ピ・・・ピピピピッ・・・
"Farth7 0900"
次なる地球Farthの環境調査7日目・・・
精神的に微かな疲労感を感じ始めた船員達は、何時ものように船室でCIの起動準備に掛かりながら未知なる惑星で過ごした最初の1週間を各々の脳裏に振り返っていた。
「Farth7 0903、CIアウェイクニングフェーズを開始します」
「データ送受信用配線のリジェクト完了。起動用のショック用意」
「チャージしています。離れてください」
普段と変わらぬはずのその作業を進める声にも何処か感情の欠落が見受けられるのは、これまで幾度と無く目にしてきたCIの最期を単なる任務に付随した必要な犠牲とは割り切れなかったが故の苦悩の表れなのだろう。

ドンッ
だがそんな船員達の胸中とは裏腹に、やがて都合5度目となる起動の電気ショックを受けて目を覚ましたCIはこれまでとは違って驚く程静かにその上体を起こしていた。
未知の原生生物達によって衝撃的な最期を迎えた最初の3回の調査とは異なり、昨日は正にCIの機転と覚悟の自爆でこの星の生態系の致命的な崩壊を防いだのだ。
その成功を調査データとして受け取っているが故に、CIも安定した精神状態で目覚めを迎えられたのだろう。

「おはようCI。気分はどうだ?」
「ああ・・・問題無い。今日の調査項目を教えてくれ」
これが本当に昨日までと同じ記憶とデータを持ったCIなのかと訝ってしまう程に、静かで落ち着いたその返答が半ばささくれ立っていた船員達の心を静めていく。
「よし・・・今日は自然環境の調査だ。ただし、未知の生物との遭遇も想定に入れておいてくれ」
「調査エリアの範囲は?」
「まだ調査していない南東部の森だ。昨日の爆発の影響を受けていない5キロ以遠を調査して欲しい」
CIはそのリーダーの指示にそっと頷くと、落ち着いた様子でベッドから降り立っていた。
「了解。FPモードでのデータ記録を開始します」

私はそう言ってカメラと各種センサーを起動させると、何時ものように動作確認を実行していた。
現在日時はFarth7の0909、船室の床面積は約330平方メートル、気温は摂氏20.5度、船室内の船員は身体的なバイタルこそ良好なものの、リーダーを含めた全員にやや躁鬱の初期症状が垣間見えるようだ。
尤も、その原因がこの私にあることは私自身が誰よりも良く知っている。
死という概念が無いこの身を犠牲にしてFarthの調査を行うのは私にとってはある意味で気楽なのだが、それを見守る船員達には倫理的な罪悪感というものがどうしても付いて回ってしまうのだろう。
「CI、ローバーは昨日爆発前に回収しておいた。今回の調査対象は主に森に自生している植物だが・・・」
そう言いながら、リーダーが少しばかり言葉を詰まらせる。
「調査エリアの各所に少数ながら野生動物と思しき熱源も見受けられる。主要な調査対象ではないが用心してくれ」
「了解。SDSの装備は必要ありませんか?」
「本来ならあれは本当に最後の手段だ。船への搭載量も多くはないし、植生調査の今回は必要無いだろう」
植生調査だから自爆装置のような物騒な装備は必要無いというのは確かに私にも納得の行く説明ではあったものの、実際のところは昨日のような結末はどうしても避けたいというのがリーダーの本心なのだろう。

「ただ、それでも自爆が必要になるケースに備えて電磁パルス爆弾だけは搭載しておいた」
「しかし・・・EMPを使用したら船にも影響が・・・」
「あくまでもCIの機能停止用だ。出力は最小に抑えてあるし、内部指示でのみ起爆する仕様で投擲は出来ない」
成る程・・・それなら、調査データの送信さえ完了すれば船の直近で使用しない限り問題は無いだろう。
「了解。では、調査に向かいます」
私はそう言って船員の1人とともに昨日とは打って変わって晴れ渡った船の外へ出て行くと、昨日のあのゴタゴタの中で一体何時の間に船まで呼び戻されていたのか全く無傷のローバーに目を止めていた。
昨日のローバーの停止位置はここから5キロ以上離れた地点だったから、遠隔操作で慎重に呼び戻すとしたら恐らく1時間以上もの時間を必要としたことだろう。
つまり私は、SDSを起動するよりも1時間以上早く船員達からは生還を絶望視されていたということになる。
今朝の彼らが皆一様に何処か重々しい雰囲気を纏っていたのは、きっと早々に私を見捨てたことへの良心の呵責に苛まれていたのだろう。

「CI、通信の確認だ。聞こえるか?」
「音声良好です。こちらの声と画像は届いていますか?」
「問題無い。画像、音声ともにクリアだ。今回は植生調査だから詳細な目的地は特に無いが、一応マップを送る」
その言葉とともに、船の位置を基準とした相対マップが送信されてくる。
「野生動物の熱源も感知出来る限り表示してある。危険が無さそうなら情報を収集してみてくれ」
「了解。南東方向へ向かいます」
私はそう言ってローバーに乗り込むと、SDSの爆風によって煽られた傷跡の残る森の中へ静かに潜り込んでいった。
植生の調査か・・・
これまでのように全く生態が不明な生物を相手取るのとは違って比較的調査に伴う危険は少ないかも知れないが、それでも油断は禁物だろう。

だが何時ものように森の中を調査エリアに向けて進んでいる内に、私は野生動物と思しき1つの熱源を見つけてローバーを止めていた。
低速で動いているようだが、以前の調査で見つけた巨大馬とは違うらしい。
「150メートル東に野生動物を発見。正体を確認の上調査を続けます」
「了解。くれぐれも用心しろ」
そう言ったリーダーの声に、明らかな緊張感が滲んでいる。
既に彼を含めて、船員達はこのFarthという星がどういう場所なのかをおぼろげながら理解し始めているのだろう。
これまでの私の調査で起こったことはこの星の原生生物達にとっては単なる日常でしかないのだろうが、私を含めて平和な地球からやってきた生物達にとってはここで起こる出来事の全てが余りにも過酷で辛辣なのだ。

だがそんなことを考えている内に熱源から80メートルの位置にまで近付くと、私は一旦ローバーから降りてそっと茂みの間から熱源のある方向を覗き込んでいた。
ガサ・・・ガサガサ・・・
「あれは・・・ドラゴンか・・・?」
脳裏に浮かんだその疑問が、一字一句違わずにリーダーの声となって私の耳に届いてくる。
だが茂みの隙間から見えたその生物は、確かにドラゴンと表現する以外に無い姿をしていたのだ。
全身を覆う茶色の鱗は私のそれよりも遥かに肌理細かく、背後に伸びた尻尾は体長の2倍近い長さがあるようだ。
更に背中から生えた1対の蝙蝠のような翼は薄黄色の滑らかな翼膜を張っていて、長い首の先に備わった細長いマズルを誇る凛とした顔立ちがその性別が雄なのだろうことを見る者に伝えていた。

「確かに身体的な特徴はドラゴンそのものですが・・・もう少し様子を見てみます」
冷静に考えれば、地球上でも進化の途上でドラゴンやそれに類する種族が産まれたのは生物の歴史から見てもかなり初期の方だったはず。
実際6500万年以上前の地球で地上を支配していたのが巨大な爬虫類である恐竜だったことを考えれば、この星でも高度な知能を持った類人猿が誕生するより先にドラゴンに近い種が存在していたとしても不思議は無い。
体高1.8メートル程とその体躯自体は普通の馬と同程度で極端に大きいというわけではないものの、私は存在を気取られないように注意しながら慎重にそのドラゴンの後を追い掛けていった。

