「ほらほら、選ばないならあたしが決めちゃうよ?それでも良いの?」
どう考えてもこれは、俺にどうやって止めを刺して貰いたいのか選べということだろう。
この幻覚の世界では周囲の場所も自身の姿も全てがスネアの思うがままなのだが、どうやら幻覚を見せられている俺自身にはほとんどその影響力を行使出来ないらしい。
まあそれはまだスネアが未熟な仔竜だからなのかも知れないが、とにかく俺がこの世界で怪我を負ったり或いは精が尽き果ててしまったりした場合などは"やり直し"が必要になるのだ。
それはつまり一旦この世界で俺を殺すことで幻覚を解き、また新たな幻術に掛けるということ。
もちろんそれによって俺に何か実害があるのかと言われれば特に無いのだが、普段寝ている時に悪夢を見た場合でも寝汗を掻いていたり心拍数が上がっていたりすることを考えればこの幻覚による精神的負担は相当なものがある。

「じゃ、じゃあ・・・う、上が良いかな・・・」
しかし取り敢えず今は自主的に何か答えないと何だかただでさえ危うい事態がより悪い方向へと転がりそうだっただけに、俺は慌てて彼女にそう答えていた。
「上かぁ・・・そんなにあたしに食べられたいんだね」
「えっ・・・?」
食べ・・・・る・・・?
じゃあ今彼女に上か下かを選ばされたのはつまり・・・
だがそこまで考えた直後にジュルリという舌を舐めずり不穏な音が彼女の口内から聞こえて来て、俺はこれから自分が辿ることになるのだろう無惨な最期が鮮明に脳裏に思い浮かんでしまっていた。

「ほらぁ・・・あたしに呑まれたら、もう逃げられないよ。お腹の中で、ゆっくり消化してあげるからね」
「あ・・・ぁ・・・う、うわあああぁっ!」
そう言いながら、彼女がたっぷりと唾液が糸を引く凶悪な顎を俺の目の前でグバッと上下に開く。
そしてそこに広がっていた暗い赤と白の肉洞に、摘み上げられた俺の体がゆっくりと音も無く近付けられていった。
以前Lサイズのボレアスやリーフにも丸呑みされたことはあるものの、十分に凶悪だった彼女達も最終的には俺を外に出してくれたものだった。
しかし俺が今いるここは、死を迎える以外に抜け出すことの出来ないスネアの見せる悪夢の中なのだ。
だとすれば当然、俺はこの巨大な雌竜の腹の中で本当に意味で消化されてしまうのに違いない。
「じゃあ、頂きまーす!」
「わっ・・・ま、まま・・・待ってくれぇ・・・」
だが冷たい笑みを浮かべた彼女はそんな俺の弱々しい懇願の声などまるで聞こえなかったかのように、指先で摘んだ俺の体を静かに自らの頭上へと持ち上げていったのだった。

「あ・・・あぁ・・・」
徐々に眼下へと迫ってくる巨大なスネアの牙口・・・
無数の牙が生え揃うその底無しの闇から吐き出された熱風にも似たスネアの吐息が、一糸纏わぬ俺の肌をじんわりと炙りながら吹き抜けていく。
牙の表面をぬらぬらと覆う唾液がこれからそこに投げ入れられる憐れな獲物を待ち侘びるかのように天井から差し込む淡い陽光を照り返し、俺はそれだけで気が遠くなりそうな程の恐怖を味わわされていた。
「ほらぁ・・・食べちゃうわよぉ・・・」
そう言いながら、スネアが俺に見せ付けるように分厚い舌で口元を舐め回す。

ジュルッ・・・レロォ・・・
あ、あんなところに入れられたら・・・俺・・・一体どうなるんだ・・・?
足元で暴れ狂う巨大な舌の存在に、そんな不安が次から次へと湧き出してくる。
「じゃあそろそろ、食べても良いかな?」
「わっ・・・い、嫌だ・・・うわあああぁっ!」
もうすぐ逃れ得ぬ死の牢獄へと投げ入れられる獲物の狼狽する様子をじっくりと眺めながら、意地悪な微笑を浮かべたスネアが愉しげにそんな声を漏らす。
だが2本の指で脇の下を摘み上げられている状態では大した抵抗など出来るはずも無く、俺は唐突にパッと開かれた大きな指の間から音も無く彼女の口内へと落ちていった。

