(75-948)不器用な花


「……で、どうするつもり?」
「……やっぱりお分かりだったんですね」
「そりゃあね」

みちしげ君と春菜の前には、レコーダーがひとつ鎮座していた。
そこから流れてくるのは、あの日、鞘師君達の部屋で録音していた鞘師君と香音の会話だ。
幾度も聞いた会話だから、既に脳に焼き付いている。
鞘師君の冷静さを装った震え声も、直接聞いたことなど無い香音の涙を含んだ声さえも。
胸が痛みを伴う程に締め付けられる。感情に押し潰されそうになるのを懸命に堪える。

「正直なところ、知りたくなかったことが多過ぎて……」
「そう言うところをみると、調べはついたのね」
「はい」

春菜の視線は、何かを見詰めるように一点に注がれていた。
そのくせ、その目には何も映していないことは、みちしげ君には分かっている。

「………ショック?」
「ええ。自分の見る目の無さに」

みちしげ君と目も合わさずに春菜が答える。心なしか、声が震えている。

「仕方が無いんじゃない?あんた自身がモデルのオーディションした訳じゃ無いんでしょ」
「だからこそ、任せる人間の人選には気を遣った筈でしたのに……」
「あの世界に色んなしがらみがあるなんて予想の範疇じゃない」
「勿論、それをとやかく言う気はありません」
「さゆみや飯窪もしがらみを“使う”ことだってあるんだしね」

自嘲気味に、みちしげ君が言う。春菜もさすがにそれには頷く。

「そこは何かあるってだけじゃどうにも出来ないでしょ。業界にも“常識”っていうのがあるんだし」
「ですがまさかそれを隠そうともせずに使うなんて。スキャンダルにしても大き過ぎます」
「まぁ、ね」
「そのあたりは流石に承知して人選をすると思っていましたのに……」
「……」
「私の思惑がこれ程までに伝わらないなんて………」
「人を使うって、そういうことでしょ」
「ですが……」
「さゆみだって、何度も通った道だから」

表情を無くしたまま、のろのろと春菜が振り向く。

「今だって、多分、後悔することが多過ぎるくらいだから」
「……慰めてくださってるんですか?」
「まさか。強いて言えば、傷を舐め合ってる程度のことよ」

珍しく、みちしげ君が溜息を吐く。

「それに、さゆみだって自分の甘さに呆れてるんだから」
「ああ……………」

強張っていた春菜の表情が、少しだけ、緩む。

「小父様の子分のやくざ……のことですわね」
「うん。あれだけ言われたのに、まだ鈴木の様子を窺いながらあんなことをしてたなんてね……」
「流石にそれは私も驚きました」
「組長の言葉ひとつだけで気を緩めてたなんてね……」
「それは仕方が無いですわ。小父様の言葉に逆らうなんて考えられませんでしたもの」
「それが“甘さ”なんじゃないの」

ハッとしたように、春菜の表情が再び強張る。

「そう……ですね……」
「……………そこでまた落ち込むの?」

春菜は、それを聞いて顔を上げる。キュッと唇を引き結び、みちしげ君と目を合わせる。

「いいえ。これからのことを考えるのが先です」
「それでこそ飯窪財閥の跡取り娘ね。で、鈴木を脅してたあのモデルはどうするの?」
「ウチの……【S&H】の専属を外すのは勿論ですが、今後についてもお灸をすえなければ」
「そう」
「道重さんも、あのやくざの処遇はお決めになったんですか?」
「まあね。それで、あんたにはちょっと面倒を掛けなきゃならないけど……」
「小父様へのご連絡でしたらお任せください。ホットラインはいつでも繋がってますから」
「悪いけど頼むわね」

