「アディ・・・アディ・・・まだ寝てるのか?」
「ん・・・あ・・・うん・・・もう少し寝かせて・・・」
心地良い眠りの中に突如として無遠慮に響いてきたその父の声に、僕はガラガラに乾いた喉から辛うじてそんな返事を返していた。
「全く・・・他の友達はもう外で稽古を始めてるぞ。お前も出遅れるなよ」
そしてそう言い残した父が部屋を出て行くと、ほんの少しだけ体を起こして窓の外の景色に視線を移す。
「やっ!・・・やっ!・・・やぁっ!」
やがて視界を埋め尽くした緑の山と森に囲まれている長閑な田舎の風景の中に、必死で木剣を素振りしている数人の子供達の姿が浮かび上がっていた。

この村は遠い昔の時代から、人間に害を成す凶暴なドラゴンを殺すことが生業のドラゴンスレイヤーを数多く輩出することで世界に名が知られているのだという。
尤もそういう竜殺しの宝庫と言われる村や町は実はここだけでなく世界中に点在しているらしいのだが、まだ世界のことなど知らぬ9歳の僕にとって、今のところこのお世辞にも大きいとは言えない村が人生の全てだった。
「稽古か・・・」
小さい頃から剣術や座学を学び、ドラゴンを殺す技術だけでなく高度なサバイバル術をも身に付ける・・・
それがこの村に生まれた全ての男の子に課される共通の教育方針らしいのだが、正直なところ僕はドラゴンを殺すということ自体に余り気乗りがしなかった。
それというのも・・・周りの誰にも言うことなど出来ないが、僕はドラゴンが好きなのだ。

もちろん中には人間に害を成す危険なドラゴンがいることは知っているし、そういう連中を野放しにしてはおけないということも十分理解はしている。
しかし全てのドラゴンがそんな危険な害獣ではない以上、彼らの人智を超えた力強さやその逞しく凛々しい姿にある種の憧れの感情を抱いてしまうのは僕がまだ子供だからということだけが理由ではないだろう。
寧ろ機会があるのなら、ドラゴンとともに平和に暮らしてみたいとさえ思っているくらいだ。
だがドラゴンを殺すことで収入を得ている者の多いこの村の中では、それは所詮極めて実現可能性の薄い儚い夢物語でしかなかったのだ。
仕方無い・・・取り敢えず、僕も早く起きてあの稽古の列に加わるとしようか・・・
ドラゴンを殺したくないとは思っても、日々の稽古は他の皆と同じようにこなしておくに越したことは無い。
それに剣の稽古と平行して行われる座学の講義は、好きなドラゴンについての知識を学べるお気に入りの時間なのだ。
やがてベッドから抜け出した僕は軽い朝食もそこそこに明るく晴れ渡った空の下へ飛び出すと、練習用の木剣を手に懸命に素振りして他の友人達の許へと急いだのだった。

「遅いぞアディ。また寝坊したのか?」
「ああ・・・うん。昨日の夜遅くまで遊んじゃってさ・・・」
友人達に混じって同じく木剣を振り抜いていた6歳年上のゾラス兄さんが、まだ眠そうな表情を浮かべてしまっていたらしい僕の顔を見て何処か呆れ気味な声を掛けてくる。
16歳で本格的に竜殺しの修行が始まるこの村の仕来りに従って、兄は来年から駆け出しのドラゴンスレイヤーとして旅に出る予定になっていた。
それを気負っているのか、ここ最近は兄も早起きしてまだ小さな子供達の素振りの練習に加わっているらしい。
だが兄の隣に並んでいざ木剣の素振りを始めようとしたその時、僕は西の方角に広がる山の稜線から薄っすらと黒煙が上がっているのを目にしていた。
まだ空が明るい時間なだけに確信は持てなかったものの、かなりの広範囲から炎が立ち昇っているようだ。
「あれ・・・?ねえ兄さん・・・あれって、山が燃えてるのかな?」
そんな僕の言葉と視線に、兄も西の山へと目を向ける。
「本当だ・・・何だろう、山火事かな?」
「でも、もうすぐ夏になるってこの季節に山火事なんて起こるのかな?」
木々が乾燥する季節であれば落雷や腐食で倒れた木が他の木と擦れ合って山火事が起こることはあるだろうが、既にジメジメとした湿気が出始めているこの季節に山火事が自然発生した例は少なくともこれまで聞いたことがない。

「取り敢えず、今は稽古に集中しよう。何かあれば、後で連絡が来るだろうし」
しかしそんな兄の言葉に頷いて剣を振り上げると、丁度その"連絡"が村に届いたところらしかった。
立派な馬に乗った伝令役の若い男が突然西の森から飛び出してきて、そのまま村長の家の方へと走り抜けていく。
「あれって、何時も村に竜殺しの依頼を届けにくる人だよね?」
「ああ・・・ってことは、もしかしてあの山火事・・・ドラゴンが原因なのか?」
まさか・・・ドラゴンが、森の木々を焼き払っているとでも言うのだろうか?
もちろん中にはそういう暴挙に出るドラゴンがいてもおかしくはないのだが、幾ら凶暴な巨獣だとは言っても彼らだって人間と同等以上の知性を有する知的生物なのだ。
それを考えれば、何の理由も無しに自身の棲んでいる森の木々を焼き払うような真似はしないだろう。
「何か気になるな・・・村長の家に行ってみようか?」
「え?でも兄さん・・・稽古はいいの?」
「お前だって気になるんだろ?ちょっとくらい抜け出したって平気だよ」
まあ、そりゃ兄さんはそうかも知れないけどさ・・・
とは言え確かに僕も一体どんな依頼が届けられたのかについては興味があっただけに、僕達はそっと稽古を抜け出すと村長の家へと急いだのだった。

やがて5分程の時間を掛けて村長の家へ辿り着くと、丁度依頼を届け終えた伝令役の男が帰る瞬間に出くわしていた。
とは言え、村へ届けられた竜殺しの依頼は村長から村人達へ伝えられるというのが古くからの仕来りの1つ。
彼に依頼の内容を訊いてみても、それを僕達に教えてくれる可能性は低いだろう。
だが僕達の横を通り過ぎて馬で走り抜けていった男の後姿を見送ると、今度はそれに続いて村長が家から出てきたのが目に入る。
「あっ、村長、新しい依頼ですか?」
「む?おお、ゾラスとアディか。うむ・・・西の森で、どういうわけか雌の竜がそこら中を焼き払っておるらしい」
やっぱり・・・
だがこんなに遠くからでも異変が確認出来るということは、相当な広範囲を焼き尽くしているということなのだろう。
「人里に被害が出る前に早急な討伐を求むとのことじゃ。すぐに精鋭を集める故、お主らも手伝ってくれんか」
「分かりました!」
そしてそんな村長の言葉に兄が大きな返事を返すと、僕達は村で手の空いている手練の竜殺し達を急いで呼び集める為に奔走したのだった。


ゴオオオオッ・・・パチパチ・・・
「ふぅ・・・このくらいか・・・」
私の周囲で激しく燃え盛る、無数の木々を舐め尽くした紅蓮の炎。
だが凄まじい熱気と木の爆ぜる音を全身に浴びながらも周囲を見回すと、またしても炎を逃れた木の陰に無数の大きな赤い実を付けた茂みが隠れているのが目に入る。
ここもか・・・
私は胸の内で落胆にも近いそんな声を呟きながら大きく息を吸い込むと、その茂みに目一杯の炎を吐き掛けていた。
ゴオオオオオッ・・・バチッ・・・パチチッ・・・
昨夜卵から孵ったばかりの娘の為にも、この危険な実は今の内に1つ残らず焼き払っておかなくてはならない。
その為に広範囲の森を焼き尽くしてしまった影響は決して小さくないだろうが、ここは人間達の住み処からも離れているし特に大きな問題は起こらないはず。
尤も、野生の獣達がしばらくこの周辺に近付かなくなってしまうだろうことが些か困ると言えばそうなのだが・・・
やがて粗方住み処の周辺に自生していた赤い実の付いた茂みを残らず焼き払うと、私は手近で燃え盛る草花を脚や尻尾で振り払いながら幼い娘の待つ洞窟へと引き返していた。

「きゅうっ・・・きゅううっ・・・」
洞窟に近付くに従って、眠りから目覚めて傍に母親がいないことに気付いたらしい娘の心細そうな鳴き声が聞こえてくる。
私はその哀愁を誘う呼び声に少しばかり足を速めると、薄暗い洞内にそっと潜り込んでいった。
そしてその最奥に広がる空洞の真ん中で急拵えの寝床に寝かされていた小さな娘の姿を目にすると、私はそっとその横に大きく重々しい体を横たえていた。
背中に纏った真紅の肌理細やかな鱗と、腹側を覆う乳白色の滑らかな皮膜。
細長い鼻先を尖らせた頭部からは微かに湾曲した琥珀色の小さな双角が生え伸びていて、透き通った青色の円らな瞳が幼い頃に水溜りに映してみた自身の顔を想起させる。
今はもう何処かへと行ってしまった行きずりの父親の面影など何処へやら・・・
長い年月を生きる内に眼だけは昔の純真さとは程遠い切れ長の鋭い眼光を宿すそれに変わってしまったものの、その娘の姿は正しく私自身をそのまま小さく縮めたと言っても過言ではない程に全てが私に瓜二つだった。
「きゅっ・・・きゅきゅっ・・・」
「どうした・・・外が気になるのか・・・?」
やがて傍にやってきた私の姿に娘は一時は安堵の表情を浮かべたものの、洞内から微かに見える外が一面激しい炎に包まれていることに気付いたのか途端にその顔が不安に歪んでしまう。
「あれは気にするな・・・全て・・・お前の為にやったことなのだ・・・」
そしてそう言いながらその怯える頬をそっと舌先で舐め上げてやると、ようやく安心したらしい娘は再び静かな眠りに就いたのだった。

その日の夜・・・
山を焼き払う凶暴な雌竜の討伐隊に選任された4人の精鋭の竜殺し達が、静かに村を発っていた。
隣国の山向こうまでは馬で数時間の距離・・・
深い山林を馬で駆け抜けるのは容易ではないだろうが、訓練を積んだ手練の彼らであれば恐らく夜明け頃までには目的地に辿り着けることだろう。
僕は物々しい装備を身に纏って颯爽と森に消えていった4人の男達を家の窓から見送ると、そのままゴロンと自分の部屋のベッドに身を横たえていた。
僕にも、何時かあんな風に仲間達とともにドラゴンを倒しに旅立つ日が来るのだろうか・・・?
その前に16歳になれば世界を旅して竜殺しの技術以外にも見聞を広めたり異文化に慣れ親しんだりするという数年に亘る大変な修行が待っているのだが、それを乗り越えても一人前の竜殺しと認められるのはほんの一握りなのだ。
現にゾラス兄さんでさえ、努めて表には出さないものの来年から始まる修行の旅には大きな不安を抱えているらしい。
しかしそれだけに、この村でも手練の竜殺しは正に英雄と言っても良い程の扱いを受けていた。
そんな経験も技術も十分な精鋭達が4人も討伐に向かったのだから、たとえどんなに凶暴だろうときっと今度の雌竜とやらも一溜まりもないだろう。
そしてそんな激しい人と竜の戦いを脳裏に思い浮かべている内に、僕は静かに夢の世界へと落ちていったのだった。

「・・・?」
気のせいだろうか・・・?
たった今、住み処の外に何者かの気配を感じたような気がする私は懐でまだ娘が眠りに就いていることを確認すると、そっと体を起こして洞窟の外へと出て行った。
既に明け方近くとなったらしい薄白い空の下、まだ火の消えていない森が其処彼処でパチパチと乾いた木肌の爆ぜる音を鳴らしている。
だが幾ら周囲を見回してみても、特に何か生き物がいるような気配は感じられない。
まあ、それも当然だろう。
ただでさえ野生の獣は竜の住み処になど近付かぬものだというのに、今はその周辺の広大な森があちこちで燃えているのだ。
そんな焼け野原の真ん中に佇む洞窟になど、何処をどう間違っても獣がうっかり迷い込むことなどあるはずがない。
では、先程の気配は・・・

次の瞬間、私はヒュッという小さな風を切る音を聞くや否や脇腹の辺りにチクリとした鋭い痛みを覚えていた。
見れば辛うじて堅牢な鱗に護られていない側面から見える僅かな皮膜の部分に、細長い何かが突き刺さっている。
「ウグッ・・・」
しかし傷の小ささに安堵したのも束の間、私は何だか体中の力が抜けるような感触を味わっていた。
これは・・・毒・・・?
小さな傷の割に凄まじい激痛を伴いながら手足の先が痺れていくという状況に、ようやく襲撃者の正体が確信に至る。
やはり、人間か・・・!
人里離れた場所だからと油断していたが、まさか私の命を狙って人間がやってくるとは・・・
そしてそんな私の目の前に、やがて3人の人間が姿を現していた。
それぞれがそれぞれに物々しくも禍々しい武器や防具で身を包み、内1人は恐らくさっき私の脇腹に毒矢を射ち込んだのだろう大きな弩を手にしている。

「き・・・貴様ら・・・グ・・・」
幸い完全に体の自由が奪われたわけではないらしかったものの、それでも手足の指先にほとんど力が入らない。
自身の巨体を支える四肢が麻痺しているだけでも相当に不利だというのに、その上矢を受けた傷口が先程から焼け付くような耐え難い痛みを絶えず送り込んでくるのだ。
森を焼いたという状況からして私が炎を吐く火竜であることを察しているのか、やがてじっと私の挙動を凝視している3人が大きな木の裏に身を隠しながらゆっくりと近付いて来る。
ここは一旦退くべきだろうか・・・
あの洞窟の中であれば、こ奴らに私の炎を防ぐ術は無いはずだ。
産まれたばかりの幼い娘を危険に晒すことになってしまうが、それでもここで1対3の不利な戦いを強いられるよりは幾分マシだろう。
だがそんな私の思考の隙間を突くように、1人の男が再び私の顔に向けて矢を放つ。
ヒュッ!
「ウッ・・・」
咄嗟に首を捻ったお陰で何とか矢はかわせたものの、これでは迂闊に奴らに背を向けるのも危険だろう。
たった1本の毒矢を受けただけで手足が痺れ牙を食い縛らざるを得ない程の痛みに苦しんでいるというのに、あんなものをもう数本も射ち込まれたら一溜まりもないに違いない。
しかし口惜しいことに、どうやらそんな私の逡巡こそがこの不埒な人間達の本当の狙いらしかった。

その直後、目の前の人間達を睨み付けていた私の背後からガサッという微かだが不穏な音が耳に届いていた。
それに驚いて音のした方向・・・私のすぐ後ろに聳え立っていた大きな木の上を首を捻って見上げてみると、一体何時からそこに潜んでいたのか4人目の人間が丁度高枝の上から身を投げ出した瞬間が目に飛び込んでくる。
だが予想だにしていなかった頭上からの急襲に意識を振り向けようとした刹那、私の注意が逸れたことで今度は前方にいた3人の人間達が一斉に木の陰から飛び出しては各々物騒な武器を構えて私に飛び掛かってきた。
ガッ!ドスザク!ズドッ・・・!
やがて数瞬後、一気に四方へ分散された意識を集中させる間も無く4つの鋭利な刃が私の全身に叩き込まれる。
一瞬にして巨竜の四肢をも麻痺させる強力な毒をたっぷりと塗った剣が、斧が、槍が・・・
そして弩から放たれた3本目の矢が、私の腹部と後頭部に容赦無く深い傷を刻み込んだのだ。
狙われた箇所で唯一堅牢な竜鱗で護られていたはずの頭部は落下の勢いを十二分に乗せた斧の一撃でかち割られ、私は即死こそしなかったものの悲鳴もロクに上げることも出来ないまま完全に麻痺した体を地面に倒れ込ませていた。

ドドオォン・・・
「アッ・・・ガ・・・」
ピクピクと手足の指先が痙攣しているようだが、幸いというべきか麻痺毒の影響で痛みがほとんど感じられない。
パックリと断ち割られた頭と無数の刃に切り裂かれた腹部からは深紅に染まる血が大量に溢れ出していたものの、私は間も無く死を迎えるであろう自分のことよりも独り残される娘のことに思考の大部分を割かれていた。
この人間達は、明らかに竜を殺す為の訓練を積んだ者達だ。
ならば彼らは・・・つい先日産声を上げたばかりの娘をもその手に掛けるつもりなのだろうか・・・?
娘を・・・娘を護らなくては・・・
最早母親の本能と言っても良いそんな焦燥に胸が焦がされても、生憎体の方は全く言うことを聞いてくれそうにない。
そしてもうどう足掻いても自分ではどうすることも出来ないということを悟ると、私は仕留めた獲物の様子を確認しに来たのだろう人間達と顔を見合わせながらポロリと一筋の悔し涙を溢れさせたのだった。


森を焼いていたあのドラゴンは、もう討伐された頃だろうか・・・?
翌朝、僕は窓から差し込む明るい陽光で目を覚ますと昨日燃えていた西の山の方角を見つめながらふと心中でそんな呟きを漏らしていた。
例のドラゴンの討伐に向かった4人は、この村の中でも正に精鋭中の精鋭。
見上げるような巨竜だろうとあっという間に麻痺させてその動きを封じてしまうという強力な毒を駆使する彼らに掛かれば、どんなに凶暴なドラゴンだろうともきっとあっという間に打ち倒してしまうのに違いない。
そんな彼らが使う毒薬はドラゴスの実という特殊な赤い果実に含まれている薬効成分を抽出することで精製しているらしく、その製法はこの村の中でもベテランの竜殺し達の間でしか共有されていないのだという。
ドラゴスの実は元々稀少な果実であるらしくこの近辺の森でも自生はしていない為、竜を殺す技法についてはありとあらゆることを学ぶ座学でもそれについてはほんの触り程度にしか触れられていなかったのだ。

