批判サイド>否定論・陰謀論を信じる理由
Just-world hypothesis (2014/08/09時点, 2016\10時点の項目追加)
公正世界仮説あるいは公正世界誤謬は、「人間の行動は常に道徳的に公正かつ、その人物に見合った帰結をもたらすので、高貴な行動は最終的に報われ、悪しき行動は最終的には懲罰される」という認知バイアス(あるいは仮定)である。言い換えるなら、公正世界仮説は、「帰結を道徳的なバランスを復元する普遍的な力のせいにする、あるいはその結果としての帰結を期待する」傾向である。誤謬たるゆえんは、これが(多くの場合、意図せずに)宇宙正義や運命や神の摂理や報いや安定性や秩序の存在を意味し、その不幸に値するのだという理由で人々の不幸を合理化するの役立つかもしれないという点にある。
この仮説は、"You got what was coming to you"や"What goes around comes around"や"You reap what you sow"などの、否定的報復を保証する英語の比喩表現に広くみられる。1960年代初頭にMelvin J. Lernerによって行われた、公正世界の信念についての独創的研究以来、この仮説は社会心理学者たちによって幅広く研究されてきた。[1] それ以来、研究は続けられ、多様な状況や文化を超える仮説の予測能力が調べられ、公正世界信念の理論的理解の明確化と拡張が行われてきた。[2]
Lernerは、否定的な社会的及び社会に関する相互作用を探求する社会的心理学のコンテキストで、正義の信念と公正世界仮説を研究した。[3] Lernerは自らの研究をStanley Milgramの服従についての研究の延長とみなしていた。彼は、残虐と苦痛を引き起こす体制を人々が支持し、不幸と苦痛を作り出す社会規範と法を人々が受け入れる理由を見出そうとした。[4]
Lernerの探求は「苦痛に対する被害者叩きをする観察者の傾向」を繰り返し目撃したことの影響されている。彼は心理学者として臨床教育を受けていたとき、彼といっしょに仕事をしていた療法士たちが精神障害者を治療するのを見ていた。療法士たちが心優しく、教育を受けた人々であることはわかっていたが、療法士たちは度々、患者自身の苦痛について患者を責めていた。[5] また、Lernerは「貧困に一因である構造的力に気づいていないようで、貧困層を叩いている」学生たちを見て、驚いたと記述している。報酬についての研究で、彼は「2名の男性のうち1名をランダム選んでタスクの法報酬を受けるとき、たとえ観察者に報酬を受け取る者がランダムに選択されていると知らされていても、観察者は報酬を受け取った人物を良く評価する傾向がある」と見た。[6][7] 認知不協和を含む既存の社会心理学理論はこれらの現象を完全には説明できなかった。[7] これらの現象をもたらすプロセスを理解したいという欲求から、Lernerは、現在では公正世界仮説と呼ばれるものについての実験を行った。
1966年に、Lernerと共同研究者たちは「被害に対する観察者の反応」を探求するショックパラダイムを使った一連の実験を開始した。これらの一連の実験の最初の実験はUniversity of Kansasで行われ、その実験で、72名の女性被験者たちは、多様な条件のもとで電気ショックを受ける人物を見せられた。最初、被験者たちは苦痛に見えるものを観察すると苛立った。しかし、苦痛が続き、被験者たちは介入できないままにされると、被験者たちは被害者の評価を落とし始めた。そして、その被害者の苦痛が大きく見えるほど、被験者たちは被害者の評価を大きく落とした。しかし、被害者がその苦痛の補償を受け取っていると聞かされると、被験者っちは被害者の評価を落とさなかった。[4] この一連の研究でのLernerと共同研究者たちの発見は、他の研究者たちによって再現された。[6]
これらの研究の発見を説明するために、Lernerは「公正世界についての広まった信念が存在する」と理論化した。公正世界(just world)とは、「行動と条件が予測可能で、適切な帰結を持っている」世界である。これらの行動と条件は典型的には個人の行動あるいは態度である。特定の帰結に寄与する特別な条件は、社会的規律とイデオロギーによって社会的に決定される。Lernerは公正世界信念を機能するものとして提示した:
