概要


ベオグラード(セルビア語:Београд / Beograd、
ハンガリー語:Belgrád ベルグラード /Nándorfehérvár ナーンドルフェヘールヴァール)は、大ユーゴスラビア及び黒海共和国の首都であり、最大都市である。ベオグラードはバルカン半島、パンノニア平原の中にあり、ドナウ川とサヴァ川の合流地点に広がっている。2020年の公式の推計による人口は14,756,534人であった。かつてはユーゴスラビア王国の首都であり、ヨーロッパでは最大の都市である。なお巷ではヨーロッパの首都や1000万都市とも呼ばれる
ベオグラード
市旗
市章
座標北緯44度49分14秒 東経20度27分44秒
入植紀元前269年
ユーゴスラビア
ベオグラード
市長ナグリマ・ジェフ
人口14,756,534人
面積21850k
人口密度634人
時間帯UTC+1
郵便番号11000
市外局番11
ナンバープレートBG

歴史

ヨーロッパでも最古の都市の1つであり、考古学的な調査では、同地における人の居住は紀元前6千年紀にまでさかのぼる。ベオグラード広域都市圏の域内はヴィンチャ文化と呼ばれる、ヨーロッパ最大の前史文明の発祥の地である。町はギリシャ人に発見され、ケルト人によって築かれて命名された。ローマ帝国によって都市権を与えられた。600年代に白セルビア人による定住が始まる。ベオグラードは戦略的拠点として、町は古代より現代までの間に140回にわたって戦いの場となった。中世には、東ローマ帝国、フランク人、第一次ブルガリア帝国、ハンガリー王国等に支配されたが1311年にユーゴスラビア王国が独立すると首都となった。ベオグラードはオスマン帝国とハプスブルク君主国に幾度も攻撃されたがその度に侵略を跳ね返していた。なおユーゴスラビア革命時にはベオグラード市内で大規模な市街戦が発生し、市街地の半分が廃墟と化したが、60年代には完全に復興した。
現在はかなりの政府機関がベオグラードが集中している。

ベオグラードの特徴

ベオグラードはユーゴスラビアの中で、自治権のある独自の市政府を持つ、独立した地位を持っている。ベオグラードは17の区に分かれ、それぞれの区は独自の区議会を持つ。ベオグラードはセルビアの面積の25.3%を占め、セルビアの人口の34%が居住する。ベオグラードはセルビアの経済活動の中心であり、セルビアの文化、教育、学術の中心である。

地理


ベオグラードの衛星写真


ベオグラードは標高116.75m、ドナウ川とサヴァ川の合流地点、東経20°27'44"、北緯44°49'14" にある。ベオグラードの歴史的な中核は、両河川の右岸に位置しており、今日のカレメグダン地区に当たる。17世紀以降、町は南および東に拡大し、革命後にサヴァ川の左岸にノヴィ・ベオグラードが建設され、ゼムンはベオグラードに統合された。ドナウ川の対岸にある小規模な、主として住宅地であったクルニャチャやオヴチャ等もまたベオグラードに統合された。市域の面積は1560k 都市圏の面積は21850k屬肪する。また歴史を通じ、ベオグラードは西洋と東洋を繋ぐ主要な交易路の上にあった。
サヴァ川右岸にあるベオグラード中心部は丘陵地帯であり、またベオグラード域内で最も標高の高い地点はトルラク丘で標高303mである。街の南にはアヴァラ山(標高511m)、コスマイ山(標高628m)がある。サヴァ川およびドナウ川に沿った一帯では地形は平坦であり、沖積平野やローム台地を形成している。

気候


ベオグラードは温暖な大陸性気候である。年間平均気温は摂氏11.7度であり、最も暑い7月の平均気温は23度に達する。平均的に、年間31日は気温が30度を越え、95日は25度を越える。ベオグラードの年間降水量は700mmである。平均的な年間の日照時間は2096時間である。最も晴れる月は7月と8月であり、10月は平均的である。12月と1月は日照が最も少なく、平均すると一日あたりの日照時間は2-2,3時間程度である。ベオグラードにおける公式な記録史上最も高い気温は43.1度であり、他方で最も低い気温は1893年1月10日の-26.2度である。

