ、そろそろ行こうか・・・エルダ」
「そうしよう・・・長らくお前を待つ内に、私も随分と渇いてしまったからな・・・覚悟するのだぞ」
「ははっ・・・手加減してくれよ・・・俺はもう、ずっとエルダと一緒にいられるんだからさ」
俺はそう言いながらもう1度だけ空の彼方から美しい娘と孫の幸せそうな顔を目に焼き付けると、最愛の妻であるエルダとともに眩い光に包まれて永劫の黄泉の国へと旅立っていった。

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