順風満帆な人生の筈だった。
新興ではあるが、財閥の後押しがあるブランドの専属モデルに選ばれたばかりだった。
その日、突如社長からの呼び出しを受け、所属するモデル事務所に急いだ。
扉を開けると、ソファーには、見慣れぬ黒髪の女性が座っていた。
ドアが開く音と同時に、女性の向かい側に座っていた社長が飛び上がるようにして立ち上がる。
蒼ざめていた社長の顔が、振り向いた瞬間、みるみる真っ赤に染まる。
ひとつ、ふたつ、みっつ、と、こちらを向いたまま荒い息を吐く。
キッと、目を合わせられた。こんな目をした社長は、知らない。
血走ったままの目で、こちらを睨みつける。

「何てことをしてくれたんだ!」

黒髪の女性がゆっくりと立ち上がった。

「社長さん。そう、興奮なさらずに」
「ですが……」
「それよりも、この方とお話をさせて戴けますかしら?」
「は!それはお望みのままに」
「社長さんもお話を聞いていていただけます?」
「勿論でございます。それは、仰せのままに」
「それでは、立ったままのお話もなんですから……」

その言葉を受け、急いで社長が女性に椅子を勧める。女性に向かい合い、社長と並んで腰を下ろす。

「自己紹介がまだでしたね。初めまして。飯窪春菜です」
「飯窪……………?」

聞き覚えがある名前だが、思い出せない。いらいらしたように、社長が口を挟む。

「お前が専属になる予定だった【S&H】のオーナー様だ。後ろ盾である飯窪財閥の次期当主でもある」
「あ…オーディションのとき不在だった………」
「ええ、サンフランシスコ支店の立ち上げで多忙だったもので。あの時は失礼いたしました」

軽く頭を下げる。

「お、お嬢様!そのような勿体無い………」

滑稽な程に社長が慌てふためき、コメツキバッタのように幾度も頭を下げる。

「ところで」

ひた、と、強い視線を当てられる。ビクッと、作り笑顔が強張る。

「先日伺ったお話なのですが、中学生の女の子とトラブルがあったとか」
「と、トラブル……」
「正確なことを言うと、やくざを使って中学生の子を脅されたそうですね」
「な、何を……」
「残念ながら、調査済みです。こちらに証拠が残っていますわ」

ポータブルプレーヤーを取り出し、動画を再生する。パーティールームでの、あの日の話し合いが鮮明に映し出される。
顔がはっきり判別できる。誰が何を言っているかもはっきり聞き取れる。
売り飛ばす先のソープの店名すら出てしまっているのだ。逃げ道など、ある筈がない。

「こちらのパーティールームは、ウチの系列です。トラブル防止のために室内を録画しています」
「………」
「よりによって、こんなところで不用意にお話をなさるなんて、ねぇ」
「………」

「ところで、これは個人的なことですが、この方が脅した中学生の子は、私の大切な学友なんです」
「「えっ!」」

社長と同時に声を上げる。

「だから、何があったのかが私の耳にも入って来たんですよ」

その言葉が、遠くから聞こえるような気がする。体が震える。目の前がチカチカして何も見えなくなる。

「学友云々、はさておいても、反社会的な方と関わりをお持ちの方にウチが関係するのは歓迎致しませんね」
「と、当然でございます!」
「では、ウチの専属の件は………」
「勿論、外させていただきます!この者とウチとの契約も解除致します!」
「ええ。代わりの方の人選はお任せしますわ。それと……」

その言葉を受け、心なしか、社長がホッとしたように表情を緩める。

「その子は、実はその後のことも含めて、大変な恐怖を味わったのです。具体的には差し控えますが」
「な、何ですと!」
「そこで、個人的な感情を含んでしまいますが、この方の処遇をお任せいただけませんか?」
「無論にございます!お嬢様の、お望みのままに!!」