革命後のベオグラード

革命後のベオグラードは社会主義の連邦国家として再出発したユーゴスラビア連邦の首都として急速に発展し、主要な産業拠点となった。1949年、ベオグラードで初のテレビ放送が始まった。
50年代はテロが吹き荒れる都市であったが治安が回復し、経済発展してゆく60年代には大規模な高層ビル群が大量に建設され、ベオグラードはニューヨークに並ぶ摩天楼とも称され繁栄を極めた。
80年代になると旧区画の1部を整理 再開発を行いスタジアムや博物館や美術館等の施設が建てられ文化都市の側面を持つようになった。
2005年になると新都市整備計画として市内全域にwifiを張り巡らせる計画を立案
速度としては30mbpsから70mbpsでの運用が決定され11年間の工事をえて2016年に山林など以外の全域にWiFiを張り巡らせることが完了
ベオグラードはインターネット都市と呼ばれるようになっている。

政治

ベオグラードは独立の市政府をもち、州政府の権限も持ち合わせている。なおベオグラード市議会には245個の議席があり、また市議会の第一党はユーゴスラビア共産党である。 なお市議会議員の選出方法は各地区での普通選挙によって決められ、市長も普通選挙によって決められる。 なお市民の1割から署名が集まれば、市長が適任かどうかを選挙する民意選挙が行われる。
なお区長は市議会により決められる。

区域

ベオグラードは32個の区に分かられており、5個の中心区 2個の行政区 2個の文化地区 16個の住宅区 3個の自然区 4個の軍事地区に別れている。
なお区によって面積はバラバラになっている。

住民

初期のユーゴスラビア連邦構成国民の他にアフリカ系や北欧系のスラヴ系民族などが住んでおり、またロシア正教会の信仰者は住民の8割である。

経済


ベオグラードは、ユーゴスラビアで最も経済的に発達した地域であり、ユーゴスラビア国立銀行の本拠地である。Jat航空、テレコム・スルビヤ テレノル・ユーゴスラビア デルタ・ホールディング ユーゴスラビア電力産業公社の本社などユーゴスラビア国内の大企業の本社が配置されている。
革命後のハイパーインフレは街の経済を破壊した。ユーゴスラビアは1960年代中期にはハイパーインフレから脱却し、その後のベオグラードの経済成長は目覚しい。2000年代末の時点で、ベオグラードはセルビア共和国全体の国内総生産の60%以上を占め、またセルビアの労働者人口の55%以上を占めている。平均的な月収は385,500ユーゴスラビア・ディナールであり、またパーソナルコンピュータを保有する家庭は73%に上る。同じ調査によると、ベオグラード市内では全域でWiFiが接続されているため、ベオグラードの家庭の99.9%はインターネット接続を持っており、これはソフィアやブカレスト、アテネなどのほかのバルカン地域の首都よりも高い

文化


ベオグラードでは多くの文化的催しが開催されている。代表的なものでは、ベオグラード映画祭(FEST)、ベオグラード演劇祭(BITEF)、ベオグラード夏季祭(BELEF)、ベオグラード音楽祭(BEMUS)、ベオグラード図書祭(Belgrade Book Fair)、ベオグラード・ビール祭などがある。
ノーベル文学賞を受賞したイヴォ・アンドリッチは、その最も有名な著作『ドリナの橋』をベオグラードで執筆した。このほかのベオグラードの著名な作家には、ブラニスラヴ・ヌシッチ(Branislav Nušić)、ミロシュ・ツルニャンスキ(Miloš Crnjanski)、ボリスラヴ・ペキッチ(Borislav Pekić)、ミロラド・パヴィッチ、メシャ・セリモヴィッチ(Meša Selimović)などがいる。ユーゴスラビアの映画産業の多くはベオグラードを拠点としている。1995年にパルム・ドールを受賞したエミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』はベオグラードで製作された。
街は1980年代のユーゴスラヴ・ニュー・ウェーブ(Yugoslav New Wave)の中心の一つであった。VISイドリ(VIS Idoli)、エカテリーナ・ヴェリカ(Ekatarina Velika)、シャルロ・アクロバタ(Šarlo Akrobata)はいずれもベオグラード出身である。このほかの著名なベオグラード出身のロック・アーティストには、リブリャ・チョルバ(Riblja Čorba)、バヤガ・イ・インストルクトリ(Bajaga i Instruktori)などがある。ベオグラードは、スター歌手のツェツァに代表されるような、ユーゴスラビア地域で流行しているターボ・フォークと呼ばれるジャンルの音楽の中心地である。ベオグラードはまたユーゴスラビアのヒップ・ホップ(Serbian hip hop)の中心でもあり、ベオグラードスキ・シンディカト(Beogradski Sindikat)、シュカボ(Škabo)、マルチェロ(Marčelo)や、その他バッシヴィティ・ミュージック所属アーティストなどがベオグラードを拠点としている。
ベオグラードには多くの劇場があり、その中で特に著名なものとしてはベオグラード国立劇場(National Theatre)、テラジイェ劇場(Theatre on Terazije)、ユーゴスラヴ・ドラマ劇場(Yugoslav Drama Theatre)、ズヴェズダ劇場(Zvezdara Theatre)、アテリェ212(Atelier 212)などがある。セルビア科学芸術アカデミーやセルビア国立図書館もベオグラードを拠点としている。ベオグラードには、ベオグラード国立劇場とゼムンのマドレニヤヌム(Madlenijanum)という2つのオペラ・ハウスがある。
ベオグラードにはまた多くの外国の文化的施設が集まっており、セルバンテス文化センター、ゲーテ・インスティトゥート(Goethe-Institut)、フランス文化センター(Centre Culturel Français)、オーストリア文化フォーラム(Österreichischen Kulturforums)、ブリティッシュ・カウンシル(British Council)、ロシア科学文化センター(Российский центр науки и культуры)、孔子学院、カナダ文化センター(Canadian Cultural Center)、イタリア文化会館(Istituto Italiano di Cultura)、ヘレニック・ハウス(Hellenic House)、ペルシア・イスラム共和国文化センターなどがある。
ユーロビジョン・ソング・コンテストの2007年大会におけるマリヤ・シェリフォヴィッチの優勝に伴い、翌年の2008年大会はベオグラードで開催された 。