ドチャッ・・・
「うあっ・・・あ、熱っ・・・!」
その数瞬後、大きな舌の上に墜落した俺の体に火傷しそうな程に熱い唾液がたっぷりと絡み付いてきた。
だが余りの熱さに咄嗟に立ち上がろうとした俺を嘲笑うかのように、大きく左右に波打った舌がそんな獲物のささやかな抵抗さえをも封じ込めてしまう。
「ほらほら、もう逃げられないんだから早く諦めた方が良いよ!」
そしてそう言いながら先端から勢い良く競り上がった舌が半分に折り畳まれると、俺はその分厚い肉塊の間に挟まれて焼け付くような熱い唾液の海に全身を浸されてしまっていた。

ベチャッ
「ぎゃっ!」
突如として圧し掛かってきた重い舌にサンドイッチにされたまま滲み出す高温の唾液にじっくりと蒸し焼きにされ、辛うじて舌の間から逃れた頭と右腕を暴れさせながら何とかその場を逃れようと必死の抵抗を試みる。
だが幾ら片腕でもがいたところでザラ付いた舌に挟み潰された体を引っ張り出せるはずも無く、俺はそのまま体に巻き付けられた舌にきつく締め付けられていた。
「もう・・・おとなしくしないとこうだよ!」
グギュッ・・・
「うああっ・・・!」
体中の骨が軋む程のその締め付けの威力と更に大量に溢れ出した唾液の熱さに、ただでさえなけなしの体力がみるみる内に奪われていく。
そしてもうほとんど声も出せなくなる程に俺が弱ったのを確認すると、スネアがようやく俺を舌の簀巻きから解放してくれていた。

ゴロッ
「う・・・うぅ・・・」
やがて熱い唾液漬けと締め付けで疲れ切った体を舌の上に転がすと、それまで開いていたスネアの口がゆっくりと閉じていくのが目に入る。
バクッ・・・
「あぁ・・・」
そしてそんなくぐもった音とともに周囲が真っ暗な闇に包まれてしまうと、俺は際限無く膨れ上がる恐怖と不安に苛まれながらも何とか彼女に呑み込まれる覚悟を胸の内に固めたのだった。

一条の光さえ差し込まぬ、深い深い漆黒の世界。
巨竜の口内に閉じ込められた獲物が目にする最期の光景は、その全てがこんな底知れぬ一面の暗闇なのだろう。
だが口を閉じたスネアがそのまま微動だにしていないことに、俺は先程まで感じていたのとは全く別の不安を胸の内に芽生えさせていた。
かつてボレアスやリーフに呑み込まれた時も、俺は彼女達の口内で散々に弄ばれて抵抗の意思と体力を残らず奪い尽くされてからゆっくりと喉の奥へ送り込まれたのだ。
熱い唾液に包まれて舌で捏ね繰り回されたお陰で今の俺も十分に体力を削ぎ落とされてしまってはいるのだが、この幼さ故の残虐さを備えたスネアがこのまま俺を腹の底に呑み込んで素直に止めを刺してくれるとは考えにくい。
既に数分間も舌の上で動けぬままぐったりと力尽きている俺をまだ呑み込もうとしないという一事だけを見ても、彼女が何がしかの黒い思惑をその脳裏に描いていることにだけは確信が持てたのだった。

「ねぇねぇ・・・今どんな気分?」
「え・・・?」
だが耐え難い沈黙と静寂にじっと恐怖に痺れた体を任せていると、やがて喉の奥からそんな彼女の声が轟いて来る。
「今までにも凶暴な雌竜を何回も指名したことがあると思うけど、本当に食べられちゃうのは初めてでしょ?」
確かにこれまでLサイズの雌竜に食べられた時はどちらも消化寸前に外に出してくれたお陰で無事だったものの、実際に生きたまま強酸の胃液の海に沈められるなど想像しただけで背筋が凍り付きそうな程に恐ろしい最期だろう。
尤も、俺ももう間も無くその恐ろしい最期を実際に迎える運命にあるのだが・・・
「そ、そりゃ凄く怖いけどさ・・・頭ではこれが幻覚だって分かってるからまだ平気だよ」
「良かった!それじゃあ、遠慮無く虐めても大丈夫だね!」
「え?あ・・・いや・・・その・・・」
これまでも容赦無く俺を嬲り尽くしてきたスネアがわざわざそんなことを確認するということは、俺はきっとこれから余程酷い目に遭わせられるのだろう。
そして反論の言葉が形になる前に俺の乗っていた舌がグイッと持ち上げられると、俺はそのままベシャッと上顎に仰向けの体勢で叩き付けられていた。