だがその日の昼過ぎ頃・・・
「やっ!・・・やっ!」
他の子供達と一緒に汗を掻きながら家の外で懸命に剣を振る練習をしていると、僕は西の森から昨夜ドラゴン討伐に出掛けた連中が帰って来たところを目撃していた。
4人とも無事ということは、きっと今回も滞り無く仕事を終えて来たのだろう。
だが次々と村に戻って来た竜殺し達の内、最後尾にいた弩使いの男がどういう経緯からかその手に真紅の鱗を纏った小さな雌の仔竜を抱き抱えているらしかった。
「皆お帰りなさい!その仔竜・・・どうしたんですか?」
「おお、アディか・・・実は今回の依頼で討伐したドラゴンなんだが、子供が産まれた直後だったらしくてな・・・」
「依頼に無い仔竜を無闇に殺すわけにもいかないから、皆で協力して村で育てようという結論になったんだ」

竜殺し達の村で、仔竜を育てる・・・か・・・
確かに討伐対象ではないドラゴンを無闇に殺すのは自然の生態系を破壊しかねないし、元来ドラゴンは知能が高く人間と共生関係を築いている例も決して少なくないのだという。
それなら仔竜の内から人間に育てれられれば、人間にとって友好的な存在になる可能性は十分に高いだろう。
「ただ、皆で育てるといっても放し飼いにするわけにはいかんからな。誰かが面倒を見てくれれば良いんだが・・・」
「あ・・・だったら、僕が家で育てるよ!」
ドラゴンの子供を、自分の家で育てられる・・・
ドラゴン好きな僕にとってはそんなある意味で夢のような話、乗らない手は無いだろう。
「お前が?ああ・・・まぁ、そうしてくれるなら助かるが・・・」
そして少し困惑しながらも弩使いの男が抱えていた仔竜を僕に預けてくれると、僕は可愛らしい円らな瞳で新たな"父親"の顔を見つめている彼女の姿に胸をときめかせたのだった。

それからしばらくして・・・
やがて仔竜を家に連れて帰った僕を見た反応は、面白いことに父とゾラス兄さんで真逆に別れていた。
「何だアディ、討伐隊が見つけた仔竜、引き取ってきたのか?」
「うん・・・その・・・僕、ドラゴンが好きだから・・・家で育てても良いでしょ?」
「ははっ・・・実を言うとな、俺もドラゴンが好きなんだよ。だから、俺は竜殺しの道には進まなかったんだ」
そんな父の意外な告白に、僕は竜殺しばかりのこの村で何だか自分の理解者が増えたような気がした。
しかしそんな父とは反対に、ゾラス兄さんは僕が連れてきた仔竜を見て大層驚いたらしい。
「わっ!ア、アディ、どうしたんだ?その仔竜・・・」
「今朝戻ってきた討伐隊が住み処で見つけたんだって。だから、僕の家で育てることにしたんだよ」
「育てるって・・・そいつは火竜の子供なんだろ?下手したら家を丸焼きにされちまうぞ」
まあ確かに、あんな風に森を焼き払っていたドラゴンの子供なのだから彼がこの仔竜にそんな印象を抱くのは仕方の無いことなのかも知れない。
だが僕に抱かれていた可愛い仔竜はそんなゾラス兄さんの剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、きゅぅっと小さな鳴き声を上げてから大きく息を吸い込んでいた。

ボッ!
「ふきゅっ!?ふきゅきゅ〜っ!?」
次の瞬間、どうやら暴発したらしい炎で仔竜が口内を盛大に火傷してしまったらしかった。
恐らくは生まれて初めて感じるのだろう激しい火傷の痛みに、仔竜がその円らな瞳に薄っすら涙を溜めながらバタバタと身悶えている。
「な、何だ?火を吐くのを失敗したのか?」
そう言うと、さっきまで家を焼かれることを心配していたゾラス兄さんがその場にしゃがみ込んであろうことか仔竜の口内を覗き込んでいた。
「あ〜・・・結構あちこち火傷しちまってるな・・・まあでも、唾液が火傷の薬になるくらいだからすぐに治るだろ」
「きゅうぅ・・・」
自分の吐こうとした火で火傷を負ったのだとはいえ、涙目で項垂れる仔竜の何処となく愛らしい姿に彼もどうやら少しは気を許してくれたらしい。
「アディ、仔竜を飼うのは良いけど、火を吐くのと排泄の躾だけはしっかりしろよ」
「う、うん、分かってるよ」

その日から、我が家にもう1人の・・・いや、もう1匹の家族が加わった。
ロメリアと名付けられた仔竜は最初こそ突然人間達の社会の中に放り込まれて困惑を隠せなかったものの、それでも毎日美味しい餌と暖かい寝床を与えられたことで母親が居なくとも現状に特に大きな不満は無いらしい。
流石に火竜に火を吐かせないわけにはいかないので、毎日外の広場に連れて行って思う存分火を吐く練習もさせた。
ロメリア自身も火を吐くことが取り分け人間にとって危険な行為であるということは本能的に察したようで、僕が特に何かを言わなくても広場以外の場所では決して火を吐かないようにしてくれている。
生まれたばかりなだけにまだ人間の言葉を話すことも理解することも出来ないが、それでも僕とロメリアは何時も一緒にいるだけで何だかお互いに心が通じ合っているような気がしたのだ。


それから1年後・・・
「じゃあなアディ。これでしばらくお別れだな」
「ああ、気を付けてな」
「うん・・・きっと無事に戻って来てね」
16歳となったゾラス兄さんが、一人前の竜殺しとなる為に旅に出る日がやって来た。
竜殺しを目指す者で今年16歳になったのは村の中では兄だけだったので同期の居ない寂しい旅立ちではあったのだが、それでも去年まであった旅に対する不安は寧ろある種の期待に変わっているらしい。
「ゾラス・・・行っちゃうの・・・?」
やがて数ヶ月前からようやく人間の言葉を少しずつ覚え始めたロメリアが、僕の横にちょこんと座りながらそんな可愛らしい声を上げる。
「ああ、ロメリア・・・良い子にしてるんだぞ。5年後には戻ってくるから、それまで俺のことを覚えといてくれよ」
「う、うん」

あれから1年が経ち体も一回り大きくなったロメリアは我が家の中だけでなく、竜殺し達の多く住むこの村の中でも随分な人気者となっていた。
最初はロメリアを家で買うことに渋い顔をしていた兄も、何時の間にか僕以上にロメリアに構うようになっていたのが印象深い。
竜殺しとなる為の旅の期間は5年・・・ゾラス兄さんが帰ってきたら今度は入れ替わるように僕が旅に出ることになるのだが、取り敢えずそれまではロメリアの成長を見守ることが出来るだろう。
そして無事に兄の旅立ちを見送ると、僕は竜殺しとなる為の訓練は続けながらも少し静けさの増した家の中でロメリアと楽しい日々を送る生活に戻ったのだった。

それからしばらくして・・・
僕も訓練で座学を学ぶだけに普通の人間よりドラゴンに対する知識はあるだろうと自負していたのだが、実際にドラゴンの子供の成長を見守るにつけ、僕はそれがとんでもない思い上がりだったことを思い知らされていた。
毎日朝にロメリアに起こされ、村の広場で走り回って遊ぶ彼女を横目に木剣を素振りする日々・・・
一見すると至極単調に見えるその生活にも、彼女と暮らす僕には毎日のように目に見える変化が伴っていたのだ。
「ロメリア・・・また大きくなった?」
「え?・・・う、うん・・・多分・・・」
ゾラス兄さんが旅立ってから数ヶ月が経つ頃、幼少時よりも更に成長したロメリアの体高は早くも僕の胸の高さくらいにまで成長していた。
初めてこの村に連れて来られた時はまだ体高30センチ少々だったというのに、あれからほんの1年半足らずでもう2倍以上の70センチを越えようとしているらしい。
この調子で大きくなっていったら僕が旅に出る6年後にはもう僕の身長と同じか、或いはそれ以上の体高を誇る立派な雌竜になっていることだろう。

しかしそれでも、どうやら彼女の精神面は体の成長の速さとは裏腹にゆっくりと成熟していくものらしかった。
人間の社会で暮らしているお陰かロメリアが人語を覚え始めたのは随分と早かったものの、体が倍以上に膨れ上がった今も彼女はまだ人間の存在に慣れないのか何処と無く落ち着かない様子を見せることがある。
もちろんそれは彼女がドラゴンで、ここがそのドラゴン達を殺すことを生業とする竜殺し達の多い村だという状況を正確に把握しているが故の反応なのかも知れない。
傍目から見れば彼女は村人の誰からでも声を掛けて貰える程に人気のあるマスコット的な存在になっているのだが、当の彼女自身はそんな村で暮らしていることに心の何処かである種の不安を抱いているのだろう。
僕は昼頃になって一緒に訓練していた子供達が皆昼食を摂る為に自分の家へ帰って行ったのを見送ると、走り回ることに疲れたのか広場の真ん中でポツンと座り込んでいたロメリアに近付いていった。
「ロメリア、どうかしたの?今日は元気が無いみたいだけど・・・」
「わ、私ね・・・このままこの村で育ったら、一体どうなるのかなって・・・時々心配になるの・・・」
僕は何だか彼女の心中に燻っていた重大な悩み事を突然打ち明けられたかのようなその重々しい雰囲気に一瞬だけたじろいだものの、何とか平静を装うと彼女の隣の草地にそっと腰を下ろしていた。

「別に、どうにもなったりなんてしないよ。ロメリアは僕の一番の友達だし、今や家族の一員でもあるんだからさ」
「でも・・・アディも・・・ゾラスみたいにその内何処かへ行っちゃうんでしょ?」
「修行の旅に出るのはまだ5年以上も先の話だよ。それに、その頃にはもうゾラス兄さんも帰って来てるだろうしさ」
だがそう言っても、ロメリアはまだ納得が行っていないらしい。
「でも私は・・・アディと一緒にいたいわ・・・」
「え・・・?」
僕と・・・一緒にいたいだって・・・?
「私、初めてこの村に来た時のことはあんまり覚えてないんだけど・・・」
そう言いながら、ロメリアが硬い赤鱗に覆われたその背中を不安げに左右に揺らす。
「今はアディと一緒に暮らしてるってことは、アディが私を引き取ってくれたんでしょ?」
「うん・・・」
「その時・・・私のお父さんとお母さんはどうなったの?」

特に先程からロメリアの雰囲気が変わらなかったから気付くのが遅れたのだが、僕はその質問を口にした彼女の目元が何時の間にか微かに潤んでいるのを視界の端に捉えていた。
誰も彼女の生い立ちについて話すことは無かったものの、きっと彼女は自分の両親がこの村の竜殺し達に殺されてしまったと思っているのだろう。
僕はそれを彼女に話して良いものか一瞬迷ったものの、泣きながらも声を立てないように必死に牙を食い縛っているらしい彼女の痛ましい様子を見て意を決していた。
「正直に言うと、ロメリアのお父さんのことは分からないんだ」
「・・・え・・・?」
「多分今も何処かにはいるんだろうけど、少なくともロメリアの住み処には棲んでいなかったらしいんだよ」
そんな僕の言葉の意味を頭の中で反芻しているのか、彼女がしばし無言のまま涙で潤んだ大きな瞳で僕の顔を真っ直ぐに見つめてくる。
「そ、それじゃあ・・・私のお父さんは生きてるの・・・?」
「まあ中には番いと家族にならずに住み処を転々とする雄竜もいるから、見つからないかも知れないけどね・・・」

しかしそれでも、もう両親を失ったものだと思っていたロメリアにとっては少しばかり希望のある話だったらしい。
「でもお母さんの方は・・・ロメリアが思っている通り、隣国からの依頼を受けて討伐されたんだよ」
「討伐って・・・悪いことをした竜だけが対象になるんでしょ?お母さん、一体何をしたの・・・?」
「住み処の周りの森を焼き払ってたんだよ。どうしてそんなことをしたのかは、結局判らなかったんだけどね・・・」
そう言えば、ロメリアの母親はどうして突然あんなにも広範な森を焼いたのだろうか?
討伐に向かった竜殺し達の話では件の雌竜は特に錯乱している様子も無かったそうだし、野生の獣だって燃えてる森には近付くはずがないから何か理由があったんだろうってことは想像が付くのだが・・・
「そう・・・でもお母さん・・・きっと産まれたばかりの私を何かから護ろうとしてくれたんだと思うわ」
「どうしてそう思うの?」
「だって、火を吐くのって凄く疲れるのよ?すぐに息切れするし・・・何の理由も無しに火なんて吐かないと思うわ」
成る程・・・ロメリアが言うのならそうなのだろう。
確かに人間も強く長い息を吐けばすぐ酸欠で頭がクラクラしてしまうし、それが炎ともなれば尚更なのかも知れない。
にもかかわらずそんな重労働をしなければならない理由がもし本当に何かあったのだとしたら、まだ産まれて間も無い娘の為だと考えた方が自然なのだろう。
だがロメリアとそんな話をしている内に昼食を終えて午後の訓練の為に家を飛び出してきた他の子供達の姿が目に入ると、僕はロメリアの背中を軽く摩ってやりながらそっと立ち上がったのだった。

「アディ・・・ねぇ・・・起きて・・・」
それから、更に半年程が経った頃だろうか・・・
日を追う毎に少しずつ厳しさを増す日中の訓練に疲れ果てて眠っていた僕は、まだ真夜中だというのにそんな囁き声でロメリアに起こされていた。
「う・・・ん・・・」
そしてそっと暗い部屋の中で目を開けてみると、早いものでもう体高1メートル近くにまで成長した彼女がベッドの横からじっと僕の顔を見つめているのが目に入る。
「ロ、ロメリア・・・どうしたの・・・?」
だがそんな僕の問い掛けに、透き通った宝石のような彼女の青い瞳が微かな動揺に揺れていた。

「ご、ごめんね・・・夜中に起こしちゃって・・・」
寝ている僕を起こしてしまったという罪悪感からだろうか、普段から余り気の強い方ではないロメリアの声が何時に無く震えているようだ。
だが肝心の本題を切り出そうとする度に声を詰まらせているらしい彼女の様子に、僕は取り敢えず広いベッドの端に寄るとそっと布団を持ち上げていた。
「ほら、おいでよ」
既に体の大きさだけで言えば11歳の僕なんかよりも遥かに大きくなってしまったロメリアを自分と同じ床に呼ぶのは正直不安だったものの、彼女もそんな僕の心情を察したのか少しばかり遠慮がちにベッドの上へと攀じ登って来る。
そして布団の中でほんのりと温かい、しかしゴツゴツとした硬い竜鱗に覆われている脇腹を僕の腕へ押し付けると、多少は気分が落ち着いたのか彼女がフゥーという長い息を吐き出していた。

「それで・・・どうかしたの?」
「え?う、ううん・・・何でもないの・・・」
夜中に怖い夢を見て飛び起きたというわけでもないようだし、一体彼女の身に何があったというのだろうか?
だが僕と同じベッドに体を横たえた彼女はそれだけでも大分安心したのか、こんな真夜中に僕を起こした理由について話してくれる気配は無さそうだった。
「それじゃあ僕・・・もう寝ても良い?」
先程から僕と視線を合わせないようにじっと壁の方を見つめていた彼女はその一言に一瞬体を強張らせたものの、やがて数秒の間を置いて何かを観念したかのようなか細い返事を漏らしていく。
「・・・うん・・・」
きっと彼女は、本当は僕に何かを頼みたかったのだろう。
にもかかわらず彼女がどうしてもそれを言い出す勇気を持てなかったということは、それが僕にはどうしても無理なことだったか・・・或いはまだ早いと思えるようなことだったのかも知れない。
だがそれが一体なんだったのであれ、取り敢えず考えるのはまた明日にするとしよう。
大柄なロメリアの体のお陰で上に掛けていたはずの布団は全部彼女に取られてしまったものの、僕は心地良い温もりに満ちた彼女の腹に背中を押し付けるようにして再び眠りに就いたのだった。

だが、次の日の朝・・・
「アディ、もう起きろ。ロメリアはどうしたんだ?」
何時も優しく体を揺すってくれるロメリアの代わりに、僕は久々に聞いた気のする父の声で起こされていた。
「え?あ、あれ・・・ロメリアは何処・・・?」
ふと気が付くと、昨夜僕のすぐ隣りで眠っていたはずのロメリアの姿が忽然と消えていた。
いや・・・まだベッドに微かな温もりとシーツの皺が残っていることから考えても、彼女はほんのついさっきまでここで眠っていたはず・・・
だが父も姿を見ていないということは、恐らく何時の間にかこっそりと家を抜け出したのだろう。
「いなくなったのか?それならすぐに探さないと」
やがてそう言うと、父が何処か慌てた様子で部屋を飛び出していく。
そしてまだ寝惚けていた頭の中がようやく鮮明になってくると、僕もまたベッドから跳ね起きて服を着替えていた。
ロメリア・・・一体何処へ・・・?
昨夜彼女が何となく思い詰めたような顔をしていたことと、何か関係があるのだろうか?
だがロメリアが消えたことを巡って家の外が大勢の人々でガヤガヤと賑わい始めた正にその時、僕は家の壁越しに遠くから"見つけたぞー!"という声を聞いたような気がしたのだった。