Lernerは「人々が自らを幸福であり続けさせるために、公正世界を信じることは極めて重要である」と仮説した。しかし、人々は世界が公正ではないことを示す証拠に日々直面している: 特に理由がないのに人々は苦しんでいる。Lernerは「人々は公正世界信念への脅威を排除する戦略をとる」と説明した。これらの戦略は合理的なものも、非合理的なものもありうる。合理的戦略には不公正な現実を認めて、不公正の防止したり、不公正に対する賠償を与えようとしたり、自らの限界を認めるといったものがある。非合理的な戦略には、起きた出来事の否定や取消や再解釈などがある。[要出典]
出来事と公正世界信念をフィットさせることができる再解釈のモードはいくつかある。アウトカムや原因や被害者の人格などを再解釈できる。無実の人々の苦しみという不正義を観察するケースでは、出来事の認識を再構成する主たる方法は「苦しんでいる被害者を苦痛に値するものと再解釈すること」である。[1] 特に、観察者は「苦痛が被害者の行動や特性によるものだ」と被害者を叩くことがある。[6] 公正世界信念についての多くの心理学研究は、異なるコンテキストでの「被害者叩きというネガティブな社会現象及び、被害者の評価を落とすこと」にフォーカスしてきた。[2]
このような思考の追加的効果は、「自分たちが評価をとすような行為あるいはネガティブなアウトカムを起こすようなことをしていないと考えているので、個人的に脆弱なことを経験をしていないのだ」と思えることである。[2] これは社会心理学者たちが観察している、自己奉仕バイアス(self-serving bias)と関連している。[8]
多くの研究者たちは公正世界信念を原因帰属の一例として解釈している。被害者叩きでは、被害の原因は、まわりの状況ではなく個人に帰属させられる。したがって、公正世界信念の帰結は、原因帰属の特定パターンに関連しているか、それによって説明されるかもしれない。[9]
被害者の評価を落とすことについて、代替的説明を示唆する者もいる。ある者は、「評価を落とす効果は被害者の特性についての正しい判断に基づいている」と示唆する。特にLernerの最初の研究に関して、「自らへの理由なき電気ショックを容認している人物の評価を落とすことは、観察者にとって合理的である」という仮説を提示した。[10] 「被験者は、被害者が実際に苦しんでいるときのみ、被害者の評価を落とす」が「被害者が苦痛の継続に同意したが、実際に苦痛を与えられていない場合は、被験者は肯定的に評価する」ことを示した、これに続くLernerの研究は、この仮説にチャレンジした。[11]
公正世界仮説の発展初期の頃に、被害者の評価を落とすことについての代替的説明が提唱された。これは、観察者が自分自身の罪悪感を低減するために、被害者の評価を落としたというものである。観察者が状況あるいは実験に関与すると、観察者が被害者の苦痛に責任や罪悪感を感じる。その罪悪感を低減するために、被害者の価値下げを行う。[12][13][14] Lernerと共同研究者たちは、この解釈を支持する適切な証拠ではないと主張した。彼らは「実験プロセスに関与しておらず、罪悪感を感じる理由がないがない観察者であっても、被害者への評価を落とす」ことを示す研究を行った。[6]
「被害者非難」などの戦略は、苦痛を見た後で、不快感を軽減する方法ともなりうる。これは、主な動機が、公正世界信念の修復ではなく、共感によって引き起こされた不快感の軽減であることを意味する。研究は「被害者非難は、それに続き支援活動を抑制しないこと」を示し、「責任の割り当ての際に、被害者が重要な役割を担っている」ことを強調している。Ervin Staub[47]によれば、もし公正世界信念の修復が主たる動機であるなら、被害者の価値下げは、補償の削減につながるはずである。実際には、補償の量は、価値下げの後でも前でも、実質的違いはない。感情的な反応の減衰と、共感の欠如のため、サイコパスは公正世界の維持戦略の欠落と関連している。[48]