バサッ!バサバサバサッ・・・!
「あっ・・・」
だがほんの十数メートル程歩いたところで木々の梢が開けている場所に差し掛かると、途端に大きな翼を広げたドラゴンがあっという間にそこから上空へと飛び立って行ってしまう。
「調査目標、ロストしました」
「仕方無い。現状で危険が無いようなら植生調査に戻ってくれ。調査エリアはそこから東南東に1キロ程の地点だ」
「了解、ローバーに戻ります」
そして気を取り直してローバーを降りた地点に戻ってみると、私は何か奇妙な違和感を感じていた。
「・・・?」
何だろう・・・何かが、さっきとは変わっているような気がする。
「CI、どうかしたか?」
「一応の確認ですが、ローバーの位置を変更しましたか?」
「いや、こちらからの遠隔操作は一切行っていないはずだが・・・?」

気のせいか・・・
過酷な調査が続いたせいで、私も少し神経が過敏になり過ぎているのかも知れない。
だがいざローバーに乗り込んでみると、私はその違和感の正体にようやく気が付いていた。
「やはり何かおかしい。何時の間にかローバーのヘッドが北北西を向いています。本当に動かしていないですか?」
「こちらでも誰も動かしていないと言っている。それに、ローバーの位置情報にも特に異常は見られない」
それはそうだろう。
何しろ、ローバーを停めた位置はそのままに方向だけが変わってしまっているのだ。
前輪操舵の4輪駆動で動くローバーでは、その構造上位置を移動せずに方向転換することは物理的に不可能なはず。
ということは、このローバーは何か強制的な力で押したか引っ張られたかして動いたということになる。
しかし、小型とは言え安定性を重視した低重心構造と無数の電子装備を有するこのローバーは軽く見積もっても重量は優に700キロを超えるはず。
たとえスケートリンクのようにツルツルとした氷の上だったとしても力尽くでこれを押して方向を変えるのは至難の業だろうに、ここは昨日の雨でしっとりと湿った黒土の地面なのだ。

「取り敢えず、調査を続けます。船からの熱源探知の感度は上げられますか?」
「それは可能だが・・・検知温度を下げ過ぎると大気温度による弊害が出るぞ」
「今日は雨上がりの為か森の中は比較的気温が低いようです。一応、25度まで検知温度を下げてください」
そんな私の提案にリーダーが頷いた様子が伝わってくると、ややあって相対マップ上に幾つかの赤点が浮かび上がっていた。
「CI、熱源探知の検知温度を摂氏32度から25度に変更した。問題無いか?」
「大丈夫です。周辺の平均気温は19度程ですし、体温の低い野生動物が幾つかマップ上に追加表示されただけです」
「了解。調査を続けてくれ」
取り敢えず、今はリーダーの言うように調査を続けるより他に無いだろう。
それにしても、私の目を盗んでローバーを動かしたのは一体誰なのだろうか?
少なくとも相対マップに表示している周辺3キロ程の範囲には、先程のドラゴンのような生物が飛び去っていく様子以外には特に動きを見せている熱源は見られなかった。
この重量を動かすとなると凄まじい怪力が必要だからもし筋肉を使ってそんな力を出したとしたら当然かなりの熱量を発することになるだろうし、周囲100メートル以内に突然そんな熱源が出現したら私が気付かないはずが無い。
冷血動物とされている蛇ですら大型の獲物を締め付けようと筋肉を収縮した際には凄まじい高熱を発するというくらいなのだから、この未知なる惑星に棲む原生生物達もそれは変わらないだろう。

そしてそんな想像を巡らせながらローバーを再発進させると、私は今回の調査エリアである南東の森を目指していた。
先へ進むにつれて昨日のSDSによる爆風の影響が徐々に見られなくなり、代わりに鬱蒼と生い茂った様々な植物達が視界を一杯に埋め尽くしていく。
「調査エリアへ到着しました。これよりサンプル解析を実施します」
「了解。一応バイオ抗体は注入済みだが、この星の植物達が警戒色を持っているとは限らないから毒性には注意しろ」
「心得ています。では、第一検体を採取します」
私はそう言ってまずは足元に生えていた5枚の花弁を持つ小さな赤い花を根元から摘み取ると、それを腕に内蔵された検査用シリンダーへ入れていた。
「CI、10秒で検査結果が出るわ。調査終了後は、可能な限りサンプルを元に戻しておいてね」
「もちろん、そのつもりだ」

ピ、ピ、ピ・・・ピー・・・
「良いわ、CI。もう戻して大丈夫よ」
「検査結果は?」
「う〜ん・・・極々普通の花ね。毒性も無いし地球上のどの花とも同定出来ないけど・・・あら?」
だがそこまで言った途端、検査を担当していた女性船員が奇妙な声を上げる。
「CI・・・もしかしたらその花、食べられるんじゃないかしら?」
「食べる?これを?生でかい?」
「衛生面を考えたら熱は通した方が良いとは思うけど、茎の部分は多分生でも美味しいわよ」
そう言われてシリンダーから取り出した花を良く見てみると、確かに太くてしっかりした茎の部分はまるでセロリのような歯応えのありそうな瑞々しい繊維質で出来ているらしい。
「それじゃあ、味見してみるよ」
私はそう言うなり花の部分を茎から取り外すと、茎を一口齧り取っていた。

シャクッ!モグ・・・モグモグ・・・
「味はどう?」
「確かに甘くて美味しいよ。花弁の部分から分泌してる蜜が、空洞になった茎の中にも行き渡ってるみたいだ」
とそこへ、何時になく声を弾ませたリーダーが割って入ってくる。
きっと久し振りに聞く明るい報告に、滅入っていた気分も少しは晴れたのだろう。
「貴重な食料の情報だな。栽培可能かどうかを検討したいから、他に同じ花のサンプルを見つけたら持ち帰ってくれ」
「了解。サンプル採取後、第二検体の調査に移ります」
そしてすぐそばに生えていたもう1輪の花を摘み取ってローバーに取り付けてあった大型の輸送用バケットへ保管すると、私は次の植生調査へ移っていた。
「次はこれか・・・」
太い木の傍に生えていたそれは奇妙なことに土に埋まった根元の部分から大きな葉を付けた3本の茎が放射状に真っ直ぐ伸びていて、その先に薄紫色の細長い花弁を21枚も付けた可愛らしい花が揺れている。
雌蕊の部分に当たるのだろう花の中央部は黄色い綿状になっていて、花弁の数を別にすればまるでコスモスのようにも見える。
「これは流石に1本だけ摘み取らないとな・・・」
やがてそんな独り言を呟きながら3本ある茎の内から1本をもぎ取ると、その花を検査用シリンダーに入れてみる。

ピ、ピ、ピ・・・ピー・・・
「これも普通の花・・・と言いたいところだけど、花弁の部分に割と強力な毒があるみたい」
「触れるとまずい?」
「花弁に手を触れるくらいなら問題無いと思うけど、口に入れたり花弁を浸した液体を飲むと危険ね」
これは毒花か・・・一目見た時は綺麗な花だと思ったのだが・・・
「あ、でも葉の方には薬効成分があるみたいよ。多分生薬の一種なんだわ。もしかしたら花弁の毒も中和出来るかも」
「・・・CI、試すのは後にしろ」
「・・・了解」
やがて私が次に取る行動を察知したのか、すかさずリーダーがそんな制止の声を掛けてくる。
バイオ抗体のお陰で地球上に存在する毒物や病原菌などのほとんどは無効化することが出来るものの、流石に未知の世界に存在する毒物は安易に口にするなということなのだろう。
「CI、詳細な成分分析はこっちでやるわ。サンプルを輸送用バケットに保管して次の検体の調査に移って頂戴」
「了解」