その微かな声が現実であることを祈りながら家の外に出てみると、僕は家から数十メートル程離れた所にある馬小屋に人々が集まっているのを目にして足を速めていた。
そして大勢の村人達の間を縫うようにしてその先の様子を窺うと、そこには突然の侵入者に驚いたのか迷惑そうに小屋の端に寄って水を飲んでいる馬達の真ん中で眠っているロメリアの姿があった。
一体何が・・・?
「ロメリア!」
しかしそんな疑問が頭の中に浮かぶより早く、僕は半ば上擦った声でそう叫びながら彼女に縋り付いていた。
「ん・・・ア、アディ・・・?」
周囲でガヤガヤとどよめいている人々の気配には全く起きる気配が無かったというのに、そんな僕の声でロメリアが深い眠りからゆっくりと目を覚ます。

「あ・・・」
だが何時の間にか大勢の村人達が馬小屋の周囲を取り囲んでいたことに気が付いたのか、彼女は途端に落ち着きを失って震えた声を漏らしていた。
「ロメリア・・・どうかしたの?さっきまで僕と一緒に寝てたのに、何でこんなところで・・・」
「ご、ごめんなさいアディ・・・その・・・私・・・」
怯えている・・・というよりはどちらかというと何処か恥じらっているように見える彼女の様子に何らかの事情を察したのか、その場にいた数人の竜殺しの人々が他の村人達にその場を離れるように促し始める。
そしてものの1分もしない内に馬小屋の中に僕とロメリアと数頭の馬達だけが取り残されると、彼女がようやく少し落ち着いた様子で途絶えた言葉の続きを話し始めていた。

「私・・・昨日の夜・・・アディを起こしちゃったでしょ?」
「う、うん・・・」
「あれはね・・・本当は私・・・アディに・・・な、慰めて欲しかったの・・・」
え・・・?
「な、慰めるって・・・何か、辛いことでもあったの?」
「ち、違うの・・・そうじゃなくて・・・でも、何だかアディに言うのは・・・まだ早い気がして・・・」
そう言いながらそこらの人間なんかよりも遥かに大柄で丈夫な体をした雌のドラゴンが心底弱った様子で身を縮込めている様子に、僕は幼いながらも何となく彼女が何を欲しているのかの想像が付いていた。
「そんなの気にしなくて良いからさ・・・ほら・・・それって、どうすれば良いの?」
僕がそう言うと、彼女が正に恐る恐るといった様子で地面に敷かれていた厚い藁の上に仰向けに身を翻す。
そしておずおずと両脚を広げると、彼女が赤鱗で覆われたその体を更に紅潮させながら僕の目の前に自身の股間を曝け出していた。

チュ・・・クチュ・・・
その瞬間股間に縦に走った細長い割れ目が微かに開き、粘着質な水音がそこから漏れ出してくる。
ねっとりと尾を引く微かに桃色掛かった粘液が淫靡なスリットの内部で糸を引き、何層にも重なった細かな赤肉の襞がまるで波打つように蠕動していたのだ。
だが・・・それが彼女の生殖器であることを理解するのに、僕は実に十秒以上もの時間を費やしていた。
ドラゴンについて学ぶ座学でも、彼らの繁殖方法について触れるのはまだずっと先の話のはず・・・
つまりこれは、本来僕が知るにはまだ早い未知の世界なのだろう。
にもかかわらず・・・ほんの少し首を持ち上げて切なげにこちらを見つめているロメリアの様子で、僕は彼女がどうして欲しいのかを半ば本能的に悟ってしまっていた。

ほんのりと鼻腔の奥を突く、体中が火照るような雌竜のフェロモンか・・・
或いは艶かしく蠢く竜膣の戦慄きに呼応して何時の間にかそそり立っていた自身の雄がそれを望んだのか・・・
それが果たして如何なる理由に拠るものかは分からなかったものの、僕は半ば明かりに誘われる蛾のように彼女の股間に開いた秘裂へと吸い寄せられていった。
そして静かに自身の右腕を突き出すと、先程からグブッ、グブッという淫靡な水音を発している肉洞へゆっくりとその指先を突き入れてやる。
ジュブッ・・・
「あっ・・・」
「わぁっ!」
だが人差し指と中指の先を彼女の割れ目の中に押し込んだ次の瞬間、僕はまるで火傷するのではないかと思えるようなその熱さに思わず腕を引っ込めたのだった。

まだ精々ほんの2歳かそこらの仔竜・・・であるにもかかわらず、早熟な個体なのかロメリアは既に"雌"としての自我と機能をその身に宿しているらしい。
確かな知識は無くとも本能的な何かでそれを感じ取ると、僕はまだジンジンと焼け付くような熱を放つ指先を濡らした粘液をじっと見つめていた。
だが・・・彼女がそう思ったように、これは多分僕が経験するにはまだ早い未知の領域の出来事なのだ。
それなのに・・・雄を引き寄せる濃厚なフェロモンをたっぷりと吸い込んでしまったせいか、指先ばかりでなく全身にまでその不可思議な熱が広がっていく。
先程から屹立していた自身の肉棒がギンギンに膨れ上がり、今にも張り裂けんばかりの脈動に打ち震えている。
「あ・・・あぅ・・・」
凄まじい引力・・・そう表現する以外に無い何かが、尚も僕の心身を抗い難い力でロメリアの方へと吸い込んでいく。
そしてついに本能的な期待と雄としての欲望が理性の制止を振り切ってしまうと、僕は藁床の上に寝そべったロメリアの腹によじ登っていた。

グブ・・・ゴブ・・・
それはまるで、煮え滾ったマグマを湛える灼熱の火口・・・
ゴボゴボと粘着質な泡を立てながら糸を引く淫靡な愛液が真っ赤な秘肉の表面を滴り落ち、これからそこに突き入れられる雄槍を今か今かと待ち構えていた。
「ア、アディ・・・」
僕の身を心配しているのか、それとも彼女自身も心中に湧き上がる期待と興奮を抑え切れないのか・・・
不安そうに漏れてきた彼女の声とは裏腹に、僕を見つめる青色の竜眼が早く早くと催促の視線を送ってくる。
「そ、それじゃロメリア・・・い・・・入れるよ・・・」
彼女にというよりはどちらかというと自身に言い聞かせるようにそう呟くと、僕は数回大きな深呼吸をしてから彼女の腹の上についていた両手をギュッと握り締めていた。

・・・チュプッ・・・
「熱っ・・・!」
張り詰めた怒張の先端が軽く愛液に濡れた淫唇に触れただけだというのに、高圧電流に触れたかのような鋭い刺激が全身にビリリと跳ねる。
だが確かな苦痛に感じたはずのその熱さが引いていくと、僕は意を決して煮え滾った彼女の肉洞へ自身のモノを押し込んでいた。
ジュブブッ・・・!
「ああっ・・・!」
「はあぁっ・・・ぁっ・・・!」
その瞬間燃え盛る炉の中へ肉棒を突き入れてしまったかのような絶望的な灼熱感とそれを遥かに上回る紛れも無い快感が押し寄せてきて、両の手足から完全に力が抜けてしまう。
ズブ・・・ズブブ・・・
そして支えを失った体が更に根元までペニスをロメリアの火所に埋めてしまうと、僕はその生まれて初めて感じる強烈過ぎる快楽の嵐に全身をビクビクと痙攣させていた。
と同時に、何か言葉では形容し難い甘い疼きのようなものが体の奥から込み上げてくる。
「あ・・・は・・・ア・・・ディッ・・・」
やがて僕と同じく初めて雌雄の営みの味を知ったのだろうロメリアが、上擦った声を漏らしながらほとんど無意識的に僕のペニスをその分厚い襞の群れで扱き上げていた。

ゴシャシャッ
「ふぐぁっ・・・!」
入れただけでも天にも昇るような心地良さと魂をも蕩けさせるような快感に溺れていたというのに、そこへ容赦無く叩き込まれた無情な追い打ちが一瞬にして僕を絶頂の高みへと押し上げていく。
そして先程から体内に燻っていた甘美な疼きが一気に突き上げてくると、僕はビクンと肉棒を震わせながら凄まじい快楽の発露に酔い痴れていた。
「ああぁっ・・・!」
まだ精通していない幼いペニスが、熱く煮え立つ竜膣の中でヒクヒクと戦慄いている。
ロメリアの方は残念ながら僕の与える刺激が弱かったのか絶頂には至らなかったものの、中へ入れただけでほとんど成す術も無く撃沈してしまった僕の様子にやはりまだ雌雄のまぐわいは時期尚早だったことを悟ったらしかった。

「はぁ・・・ぁ・・・ロ・・・メリア・・・」
これまで1度も経験したことの無い凄まじい気持ち良さに、すっかりと全身の力が抜け切ってしまう。
射精を伴わぬ絶頂に肉棒が幾度と無く大きく脈を打ち、僕はそれだけで何だかぐったりとした疲労感に包まれていた。
「ご、ごめんねアディ・・・やっぱり・・・アディにはちょっと早かったよね・・・」
もう指先さえロクに動かせそうに無いそんな僕の姿を見てまだ幼い子供を無理に雌竜とのまぐわいに付き合わせてしまった自身を恥じているのか、彼女が心底申し訳無さそうにその大きな手で僕の背を摩る。
産まれて間も無い頃から人間の村で暮らしているからなのか、それとも単に元来そういう性格なだけなのか、少なくとも僕にとってロメリアはこの村に住む誰よりも優しい存在に感じられた。
「ううん・・・良いよ・・・僕も・・・気持ち良かったから・・・」

やがてようやく煮え滾る彼女の膣内からペニスを解放してもらうと、僕はしばらく全身に残った快楽の余韻にうっとりと身を任せていた。
早熟な体故かまだ精神は未熟なのだろう彼女に突如として襲い掛かった、性の目覚め。
その激しくも甘美な情欲のやり場を見つけられずにこっそりと寝床を抜け出してこんな人目に付かない馬小屋へやってきた彼女の気持ちが、僕には何となく理解出来る。
そして暖かい藁床の上に彼女と並ぶようにして寝転がると、僕はタプタプと心地良い彼女の腹を手で摩っていた。
「ねぇアディ・・・私・・・本当にこのままこの村で暮らしてても大丈夫なのかしら・・・?」
「どうして?」
「ここ最近、日を追う毎に周りの人達が少しずつ小さくなっていくような気がして・・・何だか不安なのよ・・・」
何だか、以前にも彼女から同じような悩みを打ち明けられたような気がする。
とはいえ、確かにたった2年程で人間よりも大きくなってしまう程に成長が早いのでは、彼女が急激過ぎる周囲の環境の変化に戸惑ってしまうのはある意味で当然のことなのかも知れない。
それに今はまだドラゴンとしては小柄な彼女だって、何時かは見上げるような巨竜になる時が来るのだろう。
ただでさえ竜殺しの多いこの村でそうなった彼女がこれまで通り平和に暮らせるのかという点に関しては流石の僕も自信を持って肯定することは出来なかったものの、それでも優しいロメリアなら大丈夫なはずだ。

「ねぇロメリア・・・僕はさ・・・今は竜殺しになる為の訓練をしてるけど、本当はドラゴンが大好きなんだよ」
「ええ・・・知ってるわ・・・」
「だから竜殺しとしての修行を十分に積んだら、今度はドラゴンを生かす為の職業に就きたいと思ってるんだ」
そんな僕の言葉に、ロメリアが若干の驚きを含んだ表情をこちらに向ける。
「ドラゴンを生かす為・・・?そんなこと・・・出来るの?」
「まだ考えてるだけなんだけどね・・・例えば、悪いドラゴンを良い方へ更生させるような感じでさ・・・」
「私の・・・お母さんみたいな?」
僕は不意に核心を突いてきたそのロメリアの問いに、ゆっくりと頷いていた。
「うん・・・もしそれが出来たら、ロメリアのお母さんだって討伐されなくて済んだんじゃないかって思うんだよ」
「・・・確かに・・・どんな理由があったにせよ、森を焼き払ってたりしたら人間達は怯えちゃうものね・・・」
「でも、それって何て呼ぶんだろうね・・・まだ想像上の職業だし、適当な言葉が思い付かなくてさ」
そう言うと、ロメリアが少し考え事をするように馬小屋の天井へと視線を向ける。

「竜を導く者・・・"竜使いの導師"なんていうのはどうかしら?」
「あ、それ良いね!でももしその夢が実現したら、まず最初に救うのは村での暮らしに不安を感じてるロメリアかな」
「じゃあその時は、私がアディを背中に乗せて一緒に竜を救う旅に出るっていうのも良いわね」
本気で言っているのか、それとも冗談なのか・・・
だがそのどちらだったとしても、先程までの不安に満ちた暗い表情を一変させたロメリアが人間の僕から見ても可愛く見えるような満面の笑みをその大きな顔に浮かべていた。
「はは・・・それも良いね」
どうやら、彼女も僕の話で少しは気分が落ち着いてくれたらしい。
「それじゃあ、そろそろ家に戻ろうか。僕は何時もの稽古に行かなきゃならないしね」
「そうね・・・ありがとう、アディ・・・」
そしてまるでキスをするように彼女に鼻先で頬を軽く突かれると、僕達は仲良く並んで馬小屋を後にしたのだった。

その日から、僕はロメリアをこれまでとは違った視点で見るようになっていた。
それまでは仲の良い友達のような感覚で彼女を見ていたというのに、最近の僕は何だか彼女を一個の異性として意識し始めているような気がする。
相手は同じ人間ですらない、自分よりも遥かに大きな雌のドラゴンだというのに、美しい彼女の姿を見る度にどういうわけか心を掻き乱されてしまうのだ。
「ねえ、アディ?ねえったら・・・」
「えっ?えっ?あ、ロメリア・・・どうかしたの?」
稽古の合間の昼休み・・・頭の中に描いたロメリアの姿を眺めながらボーッとしていた僕は、不意に背後から掛けられた彼女の声に思わずしどろもどろな返事を返してしまっていた。

「どうかしたのじゃないわよ。最近ちょっと様子が変よ?何だか何時見てもボーッとしちゃってるし・・・」
彼女自身も、まさかその原因が自分にあるなどとは夢にも思わなかったことだろう。
「あ・・・う、うん・・・別に何でもないよ」
「そう?それなら良いけど・・・」
やがてそう言うと、彼女がそのまま地面に座り込んでいた僕の隣りにそっと腰を下ろしていた。
「それで・・・竜殺しの稽古は順調なの?」
「う〜ん・・・座学は凄く成績が良いんだけどね・・・僕、余り体を動かす方は得意じゃないから・・・」
ドラゴン好きが高じてかドラゴンに関する知識を学ぶ座学は幾らでも頭の中に入ってくるというのに、やはり僕には剣を振るって巨大なドラゴンと戦うなんていうのはどう考えても向いている気がしない。
特にここ最近は同年代の子供達との間にも身体能力に差が出始めているし、そろそろ本格的に自身の身の振り方を考えなければならないのだろう。

「それなら、もう止めちゃったら良いんじゃないの?だってアディは・・・"竜使いの導師"になるんでしょう?」
「も、もちろん僕はそのつもりだけどさ・・・」
確かに言われてみれば、父が僕と同じようにドラゴンが好きだという理由で竜殺しの道を目指さなかったように、僕も今から別の道に進む準備を始めても良いのかも知れない。
竜殺し村だからという理由で何だか子供達は全員竜殺しを目指さなくてはいけないというようなある種の固定観念があったものの、冷静に考えれば稽古などせずに自分のやりたいことに没頭している子供達は幾らでもいるはず。
父だって、自分のことを棚に上げてそんな僕の決断を非難したりはしないはずだ。
しかしそこまで考えたところで、やはり"竜使いの導師"となって様々なドラゴンといざ対峙した時のことを考えると当然ながら体も鍛えておくに越したことは無い。

「ロメリアは・・・僕が竜殺しの稽古をしているのが不満なの?」
「別にそういうわけじゃないけど・・・ただこの間の一件でね、私・・・アディのことが・・・」
そう言いながら、ロメリアが続きの言葉を紡ぐ代わりに僕の体に押し付けていた自身の背中を軽く震わせていた。
「僕のことが・・・どうしたの?」
だが敢えて答えの分かっているその言葉を直接彼女の口から言わせようと少し意地悪してみると、その意図に気付いたらしい彼女が少しばかり不機嫌そうに僕の背中に尻尾の先を叩き付ける。
「もう!」
ドンッ!
「ぐえっ!」

やがて苦しげに咳き込む僕の顔を見て少しやり過ぎたと思ったのか、彼女が途端に僕の耳元へ心配そうな声を掛けてくる。
「ちょっと、アディ?大丈夫・・・?」
「ごほっ・・・う、うん・・・ちょっと咽ただけ・・・げほっ・・・げほげほ・・・」
大きな爪の生えた彼女の手で背中を摩って貰いながら、僕は全身に走った重々しい衝撃に半ば戦慄していた。
やはりどんなに可愛らしくても、ロメリアは恐るべき力を秘めたドラゴンなのだ。
そんな彼女とお互いに心を通じ合わせているという状況に、僕は何だか嬉しさと興奮を覚えずにはいられなかったのだった。