Lernerの最初の研究のあと、他の研究者たちがこれらの発見を、個人が被害者になる別の状況で再現した。1970年代に始まり、今日まで続く研究は、「交通事故やレイプや家庭内暴力や病気や貧困のようなランダムな災厄の被害者に、観察者がどうのように反応するか」を探求してきた。[1] おおよそ、研究者たちは「罪なき被害者の苦痛を観察した人々に、苦痛の被害者の評価を落とし、被害者を叩く傾向がある」ことを発見した。したがって、観察者たちは、被害者の特性に対する認識を変えることで、自らの公正世界信念を守った。[15]
1970年代初頭に、社会心理学者Zick RubinとLetitia Anne Peplauは、公正世界信念の計測指標を開発した。[16] この計測指標及び1975年の改訂版により、公正世界信念の個人差の研究が可能になった。[17] この後の大半の公正世界仮説研究はこれらの計測指標を使っている。
研究者たちは、レイプなどの暴力の被害者に対して観察者たちがどう反応するか調べた。レイプと公正世界信念のついてのLinda Carliと共同研究者たちの初期段階の実験では、2グループの被験者たちは、男女関係についての物語を与えられた。物語の記述はエンディング直前までは同じである。一方のグループには中立的なエンディングが、もう一方のグループには「男が女をレイプする」エンディングが提示された。被験者たちは、レイプエンディングを不可避なものと判断し、物語の女性を彼女の特性ではなく、行動に基づいて叩いた。[18] この発見は、レイプエンディングとハッピーエンディング(結婚のプロポーズ)を使った実験などでも繰り返し再現された。[2][19]
他の研究者たちは、パートナー虐待の判断についての同様の現象を見出した。ある研究では、「観察者による暴力の被害女性叩きが、関係の親密さとともに増大する」ことを発見した。観察者たちは、最も顕著な暴力のケースである、男性が知人を襲った場合のみ、加害者の男性を叩いた。[20]
研究者たちは、いじめの理解に公正世界仮説を使った。これまでの公正世界信念についての研究からすれば、観察者はいじめの被害者の評価を落とすと予測されたが、実際は逆だった:公正世界信念が強く観察者ほど、反いじめの態度を強く示した。[21] 他の研究者たちは、強い公正世界信念と、いじめ行動の低水準が関連していることを見出した。[22] この発見は、行動を支配する「契約」として機能する公正世界信念というLernerの理解と整合している。公正世界信念は学校環境における子供や成人の幸福の防御的に効果を持ち[23]、これは一般人についてめ示された。
他の研究者たちは「病気の人は、その病気に責任があると、観察者が判断する」ことを見出した。ある実験では「多様な病気に苦しむ人の魅力指標を健康な人よりも下げる」ことが示された。健康な人々と比べて、消化不良や肺炎や胃癌の人々に対する評価が下げられていた。さらに、癌以外の重い病気に対して、大きく評価が下げられることがわかった。[24] 公正世界への強い信念と、AIDS患者に対する評価低下に相関があることがわかった。[25]
さらに最近、研究者たちは公正世界仮説のレンズを通して、人々が貧困にどう反応するか探求した。強い公正世界信念は貧者叩きと、弱い公正世界信念は経済制度や戦争や搾取のような貧困の外部原因を特定することと関連していた。[26][27]
いくつかの公正世界信念についての研究は、自分自身が被害者となったときに人々がどう反応するかを調べている。Dr. Ronnie Janoff-Bulmanの初期の論文は、「レイプの被害者が、被害を受けたことについて、自分自身の特性ではなく、行動を責めることがよくある」ことを発見した。[28] これから、自分自身の行動を責めることは、出来事をよりコントロールできるからだという仮説が作られた。
暴力や病気や貧困やその他の被害者たちについての研究は、観察者の公正世界信念と苦痛についての被害者叩きの傾向の関連を支持する一貫した結果を出している。[1] 結果として、公正世界仮説は広く受け入れられることになった。