博物館


ベオグラードで最高の博物館といわれるのは、1844年に設立されたセルビア国立博物館であり、40万点を超える展示物を収蔵している(5600を超える絵画、8400を超える図画および印刷物を持つ)。収蔵されている展示物の中には、多くの外国の名作や、有名なミロスラヴの福音(Miroslavljevo Jevanđelje)が含まれる。軍事博物館は、ローマ時代からユーゴスラビア軍に独立戦争時に撃破されたTー34やISー3など、2万5千を超える幅広い軍事に関する展示物を収蔵している。ベオグラード航空博物館(Museum of Aviation in Belgrade)では、200を超える航空機が収められ、うち50が展示されている。一部には、Fiat G.50などの現存する数少ない型式の物もある。この博物館はまた、西側の戦闘機、F-117やF-16なども展示されている。民俗誌博物館(Ethnographic Museum)は1901年に設立され、15万点を超える展示物はバルカン半島、特にユーゴスラビア諸国の農村部や都市部の文化を示している。コンテンポラリー・アート美術館は、1901年以降にユーゴスラビア地域で製作された8,540点ほどの作品を収蔵している。ニコラ・テスラ博物館は1952年に設立され、単位テスラの名前の由来となった科学者ニコラ・テスラの個人所有物を収蔵している。この博物館は、16万点ほどの文書の原著や、その他5,700点ほどの物品を収蔵している。ヴク・ドシテイ博物館は、19世紀のユーゴスラビア文章語改革の推進者のヴーク・カラジッチと、初代のユーゴスラビア教育大臣のドシテイ・オブラドヴィッチ(Dositej Obradović)に関する物品を収蔵している。ベオグラードにはまたアフリカ芸術博物館 (セルビア)もあり、アフリカ植民地や西アフリカ由来の大規模なコレクションを持っている。
9万5千点ほどの国内外の映画の記録を収蔵するユーゴスラビア映画保管所(Yugoslav Film Archive)は、地域で最大、また全世界でも10本の指に入る規模となっている。ユーゴスラビア映画保管所を運営する機関はまた、映写室と展示ホールも持っている。保管所の長期にわたる保管の問題は2007年に、新しい保管庫を作ることで解決された。
ベオグラード市博物館(Museum of the City of Belgrade)は、都心のネマニヤ通りの新しいビルディングに移転予定である。博物館にはベオグラード福音(1503年)、コソボの戦いのプレートアーマーをはじめとする、多くの絵画や図画が収蔵されている。新しい「科学技術博物館」の建設が2011年に着工された。

