冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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1957年の「原爆攻撃からどのように身を守るか」


日本では1954年に防衛2法(防衛庁設置法、自衛隊法)に成立し、保安庁は防衛庁になり、自衛隊が設立された(保安隊が陸上自衛隊に、警備隊が海上自衛隊に、新たに航空自衛隊)。この「再軍備」に反対する立場で執筆・出版された『原子戦争 (市民のための原子力 ; 第1)』には、原爆攻撃から身を守りようがないことを記述した「 原爆攻撃からどのように身を守るか」がある。

同時代の米国英国西ドイツなど、核攻撃に対する民間防衛策の楽観的な記述よりは、以下の記述は真っ当である。

(3) 原爆攻撃からどのように身を守るか

いうまでもないことだが、原子爆弾弭の爆発の原理は、ふつうの爆弾のそれとは、まったくちがっている。それはたんなる衝撃によっても、点火によっても、爆発はしない。ウラニウム二三五やプルトニウムの原子爆発をおこさせるには、それら分裂物質の一定以上を一カ所に集中しなければならない。この一定量は臨界量といわれるが、イギリスのオリハントの推定だと、一〇キログフムから三〇キログラムのあいだとされている。二個あるいはそれ以の分裂物質を急速度に合体さると、連鎖反応がはじまり、温度が上がって、しまいに飛びちるが、そのさい分裂物質の何割がじっさいに分裂しているかで、爆発の大きさがきまるわけである。

分裂物質のはんの少しだけが分裂して、あとはとびちってしまう場合もある。たから、温度が上がっても、分裂物質ができるたけとびちらないような、十分のおさえがあることが必要となる。千万分の一秒という短い時間だけ、よけいにおさえうるか否かで、爆発力は極端にちがってくるのである。こうしたおさえがタンパーとよばれるもので、たとえば、鉛や天然ウランなどがつかわれているようである。タンパーはまた、中性子を反射していたすらに外部ににげるのをふせぐ役割もする。中性子が分裂物質の原子核のなかにとびこんで、核分裂をおこさせる効率をあげ、臨界量を減らす役割もはたすのである。

いすれにしても、核分裂の効率を高め、より強力な原子爆弾をつくるには、分契物質を急速に合体させる方法の改良と、タンパーの改良ということが主要な間題になる。その後の原子爆弾は、おそらくはこの線に沿って改良され、今日では大型のものは、広島型の二十五程度のエネルギーをもつものもできるとアイゼンハウアーは発表した。TNT火薬の五〇万トンのエネルギーに相当するわけである。今日の普通に使われる原爆は計算の便利のために、広島型のエネルギーの八倍とすれば、損害半径の増加の割合は、爆風においては立方根たから、今日の原子爆弾の爆発ては、半径一・六キロメートルの円内の建物が文句なしに完全に破壊され、窓ガラスが割れたりする程度ならば、二六キロに達する半径(日比谷から横浜ぐらいまでの距離)の円内が、一瞬にして被害をうける。熱にあっては、損害半径の増加の割合は、エネルギーの増大の平方根倍たから、爆心から三・五キロはなれた地点ても、瓦の表面がとけるほどの熱をこうむるわけである。爆心から一〇キロもはなれた地点でも、人びとは火傷を負うということになる。なお放射能の場合は、損害半径の増大の割合は、きわめて少ない。

ところで、このような原子爆発に対して、いったいどんな防禦方法がありうるか。まず、爆心から半怪一・六キロ以内の地域では、どんな処置をとっても、それほど有効ではない。つまり経済的には死んでもらうほうがよい、ということになる。もっとも、ひじょうに重要な施設だとか重要な人物を守るためには、特別な防空壕をつくれないことはない。ただしそれは、厚さ二フィートくらいの鉄筋コンクリート(とくに鉄分を多くする)でかためた部屋をもち、外部とは遮断するようにしたものでなけれにならない。そして、これに近いものを東京のなかで探すとなれば、日本銀行の金庫ぐらいしかなく、建設するとなれば、構造体たけで少なくとも一五〇万円ぐらいはかかるだろうといわれている。

つぎに、建物がおびたたしく破壊される地域では、あらゆる構造物が同時に一瞬にして破壊されるのだから、道路という道路は、さまざまの破片で完全にうずまってしまう。たから近隣の救援隊が被害地にのりこもうにも、交通はまったく不可能と考えるべきである。長崎の場合でも、破壊からまぬかれた消防隊が被害地に入ろうとしたが、道路をうずめたこれらの堆積物のために、爆心から一〇・四キロ以内には、どうしても近づけなかったという例がある。

そのうえ、やはり長崎の場合など、爆心から半降三・二キロ以内の地点ては、爆風圧のために地表のあちこちで、深さ三〇センチに達する地盤の沈下がおこった。そのため、至るところで水道やガスのパイプが切断され、火災がおこっても、水道は使用不能という状態になってしまった。

火傷は、どうやってふせぐか。原子爆弾から生きのこりうる距離でならば、もしも適当な遮蔽さえあれは、火傷をうけないでもすむ。したがって、そのような距離では、ある程度の防禦の方法もあるわけだが、原子爆発はふいに一瞬にしておこるのである。防禦の方法がいくらあっても、不意打ちの爆発の場合には、どこまでふせげるものか、疑問としなければならない。

原子爆弾症を治療するには、どういう方法があるか。さしあたりは、ます輸血である。けれども、原子爆弾が一発落ちれば、その地点だけで、一度に何万人という患者が出るのである。それだけの人間に、毎日一〇〇グラムも二〇〇グラムも、どうして輸血ができるか。しかも輸血も、事実はそれほどのききめはない。原子爆弾症は、細菌性疾患と似てくる場合が多いから、べニシリン、ズルファミンなどは、有効ではないだろうか。ところが、これらの細菌は、体内の白血球が減少しないかぎり、ふだんは無害であるので、科学者たちは、こんなものを相手に研究したことなどはない。それゆえに、従来の化学療法がこの場合にも、はたしてどこまで行効かは不明である。

けれども、こんな議論をしているよりも、そもそも医療施設自体が爆風で壊減しているだろうし、近隣の救援隊は交通社絶で近づけないたろうということを考えると、じっさいには、一杯の水さえあたえることがむずかしく、輸血や注射どころではないだろうというのが実情であろう。ただ爆弾投下後おそらく発病した人びとに、なんらかの治療の余裕があるといった程度である。

ところで、再軍備論者たちは、こうした原爆攻撃に対して、どんな対策をもっている、というのたろうか。再軍備も場合によれば、けっこうであろう。だが、それが真に日本国民の独立と生活を守るためのものであるならは、いざ載争という場合の一般国民の生命の安全については、十分な対策がこうじられていなければならない。したがって、ここに述べたような原子爆発の威力やそれへの対策については、なにはともあれ、全力をあげて、一般国民に啓蒙するのが当然といえよう。ところが、旧軍人や一部政治家たちの再軍備論は、口をひらけば「防衛」といいながら、こうした点については、ほとんどふれてはいない、という事実を、私たちは見ざるをえないのである。再軍備論者たちは、いったい、なにに対して、なにを防衛しようというのか。原子爆発に対する国民の生命の防禦というもっと、も重要な一点をぬかした「防衛」が、どこの国のための防南かということは、すでにいわずして明らかといわなければならない。

[ 武谷三男, 林克也, 星野芳郎: "原子攻撃からどのように身を守るか", in "原子戦争 (市民のための原子力 ; 第1)" 朝日新聞社, 1957, pp.16-20]






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