その後の公正世界信念の測定についての研究は、信念の多次元性の特定にフォーカスした。これらの成果は、公正世界信念の新たな計測指標の発展と新たな研究へとつながった。[2] 公正世界信念の仮説次元には不公正世界信念[29]や、内在正義や究極正義[30]や、正義への希望や正義を低減する能力への信念[31]などが含まれる。また、別の研究は、公正世界信念がは荒く別のドメインを見出すことにフォーカスした:人々は、個人ドメインや社会政治ドメインや社会ドメインなどに、異なる公正世界信念を持っているかもしれない。[25] 特に成果のある識別は、自分自身についての公正世界信念(個人)と他者に対する公正世界信念(一般)の識別である。これらの異なる信念は健康と違った形で関連している。[32]
研究者たちは公正世界信念の計測指標を使って、高い公正世界信念と低い公正正解信念が何と相関しているか調べた。
限定的な研究が、公正世界信念とイデオロギーの相関を調べた。これらの研究は、右翼権威主義及びプロテスタントの勤労倫理などと、公正世界信念の社会政治的な相関を見出した。[33][34] さらに研究は、公正世界信念が宗教面と相関していることを見出した。[35][36]
ジェンダーや人種などデモフラフィックな違いについての研究は、系統的な違いを見出さなかったが、黒人及びアフリカ系米国人の公正世界信念が弱いことという人種的差異を示唆した。[37][38]
公正世界信念の発展は、公正世界信念の文化による違いの研究を可能にした。多くの研究が、公正世界信念が文化の違いによらないことを示した。ある研究では、12か国の学生たちの公正世界信念を検証した。この研究で、住民の大半が無力であるところでは、他の国よりも公正世界信念が弱いことがわかった。[39] これは公正世界信念の理論を支持する。というのは、無力であることは、より個人的であり、世界が公正でも予測可能でもないことを証拠づける社会的経験であるからだ。[40][要明確化]
初期研究の多くが、公正世界信念のネガティブな社会的影響にフォーカスしてきたが、他の研究は公正世界信念が良い効果を持つ、あるいは必要であると示唆してきた。[41] 公正世界信念は、より大きな人生の満足感や幸福と関連し、鬱病との関連が小さかった。[32][42] 研究者たちはアクティブに、公正世界信念と精神的健康が関連している可能性があることの理由を探求してきた:そのような信念は、日常生活でのストレスやトラウマ的な出来事を緩衝する個人的リソースあるいは対処戦略となりうることを示唆している。[43] この仮説は、公正世界信念がポジティブな幻想として理解できる可能性を示唆している。[44]
相関研究は、公正世界信念が内的統制(internal locus of control)とも関連していることを示した。[17] 強い公正世界信念は、ネガティブな出来事をより受け入れ、それに不満を持たないことと関連している。[43] これは、公正世界信念が精神的健康に影響を及ぼす一つの方法である可能性がある。さらに別の研究は、この関連が自分自身に対する公正世界信念とだけ保持されていることを示唆している。他者についての公正世界信念は、被害者叩きのネガティブな社会現象や被害者に対する低評価といった他の研究で観察された結果を関連している。[45]
Lernerの萌芽的研究から40年以上、研究者たちはこの現象を研究し続けている。研究は主に米国や欧州や豪州やアジアで続けられている。[7] ドイツの研究者たちが最近の研究に非常に大きく貢献している。[3] 彼らの研究成果は、Lernerとドイツ人研究者編集の「Responses to Victimizations and Belief in a Just World」に収録されている。[46]
Just-world hypothesis (2014/08/09時点, 2016\10時点の項目追加)
公正世界仮説あるいは公正世界誤謬は、「人間の行動は常に道徳的に公正かつ、その人物に見合った帰結をもたらすので、高貴な行動は最終的に報われ、悪しき行動は最終的には懲罰される」という認知バイアス(あるいは仮定)である。言い換えるなら、公正世界仮説は、「帰結を道徳的なバランスを復元する普遍的な力のせいにする、あるいはその結果としての帰結を期待する」傾向である。誤謬たるゆえんは、これが(多くの場合、意図せずに)宇宙正義や運命や神の摂理や報いや安定性や秩序の存在を意味し、その不幸に値するのだという理由で人々の不幸を合理化するの役立つかもしれないという点にある。
