創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

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聖書によれば、あれもこれも死刑


聖書には死刑の規定がいろいろある。たとえば...
人を故意に殺したら死刑

人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる。しかし、人が故意に隣人を殺そうとして暴力を振るうならば、あなたは彼をわたしの祭壇のもとからでも連れ出して、処刑することができる。(出エジプト記21章12-14節)

もし、人が鉄の道具でだれかを打って死なせた場合、その人は殺害者である。殺害者は必ず死刑に処せられる。(民数記35章16節)

もし、人を殺せるほどの石を手にして、だれかを打って死なせた場合、その人は殺害者である。殺害者は必ず死刑に処せられる。(民数記35章17節)

もし、人を殺せるほどの木の道具でだれかを打って死なせた場合、その人は殺害者である。殺害者は必ず死刑に処せられる。(民数記35章18節)

もし、憎しみを込めて人を突くか、故意に人に物を投げつけるかして、死なせるか、または、敵意を抱いて殴りつけて、人を死なせた場合、手出しをした者は必ず死刑に処せられる。彼は殺害者である。血の復讐をする者は、その殺害者に出会うとき殺すことができる。(民数記35章20-21節)

その他、いろいろ死刑

誘拐犯は死刑...
人を誘拐する者は、彼を売った場合も、自分の手もとに置いていた場合も、必ず死刑に処せられる。(出エジプト記21章16節)


父や母を呪たり、罵ったり、暴力を振るうと死刑...
自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。(出エジプト記21章17節)

自分の父母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。父母を呪うことは死罪に当たる。(レビ記20章9節)

神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。(マタイによる福音書15章4節)

自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる。(出エジプト記21章15節)


不倫は死刑...
人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる。(レビ記20章10節)


口寄せや霊媒は死刑...
男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪に当たる。(レビ記20章27節)

しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、わたしの僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に献げた肉を食べさせている。 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女はみだらな行いを悔い改めようとしない。見よ、わたしはこの女を床に伏せさせよう。この女と共にみだらなことをする者たちも、その行いを悔い改めないなら、ひどい苦しみに遭わせよう。また、この女の子供たちも打ち殺そう。こうして、全教会は、わたしが人の思いや判断を見通す者だということを悟るようになる。わたしは、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう。(ヨハネの黙示録2章20-23節)


そして、ゲイセックスは死刑...
女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。(レビ記20章13節)


聖書は無謬であり、字義通り解釈すべきという人々は、当然これらについて死刑にすべきと考えるはず。しかし、多くの場合「ゲイセックスは死刑」以外には気にしない。「不倫」をやりつつ、「ゲイセックスは死刑」と叫ぶことはよくあること。

聖書によれば土曜出勤すると死刑

もともと聖書の定める安息日は土曜日。
イスラエルの人々が荒れ野にいたときのこと、ある男が安息日に薪を拾い集めているところを見つけられた。見つけた人々は、彼をモーセとアロンおよび共同体全体のもとに連れて来たが、どうすべきか、示しが与えられていなかったので、留置しておいた。
主はモーセに言われた。「その男は必ず死刑に処せられる。共同体全体が宿営の外で彼を石で打ち殺さねばならない。」共同体全体は、主がモーセに命じられたとおり、彼を宿営の外に連れ出して石で打ち殺したので、彼は死んだ。(民数記15章32-36節)



[James Tissot: The Sabbath Breaker Stoned]


しかし、休日に仕事をした者がいたことが聖書に記録されている。それによると...
さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」

すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。

その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。

そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。

イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。(ヨハネによる福音書5章5-18節)



[Bartolomé Esteban Murillo (1617-1682): "Christ healing the Paralytic at the Pool of Bethesda"(1667-70), at The National Galllery]







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