わたし、小田さくらは深くため息を吐いてエレベーターの壁に寄り掛かった。

「はあ……今日は疲れた」

被っていた制服の帽子を脱ぐ。
わたしはヤ○ト運輸の配達員をしている。
再配達で夜間指定をされたお宅が五軒あって、あちこち配達していたら、いつもより遅い時間に帰宅となった。
エレベーターは淀みなく上昇し、自宅である6階まで運んでくれる。
夕飯は食べていないけれど、疲労感で食欲なんて無い。それより眠い。
帰ったら野菜ジュースだけ飲んで、お風呂に入って、さっさと寝てしまおう。明日もお仕事なんだから。
そんなことを考えていると、エレベーターは6階に到着した。
疲れた足を引きずるように、部屋まで歩いていくと。

「うげ」

思わず変な声が出る。
けれどそれも仕方ないことだと思う、疲れているときに疲れる人間の相手はしたくないのが性というものだ。
わたしに変な声を出させ、疲れる人間こと、ライバル会社の佐○急便の配達員で青色好きのソイツは。
なぜかわたしの部屋のドアの前で青色のジャージに身を包んでしゃがんで寝ていた。
わたしは疲れた頭を回転させる。
あ……そっか、今日はコイツにご飯を恵んであげる日だったんだ。

青色好きの色白チビッコの一応男性のコイツ、石田は去年、車を買い替えた。
そのときの状況があまりにも哀れだったから、つい仏心が出てしまい、車のローンを払い終えるまで、
二日に一度の頻度でご飯を提供することにしたのだ。
で・今日はご飯提供の日。夕飯目当てでわたしを待っていて、そのまま寝てしまったのだろう。
たとえ疲れていても頭の回転は悪くないですからね、単純単細胞な石田の行動なんて簡単に分かりますよ。
そこまで夕飯が食べたいのなら、買い置きのカップ麺でも渡して、さっさと追い払ってしまおう。なにせわたしは疲れているのだから。

「ちょっと。起きてくださいよ」

肩を掴んで揺する。ゆっさゆっさと揺らすけれど、一向に起きる気配がない。
それどころか。

「ぐう……むにゃむにゃ……さゆみしゃん〜♪」

むかっ。

「とっとと起きろっ、バカ石田!」

理由の分からない怒りが込み上げ、思いきり頭をはたいた。
バコン! といい音を鳴らすと。

「ふが……?」

バカはようやく起きた。

「おはようございます、おバカさん」

まだ寝ぼけ眼の石田を見下ろしながら冷やかに言う。

「小田……? あー、あー。お前、帰ってくるのが遅いんだよ」

ふわ〜と大きなアクビをして立ち上がる石田。
わたしはそんな石田をどかして、鍵穴に鍵を差し込んで開錠した。

「わたしにもお仕事の都合がありますから」

それだけ言って、さっさと部屋に入る。石田は玄関に入ったものの、スニーカーを脱ぐことはしなかった。

「とにかく。わたしは今日は疲れていますから、自分の部屋でこれでも食べてください」

食糧棚を開けて、買い置きのカップ麺を一つ、玄関にいる石田に放り投げる。
石田はカップ麺をしっかりキャッチしたものの、指で耳の裏を掻きながら、まだ玄関から立ち去らなかった。
……カップ麺一つじゃ足りない、ってこと?
仕方ない、という思いを込めてため息を吐き、同じく買い置きのカップ焼きそばも手に取る。
今度は放り投げず、玄関まで行って呆れ顔で「ほら、これも」と差し出す。
石田は……受け取らない。

「……? 焼きそばは嫌いでしたか?」
「いや、貰えるなら貰う。けど、その……」

石田はなぜか言いよどむ。
もしかして……。

「ガスか水道が止まっているんですか?」
「お前は僕をどういう目で見ているんだ」

石田は少し怒った声になったが、わたしは平然と言い放った。

「毎月生活がカツカツの、リアル一か月一万円生活人間」

石田の顔が引きつる。

「小田……お前は本当に可愛げがないな!」
「貴方に可愛いと思ってもらっても嬉しくありませんから、光栄ですね」

すぐに言い返すと、石田はそっぽを向いてブツブツ呟きだす。
よく聞き取れないけれど、「こんなやつのために……使ってまで……」とか言っている。

とにかく、疲れる人間の相手をするほど、わたしもヒマじゃない。
ぐいぐい、カップ焼きそばを押し付ける。

「ほら、これも持って行っていいですから、今日は帰ってください。わたしはいつも以上に疲れているんですから」

その言葉に、石田は不承不承、という感じに焼きそばを受け取った。
と・思ったら。

ぽす。

……頭の上に、なにか冷たいものが乗せられた。

「それ、やる。受け取れよ」

石田がぶっきらぼうに言った。
恐る恐る頭上に両手をやって、乗せられたものを手に取る。
目の前まで降ろすと、それは保冷バッグだった。
石田の意図が読めないけれども、黙ってこっちを見ているので、バッグを開けてみる。
中に、入っていた物は。