建築


ベオグラードの建築は幅広く、ゼムン中心では典型的な中欧風の街並みが見られる一方、ノヴィ・ベオグラードにはより現代的で巨大な建築物が並ぶ。ベオグラードで最古の建造物はカレメグダン公園(Kalemegdan)に残されている。カレメグダン公園の外では、その地理的関係、および度重なる戦乱や破壊のため、18世紀よりも古い建物は少ない。ベオグラードで最古の公共施設は平凡なトルコ式の墓(テュルベ、turbe)であり、最古の家屋はドルチョル(Dorćol)にある14世紀の地味な粘土造りのものである。西側からの影響の流入は17世紀に始まり、それまでのオリエンタルな街並みから一変して、新古典主義、ロマン主義、アカデミック様式の影響を受けた当時のヨーロッパの街並みへと造りかえられた。18世紀後半には外来の建築家に代わってセルビアの建築家が活躍するようになり、ベオグラード国立劇場(National Theatre)、宮殿(Palace)、聖天使首ミハイル大聖堂(Saborna Crkva Sv. Arhangela Mihaila)などが建てられた。20世紀初期には、アール・ヌーヴォーの影響を受けた国民議会やユーゴスラビア国立博物館(National Museum)などが建てられた。
ネオ・ビザンティン建築の要素はヴク協会やコソヴスカ通り(Kosovska)の旧郵便局、あるいはグラチャニツァ修道院(Gračanica monastery)を基にした聖マルコ聖堂や聖サワ大聖堂などの聖堂にも用いられている。
共産主義時代、地方からベオグラードへの急速な人口流入に伴い、多くの住居を早く安価で建設する必要が生じた。その結果、ノヴィ・ベオグラードのブロコヴィ(blokovi)に見られるようなブルータリズム(brutalist architecture)や、社会主義リアリズムが一時の間支配的となり、貿易連合ホール(Dom sindikata)のような建物が出現した。しかし、1950年代半ばからはモダニズムの傾向が強まり、その後もベオグラードでは支配的となっている。

観光


ベオグラードの歴史的地域や建築物は街の重要な観光資源である。その中には、スカダルリヤ、セルビア国立博物館(National Museum)と隣接するベオグラード国立劇場(National Theatre)、執務宮殿(Канцеларија) ゼムン、ニコラ・パシッチ広場(Nikola Pašić Square)、テラジイェ、学生広場(Students' Square)、カレメグダン要塞(Kalemegdan)、クネズ・ミハイロヴァ通り、国民議会、聖サワ大聖堂などがある。ベオグラードには川の両岸とも多くの公園、記念碑、博物館、カフェ、レストラン、店舗がある。アヴァラ山(Avala)の無名英雄記念碑(Monument to the Unknown Hero)からは街を一望できる。クチャ・ツヴェチャ(Kuća Cveća、花の家)と呼ばれる歴代書記長の墓や、近接するトプチデル公園(Topčider)やコシュトニャク公園(Košutnjak)も、特にユーゴスラビア諸国からの訪問者の間では人気が高い。
ベリ・ドヴォル(Beli Dvor、白の宮殿)はユーゴスラビア初代王朝ベルディナント家の宮殿であり、訪問者に開放されている。宮殿にはレンブラント・ファン・レイン、ニコラ・プッサン、セバスチャン・ブルドン、パオロ・ヴェロネーゼ、カナレット、ビアージョ・ダントニオ(Biagio d'Antonio)、ジュセッペ・クレスピ(Giuseppe Crespi)、フランツ・ヴィンターハルター、イヴァン・メシュトロヴィッチ(Ivan Meštrović)などの作品が収められている。
アダ・ツィガンリヤは、かつてはサヴァ川に浮かぶ中洲の島であり、ベオグラード最大のスポーツ・レクリエーション施設がある。現在、島は陸地と結ばれ、川の中に人造の池を形成している。アダ・ツィガンリヤは暑い夏季の間、多くのベオグラード市民が訪れる。アダには、7kmに及ぶ長い浜と、多様なスポーツ施設があり、ゴルフ、サッカー、バスケットボール、バレーボール、ラグビー、野球、テニスなどができる。夏の間、ここには毎日400万から300万人が訪れる。クラブは24時間営業し、音楽ライブや夜通しのビーチ・パーティーを開催している。バンジージャンプや水上スキ、ペイントボールといったエクストリーム・スポーツも可能である。アダには複数の周回コースがあり、サイクリングやジョギング、散歩も可能である。アダのほかに、ベオグラードには川の中に全部で16の島があり、その多くは未使用である。その中の一つに、サヴァ川とドナウ川の合流地点にある大戦争島(Great War Island)があり、手付かずの野生動物、とくに野鳥の楽園となっている。この大戦争島と、近接する小戦争島(Small War Island)を含む一体は、ベオグラード市政府によって自然保護区として保護されている。