この仮説は、"You got what was coming to you"や"What goes around comes around"や"You reap what you sow"などの、否定的報復を保証する英語の比喩表現に広くみられる。1960年代初頭にMelvin J. Lernerによって行われた、公正世界の信念についての独創的研究以来、この仮説は社会心理学者たちによって幅広く研究されてきた。[1] それ以来、研究は続けられ、多様な状況や文化を超える仮説の予測能力が調べられ、公正世界信念の理論的理解の明確化と拡張が行われてきた。[2]
Lernerは、否定的な社会的及び社会に関する相互作用を探求する社会的心理学のコンテキストで、正義の信念と公正世界仮説を研究した。[3] Lernerは自らの研究をStanley Milgramの服従についての研究の延長とみなしていた。彼は、残虐と苦痛を引き起こす体制を人々が支持し、不幸と苦痛を作り出す社会規範と法を人々が受け入れる理由を見出そうとした。[4]
Lernerの探求は「苦痛に対する被害者叩きをする観察者の傾向」を繰り返し目撃したことの影響されている。彼は心理学者として臨床教育を受けていたとき、彼といっしょに仕事をしていた療法士たちが精神障害者を治療するのを見ていた。療法士たちが心優しく、教育を受けた人々であることはわかっていたが、療法士たちは度々、患者自身の苦痛について患者を責めていた。[5] また、Lernerは「貧困に一因である構造的力に気づいていないようで、貧困層を叩いている」学生たちを見て、驚いたと記述している。報酬についての研究で、彼は「2名の男性のうち1名をランダム選んでタスクの法報酬を受けるとき、たとえ観察者に報酬を受け取る者がランダムに選択されていると知らされていても、観察者は報酬を受け取った人物を良く評価する傾向がある」と見た。[6][7] 認知不協和を含む既存の社会心理学理論はこれらの現象を完全には説明できなかった。[7] これらの現象をもたらすプロセスを理解したいという欲求から、Lernerは、現在では公正世界仮説と呼ばれるものについての実験を行った。
1966年に、Lernerと共同研究者たちは「被害に対する観察者の反応」を探求するショックパラダイムを使った一連の実験を開始した。これらの一連の実験の最初の実験はUniversity of Kansasで行われ、その実験で、72名の女性被験者たちは、多様な条件のもとで電気ショックを受ける人物を見せられた。最初、被験者たちは苦痛に見えるものを観察すると苛立った。しかし、苦痛が続き、被験者たちは介入できないままにされると、被験者たちは被害者の評価を落とし始めた。そして、その被害者の苦痛が大きく見えるほど、被験者たちは被害者の評価を大きく落とした。しかし、被害者がその苦痛の補償を受け取っていると聞かされると、被験者っちは被害者の評価を落とさなかった。[4] この一連の研究でのLernerと共同研究者たちの発見は、他の研究者たちによって再現された。[6]
これらの研究の発見を説明するために、Lernerは「公正世界についての広まった信念が存在する」と理論化した。公正世界(just world)とは、「行動と条件が予測可能で、適切な帰結を持っている」世界である。これらの行動と条件は典型的には個人の行動あるいは態度である。特定の帰結に寄与する特別な条件は、社会的規律とイデオロギーによって社会的に決定される。Lernerは公正世界信念を機能するものとして提示した:
- 人は予測可能な方法で世界に影響を与えることができるという考えを保持する。
- 公正世界信念は行動の結果に関する世界との「契約」の一種として機能する。
Lernerは「人々が自らを幸福であり続けさせるために、公正世界を信じることは極めて重要である」と仮説した。しかし、人々は世界が公正ではないことを示す証拠に日々直面している: 特に理由がないのに人々は苦しんでいる。Lernerは「人々は公正世界信念への脅威を排除する戦略をとる」と説明した。これらの戦略は合理的なものも、非合理的なものもありうる。合理的戦略には不公正な現実を認めて、不公正の防止したり、不公正に対する賠償を与えようとしたり、自らの限界を認めるといったものがある。非合理的な戦略には、起きた出来事の否定や取消や再解釈などがある。[要出典]
