象牙王国
最終更新: captainfujimoto 2020年05月16日(土) 14:57:43履歴
象牙王国 | |
国の略称 | 象牙 |
公用語 | フランス語、その他民族語 |
国教 | なし |
国の標語 | 統一、規律、労働 |
国歌 | アビジャンの歌 |
首都 | ヤムスクロ |
最大都市 | アビジャン |
国王 | 藤本敏史 |
大統領 | |
人口 | 2,571万人 |
GDP | 340憶ドル |
通貨 | フジモトフラン(FMフラン) |
14世紀以前はグリシャボ、ベチュ、アンデニュなどの各王国が混在した。15世紀にポルトガル人・イギリス人・オランダ人などが訪れ、奴隷と象牙の取引に従事。17世紀半ばフランスが西アフリカ経営に乗り出した。1893年フランスの植民地となる。1917年フランスが全土を制圧。1961年に日本人の藤本功によって独立機運が高まり、フランス共同体から独立。以後、近代化が進められ、1990年に藤本は大統領に就任した。旧宗主国フランスを軸に多角的な外交を追求し、現在ではアフリカ随一の人権先進国となっている。1999年12月、藤本敏史が国王に就任すると、2002年9月には反政府勢力と政府軍が対立。反政府勢力が北部・西部を支配するも、「藤本国王の十月演説」に心を打たれた反政府軍が和解を要請、2003年1月に和平合意が成立した。同年3月に国民和解政府(通称:第二象牙王政)が発足。2007年にはイスラム過激派を主体とする反政府軍の蜂起が起きるも、「藤本国王の三月演説」によって和平プロセスに合意。4月に藤本国王が退任し、サロモン・アルマン・マグロワール・カルー国王とディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー大統領の新体制が発足した(通称:第三象牙王政)。2010年10月と11月に延期を重ねていた大統領選が行われ、選挙管理委員会は藤本敏史が当選と発表。しかしディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー大統領が権力の移譲を拒否。両者の間で争いとなった。藤本当選を支持するフランスが武力介入。同年5月に藤本大統領が就任。2011年4月にサロモン・アルマン・マグロワール・カルー国王が退任すると、藤本大統領は後継としてディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー前大統領を推した。かくして国王となったディディエ・イヴ・ドログバ・テビリーは、藤本敏史の器の大きさに感動した。2020年5月にディディエ・イヴ・ドログバ・テビリー国王が暗殺されたことに伴い、藤本敏史が暫定的に国王を兼務する。その翌日、シーランド王国のウィリアム・ロバーツ・ペンドラゴン皇帝が国王に就任するも、内乱罪等の容疑で職務を追われる。現在は藤本敏史が暫定的に国王と大統領を兼務している。
ギニア湾に臨む熱帯の国で、北はプルキナファソ・マリ、東はガーナ、西はギニア・リベリアに囲まれている。海岸部は砂州で隔てられたラグーンが入り組んでいる。内陸沿岸部は熱帯雨林で、中部・北部はサバナとなっている。西武は起伏のある山岳地帯。
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