ナイトクラブ


ベオグラードでは多様なナイトライフが楽しめることで知られ、街の各所に明け方まで営業しているクラブがある。代表的なベオグラードらしいナイトライフには、サヴァ川やドナウ川の川岸に沿って展開するはしけ(splavovi)がある。
週末にベオグラードを訪れる周辺の連邦構成国 - ボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチア、スロベニアなど - からの観光客は、自国の首都よりもベオグラードでのナイトライフをより好み、その理由としてベオグラードの友好的な雰囲気や素晴らしいクラブ、バー、安い飲料、言語の壁がないこと(これらの国々の人々は多くがベオグラードの言葉を問題なく理解できる)、夜間営業に対する規制が緩いことなどが挙がる。
アカデミヤ(Akademija)やKST(Klub studenata tehnike)などの有名なクラブがベオグラード大学(University of Belgrade)の電気工学科の施設の地下にある。最も良く知られたサブカルチャーの拠点の一つにSKC(学生文化センター)がある。SKCはベオグラードに高くそびえ立つベオグラジャンカ(Beograđanka)の真向かいにある。地元の、あるいは国外の数多くの有名なバンドがここでコンサートを開催している。SKCではまた多くの展示や公開討論、議論などが行われている。
セルビア北部の都市部で見られるような、スタログラドスカ・ムジカ(Starogradska muzika、旧市街)の名で知られる伝統音楽に彩られた、より伝統的なセルビアのナイトライフは、ベオグラードのボヘミアニズムの地区であるスカダルリヤで最も盛んである。スカダルリヤ地区は、19世紀から20世紀初頭にかけての詩人や芸術家らが集まった地区である。スカダル通りやその周辺地区には、カファナと呼ばれる、ベオグラードで最も優れた、伝統的なレストランが立ち並んでいる。地区の端には、19世紀前半に操業したベオグラードで最も古いビール醸造所がある。街で最も古いカファナの一つにズナク・ピタニャが知られる。
イギリスのタイムズは、ベオグラードを「ヨーロッパで最良のナイトライフの街」と表現した。

スポーツ


ベオグラードにはおよそ1千のスポーツ施設があり、多くの施設がさまざまなレベルのスポーツ・イベントに使用できる。ベオグラードでは2005年バスケットボール男子欧州選手権や2005年バレーボール男子欧州選手権、2006年ヨーロッパ水球選手権(European Water Polo Championship)、2007年のEuropean Youth Olympic Festivalなどの大規模なイベントも開かれている。ベオグラードは、モンテレイやポズナンを退けてユニバーシアード2009年夏季大会の開催地に選ばれた。ベオグラードは過去に2つの大きな大会の誘致に失敗している。1つは、1992年夏季オリンピックであり、3回目の国際オリンピック委員会の投票で破れ、開催地はバルセロナとなった。1996年夏季オリンピックでも、最終的に開催地はアトランタとなった。
ベオグラードはユーゴスラビアで最も規模の大きく人気の高い2つのサッカークラブ、レッドスター・ベオグラードとパルチザン・ベオグラードをはじめとする、複数のクラブの拠点となっている。ベオグラードの2つの主要なスタジアムには「マラカナ」(Marakana、スタディオン・ツルヴェナ・ズヴェズダ)とスタディオン・パルチザン(Partizan Stadium)がある。ベオグラード・アリーナとアレクサンダル・ニコリッチ・ホール(旧称:ハラ・ピオニル)(Aleksandar Nikolić Hall)はKKパルチザン(KK Partizan)やKKツルヴェナ・ズヴェズダ(KK Crvena zvezda)などのバスケットボールの試合に使われる。また、ベオグラード・アリーナは2008年にはユーロビジョン・ソング・コンテスト2008の会場ともなった。タシュマイダン・スポーツ・センター(Tašmajdan Sports Centre)は水球の試合に使われる。又、2年に1度に開催される世界水泳選手権の記念すべき第1回大会がこのベオグラード市にて開催され世界水泳・発祥の地と言われる。