出来事と公正世界信念をフィットさせることができる再解釈のモードはいくつかある。アウトカムや原因や被害者の人格などを再解釈できる。無実の人々の苦しみという不正義を観察するケースでは、出来事の認識を再構成する主たる方法は「苦しんでいる被害者を苦痛に値するものと再解釈すること」である。[1] 特に、観察者は「苦痛が被害者の行動や特性によるものだ」と被害者を叩くことがある。[6] 公正世界信念についての多くの心理学研究は、異なるコンテキストでの「被害者叩きというネガティブな社会現象及び、被害者の評価を落とすこと」にフォーカスしてきた。[2]
このような思考の追加的効果は、「自分たちが評価をとすような行為あるいはネガティブなアウトカムを起こすようなことをしていないと考えているので、個人的に脆弱なことを経験をしていないのだ」と思えることである。[2] これは社会心理学者たちが観察している、自己奉仕バイアス(self-serving bias)と関連している。[8]
多くの研究者たちは公正世界信念を原因帰属の一例として解釈している。被害者叩きでは、被害の原因は、まわりの状況ではなく個人に帰属させられる。したがって、公正世界信念の帰結は、原因帰属の特定パターンに関連しているか、それによって説明されるかもしれない。[9]
被害者の評価を落とすことについて、代替的説明を示唆する者もいる。ある者は、「評価を落とす効果は被害者の特性についての正しい判断に基づいている」と示唆する。特にLernerの最初の研究に関して、「自らへの理由なき電気ショックを容認している人物の評価を落とすことは、観察者にとって合理的である」という仮説を提示した。[10] 「被験者は、被害者が実際に苦しんでいるときのみ、被害者の評価を落とす」が「被害者が苦痛の継続に同意したが、実際に苦痛を与えられていない場合は、被験者は肯定的に評価する」ことを示した、これに続くLernerの研究は、この仮説にチャレンジした。[11]
公正世界仮説の発展初期の頃に、被害者の評価を落とすことについての代替的説明が提唱された。これは、観察者が自分自身の罪悪感を低減するために、被害者の評価を落としたというものである。観察者が状況あるいは実験に関与すると、観察者が被害者の苦痛に責任や罪悪感を感じる。その罪悪感を低減するために、被害者の価値下げを行う。[12][13][14] Lernerと共同研究者たちは、この解釈を支持する適切な証拠ではないと主張した。彼らは「実験プロセスに関与しておらず、罪悪感を感じる理由がないがない観察者であっても、被害者への評価を落とす」ことを示す研究を行った。[6]
「被害者非難」などの戦略は、苦痛を見た後で、不快感を軽減する方法ともなりうる。これは、主な動機が、公正世界信念の修復ではなく、共感によって引き起こされた不快感の軽減であることを意味する。研究は「被害者非難は、それに続き支援活動を抑制しないこと」を示し、「責任の割り当ての際に、被害者が重要な役割を担っている」ことを強調している。Ervin Staub[47]によれば、もし公正世界信念の修復が主たる動機であるなら、被害者の価値下げは、補償の削減につながるはずである。実際には、補償の量は、価値下げの後でも前でも、実質的違いはない。感情的な反応の減衰と、共感の欠如のため、サイコパスは公正世界の維持戦略の欠落と関連している。[48]
Lernerの最初の研究のあと、他の研究者たちがこれらの発見を、個人が被害者になる別の状況で再現した。1970年代に始まり、今日まで続く研究は、「交通事故やレイプや家庭内暴力や病気や貧困のようなランダムな災厄の被害者に、観察者がどうのように反応するか」を探求してきた。[1] おおよそ、研究者たちは「罪なき被害者の苦痛を観察した人々に、苦痛の被害者の評価を落とし、被害者を叩く傾向がある」ことを発見した。したがって、観察者たちは、被害者の特性に対する認識を変えることで、自らの公正世界信念を守った。[15]
1970年代初頭に、社会心理学者Zick RubinとLetitia Anne Peplauは、公正世界信念の計測指標を開発した。[16] この計測指標及び1975年の改訂版により、公正世界信念の個人差の研究が可能になった。[17] この後の大半の公正世界仮説研究はこれらの計測指標を使っている。
