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第二次世界大戦終結直後、フランスは本土から遠く離れた戦争に巻き込まれました。1946年にアジアのインドシナ半島で勃発したインドシナ戦争です。
主戦場は沼地やジャングルが多いベトナムだったため、陸軍では軽戦車の高い需要がありましたが、自国降伏前の軽戦車はほとんどがドイツに奪われており到底満たせませんでした。難儀している同盟国を見て、アメリカはフランスが必要としているLVT-4水陸両用装甲車の購入を提案しますが、ここでフランス軍の偏屈さがぶり返し、「我がフランスもビッグファイブの一員としてプライドがある!我々は独自の水陸両用戦車を開発するので、LVT-4なんてショボいのは買わん!」などとのたまってしまいます。
そして早速新型水陸両用軽戦車の要求仕様を提出します。重量11トン以下で、オフロードと水陸両用性能が高く、砲塔には75mm榴弾砲搭載が求められました。
1950年4月、フランス国営企業スネクマ(Snecma)の子会社であるヴォワザン(Voisin)がこの案件引受を表明しました。設計作業は順調に進み、1952年には軟鋼製の試作車を製作、翌年にはサルトリでの試験のためフランス軍に引き渡されました。
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その試作車CA-11は、重量12.5トン、車体は重量の割にサイズが大きく、軽戦車というよりWW2の中戦車に近いものでした。6対の荷重輪の上に3つの箱型の物体が取り付けられており、これは車輌の浮遊能力を高めるための物です。車体後部には8気筒10.857Lで、3000rpm、300hpのエンジンを搭載しています。最高速度は路上54km/h、水中12km/hでした。
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ですが砲塔はヴォワザンが設計してものではなく、無名なサジェム社に委託されたものでした。砲塔は溶接構造で、上部のドームには8つの観測窓が設置されており、設計図では砲塔内に2名が収容可能です。
残念ながら、CA-11で使用された75mm榴弾砲の型式は不明で、資料に記載されている発射速度や形状から、パナール178B装甲車のSA-45 75mm砲に類するものとの見方が強いようです。弾薬は同じ物です。また、右側にMAC31 7.5mm同軸機銃が装備されています。
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CA-11は悪くないデザインでしたが、形になったのは1953年の事です。すでにインドシナ戦争は佳境に入っていました。
前線のフランス兵らは「ビッグファイブのプライドも、『自国開発戦車』の栄光もどうでもいい。LVT-4がショボいって?未だに本国でいじくり回してるCA-11はどうなんだ?こっちじゃもうLVT-4を購入してるよ!!」と騒ぎ立てていました。
最後にインドシナ戦争におけるフランス軍の写真を添付します。
![](https://image02.seesaawiki.jp/m/z/metalwaltz/W2O7gFQtO5-s.png)
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LVT-4じゃないか、真香!!!!
(訳注:「真香」は中国のネットスラングで、直訳だと「美味い」(北方方言)だが、強がりを覆した時に自分への自嘲や相手への嘲笑の意味などで使う(用途の範囲はかなり広いようだ)。日本語だと対応する語句は特に思い当たらなかった。)
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