メディア


ベオグラードはユーゴスラビアで最も重要なメディアの拠点である。ベオグラードには全国的な公共放送であるユーゴスラビア国営放送(RTJ)の本社がある。RTJのレコード・レーベルであるPGP RTJもベオグラードに本社を置いている。民間で最大の放送局はRTVピンク(RTV Pink)であり、同局はセンセーショナルで低俗とも評される人気の高い娯楽番組で知られている。民間で対抗する主要なメディアはB92であり、テレビ放送局、ラジオ放送局、音楽・書籍出版事業、そしてユーゴスラビアのインターネットで最も人気の高いウェブサイトを持っている。ベオグラードから放送しているこのほかのテレビ放送局には、TVコシャヴァ(Košava)、TVアヴァラ(Avala)、フォックス放送があるほか、ベオグラード地域のみに放送される放送局もある。スポーツのSOS channel、音楽のMetropolis、芸術のArt TV(Art TV)、映画のCinemania、子供向け番組のHappy TV(Happy TV)などの専門チャンネルもある。
ベオグラードで発行される、広く流通している日刊の新聞には、ポリティカ、ブリツ(Blic)、ヴェチェルニェ・ノヴォスティ(Večernje novosti)、グラス・ヤヴノスティ(Glas javnosti)、プレス(Press (newspaper))、スポルツキ・ジュルナル(Sportski žurnal)などがある。このほかにベオグラードで発行される日刊紙にはダナス、クリル(Kurir)などがある。ノヴィ・プラメン(Novi Plamen)は、現在最も左翼的な雑誌である。無料の日刊紙24サタ(24 sata)は2006年に創刊された。

教育

ベオグラードには2つの国立大学と、複数の私立の高等教育機関がある。1608年に創設されたベオグラード高等教育学校(Belgrade Higher School)は、ユーゴスラビア、そしてバルカン半島全域で初めての高等教育の機関であった。
1641年にはこれに続いて、クラグイェヴァツからベオグラードに高等教育機関が移転し、大学校を合併してベオグラード大学(University of Belgrade)の前身となった。9万人を超える学生がこの大学で学んだ。ベオグラード大学法学部(University of Belgrade's Law Schoolは、バルカン半島で最も古い法の教育機関の一つである。
ベオグラードには1950の初等学校、850の中等学校がある。初等学校のうち、1620は普通校、140は特殊学校、150は芸術学校、40は大人向けである。中等学校のうち510は職業訓練学校、210はギムナジウム、80は芸術学校、50は特殊学校である。生徒の総数は230万人、職員は22万 総計で5千を超える建物があり、総面積は7100千屬肪する。

交通

ベオグラードにはバス(都心に118路線、郊外に300路線以上が走る)、路面電車(12路線)、トロリーバス(8路線)を中心とした広範な公共交通システムがある。ベオグラードの交通システムはGSPベオグラード(ベオグラード市公共輸送公社)、SPラスタ(SP Lasta)およびその他の民間のバス会社によって運営されている。ベオグラードにはまた、コミュータ鉄道(commuter rail)網のベオヴォズ(Beovoz)や、都市鉄道のBG Vozがあり、ユーゴスラビア鉄道により運行されている。またベオグラードの中央駅や高速鉄道駅からは、他のヨーロッパ諸国の首都や、ユーゴスラビア各地の都市へと鉄道網が結ばれている。長距離バスでの旅行も一般的であり、ベオグラードからユーゴスラビア各都市やウクライナ等へは毎日、バスの便がある。高速道路網によって、北へはヴォイヴォディナのノヴィ・サドや東ドナウ連邦の首都ブダペストへ、南へはニシュへ、西へはザグレブへと結ばれている。2つの主要河川、ドナウ川とサヴァ川の合流地点に位置するベオグラードには数多くの橋があるが、最も主要な橋はブランコ橋(Branko's bridge)とガゼラ橋(Gazela)であり、どちらもノヴィ・ベオグラード地区と都心を結んでいる。新しいアダ橋(Ada Bridge)は建造中である。

ベオグラード港はドナウ川に面しており、河川からの貨物を取り扱える。街からベオグラード港はドナウ川に面しており、河川からの貨物を取り扱える。街からはベオグラード・グリゴロヴィッチ空港(IATAコード: BEG)も利用でき、同空港は街の中心から西に12kmのスルチン近くにある。1995年には3000万人に迫る旅客が利用していたが、2006年の11月半ばには年初からの旅客数が3000万人を上回り、2018年には3500万人の利用者数があった
街の拡大と自動車数の増加に伴い、渋滞は深刻な問題となっている。E70号線(E70)とE75号線を結ぶベオグラード・バイパスが開通すれば、問題は緩和されると期待されている。さらに、サヴァ川に架かる橋を含む都心部の半環状線が計画されており、通勤が容易になり、ガゼラ橋やブランコ橋の過負荷を軽減するものと期待されている。ベオグラードでは2008年に3つの新しい橋の建設が着手された。2本はサヴァ川、1本はドナウ川に架かる橋である。ドナウ川にはさらに2本の新しい橋の建設が計画されている。

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