「ぐあっ!」
固い肉壁に全身を打ち付けた鈍い痛みと背中に押し付けられる大きな舌の無慈悲な圧迫感に、相変わらず熱湯のように煮え立つ熱い唾液が更なる追い打ちを掛ける。
グリ・・・グリグリ・・・
「う・・・うぁ・・・」
更には俺を磨り潰すかのように舌を左右へ動かされると、支えを失った体が今度はたっぷりと唾液の溜まった下顎へと落下していた。
「うわわっ・・・ぐえっ!」
ドチャッ!
真っ暗な口内であちこちに叩き付けられては、煮え湯のような唾液で蒸し焼きにされる地獄の責め苦。
ねっとりとした唾液と微かに弾力のある内壁のお陰で怪我をする程の衝撃は感じないのだが、それでも残り少ない体力が確実に磨り減っていくのが絶望的な感触となって俺の全身を冒していった。

それから十数分後・・・
「う・・・ぐぅ・・・」
永遠にも感じられるような長い長い拷問の末に、俺は最早指先を動かすことさえ出来ない程に力尽きていた。
やがて熱い唾液の海に沈んだままそんな擦れた呻き声を上げた俺を、スネアがそっと舌で掬い上げる。
「それじゃ、そろそろ呑み込んじゃおうかなぁ・・・」
そしてそんな愉しげな声が聞こえるや否や、スネアがゆっくりと天を仰いでいった。
ズ・・・ズズズ・・・
「うぅ・・・うわああぁ・・・」
徐々に傾斜を増していく暗い口内で、落ちたら2度と生きては戻れない奈落の気配が足元に広がっていく。
だが完全に疲弊し切った体では柔らかい舌の上をずり落ちていく体を支えることなど出来るはずも無く・・・
俺はほとんど抵抗らしい抵抗も出来ないまま冥府へと続く彼女の胃袋の中へと滑り落ちていったのだった。

ズズズズ・・・ギュ・・・ギュブ・・・
「う・・・?」
落ち始めた当初は広く感じた肉洞が、奥に行くに従って急激に狭くなる。
そして胃袋に到達する前に全身が熱い柔肉に押し挟まれると、俺はそのままギュッと肉壁に締め上げられていた。
「ぐ・・・ぁ・・・」
まるで体を丸ごと押し潰されるのではないかというその凄まじい圧迫感に、一旦は死の覚悟を決めて押さえ込んだはずの恐怖心が再びぶり返してくる。
グッチュ・・・グジュ・・・ギュグ・・・
「うあああぁ・・・」
成す術も無く胃袋へと落ちていく生きた獲物を嬲るような食道の蠕動に翻弄され、俺はピクリとも身動き出来ないまま焼け付く唾液に塗れた体を散々に揉み拉かれていた。

ゴリッ・・・ゴキュ・・・グリ・・・
「ひぃ・・・止め・・・て・・・」
やがて無造作に全身を舐め回していた肉壁が、俺の敏感な部分を探り当てたかのようにその動きを変えていた。
乳首とペニスの裏筋を押し当てている肉壁が小刻みに震え始め、じっくりと睾丸を撫で上げられる。
例えようも無い快感が動かぬ体に流し込まれ、俺は荒い息を吐きながら身悶えすることしか出来なかった。
「ほらほら・・・あたしのお腹の中で暴れられないように、もうちょっと弱らせてあげるからね」
「はぁ・・・あっ・・・」
ビュビュッ・・・
もう既に暴れるどころか自分で寝返りを打つ体力さえ残ってはいないというのに、無慈悲なまでの愛撫にまたしても精を搾り取られてしまう。
だがどんなに酷い目に遭わせられたとしても、強大な捕食者に捕らわれて呑み込まれてしまった獲物には惨い仕打ちに抗議の声を上げることさえ許されないのが自然の掟。
それを自分でも自覚してしまっているだけに、俺は両目に悔し涙を浮かべながらも無惨な死の待つ更なる闇の底へと無言のまま引き摺り込まれていったのだった。