そんなロメリアと過ごす刺激的な日々はあっという間に過ぎ去り・・・
僕は既に体高2メートル近くにまで成長し文字通り巨竜となったロメリアとともに、もうすぐ村へ戻ってくるという連絡のあったゾラス兄さんの帰りを待っていた。
「ゾラスに会うのも・・・何だか随分と久し振りね」
「もうあれから5年も経つからね・・・あの頃のロメリアはまだ言葉もたどたどしかったくらいだし」
「そうね・・・私が言うのもおかしいけど、きっと立派な竜殺しになって帰ってくるんじゃないかしら」
確かに、ドラゴンの彼女が自分の同族を殺す職業である竜殺しのことをそんな風に言うのは些か奇妙な感じがする。
だがまだ産まれて間も無い頃からこの村で平和に暮らしてきた彼女にしてみれば、きっと竜殺しというのはある意味で別世界の出来事にも等しい程に自身とは関わりの薄い存在に映るのものなのだろう。
「確かに外の世界での経験は積んだだろうけど・・・まだまだこれから覚えなくちゃならないことも多いんだってさ」
「ふぅん・・・結構大変なのね・・・あ、見て!あれ、ゾラスじゃないかしら?」

やがて僕と話しながらも遠く街道の方を見つめていたロメリアが、村へ向かって歩いてくる馬に乗った1人の若者を見つけたらしかった。
そして僕も彼女の見ていた方向へ視線を向けてみると、5年越しだというのに遠くからでも判別出来るゾラス兄さんが馬の上から大きく手を振っている。
「本当だ!帰って来た!僕、父さんに知らせてくるよ」
僕はそう言ってロメリアを外に待たせたまま家の中に飛び込むと、僕達と同じように書斎でそわそわとしていたらしい父に兄が帰ってきたことを伝えたのだった。

「お帰りなさい、兄さん!」
「ただ今、アディ。お前、随分と大きくなったな・・・それに、ロメリアも」
旅に出た時はまだほんの小さな仔竜だったというのに、何時の間にか馬に乗った自分と目線が合わさるくらいにまで大きく成長したロメリアの姿には流石の兄も驚きを隠せなかったらしい。
「お帰り、ゾラス」
だが甲高い仔竜の声とは明らかに違う何処と無く雌の艶を帯びた色っぽい声を聞かされると、竜殺しとして5年間も修行に出ていたはずの兄までもがロメリアに対して少しばかり不純な感情を抱いてしまったらしかった。
「あ、ああ・・・」
「おお、よく帰ったな、ゾラス。旅は楽しかったか?」
「やあ、父さん・・・そりゃあもう、色々と珍しい物も見れて楽しかったよ」
そしてそう言いながら、馬から降りた兄がどっさりと買い込んだらしい土産物をそこにいた中で一番力の有りそうなロメリアに渡していた。

「ロメリア、これを家の中に運んでおいてくれ。美味しいものも一杯入ってるから、摘み食いはするなよ」
「もう!しないわよ!」
だがそう言いながら、以前よりも更に逞しく鍛えられたはずの兄がよたよたと持ち運んできた重そうな荷物をひょいっと片手で受け取ったロメリアが何処かウキウキとした足取りで家の中へと入って行った。
ああ・・・あれは絶対摘み食いする気だな・・・
「それで兄さん・・・これからどうするの?」
「そうだな・・・旅の疲れもあるから、少し休暇を貰ってからベテラン達に仕上げの教えを受けに行くよ」
仕上げの教えか・・・
この村では修行の旅から帰ってきた後に、普段の座学では習わないドラゴンの狩りに役立つより実践的な知識をベテランの竜殺し達から直接教わることでようやく本当の意味で一人前の竜殺しとして認められるのだ。
それが終わるまでは、たとえどんなに世界の見聞を広め厳しい稽古を積んだとしても村の中での兄の立場は今の僕と何ら変わることが無いのだという。
「じゃあさ、明日は西の森にでも狩りに出掛けない?この5年間で、僕も弓の扱いの方はそれなりに上達したからさ」
「お、いいぞ。でもまずは飯と風呂だな・・・今はとにかく、久し振りの我が家でゆっくり羽を伸ばしたいよ」

その日の夜・・・
「ねぇアディ・・・明日は、ゾラスと森へ狩りに出掛けるんでしょう?」
ベッドに入った僕の横で床に蹲ったロメリアが、不意にそんな声を掛けてきた。
「え?う、うん・・・兄さんから聞いたの?」
そんな僕の質問に、彼女が大きな首をゆっくりと縦に振る。
「どうして?ロメリアも行きたいの?」
「うん・・・」
だが今度ははっきりと声に出してそう言ったロメリアの様子に、僕はこちらに差し出された彼女の頭をそっと撫でたのだった。

翌日、僕は朝早くからロメリアと兄とともに狩猟道具を持って西の森へと出発していた。
西の森は村の周囲を覆う森の中では比較的開けた場所が散在している上、隣町へと続く街道も少ない為野生の獣が多く狩りの練習に最適の場所なのだ。
昔は竜殺しとしての稽古も兼ねて兄と獣を追跡する術を学んだり簡単なサバイバル術の訓練などをしたこともあり、僕達にとってこの西の森はもう庭のようなものだった。
まあそうは言っても兄が旅に出てからはまだ一度もこの森には足を運んでいなかったから、ここ数年で森の様相も大分変わってしまってはいるのだろうけど・・・

「よし、この辺で良いだろう」
「狩りの勝敗はどうするの?」
「そうだな・・・獲物は何でも良いから、一番大きい獲物を仕留めた方の勝ちってのはどうだ?」
成る程・・・確かにこの辺りにも鹿も猪もたくさん生息しているし、兄より大物を狙うという条件なら僕にも十分勝ちの目があるだろう。
「それじゃあ、私も獲物を探してくるわね」
だがそんな僕達の遣り取りを聞いて一足早く森の中に消えていった真っ赤な巨竜の後姿を2人で見送ると、どういうわけか僕達は思わずお互いにお互いの顔を見合わせてしまっていた。
「はは・・・何だか、あいつが一番大物を仕留めて来そうだな・・・」
「それじゃ、集合はこの大松の下で良いよね?時間はどうするの?」
「2時間もあれば十分だろ。獲物を仕留めたら戻って来ようぜ」
僕はそんな兄の提案に頷くと、早速獲物探しに出掛けていた。
ロメリアには集合場所のことまで伝えられていなかったものの、まあ彼女なら森の中でも僕達の居場所くらい簡単に見つけられることだろう。
そして兄と別れてからほんの5分程で木々の向こうに首尾良く一頭の鹿の姿を見つけると、僕はそっと気配を押し殺してその獲物の後を追ったのだった。

それから1時間程が経った頃・・・
僕は最初に見つけた鹿の追跡の途中で目にしたより大きな獲物に何度か目移りしている内に、ようやく大振りな猪を一頭仕留めることに成功していた。
大きさの割りになかなか素敏い奴だったお陰でもう矢筒の中には2本程しか矢が残っていなかったものの、まあ何とか収穫無しという最悪の状況だけは回避出来たのだからよしとしよう。
そして仕留めた猪の四肢に縄を巻いてそれを背中に背負うと、僕は重い荷物に足を取られながらも集合場所の大松に向かって歩き始めたのだった。

ドサッ・・・
「ふぅ・・・やっと着いた・・・」
やがて30分程の時間を掛けて集合場所へ到着すると、僕は獲物を地面に下ろして汗だくになった体を休めていた。
何時もなら村に持って帰るのが大変だからこんな大きな獲物は狙わないのだが、今回はロメリアがいるから帰りの荷物の心配はしなくても良いだろう。
後は・・・まだ戻って来ていない兄とロメリアの帰りを待つだけだ。
そして長時間に亘る重労働の疲労に少し眠ろうと大松に背を預けて目を瞑った正にその時、僕は誰かがその場に近付いてくる気配を感じてふと周囲を見回していた。
ガサ・・・ガサガサ・・・
「・・・?」
誰だろう・・・ゾラス兄さんかな?
だがそう思いながら立ち上がって音の聞こえた方向へと顔を向けた僕の目に、俄かには信じられない物が映っていた。

「あ・・・あぅぁ・・・」
「兄・・・さん・・・?」
そこにいたのは、確かにゾラス兄さんだった。
しかしその表情は何処か虚ろで、何処からどう見ても正気を失っているようにしか見えない。
ほんの数メートル前には僕がいるというのに視線は明後日の方向を向いていて、何処を怪我している様子も無いというのにまるで泥酔しているかのように千鳥足だ。
その両目も何だか真っ赤に血走っているようで、手には仕留めた獲物を解体する時に使う狩猟道具の1つである刃渡り30センチ余りのナイフが握られている。
口元からだらしなく涎を垂らしながら力無い呻き声を漏らすまるで亡者のようなその兄の様子に、僕は少しばかり身の危険を感じてその場から後退さっていた。
だがそんな僕の動きにまるで反応したかのように、突然兄が手にしたナイフを振り上げて僕に襲い掛かってくる。
「おうああぁぁぁっ!」
「う、うわあああぁっ!」
その余りにも突然の出来事に、僕は情けない悲鳴を上げるとその場から逃げ出したのだった。

「があああぁぁっ!」
ガザガザと茂みを掻き分けて走る僕の背後から、そんな変わり果てた兄の叫び声が聞こえてくる。
手にしたナイフを滅茶苦茶に振り回して周囲の茂みを切り刻みながらひたすら僕の後を追ってくるその恐ろしい兄の姿に、僕は半ば涙目になりながら必死に逃げ惑っていた。
ガッ!
「うわあっ!」
だがただでさえ足場も視界も悪い上にすぐ背後から錯乱して殺気を漲らせた兄が迫ってくるという異常な状況に、僕は一瞬足元の確認を怠った拍子に地面から突き出していた木の根に躓いて派手に転んでしまっていた。
背の低い茂みの葉や枝が地面を転がった体を幾度と無く掠め、恐らくは小さな切り傷を負ったのだろう鋭い痛みが全身に跳ね回る。
そしてようやく黒土に覆われた大地の上に倒れ込んだ数瞬後、大きくナイフを振り上げた兄が勢い良く僕に飛び掛かってきたのだった。

「た、助けてぇっ!」
とても自分が発したものとは思えない程に甲高い、紛れも無い断末魔の叫び声。
ブン!
「アディ!危ないっ!」
だが恐らくは全体重を掛けて振り下ろされたのだろう鋭いナイフの切っ先が目前に迫ったその刹那、突然何処からか飛び出してきたロメリアが正に無我夢中と言った様子でその勢いのまま兄に突っ込んでいた。
ズガッ!
僕に刃を振り下ろそうとしていた無防備な体勢で体高2メートル近い巨竜の全力を込めたその一撃をまともに食らい、大きく跳ね飛ばされた兄が一言の悲鳴を上げる間も無くまるで紙屑のように宙を舞う。
そしてそんな数秒にも数十秒にも感じた無音の一瞬が過ぎ去ると、兄が大きな木の幹に強かに背中を打ち付けたらしい鈍く湿った激突音が周囲に鳴り響いていた。

ゴッ!・・・ドサッ・・・
背中を打ち付けたにもかかわらず一瞬体が逆側へくの字に折れ曲がる程の衝撃に、そのまま数メートル下の地面に墜落した兄は最早意識も無いのかピクリとも動く気配が無い。
「兄さん・・・?」
だが慌てて兄の傍に駆け寄った瞬間、僕はその呼吸が止まってしまっていることに気が付いていた。
「兄さん?・・・兄さん!」
「ゾラス・・・?」
さっきは僕を助けようとする余り思わず全力で兄を突き飛ばしてしまったロメリアも、盛大に吹き飛んだ兄の様子に動揺を隠せないでいるらしい。
「ロメリア・・・兄さんが・・・息をしてないんだ・・・」
「そんな・・・」

やがて恐る恐る近付いて来たロメリアが、兄を抱き上げようとそっと彼の体の下へ手を入れる。
「・・・!」
だが何かに気付いたのか突然驚いたように手を引っ込めたロメリアの様子に、僕は思わず彼女の顔を見つめていた。
「ど、どうしたの・・・?」
「アディ・・・ごめん・・・ごめんね・・・」
僕と視線を合わせないように俯きながら、ロメリアが今にも消え入りそうな声でそう呟いたのが耳に入る。
一体、彼女は何に気が付いたのか・・・
そう思って兄の体の下に腕を差し込んでみた瞬間、僕はその恐ろしい事実を否応無く受け入れざるを得なかった。
固い骨で支えられているはずの背から感じる、フニャリとした余りにも頼りない感触・・・
兄の背骨が、ほとんどその原型すら留めていない程粉々に砕けていたのだ。
「そんな・・・に、兄さん・・・!」
ゾラス兄さんが・・・死んでしまった・・・
そして数十秒という長い長い時間を掛けて頭の中に浮かんだその単純なはずの言葉の意味を理解すると、僕は既に魂の抜け殻となってしまった兄の体に突っ伏して大声で咽び泣いたのだった。

その日の夜・・・
僕は兄の亡骸と共に、ロメリアの背の上へと乗せて貰って村へと帰ってきた。
ゾラス兄さん・・・どうして・・・あんなことを・・・
鋭い風切り音を伴いながら刃を振り下ろされた光景が、今も僕の脳裏に鮮明にこびり付いている。
もしロメリアが寸でのところで兄を止めてくれなかったとしたら、まず間違い無く僕の命は無かったことだろう。
しかし兄の突然の豹変の理由が分からず、僕はやり場の無い悲しみにただ涙を流すことしか出来なかったのだった。
そしてようやく家に帰り着くと、帰りの遅い僕達を心配していたのか父が慌てて家から飛び出してくる。
「お前達!随分と帰りが遅かったじゃないか・・・何か・・・あったのか・・・?」
だがロメリアの背の上で俯いたまま声を詰まらせていた僕の様子に、父も異変を察知したらしい。

「兄さんが・・・」
やがて数秒の間を置いて何とか喉から絞り出したその声に呼応するかのように、ロメリアが尻尾を巻き付けた兄の遺体をそっと父の目の前に横たえていた。
「ゾラス!そんな・・・一体何が・・・」
口元から血を流したその無惨な兄の姿に、父もまた一瞬にして家族の死を眼前に突き付けられたのだ。
「私が・・・やったの・・・」
だが小さく震えていたそのロメリアの言葉が耳に入ると、顔を上げた父の顔には信じられないといった表情が貼り付いていた。
「・・・お前が・・・?」
「ロメリアは・・・僕を護ってくれただけなんだ・・・兄さんが突然おかしくなって・・・僕を殺そうとしたんだよ」
「何だと!?ゾラスが・・・お前を殺そうとしただって?」

息子が1人死んだというだけでも親としては到底受け止めがたい悲劇だというのに、そんな突拍子も無い理由を聞かされた父は既に混乱の真っ只中にいるようだった。
しかしそれでも父は、無言のまま揃って頷く僕とロメリアの様子に嘘は言っていないと判断してくれたらしい。
「そうか・・・とにかく・・・お前も今日はもう休みなさい。さあ、ロメリアも・・・」
「いいえ・・・私は・・・少し向こうで水を浴びてくるわ・・・」
そう言うと、ロメリアはすっかりと意気消沈した様子で薄暗い村の中を川の方へと歩いていった。
理由はどうであれ、兄の命を奪ってしまったという罪の意識が彼女を苦しめているのだろう。
取り敢えず、今はそっとしておいてあげた方が良さそうだ。
やがて僕も家に入って風呂で汗を流すと、恐らくはロクに喉を通らないだろう食事をする時間も惜しんでベッドの中へと潜り込んだのだった。

翌朝、僕は家の外でガヤガヤと大勢の人々が騒いでいる気配を感じて目を覚ましていた。
そして心身ともに随分と疲労の溜まった体をゆっくりベッドから起こすと、窓の外へと視線を向けてみる。
そこでは村長を始めとした10人余りの村人達が、地面の上でがっくりと項垂れたロメリアを囲んで何やら激しく言い争いをしているらしかった。
「ど、どうしたの・・・?」
そして取り敢えず手近な服を身に着けて家の外へ出て行くと、それまでただのざわめきにしか聞こえていなかった人々の会話がようやく明確な意味を持ち始める。
「ならんと言っておるじゃろう!たとえどんな理由であれ、人を殺めた竜をこの村に置いておくことは許されんぞ!」
「だがゾラスは、自分の弟を殺そうとしたのだろう?それを救った結果からは目を背けるのか?」
「そもそも、何故ゾラスはアディを殺そうとしたのだ?その理由を突き止める方が先ではないのか?」

成る程・・・どうやらあれは、今後のロメリアの処遇を巡って長老達が意見を交わしているのだろう。
普通に考えれば、ロメリアが兄さんを殺してしまったのはただの不運な事故に過ぎないはず。
僕を救おうと必死だった余り力の加減が出来なかったというだけで、彼女は当然のことながら兄に対する殺意など最初から微塵も持ち合わせてなどいなかった。
それに、あの時ロメリアが助けてくれなければ今頃は僕が命を落としていただろうことは疑いようがない。
兄が豹変してしまった理由を突き止めるのは当然だとしても、その件でロメリアを責めるのは筋違いというものだ。
ただその主張に唯一の問題があるとすれば・・・それはここが竜殺し達の村だということだった。
元来人々の依頼を受けて人間に害を及ぼす竜の討伐に出向くことを生業としている者達が多いこの村で、理由はどうあれ人間を殺してしまった竜を置いておくことに村長が難色を示すのは寧ろ当然の成り行きなのだろう。
それでも今もまだ議論が決着せずに難航している最大の理由は、他でもない僕の父がロメリアを村から追放することに反対の立場を示しているからに他ならなかった。

