あらゆる架空国家が併存するモザイク世界

国旗
国章
            
詳細情報
        
国の標語
Gött erhalte den Kaiser」(神よ皇帝を護りたまえ)
国歌
皇帝陛下万歳
音声ファイルへのリンク
国家体制帝政、軍事独裁体制(事実上)
公用語ロイヘン語?
首都ベッツェル
最大の都市ベッツェル
人口約7800万人
憲法事実上廃止
面積881,703㎢
宗教新約リヒエス?
通貨統一グルデン?
中央銀行帝国銀行(ロイヘン)?
GDP詳細不明
報道機関デア・ロイヒェラント(新聞)?
政府首脳
ロイヘン皇帝カール2世?
統一宰相ルドルフ・フォン・ヘルナー?伯爵
摂政(事実上のトップ)エーリヒ・フォン・ファルケンハイム?上級大将

詳細はロイヘン帝国の政府?を参照

概要

ロイヘン帝国(ろいへんていこく、ロイヘン語?:Roychen Kaiserreich) は、欧暦?1889年1月2日に中央ヨーロッパに建国されたKaiser(ロイヘン皇帝)を頂点とする絶対君主制国家である。帝政ロイヘンとも称される。

国名

ロイヘン(Roychen)またはロイヒェンは元々、古ロイヘン語で「小さな森」を指す言葉で、古代のヴァルマン人?が名ずけた地名である。ロイヘン国家を表す際はロイヒェラント(Roycheland)と呼ばれる。

国号のカイザーライヒ(Kaiserreich)はロイヘン語で「皇帝の国(すなわち帝国)」を表す言葉である。ライヒ(Reich)とも呼ばれるが、これは帝国とも訳せられるがどちらかと言うと単に「国」という意味しか持たないため、「ライヒ=帝国」というのは間違いである。

歴史


詳細はロイヘンの歴史?を参照

欧暦1877年6月17日〜1888年11月3日にかけて起こった統一戦争?によって、数世紀の間いくつかの邦国に分裂していたロイヘン地方?が統一され、北部のフェレンブルク王国?主導で建国された。

欧暦1907年3月12日に起こったベネルゲン危機?の後にロイヘン帝国は隣国ヴェランヌ共和国?を下し、ヨーロッパの大国としての確固たる地位を築いた。

欧暦1913年7月20日〜1918年11月11日にかけて起こった大戦争?においてロイヘン帝国は隣国のヴェランヌ共和国、東の隣国ルヴェチェフ帝国?との二正面戦争を強いられた。大戦争では飛行船、毒ガス、戦車などの新兵器が次々と開発・投入された事により両陣営ともに多数の犠牲者を出したが、結果的にロイヘン帝国の辛勝に終わった。

しかし、「総力戦」によって多くの国力を戦争に費やしたロイヘン帝国の被害は甚大で、経済が低迷し多数の過激思想が吹き荒れることとなる。欧暦1921年9月6日、帝国軍は「国家の非常事態」と称して皇帝一家を離宮に軟禁、首都ベッツェルを占拠?軍事独裁体制を成立させた。軍は一連の出来事を国民に隠蔽しようとしたが、これ国内の分裂を加速させ、帝国の未来にくらい影を落とした。

ロイヘン帝国の第2地球への転移については転移を参照。

政治


詳細はロイヘン帝国の政府?を参照

欧暦1889年から1921年までの間、帝国では皇帝を中心とする絶対君主制が敷かれていた。議会や憲法の上に君主がいるという中世と同然の仕組みは、中世以来ロイヘン国家の伝統に則ったものである。

欧暦1921年に帝国軍が皇帝を軟禁して戒厳令を敷いた9月6日事件をきっかけに軍部による軍政が行われている。現在の帝国内では外交も司法も全て軍隊が司っており、国内の混乱と各地域の混乱を加速させている。

ロイヘン帝国は元々いくつもの邦国に分裂していたこともあり、連邦制のような体制がとられている。各州にはそれぞれ州政府が置かれ、それぞれの州政府はそれぞれ州の地方自治を行う。ただし、ロイヘン帝国の母体となったフェレンブルク州のみはロイヘン帝国政府としての役割を持ち、フェレンブルク州首相は帝国内で皇帝に次ぐ権力を持つ統一宰相を兼任している。