私はその指示に従って次の検体を探そうと鬱蒼と茂った木々に目を向けると、目の前の木の幹から生えていた大きな平板上の茸のような物に意識を引き寄せられていた。
茸は野花よりも毒を持っている可能性が高いし、カエンタケのように手で触れるだけで甚大な危険が伴う例もあるだけに、サンプルの採取には慎重を期すべきだろう。
私はそう思って腕から小型のマニピュレーターを取り出すと、素手に触れないように注意しながら木の幹から採った茸の欠片を検査用シリンダーへと入れていた。
ピ、ピ、ピ・・・ピー・・・
「これはどう?」
「毒は無いみたい・・・というか、ヒダナシタケ科の一種と組成がほとんど一緒だわ。サルノコシカケとも言うわね」
成る程・・・流石に菌類のように比較的単純な組成の素材は完全に同じとはいかないまでもやはり地球のそれと酷似する傾向にあるのかも知れない。
「主食にはならないと思うけど活用の方法はあると思うから、一応サンプルを採取して貰えるかしら?」
「了解。もう少し大きいのを探すよ」
私はそう言って周囲を見回すと、少し離れたところにある木の幹に同じような形をしたもっと大きな茸が生えているのを見つけていた。

「あったぞ」
だがそれを両手でグッと握った次の瞬間、ジュッという音と共に炎のような熱さにも似た強烈な激痛を伴う刺激が両手の指先を覆い尽くしていた。
「うわっ!」
「ど、どうしたの?CI!?」
慌てて茸から離した両手を見てみると、まるで強酸にでも触れたかのように指先が酷く糜爛しているのが目に入る。
しかも傷口から強力な神経毒が回ったらしく、私は体内のバイオ抗体が毒を中和するまでの数秒間、ほとんど声も上げることが出来ないまま焼けるような指先の痛みに耐え続けていた。
「CI、応答して!?」
「だ・・・大丈夫・・・ちょっと驚いただけだよ・・・」
やがて更に数十秒の間を置いて指先の治癒が完了すると、私は恐る恐るその茸を見つめていた。
一回りサイズが大きいことを除けば何処からどう見ても先程のと全く同じ種類の茸に見えるのだが、下から覗いてみるとこちらは笠の裏の部分がしっとりと何らかの液体に濡れている。
そして試しにマニピュレーターで一部を千切り取って検査用シリンダーに入れてみると・・・

ピ、ピ、ピ・・・ピー・・・
「え・・・CI・・・これって、さっきのと同じ茸なのよね・・・?っていうより、これ、素手で触ったの?」
「ああ・・・何だか良く分からないけど多分・・・私じゃなかったら死んでたんじゃないかと・・・」
「物凄い毒茸よ、これ・・・笠の裏の粘液は神経剤の一種みたい・・・地球上の物質でいうとVXガスに近い物ね」
それを聞いて腕の中に内蔵していたアンプル群へ反射的に目をやると、確かに神経ガス系の解毒剤として使われるアトロピンが消費されているらしい。
「しかも強い腐食性の酸を含んでるわ。非水溶性みたいだから雨が降っても周囲の汚染は少ないでしょうけど・・・」
「それより、この茸がさっきの茸とほとんど見分けが付かないことの方が問題だよ」
「確かにそうだな。もしかしたら意図的に擬態しているのかも知れん。現状では茸には手を出さない方が賢明だろう」
全く・・・植生調査でもこんな命の危険が付き纏うだなんて、この星は明らかに常軌を逸している。
まあそれはもちろん、あくまでも地球基準での話なのだが・・・
「取り敢えず、さっきの茸の欠片でもサンプルとして採取しておくよ」
そしてようやく気を取り直すと、私は先程の"安全な"茸の欠片を拾い上げてローバーへと舞い戻っていた。

「・・・あれ・・・?」
だがいざ停めてあったローバーを目にした瞬間、私はまたもやその位置が変わっていることに気が付いていた。
「リーダー、またローバーが勝手に・・・今度は後方に2メートル程引き摺られたようです」
「引き摺られただと?そのローバーは無人でも820キロ以上の重量があるんだぞ。坂道で動いたんじゃないのか?」
「サイドロックは掛かったままですし、土の地面が抉れています。何者かが無理矢理引っ張ったとしか・・・」
それを聞いてリーダーも何らかの危険な存在を感じ取ったのか、先程までのやや温和な雰囲気が一変する。
「CI、一応すぐに何か武器を使えるようにしておけ。こちらからではターゲットの想像が付かないから選定は任せる」
「了解。多弾倉ショットガンと近接用セーバーソーのセーフティをアンロックします」
一体、この森に何が潜んでいるというのだろうか・・・?
800キロ超のローバーを力尽くで引っ張る程の怪力の持ち主がいるはずだというのに、その周囲には足跡どころか何かがいたことを示すほんの僅かな形跡さえ残っていないのだ。
しかも先程の毒茸の騒動でローバーから目を離したとは言え、その時間は精々長く見積もっても2分足らず。
距離にしても30メートルと離れていない至近距離だというのに、常に熱源探知で周囲の状況を窺っている私が微かな気配さえ感じ取れないというのは明らかに異常だ。
それに・・・さっきローバーの向きが変わっていた場所からここまでは1キロ程離れている。
つまりそこら中にいるというのでもなければ、これを動かした"奴"は私の後を追ってきているということだろう。

「よし、調査を続けてくれ。効果があるかは分からんが、念の為こちらでも周囲を動体センサーでモニターしておく」
「了解です。お願いします」
確かにローバーを動かしたということは熱源探知には掛からなくても動体センサーになら反応するのかも知れないが、微かな微風が吹いただけで何万枚もの木の葉が揺れ動く森の中では動体センサーの信頼性など高が知れている。
それでも相手の正体が皆目判らない今の状況では、無いよりはマシというところだろう。
だが気を取り直して次の植物を探そうと周囲に視線を走らせた直後、私は何かの影が視界の端を素早く横切ったことに気付いていた。
「CI、何か動いたぞ!5時の方向だ!」
「私にも何かがチラッと見えましたが・・・まだ動いていますか?」
「いや、検知したのは一瞬だけだ。だがかなりの速度だったぞ」
やはり、この森には何かがいる。
人間の目とは違いミリ秒単位で映像を認識出来る私が見失う程の速度で動きながら、地面や周囲の植物にも全くその痕跡を残さないなどということが本当に可能なのだろうか?
しかしそれ以上に、私は先程の影の正体よりも寧ろその目的の方に興味を抱いていた。

もしさっきの影が密かにローバーを動かしたのだと仮定すると、何故私に直接的な攻撃を仕掛けてこないのだろうか?
ローバーを奪うのが目的ならば先に私を排除すれば済むことだというのに、こいつは明らかに私の目を避けている。
様々な探知技術を掻い潜った上に人目を盗んであんな重量物を動かせるだけの凄まじいパワーとスピードがあるのなら、私を襲うことなど造作も無いはず・・・
単に初めて見るのだろう私の存在を警戒しているだけなのかも知れないが、ローバーには大胆に手を出すことを考えてもそれ程臆病な性格をしているとは思えないのだ。
「CI、また動きがあった。今度は8時の方角だが、さっきより距離が離れているようだ」
距離が遠い・・・やはり、私を襲うつもりは無いのだろうか?
「リーダー・・・少し場所を移動したいのですが、構いませんか?」
「分かった、許可する。そこよりももう少し東側へ移動して調査してくれ」
「了解です」

私はそう返事を返すと、すぐさまローバーに乗り込んでいた。
これまで4度に亘るこの星での調査とその結果を受けて、私は相応の危険を覚悟でこの任務に当たっている。
そこには当然死・・・つまり機能停止を含むリスクの存在をも内包しているのだが、直接的な死そのものに対しての生体としての忌避感は薄くとも、不安や恐怖という感情は生存確率を上げる為の機構として当然備えているのだ。
そういう意味では、差し迫った脅威は無くとも正体不明の存在に執拗に付け狙われるというのはある意味で最も私の危機感を煽る状況だと言えるだろう。
そしてまるで逃げるようにローバーでその場を離脱すると、私はそこから少し東側に行ったところで見つけた木々の疎らなエリアに降り立っていた。
「移動完了しました。調査に戻ります」
「分かった。現状その周囲に動くものは無いが、何かあったらすぐに知らせる」
周囲に動くものは何も無い、か・・・木の葉の揺らぎを検知していないということは、先程の一件で相手が相当に素早く動くことを知って恐らく動体センサーの検知速度の閾値を上げたのだろう。