「ハロルド、お主の意見はどうなのだ?この竜は、お主の息子をその手に掛けたのだぞ!?」
「それについてはさっきから何度も言ってるだろう。ロメリアはアディを護ろうとしただけで、俺は処分には反対だ」
「し、しかし・・・」
これまで村の中でドラゴンを育てたことなど前例が無かっただけに、やはり今回のロメリアの件は長年この村を治めてきた長老達の間でも相当に紛糾しているのだろう。
「いいか、俺はな・・・6年前ロメリアが村に来た時から、こいつを実の娘のように思って可愛がってきたんだ」
だが父が不意にそう話し始めると、その場にいた大勢の長老達だけでなくずっと黙って俯いていたはずのロメリアまでもが驚きの表情を浮かべる。
「アディだってそれは同じだろう。特にゾラスが旅に出てた間は、こいつがアディにとって一番の親友だったんだぞ」
当のロメリア自身にとってもそんな父の言葉は予想外だったのか、じっと彼の顔を見つめている美しい青色の竜眼が微かに潤んでいた。
「それなのに・・・あんたらはゾラスだけじゃなく・・・俺から娘まで奪い去ろうって言うつもりなのか!?」
誰に向かってでもなく・・・まるで虚空に向けて吐き捨てるかのように、父が悲痛な声を上げる。

きっと父はその胸の内を・・・必要に迫られなければずっと誰にも明かさずにいたかったのだろう。
それでも今声を上げなければロメリアを失ってしまうかも知れないという思いに、父はこの村の中ではタブーとさえ言えるような自身の心情を吐露していた。
苦しい独白にフゥフゥと興奮気味に肩で息をしている父のあんな姿は、僕も生まれて初めて見たような気がする。
「そう・・・だったのか・・・」
まるでそれまで盛り上がっていた議論の熱が引くかのように、やがて長老達の間に重苦しい沈黙が広がっていく。
「お主の意見は分かった、ハロルド・・・」
だがこれで結論は出たのだろうという僕の予想を裏切って、長老達の中の1人が苦々しい表情を浮かべながらも父にとって辛辣な言葉を浴びせていた。
「だが、この竜をどうするかの最終的な決定権は村長にあるのだ。お主の願いが通るかどうかは、まだ分からぬぞ」
「・・・ああ・・・分かっている・・・」
彼ら長老達は、これから今の議論で纏まった意見を再度村長の家で吟味するのだろう。
そしてそこで初めて、ロメリアの処遇をどうするのかが正式に決定されるのだ。
この竜殺し達の住む村にあって人間を殺めてしまったロメリアにもし有罪の沙汰が下されたとなれば、彼女を待つ運命はその場で処刑か・・・そうでなくても村からの永久追放という重いものになることだろう。
永久に秘密にしておきたかったのだろう自身の正直な思いを吐き出してロメリアを擁護した父でさえ、これから村長が下す決定を覆すことは到底出来ないのだ。

やがて人々の輪を離れた父が戻ってくると、僕は酷く憔悴したように見える彼の顔を見て胸を痛めていた。
「父さん・・・」
「アディか・・・済まない・・・」
無理も無い・・・ロメリアの件は別としても、彼はつい昨日息子を1人亡くしたばかりなのだ。
それだけでも親としては胸が引き裂かれそうな程の悲しみだろうに、その上ロメリアまで失ってしまうかも知れないとあっては、流石の父といえど平常心を保つことなど到底出来なかったのだろう。
そしてフラフラと頼りない足取りで家の中へ戻っていく父を見送ると、僕は独りポツンとその場に取り残されていたロメリアの許へと駆け寄っていた。

「ロメリア、平気?」
「え、ええ・・・」
だがそんな言葉とは裏腹に、揃って村長の家へと向かう長老達の後姿を見つめていた彼女の顔には明らかに激しい動揺が滲み出しているらしい。
まあ彼女にしてみれば、明日突然処刑を言い渡されてしまってもおかしくない状況だ。
しかもゾラス兄さんを殺してしまったという罪の意識に苛まれている上、父のあの言葉を聞いて自分の置かれていた立場というものをこれまで以上に重く認識したのだろう。
「アディ・・・私・・・これからどうなるのかしら・・・」
「大丈夫だよロメリア・・・父さんが必死に庇ったんだから・・・村長だって、きっと悪いようにはしないと思うよ」
正直、それが単なる気休めであることは誰よりも僕自身が良く分かっていた。
もしロメリアが無実と看做される目が少しでもあるのであれば、あれ程議論が紛糾するはずが無い。
故に処刑か、或いは村からの追放か・・・その何れかの沙汰が下されることは、既にほとんど決定事項なのだろう。
「お願いアディ・・・今日はずっと一緒にいて・・・」
「うん・・・良いよ・・・」
この村で彼女と一緒に過ごせるのは、今日が最後かも知れない・・・
お互いにそんな予感があったのか、その日僕は日が暮れるまで一時も離れずロメリアと身を寄せ合っていたのだった。

カチャ・・・
翌朝・・・何時まで経っても安らぎそうにない不安と緊張で余り眠れぬ夜を過ごしていた僕は、静かに部屋に入ってきたのだろう父の微かな気配ではっきりと目を覚ましていた。
「アディ・・・」
そして背後から掛けられたその憔悴し切った父の声に、ガバッとベッドから飛び起きる。
「父さん!ロ・・・ロメリアは・・・?」
父の様子を見る限り、きっとロメリアの処遇について何か良くない結果が出たのだろう。
「ロメリアは・・・村から永久追放されることに決まった。済まないアディ・・・あいつを護ってやれなくて・・・」
「えっ・・・」

ロメリアが、村から追放される・・・
正直なところその場で処刑でなかったことが不幸中の幸いではあったのだが、やはり父のあの擁護をもってしても村長はロメリアを無実とは認めてくれなかったのだ。
「で、でも・・・村の外でならロメリアに会えるんでしょ・・・?」
「いや・・・村長は、ロメリアに村の人間と関わることも禁じたんだ。もし関係が発覚すれば、彼女は殺される」
「そ、そんな・・・」
父の話では、昨日あのことがあった後も村長の家で随分と長い時間議論が続けられたのだという。
村長はあくまでもロメリアの処刑を望んでいたそうなのだが、彼女が僕を乱心したゾラス兄さんから護ったこと、そもそも村に連れて来られた経緯等も考慮されたことで何とか命だけは見逃して貰えたということらしかった。
「とにかく、早くロメリアに会いに行ってやれ・・・彼女には、もう2度と会えないかも知れないんだからな・・・」
僕はそんな父の言葉にベッドから飛び降りると、服を着替えるのもそこそこに勢い良く家を飛び出していた。

やがて家の外に出てみると、僕は西の森へと続く村の出口で彼女の追放を決めた村長や数人の長老を含めた村人達に囲まれているロメリアの姿を見つけ出していた。
きっと僕との別れを済ませる為だけに、今しばらく彼女の追放を待ってくれているのだろう。
そして大急ぎで彼女の許へ向かうと、僕はそのままこちらに気付いて顔を上げたロメリアの胸元に飛び込んでいった。
「ロメリア!」
「アディ!」
彼女も僕のことを待っていてくれたのか、それまで暗い表情を浮かべていた彼女の顔に微かにではあるが笑みが戻る。
お互いにお互いを抱き合うようにして愛しい雌竜と最後の抱擁を交わす僕達を、周囲の村人達が何処か申し訳無さそうな表情で見つめていた。
「アディ・・・ごめんね・・・ゾラスのこと・・・」
「ううん・・・僕達の方こそ・・・護ってあげられなくてごめんよ・・・」

ただドラゴンであるという理由だけで、どうしてこんな心優しい彼女が追放されなければならないというのか・・・
胸の内に湧いたそんな理不尽な仕打ちに対する怒りを、しかし僕はグッと呑み込んでいた。
何時の日か僕がもっと成長して、村の人間としても力を付けられたら・・・
その時こそ、堂々とロメリアを迎えに行くんだ・・・
「私のことは良いの・・・アディ、あなたの将来の夢のこと・・・絶対に忘れちゃ駄目よ」
そして涙を堪えているのかそんな今にも消え入りそうな声を僕の耳元に吹き込むと、彼女がいよいよ村を後にしようと踵を返していた。
「ロメリア・・・元気でね・・・」
「ええ・・・さよなら・・・アディ・・・」
そう言った彼女は、今度こそ泣いていたのだろう。
トボトボと力無く項垂れながら森に消えていく彼女の目元から大きな雫が垂れ落ちた瞬間を目にして、僕は胸を締め付けられるような悲しみと無力感に声も無くその場へと崩れ落ちたのだった。


それからというもの、僕は日課の稽古は続けながらも何の張りも刺激も無い空虚な日々を過ごしていた。
兄に続いてロメリアまでもがいなくなった家はまるで火が消えたような静けさに包まれていて、何だか大事な物がぽっかりと抜け落ちてしまったかのような空しい虚無感が僕の胸を焼き続けている。
だが時の流れはそんな人間の心情にも関係無く無慈悲に流れるものらしく、1年もの月日があっという間に過ぎ去ると今度は僕が村の外へと旅立つ日がやってきたのだった。

「アディ、もう行くのか?」
その日の昼過ぎ頃・・・旅支度を終えて自分の部屋から出てくると、僕は不意に背後からそんな声を掛けられていた。
見ればこの1年で急激に老けてしまったように思える父が、酷く心配そうな表情を浮かべて戸口の脇に立っている。
「父さん・・・しばらく寂しくなると思うけど、気を落とさないでね」
「ああ・・・」
ロメリアが村を追放されてからというもの・・・
村の人々はロメリアへの思いを吐露した父ともこれまでと同じように接してくれていたものの、肝心の父自身は兄とロメリアを同時に失ったことに随分と精神的な痛手を被ってしまっていたらしかった。
もちろんロメリアが追放されてしまったことについては、僕もまだ心の底から納得出来ているわけではない。
幾ら兄を殺してしまったとは言っても、彼女が人間に対して故意に危害を加えるような危険な性格でないことは最終的に彼女の追放を決めた村長自身ですら認めていた事実なのだ。
彼女はただ・・・竜殺し達が多く住むこの村の体裁を護る為の犠牲になっただけでしかないのだろう。
あれから西の森の奥に消えていったロメリアの行方は杳として知れず、僕は敢えて自ら村に近付かないようにしているのだろう彼女の心情を思う度にまるで胸を締め付けられるような悲しみを覚えていた。

やがて父と短い別れの言葉を交わすと、僕はいよいよ村の外へと旅立つ為に用意されていた馬に跨っていた。
そして色々と考え事をしながら5年前に兄を見送った村の出口へ向かうと、今度は僕の出発を見送る為に集まった数人の長老達が何処か沈痛な面持ちを浮かべながら声を掛けてくる。
「アディ・・・ロメリアのことは気の毒だったな・・・ハロルドは随分と気落ちしたことだろう」
「え、ええ・・・」
「お前のいない間、彼のことは我々に任せてくれ。父親を余り心配させぬよう、便りを寄越すのだぞ」
もちろん、言われなくてもそうするつもりだ。
それに僕にとってこの旅には、周囲の人々が思っているのとはまた違ったある特別な目的がある。
父を始めとしてまだ周囲の人々には誰にも明かしていないその秘密の目的の為に、ロメリアと別れた悲しみの裏で僕はこの旅に対してある種の大きな期待感を抱いていた。

「はい・・・それでは、行ってきます」
僕はそう言って長老達や遠く家の方からこちらの様子を窺っていたらしい父に見送られて村を出ると、まずは森の中に張り巡らされた街道を隣町のある東の方角へと向かっていた。
この旅自体は村の掟で定められているものではあるものの、厳密には竜殺しになる為の修行とは直接的な関係は無い。
これはあくまでも村の外の世界を知らない若者がその知識と見聞を広める為に行われているもので、そもそも明確な目的を定められていないある意味で自由気ままな長期旅行という位置付けとなっている。
というのも僕の村は基本的に依頼を受けた竜殺しの人間か、或いは村長や長老達から特別な許可を受けた人間でなければ村の外へ出てはならないという厳しい戒律があった。
村の西に広がる森だけは街道も無く隣国は険しい山の向こう側にある為一応は村の敷地内という認識らしいのだが、当然外の世界については書物から得られる知識しか持たない若者達は随分な世間知らずに育ってしまうのだ。

だがその問題の解決法としての役割の他に、この旅をするにはもう1つ重要な理由があるのだという。
それは旅を終えて村に戻った人間がベテランの竜殺し達から教わる最後の秘伝とされるドラゴン狩りに使用する毒の精製方法を学ぶ課程で、実際に"ドラゴスの実"を手に入れる必要があるからだった。
ドラゴスの実は稽古の合間に行われる座学の講義でも触れられることがほとんど無く、またそれについて記された書物も存在しない為、たとえ村の人間でも竜殺しでない者は赤い果実という程度の認識しか持っていないのだという。
どんな大きさでどんな植性で何処にあるのかさえもが一般の人々には伏せられているそんな幻の果実を手に入れる方法を伝授するに当たって、その為に世界の様子を知らなければ話にならないということなのだろう。
そしてその修行を以って、ようやく一人前の竜殺しとして認められるのだ。
まあそうは言っても、僕は別に竜殺しになりたいわけではなく・・・
ロメリアに誓ったように、世界中で人々に悪行を成すドラゴン達を更正する為の導き手になりたかったのだ。
その為には世界に対する見聞はもちろんのこと、村では読めないような様々な書物や伝承を追ってあらゆる呪術や儀式などについての知識を身に付ける必要があるだろう。
5年という長い期間ではあるものの、この旅で僕がやるべきことは正に山積していたのだった。

兄が旅に出ていた5年間・・・
今年16歳になった僕にとっては人生の3分の1を占める程の長い期間だったというのに、ロメリアとともに過ごせたことで僕はその時間が非常に短いもののように感じられていた。
あの幸福で満ち足りていた日々に比べれば、ロメリアが村を追放されてからのこの1年の方が僕にとっては遥かに長く苦しい時間に感じられたものだ。
時の流れというものは、心持ち次第でそれ程までに感じ方が異なるものなのだろう。
そしてそれは、大きな目標を持って旅に出発した今の僕にも同様の作用をしているらしかった。
馬に乗って様々な町や国を巡りながら世界についての知識や見聞を広める一方で、竜殺しとしてではなく悪しき竜を救い更正させる為の活動に必要な情報を集める多忙な旅・・・
"竜使いの導師"になるというかつてロメリアと交わした約束を果たす為に、僕は1800日余りもの長い間正に寸暇を惜しんで方々を駆けずり回ったものだった。
そして村を旅立ってから丁度5年・・・
21歳の誕生日を迎えた僕は、長らく留守にしていた故郷の村へと向かって深い森の中を走る街道を歩いていた。

「父さん、元気にしてるかな・・・」
1週間程前に帰る旨を記した便りを村へ送った時は、何時も長文で便りを寄越す父には珍しく"気を付けて帰って来い"というような文脈の極々短い返事が返ってきただけだった。
きっと父は、僕が帰ってくるという嬉しさと同時に6年前の悲劇のことをも思い出したのだろう。
確かに兄とロメリアを同時に失った傷心の父を独り村に残して旅に出るのは正直心苦しい側面もあったものの、それでも村に帰ってベテランの竜殺し達から最後の秘伝を授けられれば僕はようやく一人前と認められることになる。
まだまだ先は長いかも知れないが、僕は何としても村を追放されてしまったロメリアとまた家族が一緒に暮らせるように尽力するつもりだ。
そしてそれが恐らくは、"竜使いの導師"として僕が成す最初の仕事になることだろう。
だが今は何よりも、一刻も早く村に帰って竜殺しの修行を完遂しなければならない。
先程まで西の空を紅く染めていた夕日は既に彼方にある山の稜線の向こうへ消えようとしていたものの、僕は手にした松明の明かりを頼りに静まり返った森の中を歩き続けたのだった。

それから数十分後・・・
ようやく懐かしい村の姿が森の切れ間の向こうに見えてくると、僕はもう夜中だというのに恐らくは日中からたった1人で僕の帰りを待ってくれていたのだろう父の姿をその視界に捉えていた。
僕と同じように闇の中で小さな松明を掲げながら立ち尽くしているその父の姿は以前とは見違える程にやつれていて、この5年間父がどれ程の心労を味わったのかを如実に物語っている。
だがようやくお互いの顔がはっきりと識別出来る距離にまで近付くと、やつれた見た目とは裏腹に全く変わり映えしていない懐かしい父の声が僕の耳に飛び込んできた。
「アディ!」
「父さん!」
そしてお互いにそう呼び合うと、馬から下りて父とお互いの体を抱き合う。
「よく戻ったな・・・」
「うん・・・ただ今・・・」
やがて2人で懐かしの我が家に戻ると、僕は取り敢えず荷物を置いて風呂に入ることにした。
今夜はもう遅いし、村の人々に僕が帰ってきたことを告げるのは明日でも良いだろう。
長旅の疲れもあることだし、今はとにかく早くベッドに潜り込みたい気分だったのだ。

その翌日・・・
僕は朝から家の外に集まっていた大勢の人々の気配で目を覚ますと、そっと窓から外の様子を窺っていた。
見れば昨日の日中に僕の帰りを父と一緒に待っていたのだろう村長や長老達、それに僕のいない間父の孤独を埋めてくれていたのだろう数人の村人達が、外で父と何かを話している。
まあ、大方僕が帰ってきたことを知って集まったは良いものの、まだ寝ているからと面会を断っているような状況なのだろう。
だが僕の方も早く他の村人達に挨拶したかったこともあり、すぐにベッドから這い出すと服を着替えて皆の前へと出て行ったのだった。

「おお、アディ、帰ってきたか!」
「しばらく見ない内に随分と逞しくなったな!」
「え、ええ・・・まあ・・・」
5年振りに出会った懐かしい村の人々による歓迎・・・
しかし一刻も早く竜殺しとしての修行を終えたかった僕は、数日間の休養を勧める周囲の声を押し切ってその日の昼過ぎから早速ベテランの竜殺し達に最後の秘伝を学び始めていた。