研究者たちは、レイプなどの暴力の被害者に対して観察者たちがどう反応するか調べた。レイプと公正世界信念のついてのLinda Carliと共同研究者たちの初期段階の実験では、2グループの被験者たちは、男女関係についての物語を与えられた。物語の記述はエンディング直前までは同じである。一方のグループには中立的なエンディングが、もう一方のグループには「男が女をレイプする」エンディングが提示された。被験者たちは、レイプエンディングを不可避なものと判断し、物語の女性を彼女の特性ではなく、行動に基づいて叩いた。[18] この発見は、レイプエンディングとハッピーエンディング(結婚のプロポーズ)を使った実験などでも繰り返し再現された。[2][19]
他の研究者たちは、パートナー虐待の判断についての同様の現象を見出した。ある研究では、「観察者による暴力の被害女性叩きが、関係の親密さとともに増大する」ことを発見した。観察者たちは、最も顕著な暴力のケースである、男性が知人を襲った場合のみ、加害者の男性を叩いた。[20]
研究者たちは、いじめの理解に公正世界仮説を使った。これまでの公正世界信念についての研究からすれば、観察者はいじめの被害者の評価を落とすと予測されたが、実際は逆だった:公正世界信念が強く観察者ほど、反いじめの態度を強く示した。[21] 他の研究者たちは、強い公正世界信念と、いじめ行動の低水準が関連していることを見出した。[22] この発見は、行動を支配する「契約」として機能する公正世界信念というLernerの理解と整合している。公正世界信念は学校環境における子供や成人の幸福の防御的に効果を持ち[23]、これは一般人についてめ示された。
他の研究者たちは「病気の人は、その病気に責任があると、観察者が判断する」ことを見出した。ある実験では「多様な病気に苦しむ人の魅力指標を健康な人よりも下げる」ことが示された。健康な人々と比べて、消化不良や肺炎や胃癌の人々に対する評価が下げられていた。さらに、癌以外の重い病気に対して、大きく評価が下げられることがわかった。[24] 公正世界への強い信念と、AIDS患者に対する評価低下に相関があることがわかった。[25]
さらに最近、研究者たちは公正世界仮説のレンズを通して、人々が貧困にどう反応するか探求した。強い公正世界信念は貧者叩きと、弱い公正世界信念は経済制度や戦争や搾取のような貧困の外部原因を特定することと関連していた。[26][27]
いくつかの公正世界信念についての研究は、自分自身が被害者となったときに人々がどう反応するかを調べている。Dr. Ronnie Janoff-Bulmanの初期の論文は、「レイプの被害者が、被害を受けたことについて、自分自身の特性ではなく、行動を責めることがよくある」ことを発見した。[28] これから、自分自身の行動を責めることは、出来事をよりコントロールできるからだという仮説が作られた。
暴力や病気や貧困やその他の被害者たちについての研究は、観察者の公正世界信念と苦痛についての被害者叩きの傾向の関連を支持する一貫した結果を出している。[1] 結果として、公正世界仮説は広く受け入れられることになった。
その後の公正世界信念の測定についての研究は、信念の多次元性の特定にフォーカスした。これらの成果は、公正世界信念の新たな計測指標の発展と新たな研究へとつながった。[2] 公正世界信念の仮説次元には不公正世界信念[29]や、内在正義や究極正義[30]や、正義への希望や正義を低減する能力への信念[31]などが含まれる。また、別の研究は、公正世界信念がは荒く別のドメインを見出すことにフォーカスした:人々は、個人ドメインや社会政治ドメインや社会ドメインなどに、異なる公正世界信念を持っているかもしれない。[25] 特に成果のある識別は、自分自身についての公正世界信念(個人)と他者に対する公正世界信念(一般)の識別である。これらの異なる信念は健康と違った形で関連している。[32]
研究者たちは公正世界信念の計測指標を使って、高い公正世界信念と低い公正正解信念が何と相関しているか調べた。