「わあ……」

思わず感嘆の声が出る。
それは冷凍された二種類の小龍包だった。

でも、なぜこれを? そんな疑問が浮かび、石田を見ると、やや視線を外しながら早口で喋りだした。

「えーっと、今日は僕、休みだったんだよ。だから……
 その、横浜の中華街まで行って、大人気だって、評判のやつを買ってきてやったんだよ」
「そう、ですか。……でも、なぜ、わたしに?」

当然の疑問を口にしたつもりだったけれど。石田は唇を尖らせるだけでなにも言わない。
それでもわたしは石田が口を割るのを待つ。
待つ。
待つ。

「…………誕生日、プレゼントに決まってるだろ」

…………。

「石田、」
「なんだよ?」
「わたしの誕生日、まだ先なんですけど」
「3月生まれってことしか覚えてなかったし、僕の休みが今日だったんだから、別にいいだろ」
「……まあ、いいですけれど。でも、横浜まで行ったのなら、連れて行って、中華街で食べさせてくれてもよかったじゃないですか」

……! つい口から出た言葉に自分でも驚く。
こ、これじゃあ、石田とドライブして横浜中華街デートしたい、って言っているようなものじゃないですか!?
石田は目を丸くして、こっちを見ている。うう……その視線が痛い。
石田は呆れた口調で、

「ばーか。お前のことだから、あげた分の5倍は食うだろ。僕の財布がピンチになるっつーの」

と言った。
……どうやら、わたしの言葉を深くは捉えなかったようで安心する。

「というわけで。用はそれだけだから、引き換えにカップ麺と焼きそばは貰っていくぞ」

そう言って、石田はさっさと玄関から消えていった。
残されたのは白色と翡翠色の冷凍小龍包と、わたし。
静かにリビングに行き、テーブルに小龍包を置いた。
意味もなく部屋を見渡す。本棚にマンガと一緒に『新装版はじめての手編みマフラーの本』が入っている。
引き寄せられるように本棚に近付いて本を手に取る。ぱらぱらとめくって、冬までに間に合うだろうか、なんて考えてしまう。
やっぱり青色の毛糸で編んだほうが喜ぶのかな……。
そこまで考えて本を閉じる。そして本棚に戻した。
テーブルの小龍包に目をやる。
先ほどまでの疲労感は薄れていて、食欲が戻ってくる。

「……食べちゃえ」

キッチンに持って行ってフライパンを用意する。
油を引いて、小龍包を並べ、水を回しかけてフタをして蒸し焼きにした。
最後に1分蒸して、できあがり。
お皿に並べると、白と翡翠の色の対比が美しくて生唾を飲み込む。

「いただきまーす」

箸で小さく穴を開けてから口に放り込む。
パリパリ、ジューシーな皮・具・汁で口の中が幸せになる。
思わず笑顔になって、箸が止まらなくなる。


石田がくれた二箱の小龍包は呆気なくお腹の中に消えた。
食後のウーロン茶を飲みながら、ぼんやりと思う。
自分で焼いても美味しいですけれど、やっぱりお店で食べるのが一番なんですよね。
アイツ、本当に買いに行っただけで、自分では食べていないと思うんですよ。
だから……その……アイツに本物の美味しさを教えるために中華街に一緒に行ってやっても……まあ、いい、です、よ?
あ、横浜まで行くのなら実家に寄ってもいいなぁ……。
今度の休みには実家に行こうかな。

…………

近い未来に。
石田クンと小田さんが二人で横浜中華街デートをする日がくるかもしれない。

そして。それより後の未来に。
石田クンが小田さんの実家に二人で行って、ご両親にご挨拶する日がこないこともない、のかもしれない。

未来は誰にも分からない。
だからこそ。二人がどんな道を歩むのかは無限大の可能性があるのだ。





フライング・バースデー 終わり。
 

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