「若、こちらでございます」

だだっ広く暗い中に、妙に冷静な声だけが響く。
不意に光が射す。暗闇に慣れた目には、ほんの僅かな光でも涙が滲む。
妙に軽い規則正しい足音と、蹌踉としたようなやや乱れた足音が響く。
足音の方に目を向けると、ふたりの人物が案内されながらこちらに歩いてくるようだ。
パッと、ライトが点いた。
目が痛い。幾度も瞬きをして顔を上げると、見慣れない女の様な顔立ちをした若い男が居る。
そして、隣にもうひとり。見慣れた鋭い眼光に射られ、体中から冷や汗が噴き出す。
目を逸らしたいのに逸らせない。逃げ出したいが、手足を縛られている所為で動けない。

「手前、命が惜しくないようじゃのう!」

「まあまあ、ちょっと落ち着いて」
「しかし若様」
「怒鳴ったって響かないんじゃない?あのときにあれだけ言っても堪えてないんだから」
「しかしこれは、我々にとっては破門者にシマを汚されたようなものでして……」
「それはそちらの都合よね」
「は……正しく……………」

組長は、流れ出る汗を拭きながらみちしげ君と話をしている。

「それよりも、用意したものがあるの。クロ」
「は」

それまで黙って控えていた黒服が、傍らに置いていたものを広げる。

「若様、これは………」
「特注で作らせたの。いまどきはこんなものでも結構するのよね」

広げられたのは、新品の筵だった。

「これは……本物の……」
「まぁ、ね。折角の機会だし」

人数分広げられた筵に、屈強な男たちに突き飛ばされるようにして座らされる。
尤も、手足の自由が効かないから自力では移動できないのだが。

「じゃ、ちょっとこいつらについての話でもしましょうか」
「聞くところによると、こいつらはまだ鈴木の周りをうろちょろしてたそうね」
「鈴木……と仰いますのは?」
「組長が見た、あの中学生の女の子よ」
「ああ……」
「あのとき、鈴木はすんでのところでソープに売り飛ばされる直前だったってことじゃない」
「は……」
「今回はもっと悪質よ。鈴木がひとりになるところを狙って、自由を奪う為にクロロホルムまで用意して」
「何ともはや……」
「しかもその資金は、家出娘に美人局をさせて稼いでたそうね」

組長の顔が歪む。

「何ですと!」
「知らなかったの?」
「誠に面目ないことで……若様は、それをどこで?」
「そこはそれ。蛇の道はヘビ、ってところかしら」

呆然とし、顔面蒼白になった組長に、畳み掛けるようにみちしげ君が言う。

「さゆみがお話し出来るのはこの一帯を束ねる総長だしね」
「は………」
「流石にそれは段階としては違うから、今回は組長と直接お話し出来るように飯窪に頼んだの」
「それについては、若様には大変なご配慮をいただきまして……」
「ま、総長に知られたら組長もただでは済まないものね」
「は。今の段階ですら総長に隠退届を出さねばと思っているくらいのものですから……」
「それは困るわよ。組長には今後もこの辺を纏めて貰わないと。勿論、今まで以上に気を引き締めて、ね」

ぴしりと、みちしげ君は組長に釘を刺す。

「ところで、鈴木のガードはそれなりにしてたようだけど、こいつらの見張りはどうしてたの?」
「温情でございますが、この者共の兄貴分にさせておりまして……」
「で、色んなことを見逃してたのね」
「申し開きのしようもございません」
「それで、その兄貴分はどうしたの?」
「指を詰めて詫びを入れて来たので、金バッジと役を取り上げるだけで済ませました」
「あら、随分思い切った処分ね。金バッジ持ちならそれなりの役が付いていたでしょうに」

「それじゃ、そろそろ処分の話に入りましょうか」
「そんなものは、言うまでもありません。若様」
「どうするつもり?」
「折角大枚をはたいて作っていただきましたが、この筵を使わせていただいて簀巻きに……」

………やっぱり、これが棺桶になるのか。
身の震えは止まらないが、捕らえられて拘束されたときから、覚悟は出来ていた。
下に使っているチンピラ達はわめきながらみっともなく命乞いをしている。
が、せめて自分だけは、以前に貰ったバッジにかけて、泰然として死を受け入れ