"ドラゴスの毒"・・・どんなに巨大なドラゴンであろうとも血中に入ることで凄まじい激痛と強力な神経系の麻痺を齎す劇毒であるそれは、ドラゴスの実という赤い果実の果汁から作られているのだという。
その正体は樹木に寄生することで知られるヤドリギの変種で、黒竜天樹という名の希少な樹木へ人工的にヤドリギを寄生させたところ件の赤い果実が出来たらしく、以後はその種子を一部の竜殺し達で栽培し続けているのだという。
ドラゴスの樹は成長しても5メートル程度にしかならないとされる黒竜天樹の影響を受けているのか非常に背が低く、茂みの高さは大きなものでも約140センチ程度、果実は柘榴に酷似しており1つの樹に3つ程度実を付けるのだという。
だが驚くべきは、この果実自体に直接的に命に関わるような毒があるわけではないということだった。
ドラゴスの実は桃のように果肉が柔らかい上に非常に甘く、数ある果物の中でも相当に美味な部類に入るらしい。
だが生で果肉や果汁を口にすると食後1時間程で意識の混濁、平衡感覚の消失、凶暴化、殺戮本能の露出などといった各種の症状が現れ、それから数時間程で何事も無かったかのように沈静化する。
更には果実自体に強い依存性があり、一度ドラゴスの実を口にしてしまうとその依存から抜け出す為に実に72時間以上にも及ぶ強烈な禁断症状に苦しむことになるのだ。

「まるで麻薬なんですね・・・」
「その通り。"ドラゴス"というのは、竜の言葉でそのまま"麻薬"を意味する言葉なんだ」
成る程・・・僕は今までドラゴンの討伐に使っているからドラゴンに由来する言葉なのかと思っていたのだが、寧ろその果実の特徴そのものを表している名前だったというわけか。
それにこの村の竜殺し達が密かに栽培し続けている変種の果実なのであれば、旅に出ている間に様々な文献や図鑑を読み漁ってみたにもかかわらずドラゴスの実についての情報が何も得られなかった理由にも納得が行く。
そして肝心のドラゴスの実の栽培場所は、村の北北西約10キロ程のところに位置する小さな農園なのだという。
当然深い森の中を切り開いて作った場所の為に周辺に街道なども通っておらず、正確な位置を知っているベテランの竜殺し達以外にはまず辿り着けない場所らしかった。

「農園の場所は後で直接教えよう。次は、肝心の毒の作り方だ」
ドラゴスの毒の精製法は、実から取り出した果汁を加熱処理するところから始まる。
実際にドラゴスの実は十分に火を通せば麻薬成分が壊れてしまい、人間が普通に食べても問題は無いのだそうだ。
ただしどういうわけか、人間にさえ無害になる果汁が火を通すことでドラゴンに対してだけ逆に強力な毒性を帯びるという特性があるのだという。
十分な量の果汁を煮詰めてドロドロのペースト状にした上で鏃や刃に塗り、そのまま天日干しして完全に水分を飛ばすことで毒性を帯びた武器が完成するというわけだ。
だがそこまで話を聞いたところで、僕はどういうわけかふと頭の中にある疑問が浮かんでいた。

生のドラゴスの実を食べることで意識の混濁、平衡感覚の消失、凶暴化、そして殺戮本能の露出などといった各種の症状が現れる・・・
それは紛れも無く、あの時のゾラス兄さんに見られた症状そのものだった。
もしかしたらゾラス兄さんは、森の中でドラゴスの実をそれと知らずに食べてしまったのではないだろうか・・・?
だが僕がその疑問を口にすると、それまで講義を続けてくれていた彼が突然ギョッとしたような表情を浮かべる。
「え?もしかしたらゾラスがドラゴスの実を食べたんじゃないかって?」
「え、ええ・・・あの時の兄さんと、聞いた症状がそっくりだったので・・・」
「う〜ん・・・いや、それはあり得ないと思うよ。ドラゴスの実は農園の外には無いはずだしね」
あの狩りに出掛けた日、兄と別れてから再会するまでの時間は大体ではあるものの約1時間半くらいだったはず。
兄が狩りの最中に偶然農園の場所を見つけたにしても、食後症状が出るまでに1時間も掛かるのであれば街道の無い森の中を10キロも離れている上に正確な場所が分からない農園で30分後に実を食べるのは確かにほとんど不可能だ。
ただしそれは、本当に農園以外の場所には一切ドラゴスの実が存在しないという前提での話なのだが・・・

「とにかく、今日はもう遅いから農園に行くのは明日にしよう。それに、実際に毒も作ってみたいだろ?」
「そ、そうですね・・・今日はありがとうございました」
僕はそう言って彼に別れを告げると、既に夕焼けの朱に染まった空の下を家に向かって歩いていた。
残念ながら彼には否定されてしまったものの、兄のあの変貌振りはドラゴスの実のせいだとしか考えられない。
まあそれに関しては、明日実際に農園に行ってみてから考えるとしよう。
だが兄の変貌の理由という長年の疑問に一筋の答えが見えた気がして、僕はまだ旅の疲れも抜け切っていないというのに今夜はどうしても眠れる気がしなかったのだった。

夢と現実の狭間を幾度と無く行き交う、長い長い夜。
僕は夜中に何度も目が覚めてはまだ闇に染まった窓の外に目をやって大きな欠伸をするという何とも苦しい一夜を何とか乗り切ると、良く朝早くから昨日講義をしてくれたベテランの竜殺しとともに農園へと出発していた。
馬に乗って村を出てから鬱蒼と茂った木々の間をそろそろと走り続けること約30分・・・
ようやく例の農園と思しき開けた場所に出ると、僕はそこに広がっていた光景に思わず目を見開いていた。
森の中を切り開いて作った農園というからにはかなり小規模な畑のようなものがある状況を想像していたのだが、実際には100メートル四方はあるだろう広い農地にドラゴスの樹と思しき背の低い茂みが所狭しと立ち並んでいる。
農園の端の方には竜殺し達が休んだり毒を抽出したりする為に使っているらしい小屋が建てられていて、僕は普段村で姿を見掛けない竜殺し達が一体何処に住んでいるのかという長年の疑問に答えが見えたような気がしたのだった。

「ほら、これがドラゴスの実だ。食べてみたいなら、小屋で焼いてあげるよ」
そう言いながら、彼が茂みからもぎ取ったばかりの赤い果実をポイッと僕の方へ投げて寄越す。
僕は慌ててそれを受け取ると、何処と無く甘い香りのするそれを両手で慎重に持ち上げていた。
確かに、果肉は桃のように柔らかいようだ。
外皮が林檎のように比較的しっかりとしているお陰で果汁が漏れてくるようなことは無いようだが、その気になればこのまま齧り付いて食べることも出来なくはないだろう。
もしゾラス兄さんがこの果実をドラゴスの実と知らずに手に取ったのだとしたら、確かに美味しそうな見た目から考えても思わず食べてしまったとしても不思議は無い。

「あの・・・食べるのは後で良いんですけど・・・この実ってどうやって栽培してるんですか?」
「そりゃあ果実の中から種を取って、それを土に植えてるだけさ。どうしてだい?」
種を取って土に植える・・・か・・・
まあ当然と言えば当然なのだが、そんな単純な方法で発芽するのだとしたら、本当にこの農園の外にドラゴスの樹は無いのだろうか?
例えば鼠や兎のような小動物が密かに実をくすねて森の中に持ち込んだりしたら、そこでドラゴスの樹が育ってしまう可能性は十分に考えられるだろう。
「いえ・・・その・・・本当にこの農園の外にドラゴスの樹は無いのかなと思って・・・」
「ああ・・・まあ実際のところ小動物とかに実を持ち去られることはまず無いんだけど・・・」
そう言うと、彼が少しばかりバツが悪そうに僕から目を逸らす。
「実はその昔、この実を西の山向こうの隣国に売ってた時期があってね」
「え・・・?隣国に売っていた・・・?」
「このドラゴスの実は、竜に対する毒性が発見される前は文字通り麻薬として流通していたんだよ」

確かに依存性は強くとも比較的栽培が容易で症状も数時間で沈静化するとなれば、使用を続けることで廃人になってしまう通常の麻薬と比べると遥かに安全な薬物と言えるのかも知れない。
「そ、それじゃあここは・・・一種の麻薬農園だったっていうことですか?」
「まあ、そうなるね・・・尤も実を売ってた期間は精々1年かそこらだったから、大した量じゃないとは思うけど」
成る程・・・そういうことなら、仮に森の中にドラゴスの樹が生えているとしても西の山の向こう側にあるかどうかという程度だろう。
「でも、どうして小動物が実を持ち去らないって分かるんですか?」
「果実を盗む程度の知能のある動物が実を食べれば、麻薬症状が出るからね。多分本能的に危機を察知するんだろう」
僕はそれを聞くと、一応は納得して実を試食する為に奥の方に建っている小屋へと移動していた。
十分に火を通せば無害で美味しいフルーツ・・・屈強なはずの竜にとっては猛毒だというのに、それ以外の生物には無毒になるなどというものが果たして本当に存在するのだろうか?
この奇妙な樹の元となった黒竜天樹という樹木も竜に対してのみ強烈な毒素を放出する樹であるらしく、それがたった1本立っているだけで半径数キロメートルに竜が近付けなくなると言われる程なのだという。

「ほら・・・しっかり焼いてあげたから、食べてみなよ」
「は、はい」
しかしまずは未知への挑戦とばかりに、僕は彼が焼いてくれたドラゴスの実を恐る恐る口にしていた。
パクッ・・・
「んっ・・・あ、甘いっ・・・」
一口噛んだ瞬間にマンゴーの果汁を濃縮したかのような強烈な甘みが口全体に広がり、ほとんど咀嚼していないというのに柔らかな果肉が解れるように舌の上で蕩けていく。
火を通してもこれだけ美味しいのなら、きっと生で食べたらもっと瑞々しい口解けを味わえるのだろう。
これが強烈な麻薬なのだと知らなければ、実を手にした人間がその欲求を抑えるのは難しいに違いない。
そうして美味しい食事に舌鼓を打つと、僕は実際に毒の作り方も教わってその日は夕方遅くに家へと帰ったのだった。

これで、僕はようやくこの村で一人前の竜殺しとして認められたことになるのだろう。
だが幼少の頃から十数年間に亘って続いた修行期間は終わりを迎えても、これから先は実戦を通してその腕を磨く段階が待ち受けている。
つまり村に届くドラゴンの討伐の依頼を受けて、ベテランの竜殺し達と共に実際にドラゴンを殺しに行くわけだ。
ドラゴスの毒という強力な武器があるお陰でこれまでの歴史を振り返っても依頼を受けたドラゴンの討伐に失敗したことは無いらしいものの、それでも人間に害を及ぼす凶暴で危険なドラゴンとの戦いには危険が付き纏う。
そして初めてドラゴスの実を栽培している農園に行った日から2週間後、ようやく久し振りとなるドラゴン討伐の依頼が村に舞い込んできたのだった。

やがて朝早くから村長の家で南の街道沿いで道行く人々を襲っているという小柄な雄竜の討伐任務を言い渡されると、今回僕と一緒に同行してくれることになった3人のベテランの竜殺し達が案の定僕に絡んできた。
「おっ、アディ。お前、これが初めての任務か?」
「そ、そうです」
「ははっ、そうかそうか。それじゃあ、しっかり俺達の仕事振りを目に焼き付けておけよ」
そう言った1人が、ドラゴスの毒をたっぷり塗っているのだろう矢の入った矢筒を掲げる。
取り敢えず、僕は言われた通りに今回は彼らの見学に回った方が賢明だろう。
行く行くは悪道に堕ちたドラゴンを救うという目標があるだけにドラゴンを殺すのは正直心苦しいものの、今はまだ修行の時・・・それに今後の為には、そういう非道さも身に付ける必要があるのかも知れない。
そして正午の出発を前にして早速ドラゴンの討伐に必要な装備を自前で整えると、僕は颯爽と森の中を駆けて行く他の3人に遅れを取らないよう懸命に馬を走らせたのだった。

「この辺りだな・・・」
森の中に張り巡らされた街道を通らずに真っ直ぐ目的地の方角へと走ること約2時間・・・
僕達は村から数十キロ離れた場所にある街道の一角で疲れた馬を休めていた。
依頼によれば、この周辺で昼夜を問わず通り掛かった人々が体高1.6メートル程の緑鱗を纏う雄竜に襲われるという事例が多発しているのだという。
幸い比較的小柄なこともあり武器になるようなものを持った人間が複数いれば何とか追い払うことは出来るらしいのだが、それでもここ数ヶ月で死傷者の数は優に2桁に上るらしかった。
「多分この近くに住み処があるんだろうが、何の手掛かりも無しに探すのは少し難しいな」
「なら向こうから姿を現すのを待つしかないな。野営の準備をするとしよう」
「アディ、この近辺の街道沿いで馬車の通行の邪魔にならないような野営地の候補を探してくれ」
僕はそんな先輩の言葉に頷くと、道幅の広そうな場所を探す為に他の3人から少し離れて野営出来そうな場所を探し始めていた。
だが曲がりくねった街道に沿って進む内に彼らの姿が木々の向こう側へと見えなくなった正にその時、僕は突然森の中から飛び出して来た緑掛かった大きな影に勢い良く突き飛ばされていた。

ドガッ!
「うわあっ!」
その凄まじい衝撃に乗っていた馬ごと数メートルもの距離を跳ね飛ばされ、落馬した拍子に固い砂利道へ背中を強かに打ち付けてしまう。
カラン、カララン・・・
だが全身に跳ね回る激痛に呻きながらも周囲を見回すと、僕は目の前で僕と同じように地面に倒れ込んでいた馬の首に噛み付いている今回の任務の標的と思しき緑色の雄竜の姿に思わず体を硬直させていた。
ま、まずい・・・早く・・・助けを呼ばないと・・・
だが頭ではそう思っても、背中を打ち付けた痛みと衝撃で上手く声が出て来ない。
ベテランの竜殺し達の居る場所はここからは死角になっている上に距離も100メートル近く離れていて、余程の大声を出さない限り彼らにこの状況を伝えることは難しいというのに・・・
だがそれでも命の危機に瀕した生物の根性とも言うべきか、僕は何とか地面から体を起こすことにだけは成功するとあっという間に太い馬の首を噛み砕いてしまった雄竜と一対一で対峙していた。

ドスッ・・・!
瞬く間に止めを刺されて息絶えた馬が地面に打ち捨てられた重々しい音に、今度は自分の番だという危機感が激しい震えとなって背筋を駆け上がっていく。
「グルルルル・・・」
だが口元を今し方噛み殺した馬の血で真っ赤に染めている雄竜の方はというと、見る者全ての足を竦ませるような恐ろしい形相で僕を睨み付けながらもじっとその場に身を低めていた。
恐らくはこれまでにも何度か襲った人間達に追い返されたという経験から、相当に反撃を警戒しているのだろう。
とは言え虎視眈々とこちらの隙を窺っているらしい雄竜の前で助けを呼ぶわけにもいかず・・・
僕は心中の怯えを悟られないよう雄竜の燃えるような紅眼を正面から真っ直ぐに見つめ返しながら、ゆっくりと背中に背負っていた矢筒へと手を伸ばしていた。

「うっ・・・」
やがて幾度か虚空を掴んだ手の指先に、ようやく1本だけ矢羽が触れる。
若干細身ながらも矢筒にはみっちりと矢を満載していたはずだというのに、どうやら先程突き飛ばされた時の衝撃で持ってきた矢はこの1本を除いて全て地面の上に散乱してしまっていたらしかった。
万が一にもこれを外したら、僕は間違い無くこの雄竜に殺されることだろう。
だがそんな危機的状況にもかかわらず、僕は意を決して弓を持ち上げると敢えて一歩雄竜の方へと近付いていた。
この一触即発の状況で僅かにでも逃げるような素振りを見せれば、恐らくこいつは何の迷いも無く僕に飛び掛かってくることだろう。
そして予想に反して自ら近付いて来た獲物の動向に雄竜が僅かばかりの困惑を滲ませた瞬間、僕は素早く矢筒から矢を引き抜くとそれを弓に番えて眼前の敵に狙いを付けていた。

ギリ・・・キリリッ・・・
ゆっくりと弦を引き絞る度に、弓のしなる音が周囲に溶け込んでいく。
「グルッ・・・グルルル・・・」
雄竜も一瞬油断した隙に僕が武器を構えたことで先程までよりも警戒心を露わにしたものの、僕の方は堅牢な鱗に覆われていない雄竜の腹に狙いを付けながら何時まで経っても矢を放てずにいた。
これは紛れも無く、自身の命が懸かった一射・・・
ドラゴスの毒を塗った鏃が奴の腹に命中しなければ、手緩い反撃を試みた僕は怒り狂ったこの残虐な巨獣に文字通り嬲り殺しの憂き目に遭わされることだろう。
それを考えるだけで、弓を支える左手がプルプルと震えてしまう。
だが一撃必殺の圧倒的有利な武器を手にしていながらこんなところで怖気付いていたら、悪に染まったドラゴンを救うことなど夢のまた夢というものだ。
そして何時まで経っても僕が動かないことに痺れを切らしたのか、いよいよ溢れんばかりの殺意を漲らせた雄竜が怒りのこもった唸り声を上げながらその屈強な四肢を躍動させて飛び掛かって来たのだった。