まあ良い・・・取り敢えず植生調査の再開だ。
私はそう思って息を落ち着けると、先程ここへ来た時からずっと気になっていた足元に咲いている8枚の大きな花弁をつけた花へと目を向けていた。
紫、青、水色、緑、黄緑、黄、橙、赤・・・
8色の虹色に塗り分けられた少し厚みのある花弁を持つカラフルな花が、其処彼処に点在している。
「綺麗・・・」
カメラを通して周囲の状況を見ていた女性船員も、思わずそんな感嘆の声を漏らしてしまった程だ。
「CI、さっきの毒茸の件もある。今後検体の採取には素手では触らず、極力マニピュレーターを使え」
「もちろん、そのつもりです」
そしてそんなリーダーの進言通りマニピュレーターでその花を摘み取ると、私は先程の毒茸の成分を洗浄したシリンダーにそれを入れていた。

ピ、ピ、ピ・・・ピー・・・
「CI、結果よ・・・何これ・・・どうなってるの・・・?」
「どうかした?」
「8枚の花弁の組成が、それぞれ違うのよ。色が違う時点で想像はしてたけど・・・それにこれ、全部麻薬だわ」
麻薬・・・?
「微妙な組成比率は違うけど、コカインやモルヒネ、それにエンドルフィンに近い成分がどっさり含まれてるみたい」
「茎や葉にもテトラカインが多分に含まれているようだ。だが、考えようによっては医療現場で重宝するかも知れん」
成る程・・・一体どういう進化の過程を経てそうなったのかは分からないが、わざわざ複数の麻薬成分を持っているということは生態系の中で特別な役割のある花なのかも知れない。
「では、サンプルを採取します」
「葉の縁や茎に鋭い棘があるから気を付けて。多分刺さったら体が麻痺するわよ」
「ああ・・・分かってる。まるで天然の痺れ罠だね」
やがてそう言いながらマニピュレーターで掴んだ花をローバーに収容すると、私は次の調査対象を探すべく地面に目を落としていた。

「CI!」
だが次の瞬間、突然リーダーの逼迫した声が耳に突き刺さる。
そして一体何事かと思って顔を上げようとしたその時、私は背中に強烈な衝撃を受けて吹き飛んでいた。
ズドォッ!
「グゲッ!」
更には前のめりに倒れ込んだ先の地面にあの麻薬花が密集していることに気付いて一瞬しまったと思ったものの、私は結局そのまま成す術も無く毒棘に覆い尽くされた危険な花畑に突っ込んでしまっていた。
ドザザザッ・・・
「う・・・ぐ・・・い・・・痛・・・く・・・ない・・・?」
地面に激突した瞬間は確かに全身に鈍い痛みを感じたはずだというのに、強力な麻酔薬であるテトラカインを多量に含んだ棘を全身に刺したせいで体の大部分が局所的に麻痺しているらしい。

一体・・・何が・・・
体が痺れてしまったせいで自分を突き飛ばした者の正体を確かめることも出来ず、私は先程から全く動いてくれなそうな自身の体を呪いながら背後の気配にじっと聞き耳を立てていた。
「CI、大丈夫か?」
「さっきの花のお陰で体のあちこちが麻痺しているようです。時間を置けば治ると思いますが・・・」
「動体センサーに一瞬だけ何かの反応があったんだが・・・今はもう消えている」
では・・・さっき私を襲った奴は背後から一撃だけ加えて消えたということか?私が麻痺して動けないというのに?
「リーダー、ローバーは・・・私からは見えないですがローバーは無事ですか?」
「ああ、無事だ。今のところ特に動きは無い」
「では、今の内に一旦ローバーと植物サンプルを回収してください。私はしばらく動けそうにないので・・・」
その私の提案に、リーダーが頷いたのだろう気配が伝わってくる。
「分かった。ローバーは一旦遠隔操作で呼び戻す。動けるようになったら連絡をくれ」
「了解・・・」
私は呻くようにそう言うと、船の方に戻っていくローバーの駆動音を聞きながら再び周囲に注意を振り向けていた。

それにしても神出鬼没な奴だ・・・
突然動体センサーに掛かったかと思えばすぐに姿を消すという奇妙な存在でありながら、先程私の背中に叩き付けられた衝撃は凄まじいものがあった。
しかもあれだけの力を発揮しながら、熱源感知には一切掛からないというのも不可解だ。
だがそんな私の疑問は、やがて足先に感じた奇妙な感触で一気に解決したのだった。

シュルッ
「うっ・・・?」
次の瞬間、地面へと投げ出されていた私の足首へ突然何かが巻き付いてくる。
しかしそれが一体何なのかを確かめようと余り自由の利かない首を背後に振り向けようとした刹那、私は何とも形容し難い凄まじい力で空中に吊り上げられてしまっていた。
「うわあああっ!」
「どうしたCI!大丈夫か!?」
恐らく私のカメラを通して状況をモニターしていた船員達には、いきなり私の悲鳴とともに映像が振り回されたように見えたのだろう。
スピーカーからは途端に慌てたリーダーの声が聞こえてきたものの、私は一瞬にして動かぬ体を地上4メートル程の高さにまで逆様に持ち上げられていた。
そして激しく暴れ回る視界の端に、恐らくは今私の足首を掴んでいる何者かの正体が一瞬だけ映り込む。
あれは・・・木の根・・・?
驚くべきことに、私の腕よりも遥かに太い、濃い茶色に染まった長大な木の根らしきものが黒土の地面から生え伸びて私の片足を捕らえていたのだ。

だがもしあれが本当に木の根なのだとしたら、それがまるで触手のように自由自在に動くことなどあるのだろうか?
やがてそんな当然の疑問が脳裏に浮かんだ次の瞬間、ブオンという風を切るような音とともに振り回された体に働く強烈な遠心力が私の意識を引き千切ろうと脳に血流を集中させる。
ズガッ!
「ギャバッ!」
せめて柔らかい土の地面に落ちたのであれば多少はマシだったというのに、私は鋼のように丈夫な極太の幹を持つ別の樹木に思い切り背中を叩き付けられていた。
ドシャッ・・・
「う・・・ぐ・・・ぐふっ・・・」
私でなければ間違い無く致命傷だっただろうと確信出来る程の衝撃に、呼吸困難に陥った肺と鈍い激痛を訴える背中が声無き悲鳴を上げる。

とにかく・・・あれの正体が何なのかを探るのは後回しだ。
今はまず何よりも・・・ここから逃げなければ・・・
「ガフッ・・・」
内臓を痛めたのか咳とともに口の端から軽く血を吐き出しながら、私はまだ所々麻痺した体を持ち上げようと手足にゆっくりと力を入れていた。
怪我はすぐに治癒するだろうが、今の私は薬物による局部麻痺をすぐに覚ます手段を持ち合わせていなかったのだ。
しかしそんな私の動きを察知したのか、私を投げ飛ばした拍子に一旦は足から離れていた先程の根が素早く迫ってくると再び私の足へと巻き付いていった。