「あら、それはダメでしょ」
「若様?」
「死ぬのは一瞬で終わりだもの」
「は?」
「こいつのしでかしたことを後悔する時間だって与えられないでしょうよ」
「は、はぁ」
「それじゃ罰にはならないの」

すらっと言い切るみちしげ君の口元には、微笑が漂っている。
これには、縛り上げられている数人も、組長ですら、背筋が凍る程の恐怖を感じた。

「では、若様はいかがお取り計らいに?」
「実はね、“船”に空きがあるの」
「“船”……でございますか?」

組長は、キョトンとした表情を見せる。“若様”は、こちらに微笑を湛えたまま、振り向く。

「心当たりは無ぁい?」

ハッとした。
そう言えば、兄貴分に言われて、何人もの男を密輸船などの“船”に送ったことがある。
女代わりの慰みものにされたり、殴られ蹴られて憂さ晴らしのサンドバッグにされたり、食事すら満足に与えられない。
それこそ、死ぬ以外の全ての苦痛がそこにはある………。

「そこでゆっくり反省してもらいましょ」

足の拘束を解かれ、乱暴に引っ張り上げられて立ち上がらされた。
肩を小突いて歩かされるときには、目の前が真っ暗になり、抵抗する力すら失っていた。



「やっぱり甘かったかなぁ………」

うさぎの絵を描かせたカフェラテをひと口すすり、みちしげ君が呟く。

「本当に………」

ジャージー種のミルクを使った濃厚なロイヤルミルクティーをひと口飲み、春菜が答える。

春菜は、あの後、事務所を解雇されたモデルにアイマスクを掛け、スモークガラスの車に押し込んだ。
そして、丸2日、あちこちを走り回らせて、何処とも告げず、日本海にほど近い田舎町に下ろした。
そこで【S&H】が使っている繊維工場に紹介された、地元のブティックに住み込み店員として彼女を放り込んだのだ。

「まぁ、東京を離れて何処だか分からない田舎に移しただけでも上出来よ」
「そう、ですか………」
「都会暮らしに慣れた身じゃ、田舎暮らしだって結構堪えるわよ。さゆみだって、さ………」

そう言うと、みちしげ君は自嘲気味な笑みを口元に浮かべる。

みちしげ君は、あの後、暴れるやくざとチンピラ達を無理やり埠頭に連れて行った。
そして、子会社が所有する貨物船の船長と、打ち合わせ済みの茶番を演じて彼らを震え上がらせた。
そこで、その貨物船に下働きとして彼らを放り込んだのだ。

「日本を離れて、殆どを海の上や言葉が通じない海外で過ごすことを考えると、あの方々も充分堪える筈ですわ」
「食事はちゃんと出すし、暴力はさゆみの美学に反するから禁止してるし……って状態だけど?」
「それでも甘い汁を吸い続けた身には辛いんじゃありません?待ち構えてるのは真っ当な重労働なんですし」

顔を見合わせ、ふたり同時に吹き出す。

「さ、これでさゆみもあんたもしがらみにどっぷり浸かり切った、って訳よね」
「ええ。ですからこうやってお話出来るのも最後になるかもしれませんね」
「そうね。逃げ続けてた縁談も、もう避けられないでしょうし」
「あ、やっぱり噂の伏見家の……」
「そうなのよ。旧皇族から話が来るなんてね。飯窪だって、国際結婚の話があるんでしょ?」
「ええ。ロスチャイルドの一族からお話をいただくなんて思ってもいませんでした」
「それじゃ、一緒に食事でもしてさ、最後の自由を満喫しましょうか」
「光栄です!ここのコースメニューはデザートも含めてわりと評判が良いんですよ」
「では、ダイニングへご一緒に参りましょうか。エスコートいたしますよ、飯窪のお嬢様」





フィフス・エスコート〜〜『不器用な花』外伝 其の壱〜〜       了
 

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