突如として大地から撃ち出された、恐ろしく巨大な殺意の塊。
僕はギラリと鈍い輝きを放つ竜爪を振り上げて獲物を引き裂こうと跳躍した雄竜の姿に全身を粟立たせながらも、グッと歯を食い縛ると毒矢を番えた弓を少しだけ持ち上げていた。
たとえ矢羽を持つ右手は震えても、武器を構える左手だけは震わせるわけにはいかない・・・
そしてそんな決死の覚悟で大きく眼前に曝け出された雄竜の腹に狙いを付けると、僕は石のように固まってしまった右手から必死に力を抜いていた。
ヒュッ!ドスッ!
「ゴオオオアアアアァッ!」
次の瞬間、静かな風切り音とともに放たれた矢が雄竜の左脇腹に命中する。
と同時にドラゴスの毒が齎す強烈な激痛と四肢の麻痺に森全体を震わせるような咆哮が轟いたものの、どうやら厚い脂肪の層に命中した矢では即死させることは出来なかったらしい。

ゴォッ!
「うわあぁっ!」
それでも攻撃の効果か勢い良く振り下ろされた死神の大鎌のような爪は僅かに狙いが逸れてくれたお陰で、僕は間一髪飛び退ってその一撃をかわすことに成功していた。
ドオォン・・・!
「グオアッ!ガアアアァッ!」
やがて着地にも失敗したらしい雄竜が、壮絶な苦悶に地面の上で悶え転げている。
だが口の端から泡を吹きながら僕を睨み付けている雄竜の眼にはまるで燃え盛る炎のような凄まじい憤怒が浮かんでいて、僕はそれを見ただけで余りの恐ろしさにゴクリと息を呑んでいた。
早く・・・早く止めを刺さなければ・・・
そしてそんな思いに周囲を見渡すと、ほんの数歩先に先程矢筒から零れ落ちた矢が幾本も転がっているのが目に入る。
僕はそれを見た瞬間に素早く飛び出すと、地面に落ちていた3本の矢を無造作に掴み上げていた。

「グゴアアアアアアッ!」
やがてそれらを弓に番えて顔を上げた瞬間、再び激しい咆哮と共に雄竜が最後の力を振り絞って突撃してくる。
今度はたとえ矢を受けようとも、確実に僕を踏み潰すつもりだろう。
だがやはり先の一矢が効いているのか、その動きは最初に飛び掛かって来た時のそれとは速度が半減していた。
ヒュヒュッ!
そして今度は少し落ち着いて同時に番えた3本の矢を雄竜に放つと、内2本がまたしてもその大きな腹に突き刺さる。
ドドスッ!
「ゴッ・・・アッ・・・」
ドドドォン・・・
ドラゴスの毒矢を3本も身に受けたのでは流石の雄竜も耐えられなかったらしく、彼は短い断末魔の声を漏らすと襲い掛かってきた勢いのまま地面の上に倒れ込んだのだった。

「アディ!どうした!何があった!?」
その数秒後、派手に騒ぎ回った雄竜の声を聞き付けてこっちへ向かって来ていたらしい仲間達が随分と慌てた様子で馬を走らせながら僕の許へと駆けつけてくれる。
「ああ・・・その・・・例の雄竜、倒しました・・・」
そう言った瞬間、僕はようやく命の危機が去ったことを実感した体から力が抜けて思わずその場にへたり込んでいた。
「これ・・・お前が1人でやったのか?」
やがて地面の上で息絶えている雄竜の姿を見た仲間達が、半ば感嘆の滲んだそんな声を漏らす。
「は、はい・・・ただ馬が殺されてしまったので・・・誰か乗せてください」
そしてそれだけ言うと、僕は大きく息を吐き出しながら今更荒々しく暴れている心臓の鼓動を必死に宥めたのだった。

その日の夜・・・
「アディ!聞いたぞ!初めての任務だったってのに、1人で敵を仕留めたらしいな!」
「ははっ、あのひよっこが随分な大手柄を上げたもんだな」
僕の初任務成功を祝うという名目の下、村で開かれた祝宴で僕は案の定他の竜殺し達に散々に弄られていた。
まあ依頼の報奨金を結果的に僕が独り占めする形になってしまったのだから、同行したベテランの竜殺し達にとっては心中面白くない部分があるのだろううことは容易に推察出来るのだが・・・
「ハロルドも鼻が高いだろう。何にしても、これからも頼むぞアディ」
「は、はい・・・」
こうして、竜殺しとなって初の任務を終えた僕の夜は慌しく過ぎていったのだった。

そんな命懸けの修羅場を自力で潜り抜けた経験が、僕の中で何かを変えたのか・・・
それからというもの、僕は度々竜殺しの依頼で大きな手柄を上げるようになっていった。
巨大で凶暴なドラゴンを前にしても動じない強靭な心と言えば聞こえは良いのだが、恐らく僕は恐怖という感情が鈍くなる、一種の心の障害を負ってしまったのかも知れない。
とは言えベテランの竜殺し達でさえドラゴスの毒を塗った武器を手にしなければ近付けないようなドラゴンにさえ、僕はまるで家の庭を散歩でもしているかのように何の気負いも怯えも見せぬまま歩み寄れるようになっていたのだ。
しかも時には討伐対象となったドラゴンを言葉だけで説得してその命を奪うことなく事態を解決出来た例さえあり、それは正に僕が目指す"竜使いの導師"の掲げる理想を地で行くものだった

そして、それから4年・・・
まだ25歳という若さでありながら既にベテランの竜殺し達と同じように扱われるようになっていた僕は、またしても村へ届いたという竜討伐の依頼を受ける為に他の仲間達と共に村長の家へと集まっていた。
「村長、また依頼が届いたそうですね?」
「うむ・・・珍しい話じゃが、この村の西に広がる森で数週間前から1匹の雌の赤竜が激しく暴れ回っておるらしい」
「西の森?そこは隣国との国境にある山の尾根まではこの村の一部のはずだろう?そんなところに竜がいるのか?」
確かに、村の西側の森は僕とゾラス兄さんが狩りに出掛けたりしていたように、一応はこの村の一部という認識が周辺諸国にまで周知されている。
そんなところに凶暴なドラゴンが棲んでいたりしたら、数週間と言わずほんの数日で何らかの情報が村に入るはずだ。
「まあこの村の領地だとは言っても、実際西の森に出入りしていたのはアディとゾラスくらいだったからなぁ・・・」
「それに農園はもっと北側だし、ゾラスが死んでからここ10年程は西の森にはほとんど人の出入りは無かったはずだ」
成る程・・・確かにそういうことなら、村の人間達も知らない内に何処かから凶暴なドラゴンが迷い込んできていたとしてもおかしくはないだろう。
「取り敢えず、実際にそいつの姿を見てみるとしよう。場所は馬で十数分の距離だ。準備が整ったらすぐに出るぞ」
僕はそんな仲間の言葉に頷くと、すぐに自分の家に取って返していた。

何時ものようにドラゴスの毒を塗った矢と愛用の弓を携えては、父に短く出発の意思を伝えるという何時もの慣習。
そして家の前に繋いであった愛馬に跨ると、僕はもう今から10年も前・・・
そこへ足を踏み入れるのは兄と共に狩りに出掛けたあの日以来となる、村の西に広がる森へと近付いていった。
「よし、全員準備は良いな・・・行くぞ!」
「おおう!」
やがてそんな男の声に呼応すると、先陣を切った彼に続いて2人の仲間達とともに一気に薄暗い森の中へと飛び込んでいく。
だが森の中を走り出してから10分と経たない内に、僕達はそこで起こっていたある重大な異変に気が付いたのだった。

「ちょ、ちょっと待て・・・こいつは何だ・・・?」
長い間人間の出入りが無かったお陰か、森の中は以前に見た時よりも更に鬱蒼としている様子だ。
だが先頭を走っていたそんな仲間の声で、僕はようやく周囲の状況を正しく認識していた。
そこにあったのは森の中の至る所に生い茂っている、まるで血のように不気味な深紅の色を湛えた無数の果実・・・
「これは・・・まさかドラゴスの実か?」
「そんなはずないだろう!この周辺は村から見てほぼ真西・・・農園からだって、10キロ近くも離れてるんだぞ!?」
しかし口ではそう否定しながらも、彼もまたこれが本物のドラゴスの実であることを確信していたのだろう。
何しろ、僕達はドラゴスの毒を作る為に毎週のようにこの奇妙な果実を目にしているのだ。
如何に柘榴の実に酷似はしていても、そんな生活の一部と言っても過言ではないこの果実をよもや僕達が見紛うことなどあるはずがない。

しかし視界の中の至る所に生えているこの実が本当にドラゴスの実なのだとすると、一体どうやってこんなにも繁殖したというのだろうか?
ある程度知性のある生物が生のドラゴスの実を食べれば麻薬症状が出る為、自ら好んでこの実を食べる生物はいないはず・・・
小動物達による種子の拡散が望めない以上、多少の例外はあるにしても農園から遠く離れたこんな場所にドラゴスの樹が乱立していることなどどう考えても有り得ない話なのだ。
だがそんな不穏な謎に頭を悩ませていた僕達の耳に、やがて何処からか激しく大気を震わせるドラゴンの咆哮が飛び込んできたのだった。

「グオオオオオッ!」
「・・・あれだ、標的の雌竜の声だろう」
「ドラゴスの実の調査は後で良い。まずは奴を討伐するぞ」
そしてその声に従って声のした方へそろそろと馬を進めていくと、やがて僕の目が木々の向こうに真紅の鱗を纏う実に体高3メートル近い巨大なドラゴンの姿を捉えていた。
まるで深い水底を映しているかのような濁った青眼で周囲を睨み付けながら、酷く興奮したように口の端から涎を垂らしているらしい。
「よし・・・姿を捉えた。まだこっちには気が付いてないようだ」
「アディ、撃てるか?」
「ああ、大丈夫だ」
僕はそう答えながら矢筒から矢を取り出すと、それを弓に番えてゆっくりと引き絞っていた。

激しい唸り声や咆哮を上げながら時折周囲の草木を薙ぎ倒したりしているその雌竜の様子は明らかに尋常ではなかったものの、常時走り回っているわけではないからこの距離からなら十分に弓で狙えるはず・・・
やがて雌竜が一瞬動きを止めた隙を突いて矢を放つと、数瞬の間を挟んで毒を塗った鏃が雌竜の腹に食い込んでいた。
ドスッ!
「ゴアアアアッ!」
「よし、命中したぞ!一気に取り囲んで止めを刺すんだ!」
だが毒矢の激痛に悶える雌竜に他の仲間達が止めを刺そうと近付いたその時、勢い良く振り回された太い尻尾が先頭にいた仲間を馬ごと跳ね飛ばしていた。
ズドドッ!ドガッ!
「うぐあっ!」
「ヒヒヒィーン!」
幸い強烈な尾撃は男の方には直撃しなかったものの、数メートルも吹き飛ばされて大きな木に激突した馬の方は脚が1本折れてしまったらしい。

「おい、大丈夫か!?」
しかし尻尾に跳ね飛ばされた男の安否を気遣った2人の仲間は、その直後雌竜の吐き出した凄まじい業火に全身を巻かれてしまっていた。
ゴオオオオッ
「うわあああっ!」
「ぎゃああっ!」
乗っていた馬諸共火達磨になった2人の仲間が、バタバタと周囲を転げ回りながらやがて動かなくなっていく。
そして自身に矢を放った僕の存在をその青眼で捉えると、雌竜が荒々しい怒号を上げながら周囲の木々を掻き分けるようにして襲い掛かってきたのだった。

ドドドッ!ガッ!バキキッ!
「ア、アディ!早く逃げろ!」
そんな・・・矢は確かに命中したのに・・・どうしてこいつには四肢の麻痺が全く見られないんだ・・・?
猛毒を塗った矢傷の痛みと激しい怒りに歪んだ恐ろしい雌竜の形相に、それまでしばらく感じたことの無かった恐怖という感情が背筋を駆け上がっていく。
そして次の矢を番える間も無く怒涛の勢いで迫ってきた雌竜に距離を詰められると、僕は強烈な頭突きを食らって10メートルもその場から跳ね飛ばされていた。
ズガッ!
「あぐっ・・・う・・・ぁ・・・」
やがて背後にあった大木に背中と後頭部を強かに打ち付けると、一気に意識が飛びそうになってしまう。

ズン・・・ズン・・・
霞み掛かった意識の中に響いてくる、大地を揺らす巨竜の足音・・・
僕は・・・ここで死ぬのだろうか・・・
ゆっくりと顔を上げてみると、半ば白いベールに覆われてしまったかのような視界の中に相変わらず憤怒の表情を浮かべているらしい赤竜の顔が浮かび上がる。
そして凶悪な竜爪を剥いた大きな右腕を大きく振り上げると、雌竜がその凶器を何の躊躇いも無く僕に向かって振り下ろしたのだった。

4本の鋭利な刃が甲高い音と共に空気を切り裂き・・・死の気配が朦朧とした意識に激しく叩き付けられる。
ズガッ!
そして次の瞬間、僕は後頭部に感じた何かが破裂したかの如き強烈な音と衝撃に自身の死を確信していた。
だが・・・
「・・・え・・・?」
再び無音となった世界できつく閉じていた目を薄っすらと開けてみると、どういうわけか僅かに狙いが逸れて背後の木の幹を大きく抉り取った巨竜の手が僕の眼前で揺れている。
一体何が・・・?
もしかして、今頃になってようやくドラゴスの毒の効果である四肢の麻痺が起こり始めたのだろうか・・・?
だが大地を踏み締めた雌竜の他の手足には特に震えや痺れの症状が現れている様子は無く、どちらかというと荒れ狂う獰猛な本能を温厚な理性が懸命に押さえ付けようとしているかのようなある種の葛藤が見え隠れしていた。

どうして・・・僕は助かったのだろうか・・・?
この雌竜は直前まで確実に僕を殺そうと殺意を剥き出しにしていたし、振り下ろされた凶悪な爪が間違い無く僕の頭を砕こうと迫って来た瞬間が今も目に焼き付いている。
しかし何とか初撃をかわせたのは良いものの、この雌竜の真意が分からない以上早くこの場から逃げないと危険なことに変わりは無い。
そしてそんな危機感に体を起こそうと手足に力を入れようと試みたものの、やはり強烈な激突で負ったダメージはそう簡単に抜けてくれるものではなかったらしく・・・
僕は結局腕の1本も動かすことが出来ないまま、再びこちらに向けられた雌竜の恐ろしい竜眼を力無く見つめ返すことしか出来なかった。

「アディ!」
ヒュッ!ドスッ!
とその時、ようやく体勢を立て直したらしい仲間が僕を助けようと雌竜の脇腹に毒矢を命中させていた。
「ゴガアアアアッ!」
四肢の麻痺は見られずともやはり毒による激痛は感じているのか、耳を劈くような凄まじい悲鳴の如き咆哮が周囲の森を激しく揺らしていく。
そして僕も何とか少しだけ体が動くようになると、腰に身に付けていた短刀を素早く引き抜いて柔らかな脂肪に覆われていた雌竜の腹を思い切り斬り付けていた。
ズバッ!
「グオアッ!」
狩りの時の獲物の解体に使う用途だっただけに短刀の方には毒を塗っていなかったものの、刃に対して無防備な腹の肉を裂くにはそれでも十分だったらしい。
ドドドォン・・・
そして苦痛の余りその巨大な体を支えていられなくなったらしい雌竜が激しい震動と轟音を伴いながら地面の上へ崩れ落ちると、僕はまだフラ付く体をゆっくりと起こしていた。

「ア・・・ディ・・・」
「え・・・?」
だがその数秒後、僕はふと誰かに名前を呼ばれたような気がしてこちらに向かって来ていた仲間の方へと反射的に顔を振り向けていた。
いや・・・聞き覚えのある声だったものの、今僕を呼んだのは彼じゃない。
でも他の2人の仲間達はさっき馬諸共焼き殺されてしまったし、他には誰も・・・
そしてそこまで考えが及んだ時、僕はまさかという思いを抱きながら今し方打ち倒した巨大な赤竜の方へと視線を落としていた。

「ロメ・・・リア・・・?」
まさか・・・そんな・・・嘘だ・・・彼女のはずが無い!
体だってこんなに大きくなかったし、あの優しかった彼女がこんな狂気に染まるようなことなんてあるはずが・・・
「アディ・・・ごめん・・・ね・・・」
「こいつ、まだ息があったのか。これで止めだ!」
「待って!殺しちゃ駄目だ!」
やがてようやく追い付いてきた仲間が声を発した雌竜の顔に槍を突き立てようとしたのを、僕は必死に制止していた。
「何だ?どうして止める?」
「彼女なんだ・・・僕にもまだ信じられないけど・・・この雌竜は・・・ロメリアなんだよ・・・」
「ロ、ロメリア・・・だって・・・?」

それで彼もようやく、彼女のことを思い出したらしい。
確かに真紅の鱗に青い眼は、あの可愛らしかったロメリアの特徴と一致している。
それに・・・最後に彼女と別れてからもう10年もの月日が経っているのだ。
特殊な種族を除けば生涯体が成長し続けるというドラゴンの特徴を考えれば、彼女がこれ程巨大な体躯を獲得したのも不思議なことではない。
「わ、私ね・・・本当は・・・こ、こんなこと・・・したくなかった・・・」
「ロ、ロメリア・・・それなら・・・一体どうして・・・」
「アディ・・・多分、原因はこいつだろう。この辺りにもあちこちに樹が繁殖しているみたいだからな」
そう言うと、仲間が突然ポイッと僕に真っ赤な果実を放り投げてくる。