ズ・・・ドチャッ・・・
「うぐ・・・」
やがて狭かった食道を抜けて広い胃袋に辿り着くと、俺は足元に広がる固い肉の床の上へ叩き付けられていた。
相変わらず周囲は何一つ見えない完全な闇なのだが、ゴロゴロという不気味な内臓の音が何処からか聞こえてくる。
そして今度は何が起こるのかと不安を募らせながらじっと体を丸めていると、突然ドンッという爆発音のような音と衝撃が俺の全身を打ちのめしていた。
「えへへへ・・・あたしに食べられた気分はどうかな?」
ドンッ!ドンッ!
どうやらこれは、スネアが自分の腹を手で叩いている音らしい。
もちろん彼女は戯れのつもりなのだろうが、腹の中にいる俺は腹を叩かれる度に吹っ飛ばされてあちこちの固い肉壁に体を打ち付けられる程の強烈な威力に感じられていた。
「あぐ・・・や、止めて・・・ぐあっ・・・」
まるでピンボールのように胃袋の中で幾度と無く跳ね飛ばされて、ただでさえ瀕死の体にこれでもかとばかりに疲労と鈍い苦痛が蓄積されていく。
そしてようやくその爆撃が止んだ頃、俺は既に虫の息になっていた。

「うぅ・・・」
これは幻覚・・・現実の出来事ではない・・・
そう先程から何度も何度も必死に理性に言い聞かせてはいるものの、紛れも無く感じる耐え難い苦痛の嵐に俺は正に発狂寸前にまで追い詰められていたのだ。
「さてと・・・それじゃあそろそろ・・・消化しちゃおうかなぁ」
「た、助けて・・・」
このまま死を迎えれば現実の世界に帰還出来るというのに、余りの恐ろしさに思わずそんな命乞いの声を漏らしてしまう。
だがスネアにはそんな俺の消え入りそうな声は届かなかったのか、返事の代わりにゴポッという不穏な水音が俺の耳へと届いてきたのだった。

ゴボ・・・ゴボゴボ・・・
明らかに何らかの液体が分泌しているのだと分かるその恐ろしげな音が、何も見えない漆黒の闇の中に淡々と響き渡っていく。
とは言え周囲の状況も分からないのでは迂闊に動くことも出来ず、俺はじっと胃袋の中に反響するそのくぐもった水音に聞き耳を立てていた。
そして寄せては返す不安と恐怖の波に耐え続けていると、不意に地面に付いていた両手に何やら熱い物が触れる。
「うわぁっ!」
俺は焼け付くような熱を持つドロリとした粘液が指先を覆った感触に驚いてその場から飛び上がると、あたふたと真っ暗な闇の中を闇雲に這いずり回っていた。

ジュッ・・・ジュウ・・・
「うわわ・・・」
だが少しずつ足元を覆い尽くしつつあるその煮え湯のような液体から逃れる術などあるはずも無く・・・
俺はついに逃げ場を失って僅かに溜まり始めた粘液の中にへたり込んでいた。
「あ・・・熱・・・うあああっ・・・!」
もしこれが胃液なのだとしたら・・・俺はこのまま、消化されてしまうのだろうか・・・?
粘液に触れた場所も酷い熱さを感じる以外には特に皮膚が傷んでいる様子も溶けている様子もまだ無いだけに、先行きの見えない不安だけが際限無く胸の内に膨らんでいく。
スネアの口振りからすると最終的に俺を消化するつもりなのは間違い無いのだが、依然としてまだ決定的な止めは刺されそうにないことが俺は逆に恐ろしかった。

