最終更新: sakashima2 2021年02月02日(火) 20:38:30履歴
梅亭鶯志(ばいてい おうし) | |
---|---|
愛称 | 毒舌落語家、落語界の異端児 |
本名 | 前田隆家(まえだ たかいえ) |
性別 | 男 |
年齢 | 40歳 |
種族 | 人間 |
身長 | 165センチメートル |
体重 | 60キログラム |
誕生日 | 1月2日 |
血液型 | O型 |
職業 | 扶桑国 落語家(噺家) |
宗教 | 神道、仏教 |
趣味 | 旅行 |
言語 | 扶桑語 |
梅亭鶯志は江戸時代の旗本の三男坊として生まれた。子供の頃から喧嘩が強かった。この頃、家は長男が継ぐものと決まっているため、熱中するものもなく鬱屈した青年時代を過ごし、冷めた目で周囲を見ていた(後の『毒舌』はここから生まれた)。一時は旗本奴にも参加していたという。扶桑国に転移した後、内乱である「扶桑擾乱」のさなか、ある日小さな劇場で初めて見た曽呂利真太郎(扶桑国の落語の祖)の落語に雷に打たれたような衝撃を受ける。終了後、その場で弟子入りを志願した。前座名は「曽呂利小太郎」、曽呂利真太郎の初めての弟子であった。曽呂利真太郎は彼を内弟子として自宅に住まわせた。
「曽呂利小太郎」という前座名を貰った鶯志は、翌年の「曽呂利一門落語会」で「道灌」を演り、大勢の客を笑わせるという快感を味わう。その後高座を重ねるが、落語の出来は日によって違うため、彼本人も苦悩の日々が続いた。師匠の曽呂利真太郎は、古典を忠実に演じる教科書的な落語であったが、現実の扶桑国と古典落語の世界では一部に差異もあり、細かな「くすぐり」に説明が必要な部分もあった。その後、2人の活動が中心となり、落語は徐々にではあるが扶桑国に浸透、曽呂利真太郎に弟子入するものも増え、小太郎は一番弟子として彼らの世話もしつつ、落語漬けの日々を送った。
数年が過ぎ、小太郎が曽呂利真太郎より習った落語は百席を超えた。小太郎は古典を忠実に演じる傍ら、扶桑国の情勢に置き換えて演じる工夫もした。また、生来の批評眼は、落語の「マクラ」で世相を切る「毒舌」へと昇華した。しかし、この「毒舌」は敵を選ばないため、別の落語家の悪口を高座で言うと、舞台袖にいた相手が怒り出すという一幕もあったという。
そんな中、曽呂利真太郎は「落語は曽呂利一門だけに限ることなく、多くの人たちが演じて発展して欲しい」という思いが強くなり、一番弟子だった小太郎に独立をすすめた。小太郎は驚いたものの、これを承諾。「なにかいい亭号をつけてみろ」と師匠に言われた彼は、自身の家紋である「梅鉢」から「梅亭」、そして梅には鶯がつきものであることから「鶯志」を名乗った。
そんな中、曽呂利真太郎は「落語は曽呂利一門だけに限ることなく、多くの人たちが演じて発展して欲しい」という思いが強くなり、一番弟子だった小太郎に独立をすすめた。小太郎は驚いたものの、これを承諾。「なにかいい亭号をつけてみろ」と師匠に言われた彼は、自身の家紋である「梅鉢」から「梅亭」、そして梅には鶯がつきものであることから「鶯志」を名乗った。
梅亭鶯志襲名披露は大々的に行われた。優れた批評眼で世間を切りまくり、毒舌を浴びせるさまは、多くの落語家が真似をし、いつしか扶桑国を代表する落語家の一人となったが、荒唐無稽にして破天荒、狷介不羈な性格は聞く人を選び、好き嫌いが大きく分かれる。
主に古典落語を演じる。また落語の前段で世相を切りまくる「マクラ」も有名で、マクラだけで1時間やったこともあり「伝説」となっている。詳しくは梅亭鶯志のマクラを参照。
- 芝浜
- 死神
- 黄金餅
- まんじゅうこわい
- らくだ
- 落語の様子はただの「キャラクター」でなく彼本来の性格によるもの。気性が荒く直情径行でTPOを(わざと)わきまえないことで知られ、その様は「落語界の異端児」「ただのキャッチボールで出刃包丁を投げてくる」と称される。しかし本来は気の優しい人物である。
- その暴れん坊ぶりは他の落語家にも向けられ、特に落語家の鈴屋直助とは弟子時代に取っ組み合いの喧嘩をしたことがある。しかし師匠の曽呂利真太郎の前では借りてきた猫のように大人しくなるという。
- 落語を愛し、弟子には厳しくも熱心に指導する。鶯志の弟子は、皆彼の強烈な個性に強く惹かれて弟子入りしたものばかりである。
- 噺家言葉で、立て板に水のごとく早口で喋りまくる様は魔法(ILLUSION)と称され、「たとえ自分の悪口を言われても気持ちいいもの」と多くのファンが言う。また煙管を愛用しており、独特のしわがれた声で知られる。
- 酒も飲み煙管も吸うが、「落語家は体が資本だ」と食事には多少気を使っている。また竹刀の素振りは日課である。
- 海外公演を行い、「天覧落語」(帝の前での落語)にも招かれている。帝より「政府には相変わらず毒舌を振りまいておられるが、朕だけは風刺しておらぬそうですな」と問われ、「いやそれはちょっとご勘弁を」と顔を真赤にして言った。彼の人柄が忍ばれるエピソードである。
タグ
コメントをかく