ギュッ!
「ぐ・・・く・・・ぅ・・・」
凄い力だ・・・
硬い鱗の上から締め上げられているだけだというのに、まるで足首を引き千切られそうな程の圧迫感を感じる。
だがまた振り回されて何処かに打ち付けられるのだろうかと身構えていた私は、突然音も無く周囲の地面から更に数本の木の根が顔を出してきたことに気付いて思わず顔を蒼褪めさせたのだった。
「なっ・・・あ・・・」
そして驚きの余り漏らしてしまったその微かな声が合図になったかのように、複数の木の根が私の両手足と首と尻尾へ巻き付いてくる。
シュルシュルッ・・・シュルルルッ・・・ギュゥッ・・・
「ぐ・・・え・・・」
て・・・手足や尻尾はともかく・・・く・・・首は・・・くる・・・し・・・
ギリギリと恐ろしい音を立てて首を締め上げてくる木の根を振り解こうにも、完全に自由を奪われてしまった両手足が左右に引っ張られて太い木の幹に磔にされてしまう。
メキ・・・ミシッ・・・ギリリ・・・
「け・・・かはっ・・・」
「CI!大丈夫か!?」
その瞬間リーダーの切羽詰った声が聞こえたものの、こんな状況で応答など出来るはずも無い。
だが幸いその声で僅かながらの判断力を取り戻すと、私は腕に装着していた多弾装ショットガンを起動させていた。

ガシャッ・・・ウィィィン・・・
やがて腕の外に飛び出した短い銃身を反転させてこちらに向けると、弾丸をスラグ弾に換えて慎重に狙いを定める。
数十センチという至近距離だし照準はカメラとリンクしているから万が一にも標的を外すことは無いだろうが、自分の顔に向けてショットガンの引き金を引くという事態に私はどうしても緊張の色を隠すことが出来なかった。
「くっ・・・」
ガァン!!
次の瞬間、撃ち出された大口径の弾丸が私の首を締め上げていた木の根だけを掠めるように吹き飛ばす。
「はっ・・・はぁ・・・ゲホ・・・ゲホゴホッ・・・」
そして何とか荒療治ながらも首尾良く首の拘束を外すことに成功すると、私は長らく酸素不足に陥っていた脳を活性化しようと荒い息を吐いていた。
水中活動用の呼吸補助装備を搭載していればこんな危険な賭けに出なくても恐らく事態は打開出来ただろうが、取り敢えず助かったのだから今はよしとしよう。
ガァン!!
やがて右腕を絡め取っていた木の根も同じようにしてショットガンで吹き飛ばすと、私は自由になった右腕からもう予めセーフティをアンロックしていたセーバーソーを起動していた。
ビィィィィィィィン・・・
右腕から飛び出した高速で前後に振動する小型の鋸が、まるで熱したナイフでバターを切るように左腕に巻き付いた木の根を切り裂いていく。
よし・・・体の麻痺も多少は抜けてきたし、これなら安全に拘束を外すことが出来るだろう。
そして何とか無事に木の根の拘束から抜け出すと、私は他に周囲に動くものが無いことを念入りに確認してから少しその場で息を落ち着けていた。

まるで触手か何かのように自在に動くばかりか、手足をもぎ取られそうになった程のあの恐ろしい力・・・
恐らく私の目を盗んで音も気配も無くローバーを動かしたのも、あの木の根の仕業なのだろう。
しかしもしあれが本当に見た目通り木の根なのだとしたら、最初にローバーを動かした場所からここまで1キロ程の距離があることはどう説明すれば良いのだろうか?
あの木の根が地中を自在に動く一個の生物か何かなのではないのだとしたら、最初に予想したようにそこら中の地面の中にあれが潜んでいるということになる。
そしてそこまで考えた時、私はふと周囲の木々を見回していた。
「まさか・・・」
やがて視界に広がっていたその光景が本物かどうか確かめようと、船を出てからここまで記録してきたカメラ画像をもう一度再生してみる。
「CI、どうかしたか?」
「いえ、少し確認したいことが・・・」
だがそんなリーダーの質問に答えながらも、映像を進めるにつれて私は予感が的中していたことに戦慄を覚えていた。

やはりそうだ・・・
この森は草花などの植生は多種多様に広がっているが、差し当たって目に付く大きな樹木は全て同じ種類に見える。
幹の質感、平均的な樹高、枝葉の張り方・・・この未知の樹木を初めて目にした私にもそれが同一の種類であると確信出来る程に、ありとあらゆる特徴が一致していたのだ。
だが1つ疑問があるとすれば、あの木の根による攻撃が何故今になって活性化したのかということだ。
さっきまでは私の目を盗んでローバーに手を出していただけだというのに、突然背後から襲ってきては的確に手足を拘束して締め殺そうとするなんて明らかな殺意の存在が感じ取れる。
何かの切っ掛けで私がその攻撃本能を刺激してしまったということも考えられなくはないのだが、少なくともここ4回の調査では森の中の移動で攻撃を受けた覚えは無いから全ての樹木が攻撃的というわけでもないのだろう。
となると残る可能性は、これらの樹木は同じ種類でありながらその性質にそれぞれ違いがあるということになる。
これが動物であれば親や環境によってその個々体の性格が多岐に分かれていくことは珍しくないのだが、基本的に植物の繁殖においては突然変異を除けば大幅な性質の変化は見られにくいのが普通だ。
もちろん、例外が考えられないわけではないのだが・・・

「CI、近くに野生動物の存在を感知した。体が十分動くようになったら、とにかくそこを一旦離れろ」
「了解。移動します」
「ローバーはまだ呼び戻している最中だからそちらには送れない。徒歩での移動になる。十分に気を付けてくれ」
もちろん、それは分かっている。
しかし何時何処から襲ってくるかも分からないあの神出鬼没な木の根の存在は、正直かなりの脅威と言えるだろう。
道理で熱源探知はもちろん、動体検知にも直前まで掛からないわけだ。
それでいてローバーを引き摺り手足をもぎ取らんばかりのあの怪力では、もしまた今度捕まったら次も確実に逃げられるという保証は無い。
だが危険であることは理解していながらも、この樹木については詳細に調査しておく必要がありそうだ。

私はまだ少し重く感じる体を引き摺るようにしてその場から少し離れると、相対マップ上に表示されている野生動物達の熱源にゆっくりと近付いていった。
ローバーがここにない以上植物サンプルを収容することは出来ないから、今は動物の調査に集中した方が良いだろう。
それに・・・何処にいるのか分かっている動物が相手なら多少は対処のしようもあるというものだ。
そしてそんなことを考えながら200メートル程先にいるらしい幾つかの熱源に向かって歩いていくと、私は茂みの向こうにようやくその野生動物の姿を捉えていた。
「ん・・・あれは・・・さっきも見つけたドラゴン達・・・か・・・?」
全身を覆う茶色の鱗と薄黄色の翼膜という特徴は先程見つけたドラゴンと同じ種とみて間違い無さそうなのだが、何と言うか・・・距離が離れていることもあって正確にどこがどうとは言えないのだが様子がおかしいように見える。
一言で言うなら・・・生物としての生気が極めて希薄に感じられるのだ。
「リーダー、近くにいる野生動物達はさっき見つけたドラゴンと同種のようですが、何か様子が変です」
「ああ、カメラで確認している。3体程で纏まって行動しているようだが、何だか魂の抜け殻のように見えるな」
魂の抜け殻か・・・確かに、間違い無く自分の手足で歩き回っているというのにそこに何の意思の発露も感じられない様子は魂の抜け殻という表現が最もしっくり来るような気がした。

「もう少し接近してみます」
「分かった。気を付けろよCI」
もちろん、言われるまでも無くそのつもりだ。
このFarthで起こる出来事は、何もかも地球の感覚で行けば超常現象とも取れるような信じられないことばかり。
しかもそれが悉く命の危険に直結するようなものなのだから、もし私ではなく生身の人間がこの星を調査しようとしたら恐らく誇張を抜きにしてあっという間に全滅していたことだろう。
そしてそんなことを考えながら特に何をするでもなくフラフラと歩き回っているらしいドラゴン達へ更に近付くと、私は彼らから隠れるようにそっと大木の陰に身を寄せていた。
だが・・・今にして思えば、それが不味かったのかも知れない。