「うぐ・・・うぅ・・・」
広い胃袋の中に止め処無く溢れ出す、煮え滾った奇妙な粘液の海。
俺はそんな熱湯風呂に腰まで浸かりながら、ともすれば漏れてしまいそうになる悲鳴を必死に押し殺していた。
腹に収めた生きた獲物をこれでもかとばかりに痛め付ける残酷なスネアの責め苦に、思わず抗議の声が喉元まで競り上がってきてしまう。
しかし巨竜の腹に呑まれた以上、最早俺におとなしく死の運命を受け入れる以外の選択肢は残されていないのだ。
「ほらどう?あたしの胃液、凄く熱いでしょ?でも、まだ体が溶ける程には濃くないから安心してね!」
やはり、これがスネアの胃液なのだ。
だがまだ体に影響が出ない濃度に抑えているということは、彼女はこうして呑み込んだ獲物をじわじわと苦しめたり甚振ったりするのが好きなのだろう。
もちろんそんなことが出来るのもここがスネアの作り出した幻覚の世界だからなのかも知れないが、何れにしろ彼女の幻術に落ちた獲物には慈悲や救いなど無いということか。

「う・・・ぁ・・・ス、スネア・・・」
やがてそんなことを考えている間にも一向に冷える気配の無い熱い胃液は徐々に水位を増し、溺れないように立ち上がった俺の胸元までをも容赦無く覆い尽くしていた。
まるで燃え盛る炎の中にでも投げ込まれたかのような高熱が全身を焼き焦がし、まだ五体満足なのが不思議に感じられる程の苦痛が全身を跳ね回る。
「ん〜?どうしたの?もう限界?」
「は、早く・・・ら、楽にして・・・あぁ・・・」
何時まで続くとも知れない灼熱地獄・・・
全身を焼かれる苦しみだけでも耐え難いのに、更にそこへ水責めの恐怖まで追加されたのでは幾らこっ酷く責められることに耐性のある俺でも流石に頭がどうにかなってしまいそうだ。
そしてスネアもそんな俺の精神が限界間近であることを理解したのか、少しばかり名残惜しそうな雰囲気を滲ませながらも素直に承諾の声を上げていた。

「しょうがないなぁ・・・じゃあ、消化しちゃうからね」
やがてそんなスネアの言葉とともに、首まで浸かっていた胃液が急激にその熱を冷まし始めていた。
「う・・・ぅ・・・?」
更にはそれまで熱さしか感じていなかった全身の感覚が、何だか甘い痺れに浸されていくような感触がある。
「何だ・・・これ・・・?」
「獲物を溶かしちゃう前にね、胃液にちょっと媚薬を混ぜてあげるの。そうすると気持ち良〜く蕩けちゃうんだよ」
媚薬・・・?
確かに仄かに立ち昇る甘い香りを嗅いだだけで、陶酔感にも似た心地良さが体中を包み込んでいく。
そしてそうこうしている内にゆっくりと意識が薄れていくと、俺は暗闇の中にいるにもかかわらず真っ白な世界へと何処までも落ちていったのだった。

まるで眠るようにして迎えた、残酷だが心地良い最期の瞬間・・・
「う・・・ん・・・」
俺は数秒の間を挟んでおぼろげな意識の覚醒をすると、目を瞑ったまま手探りで自分の胸の辺りを弄っていた。
そして首に掛けていた麻紐を掴むと、そこに括り付けられていた銀の指輪を探り当てる。
確か・・・この指輪を指に嵌めれば・・・
やがてここへ来る前に受付のお姉さんから聞いた言葉を思い出して小さな水色の石があしらわれた指輪を右手の中指に嵌めることに成功すると、俺はゆっくりと閉じていた目を開いていった。

「あれれ、もう終わっちゃうの?」
その視線の先で、何処かがっかりしたような表情を浮かべたスネアが小さく首を傾げているのが目に入る。
だがスネアの水色の瞳と正面から目が合ったにもかかわらず、彼女に幻覚を掛けられたことを示すあの眩暈のような感覚は起こらなかった。
どうやら、この指輪を嵌めると彼女の幻覚を防ぐことが出来るらしい。
店の規則でスネアが客に手を触れることを禁じられている以上、この指輪さえ嵌めていればこれ以上彼女には何も出来ることが無いのだろう。
「ああ・・・悪いけど、今日はもう勘弁してくれ・・・」
「あたしはまだ全然遊び足りないんだけどなぁ・・・それじゃあ、また今度ね」
「あ、ああ・・・じゃあ、お休み・・・」
そして何とかそれだけを彼女に言うと、俺は疲労の余りドサッとベッドの上に崩れ落ちたままあっと言う間に深い眠りの世界へと落ちていったのだった。