宗教


詳しくはリヒエス教?を参照

ロイヘン帝国の転移する前の世界ではリヒエス教(Richesentum) と呼ばれる宗教がヨーロッパを中心に多く広まっている。

リヒエス教は預言者リヒエスを救世主として信仰する宗教であり、今日のヨーロッパ文化に大きな影響を与えた。

ロイヘン帝国内ではほとんどの国民が新約リヒエスを信仰している。
ロイヘン南部のナウエルン?オーバーベルク?、東部のノイラント?などの地域では元々ロイヘン(フェレンブルクなどの北部ロイヘン)とは文化がやや異なるため、旧約リヒエスを信仰していたが、ロイヘン帝国に統合された際の同一化政策によって多くの旧約リヒエス教徒が改宗を迫られた。現在帝国内で旧約リヒエスを信仰しているのは僅かである。

外交


詳しくはロイヘン帝国と関係のある国?を参照

ロイヘン帝国と関係のある国は2種類に分けられる。1つは転移前の世界で外交関係を持っていた国、2つは転移後の世界で外交関係を持った国である。

転移前の世界ではロイヘン帝国は「大戦争」の戦勝国であるため、ヨーロッパでは優位な立ち位置にある。しかし、転移後の世界ではロイヘン帝国以外に「大戦争」の影響がないため、転移前の世界に比べて厳しい立場に置かれている。

憲法

この国には実質的に法が存在しない。

ロイヘン帝国では憲法は廃止されている。もともと帝国では憲法や議会より君主の権力が強い「新絶対主義」と呼ばれる体制が敷かれていたため、皇帝が法をねじ曲げる・無視して政策を強行させる事が多々あった。欧暦1921年に若き皇帝カール2世の弱腰政策に痺れを切らした軍隊は皇帝一家や親しい貴族、従者や使用人などを一度に捕縛し、離宮に軟禁。軍は「皇帝の名のもと」に抑圧的な政策を推し進めた(9月6日事件)。この時形骸化していた憲法も廃止された。

軍備


詳しくはロイヘン帝国軍を参照

ロイヘン帝国軍(Roycheland Armee )は帝国陸軍(Reichs Heer)と帝国海軍(Reichs Marine)の2つからなる。ロイヘン陸軍航空隊(Luftstreitkräfte)もあるが、これは1つの独立した軍ではなく陸軍(水上機と海軍飛行船のみ帝国海軍)に所属する組織である。

文化・世界遺産


詳しくは帝政ロイヘンの文化?ロイヘン帝国の地理を参照

北部ロイヘンは18世紀〜19世紀頃に建てられた比較的新しい街が多く、整備されたレンガ造りの建物が多い。一方で、古くから栄えていた南部ロイヘンでは中世に建てられた木の柱に石造りの建物が多い。また、南部では古くから多くの邦国があり、それぞれの地方の領主が統治拠点を持っていたため多くの城や砦がある。これらの城や砦の多くは19世紀初頭にはほとんどが放棄され、廃城となっている。南ロイヘンのナウエルンやオーバーベルクにはかつて土地の領主が収めていた城下町が多く残っており、観光名所となっている。

周辺国に遅れて19世紀末に産業革命を成し遂げたロイヘン帝国では重工業が飛躍的に進歩した。それにより西部のノイマール地方やザーレンドルフ地方、東部のノイラント地方には工場が乱立した。これらの工業地帯では毎日大量の排出ガスが放出され、大気汚染の原因となっている。また、多くの労働者が低賃金で働かされている。劣悪な労働環境はニーダーノイラント工業地帯に集中しており、この地は帝国に併呑されるまではロイヘン系とは異なる文化を持つ独立国家でだった事もありそれ故に元々反ロイヘン感情が強く、現地労働者によるストライキや革命騒ぎが後を絶たない。ニーダーノイラントの州都ヴァッサウは帝国内で最も治安の悪い都市の1つである。


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