シュルッ、シュルルッ
次の瞬間、私はまたしても屈強な触手の如き木の根が手足に巻き付いてきた感触を味わっていた。
「うわっ!」
今回はさっきと違ってゆっくりと音も無く忍び寄られたらしく、船からモニターしている動体検知にもほとんど有意な反応を見せなかったらしい。
「どうしたCI!?何があった!?」
「木・・・木の根が・・・うっ・・・」
だが問題は木の根に捕らえられたこと自体よりも、先程拘束を抜け出すのに役立った両腕の多弾装ショットガンとセーバーソーの格納部にまで根を巻き付けられてしまったことだった。
ギュッ・・・ギリ・・・メリメリメキ・・・
「ぐ・・・あっ・・・はぁっ・・・」
相変わらず、植物とは思えない凄まじい力だ。
筋繊維の収縮とは違って膨圧運動による力の大きさは、その断面積ではなく細胞量に比例するのだろうか?
手足を覆った丈夫なはずの金属の装甲ごと握り潰されそうな程の圧迫感を感じながら、私はそんな現実逃避とも取れる考察に思考を割いていた。

ギッ・・・ギリ・・・ミシ・・・
「くっ・・・う・・・ふぅっ・・・」
だがやがて万力のように無慈悲に締め上げられる感覚が少し和らいだかと思った時には、私は先程身を寄せていた太い木の幹に両手足を広げた状態で磔にされてしまっていた。
手首や足首までもをきつく締め上げられながら四方へ引っ張られたこの状態では、以下に多様な装備を搭載している私にも打開策が全く思い浮かばない。
とは言え、この木の根は私を木に括り付けて一体どうしようというのだろうか?
それに、私の手足に巻き付いたこの4本の木の根は、その動きから察するに恐らく同じ個体から伸びている物だ。
さっき私を襲った木の根もそうだったが、周囲には無数に同じ樹木が立ち並んでいるというのにどうしてその中でも特定の樹木だけが私を襲うのだろうか?
もし本当にそれぞれの木々によって性格のようなものが違うのだとしたら、その理由として考えられるのは繁殖の方法の違いに因るものと考えるのが普通だろう。
樹木の繁殖方法は花や実を介して種子を飛ばすというのが一般的なはずだが、ここから高い梢を見上げる限りでは何処にも花や実のようなものを付けている様子は無い。
もちろん目に見えぬ程の小さな種子を作っている可能性はあるのだが、もしこの樹木の繁殖方法がそんな"一般的な"ものではないのだとしたら、私は今とんでもない危機に晒されているのかも知れなかった。

ギシッ・・・ミシミシ・・・
「うぐっ・・・い、一体どうしたら・・・」
1トン近いローバーを無理矢理引き摺る程の力で四肢を引っ張られるなど想像しただけでも恐ろしいというのに、この木の根の目的が私の手足を引き千切ることではなく拘束することだったというのが更なる不安を煽っていく。
そして数分にも及ぶ不気味な静寂を挟むと、やがて音も無くもう1本の木の根が地中から顔を出していた。
「うっ・・・」
私の手足に巻き付いている物よりもさらに一回り程太い、先の尖った茶色の槍・・・
それがウネウネと妖しく身をくねらせながら、幹に磔にされた私の体をゆっくりと弄っていく。

シュルッ・・・シュルシュル・・・
「ひっ・・・!」
これは最早木の根というよりも、邪な意思を持った触手そのものだ。
やがて緊張に震える足を這い登り、腹を擽りながら胸元に達したその根が、私の眼前でピタリと静止する。
くぱぁ・・・
だが槍のように鋭く尖っていた穂先が私の顔へ向けられた次の瞬間、粘着質な音とともにその先端がゆっくりと口を開けていた。
「CI・・・」
その光景をカメラを通してじっと見守っていたリーダーが、まるで呻くような声を漏らす。
こ・・・こいつは・・・触手などという生易しいものじゃない・・・
植物に対してこんな言葉を使うのは適当ではないかも知れないが、これは・・・産卵管だ・・・!

ウネウネ、クネクネとその長い根を躍らせながら、自身の種子を内包した木の根が"宿主"となる獲物の体をまるで吟味するようにゆっくりと這い回っていく。
視覚で私の姿を認知しているわけではないだけに、その不気味な触診は全身の細部にまで及んだ。
シュルル・・・ススッ・・・ツツツーッ・・・
「あっ・・・く・・・ぐぅ・・・」
何処に種子を産み付けられるのかという心中の不安とはまた別に、得体の知れない触手に全身を弄ばれているという状況が私の胸をきつく締め付けていく。
大きく広げられた脇の下を、無防備に曝け出された首筋を、そして生殖器の収められたスリットが走る股間を、じっくり、ゆっくりと焦らすように妖しい触手が撫で回していくのだ。
「や、止め・・・ろぉっ・・・」
だが如何に身を捩ろうとしても、手足に巻き付いた木の根にあっさりとその抵抗を捩じ伏せられてしまう。
そして正に体の隅々まで隈なく撫で回されると、私は更に4本の木の根が静かに地面から生え伸びてきた光景に自身の末路を悟ってしまっていた。

「一体、何をするつもりだ?」
恐怖の余り声を失っている私の代わりに、その様子を窺っていたリーダーがそんな疑問を口にする。
だが私の体を調べ尽くしたこの木が合計5本もの木の根を伸ばしてきたことで、少なくとも私には何をされるのかなどもう分かり切っていた。
そしてその想像通り、まずは2本の木の根が私のマズルへと伸びてくる。
シュルン!ギュルルッ!
「がっ・・・あ・・・がぁっ・・・」
更にはきつく閉じていたはずの口の中へ無理矢理侵入すると、上顎と下顎にそれぞれ巻き付いた屈強な根が私の口を強引に上下へとこじ開けていった。
「や・・・やへ・・・あがっ・・・」
ガゴッ!
「ごっ・・・ぁ・・・」
その恐ろしい力で顎が外れ、激痛を伴った衝撃とともに更に大きく口を開かされてしまう。
元々蛇のそれに似た私の口は大きな物も呑み込めるように自分の意思で顎を外すことが出来るものの、それを外力でもって力尽くで外されては流石に痛みよりも恐怖の方が先に私の脳裏を埋め尽くしていった。

「はが・・・あ・・・かっ・・・ぁ・・・」
やがて口が裂けるのではないかと思える程限界にまで顎を上下に開かれると、いよいよ私に種子を植え付けようと残った3本の触手がゆっくりと足先から這い上がってくる。
「あ・・・あぁ・・・」
た、助けて・・・誰・・・か・・・
得体の知れない植物に種子を植え付けられるという、生物の本能を著しく掻き乱す未曾有の恐怖。
暗い洞窟内で群体蛭に襲われた時も、深い湖底でイソギンチャクに卵を産み付けられた時も、正直に言ってこれ程までに純度の高い恐怖を覚えることは無かっただろう。
それは相手が種族はどうであれ何がしかの動物であったからであり、そこには明確な意思と目的が感じられたからだ。
だがこいつは・・・この木の根は、私に種子を産み付けるのだろうという目的以外に何も生物としての意思のようなものを感じられない。
極めて淡々と、ある意味で純真無垢に私を繁殖の為の宿主として利用することしか考えていないのだ。
しかしそれだけに、私の生物としての尊厳はこれ以上ない程に手酷く蹂躙されていた。