カーン・・・カーン・・・カーン・・・
朦朧とした意識の中に甲高く響き渡る、朝を告げるチャイムの音。
俺は急激に覚醒したお陰でまだ気怠さの残る体を少しだけベッドから起こすと、そっと周囲の状況を窺っていた。
そして俺の隣でスースーと可愛らしい寝息を立てている紫色の仔竜の姿を目にすると、何だか言葉では言い表しようの無い不思議な安心感が胸の内に芽生えてしまう。
再三に亘って彼女に恐ろしい幻覚を見せられた俺はそれだけで精神的に酷く消耗してしまったものの、もしかしたらスネアはスネアで獲物に幻覚を見せることに体力を使うのかも知れない。
とにかく、無事に五体満足で朝を迎えた今は彼女との一夜が素晴らしい経験であったことに疑問の余地は無い。
それに随分深く眠っているのか隣で俺が起きたことにも気付かず眠り続けている様子から察するに、彼女はこのまま寝かせておいてあげたほうが良いだろう。
俺はそう思って服を着たままだった体を静かにベッドから降ろすと、扉を開ける前にスネアを一瞥してからそっと部屋を後にしたのだった。

「お疲れ様でした。スネアはどうだったかしら?」
「ああ・・・正にドラゴンの恐ろしさを骨身に染みて味わったよ」
「でもその様子だと、彼女のことは凄く気に入ってくれたみたいね」
俺はそんな黒フードのお姉さんの言葉に無言のまま小さく頷くと、明日からずっと空白の期間が続いている予定表へと視線を振り向けていた。
「この店、今日から改装に入っちゃうんだよね?」
「ええ・・・でも、実際の工事はもう少し先になると思うわ。まずは雌竜達を休ませてあげないといけないしね」
「次の開店は9月中旬くらいって外の貼り紙に書いてあったけど・・・」

俺がそう言うと、彼女がカウンターの椅子に腰掛けながら少しだけ声の調子を落とす。
「予定通りに行けばそうなんだけど、場合によっては少し開店が延期になる可能性もあるわ」
「本当に?どのくらい?」
「さあ・・・それは分からないわ。でも、出来るだけ早く開店させるつもりよ」
予定より延びる可能性も有るのか・・・
ただでさえ3ヶ月近い休業で悶々とした日々が続きそうだというのに、それは余り良いニュースとは言えなかった。
だが長く待たされた分だけ、またここへ来る時の楽しみが増すというものだろう。

「そっか・・・それじゃあ、気長に待つとするよ」
「そう言って貰えると有難いわ。それじゃあ、また来て頂戴ね」
「ああ。新装開店を首を長くして待ってるよ」
俺はそう言ってカウンターのお姉さんに別れを告げると、地上へと続くエレベーターへと乗り込んでいた。
次にここへ来るのは数ヶ月後・・・
長い空白期間のような気もするが、案外すぐにその時はやって来るのかも知れない。

そしてそんな何処か切ない思考に浸ったまま現実の世界へと戻って来ると、俺は9時10分を指している腕時計に目をやってしばしの間考え込んでいた。
今日は確か・・・月曜日だったっけ・・・
出勤は10時からだから、このままでは急がないと会社に遅刻してしまう。
そうしてある意味スネアが見せる幻覚の世界よりも厳しい現実の窮地に自分が立たされていることを悟ると、俺は大慌てで服を着替えるべく家へと急いだのだった。

眠らない街、新宿歌舞伎町の一角にひっそりと佇むとある1軒のビジネスビル。
その地下深くで今宵、大勢の雌竜達が犇く禁断の園がしばしの静かな休息の時を迎えた。
竜をこよなく愛する多くの者達から天国と呼ばれたその店が、次に再び目を覚ますのは一体何時のことになるのだろうか。
何れにしても、混沌と喧騒に満ちた大都会の真ん中で行き場を失った憐れな獲物達に出来るのは、唐突に訪れた寂しい夏の日々をただじっと息を殺して耐え忍ぶことだけなのだった。

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