タブリーズ
基本情報
イスラーム・ペルシア社会主義共和国
地方アーザルバーイジャーン州
面積市域324㎢(都市圏2,356㎢)
総人口市域1,558,693人(都市圏1,773,023人)
人口密度4,810.7人/㎢
市長イラージュ・シャヒン・バハー



概要

タブリーズはイスラーム・ペルシア社会主義共和国の都市。イランでも非常に古い歴史を持つ地域で住民の多くはアゼルバイジャン人であり、アゼリー語が広く使われている。世界最古のバザールがあることで知られる。

歴史

3世紀のサーサーン朝時代に築かれた。タブリーズの名は、297年にこの都市がアルメニア王国の王ティリダテス3世の名に因んでタウリスと呼ばれたことを由来とすると言われている。その後、アラブ人のイスラム勢力が侵攻。都市は一時荒廃した。8世紀に入り、アッバース朝の時のカリフであったハールーン・アッ=ラシードの妻によって再建された。
モンゴルの侵攻を受けた13世紀後期以降、アルグンによってイルハン朝の都とされ、新たに城壁も築かれた。その後、1375年から黒羊朝の都となったが、1392年にはティムールの攻撃を受けた。さらに1469年に黒羊朝を追った白羊朝がこの都市を占領、タブリーズは白羊朝の都となった。その後は白羊朝を滅ぼしたイスマーイール1世が1501年にタブリーズに入城、イスマーイール1世が建てたサファヴィー朝もガズウィーンへの遷都まではこの街を首都とした。その後はオスマン帝国とペルシアの間で激しい領有権争いが繰り広げられた。1826年には一時ロシアに占領されるもペルシアが奪い返すことに成功した。
20世紀になると1905年から1911年にかけてイラン立憲革命の中心地となる。第二次世界大戦後、ソ連はイラン北西部に傀儡政権アゼルバイジャン国民政府を樹立、タブリーズを首都に定めた。その後同地からソ連軍は撤退、タブリーズはパフラヴィー朝下のイランに編入された。
地震が頻繁に起きることで知られ、歴史的建造物があまり残っていない。

特徴的な条例

テヘラン歴史的建造物保護法
テヘランでのソ連式住居の粗製乱造を防止し貴重な文化財を保護するのために制定された。景観条例の役割も兼ねており、市域の一部はこの条例で「歴史地区」に認定され、建造物の階層制限や外観の塗装の制限などが行われる。

行政

タブリーズ市の政治は21人の評議員からなる市評議会が担当している。市長は評議会によって選出される。1988年までは州知事が市長を任命していたが、1988年に現行の方式に改定された。任期は5年である。現在の市長は改革派で、主にインフラの整備と再開発に注力しており、比較的市民から支持されている。

産業

タブリーズはペルシア北西部の経済の中心地である。人口が多いため多くのサービス業と工業が発達している。隣国アゼルバイジャンと鉄道の乗り入れがあるなど国の玄関口として知られ、外資系の企業が多い。

交通

鉄道

テヘランからの鉄道路線とアゼルバイジャンへの国際路線がある。

空港

タブリーズ国際空港があったが、イラン革命で破壊され、軍基地となった。

道路

破壊と再生を繰り返した街のため、区画は汚い。現在主に中心部での区画整理と再開発が促進されている。

地理

サハンド山の北側、標高1350mに位置する。テヘランとの距離は600kmほど。住民の多くはアゼルバイジャン系である。

観光名所

タブリーズのバザール

中東最古のバザールとして知られるバザールとして知られる。タブリーズのバザールは、金及び宝石を取り扱うアミール・バザール、ペルシャ絨毯を扱うモッザファリーエ・バザールなどさまざまな物品を取り扱う複数のバザール施設が複合して構成されている商業施設である。今日でも、タブリーズのバザールでは新規の店舗が開設され続け、イラン北西部の経済の中心地として機能している。

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