ズブッ!ドズッ!
「がっ・・・は・・・」
やがて両腿をジワジワと這い上がってきた2本の触手が、一瞬の迷いも見せずに私の股間に走ったスリットと尻穴に勢い良く突き入れられていた。
2本の鋭い槍で体内を貫かれたようなその感触に、思わずビグッと全身を硬直させてしまう。
更には残ったもう1本の触手が鼻先にまで這い登ってくると、大きく開けられたままだった私の口内へ先の2本と同じようにその先端を突っ込んだのだった。
ズボボッ!
「おごっ・・・ぉ・・・」
体中の穴という穴を不気味な触手に犯されているという状況に、恐怖と悔しさの滲んだ涙が込み上げてくる。
グボッ、ゴリュッ、グリュリュリュッ!
「んぐっ!がっ・・・ばはっ・・・!」
だがそんな私の心境などお構い無しに、私を貫いた3本の触手が激しく体内で踊り狂っていた。
腸内を、生殖器を、そして喉の奥を滅茶苦茶に掻き回されて、苦痛と快感と強烈な吐き気が綯い交ぜとなって私の精神を容赦無く削り取っていく。
だがそんな無慈悲な蹂躙がものの2分程も続くと、不意にそれまで激しく身をのたくっていた3本の触手がどういうわけかピタリとその動きを止めていた。

「う・・・うぐ・・・」
今度は・・・一体何を・・・
幸いにもまだ何か種子のようなものを植え付けられたような感触は無いのだが、散々に体内を抉り掻き回された疲労と苦痛に最早呻き声を上げるのも一苦労という有様だ。
その上まだ何かを企んでいるらしい意図の見えぬ木の根の動向に、ただただ不安に満ちた静寂だけが流れていく。
ブイイイイィィィン・・・
「ふごぉっ!?」
しかし次の瞬間、突然私の体内に侵入した3本の木の根がその身を激しく小刻みに震わせ始めていた。
股間のスリットに突き入れられた強烈なバイブレーターに背筋が反り上がる程の快感が弾け、太い根で半ば拡張された尻穴へ叩き込まれる振動がそれを更に助長していく。
そして下半身の2本よりも遥かに深刻な事態を引き起こしたのが、大きく開けられた口から胃にまで突き入れられた根の振動だった。

「お・・・おぐっ・・・うごぼぉっ・・・!」
喉に、食道に、そして胃の奥底に無慈悲なまでの振動を見舞われ、いよいよ耐え難い強烈な吐き気が込み上げてくる。
しかし完全に喉から胃までの経路を太い根で塞がれてしまい、私は血を吐くような苦悶の声を漏らしながら激しく身悶えることしか出来なかった。
ブシュッ・・・ビュググ・・・
「か・・・がふっ・・・」
やがて激しく震え続ける木の根でスリットの中を揉みくちゃにされる快感に耐えられず、ペニスを露出させる間もなく強制的に精を搾り出されてしまう。
ボトボト・・・ボト・・・
更にはスリットの中から溢れ出した白濁を潤滑油になおも苛烈な振動責めを味わわされ、私は木の根ごとペニスを勢い良くスリットから飛び出させるとそのまま盛大に2度目の精を放っていた。

ブシャアッ!ビュビュッ・・・ビュルルルル・・・!
「おぐごおおぉぉっ・・・!」
ズブッ!
「ぐがばっ!?」
だがそれだけで意識が飛びそうな程の派手な射精にくぐもった悲鳴を上げたのも束の間、今度はスリットから弾き出された木の根が既に限界まで押し広げられていた私の尻穴に強引に捻じ込まれてくる。
そしてまるで私に種子を植え付けるのは自分だとばかりに3本の根それぞれが競うように体内へ押し入ってくると、私は完全に弛緩し切った体の中にチクリとした小さな痛みを感じたのだった。

ズッ・・・ズブズブズブッ・・・!
「が・・・はっ・・・はぁっ・・・」
その数秒後、体内深くに突き入れられていた3本の木の根が一気に口と尻穴から引き抜かれた。
更には呼吸を整える間も無く両手足や両顎を絡め取っていた木の根も静かに解けると、そのまま何事も無かったかのように全ての根が土の中へと戻って行ってしまう。
「う・・・うぅ・・・」
一応拘束は解かれたものの、私は全身を蝕む壮絶な疲労にしばらく地面に倒れ込んだ体を起こすことが出来なかった。
「CI・・・大丈夫か・・・?」
「は、はい・・・今のところは・・・」
だがさっき体内に感じた幾つもの小さな鋭い痛み・・・
恐らく、あれは体の中にこの木の種子を植え付けられた感触だろう。
これまでの数日間、ここFarthでしてきた苛酷な環境調査の経験から考えても、このまま何の対策も講じなければ恐らく自分の体が無事には済まないであろうことは容易に想像が付く。

「立てそうか?」
「何とか・・・ただ、恐らく体内へ種子を植え付けられました。安全の為可能な限り船から離れ、経過を観察します」
「分かった。だが、相手が動物ではなく植物なだけに何が起こるか分からん。念の為・・・」
そこで、リーダーが何を思ったのか一旦言葉を切っていた。
だが状況が状況なだけに、それだけで彼が一体何を言おうとしたのかを悟ってしまう。
「分かっています。念の為、自爆用EMPのセーフティをアンロックします」
「・・・ああ・・・」
数秒の間を置いて耳に聞こえてきたその呻くようなリーダーの声に、私は微かな感謝の響きを感じ取っていた。

「一応、船からも私のバイタルのモニターを頼めますか?」
「分かった。検査項目を増やして対応する」
「ではEMPの船への影響を軽減する為、南東方向へ移動します」
だがそう言って歩き始めたほんの十数秒後、不意にリーダーの声が聞こえてくる。
「CI?どうした?南東へ移動するんじゃなかったのか?そっちは南西方向だぞ」
「え?」
まさか・・・?
だが確かに落ち着いてコンパスと相対マップを確認してみると、確かにさっきの地点からやや南南西方向に向かおうとしていたらしい。
「おかしいな・・・」
「CI、心拍数が少し・・・いえ、下がり過ぎてるわ。40・・・37・・・35まで下がってるわよ」
心拍数が毎分35回・・・?
それじゃあまるで象並みじゃないか。
でも確かに、全身の生体活動そのものが緩やかになっていくような気がする。
意識ははっきりしているのに、体がそれについてこないような感覚なのだ。

「とにかく、方向を修正します。あ、あれ・・・?」
やがて相対マップを確認しながら南東方向へ顔を向けた直後、今後は視界から全ての色彩が失われていた。
光の明暗だけが白と黒の濃淡となり、まるで水墨画のような一面灰色の世界が辺り一帯を覆い尽くしていく。
「うっ・・・うあっ・・・!」
「どうしたCI?何があった?」
「い、色が・・・色が感じられない・・・何もかも、全部白黒に見えるんだ!」
ドサッ・・・
「う・・・うぐ・・・」
次々と襲い掛かる異常な状況に半ば恐慌状態でそう叫んだ瞬間、今度は足の力が抜けて地面の上に倒れ込んでしまう。
「CI、心拍数が・・・20まで落ちてるわ。どうなってるの!?」
「分からない・・・意識は鮮明なのに・・・どんどん体がおかしくなっていくようだ・・・」
これも、さっきの木の根に種子を植え付けられた影響なのだろうか?
確かに冷静に考えれば思い付く原因はそれしか無いとは言え、そもそも体に種子を植えられただけで即座に体にこんな異常を来すなど普通に考えて有り得ないだろう。

「だ・・・駄目だ・・・両腕にも・・・力が入らにゃい・・・そ、そりぇに・・・」
まずい・・・もう呂律も回らなくなってきたようだ・・・な、何とか・・・何とかしないと・・・
「心拍数12・・・CI、このままじゃ心臓が止まるわ。早く昇圧剤を投与して!」
「む・・・むり・・・だゃ・・・かりゃだが・・・もう・・・」
「大丈夫だ。内蔵されている薬液の投与はこちらから遠隔で操作出来る。エピネフリンを投与するぞ」
ズッ・・・
その瞬間、私は薬液投与による強烈な血管痛とともに全身の麻痺が一瞬にして吹き飛んだような感触を味わっていた。
「うぅっ・・・」
視界にも鮮やかな色が戻り、動くようになった手足を使ってすぐにその場で立ち上がる。

