あらゆる架空国家が併存するモザイク世界

今春亭馬笑(こんぱるてい ばしょう)
愛称「落語界の無法者」「鬼の馬笑」
本名岩倉友清
性別
年齢35歳
種族人間
身長160センチメートル
体重55キログラム
誕生日8月30日
血液型B型
職業扶桑国 落語家(噺家)
宗教神道、仏教
趣味漢詩
言語扶桑語

概要

今春亭馬笑は、扶桑国を代表する落語家(噺家)の一人である。反骨精神旺盛な無頼派として知られる。

略歴

今春亭馬笑は江戸時代中期、下級公家の三男として生まれる。家業は中国の漢詩をまとめる仕事であった。封建制度の江戸時代の中でも、公家は家格(家のランキング)で全てが決まる世界。自身の家は下から数えたほうが早く、幼い頃からひどい差別やいじめを受けて育った。また石高も低く、彼の家は博徒を家に招き賭博を行い、アガリを収入とするなど一歩間違えれば罪とされかねないことも行っていた。馬笑は幼少期に博徒と交流し、酒と博打を覚えた。

転移、曽呂利真太郎への弟子入り

10代後半ででモザイク第2地球、イタリア半島のサルディーニャ島(後の蓬莱島)へ転移する。彼は戸惑うも、一生懸命公家としての仕事を果たそうとした。しかしまだ若年であったため、朝廷の中心人物には据えられず、鬱屈した日々を過ごす。
扶桑国建国後、たまたま用事で室町京へ赴いた馬笑は曽呂利真太郎の寄席をたまたま見、始めて見た芸に驚愕する。その後寄せに毎日通った彼は、ちょうど1年後に曽呂利真太郎に弟子入りを志願した。

破門と復帰

馬笑は曽呂利真太郎に弟子入りし、初名は「曽呂利新十郎」を名乗った。前座として兄弟子を手伝いつつ落語を覚えていったが、一方で前座時代から僅かな給金で安い居酒屋を飲み歩いており、兄弟子から「生意気だ」と不興を買うこともあった。ある日、二日酔い状態で稽古を受けに来た新十郎を見た真太郎はこれを一喝し、その日は一切口を利かなかった。新十郎が謝罪したので真太郎は許したものの、しばらくして彼はあろうことか師匠である真太郎から金を借り、しかも博打で使い込んでしまうという事件をおこし、真太郎から破門を言い渡されてしまう。
新十郎はその後1年、「飲む・打つ・買う」を絶って落語漬けの日々を送った。ちょうど一年目、寄席の帰りに真太郎に土下座し、復帰を申し出る。「戻るところは落語しかありません」と言う新十郎に、「ふざけんじゃねえやこの野郎、それがてめえの了見かい」と食ってかかろうとした兄弟子の小太郎(後の梅亭鶯志)を真太郎は止め、「分かった。とはいえ、しくじりは一度っきりにしとけ。二度目はねえぞ」と言い、復帰を許したのであった。

「今春亭馬笑」襲名、独立

とはいえ、1年断った程度では、自身の性根が変わるわけでもなく、新十郎は「飲む・打つ・買う」を節度を守って続けていた。しかし、真太郎の逆鱗に触れるような「しくじり」は行わなかったし、反骨精神から来る自身の落語は独特の個性とファンを持つまでになっていた。それに気づいた真太郎は真打ちへ昇進させ、独立を示唆する。新十郎は、能の「金春流」から「今春亭」、そして「塞翁が馬」の故事から「塞翁」を取ろうとしたが、自身は若年であったため「馬笑」を名乗った。
独立し、「師匠」と呼ばれるようになってからも、馬笑は安い居酒屋でしたたかに飲んだり、休日は鉄火場で丁半博打に熱中したり、という日々を送っている。馬笑の前座の弟子が最初にする仕事は、酔っ払った馬笑を家まで送り届けることであるという。
しかし一方で中国の古典に詳しいという一面を持つ。弟子の名前は中国の故事から取ったものである。

出囃子

出囃子は端唄「さつまさ」。

芸風・得意ネタ

馬笑の芸風は一言で言えば「無頼派」そして「アウトロー」である。バレ話(シモネタ話)などのきわどく破廉恥なネタや古典を改作しブラックユーモア、他の噺家の悪口、そして権威を徹底的に罵倒し、ぼやき、皮肉るネタは梅亭鶯志に通ずるものがあるが、馬笑はそれをよりどぎつくグロテスクに表現する。「芸は最高だが人間としては最低だ」といわれる所以で、馬笑のファンは自身がファンであることを周囲の人に内緒にしていることが多い。この芸風は、自身が転移前に朝廷で受けた様々な差別への反動であると、馬笑は後に語っている。この芸風故かファンは決して多くないが、ファン層はマニアックな人が多い。
一方で、馬笑は落語を始めとした古典芸能に通じており、インテリである。
  • ぜんざい公社
  • 紀州飛脚
  • 五人廻し
  • 居残り佐平次
  • なめる

人物

  • 真打ちに昇進後、自身の芸風にそぐわないとして女性の弟子は全て断っている。

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