概要

第5次ゼイレアンの戦いとは、蜉蝣時代の戦乱の中で、アルファ692年5月、ロードレア国軍とロー・レアルス国軍の間に起きた戦いである。
ゼイレアン平原エルザイア城を舞台に行われた一連の戦いであり、第2次〜第4次に戦いについても触れる。

戦闘に至るまでの背景


▲691年10月における勢力図

第1次ゼイレアンの戦い終了後も、ロードレア国とロー・レアルス国は国境を挟んでにらみ合いを続けていた。
バルド国、リューグ国との戦いが激化したこともあり、レイディック本人は本国へと戻ったが、最も信頼していた軍師ソフィスを総大将として、エルザイア城を拠点にゼイレアン方面に駐屯させていた。
対するロー・レアルス国はカルディス本人が駐屯し、690年8月エルザイア城ソフィスと直接対決を繰り広げるが、この時はソフィスが守りに徹した為、決戦と呼ぶ規模には至らずに全軍撤退する。(第2次ゼイレアンの戦い)
これは、ソフィスの基本戦略として、現時点でカルディスとの決戦は時期尚早と見ていた為である。
彼はレイディックバルド国をある程度制圧し、リューグ国は外交で支配できる様になるまで、ロー・レアルス国との決着はつけるべきではないと考えていた。
敗北すれば勿論、勝利しても相当の消耗を強いられる上に、この時点での両国の地図では得るものは少ないと考えていたためである。

691年になると、ソルドレイカの戦いの為、カルディスは一旦全軍を引き上げさせる。
その報告を聞いたソフィスは、ひとまずゼイレアン平原までは勢力圏を広げても問題ないと思い出陣、残されていた守備隊を蹴散らす。(第3次ゼイレアンの戦い)
その後、再びカルディスが自ら軍勢を率いてこの地に到着、以後ソフィスと水面下の謀略戦と小競り合いを繰り広げつつ、692年の2月にはゼイレアン平原で第4次ゼイレアンの戦いが勃発。
この時はカルディス自ら出陣したため、ソフィスを押し込み、あと一歩まで追い詰めながらもエルザイア城に逃げ込まれ、討ち洩らしている。
ゼイレアン地帯は、こうして一進一退の攻防を繰り広げるが、カルディスは、決着をつけるべきときが来たと692年5月、本格的な侵攻を決意することとなる。

戦闘経緯



第5次ゼイレアンの戦いは、エルザイア城を舞台に、互いに死力を尽くした総力戦となる。
そのため、「ゼイレアンの戦いは第4次までで、これはエルザイアの戦いと表記するべき」と主張する戦史家もいるが、ここでは通例通り第5次として扱う。

籠城戦は二十日にわたって続き、激しい攻防が繰り広げられるが、ソフィスの指揮によってついに城を守り切り、カルディスは一旦軍を退かせた。
しかし、この戦いの最中、ソフィスは自ら城壁に出て指揮を振るっていたが、風に乗った一本の流れ矢によって討死を遂げていた。

この突然すぎる戦死は、ロー・レアルス国軍の戦史には残されていない。
あまりにも突然かつ偶発的な事だった為、討ち取ったロー・レアルス国がそのことを知らなかったという説と、カルディスが旧知(カルディスの兄とソフィスの姉は夫婦だった為、幼少期に二人は何度か顔を合わせている)のソフィスの死を悼み、あえて自国の史書に残さなかったという説があるが、真相は謎である。

どちらにしても、この戦いでロードレア国軍は司令官を失い、エルザイア城こそかろうじて持ちこたえていたが、ゼイレアン平原一帯はロー・レアルス国の支配下となる。

伝説

後世の小説では、この事故にも等しい偶発的な戦死がレイディックの軍師には似つかわしくないという判断から、メファイザスの策により、ソフィスの姉(バルディゴスによって討たれた一族)が歌っていた子守唄によってバルコニーに誘き出された所を、闇討ちにあったということになっている。
ただし、一連のゼイレアンの戦いは、水面下ではソフィスメファイザスの激しい謀略戦もあった為、完全に創作と否定できない一面もある。

戦いの結末

エルザイア城を陥落させることは困難と判断したカルディスは、メファイザスゼノスを率いて東へ進軍。
アゾル国領土のほとんどが短期間の間にロー・レアルス国軍の手に落ちた。
しかし、急激な領土拡大に人材が追いつかず、カルディスは、精鋭を前線に集め、後方にはルディック国時代から、保身の為にカルディスについてきたブゥルノードの様な様な小物を配置せざるを得なかった。


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