「CI、心拍が58まで回復したけど・・・また徐々に下がり始めてるわ」
「ああ、分かってる。多分私は、種子を植え付けられただけじゃなく・・・寄生されたんだ」
「寄生だと?」
流石のリーダーもその言葉は予期していなかったのか、若干の驚きを含んだ声が私の耳に突き刺さる。
「さっき、木の根に捕まる前にドラゴンを見掛けたのを覚えていますか?」
「ああ、あの魂の抜け殻のようだと言った連中だな?」
「ええ・・・恐らくですが、彼らもこの木の根に寄生されたんだと思います」
そう考えれば、彼らがまるで生物としての意思を感じない生ける屍のように見えた理由にも納得がいく。
「仮にそうだとしても・・・どうするつもりだ?」
「相対マップでは例のドラゴン達がまだ120メートル程先にいます。彼らを観察してどうなるのかを突き止めないと」
「分かった。またCIが行動不能になった場合はこちらで薬液を投与する。ただ、ストックはもう2本しかないぞ」
私はそんなリーダーの声に返事をするでもなく、ただ小さく頷いていた。
あの木の根に寄生された連中がどうなるのか・・・それは植生調査の一環としても調べておかなくてはならない事案であるのと同時に、私自身がもうすぐ辿る末路そのものなのだ。
これから自分がどうやって死を迎えるのかを確かめに行くという行動は、一般的な死の概念からは隔絶された私にも流石に気が重い。

「CI、心拍数が50を切ったわ」
「ああ、分かってる」
大丈夫・・・さっきの状況から考えれば、自力で動けない程の危険な状況に陥るまでにはまだ5分近い時間がある。
エピネフリンのストックがあと2本あるということは、少なくとも15分程度は調査に時間を使えるはずだ。
その結果がどうであれ、EMPを使用するのはそれからでも遅くない。
私はそんな算段を胸の内に固めると、遥か向こうの茂みの奥にチラチラと見え隠れしているドラゴン達に向かって素早く近付いていった。
「CI、走ったことで心拍数の下降が緩やかになったわ。もしかしたら、激しく運動した方が状況が長持ちするのかも」
それは朗報だ。
あの木の根が私の体に一体どんな方法でどんな影響を及ぼしているのかは分からないが、場合によっては長時間の運動を補佐する筋弛緩剤のような活用方法が見出せるのかも知れない。
そして何とか首尾良く40以上の心拍数を保ったままドラゴン達の目の前までやってくると、私は相変わらず周囲に対して何の反応も見せずにフラフラとそこらを歩き回っているだけらしい彼らをじっと観察してみた。

「う・・・」
だが立ち止まってほんの数十秒としない内に、再び視覚情報から色彩が奪われてしまう。
恐らく今の心拍数は30前後・・・もうすぐ、両手足の力が抜ける頃だ。
ドサッ・・・
「くっ・・・エ、エピネフリンを・・・」
「分かった、すぐに投与する」
ズッ・・・
「うあっ!」
前回よりも少し早いタイミングで薬液を投与したせいか、投与に伴う血管痛がさっきよりも強烈に感じられる。
だがお陰で体が回復すると、私は少しでも心拍数を高めようと近くにあった木の幹を両腕で力一杯抱き締めていた。
グ・・・ググ・・・
全身の筋肉を使って力を出せば、有酸素運動よりも簡単に心拍数を上げられるはず。
とにかく、私はこの魂の抜け殻となったドラゴン達が一体どうなるのかを見届けなくては・・・

それから数分程必死に木の幹を抱き抱えながらドラゴン達の観察を続けていると、やがてその内の1匹がそれまでのフラフラとした動きをピタリと止める。
そのまま地面の上に蹲ると、彼がプッという音とともに小さな糞をその場に落としていた。
そして再び体を起こしたドラゴンが、他の2匹と離れて森の奥の方へフラフラと歩いて行ってしまう。
成る程・・・恐らく、あの糞に種子が含まれているのだろう。
木の根に種子を植え付けられて寄生されてしまった憐れな動物は鮮明な意識を保ちながらも体の主導権を奪われ、あのように命尽きるまで森の中を当ても無く歩き回りながら種子の混じった糞をそこら中に撒き散らすのだ。
そして最後には力尽きた宿主の体さえもが養分とされ、この森に繁栄する例の樹木の礎となるのに違いない。
それにここからは完全な推測の域を出ないのだが、樹木によってその攻撃性が違うのは恐らく宿主となった生物の性格や或いは遺伝的な情報によって文字通り樹木の性格が異なるからなのだろう。

この私の種子からは、一体どんな樹木が育つのだろうか・・・?
いや・・・今はもう、そんなことを考えている時ではないだろう。
「CI、どうする?もう心拍数25だ。最後のエピネフリンを投与するか?」
「いえ、大丈夫です。調査データのバックアップを転送後、5分後に起爆するようEMP爆弾のタイマーをセットします」
「分かった・・・ありがとう、CI」
そのリーダーの言葉を最後に、静寂が私の周囲を押し包んでいた。
ドサドサッ・・・
やがて両手足の力が抜け、柔らかい黒土の上へ前のめりに倒れ込んでしまう。
ドクン・・・・・・ドクン・・・・・・
今の心拍数は・・・10を切ったところだろうか・・・?
数秒に1度聞こえる自身の心臓の音が、ゆっくり、ゆっくりとその間隔を引き伸ばしていく。
意識ははっきりしているのに何だか現実から遠く離れた別世界に引き込まれていくかのような奇妙な陶酔感の中で、私はバックアップデータの転送終了を告げるピッという微かな電子音を聞いたような気がした。


ドゥッ!
CIとの通信を終了してからきっかり300秒後・・・
船の南東6600メートルのところで発生した小さな電磁パルス波を検知すると同時に、CIに搭載していたカメラやマイクを含む全ての電子機器が永遠の沈黙を迎えていた。
「CI・・・」
生体ベースのCIはたとえ電磁パルスを浴びて全ての電子機器を失ったとしてもその生命を維持することが出来るが、CIの搭載していたEMP爆弾は生体部分の機能も吹き飛ばすように少量ながら爆薬を使用している。
文字通り、CIという機械生命体を殺す為だけにある自爆兵器なのだ。
「Farth7 1249、通信信号完全消失・・・CI、機能停止しました」
「分かった・・・一旦休憩にしよう。その後、明日の調査に備えて後継CIの起動準備と採取したサンプルの解析だ」

最早半ばお馴染みとなったその私の言葉に、船員達が少しばかり暗い面持ちを浮かべながら部屋を後にしていく。
当然だろう・・・我々は、また1人仲間を失ったのだから。
だが、今回の調査はある意味で初めて我々に明るい情報を齎してくれたと言って良いだろう。
既に誰もいなくなった船室で、私はそんな思いとともにCIから送られてきたデータを静かに見つめていた。
食料となる可食性の花に、生薬となる葉を持つ花。
更には比較的繁殖の容易な無毒の茸と、それに擬態する猛毒の茸。
それに何より、あの寄生性の木に種子を植え付けられたCIが最期の瞬間まで自身の体の状態を詳細に記録したデータ。
これを解析すれば、人類に有益な薬を開発したり今後の調査の負担を減らしたりすることも出来るようになるだろう。
実際にローバーごと回収した検体のサンプルもあることだし、これまで調査に赴くCIの動向を静かに見守っていることしか出来なかった我々にもようやくやるべき仕事が出来たのだ。
そしてそんな淡い希望の明かりを胸の内に灯すと、私は静かに船員達の待つ食堂へと向かったのだった。

タグ

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Wiki内検索

コンテンツ

カウンタとコメントフォーム

コメントフォーム

ezカウンター
介護求人弁理士求人仲介手数料 無料フレームワーク旅行貯金高収入復縁中国語教室 大阪介護ニュース

どなたでも編集できます