輜械名 | 発動タイミング | 効果 |
---|---|---|
連装砲 | 接近段階 | 2つのターゲットに攻撃をする |
新型防護装置 | 接近段階 | 攻撃をしない事で追加の反応装甲を得る |
傷の力 | 肉薄段階 | 現在の耐久値に基づいて自分の火力と徹甲を上昇させて攻撃する |
臨時ダメコン | 接近段階 | 攻撃をしない事で耐久値を回復させる |
型式番号 | A7V | 開発年 | 1917 | 生産期間 | 1917年5月〜1918年11月 | 生産台数 | 22 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
主砲 | 57mm | 車体 | リベット接合車体 | 最大装甲厚 | 30mm | 燃料 | ガソリン |
解説 | A7Vはドイツ初の戦車である。開発を担当した戦時省運輸担当第7課の略称がそのまま車輌名となった。 1910年台、イギリス・フランスと並ぶ工業国であったドイツでも装甲戦闘車輌の開発が検討されていた。 当時の戦車はまだ陸上戦艦と言うべき形態で、モトーアゲシュッツ(ギュンター・バーンスタイン エンジン火砲)、 ランドパンツァークロイツァー(フリードリヒ・ゲーブレ 陸上装甲巡洋艦)等いくつかの計画案があったがいずれも実現 しなかった。 イギリスで陸上戦艦の開発が行われていることは諜報活動により掴んでいたが、ドイツで装甲戦闘車輌の開発が具体化 することはなかった。 1916年9月、ソンム会戦でのイギリスのMk.I戦車の登場はドイツ軍最高司令部に衝撃を与え、すぐさま同種の車輌の 開発が命じられた。 1917年1月には最初のプロトタイプが完成し、4月から走行試験が開始された。 いくつかの改良が行われたもののエンジンの出力不足・冷却の問題は残ったまま生産が開始された。 10月には1号車が納入され、翌年の春季攻勢に間に合うよう求められたが、Uボートや航空機の生産にリソースが 割かれ月産約5輌で生産が続けられた。 車輌前面に主砲が配置され、側面や後方に計6挺の重機関銃が装備された。 乗員は標準18名/最大26名でまさに陸上戦艦であった。 当時まだ車載無線は存在せず(無線電話が1916年に発明されたばかり)、連絡には鳩が使われた。 1918年3月、サン・カンタン北部での戦闘で初めて実戦投入された。 4月24日にはフランス北部のヴィレル・ブルトンヌ付近で世界初の戦車戦が3対3で行われた。相手はイギリスの Mk-IV戦車(もしくはMk-V)だった。 3輌中2輌を撃破したもののドイツ軍は後退せざるを得なかったため初戦はイギリス側の勝利となった。 イギリス軍戦車は機銃しか装備していないため、同数ではA7Vが圧倒的に優位だったが、協商国側はこの時点で既に 計6,000輌あまりの戦車を投入可能だったため、戦局を覆す手とはならなかった。 ただ、イギリス・ドイツどちらとも戦車が戦局に影響を与えるほどの威力はなかった。 11月に第一次大戦が休戦となると、1輌が国内での武装蜂起の鎮圧等に駆り出された。 1919年6月のヴェルサイユ条約により、ドイツの戦車保有が禁止され、全ての残存車輌は協商国側に引き渡され殆どが スクラップとなった。 |
コメントをかく