限定的な研究が、公正世界信念とイデオロギーの相関を調べた。これらの研究は、右翼権威主義及びプロテスタントの勤労倫理などと、公正世界信念の社会政治的な相関を見出した。[33][34] さらに研究は、公正世界信念が宗教面と相関していることを見出した。[35][36]
ジェンダーや人種などデモフラフィックな違いについての研究は、系統的な違いを見出さなかったが、黒人及びアフリカ系米国人の公正世界信念が弱いことという人種的差異を示唆した。[37][38]
公正世界信念の発展は、公正世界信念の文化による違いの研究を可能にした。多くの研究が、公正世界信念が文化の違いによらないことを示した。ある研究では、12か国の学生たちの公正世界信念を検証した。この研究で、住民の大半が無力であるところでは、他の国よりも公正世界信念が弱いことがわかった。[39] これは公正世界信念の理論を支持する。というのは、無力であることは、より個人的であり、世界が公正でも予測可能でもないことを証拠づける社会的経験であるからだ。[40][要明確化]
初期研究の多くが、公正世界信念のネガティブな社会的影響にフォーカスしてきたが、他の研究は公正世界信念が良い効果を持つ、あるいは必要であると示唆してきた。[41] 公正世界信念は、より大きな人生の満足感や幸福と関連し、鬱病との関連が小さかった。[32][42] 研究者たちはアクティブに、公正世界信念と精神的健康が関連している可能性があることの理由を探求してきた:そのような信念は、日常生活でのストレスやトラウマ的な出来事を緩衝する個人的リソースあるいは対処戦略となりうることを示唆している。[43] この仮説は、公正世界信念がポジティブな幻想として理解できる可能性を示唆している。[44]
相関研究は、公正世界信念が内的統制(internal locus of control)とも関連していることを示した。[17] 強い公正世界信念は、ネガティブな出来事をより受け入れ、それに不満を持たないことと関連している。[43] これは、公正世界信念が精神的健康に影響を及ぼす一つの方法である可能性がある。さらに別の研究は、この関連が自分自身に対する公正世界信念とだけ保持されていることを示唆している。他者についての公正世界信念は、被害者叩きのネガティブな社会現象や被害者に対する低評価といった他の研究で観察された結果を関連している。[45]
Lernerの萌芽的研究から40年以上、研究者たちはこの現象を研究し続けている。研究は主に米国や欧州や豪州やアジアで続けられている。[7] ドイツの研究者たちが最近の研究に非常に大きく貢献している。[3] 彼らの研究成果は、Lernerとドイツ人研究者編集の「Responses to Victimizations and Belief in a Just World」に収録されている。[46]
- Lerner, M.J. & Montada, L. (1998). An Overview: Advances in Belief in a Just World Theory and Methods, in Leo Montada & M.J. Lerner (Eds.). Responses to Victimizations and Belief in a Just World (1–7). Plenum Press: New York.
- Furnham, A. (2003). Belief in a just world: research progress over the past decade. Personality and Individual Differences; 34: 795–817.
- Montada, L. & Lerner, M.J. (1998). Preface, in Leo Montada & M.J. Lerner (Eds.). Responses to Victimizations and Belief in a Just World (pp. vii–viii). Plenum Press: New York.
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「いじめ行動の低水準」って所がよくわからない…学校内における犯罪行為を軽視しているということでしょうか…