「これは・・・ドラゴスの実・・・?じゃあロメリアは・・・これを食べちまったっていうのか?」
「その実の成分は、血中に入ることで初めて作用を及ぼすんだよ。だから多分、出血のお陰で正気に戻ったんだろう」
「そ・・・そんな・・・それじゃあ、彼女はもう・・・」
血中を巡るドラゴスの実の麻薬成分が、その効果を薄めてしまう・・・
それはつまり、ロメリアの出血が既に致命的な域にまで達していることを暗に示していた。
そして改めてロメリアの姿を見てみると、2本の矢傷と短刀で切り裂かれた痛々しい腹の傷口から夥しい量の血が流れ出しているのが見て取れてしまう。
「それに手足が麻痺しなかったのも、既に脳が麻薬に侵されていたから毒の成分がブロックされていたんだろうな」
「アディ・・・無事で良かった・・・私・・・アディを殺しちゃうと思って・・・必死に手を止めたんだよ・・・」
そうか・・・さっき僕が奇跡的に助かったのは、彼女の理性が懸命に僕を護ろうとしてくれていたのだろう。
ドラゴスの実に狂わされて本能の赴くままに暴れ回る自身の凶暴性に、彼女はその意志の力だけで打ち勝ったのだ。
だが腹の傷口から止め処無く溢れ出していく彼女の命の欠片は、もう今にも底を突き掛けてしまっているらしい。

「ねぇ・・・アディ・・・私との約束・・・覚えてるでしょ?」
苦しげな息を漏らす彼女の口の端から、その身に纏った真紅の鱗にも負けない程の真っ赤な血が滴り落ちていく。
しかし死を目前に控えた激しい苦痛の中にあるはずだというのに、ロメリアはその顔にかつて毎日僕の心を和ませてくれたあの優しい笑みを浮かべていた。
「もちろん覚えてるよ。僕は竜使いの導師になる。でも・・・でも僕は・・・本当は、君を救いたかったんだ・・・」
徐々に目の前でその命の炎を弱めていく、愛しい雌竜の無惨な姿。
僕はその耐え難い現実に、両目からボロボロと大粒の涙を溢していた。
それはまるで胸を引き裂かれるかのような、脆弱な人の心を容赦無く穿つ底無しの悲哀。
「ロメリア・・・お願いだよ・・・頼むから・・・し、死なないで・・・」

僕はそう言いながらまるで崩れ落ちるように彼女の許へ駆け寄ると、大きなその顔を両腕で抱き抱えていた。
「こんなに・・・立派な竜殺しになれたんだもの・・・アディなら・・・きっと夢を叶えられるわ・・・」
ゆっくりと、しかし確実に、無慈悲な死の瞬間が彼女に忍び寄っていく実感がある。
しかしこんなにも彼女のすぐ傍に居るはずだというのに何をどうすることも出来ず、僕は少しずつ生気が抜け落ちていく彼女の顔をただただひたすらに抱き締めていた。
「だからアディ・・・今度は・・・ずっと一緒にいさせてね・・・」
「い、嫌だ・・・逝かないでよ・・・ロメリア・・・ロメリアァ・・・」
今にも天に昇って行ってしまいそうな彼女の魂を決して離すまいと全力を込めるようにして彼女を掻き抱くと、そんな僕の頭をゆっくりと持ち上げられた彼女の大きな手が優しく撫でてくれる。
ドサッ・・・
だがやがて彼女の手が地面に落ちる終焉の音が聞こえてくると、僕はハッと彼女の顔を覗き込んでいた。
「ロ、ロメリア・・・?」
いよいよその時が来てしまったという覚悟を胸に漏らした僕の呼び掛けに、余りにも辛い静寂だけが返ってくる。
そして静かに目を閉じた彼女の顔に浮かんでいる満足げな表情を目にすると、僕はそれまで辛うじて押さえ付けていた感情の箍がついに跡形も無く弾け飛んでしまったらしかった。

「あ・・・あぁ・・・ロ、ロメ・・・リア・・・うああああああああっ・・・!」
ロメリアを殺してしまった・・・僕が・・・この手で・・・
ロメリアが村を追放されてからのこの10年間、僕は彼女を救う為に全てを捧げてきたつもりだった。
それなのに・・・僕は・・・僕はぁっ・・・!
この姿を一目見た時に、僕はどうして彼女がロメリアだと気付けなかったのだろうか・・・
ドラゴスの実を口にして凶暴な本能のままに猛り狂った雌竜の姿が、あの可愛らしかった彼女の印象とは余りに懸け離れ過ぎていたから・・・?
違う・・・僕は、不覚にも最初からその可能性を微塵も脳裏に思い描かなかったのだ。
彼女がこんな豹変を遂げることなどあるはずが無いと、きっと心の何処かで決め付けてしまっていたのだろう。
あの優しいゾラス兄さんでさえもが、突如として僕を殺そうと襲い掛かって来たことがあったというのに・・・

「アディ・・・」
「1日なんだ・・・たった1日・・・」
「1日・・・?何の話だ?」
やがてブツブツと独り言のように呟いたその僕の言葉に、仲間が怪訝そうな表情を浮かべる。
「ドラゴスの実の講義を後1日早く受けていれば・・・ゾラス兄さんが命を落とすことは無かったはずなんだ・・・」
兄と共にこの森へ狩りに出掛けたあの日・・・
きっと兄も、ロメリアと同じようにこの周辺で繁殖していたドラゴスの実をそれと知らずに食べてしまったのだろう。
ドラゴスの実についての知識があれば、兄だってあの魔性の果実を口にするようなことは決して無かったに違いない。
そして兄が無事だったなら、ロメリアが村を追放されるようなことも無かったはず・・・
あの瞬間に全ての運命が狂ってしまったという思いが、やり場の無い怒りや悔しさとなって胸の内に溢れ出していく。
兄のことで彼女を責めたことはただの1度だって無かったものの、僕はほんの目と鼻の先で実の兄を失っているのだ。
それだけでも僕や父にとってはこの上もない悲劇だというのに、このドラゴスの実のせいで今度はロメリアまで・・・

だがそこまで考えた時、僕は思わずハッと顔を上げていた。
「どうした?大丈夫かアディ?急に呆けたような顔をして・・・」
今度は・・・?
ふと脳裏で呟いたその言葉に、何故か奇妙な違和感が募っていく。
"だからアディ・・・今度は・・・ずっと一緒にいさせてね・・・"
そしてそんなロメリアの最期の言葉を思い起こすと、僕はフラリとその場から立ち上がっていた。
「おい・・・おいアディったら・・・一体何処へ行くつもりだ?」
彼女はさっき・・・どうしてあんなことを言ったのだろうか?
今度はずっと一緒にいさせてね・・・だって?
まるでもう1度何かをやり直すチャンスがあるかのようなその口振りに、僕は黒々とした激しい絶望と悲しみに打ちひしがれながらもふと周囲を見回していた。

「何だ?何を探してる?」
「この近くに・・・ドラゴンの住み処になりそうな場所は?」
「ああ・・・それならもう少し向こうに、山肌が削られて出来た広めの洞窟があるが・・・」
僕はそれを聞くと、おもむろに馬の背中へと跨っていた。
「お、おい待てって。行くなら俺も乗せてくれ」
ロメリアに矢を放つ為に馬を降りていたお陰で、今や無事に残っている馬は1頭だけ・・・
この広い森の中に置き去りにされるとでも思ったらしい仲間が、そんな僕の様子に慌てて僕の後ろに飛び乗ってくる。
「それで、その洞窟に行って一体何をするつもりなんだ?」
「分からない・・・でも、これだけは確かめておきたいんだ」
そして彼の案内に従って西の方角へ数分程馬を走らせると、やがて急峻な山肌の中程に確かに深い洞窟が顔を覗かせているのが目に飛び込んできた。

冷たい静寂と漆黒の闇を湛えるその洞窟の入口に、確かに最近まで誰かが出入りしていたような痕跡が残っている。
恐らくはここが、この10年間ロメリアの住み処だったのだろう。
「それで、中に入るのか?完全に真っ暗だぞ」
「ああ・・・でも、奥の方は天井の穴から少しだけど光が入ってるみたいだ」
僕は薄っすらと岩肌の輪郭が見える程度のその闇の中に慎重に足を踏み入れると、足下に注意しながらそろそろと手探りで洞窟の奥へと進んで行った。
やがて30メートル程奥に入ったところにある少し広めの部屋のような空洞に辿り着くと、天井から差し込む薄明かりの下に草木を集めて作ったと見える小さな温床が設えられているのが目に入る。
そしてその温床の上に・・・直径30センチ程のドラゴンの卵が大事そうに安置されていたのだった。

「やっぱりあった・・・」
「あれって、ロメリアの産んだ卵か?」
「多分ね・・・」
僕はそう言いながら、初めて見るドラゴンの卵を両手でそっと持ち上げようとしてみた。
ズッ・・・
「うっ・・・ず、随分と重いな・・・」
だが見た目の割に卵はずっしりと重く、流石に1頭の馬で僕と仲間と卵を同時に運ぶのはかなり骨が折れそうだ。
「な、なあアディ・・・卵を見つけたのは良いけど、これって父親のドラゴンが何処かにいるんじゃないのか?」
「いや、多分それはないと思うよ」
「どうして?何か根拠があるのか?」
根拠・・・と言えるほどのことではないものの、あのロメリアだって今から16年前、かつて隣国の森を焼き払っていた雌竜を討伐した際に独り残されていた孤児だったのだ。

「この辺りで他にほとんどドラゴンを見掛けないってことは、父親は定住しない行きずりの雄竜だと思うんだ」
「そ、そうか・・・」
とは言うものの、この卵を一体どうしたら良いものか・・・
あのロメリアが最期にあんなことを言ったのは、きっとこの卵をまた自分と同じように村の人間達に育てて欲しかったんだろうと思う。
ピシ・・・
だが想像以上に重い卵の処遇に頭を悩ませていたその時、僕はふと卵から奇妙な音が聞こえたことに気が付いていた。
「えっ・・・?」
そして思わず卵の方に視線を向けてみると、その堅い殻に一筋のヒビが入っている。
パキッ・・・ミキ・・・ペキャッ!
更に僕が見ている間にも次々とヒビの数が増していくと、ついにその殻の一部が弾けるようにして卵に小さな穴が開いていた。

やがて開いた穴の中からロメリアそっくりな真紅の鱗を纏った小さな竜の手が飛び出すと、それがゆっくりと他の殻を毟り取っていく様に何だか胸を締め付けられるような愛くるしさを感じてしまう。
「きゅ・・・きゅうぅ・・・」
そして16年前初めて我が家へロメリアがやって来たときにも聞いたあの可愛らしい仔竜の鳴き声が響いてくると、僕は卵から転がり出して来た産まれ立ての仔竜にそっと歩み寄っていた。
「産まれたな・・・」
「うん・・・それじゃあ、村に連れて行こうか・・・」
「きゅ?きゅきゅっ!きゅうぅ・・・」
殻から飛び出して初めて目にした僕のことを親だと思っているのか、まだ成竜の険を帯びていない仔竜の円らで純真無垢な青い瞳がキラキラと輝いている。

「ほら、おいで」
「きゅきゅっ!」
産まれたばかりで人間の言葉など当然まだ理解などしていないだろうに、仔竜はそんな僕の言葉に甲高い返事を漏らすと差し出した僕の両腕の中へピョンと飛び込んできた。
「はは・・・可愛いな・・・」
そんな仲間の言葉に、ロメリアを失ったことで傷み荒んだ心が何だか癒されていくような気がする。
そうだ・・・まだやり直せるんだ・・・
この仔竜を無事に育ててやることが、不遇な運命に殉じたロメリアに対する何よりの供養になるだろう。
「きゅう・・・」
そして甘えるように顔を擦り付けてくる仔竜を抱き抱えると、僕達は村に戻るべく洞窟を後にしたのだった。

それから数日後・・・
「アディ・・・もう行くのか?」
随分と朝早く起きたのか居間でじっと何やら考え事をしていたらしい父が、旅支度を終えて部屋から出て来た僕にそんな声を掛けてくる。
「うん・・・我儘言ってごめん・・・でも、どうしても行かなくちゃいけないんだ。ロメリアとの・・・約束だから」
「いや、良いんだ・・・お前にその話を聞いた時、俺は寧ろ安心したくらいなんだからな」
ドラゴンを殺す為ではなく、悪道に染まったドラゴンを更正させるという新しい道・・・
そんなある意味で突拍子も無い僕の夢を伝えた時、意外にも父は特に大きな驚きを見せなかった。
ドラゴンが好きだからという理由でこの村で生まれ育ちながら竜殺しへの道を選ばなかった父にしてみれば、そんな僕の決断には賛成こそすれど反対する理由は見当たらなかったのだろう。
「元気でな・・・お前も、アメリアも」
僕はそう言った父の視線の先にいた小さな仔竜を一瞥すると、そっとその場にしゃがみ込んでいた。

「おいで、アメリア」
「きゅきゅっ!」
やがてその僕の呼び掛けに、まだ体高30センチ程の可愛らしい赤竜が嬉しそうに擦り寄ってくる。
ロメリアが僕に遺してくれた彼女の最初で最後の娘であるアメリアは、どうやら卵の孵化した瞬間に立ち会った僕のことをもう完全に親だと認識しているらしい。
「寂しくなるね、父さん・・・」
「俺のことはたまに便りをくれればそれで良いさ・・・それよりも、しっかり夢を叶えるんだぞ」
そしてそんな父の言葉に押されて家を出ると、数日前に僕と共にロメリアの最期を看取った唯一の仲間が僕を見送りに来てくれていた。

「アディ・・・ロメリアのことは残念だったな」
「ああ・・・でも、今の僕にはアメリアがいる。彼女の為にもこいつをしっかり育ててやらないとね」
そう言うと、自分のことを話題にされていると思ったのか僕に背負われていたアメリアが小さな声を上げる。
「きゅっ!」
「はは・・・もうすっかりお前に懐いてるな」
「ドラゴンにも刷り込みってのはあるみたいだな。ところで、村の方は大丈夫なのか?」
本来であれば竜殺しが必要に応じてそうする以外には外出することを基本的に許していないこの村で、僕が村を出て行くということは正に前代未聞の大事件なはず。
だが特段村の方では何か騒ぎが起きているわけでもないし、寧ろ普段よりも静かに見えるくらいだった。
「ああ・・・長老達も、今回の件がロメリアを追放したせいで起こったことだと認識はしてるみたいだったからな」
「そうか・・・でも、一体どうして西の森にあんなにドラゴスの樹が繁殖してたんだろうな・・・?」
「その件についてはもう調査が済んだよ。ただ少し言い難いんだけど・・・大元の原因は、多分ロメリアなんだ」

西の森でドラゴスの樹が繁殖していた原因に、ロメリアが絡んでいるだって?
「どういうことだ?」
「16年前、ロメリアの母親が森を焼き払ってたことがあっただろ?あれは、ドラゴスの樹を焼いてたらしいんだよ」
「それじゃあ・・・産まれて間も無いロメリアを、ドラゴスの実から遠ざけようとして森を焼いてたって言うのか?」
そんな仲間の言葉に、かつてロメリアが言った言葉がふと脳裏に蘇る。
"お母さん・・・きっと産まれたばかりの私を何かから護ろうとしてくれたんだと思うわ"
そうだったのか・・・だとしたら、もしかしたら森を焼いていたロメリアの母親は本来人間に危害を及ぼすような凶暴なドラゴンではなかったのかも知れない。
それなのに、僕達は彼女の母親を・・・
「でもドラゴスの樹を焼いたせいで、麻薬成分が無毒化された無数の果実を小動物達が食い荒らしちまったんだ」
かつて麻薬の一種として他国にも販売されていたという、ドラゴスの実。
その種子が持ち込まれたことで、きっと隣国でもドラゴスの樹を繁殖させようという動きがあったのに違いない。
だがこの村のように少数の人間が徹底的に管理された農園でドラゴスの実を栽培しているのとは違い、隣国では森の中へほとんど無秩序にその種子をばら撒いてしまったのだろう。
それを見つけたロメリアの母親が娘を護ろうとして果実を焼いたことが、これまでこの村で立て続けに起こった多くの悲劇の遠因となってしまったのだ。

「それって、これからどうするんだ?」
「多分、俺達が手作業で可能な限り全部回収するって流れになるんだと思うよ。まあ、気長にやるさ」
「そうか・・・じゃあ、そろそろお別れだな」
僕はそう言うと、旅の荷物を馬の背に積み上げていた。
「たまには村に帰って来いよアディ。親父さんが寂しがるだろうからな」
「ああ・・・そうだな・・・」
やがてアメリアとともに僕も馬に跨ると、そっと村の東側に延びている街道へとその鼻先を向ける。
「俺もお前を応援してるよ。竜殺しの俺が言うのもなんだけど、ロメリアの母親の件はきっと俺達が間違ってたんだ」
「ありがとう。僕は、きっと人も竜も幸せに出来るような"竜使いの導師"になってみせるよ」
そしてそう言いながら馬を走らせると、僕はもう後ろを振り返ることも無く長年生まれ育った故郷を後にしていた。

後の時代、長年に亘って世界各地で人と竜を繋ぐ役目を果たした竜使いの導師アディ。
竜殺しとして生きた若き日々の経験故に敢えて竜と共に生きる道を選んだ彼の最初の旅立ちの日は、産まれたばかりのまだ幼い雌仔竜アメリアとともにこうして幕を開けたのだった。

このページへのコメント

ドラゴン好きですが死んじゃうストーリーが多くてちょっと悲しい

1
Posted by ハワ 2017年08月27日(日) 18:27:55 返信

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